権中納言 さん プロフィール

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権中納言さん: 残された石垣を見つけたい
ハンドル名権中納言 さん
ブログタイトル残された石垣を見つけたい
ブログURLhttp://siroato328.blog13.fc2.com/
サイト紹介文城跡めぐりをします。天守・櫓・門・石垣・堀・曲輪・武将など載せたいと思います
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供27回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2010/02/23 19:05

権中納言 さんのブログ記事

  • 美濃国 岐阜城跡
  • 現在の旧岐阜城下風景(展望台からの眺めが最高です)信長公居館跡発掘風景(地道な作業が行われています)岐阜城石垣跡(山上の石垣は一部残されています)岐阜城は関ヶ原戦い前哨戦で落城し廃城になりました。最後の城主、織田秀信は岐阜中納言と呼ばれていました。私、権中納言が久しぶりに金華山(岐阜城)に登ってきました。軽やかに登れたのですが、下りはひざに負担が掛り痛さを大我慢 [続きを読む]
  • 三河国 二連木城跡
  • 1493年田原城主戸田宗光が築城し、二連木城に移る。田原城は嫡男の憲光に譲り、渥美郡北部の敵対勢力の制圧を図る拠点となりました。1590年徳川家康の関東への国替により二連木城主戸田康長は、家康より松平姓を受け松平康長となり、戸田宗家を受け継ぎこの地を離れることとなりました。替わって東三河に入った池田輝政は、吉田城を拠点とした為近くだった二連木城は廃城となりました。二連木城は朝倉川を [続きを読む]
  • 三河国 田原城跡
  • 桜門と堀(枡池)田原城は1480年戸田宗光が築城したとされています。その後、戸田家は戦国時代初頭、東三河を支配するも、西三河の松平氏の配下となりさらに守護大名今川氏の支配下となった。1547年戸田康光は、今川義元へ人質として送られる松平竹千代(徳川家康)を強奪し、敵対する織田信秀に引き渡します。激怒した今川義元に、田原城は攻め落とされ、康光も戦死しその後今川氏家臣天野景貫が城代として入る。1560年桶狭間の戦 [続きを読む]
  • 尾張国 沖村城跡
  • 林秀貞は1538年織田信長が4歳で那古野城主になったとき信長付筆頭家老となりました。その林秀貞の居館跡が沖村城です。1556年信長の弟、織田信勝の反乱である稲生の戦いで柴田勝家とともに信勝に味方し、信長に負けてしまいますが信長に許され、筆頭家老として、その後の織田家躍進に力を発揮しました。1580年信長により24年前の謀反を理由に、突然追放されてしまいました。大ショックを受け2ヶ月後亡くなりました。遺構等はありま [続きを読む]
  • 若狭国 国吉城跡
  • 本丸虎口跡国吉城は、1556年若狭国守護大名武田氏家臣粟屋勝久が、越前との国境に近い三方郡佐柿にあった古城跡を利用して築きました。1563年、越前朝倉氏の軍勢が攻め寄せましたが見事撃退し、以降毎年侵攻する朝倉勢と戦い城を守り通しました。1570年勝久は、織田信長の軍勢を迎え入れ織田軍は、ここ国吉城から越前攻めに向かいました。1573年勝久は、織田勢に加わり一乗谷に出陣朝倉氏は滅亡しました。1583 [続きを読む]
  • 越前国 小丸城跡
  • 本丸虎口付近の残された石垣は、とても雰囲気がいいです。1575年織田信長が越前一向一揆平定後府中三人衆の一人、佐々成政が小丸城を築城しました。味真野の扇状台地の末端に野々宮廃寺跡の一部を取り込み東西300m南北450m規模の城域でした。1581年佐々成政が越中富山城に移り廃城となりました。本丸・二の丸・三の丸・隅櫓跡などが確認でき堀・土塁・石垣の遺構を見る事ができます。越前そばの里 [続きを読む]
  • 信濃国 高島城跡
  • 1590年諏訪領主諏訪頼忠が徳川家康の関東転封に従って武蔵国へ移った後豊臣秀吉の家臣日根野高吉が、2万7千石で諏訪の領主となりました。高島城は1591年に着工し、7年後の1598年完成しました。北側の城下側に、大手門を配置し湖の中に、衣之渡曲輪・三の丸・二の丸・本丸が一直線に並ぶ連郭式で、諏訪湖と数条の河川に囲まれた水城でした。天守は望楼型3重天守で、屋根は薄い板を重ねた杮葺でした。ほかに櫓8基・門6棟が構えられ [続きを読む]
  • 甲斐国 新府城跡
  • 1573年武田信玄死去により、武田勝頼が家督を相続する。1575年長篠・説楽原の戦いで、織田・徳川連合軍に壊滅的な敗北を喫する。1581年2月信長の甲斐侵攻に備えて、真田昌幸に命じて新府城の築城をはじめる。1581年12月には躑躅ケ崎館から移転する。1582年3月3日城に火を放って退却する。3月11日天目山にて自害、武田氏は滅亡しました。新府城は釜無川の流れを天然要害とした平山城で、断崖上に築かれ曲輪を機能的に配置し、堀・土 [続きを読む]
  • 甲斐国 躑躅ケ崎館跡
  • 躑躅ケ崎館は、甲斐源氏である武田氏の本拠地で1519年武田信虎が石和館から移り築城北側に詰城である要害山城をもち堀と土塁で防備され、家臣の館を周囲に配していました。武田信玄の代には甲斐一国と信濃・駿河・西上野・遠江・三河・東美濃・飛騨に領土を拡大支配しました。信虎・信玄・勝頼の3代にわたって本城としましたが1581年勝頼の代に新府城を築き移りました。武田氏滅亡後、織田信長の家臣河尻秀隆徳川家康の代官である [続きを読む]
  • 甲斐国 甲府城跡
  • 1582年武田氏滅亡後、甲斐国は織田信長の領国となるが本能寺の変後は、徳川家康の支配下になりました。豊臣秀吉が天下統一すると、1590年家康は関東へ国替えさせられ甲斐国は秀吉の甥で羽柴秀勝に与えられました。甲府城は、徳川氏への睨みの城として1591年から加藤光泰、1593年から浅野長政・幸長父子が城主となり完成しました。1600年関ヶ原の戦い後は徳川家の城となり将軍家一門が城主となりました。1704年甲府藩主徳川綱豊が、 [続きを読む]
  • 三河国 刈谷城跡(刈屋城)
  • 刈屋城は1533年水野忠政が築城娘の於大(徳川家康の生母)を岡崎の松平広忠に嫁がせ松平氏と関係を深くし、今川氏に組していました。忠政が亡くなり、水野家宗家の跡を継いだ水野信元は、織田家につき松平氏を引き込もうとするも、広忠は於大と離縁しこれを拒否しました。1560年桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると信元は織田信長と松平元康(家康)の仲介役をし、清州同盟が結ばれました。1575年信長の武将佐久間信盛の讒言により [続きを読む]
  • 三河国 本證寺(三河一向一揆の拠点)
  • 1563年徳川家康の兵糧米の徴発に端を発し不入権を主張する本願寺派寺院(本宗寺・勝鬘寺・上宮寺・本證寺)と領主である家康との間に、対立が深まり戦となりました。家康にとって配下の家臣に本願寺門徒が多かった為、苦しいものとなりました。本證寺は内堀と外堀を二重にめぐらし土塁を築いた強固な城郭寺院でした。 にほんブログ村 [続きを読む]
  • 三河国 安城城跡 (安祥城)
  • 1440年和田親平が築城したとされる。1471年岩津城主松平信光が謀略を用いて無血入城以後4代松平氏の居城となる。1524年4代目松平清康が岡崎城に本拠を移しました。清康が尾張国森山に出陣中、家臣により殺害された事件(守山崩れ)の後清康の叔父で織田氏と関係が深い松平信定が実権を握りました。1537年清康の子広忠(家康の父)が今川氏を頼って岡崎城主に復帰1540年織田信秀が安城城を奪い、城代として織田信広(信長の兄)を置 [続きを読む]
  • 近江国 小倉城跡
  • 承暦年間(1077〜1080)清和源氏の後裔、小倉(小椋)景実が近江国愛知郡小椋庄に小倉城を築いたと伝えられています。小倉氏は小倉城を拠点として、愛知・神崎・蒲生の三郡に勢力を拡大していきました。   小倉城跡に残されている遺構は見つけられなかった。小椋庄は昔を味わえる魅力ある集落でした。 にほんブログ村 [続きを読む]
  • 近江国 高野館跡
  • 高野館は織田信長の八男織田信吉(母は側室お鍋方)が1583年羽柴秀吉から、近江国神崎郡高野村や犬上郡宇尾村に2000石の所領を賜り羽柴武蔵守と名乗って、高野村に館を構えたとされ、これが高野館と考えられています。織田信吉は1600年関ヶ原戦いでは西軍につき、戦後改易となり1615年京都にて死去43歳でした。お鍋方は近江の豪族高畠源十郎の娘で高野城主小倉実房に嫁いで二人の男子を儲けました。夫である実房は、1559年織田信長 [続きを読む]
  • 近江国 百済寺城跡
  • 百済寺は聖徳太子が606年渡来人のために創建したとされている。平安時代に、比叡山延暦寺の勢力下に入り天台宗の寺院となり戦国期には六角氏により城塞化しました。1573年織田信長の近江侵攻により焼き討ちとなりました。曲輪・虎口・空堀・土塁など残るが巨石石垣は、安土城の築城の際持ちだされて現在残っている本堂などの石垣は1650年本堂・山門・仁王門等を復興した時のもののようです。 [続きを読む]
  • 美濃国 氷取城跡
  • 氷取城は、1580年不破広綱が竹鼻城主になったころ支城として築き弟の不破大炊頭に守らせました。不破広綱は不破光治(府中三人衆)の次男で織田信雄に仕えました。1584年羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康が対立し、小牧長久手の戦いが勃発。羽柴秀吉は長久手で大敗すると戦略を変え大軍を持って加賀野井城を落とし、竹鼻城を水攻めで開城させました。その時氷取城も開城させました。残されているものは、地名に城の名があ [続きを読む]
  • 飛騨国 江馬氏下館跡
  •                        主門(館の正門 復元)江馬氏下館は15〜16世紀北飛騨を支配した江馬氏の居館跡です。昭和51年土地改良に伴い、古くから居館跡と言い伝えられた場所の発掘調査が行われ水田の下層より庭園跡・建物跡・堀跡が発見されました。建物配置は室町将軍邸と酷似していて、出土品からは国産陶磁器の他に中国産陶磁器も多数出土しております。金銀銅鉛なども産出し、豊かな財力により、室 [続きを読む]
  • 飛騨国 神岡城跡(東町城)
  • 神岡城は1558年武田信玄の越中侵攻の為武田軍の宿舎拠点として在地領主江馬時盛が築城する。 1582年江馬氏が滅亡 1585年江馬氏を破った三木氏が滅亡金森長近が飛騨の国主になってからその家臣山田小十郎が入城する。この時堀に石垣を多用したと考えられます。1615年一国一城令により廃城となりました。1970年模擬天守が建てられました。遺構として見るものはあまりありませんでしたが戦国の風情が城跡に [続きを読む]
  • 近江国 坂本城跡
  • 坂本城は織田信長が比叡山焼き討ちの後滋賀郡支配の拠点として明智光秀に築城させました。琵琶湖に島状に突き出た水城で南北500m東西400m安土城に次ぐ巨城だったといわれ、大小ふたつの天守が建てられました。山崎の戦いで光秀が亡くなると、丹羽長秀・杉原家次と城主が替わり浅野長政のときに大津城が築かれ廃城となりました。   城の縄張り        本丸跡          中堀跡       [続きを読む]