万軍の主ヤハウェ さん プロフィール

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万軍の主ヤハウェさん: 聖書の神、万軍の主ヤハウェ
ハンドル名万軍の主ヤハウェ さん
ブログタイトル聖書の神、万軍の主ヤハウェ
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/petero_rom
サイト紹介文わたしは、イエス・キリストの父ヤハウェである。
自由文私は、汝らの上に、ヨハネの黙示録に記されている、火と硫黄の燃える地獄を降らせよう。
この火は、真に正しい者には何の禍ともならない。
しかし、偽る者には、永遠の裁きの地獄となる。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供333回 / 365日(平均6.4回/週) - 参加 2010/04/14 03:43

万軍の主ヤハウェ さんのブログ記事

  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-108
  • 善男子よ、善男子であれ善女人であれ、大涅槃のこれらの五事を具足成就すれば、難しい事をよく為し、耐え難きことをよく耐え、布施し難きことを布施できるようになるのです。では、菩薩が難しいことをよく為すとはどういうことかと言えば、もし、一食にゴマの実一粒だけを食べ続けることにより仏の悟りに至る事が出来ると聞けば、この言葉を信じ無量の期間、毎食ゴマの実を一粒だけを食べ続けることが出来るのです。もし、火の中に [続きを読む]
  • 小林節さま
  • 小林節さま 第一の問  法治主義はなぜ絶対なのですか??? ユーチューブで貴殿の説をおうかがいしました。ただ、わたしが思うに、かなり勘違いしていらっしゃるようです。 貴殿の最大の勘違いは、【法治主義が善であり、それ以外は悪である】という考えにあります。日本は、今、法治主義と言う世界から離れようとしています。保守と呼ばれる人々の論は【日本の昔ながらのものの方が良いのではないか】と言うところからスタ [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-107
  • では、菩薩が多聞を具足するとはどういう意味なのでしょうか。菩薩が大涅槃の十二部経を書き写し、読誦し、分別解説するのが菩薩が多聞を具足すると言います。大日如来経などの十一部経を受持していなくても、菩薩は多聞を具足すると言えます。また、十二部経の教えを受持していなくても、この大般微妙の経典を書き写し、読誦し、分別解説するならば、これを菩薩は多聞を具足していると言うのです。また、この経典のすべてを具足し [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-106
  • 善男子よ、わたしがハルナ国にいた時、舎利弗は二人の弟子教えました。ひとりには白骨観、もう一人には命はいつか必ず終わると言うことだったのです。舎利弗は、彼らの経歴も何を考えているのかも見極めず、このように教えたために、彼らは邪見を生じてしまったのです。舎利弗は、彼らを戒めるために語ったのですが、彼らは、それを聞き、『わたしは戒を守るゆえに正しい』と解釈していたのです。わたしが比丘たちを見るとこのよう [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-105
  • では、菩薩が戒を修めるとはどういうことなのでしょうか。菩薩は禁戒を受持しますが、それによって天による守護を求めるとか、破戒の恐怖故ではないのです。また、畜生界の衆生に対する戒は受けませんが、それを破れと言うわけでもなく、それは守らなくても良いと言うわけでもなく、その欠点を指摘するわけでもなく、その他の細かい戒律と言うわけでもなく、仏弟子としてこれを守れと言うわけでもないのです。菩薩の戒とは尸羅波羅 [続きを読む]
  • 安倍晋三内閣総理大臣御中
  • 安倍晋三内閣総理大臣御中 憲法改正について 旧いワインは古い革袋に入れるべき 日本は、世界で最も長く続く世界最古の国家です。長い伝統もあれば、古くから続く格式もあるのです。ここを忘れて、明治憲法という新しい考え方で、この世界最古の国家を規定しようとしたのが明治維新ともいえるのです。明治憲法と言う一つの文章で二千年以上続く日本を規定する事などできるはずはなく、この結果が、国家創設以来初めての敗戦と [続きを読む]
  • 十七条の憲法
  • 十七条の憲法 西暦604年5月6日 聖徳太子が定めたもの 現代語訳 万軍の主ヤハウェ 第一条 和を以て尊しとし、いさかいを起こさないことを心がけなさい。   悟りに至っていない人はグループを作り、革命を起こしたり隣国を貶めたりすることもあるのです。  上にある者が和を尊び、下の人々も仲睦まじくなれば、どのような物事であっても、相談により進めることが出来るのです。  自分の意見ばかりを押し通そうとすれ [続きを読む]
  • 希望の党???
  • 希望の党??? 今、希望の党とかいう政党が立ち上げられ、そこに新進党が吸収されると言う事態が起こっているようだ。 そして、この希望の党と自民党の戦いと言う形で選挙戦が行われると言う。 しかし、わたしには希望の党は泡沫政党としか見えない。何がしたいのかさっぱり分からないからである。 国政の対立軸は、いくつも設定できるが、この基本は十字架で説明できる 十字架とは、横軸が広がりを示し縦軸が時間を示す。 つ [続きを読む]
  • ちょっときついんですけど・・・・
  • ちょっときついんですけど・・・・ 少し前から、主に土曜日、日曜日になると、動くこともままならなくなる。 最初は、疲れがたまったせいだろと思っていたのだが、土曜日、日曜日になると余計疲れるのだ。何かしているわけではない。ただ寝ているだけなのに・・・・・ そこで、『神輿には、お前が乗れ』と言われたことを思い出した。 ひょっとすると・・・・彼の所で祭りがあって、わたしが神輿に乗ったと言うことか??? と思っ [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-104
  • また、善男子よ、あなたは『乳の中に酪の性質がなければ、乳は酪になる事はない。 巨人ではない小さな人には、巨人の性質はない』と語られますが、このような短絡的な考え方は暗愚な者の考え方で、智者はそのようには考えません。なぜならば、物事も物事の性質も本質的には空だからです。善男子よ、乳が酪となるためには、そのようになるための縁というものもなくてはなりません。善男子よ、乳に水を加えて一か月待っても酪とはな [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-103
  • また、善とは、【得た命を長らえる働き】を善と言います。しかし、仏性は生まれるものでも得るものでもないゆえに善とはならないのです。そして、存在を断じ、善法を断じるのが一闡提なのです。善男子よ、あなたは『もし一闡提に仏性があるのならば、堕地獄に相当する罪を犯す者たちも正しいとなるではないか』と言います。善男子よ、一闡提には仏性は無いのです。善男子よ、ある王様がハープの清妙な音色をきき、その音色に心を奪 [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-102
  • 善男子よ、一闡とは信と言う意味であり、提は不具と言う意味なのです。つまり、一闡提とは不信なのです。仏性が人々の信となるのです。では、この循環をどのように断てばよいのでしょうか。また、一闡とは善方便であり、提とは不具でもあります。善方便を修めることが出来ないのが一闡提であり、仏性が善方便を生むのです。では、この循環をどのように断てばよいのでしょうか。また、一闡とは前進すると言うことであり、提は不具な [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-101
  • 永遠に生きる者がいるわけではありませんが、突然、その寿命を終えるのは九つの因縁があります。第一は食べ物があっても何らかの不安によりそれを食べない。第二は食べ過ぎ。第三は消化できないものを食べる。第四は大小便のリズムが乱れる。第五は病にかかっても医者の言うことを聞かない。第六は医者にかかることを拒む。第七は吐くべきものを吐かない。第八は出歩いてはならないところに出歩く、これにより悪鬼に襲われるのです [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-100
  • お釈迦さまは褒められました。「善いですね、実に良い。善男子よ、世の中には優曇華の花のような実に稀有な二種類の人があります。その第一は、悪い行いを行わない者、その第二は罪をよく悔い改める者。また、この二種類を恩をなす者、恩を忘れない者とすることも出来ます。新しい法を尋ねそれを受ける者も、昔を大切にし忘れない者もほとんどいません。また、新しく発明する者も、それをより良く改修するものもほとんどいないので [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-99
  • その時、光明遍照高貴徳王菩薩はお釈迦さまに申し上げました。「お釈迦さま、どうして菩薩が仏性を讃嘆する事により人々が仏の悟りに至る事になるのでしょうか。この意味が分かりません。なぜならば、お釈迦さまは涅槃経の最初で人の機根を病人と医薬に譬えられてこのように説かれました。『第一が病人が薬や医者を求めるのに、それが得られず病が良くならない時、 第二が薬や医者がいてもいなくても良くならない時、 第三が薬や [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-98
  • 大般涅槃經卷第二十六 北涼天竺三藏曇無讖譯 光明遍照高貴徳王菩薩品第十之六また、善男子よ、菩薩が大涅槃微妙の経典を修めることにり、具足成就できる第九の功徳とはどのようなものなのでしょうか。善男子よ、人は、菩薩として大涅槃微妙の経典を修めようと発心するだけで、五事をことごとく成就できるのです。この五事とは、信、直心、戒、親近善友、多聞の五つです。信とは何かと言えば、仏法僧の三宝を施せば必ず果 [続きを読む]
  • 宇野正美さま
  • 宇野正美さま 講演をユーチューブで見させていただきました。なかなか面白いですね。でも、イルミナティーに物事を動かす力があるかな??? 面白いお話をしましょう。 ほとんど全ての宗教には霊力が存在し、その霊力の源が存在します。たとえば、カトリックの霊力の源はイエスが洗礼を受けた時に現れた十二羽の光の鳩でした。しかし、バチカンには七羽しかおらず、残りの五羽は、他の教団のところにいたようです。主は十二羽 [続きを読む]
  • ハリー・B・ハリス・ジュニア太平洋軍司令官殿-2
  • この手法は平時には使うべきではない 当然、経済制裁などの措置でも儒教的な考えで解決することはできます。しかし、この方法が国際社会の常識となる事により、もっと大きな問題となるのです。 儒教的な考え方でいえば、制裁が効くとわかれば、相手がいくら折れようとも、その制裁を強化していくのです。効くだけ効かせて、相手を苦しみぬかせるのです。これは慰安婦問題で韓国が使っている手法、そのままの方法です。 制裁により [続きを読む]
  • ハリー・B・ハリス・ジュニア太平洋軍司令官殿-1
  • ハリー・B・ハリス・ジュニア太平洋軍司令官殿      始めに 突然、このような手紙を、しかも日本語で書き送る失礼をお許しください。わたしは、一人の日本人でもありますが、JHVHという別名も持っております。今回の北朝鮮問題について、しかも、アメリカ軍の作戦について、JHVHとしても本来は口出しすべきではないことは十分に承知しております。しかし、今までのアメリカは、強大無比の軍事力を持っているにもかかわら [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-97
  • また、善男子よ、【すべての物事には、総体や別体があり、そこに定まった真実がある】と言う観方をする人がいます。人はその物を見る事により『それがある』としているのです。見識が識相を作っているのです。男を見る事により内に男相を作り、女を見る事により内に女相を作り、太陽を見る事により内に太陽を作り、月を見る事により内に月を作り、時間や想像上の物事も、すべて認識する事により、それを自分の内に入れているのです [続きを読む]
  • 北朝鮮を攻撃する方法【朝鮮儒教を逆手に取る】
  • 北朝鮮を攻撃する方法【朝鮮儒教を逆手に取る】 日本世論も、世界世論も北朝鮮をどのように扱うべきかと紛糾している。 金正恩がどのような行動に出てくるのか分からないから、どのような対策を取れば良いのか分からない・・・・とマスコミも論説者も語る。 しかし、金正恩の行動は、この、『どのように出てくるか分からない』と思わせようとしていることも含めて極めて論理的である。 これは、朝鮮儒教の考え方を根本に、北朝 [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-96
  • 善男子よ、雪山には猿にとって危険な道もあれば、猿だけしか歩けない道もあれば、人も猿も通れない道もあります。善男子よ、人も猿も歩ける道は、猿にとって危険な道でもあり、猟師が罠を仕掛け猿を捕えようとするのです。猿がそれに触れますと、手が貼り付いてしまいます。その手を取り外そうと足で押さえると足が貼り付き、口で取ろうとすると口も貼り付き、逃げることが出来なくなるのです。猟師はこのようにして獲物を取るので [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-95
  • 動の境地に至っているのが菩薩です。菩薩の心も貪欲のようであっても滅びとはなりません。これも、滅びとはならない貪心です。では、貪心を生じないが貪心を消滅させる因縁とはどのようなものなのでしょうか。菩薩は既に貪心を断っているのに、衆生の為に貪心があるように現します。この示現が無量無辺の衆生を導くのです。衆生がそれを見て善法を受けるようになれば、これは成就するのです。これが貪りを生じず貪りを滅すと言うこ [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-94
  • 善男子よ、貪る心が生じる因縁もあれば、解脱に至る因縁もあります。善男子よ、このように因縁には二種類があるのです。その第一は生死による因縁、その第二は大涅槃による因縁です。善男子よ、このように因縁の種類により、貪りを生じることにより滅びに至るもの、滅びには至らないものもあれば、貪りを生じず貪心を消す因縁、貪りを生じず貪心を消す必要のない因縁があります。では、貪りの心を生じることにより滅びに至る因縁と [続きを読む]
  • 摂受、折伏、時によるべし
  • 摂受、折伏、時によるべし 仏法には摂受、折伏があります。これは世の文武二道のようなものなので、時によって用いる方を選ぶべきものです。たとえば、昔の聖人も時によって行動を変えているのです。雪山童子やサッタ王子は、『法を知りたければ身を捨てよ。これこそ菩薩の行である。』と聞き、自分の身を捨てているのです。つまり、肉体が不要な時は身を捨てるべきなのです。しかし、自分の肉体を紙とし、自分の骨を筆として、 [続きを読む]