阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと) さん プロフィール

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阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)さん: 草莽崛起〜阿蘇地☆曳人のブログ
ハンドル名阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと) さん
ブログタイトル草莽崛起〜阿蘇地☆曳人のブログ
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/assocy
サイト紹介文自虐史観の葬送のために
自由文「独立不羈三千年来の大日本、一朝人の羈縛を受くること、血性ある者視るに忍ぶべけんや。那波列翁(ナポレオン)を起こしてフレーヘード(自由)を唱へねば腹悶医し難し。僕固より其の成すべからざるは知れども、昨年以来微力相応に粉骨砕身すれども一も裨益なし。徒らに岸獄に坐するを得るのみ。(中略)今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼みなし。」
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供696回 / 365日(平均13.3回/週) - 参加 2010/03/04 23:50

阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと) さんのブログ記事

  • "続・BPО意見、ニュース女子、「中傷に屈しない」の見解変えず"
  • 15日付け沖タイは一面左トップで、BPОの「ニュース女子」に対する見解をまるで鬼の首を取ったように誇らしげに報道している。社説でもこの通り。社説[BPO倫理違反指摘]番組内容自ら再検証を ところが、当事者の「ニュース女子」は、BPОの意見に従う気など毛頭ないようだ。まぁ、倫理的であろうという意思があるなら、最初からデマ番組の作成などしないだろうから、当然のことだろう。確信犯的差別集団である製作側に番組内容 [続きを読む]
  • [転載]間違えだらけの『資本論』
  • 山形浩生さんとかいう人が、『資本論』の第1章を3節まで訳しています。一体どういう人なのか全く存じ上げませんが、砕けた感じのとっつきやすい訳文で、読みやすいものになっています。 http://cruel.org/books/kapital/kapitalband1.pdf ところが、ところどころに意味不明の脚注が付いています。 利用価値から抽象化するってことは、それを利用価値たらしめる物質的な構成物や形態からも抽象化するわけだ。それはもはや、テーブ [続きを読む]
  • [転載]半島のジャーナリストが、告発する安倍総理の正体
  • 岸信介が日韓国交正常化を踏み台に、地元・山口県と韓国にまたがる形で築いた「王国」と人脈は、彼の秘書官を経て政界に打って出た娘婿・安倍晋太郎(晋三の父)にも受け継がれた。その上、晋太郎は在日コリアン(以下、在日)とのパイプをさらに太くしていく。かつて晋太郎が住み、いまは晋三名義となっている敷地面積2千平方メートルの豪邸は、下関市街を見下ろす高台に建っている。この家のかつての持ち主の名は、吉本章治とい [続きを読む]
  • 【〈商品語〉版】現実的抽象とは何か--欲求の多様化と貨幣--
  • 〈商品語〉と〈人間語〉の差異を理解していなかった時期に書いた記事を両者の差異を踏まえて書き直してみた。思い付きをとりあえず書き留めます。 ------商品交換過程での現実的抽象とは、商品の使用価値を、商品自身が自ら度外視、ネグレクトして、等価形態にある他商品との同等性(=価値)として自己を提示することに他ならない。それは、単純な交換関係という商品交換の原基的形態から始まって、必然的に、全面的商品交換すな [続きを読む]
  • [転載]生産関係の物象化と物神崇拝
  • 〇生産関係の物象化私的労働:各自が自分の判断で自分の生産手段を私的に使う。 ⇒私的労働と私的労働のあいだには,直接的な生産関係が成立しない。 ⇒商品と貨幣の交換を通じてのみ,関係が結ばれる。 ⇒よって,交換の相手が変わったり,範囲が広がったりすれば,生産関係の範囲やそれを構成するメンバーも変わる。 【比較】共同体的生産関係などの人格的依存関係では,まず,範囲とメンバーがほぼ固定した生産関係がまずあって [続きを読む]
  • [転載]東京都の「10・23通達」が国際社会の注目を集めた
  •   =自由権規約委員会第7回日本政府報告審査に向けて"List of Issues"に「日の君問題」= ◎ 「10・23通達」が、国際社会で注目を浴びる(パラ23,パラ26) 2017年11月24日付けで国連自由権規約委員会は、30項目の日本政府向け"List of Issues"を発表した。 日本政府はこれらの質問に、1年以内に回答しなければならない。 その中の2項目が、「東京・教育の自由裁判をすすめる会」がNGOレポート(リンク)と [続きを読む]
  • [転載]再び、榎原均氏の物象化論について
  • 《[佐々木は、]物象による人格の意志支配(物象の人格化)の根拠を解明しないまま、物象と人格との意識関係を説くので、価値が人間の態度次第で規定されるものであるかのように論じられている》と,榎原は佐々木を批判するが,《商品所有者たちが生産物を商品として市場に出すことは、概念的存在としての物象が発するサイン(社会的象形文字に起因する)にしたがって行動しているのだ》という榎原の説明も決して《物象による人格の [続きを読む]
  • [転載]榎原均氏の物象化論
  • 榎原均は,物象化論の根本は,物の物象化にあるという。 《佐々木[隆治[1]]の物象化論は、何よりも人格が物象化されることであり、その限りで第4節物神性論の解釈からその概念を得てくることが可能なのだが、しかしその際に、物が物象となることについてはブラックボックスに入ったままである。物が物象になることは価値形態論で説かれており、これが物象の人格化で、私はこの事態を物象化論の根本だと捉えている》 物象の人格化 [続きを読む]
  • [転載]企業内官僚制
  • Corporate Hierarchy and the Bear 官僚制が、資本主義の生成・発展に大きく貢献したことにはもちろん理由があります。 設定された目的を最も効率的に遂行できる手段を経験的に蓄積してマニュアル化し、指揮命令系統を集権的にまとめる(個々のメンバーにとって指揮命令系統は常に一本だけである、いわゆる「縦割り」)、といった官僚制の特徴は、労働力の購入者が多数の労労働力を一元的に管理しなければならない、資本・賃労働関 [続きを読む]
  • 戸坂潤『技術の哲学』摘要とコメント(3)
  • 《技術学の第一の対象が道具乃至機械であることは云うまでもない。機械が自然科学の処方箋による通りのメカニズムによって運動するということも無論である。その意味に於て技術学乃至工学は自然科学の応用だと云われていることには意味があるだろう。だが応用という意味には色々あるので、もし応用なるものが原理の単なる云わば随時の適用だというならば、工学乃至技術学は原理の上から云えば全く自然科学以外の原理に立つものでは [続きを読む]
  • 戸坂潤『技術の哲学』摘要とコメント(2)
  •  さて、主観的存在様式としての物質的技術の本質をどこに求めるべきであるか。例えばデッサウアーの如きは之を発明に求める。「技術の核心は発明である。発明の内に原則的に云って凡てのものが含まれており、凡てのものが尽きてさえいるのである。」だから彼によれば技術的なるものは、第一に目的論的なものであり、第二にそれにも拘らず自然法則と矛盾しないものであることを必要とし、第三に何かに加工するという規定を要素とし [続きを読む]
  • [転載]株価操作だけではない、政府発表の経済統計も危ない
  • 衆議院選挙投票日前のいま、株価が急に上昇している。ドル換算価格でも理由がなく急激に上昇しているから、自由な市場価格ではない。これは官製バブルだ。選挙後どうするのだろう。青が日経平均(円)で、赤がドル換算の日経平均である。外国の投資家は手を出せないだろう。日本の製造業は、この10年に競争力をすっかり落としている。特に電器産業の落ち込みが大きい。東芝は社会インフラ産業に重心を移したため、原子力産業のババ [続きを読む]
  • [転載]ハイパーインフレの心の準備 9
  • 日銀の「異次元の金融緩和」とGPIFの「大量の株式購入」は異常事態!〜確実に訪れる世界的な金融崩壊に備えるためには〜 https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=139505長周新聞の非常に優れた記事です。神戸製鋼のデータ改ざんなどのマイナス要因が飛び交う中で、“株価だけが根拠なき熱狂を演じている”として、“いずれリーマン・ショックどころでない金融崩壊”への危惧が記されています。株価を支えているのは、日銀の「 [続きを読む]
  • 戸坂潤『技術の哲学』摘要とコメント(1)
  • 《技術の主観的存在様式が知能にぞくすると云っても、夫は何も技術を特に何か観念的なものと見たということにはならぬ。如何に主観的な存在様式に就いてであると云っても、問題が技術なのだから、明らかに客観的な存在物に外ならない処の機械・道具等々に対して交渉を持つ点で、技術は、本格的に云って、元来物質的技術であることは断わるまでもない。今はこの物質的技術の主観的存在様式としての技術が、知能だと云ったのである。 [続きを読む]
  • 「共産主義は私有財産者への人間否定(妬み)?」
  • 共産主義の歴史の大半そうでしたね。18世紀ごろまでは、しかし、19世紀にはいってそのような共産主義は「粗野な共産主義」として批判されるようになります。財産の均分を要求することは、私有財産の否定であるどころか、私有財産の本質の貫徹です。なぜならそのような要求をする人間は、自分の占有物にだけ関心を持ち、他人の生命活動の豊かさを喜びとはしないからです。それは必然的人間性の否定に行き着きます。異常は、マルクス [続きを読む]