島の医者になって さん プロフィール

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島の医者になってさん: 島の医者になって、た頃もあった
ハンドル名島の医者になって さん
ブログタイトル島の医者になって、た頃もあった
ブログURLhttp://white.ap.teacup.com/simanoisya/
サイト紹介文京都から五島列島の奈留島の医者になって10年以上、また京都に帰ってきましたが。
自由文ブログ名と解離したブログになってしまいました。
奈留島131ヶ所ゴミ箱霊場巡り・奈留島百人一首などのシリーズ物の最新は天皇陵巡り、快調に進行中です!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供109回 / 365日(平均2.1回/週) - 参加 2010/04/14 21:33

島の医者になって さんのブログ記事

  • 佐川美術館の田中一村展
  •    [画像] 琵琶湖大橋の近くにある佐川急便の佐川美術館、家からは途中越えで1時間弱で行けます。この正面看板は、黒田丈二さんの作品だと思いますし、20年前の開館早々に黒田辰秋展もあったと思いますし、その時は息子の丈二さんも生きていましたね。  [画像] 琵琶湖をイメージしているのか、水の上に浮いたような美術館の建物は、20年経っても綺麗です。   [画像] 建物の中からも、葦の植えられた水辺の庭が見渡 [続きを読む]
  • 鈴鹿サーキット
  •    [画像] 毎年夏の鈴鹿で行われてる日本最大のオートレース 鈴鹿8時間耐久ロードレース 、鈴鹿8耐に行ってきましたというか・・・。  [画像]  [画像] オートバイ少年ではなかった私ですが、イギリスマン島のホンダの活躍に胸躍らせた時期もありましたし、医局への通勤時代は50?のホンダラッタッタを使っていましたし、スペンサーのオートバイ騎乗姿のジグゾーパズルも作りました。 7月27日(金)は8耐公式練習 [続きを読む]
  • 火星大接近
  •     [画像] 本日2018年7月31日(火曜日)、火星大接近ということで、家の窓から東南を観てみると、小さいですがそれらしき星が見えました。  [画像] 倍率を上げると、なんか火星とは思えない像が出てきましたが、赤っぽいんでやっぱり火星ですかね。  [画像] Canon Power Shot SX730HSの倍率を最大に上げても、こんな像しか出現せず。光学ズームではなくデジタルズームで160倍なので、こんな火星になるのです [続きを読む]
  • 36−2孝徳天皇皇后間人皇女
  •     [画像] 父第34代舒明天皇、母第35代・37代皇極・斉明天皇の間に生まれ、同母兄弟に第38代天智天皇と第40代天武天皇を持つ、貴人中の貴人間人皇女(ハシヒトノヒメミコ)(?〜665)は、母の同母弟の計算上は30歳以上も年の違う第36代孝徳天皇の皇后になりましたが、子供は産んでいません。   [画像] 古代異母兄弟姉妹の結婚はたくさん有りましたし、親族で固めるためにも良かったのかもしれませんが、同 [続きを読む]
  • 36−1孝徳天皇
  •    [画像] 軽皇子(カルノミコ)は第35代皇極天皇の同母弟なので、父は茅渟王で母は吉備姫王です。王位とは無縁の三世王でしたが、姉の宝皇女が第34代舒明天皇の皇后になり、その後は第35代皇極天皇ともなったので、一世王に準じた地位に自動的に上がりました。   [画像] 写真の板蓋宮で実行された乙巳の変(大化の改新)の主導者は、中大兄皇子ではなく軽皇子だったという説もありますが、その変後、姉の皇極天皇が初の [続きを読む]
  • 35−1皇極天皇
  •    [画像] 前回でも報告した第34代舒明天皇の父34−2押坂彦人大兄皇子のもう一人の息子茅渟王(チヌノオウキミ)が、少しだけ蘇我家の血が入った29−4吉備姫王(キビヒメノオウキミ)と結婚して産まれたのが宝皇女(タカラノヒメミコ)(594?〜661)です。宝皇女は高向王(タカムコノオウキミ)と結婚して漢皇子(アヤノミコ)という息子をもうけていましたが、何故か別れて?、おじにあたる舒明天皇の皇后になり、葛城皇 [続きを読む]
  • 祇園祭
  •    [画像] 7月17日今日は祇園祭の巡行日、2週間前の夜にはまだ祇園ばやしのけいこ中。   [画像] その後大雨があって、今度は猛暑の毎日。13日の金曜日、10年前に奈留島で総入れ歯にしてもらった私の入れ歯、順調すぎて良かったのですが、やっと1本欠けました。友人の歯医者はもうリタイアしてて、その紹介で街中の歯医者に行き、1日で欠けた歯は元通りになりました。帰りに通った長刀鉾の周りは、宵宵宵宵山なの [続きを読む]
  • 34−2押坂彦人大兄皇子
  •    [画像] 1年間の全国靴下生産量6億足のうち約4割を生産する町、又竹取物語の舞台にもなってるそうで、可愛いのか美人なのか怖いのか、ちょっと迷ってしまうような大きなかぐや姫もそびえていた奈良県広陵町には、古墳もたくさん集まっています。   [画像] 押坂彦人大兄皇子(オシサカヒコヒトノオオエノミコ)の墓は、一応宮内庁はここ広陵町にある新木山古墳(ニキヤマコフン)を三吉陵墓参考地(ミヨシ)として、敏達天皇 [続きを読む]
  • 34−1舒明天皇
  •    [画像] 第33代推古天皇は皇太子であった聖徳太子に先立たれ、次の皇太子に誰も立てませんでしたので、推古天皇没後次の天皇争いは混乱しました。 勢力を伸ばしていた蘇我一族にとっては、蘇我家の血が濃い聖徳太子の息子山背大兄王(ヤマシロノオオエノミコ)の方が、蘇我家の血が全く入ってない第30代敏達天皇の孫田村皇子(タムラノミコ)より良かったと思います。しかし、蘇我一族内での主導権争いや、蘇我馬子の娘 法 [続きを読む]
  • 古希
  •     [画像] 私の住む京都市松ケ崎学区にも、7月5日木曜日には避難勧告が出され、一部の人から安否うかがいも貰いましたが、避難することもなくすみました。7月6日金曜日に予定していた和歌山県北山村での筏下りは、中止の連絡が入って、この休みは家に居ますし、仕事でもないので止まってる電車の心配もせず過ごしました。7月8日日曜日、今朝は朝から日もさしていますが、広島や岡山は大変なことになっていますね、こんな時に [続きを読む]
  • 奈留島が世界遺産に
  •   [画像] やっとこさ!長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録されました!!奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)もその中に含まれています。 登録の名前が変わったり、私が奈留島に居る頃より登録されそうでされないと、紆余曲折で10年以上かかったと思いますが、先ずはおめでとうございます!!!     [画像] 10年ぐらい前、私が奈留島にいた頃、大合併で奈留町から五島市に変わった為か、奈 [続きを読む]
  • 小野妹子2
  •    [画像] 小野妹子のついでに、息子小野毛人に続くその子孫について。小野家の出は元々、滋賀県湖西の琵琶湖大橋の少し北、小野の郷らしいです。近くには、小学校の水泳遠足で行った和爾浜水泳場があるので、小野家のもっと先祖になる和爾氏(ワニシ)ゆかりの地でもあるようです。 家から車ですぐの小野毛人墓のある崇道神社の横を通って、八瀬大原を抜け、途中峠を越えると、小野妹子そのままの名前が付いてる道の駅まである [続きを読む]
  • 小野妹子1
  •   [画像] 推古天皇の時代607年、第2回(第1回は600年か?)遣隋使として派遣され、隋の煬帝(ヨウダイ)(在位604〜618年)の返書を帰路になくしてしまったされる小野妹子(オノノイモコ)、日本史でも学んだ有名な人物ですよね。 その時聖徳太子が書いたと言われる煬帝を怒らせた国書「日出処の天子、日没する処の天子に致す・・・・」の話も有名です。   [画像] その小野妹子の墓と伝えられているのは、聖徳太子や [続きを読む]
  • 伊賀の創工会展
  •    [画像] 近鉄のようで近鉄でない伊賀鉄道の上野市駅前、昨秋もここに来ていますので、駅前の芭蕉像後ろ姿のみ。芭蕉なんてお爺さんの代名詞のようにも思っていましたが、私は芭蕉より20年も長生きしてしまいました。 伊賀上野、芭蕉の生誕地ですし、上野城や荒木又右エ門の鍵屋の辻の決斗でも有名ですが、今回は第30回記念工芸美術創工会展?伊賀2018が開かれていたので行ってきました。    [画像] 伊勢津藩第 [続きを読む]
  • ごちそう
  •     [画像] 私の育った家からも近い明倫小学校、私の通った龍池小学校に通学するのとほとんど同じくらいの距離にあったのですが、両小学校共に今は廃校になっています。四条烏丸に近い旧明倫小学校は京都芸術センターなっていますが、その隣の染の展覧会に行ったついでに寄ってみました。当時私の龍池小学校の校庭も、800人ぐらいの児童が遊ぶには狭すぎましたが、明倫小学校の校庭はこの様にそれよりも狭い。運動会は大変 [続きを読む]
  • ベンチ
  •   [画像] 家の2階からは、眼下に女子大のグランドが見えます。ほとんど女子大生は見当たらず、コートを借りてテニスをする男女老人か、他校の大学のアメフト部やラクロス部が練習してる姿を見るぐらいです。  [画像] 或る日、ベンチがグランド傍にぽつんと置かれていました。私の少ない芸術心が刺激され、2階から写真を撮ってみましたが、なかなか難しい!単なる何でもない写真になってしまいましたが、天皇陵巡りの陵印や [続きを読む]
  • 33-1推古天皇
  •     [画像] これまで福永武彦訳 現代語訳古事記(河出文庫)に頼って書いていた天皇陵巡り、古事記はこの推古天皇で終わりです。 古事記の推古天皇の記述は、最後にしてはあっけなく、詳しくはもうじき出る日本書紀の方を読んでくれと言わんばかりに投げやりで、トヨミケカシキヤヒメノミコトは小治田宮(オワリダノミヤ)(奈良県明日香村)を作って37年間天下を治め、科長(シナガ)の大陵(オオミササギ)(大阪府太子町)に葬られ [続きを読む]
  • 32-1崇峻天皇
  •   [画像] 第29代欽明天皇と蘇我稲目の娘小姉君との間に産まれた泊瀬部皇子(ハツセベノミコ)は、欽明天皇の12番目の子供です。その異母兄第31代用明天皇が早くに亡くなると、同母兄穴穂部皇子(アナホベノミコ)が物部守屋と謀って皇位を狙いましたが、蘇我馬子と豊御食炊屋姫(トヨミケカシキヤヒメ)は穴穂部皇子を殺し、その勢いで物部氏も滅ぼしてしまいました。     [画像] こうして蘇我・物部の積年の対立にも終止 [続きを読む]
  • 伝山背大兄王墓の西宮古墳
  •    [画像] 聖徳太子と蘇我馬子の娘刀自古郎女(トジコノイラツメ)との間に産まれた山背大兄王(ヤマシロノオオエノオウ)、すなわち第31代用明天皇の孫にあたりますが、聖徳太子像としてよく紹介されているこの絵の向かって右の童子です。(この見慣れた聖徳太子像も、最近は別人の説もあります)   [画像] 奈良県の北西部、生駒山系と矢田丘陵に挟まれるように、「ちはや振る神代もきかず竜田川・・・」の小倉百人一首でも有 [続きを読む]
  • 若狭へ2.
  •    [画像] 前日予約で泊まったのは、小浜湾奥にあるうみんぴあ大飯のホテルうみんぴあ。周囲には温泉や道の駅やエルガイアおおいなど、大飯原発の補助金?に依る豪華な箱ものがたくさん有ります。昨年寄った時にはなかったDIYのナフコの店や食品スーパーまで出来ていました。    [画像] 夕陽を見ながら、我々と同じぐらいの人ばかりの泊り客に混じって夕食、向こうに見えるのが若狭富士ですと、ボーイさんが説明してく [続きを読む]
  • 若狭へ1.
  •    [画像] 思いついて、計画もなく若狭へ、先週1泊旅行に行くことにしました。いつものように鯖街道を走って小浜へ、天気も良く波も穏やかそうなので、蘇洞門(ソトモ)めぐり遊覧船に乗ることにしました。(2000円)   [画像] 1時間に1本の時間待ちに、出航地若狭フィッシャーマンワーフで、ノドグロの寿司をちょっと食べて、10人ぐらいの同世代観光客と一緒に乗り込みました。 五島の海上タクシーよりは少し大きい [続きを読む]
  •    [画像] 40年ほど前にこの家を買った頃、家の周りには田んぼもあって、家の塀に沿って流れる小川にはザリガニや、田にはカブトエビもたくさんいて、夜はウシガエルの鳴き声がうるさかったぐらいです。その後道が拡がって、地下鉄駅が出来、田んぼがマンションや結婚式場に替わり、家の横の小川で孫が遊んでも、なにも獲れなくなりました。 でも昨日、家の雨戸に蛍がとまってるのを、家内が見つけました。    [画像]  [続きを読む]
  • 長谷寺
  •    [画像] 西国三十三所霊場第8番札所の長谷寺に行ってきました。笑い飯の片方がお寺好きで、いろいろお寺を紹介してるTV番組を、たまたま観てしまったからです。 家から2時間ほど、駐車場に車を停めて、すぐの仁王門から入ります(入山料500円)。仁王門の額字「長谷寺」は、後陽成天皇の御宸筆。   [画像]    [画像] 長谷寺と言えば、なんといってもこの登廊(ノボリロウ)が有名です。直角に曲がりながら、だん [続きを読む]
  • 京都府立植物園
  •   [画像] 先週土曜日、ブラブラと歩いて行ける京都府立植物園に朝の散歩。入園料は200円、あと数カ月後には私は70歳で無料になりますので、最後の有料入園になると思うと、切符をブラブラ人に見せるかのように振りながら歩いてしまいました。   [画像] 京都の植物園は、日本でも一番古いぐらいの植物園だと思いますが、戦後は進駐軍に接収されていて、私が中学生だったころに再開された記憶があります。 ここでデート [続きを読む]
  • 31-3用明天皇皇后穴穂部間人皇女
  •   [画像] 前回書いたように、聖徳太子が祀られている磯長墓は、聖徳太子本人と太子の母である穴穂部間人皇女(アナホベノハシヒトノヒメミコ)と太子の妃膳部菩岐々美郎女(カシワデノホキキミノイラツメ)が埋葬され三骨一廟と呼ばれていますが、宮内庁の制札には太子の名前しかありません。  [画像] 第29代欽明天皇と蘇我稲目の娘 小姉君(オアネノキミ)との間に産まれた6人の子供の一人穴穂部間人皇女は、同母弟に叔父の馬 [続きを読む]