札幌ナザレン さん プロフィール

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札幌ナザレンさん: 希望のことばー札幌ナザレン教会講壇からー
ハンドル名札幌ナザレン さん
ブログタイトル希望のことばー札幌ナザレン教会講壇からー
ブログURLhttps://nazach.exblog.jp
サイト紹介文札幌ナザレン教会の牧師、古川修二の礼拝メッセージをブログで配信中
自由文札幌ナザレン教会牧師、古川修二の礼拝メッセージ。毎週日曜の礼拝にて、分かりやすい聖書からのメッセージをブログで配信しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供50回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2010/06/11 19:40

札幌ナザレン さんのブログ記事

  • 深みに漕ぎ出す
  • ■聖書の箇所 ルカ5章1〜11節 私たちの人生には、様々な出来事が起こりますし、時には同じような体験を何度かすることもあります。大切なことはその体験を通して、何をどのように学んでいくか、それがどのようにその人を形作っていくかということだと思います。自らの信仰を深め、愛と希望を深めていく、そのような良き体験であり、御言葉の学びでありたいと思います。 ペテロはその人生において、再度ガリラ... [続きを読む]
  • 主イエスの栄光
  • ■聖書の箇所 ヨハネ2章1〜11節 主イエスは結婚を祝福されるお方です。イエス様がこのような喜びの席に、喜ぶ人たちと共におられたということに、注目したいと思います。イエス様の御生涯は、人間の様々な苦しみや悲しみに寄り添い、共に歩んでくださる御生涯でした。主イエスは悲しみの人で悩みを知っておられたと言われています。しかし、主は、ただ単にそういうお方であるだけではなく、私たちの喜びの時にも... [続きを読む]
  • 最初の弟子たち
  • ■聖書の箇所 ヨハネ1章35〜42節 小さな一歩、しかし、その一歩が人生を変えることがあります。歴史を動かすような大きな出来事に連なることさえあるのです。この日の出会いがシモンの人生を変えただけではなく、世界の歴史を動かす出来事となったのでした。 どうして、そのようなことが起こったのでしょうか。主イエスに見つめていただいた。見つめ続けていただいたからです。イエス様は、初めてシモンに声... [続きを読む]
  • 神のことばによって生きる
  • ■聖書の箇所 マタイ4章1〜4節 聖書は、「人間は、パンなどの物質によって生きるのではない。もっと霊的なもの、精神的なものによって生かされるのだ」などとは言いません。神はパンを与えてくださるお方です。私たちの飢えを知っておられるお方です。そのパンを与えながら、しかし、あなたがたはわたしの言葉によって、より良く生きる者になるのだと言われるのです。 神の言葉によって生きるということは、パ... [続きを読む]
  • 私たちの望みなるキリスト
  • ■聖書の箇所 マタイ3章1〜17節 洗礼を受けた主イエスに天からの声がありました。17節「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」マルコやルカの福音書では、「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」と記されてありますが、マタイは、マルコやルカの福音書とは異なって、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と記しました。マタイは、主イエスご自身への神の呼びかけという意... [続きを読む]
  • 少年イエスの思い
  • ■聖書の箇所 ルカ2章39〜52節 私たちが、主イエスの子ども時代について聖書を通して知り得ることは、40節の「幼子は成長し、知恵に満ちてたくましくなり、神の恵みがその上にあった」ということです。そして、主イエスが12才になられたときの出来事がここに記され、49節に「わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、御存じなかったのですか」とあります。ここに、とても大切なことが言われてい... [続きを読む]
  • 御救いを見る
  • ■聖書の箇所 ルカ2章21〜38節 真の光は闇の中に輝いています。そして、闇はこれに打ち勝たなかったのです。私たちのために生まれ、十字架にかかられ、よみがえられた主イエスこそ、すべての人々の救いであり、命よりも大切な人生の宝であり、私たちの人生に真の喜びと希望を与えてくださるお方です。単なる人間の希望は、失望に終わることがありますが、この主にある希望は決して失望に終わることがありませ... [続きを読む]
  • 喜びの知らせ
  • ■聖書の箇所 ルカ2章1〜20節 世界で最初のクリスマスの夜、世界の救い主がこの地上にお生まれになったという知らせは、当時、人々から相手にされなかった貧しい羊飼いたちに真っ先に届けられました。その事実は、クリスマスの恵みが届くことのない場所は、人は、この世界のどこにもない、どこにもいない。そして、その喜びの知らせを伝えることができない人も、一人もいない、すべての人にその素晴らしい喜びの... [続きを読む]
  • 神われらと共にいます
  • 聖書の箇所 マタイ1章18〜23節 「インマヌエル」というのは、「私たちと共におられる神」、「神がわれらと共におられる」とう意味です。これはキリスト教会にとり大切な言葉です。 私たちが信じる神様は、教会に行かなければお会いすることのできない神ではなく、私たちといつも共におられる神です。主ご自身がこう言われています。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」と。... [続きを読む]
  • 信じる人の幸い
  • ■聖書の箇所 ルカ1章26節〜45節 福音書が私たちに伝えることは、神ご自身が、私たちを救うために、マリアという女性を通して、この世に来てくださった。その厳かな真実を、マリアとヨセフという若い二人が静かに、従順に受け止めたということです。 しかし、この二人の決心、決断、神への献身がなかったならば、救い主がこの世に誕生することはありませんでした。そして、その大きな喜びと祝福は人類に... [続きを読む]
  • 大いなる光を見る
  • ■聖書の箇所 イザヤ9章1〜7節 旧約の預言の中で、一つの頂点をなすのが、紀元前8世紀の預言者たちの預言です。二つの王国に分かれたイスラエルで、北王国イスラエルがアッシリア帝国によって滅ぼされる前後、その恐怖が南王国ユダを覆っていた不安定な時期に、イザヤやミカ、ホセア、アモスといった預言者たちが活動して主なる神のメッセージを人々に伝えたのです。特に、イザヤが活動した前半は、暗く、厳しく... [続きを読む]
  • 万事を益とする神
  • ■聖書の箇所 創世記49章22節、50章15〜26節 ヨセフは、110才まで生きました。アブラハム、イサク、ヤコブと比較すると短いのですが、その生涯は充実したものでした。平安と希望に満ちた晩年でした。こうして、ヨセフは自分の死が近いことを兄弟たちに告げて、語ります。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたがたを顧みて、あなたがたをこの地から、アブラハム、イサク、ヤコブに誓... [続きを読む]
  • 祝福の祈り
  • ■聖書の箇所 創世記48章1〜16節 ヤコブは、人生最後の、そして最良の大切な仕事をしようとしていました。それは、子どもを祝福するということでした。息子ヨセフが自分の枕辺に来たとき、ヤコブは、力を振り絞って床の上に座りました。今、ヤコブは自分が祝福されただけではなく、自らが祝福の源となって、息子ヨセフを祝福し、そして孫を祝福したいと言ったのでした。 9節「私のところに連れて来なさい。彼ら... [続きを読む]
  • 生きている者の神
  • ■聖書の箇所 創世記28章10〜22節 ヤコブは、「見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」という神の約束の言葉を聴きます。主なる神はこの時、「共にいる」ということと、あなたに約束したことを果たすまであなたを決して見捨てないと約束してくださったのでした。 ヤコ... [続きを読む]
  • 受け継がれる祈り
  • ■聖書の箇所 創世記26章12〜25節 主イエスの山上の説教の中に、「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」とあります。アブラハムの子、イサクは、この柔和さを与えられた人です。そして、その柔和さ、へりくだりの心のゆえに、地を受け継いだ人でした。 イサクは、忍耐と望みの末に、平和と自由を手に入れることができ、主への感謝の思いで、ゲラルの地より、彼が住んでいたべエル・シェバに... [続きを読む]
  • 主の前に立つ
  • ■聖書の箇所 創世記18章 18章16節以降で、御使いたちは重要なことをアブラハムに語りました。それは、ソドムとゴモラのさばきのことでした。聖書に、「神の慈愛と峻厳とを見よ」という御言葉があります。このさばきを聞いたアブラハムは、必死にとりなしの祈りを致します。すると、主は、ソドムの町に10人の正しい人々がいたら、町全体を赦すとまで約束されました。しかし、ソドムの町には、その10人がいな... [続きを読む]
  • この世で生きる
  • ■聖書の箇所 マタイ5章13〜16節   メッセージ 久保木 勁師 宗教改革によって誕生したプロテスタント教会には、「改革された教会は改革され続けられなければならない」という命題があります。ですから、ルターの宗教改革(1517年)から500年になるプロテスタント教会の歴史は、改革の連続と言えます。 19世紀初頭に、ハンス・ニールセン・ハウゲというノルウェーのルター派の指導者が「実践的キ... [続きを読む]
  • 望みつつ信じる
  • ■聖書の箇所 創世記15章1〜6節 人生において、神様を信じる大事な瞬間があります。普通、私たちは、目に見える証拠に寄りすがりながら神とその働きを信じるのですが、時にそうした目に見える証拠やしるしがないときも、神とその祝福を信じるのです。神様はそのような信仰者を求めておられます。そして、そのような人々を友と呼び、彼ら、彼女らを通して、真に偉大な神の業を行い続けてこられました。 アブラハム... [続きを読む]
  • 心を高く上げよ
  • ■聖書の箇所 創世記13章 主なる神は、ロトと別れたアブラムに、「目を上げよ」と言われました。「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見渡しなさい。すべてあなたが見渡す地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます」と。 この時のアブラムにはロトと別れた寂しさがあったと思います。しかし、条件の悪い地で何とか生き抜こうとしていたアブラムに、主なる神は、語りかけるのです。「あなたの目を足元... [続きを読む]
  • 信じて前進する
  • ■聖書の箇所 創世記11章27〜12章9節 三つのことをお伝えします。第一は、主なる神は、お語りになられる神、それも私たち一人一人に御言葉をもってお語りになられる神であるということです。1節に、「主はアブラムに言われた」とあるとおりです。二つ目は、主なる神は私たちを祝福されるお方であるということです。2節に、「わたしはあなたを祝福し」とあるとおりです。「主なる神は私たちにご自身の祝福を与... [続きを読む]
  • あなたが生きる意味
  • ■聖書の箇所 マタイ25章14〜30節 この譬えから教えられることは、神と私たちとの関係です。それは、神様は私たちの主人であり、人間はその神の僕であるという真理です。そのように神を、私たちの人生の主人として見出すことができることが最も大事なことです。そして、この主人は、しばし旅に出て、その財産をそれぞれの能力に応じて、ある者には5タラント、ある者には2タラント、ある者には1タラントとして... [続きを読む]
  • 燃えて輝くともしび
  • ■聖書の箇所 ヨハネ1章19〜34節 導入:自分の死後どのように人々に覚えていてもらいたいかを考えましょう。また、自分の神様からの最終評価がどのようであるか考えましょう。聖書におけるいくつかの例? エノク(創世記5:24); ドルカス (使徒の働き9:36); アベル(ヘブル書11:4)? 裏切り者のユダ; 疑い深いトマスバプテスマのヨハネがイエス様から受けた評価(ヨハネ5:33-35... [続きを読む]
  • 隣人になる
  • ■聖書の箇所 ルカ10章25〜37節 ユダヤ人とサマリヤ人の間に、激しい敵意があったことを考えれば、このサマリヤ人は、傷ついた旅人にとり、最も助けてくれそうにない人でした。しかし、この人はそこで、苦しんでいる人を見て、気の毒に思い、その場でできる最善の世話をしました。そして、主イエスは、「わたしの隣人とは、誰のことですか」と質問した学者に尋ねたのです。「三人のうち、誰が強盗に襲われた人の... [続きを読む]
  • 神の愛の広がり
  • ■聖書の箇所 マタイ18章15〜35節 一万タラントの負債のある者が、王のもとに連れて行かれて、決算をしなければならなくなりました。最終的な返済を求められたのです。一万タラントとは、途方もない借金です。それに対して彼が仲間に貸していた金額は、相当な金額ではありますが、彼が王に対して負っていて、赦された膨大な額に比べるとわずかな金額でした。しかし、彼は赦すことができませんでした。このたとえ... [続きを読む]
  • 神のガイダンス
  • ■聖書の箇所 詩篇119篇105節   メッセージ  久保木 勁師 ガイダンスは、「指導」を指す日本の教育用語になっていますが、英語では、特に「神の導き」を指す重要なキリスト教用語なのです。その「神の導き」が「み言葉」によってであることを、この119篇の作者は、有名な105節で示そうとしています。しかも「あなたのみ言葉は、わたしの〜、わたしの〜」とあるように、この105節が作者自身の個... [続きを読む]