札幌ナザレン さん プロフィール

  •  
札幌ナザレンさん: 希望のことばー札幌ナザレン教会講壇からー
ハンドル名札幌ナザレン さん
ブログタイトル希望のことばー札幌ナザレン教会講壇からー
ブログURLhttps://nazach.exblog.jp
サイト紹介文札幌ナザレン教会の牧師、古川修二の礼拝メッセージをブログで配信中
自由文札幌ナザレン教会牧師、古川修二の礼拝メッセージ。毎週日曜の礼拝にて、分かりやすい聖書からのメッセージをブログで配信しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供52回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2010/06/11 19:40

札幌ナザレン さんのブログ記事

  • 復活の朝
  • ■聖書の箇所 マタイ28章1〜10節 エルサレムで、このときに主が納められた墓を偲ぶことのできる、岩をくりぬいた墓を訪問したことがあります。雨が降る朝でしたので、そこを訪れる人も少なく、私は幸運にも一人で墓の中に入り、しばらくそこにたたずむことができ、墓を出るときに、現代に掲げられたものですが、内扉に記された聖句を見ることが出来ました。そこには、「彼はよみがえって、ここにはおられない」... [続きを読む]
  • いつも共におられる主イエス
  • ■聖書の箇所 マタイ28:16〜20、ヨハネ21:3〜6 マタイの福音書28章16節に、「さて、11人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った」と記されています。そこで、主の弟子たちは復活した主イエスに出会い、礼拝をしたのです。しかし、ここでも「疑う者」がいたことを聖書は正直に記しています。それがキリスト教会の、キリストを信じる私たちの、ありのままの姿なのだと思います。... [続きを読む]
  • 私の主、私の神
  • ■聖書の箇所 ヨハネ20章19〜29節 トマスは、弟子たちの所に主イエスが来られた時、その集まりの中にいませんでした。そのことで、彼は不信に陥ります。あとで、他の弟子たちと出会い、「私たちは主を見た」という証言を聞いてもトマスは彼らに、「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と、言ったのでした。 この言葉から、トマスのことを多... [続きを読む]
  • 共に歩くイエス
  • ■聖書の箇所 ルカ24章13〜43節 復活日の午後、二人の弟子がエルサレムの都からエマオの村を目指して歩いていました。それは、いわば、日没に向かっての旅立ちでありました。青年のように、希望に輝いて、明るいビジョンに向かって、意気揚々と旅を続けたのではなく、夕日に向かい、刻刻と迫る闇に近づきながら、旅立って行ったのです。その姿は、すべての人がやがて迎えねばならない物事の終わり、人生の終わ... [続きを読む]
  • 主イエスとともに
  • ■聖書の箇所 ルカ23章32〜56節 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」この主イエスの祈りは、多くの人々の心をとらえ続けてきました。 日本のキリスト者がどのようにして主イエスを信じるようになったかということを追跡して研究した人がいます。そこで、明らかにされたのは、多くの人たちがこの、十字架上の主イエスの言葉を聞くことによって、信仰... [続きを読む]
  • ゲッセマの祈り
  • ■聖書の箇所 マタイ26章36〜56節 「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」この主イエスご自身の祈りについて、三つのことを述べたいと思います。第一は、父なる神への絶対的な信頼です。詩篇62篇8節に、「民よ、どんな時にも神に信頼せよ。あなたがたの心を、神の御前に注ぎ出せ。神は... [続きを読む]
  • 最後の晩餐
  • ■聖書の箇所 マタイ26章17〜32節 聖餐式で私たちは、裂かれたパンと、ぶどう汁の杯を分け合いますが、そのときに思い出していただきたいと思います。主イエスはこう言われたのです。この食事は、最後の食事ではない。主イエスが、私たちと共に、ぶどうの実からできた物を飲んでくださる日が、必ず訪れる。主は「わたしの父の御国であなたがたと新しく飲む」と言われました。主イエスにあって、その日は、私... [続きを読む]
  • 一つも無駄にならないように
  • ■聖書の箇所 ヨハネ6章1〜15節 2000年前、ティべリア湖を、よみがえりの光でおおわれた主イエスは、今も生きてこの世界を支配してくださっておられる。そこに私たちの希望と命の源泉があります。いのちの泉は神とともにあり、主なる神の光のうちに、私たちは真の光を見るのです。この時に、主イエスの御手に握られていたものは、少なく、しかも、貧しい食物でした。ここに登場する少年とは、普通の少年の... [続きを読む]
  • 恐れないで、ただ信じていなさい
  • ■聖書の箇所 マルコ5章21〜43節 主イエスは一人一人の人を、その全人格を、全生涯を大事になさる救い主です。ヤイロのような思いで主の許に来る人にも、この女性のような思いで主に触る人にも、同じ恵みを、神の助けを与えてくださるお方です。このあと、この女性に語られた主の言葉は、その後、多くの人を救い、立ち上がらせる大切な御言葉になりました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心... [続きを読む]
  • 安息日の主
  • ■聖書の箇所 マタイ12章1〜14節 主イエスが、この時、安息日の律法を厳格に守っていたパリサイ人の生き方や教えに挑戦し、その命を懸けて戦ったのは一体何のためであったのでしょうか。パリサイ人たちの考え方、生き方のどこが問題だったのでしょうか。一言で言えば、パリサイ人たちの安息の日には、本当の安息はなかったのです。そこには、真の平安、安息を見出すことができなかったからなのでした。主イエスは... [続きを読む]
  • 幼な子のようになる
  • ■聖書の箇所 マタイ18章1〜5節      背伸びをしてでも一番になろうとしていた弟子たちに対し、主イエスは身を低くしなさい。真に偉い人たちは、謙遜で謙虚な人であると語られました。古代教会の指導者アウグスチヌスは、キリスト者として最も大切な品性はと問われた時、それは謙遜と答え、第二も第三も謙遜と答えたと言われます、それ以外のすべての麗しい品性は、謙遜という土壌に育ち、花を咲かせ、実を... [続きを読む]
  • 夢見る人ヨセフ
  • ■聖書の箇所 創世記37章1〜20節 2017年のナザレン教団年会の後、当時のナザレンアジア太平洋地域の監督であったグレイブス監督は私に、「日本にリバイバルが、信仰の復興の時が来ることを確信している、それは高齢者たちが本気で祈り、若者たちが信仰をもって立ち上がる時だ」と語りました。そして、私は思います。牧師たちと信徒たちが心を合わせて、主にある夢を抱きつつそれぞれの役割を果たしつつ主にあっ... [続きを読む]
  • 神との格闘
  • ■聖書の箇所 創世記31章3節、創世記32章22〜32節 神の前に一人となったヤコブに神の使いが、「夜明けまで彼と格闘した」と記されています。この格闘が夜明けまで続いたということは、その激しさを物語っていました。それは腿の関節が外れてしまうほどの激しさでした。世が明けて去っていくその人に対してヤコブは、「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ」と迫ります。この神の祝福を求め... [続きを読む]
  • 信頼して生きる
  • ■聖書の箇所 出エジプト20章12節、詩編37篇3、5節 私たちの主イエスが私たちに願っておられることは、主を信じる者たちが、その人生において、何らかの成功を収めるということではなく、それぞれの人生においてその人らしい実を結ぶ、それも豊かな美しい実を結ぶということです。ヨハネの福音書15章8節に、「あなたがたが多くの実を結ぶことによって、わたしの父は栄光をお受けになります」とありますように... [続きを読む]
  • 神の家、天の門
  • ■聖書の箇所 創世記28章10〜22節 ヤコブは夢を見ます。それは、一つのはしごが、地に向けて立てられ、しかも、その上の端が天に届いており、神の使いが、そのはしごをのぼりくだりしているという夢でした。そしてヤコブは、主が、彼のそばに立って言われた声を聴くのです。「見よ、主がその上に立って、こう言われた。『わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子... [続きを読む]
  • 共に働かれる主
  • ■聖書の箇所 マルコ16: 9〜20、ヨハネ15:16   メッセージ  久保木勁師 復活の主の願いは、「全世界に出て行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝える」ということでした。(マルコ16:15)。実は、この「世界宣教命令」に先立って、主イエスは、最後の晩餐の席上で既に、「あなたがたが私を選んだのではなく、私があなたがたを選び、立てた(任命した)、それは、あなたがたが行って実を結び... [続きを読む]
  • 深みに漕ぎ出す
  • ■聖書の箇所 ルカ5章1〜11節 私たちの人生には、様々な出来事が起こりますし、時には同じような体験を何度かすることもあります。大切なことはその体験を通して、何をどのように学んでいくか、それがどのようにその人を形作っていくかということだと思います。自らの信仰を深め、愛と希望を深めていく、そのような良き体験であり、御言葉の学びでありたいと思います。 ペテロはその人生において、再度ガリラ... [続きを読む]
  • 主イエスの栄光
  • ■聖書の箇所 ヨハネ2章1〜11節 主イエスは結婚を祝福されるお方です。イエス様がこのような喜びの席に、喜ぶ人たちと共におられたということに、注目したいと思います。イエス様の御生涯は、人間の様々な苦しみや悲しみに寄り添い、共に歩んでくださる御生涯でした。主イエスは悲しみの人で悩みを知っておられたと言われています。しかし、主は、ただ単にそういうお方であるだけではなく、私たちの喜びの時にも... [続きを読む]
  • 最初の弟子たち
  • ■聖書の箇所 ヨハネ1章35〜42節 小さな一歩、しかし、その一歩が人生を変えることがあります。歴史を動かすような大きな出来事に連なることさえあるのです。この日の出会いがシモンの人生を変えただけではなく、世界の歴史を動かす出来事となったのでした。 どうして、そのようなことが起こったのでしょうか。主イエスに見つめていただいた。見つめ続けていただいたからです。イエス様は、初めてシモンに声... [続きを読む]
  • 神のことばによって生きる
  • ■聖書の箇所 マタイ4章1〜4節 聖書は、「人間は、パンなどの物質によって生きるのではない。もっと霊的なもの、精神的なものによって生かされるのだ」などとは言いません。神はパンを与えてくださるお方です。私たちの飢えを知っておられるお方です。そのパンを与えながら、しかし、あなたがたはわたしの言葉によって、より良く生きる者になるのだと言われるのです。 神の言葉によって生きるということは、パ... [続きを読む]
  • 私たちの望みなるキリスト
  • ■聖書の箇所 マタイ3章1〜17節 洗礼を受けた主イエスに天からの声がありました。17節「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」マルコやルカの福音書では、「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」と記されてありますが、マタイは、マルコやルカの福音書とは異なって、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と記しました。マタイは、主イエスご自身への神の呼びかけという意... [続きを読む]
  • 少年イエスの思い
  • ■聖書の箇所 ルカ2章39〜52節 私たちが、主イエスの子ども時代について聖書を通して知り得ることは、40節の「幼子は成長し、知恵に満ちてたくましくなり、神の恵みがその上にあった」ということです。そして、主イエスが12才になられたときの出来事がここに記され、49節に「わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、御存じなかったのですか」とあります。ここに、とても大切なことが言われてい... [続きを読む]
  • 御救いを見る
  • ■聖書の箇所 ルカ2章21〜38節 真の光は闇の中に輝いています。そして、闇はこれに打ち勝たなかったのです。私たちのために生まれ、十字架にかかられ、よみがえられた主イエスこそ、すべての人々の救いであり、命よりも大切な人生の宝であり、私たちの人生に真の喜びと希望を与えてくださるお方です。単なる人間の希望は、失望に終わることがありますが、この主にある希望は決して失望に終わることがありませ... [続きを読む]
  • 喜びの知らせ
  • ■聖書の箇所 ルカ2章1〜20節 世界で最初のクリスマスの夜、世界の救い主がこの地上にお生まれになったという知らせは、当時、人々から相手にされなかった貧しい羊飼いたちに真っ先に届けられました。その事実は、クリスマスの恵みが届くことのない場所は、人は、この世界のどこにもない、どこにもいない。そして、その喜びの知らせを伝えることができない人も、一人もいない、すべての人にその素晴らしい喜びの... [続きを読む]
  • 神われらと共にいます
  • 聖書の箇所 マタイ1章18〜23節 「インマヌエル」というのは、「私たちと共におられる神」、「神がわれらと共におられる」とう意味です。これはキリスト教会にとり大切な言葉です。 私たちが信じる神様は、教会に行かなければお会いすることのできない神ではなく、私たちといつも共におられる神です。主ご自身がこう言われています。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」と。... [続きを読む]