イプシロン さん プロフィール

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イプシロンさん: 生かされるまま生きる
ハンドル名イプシロン さん
ブログタイトル生かされるまま生きる
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/ipsilon/
サイト紹介文ひきもり生活の改善と社会復帰を目指して、自分探しをしています。
自由文かつて鬱病で引き篭もっていたオヤジの独白ノートです。時系列にそった自分史を書きあげ。今は適当に日々を生きている、オヤジの心の日記です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供233回 / 365日(平均4.5回/週) - 参加 2010/05/19 19:56

イプシロン さんのブログ記事

  • Peace of Mind / Boston
  • 何度も何度も記事に埋めてきた曲。自分の目指すところに迷いそうになると聞いて励みにしている曲。だから、自分の言葉で訳してみる。今もしも、君がしてきたことへの代償で少し落ち込んでいるなら未来が来るのはずっと先だろう走りだしたいのに何とかそこに留まろうともしてるどっちに行こうか決められないからわかるよ、そういう躊躇(ためら)いでも僕は置き去りにされるのなんか気にしないみんな競走しながら生きてるけど僕が求 [続きを読む]
  • 極端はよろしくない
  • 今日は映画評論家の町山智浩さんが、『FAKE』という映画を紹介した音源を紹介したい。ちなみに町山さんは私の尊敬する一人だ。映画を作る意味(表現することの本質)をよくわかっており、また映画というジャンルを突き詰めていったことで、政治、経済や社会といった世の中にある全てが繋がっているということに気づき、映画評論家ではあるが、社会全般に対してメッセージを放ち続けている人だ。ではこの『FAKE』で森達也監督は何を [続きを読む]
  • 集団主義、ポピュリズム
  • 本来なら、わたしがわたしの言葉で語るべきだが、このことは脳内でなかなかうまく言語化できていなかったものを、映画監督の森達也さんが見事に言語化している動画を見て、感銘を受けたので、その動画を紹介したい。全編で二時間以上ある動画だが、冒頭の35分だけ見ても十分にポピュリズムの危険性は理解できるので、是非見ていただけたらと思う。テント村での会話なので、周囲の騒音があるので、全編見るのは結構大変であろうし。 [続きを読む]
  • 関ケ原と徳川家康
  • 司馬遼太郎原作の『関ケ原』が映画化され、話題になっている。そのことに関して、ネット上では「あれが完全映画化? 『葵 徳川三代(かつてNHKが制作した大河ドラマ)』にはとうてい及ばない」などという手厳しい感想を述べている人もいたが、映画を未見なわたしでもそう思った。というよりも、大河ドラマのように何十時間にわたる描写がされたものと、わずか149分の作品を比べても仕方がないと思ったのだ。しかし、混迷する現代 [続きを読む]
  • マイケル・ムアコック『ルーンの杖秘録4』を読んだ
  • 《正義》とは、《法》ではない。人間が普通言うところの《秩序》でもない。《正義》とは、《正しくあること》――《均衡》、《釣合いを正すこと》なのだ。エルリックやエレコーゼの世界観では、物語の一部として語られてきたことが、『ルーンの杖秘録』では実に短い文章で語りつくされていた。あまりにもあっさりしているので、エルリックなどを読んだことのない人は通り過ぎてすぎてしまうかもしれないが、おそらくこれは、この作 [続きを読む]
  • 政治、宗教、メディア
  • 第二次世界大戦が終わってから、日本という国で起こる出来事は、おおよそアメリカ合衆国で起こったことを追従しているということがあると思う。そんなことから、ここ数日、米国の思想、宗教、メディアがどんなふうに動いてきたか、また現在どうあるのかを学んでみた。その結果は恐ろしいものだった。いわゆる、政教一致や政治とメディアの癒着というのは、日本でも由々しき問題として扱われてきた。しかし、米国をつとに眺めていく [続きを読む]
  • 憲法改正について
  • あくまでも個人的な意見です。結論から言えば、わたしは、近い将来に憲法を改正することには反対です。憲法について、いろいろな人の意見を学んできたが、小室直樹の意見にほぼ100%同意という感じです。では小室の思想はどういうものかというと、こういうものです。そもそも、近現代の日本人は、憲法を正しく解釈していないし、憲法というものの位置づけや憲法のもつ意味すら理解していないのだから、変えるべきではない。という [続きを読む]
  • The 20 Native American Codes Of Ethics
  • 『ネイティヴアメリカン 20の倫理符牒』1)毎日祈ろう。2)審判するな。誰でも自分を見失うことはあるのだから。3)自分自身を見つけだせ。4)客人には最大限の敬意をもって接しろ。5)奪うな。それはあなたのものではないのだから。6)あらゆるものごとに敬意をはらえ。7)他者の思想に尊敬の念を持て。それは希望の言葉なのだから。8)他人に不完全なことを話すな。9)誰にでも間違いはある。10)悪い思想は病気のもと。11)自 [続きを読む]
  • 道(DOU)
  • どんな道を歩もうと、終局的には一つの道に辿りつきざるを得ないようだ。ANA Global Channel がアップしているシリーズ『道』を見ていてそう思った。町井さん、ブルース・リーと同じ思想に至っている!相手をおかずに道具を使い自己認識すること。稽古の最大の目的は「止まらない」ということ。つまり、諸行無常という流れに逆らわず、むしろ流れに乗っていける自分を作ることだと。そういう稽古をしていない人が、自然に淘汰され [続きを読む]
  • 『スッタニパータ 大いなる章(6)サビヤ 』
  • 朗読を聞くだけで20分をようする経典であるが、実に素晴らしい節だと感じ入った。途中、涙が滲みそうになった。というのは、多分に今のわたしが求めていることこが、この節では語られていたからだろう。今にも絶望の淵から転げ落ちそうな人の言葉に虚心に耳を傾け、一切の虚飾を振り払った真実の言葉で疑問に答え、質問に答え、まるで悩める人が遠く何千里も歩いて教えを求めて来たように敬っている仏の姿に。目覚めた人とは、すな [続きを読む]
  • 『スッタニパータ 大いなる章(5) マーガ 』
  • この節ではいわゆる「五十転伝の功徳」のことを説いているのであろう。五十転伝の功徳とは、仏教用語辞典などで調べれば、真実の法をAという人に説き、AがBにまた法を説いて、次にまたBがCに法を説いて……というように、五十人目まで法が伝わったとしても、五十人目が聞いたものにも真実の法が残っているということになろう。しかし残念なことに、わたしが創価で教わったのは表現が違い、そのように五十人目にまで伝わるのだ [続きを読む]
  • 『スッタニパータ 大いなる章(4) スンダリカ・バーラドヴァージャ 』
  • 本節は仏教本来の供養の意味について説かれたものだろう。近現代に成立した宗教的行為における供養形式――仏前や神前に供物を備え、先祖や神仏からの守護を望んだり、功徳を得ようと願うこと――は、本来の仏教からすれば、誤った供養の精神である、と。そうした供養は所詮は「欲望という執着」でしかないからだ。よって仏教は、欲望にもとづく儀式や生贄といったものの一切を否定しているということになる。冒頭で語られる「火の [続きを読む]
  • 『スッタニパータ 大いなる章(3) みごとに説かれた言葉』
  • 「みごとに説かれた言葉」は四つの特徴を持つという。1)法句ズバリいえば実智のことであろう。個人が内面で己が心を直観したときにみる言語化できない句とでも言えばいいだろうか。具体的にいえば、みたものをありのままに表現した句ともいえよう。であるからして、句はすなわち「名前」といっていいだろう。なぜそうなるのかがまったく理解できないかたは、カント哲学、実存主義、ハイデガーやヴィトゲンシュタインの言語論を学 [続きを読む]
  • 民衆が権力におもねった結果が――
  • ――これだ。まあ、そうなりますよね。ここ数日、わたしだって記事を更新したくなくなりましたからね。いや、今ここで言うことをやめてしまったら、権力の思う壺じゃないかとも言えるが、では権力やそれにおもねる勢力を批判をしていればいいかといえば、それもまた無意味であることを知っているからだ。批判は批判でしかないからだ。批判は批判をよび、また悪感情を呼び、悪と憎悪の連鎖を強めるだけだからだ。起こったことを見聞 [続きを読む]
  • 『スッタニパータ 大いなる章(2) つとめはげむこと』
  • 瞑想する覚者の内心に訪れたナムチ(悪魔)の囁きは「生きていて何の意味があるんだ?」という死魔というものだった。あらゆる魔性のなかで、これほど強大な魔はないだろう。かくいうわたしも死魔に唆されて、自殺未遂したような者なので、死魔というものがいかなるものかの一端くらいは知っている。だから、仏教の教えの根底には「何が起ころうとも、まず生きる」というものがあると思う。日蓮の『立正安国論』の奥底にもそういう [続きを読む]
  • 『法華義疏』安楽行品第十三を読んだ(4)
  • 安楽行本もいよいよ佳境です。ということで、今日は最後に説かれており、なおかつ最も重要な「慈悲行」とはいかなるものかを思索していきます。とはいえ、経典にはこれが「慈悲行」です! とはっきり書いてあるので、別に悩むこともない。在家や出家の人の中に於ては、大慈悲の心を生じ、菩薩に非ざる人の中に於ては大慈悲を生じて、応に是の念を作すべし。是の如きの人は、則ち大いなる失を為せり。如来が方便して、宜しきに随い [続きを読む]
  • 『スッタニパータ 大いなる章(1) 出家』
  • 勘の鋭い人なら、この前章「小なる章」が個人の信仰においてあるべき修行法を説いた教えであることに気づいていただろう。つまり、用語で言うところの自行、「小乗」の教えが前章だったと見ていいだろう。そして、出家という節からはじまるこの「大いなる章」は恐らく、自他の関係性にあってあるべき修行者の姿を説いているのだろう。だからこの章は化他「大乗」の教えと見ていいだろう。そういう観点で「出家」という節を聞けば、 [続きを読む]
  • マイケル・ムアコック『ルーンの杖秘録1、2』を読んだ
  • あのブルガール人は個人でした。同様に、ペシュト候、ロールダール・ニコライエフといった(権力者)連中も、です。彼らは例外的存在であって、ほとんどすべての場合、いずれは領民が反乱を起こして、彼らを殺してしまいます。ところがかの暗黒帝国はそうじゃない。そういう個人が集まった国家(、、)であって、そこでは、彼らのやっているよな行為は、当然と受けとられているのです。国家悪、組織悪――。結局のところ、組織に依 [続きを読む]
  • 『法華義疏』安楽行品第十三を読みはじめた(3)
  • 今日は「口善行」の部分を簡素にまとめておきます。1)自ら読誦し、あるいは人に経典を語るとき、「法」および「人」の過(とが)を説かざれ。また、諸の法を虚論して爭い競うことなかれ。2)諸々の世の法師を軽んじ慢(あなど)らざれ。(いかなる人であろうと、自分の知らないことを一つでも知っているのが事実であるから)3)他人を好き嫌いで判断したり、他人の長所・短所を口にしない。(信仰者といっても、多くの人はこの好 [続きを読む]
  • HIROSHIMA
  • 日本も731部隊で、中国人を「マルタ」と呼んで、人体実験をした。ドイツも、ユダヤ人強制収容所で、人体実験をした。そしてアメリカも同じだ。こうして被爆者を標本にした。そのアメリカは、731部隊の実験データ引き渡しと条件に、関係者の訴追を見送ったとも言われている。ソ連だってカチンの森で虐殺した。どもれ、人間のやるようなことじゃない。どこの国がどうのとかという問題ではない。人間を人間として見れない思想が憎い。 [続きを読む]
  • 『スッタニパータ 小なる章(3) 恥』
  • 近づいてはならない友人を説いた、この節のポイントは2つでしょう。1)できることがあるのに、しないでいて、「わたしはあなたの友である」という人。2)言っていることと、やっていることが違う友。生きとしいきるものが幸せでありますように。感謝・合掌。 [続きを読む]
  • 『法華義疏』安楽行品第十三を読みはじめた(2)
  • 安楽行品は、それまでの教説の流れから、文殊師利菩薩が如来滅後に法華経を受持し、流通していく重要性を理解したあと、釈尊がその実践法を説きたいのであろうことを察し、質問する場面からはじまる。「打てば響く」という言葉があるが、法華経は序品からずっとそういった関係性が重要であると、暗示していることが、ここでもわかる。そうして説かれていく安楽行が、大きく分けると四つであることは既に(1)で述べてきた通りだ。 [続きを読む]
  • 『スッタニパータ 小なる章(2) なまぐさ』
  • 先の節で説かれた「宝」と対になっているのがこの「なまぐさ」であろう。仏教史観でみると、この節は六師外道のカッサパに法を説いた場面である。カッサパはこの世には善も悪もない。やりたいようにやりたいことをすればいい、という無道徳論を立てた人師だそうだ。いいや、違うだろう。確かにこの世界は「空」であるし、簡素にこの世界を説明しようとするなら、ウパニシャット哲学にあるように、善悪一如であるとはいえるだろう。 [続きを読む]
  • 『法華義疏』安楽行品第十三を読みはじめた(1)
  • 『法華義疏』安楽行品にある、大意を読み、現代語訳をさっと流して読んでみたところ、この品は少々時間がかかっても、しっかりとした忘備録とすべきだと感じた。なぜかなら、これまでわたしが習い、教わってきた仏教と正反対のことが説かれていると思ったからだ。もちろん、数年前から、これまで学んできたものは間違っていたかもしれない――仏典の教えどおりではない――と気づいてきたので、それほど衝撃を受けたわけではないの [続きを読む]