御坊哲 さん プロフィール

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御坊哲さん: 御坊哲
ハンドル名御坊哲 さん
ブログタイトル御坊哲
ブログURLhttps://ameblo.jp/toorisugari-ossan/
サイト紹介文知識はなくとも刺激的。 無知を恥じず堂々と間違い、そして本格的な哲学を目指す。
自由文日曜哲学者の御坊哲です。プラトンやアリストテレスは読んだことがない。カントも分からんアマチュアですが、全部自分の言葉で語ります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供66回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2009/12/23 20:45

御坊哲 さんのブログ記事

  • 暴風と海の恋を見ましたか ( 鶴彬 )
  • 鶴彬(つるあきら) は反戦川柳作家である。国語の教科書にも日本史の教科書にも出てこないからあまり人には知られていない。私もこのつい最近までその名を知らなかった。週刊金曜日の記事を読んで、初めてそういう人がいることを知ったのである。荒れ狂う風と海を「恋」と形容した、その激しさに衝撃を受けて脳裏から離れなくなってしまった。   万歳とあげて行った手を大陸において来た   屍のゐないニュース映画で勇ましい   [続きを読む]
  • 歴史のとらえ方はどうしても主観的にならざるを得ないけれど‥
  • NHKの「西郷どん」を見ていると、坂本龍馬が西郷や桂にため口を聞いているのが気になる。坂本龍馬が魅力的な人物で、西郷や桂に大いに気に入られていたのは間違いない。しかし、薩長の実権を握っている西郷や桂から見れば、力の背景をもたない竜馬は出入り商人に過ぎず、これはおかしいのではないだろうか。当時、桂小五郎は逆賊の汚名を着せられて表立って身動きができなかった。竜馬は桂のメッセンジャー・ボーイに過ぎなかった [続きを読む]
  • リベットの0.5秒
  • 最近の脳神経科学の進歩は目覚ましいものがあるが、とりわけ1980年に発表された「リベットの0.5秒」はかなりショッキングな発見であった。それは、我々が例えば腕を上げる場合、実際に腕が上がる0.55秒前に脳はそのことを決定しているというような内容であった。 その後の追試により、それはほぼ事実であるということが確かめられているらしい。私が腕を上げる動作をする際、腕を上げることを「意志」して実際に上がるまでに0.2秒 [続きを読む]
  • 心はどこにある?
  • この問題の難しさは、位置というものの絶対的な基準がないことにもあるが、心というものがなにを指すのかがそもそも明確でないことにある。位置というのは物の世界におけることであり、物と心の関わりというものが明確でないかぎり位置も示せないはずである。。だとすれば、心がどこにあるかを特定できると考える方がむしろおかしいような気がしてくる。 思うに、たいていの人は目の後ろの方、つまり脳でものを考えているように感 [続きを読む]
  • 答えのない問題は疑似問題である
  • 世の中にはいろいろ難しい問題がある。しかし、どれほど難しい問題であろうと、それがなにを問うているのかがわかれば、答えの形式については分かるものである。「テーブルに置いてあった大福が無くなったのはなぜか?」という問いならば、「食いしん坊の哲が食べてしまったからだ」というような解答が期待される。フェルマーの定理を証明することは私には到底できないが、公理から始めて論理を演繹していきその定理に到達すればよ [続きを読む]
  • 不可能物体
  • 著名な宇宙物理学者であるペンローズは、一時期三次元空間の論理に反する物体を考えることに熱中したらしい。論理に反するものは想像することさえ不可能なはずだが、不可能に挑戦するのが天才の天才たるゆえんなのだろう。その結果として、ペンローズの三角形というものを考案することに成功したらしい。 興味津々でインターネットを検索してみた。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA% [続きを読む]
  • 神の存在論的証明
  • 「世界はなぜ『ある』のか?」(ジム・ホルト著)という本を前月から引き続き読んでいるのだけれど、本日はその中から「神の存在論的証明」というものをご紹介したい。中世ヨーロッパの神学者、聖アンセルムスは初めて神の存在を純粋な理論によって証明しようとした人である。その論証過程をジム・ホルトは次のようにまとめている。  ① 神は、想像し得る何かのなかでもっとも偉大である。 ② 単なる想像上の何かよりも、存在す [続きを読む]
  • 世界はなぜ「ある」のか?
  • 数日前からジム・ホルトの「世界はなぜ『ある』のか」を読んでいるが、実に面白い。「経験の到達できないことについては、いくら考えてみても正しい結論を得ることはできない。」とお釈迦さまもカントも口をそろえて言うのであるが、人はどうしてもそれを考えずにはいられないのだろう。ライプニッツ以来、天才たちがこの問題に膨大な知的エネルギー傾注してきた。その知的副産物も少なくはないようだ。 しかし、この問題に関する [続きを読む]
  • 誰もが自己犠牲には感動するが‥‥
  •  昨日、「殿、利息でござる」という映画をテレビで見た。そして、登場してくる人々の己を犠牲にしてまで人々のために献身する姿勢に感動した。が、その映画を観た後奇妙な感慨に襲われたのである。  人々の自己犠牲は美しいと感じる、しかし、そう感じる私は少しもそういうタイプの人間ではないのである。一応、理屈に合わぬことは嫌いだが、それは単に杓子定規なだけで、性根そのものは利己的な人間である。自分は決してそうい [続きを読む]
  • せこい勝負をした日本がフェアプレー点で決勝Tに上がれるという皮肉
  • 大方の人々は日本が決勝トーナメントに出られることになって良かったと思っているらしい。しかし、へそ曲がりジジイはそうは考えないのである。スポーツは常に勝利を希求することに意義がある。そのひたむきさを無くしたら、それはもうスポーツではないと私は考えている。リードされていれば点を取り返しに行く、その当然のことをしない。なぜ?もし、セネガルが最後に一点を取り戻していたら、日本チームはそのまま帰国しなければ [続きを読む]
  • 数学は正しいか?
  • 数学的実在論というのがある。数学的実体が人間の心とは無関係に実在しているという考えだ。われわれは所詮人間としての思考の外へ出ることができないので、そのことを実証するのは難しい。  しかし、「数学は正しいか?」と問われれば、正しいと言って良いだろう。数学は公理を前提としてア・プリオリな論理を演繹していくものだからである。ここで言う「論理」は論理学でいうところの無矛盾律であるとか推論規則とかの狭義の論 [続きを読む]
  • 沖縄を沖縄に返せ
  • かたき土を破りて 民族のいかりにもゆる島 沖縄よ 我らと我らの祖先が 血と汗をもって 守りそだてた沖縄よ 我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ 沖縄は 沖縄を返せ 沖縄を返せ 約半世紀前に私が学生になったばかりの頃、沖縄は米国の統治下にあった。「沖縄を返せ」というのは、もちろん「沖縄を日本に返せ」という意味で歌っていたのである。「民族」というのはもちろん日本民族のことであった。1972年に返還が実施された時、 [続きを読む]
  • ジョギングの途中で‥
  •  私は週二三回は約8キロのジョギングをしている。もう歳なので一気に走ることはせず、途中の公園で5分くらいの休憩をしている。その公園ではたいてい少年野球の練習が行われている。それで気がついたのだけれど、この近在の少年野球チームにはたいてい一人か二人の女子メンバーがいるのだ。 例外なくみんな可愛い。と言っても私の衰えた視力では容姿まではっきり見えるわけではない。どの子も一律にポニーテールをキャップの後ろ [続きを読む]
  • AIは哲学することができるか?
  • 現時点では、AIというのはエキスパートシステムとほぼ同義と言ってもいいだろう。近年のエキスパートシステムの進歩は素晴らしく、人間以上の能力を発揮するものも数多く開発されている。 しかし、哲学するAIというのは従来のエキスパートシステムの延長線上には考えられない。コンピューターは与えられたコードを実行するしか能のない機械である。一応人間の持つ論理はすべて備えているので、高等数学の証明をプログラミング [続きを読む]
  • 忠誠の誓い
  • 私の息子は妻と7歳と4歳になる娘とともにアメリカに住んでいる。その息子が先日メールで長女のビデオを送ってきた。右手を胸に添えて、なにやら難しそうなことをしゃべっている。私の英語力ではきちんと聞き取れないが、これがいわゆる「忠誠の誓い」であることは分かった。息子は流ちょうな英語で堂々としゃべる娘を誇らしく思い、娘の祖父母を喜ばせようとしてこれを送ってきたのだ。 孫娘の成長は嬉しいが、正直なところある種 [続きを読む]
  • 尾瀬
  • 昨日尾瀬に行ってきました。日本最大の高層湿原は今が新緑の時期でした。沼田辺りまでは青空が見えていたのですが、鳩待峠につくころにはほぼ全天雲に覆われてしまいました。 鳩待峠の新緑のダケカンバ(だと思う)。 平日だけど人は多かった。 湿原内の小さな水路に咲くリュウキンカ(立金花)が美しい。 至仏山にはまだ雪が残っていました。 流れのない水たまりは赤茶色になっている。この辺は鉄分が多いらしい。 湿地の向こうに立つ [続きを読む]
  • このあまりにひどい現状を国民は把握しかねているのではないだろうか?
  • あるところで、加計学園の県と市への虚偽の報告書について議論していたのだが、ある人が「誤っていたことを発表していたと認めて謝罪する人が増えることは、日本の政治の改善のための第一歩」とコメントしたので、私は驚き愕然としてしまった。その人は決して無教養な人などではない、にもかかわらず加計学園側の言い分をそのまま信じてしまっているのである。安倍さんの支持率が以前として40%近くあるのは、あまりにもひどすぎる [続きを読む]
  • あるとないはおなじこと?
  • デカルトは考える私以外のものはすべて疑わしいと考えた。それ以来、哲学者は懐疑論というものに取りつかれるようになってしまった。私たちのあらゆる知識は確かな根拠というものを持たないのである。 極端な話、自分の精神以外はなにも存在しないのではないかとまで考える人もいる。私は自分の両手をじっと見てみる。こんなにありありとはっきり見える自分の手が実はまぼろしかもしれないというのだ。 しかし、これはおかしな話で [続きを読む]
  • 人間はどう生きればいいのか?
  • 一言で言えば、善く生きればよいのだろうけど、その「善い」ということがよく分からない。それは多義的であいまいな言葉だからだろう。そもそも、「このように生きればよい」とひとくくりに出来るような、漠然とした人生などというものはどこにも存在しない。誰にとっても人生とは具体的な事実の積み重ねに他ならないはずだからだ。 私達はつねに大なり小なりの態度決定を迫られるような事態に遭遇している。そのたびに具体的な行 [続きを読む]
  • いつまで山口事件をやっているんだ?
  • 不起訴が決定してからは「メンバー」がはずれて「山口さん」になったけれど、いまだに同じような内容が繰り返し報道されている。一体なんなんだろう。同じ山口さんでも、山口敬之氏の伊藤詩織さんへの性的暴行事件の方が、はるかに悪質で問題ありありなのに一向に報道されないのはなぜなんだろう。 山口達也さんは自分の非を認めているし、2月の時点で被害者との示談も済んでいる。すでに解決済みの「終わった」事件である。なの [続きを読む]
  • 「〇〇メンバー」とは変な日本語
  • 昨日からやたら「〇〇メンバー」という言葉を耳にするのだが、どうも耳障りだ。通常メディアは人の名前には敬称をつけて報道する。犯罪者は敬称なしだが容疑の段階では「○○容疑者」、起訴を免れた場合は肩書付きで報道されるらしい。肩書というのは普通、「社長」とか「取締役」、「選手」、‥‥「巡査」のようなものだと思うが、「メンバー」というのははたして肩書と言えるのか。「タレント」とか「俳優」の方がまだましな気が [続きを読む]
  • 痴漢を官僚のトップに置いておく、日本は世界中の笑いもの。
  • このところ、日本の政官界に尋常ならざることが起こりすぎて、もう何でもありの状態だ。よりによって、財務省7万人のトップに君臨する事務次官のセクハラ問題が浮上した。おそらく奥さんや子供の前では威厳をもってふるまっているのだろうが、「おっぱい触っていい?」「抱きしめていい?」である。本当に、子どもの目に触れさせたくないニュースである。 麻生大臣は「(報道が)事実かどうか分からないが、事実ならアウトだ」と [続きを読む]
  • 森を見て木を見ず
  • 一般に細部にこだわって大局を見落とすことを戒めて、「木を見て森を見ず」というのであるが、大局ばかり見ていて却ってことの本質を見落とすこともある。 進化論の話になると、「種は生き残るために変化してきた」というような言われ方をするのだが、実は変化する主体となるようなものはどこにもないということが見落とされがちである。進化の歴史のどこをとっても、ある種が別の種に変化したなどという事実はないのである。各個 [続きを読む]
  • オフィス北野騒動に一言
  • ビジネス上の問題はあくまで当事者の利害関係なのだから、本来は当事者間で話をつけるのが望ましい。当事者の一方が(不正確な)内情を暴露して世間を味方に付けようとするのは如何なものかと思う。一般に、ビジネスにおいては明確な善玉と悪玉に分かれるケースというのはそれほどないのである。 だから第三者がこの問題について口をさしはさむのはどうかと思う、と言いながらこの私がブログでこの問題を取り上げたのは、マスコミ [続きを読む]