大江戸おやG さん プロフィール

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大江戸おやGさん: OH!江戸パパ
ハンドル名大江戸おやG さん
ブログタイトルOH!江戸パパ
ブログURLhttps://ameblo.jp/masaatsutomishima/
サイト紹介文隠された史実にズームイン!歴史ハンター「大江戸おやG!」のブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供28回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2010/04/23 08:17

大江戸おやG さんのブログ記事

  • 西郷どん! 西南戦争
  • 今回は西郷どん!も最終回に近くなり、新政厚徳を掲げた西郷軍が新政府と国内最後の内戦へと突入します。 橋本周延 天保9年8月8日〈1838年9月26日〉 - 大正元年〈1912年〉9月29日)西南戦争錦絵は西郷の人気も高く賊徒としながらも、おおいに売れたようです。 元は幕府方で上野戦争や函館戦争に参加して新政府軍と戦った周延は西南戦争をどう感じていたのでしょうか・・明治10年9月頃の戦況を錦絵にしたものか・・浮世絵では揚 [続きを読む]
  • 狩野常信 猿猴図
  • 狩野派の重鎮の一人狩野常信。木挽町狩野家2代目総帥1636−1713猿猴図、実際に日本にいるサルではなくテナガザルらしい。墨の濃淡だけで見事に描いている。狩野常信は木挽町初代の狩野尚信を父に持ち、叔父には鍛冶橋狩野家の狩野探幽また、狩野本家の中橋狩野家の狩野安信がいる。69歳で法眼、そして最高位の訪印に昇りつめる大きくは4段階の墨の濃淡で書いていて、輪郭線の無い没骨法(もっこつほう)で岩を見事に表現してい [続きを読む]
  • 狩野常信 猿猴図
  • 狩野派の重鎮の一人狩野常信。木挽町狩野家2代目総帥1636−1713 猿猴図、実際に日本にいるサルではなくテナガザルらしい。墨の濃淡だけで見事に描いている。狩野常信は木挽町初代の狩野尚信を父に持ち、叔父には鍛冶橋狩野家の狩野探幽また、狩野本家の中橋狩野家の狩野安信がいる。69歳で法眼、そして最高位の法印に昇りつめる 大きくは4段階の墨の濃淡で書いていて、輪郭線の無い没骨法(もっこつほう)で岩を見事に表現 [続きを読む]
  • 平敦盛と熊谷直実
  • 源平合戦と須磨寺 私が以前門司に住んでいたころ近所には平家滅亡に関する史跡が数多くありました。子供が小さいころ散歩コースには大積天疫神社、通称河童神社があり境内には河童の像が多数鎮座していました。平家が壇ノ浦で敗れた後、海で亡くなった男性は平家蟹になり、女性は河童に身を変えたと言い伝えがあります。 また門司港レトロから海沿いにいけば甲宗八幡宮があり、ここには平清盛の四男、平知盛のお墓があります。知盛 [続きを読む]
  • イレーヌの人生
  • ルノワールの傑作、イレーヌ・カーン・ダン・ヴェール嬢の肖像画。通称「可愛いイレーヌ」とも呼ばれる。父のルイ・カーン・ダンヴェールはユダヤ系の裕福な伯爵で、イレーヌは3人姉妹の長女として育ちました。大人になってからは苦難の連続で政略結婚、出産、離婚、再婚、第一次世界大戦で長男の戦死、二度目の離婚、第二次世界大戦で妹・娘・孫をアウシュビッツ政策で失います。 この絵はナチスに略奪されヘルマンゲーリングの [続きを読む]
  • 若冲の五百羅漢・石峰寺と椿山荘
  • 椿山荘は都心部にはありますが観光地からはやや離れた場所にあり、椿が自生する景勝地で明治の元勲山縣有朋より椿山荘と名付けられました。ホテル椿山荘東京は山縣有朋が築いた庭園を受け継いでいます。 泊った日の客層を見れば、中国系外国人の富裕層らしき方達がほとんどで、日本人の観光客は少なく私たちが中国の中にいる日本人のような有様でした。このホテルでは庭園は宿泊客だけに解放しています。散歩に庭園におりると、意 [続きを読む]
  • 狂斎・戯画
  • 幕末から明治3年まで河鍋狂斎時代の戯画 狂斎は明治3年10月に上野の書画会で筆禍事件で捕縛され翌年釈放されます。それより暁斎に名を改めます。狂斎の落款がある作品は幕末から明治3年までと年代測定ができます。 アート芳桐のオークションで初回入札の1400円で小判3枚落札しました。ヤケや退色があるものの河鍋暁斎の戯画であることはまちがいありません。この戯画のどこが面白いのかはわかりません、田舎侍と遊女でし [続きを読む]
  • 江戸時代の戯画・狂斎
  • 河鍋暁斎は明治3年10月6に反政府的な執筆活動を咎められて捕縛されます、翌年釈放されますが名前を狂斎から暁斎に改めます。したがって狂斎の落款がある作品は幕末期から明治3年までとなりある程度の年代がわかります。この作品は例によって信頼のおけるアート芳桐のオークションで購入しました。価格はなんと小判サイズ3枚1400円で初回の入札で落札しました。 浮世絵のサイズで一番多いのが大判で(神奈川沖浪裏とか)、そ [続きを読む]
  • 河鍋暁斎の戯画の最高傑作
  • 河鍋暁斎の戯画は江戸から明治に変わりゆく世相を風刺します。 管理人所蔵のおそらくは河鍋暁斎の最高傑作であると確信している羅漢図・・・ 暁斎は子供の頃は一時期ですが歌川派に学び、正式に狩野派を学んだ稀有な浮世絵画家です。江戸時代も活躍していますがなんと言っても江戸時代から明治に変わりゆく世相を風刺した浮世絵、肉筆画が唯一無二の輝きを放っています。これは権力や文化が変わりゆく世の中を懐疑的にみつめ戯画 [続きを読む]
  • 松林桂月 秋山探奇図 なんでも鑑定団
  • なんでも鑑定団出品作品、義父の家から発見しました1876年8月18日 - 1963年5月22日 江戸期〜明治の絵を普段は収集していますが、これは昭和期の作品です、作者は松林桂月で、戦前に活躍した南画を得意とした日本画家です。 この絵は秋山探奇図と書いてあり、桂月山人と箱書きに書いています。細部にはこだわらずライブ感があります。よく見ると足がなくどことなく色も薄めで本物であろうとは思いますが疑惑の一品です。 漢詩が [続きを読む]
  • 誓教寺〜葛飾北斎の墓〜
  • 葛飾北斎(1760−1849)のお墓は台東区元浅草の誓教寺に現存しています。 誓教寺にて富士山の方向を向く北斎さんと記念写真、ここ誓教寺は画狂老人卍墓があります。明治の浮世絵研究の先駆者である飯島虚心の葛飾北斎伝(鈴木重三校注・岩波文庫)を参考に解説します。飯島虚心の本は明治二十六年刊で北斎さんが亡くなってすでに40年は経ち発行されています。当時生存していた北斎さんの縁者・関係者から聞き書きしてますので北斎 [続きを読む]
  • 日光東照宮〜徳川家康の威光〜
  • 日光東照宮は徳川家康を神格化した霊廟で東照大権現として祀られています。 徳川家康は1616年6月1日に駿府(静岡県)で死去しました。当初は久能山東照宮に葬られましたが日光に改葬されました。現在見られる社殿は徳川家光により大幅に改造されています。 後水尾天皇の書で畳1畳分の大きさの扁額。 1618年造営、黒田長政公により寄進された高さ9.2mの日本最大の石鳥居、福岡県糸島市の可也山から切り出した花崗岩でできてい [続きを読む]
  • 湊川の戦い・楠木正成公
  • 明治維新の原動力となった楠木正成公、いかにして精神的支柱となったのか。 後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府を滅ぼした楠木正成、後醍醐天皇は建武の新政を実施する。足利尊氏が背き新田義貞、楠木正成と対峙するが湊川の戦いで敗れる。後醍醐天皇は吉野に逃れた、ここから北朝・南朝に分かれた南北朝時代が始まりました。 湊川神社・明治五年創建、初の別格官幣社・・国家に貢献した人臣をご祭神とする神社 大楠公御墓所(嗚呼忠 [続きを読む]
  • 黒田家の刀剣・歴代甲冑
  • 歴代甲冑には長政に対するオマージュで一の谷形兜・水牛脇立兜が歴代藩主により作製された。幕末の藩主黒田長溥・黒田長知もその一人である。 11代 黒田 長溥(くろだ ながひろ)所用 銀泥塗一の谷形兜・黒糸威五枚胴具足・小具足付 黒田長政が騎馬武者姿で戦場を駆け巡る姿が絵に残されていますが福島正則と写しを交換した一の谷形兜が印象的で長政の兜と認識されています。薩摩藩の島津重豪の影響を受け、西洋の学問を好み幕 [続きを読む]
  • 黒田家の刀剣・日本号
  • 黒田節で有名な日本号、福島正則から呑み取った酒豪・母里太兵衛 博多駅前にある母里太兵衛の銅像、大杯で酒を飲み干す場面、槍には現在安全の為か保護テープが巻かれている。黒田家の家臣では一番の武闘派で生涯で76の首級をあげました。 母里太兵衛は長政の名代で伏見城にいる福島正則を訪れた時に酒宴となるが長政の戒めで酒は断ります。すると酒癖の悪い福島正則は黒田の武士は酒によわいのかとしつこくからんできます。飲め [続きを読む]
  • 黒田家の刀剣・一国長吉
  • 黒田長政は父の黒田官兵衛と違い勇猛果敢なイメージがありますが、関ケ原では西軍の諸将を東軍に寝返らせる働きをして家康より筑前名島52万3千石を与えられ福岡藩初代となる。 戦国時代 長吉作 大身鎗 名物 一国長吉(いっこくながよし) 黒田長政が初陣依頼愛用した実使用の鎗です。この鎗の活躍で筑前国の太守になれた事を記念して一国と命名した。平三角造りで大きな樋の中に三鈷剣の彫り物が朱漆に映え塩首には八幡台菩 [続きを読む]
  • 黒田家の刀剣・へし切長谷部
  • 幕末、黒田家は加藤司書や月形洗蔵のグループを中心に長州藩恭順に中心的な役割を果たしましたが、残念なことに藩主がかじを佐幕に切り替え乙丑の獄で勤王派を一掃しました。 幕末の黒田藩藩主、12代黒田長知と11代黒田 長溥(くろだ ながひろ)。 黒田長溥は、島津の有名な蘭癖大名、島津重豪の十三男で黒田家10代藩主黒田斉清の娘の純姫の婿養子となります。幕末から明治にかけての福岡藩はダークサイドの黒歴史がありま [続きを読む]
  • 崇福寺〜黒田官兵衛の赤い墓〜
  • 官兵衛の墓はなぜ赤い?人を呪わば穴二つ城井鎮房の祟り 黒田官兵衛・長政親子は全国的に有名で人気がありますが、それ以降の黒田家は今一つ地元での愛着がありません。ひとつは黒田家が幕末に第二次長州征伐というタイミングで幕府からの詮議を受けて加藤司書や月形潜蔵・勤皇派を大量に処刑しました。幕府が第二次長州征伐を前に長州に肩入れしている福岡藩を叱責した為と、加藤司書が建築を指揮する犬鳴御別館が藩主を幽閉す [続きを読む]
  • 寿徳寺〜近藤勇鎮魂歌〜
  • 寿徳寺は新選組局長近藤勇の墓があります、と言ってもJR板橋駅の道向かいの小さな公園のような場所にある境外墓地です。 私が昔住んでいたアパートの裏が寿徳寺でした。JR板橋駅から通勤していましたが、通りがかりに見ると新選組子孫の方々が来られていて式典と法要が行われていました。 左上、近藤勇子孫の宮川清蔵さん、左上二番目。土方歳三子孫の土方陽子さん、その隣のたれ眉のご老人は近藤勇子孫の宮川豊治さん、中央 [続きを読む]
  • 心眼寺〜真田信繁夢の跡〜
  • 真田信繁が大坂夏の陣で討たれた地は安居神社だとされています。 近辺には大坂城や真田丸の跡、NHK大阪の敷地内には孝徳天皇大化の改新時代と聖武天皇の難波宮の遺跡があります。ヒストリアや朝ドラが撮影されている真下には7〜8世紀の遺跡があり見学もできるというなんとも不思議な空間です。 大坂夏の陣布陣図 天王寺公園 茶臼山大坂冬の陣では徳川の陣地、夏の陣では真田の陣地になりました。 石碑には、陣跡 茶臼山 [続きを読む]
  • 本法寺〜長谷川等伯の夢〜
  • 長谷川等伯は狩野派、狩野永徳に挑み続けました。狩野派と熾烈な争いの最中に天才的な画家である息子久蔵を失いました。 久蔵は長谷川等伯の長男で智積院にある桜図は国宝に指定されている。智積院の桜楓図のうち桜図は久蔵。楓図の部分は父・長谷川等伯筆。若くして才能を発揮し、狩野派とも共同作業をしていた記録もあり、生きていれば大派閥を形成していたと思われます。 等伯は力強い絵でエネルギーを感じますが、久蔵の絵は [続きを読む]
  • 石峰寺〜伊藤若冲ワンダーランド〜
  • 伊藤若冲の制作した石仏があり、若冲のお墓もあります。 若冲は変わり者で京都の錦小路の青物問屋の枡屋の長男で跡継ぎでした。場所貸し業で何もしなくても収入があった、商売には熱心ではなく生涯独身で家督を弟にゆずり隠居し有名な動植綵絵を描き釈迦三尊像を相国寺に寄贈する。 動植綵絵と釈迦三尊像は現存していて相国寺の美術館で展示されたときは大盛況でした。すらりと並んだ動植綵絵の中央に釈迦三尊像が三幅かけられ、 [続きを読む]
  • 金戒光明寺〜会津藩殉難者墓所〜
  • 1862年に会津藩主松平容保が京都守護職に就任すると金戒光明寺を本陣とする。 幕末、金戒光明寺には会津藩主松平容保が京都守護職として本陣をしいた。京都守護職のもとには京都所司代、京都町奉行、京都見廻組、新選組が組織されていた。 この中でも池田屋事件の新選組、中岡慎太郎・坂本龍馬暗殺の佐々木只三郎率いる京都見廻組は恐れられた。大政奉還から鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争では会津は多数の死者を出した。 徳川慶喜が [続きを読む]