札幌ナザレン さん プロフィール

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札幌ナザレンさん: 希望のことばー札幌ナザレン教会講壇からー
ハンドル名札幌ナザレン さん
ブログタイトル希望のことばー札幌ナザレン教会講壇からー
ブログURLhttp://nazach.exblog.jp
サイト紹介文札幌ナザレン教会の牧師、古川修二の礼拝メッセージをブログで配信中
自由文札幌ナザレン教会牧師、古川修二の礼拝メッセージ。毎週日曜の礼拝にて、分かりやすい聖書からのメッセージをブログで配信しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供42回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2010/06/11 19:40

札幌ナザレン さんのブログ記事

  • 万事を益となされる神
  • ■聖書の箇所 ローマ8章28、29節 メッセージ 平原 知之宣教師 今日の聖句は苦難の中にある人生の葛藤に対して、パウロが主の恵み、哀れみを示してくださる事をはっきりと断言していますが、私達の宣教の地でもこの様な主の恵みを体験することがあります。 一人の人生に望みを失いかけた青年が信仰を持ったのですが、この青年に起こった悲劇の中から、その方の兄弟姉妹に全く考えもしなかったような福音の扉が... [続きを読む]
  • 罪を赦す権威
  • ■聖書の箇所 ルカ5章17〜26節 四人の人々は、中風の人と心を一つにして、主イエスならば、必ず助けてくださるに違いないと信頼して、最後まで突き進みました。主イエスは、彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われたのでした。 イエス・キリストは、この人にもうあなたの罪は赦されましたと、宣言されているのです。しかし、その宣言を聞いて、律法学者とパリサイ人たちは、反発します。「神へ... [続きを読む]
  • キリストのように
  • ■聖書の箇所 テモテ第二  2章1〜21節 メッセージ 川原崎 晃 師 パウロは、イエス・キリストにとらえられ、彼の存在と生涯に刻み込まれていました。それゆえに、「イエス・キリストを思い起こしなさい」と勧めています(8節)。Ⅰ.共に恵みの主に仕える 1〜8節 パウロは、キリストによる過去・現在・将来にわたる大いなる救いの恵みに与っていることに堅く立ち続けていました(1章9〜10節)。弱さ... [続きを読む]
  • 新しく生まれる
  • ■聖書の箇所 ヨハネ3章1〜21節 ローマ人への手紙10章17節に、次のような御言葉があります。「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである」と。 信仰とは、イエス様を救い主として信じること、その言葉を聞いて信じることです。キリストの言葉を聞いて、その言葉を素直に受け入れてください。心に信じて、本当にそうです。アーメンですと、言ってください。そのとき... [続きを読む]
  • 一切の秘訣
  • ■聖書の箇所 ピリピ4章12、13節   メッセージ 久保木 勁師 ここで、使徒パウロが言っている「秘訣を心得ている」の「秘訣」とは、「物事に対処するのに特別に良い方法」のことであり、「心得ている」とは「身につけているということ」なのです。それを、11節では、「学んだ」と言っているのですが、それは、テレビのCMにも使われている「何かを学ぶのに、自分で経験する以上に、いい方法はない」という... [続きを読む]
  • 約束の虹(父の日歓迎礼拝)
  • ■聖書の箇所 創世記9章1〜17節 洪水物語が伝えるメッセージは、基本的には、神は人の罪を見逃すようなお方ではないということです。しかし、それだけではありません。洪水の後、暗く、憂鬱な空に現れて美しく輝いていた虹を、神さまはご自分の愛と真実の約束の保証として、私たちに指し示してくださったのです。 神は言われます。この虹を見たら、わたしは思い起こす、と。私たちは虹を見落とすかもしれません。思... [続きを読む]
  • 神と共に歩む
  • ■聖書の箇所 創世記6章5〜9節 ノアについて、信仰の書と呼ばれるヘブル人への手紙11章には、次のように記されています。7節、「信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった」と。 ノアは主の前に恵みを得た幸いな人でした。そのように、私たちはただ神の恵み... [続きを読む]
  • すべての人に注がれる神の霊
  • ■聖書の箇所 使徒行伝2章1〜21節 昔、主の霊は、ごく限られた一部の指導者たちの上に注がれていました。しかし、主イエスがすべての人々のために十字架におかかりになり、すべての人々のために死からよみがえられた後は、主イエスを信じるすべての人に、わけへだてなく主の霊が注がれるようになりました。 17節に「神がこう仰せになる。終わりの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむ... [続きを読む]
  • 待望と祈り
  • ■聖書の箇所 使徒行伝1章6〜14節 宗教改革者ジャン・カルヴァンは「キリストの昇天」について、次のように述べています。 「キリストは天に上げられ、肉体は、われわれの目の前からは取り去られた。だが、それはなお地上の信仰者たちのもとに、ともにいることをやめたのではなく、以前よりも、もっと有効な力をもって、天をも、地をも支配されるためであった。」こうして、キリストの弟子たちが、キリストの証人と... [続きを読む]
  • あなたは、どこにいるのか
  • ■聖書の箇所 創世記3章 創世記3章は、聖書全体を凝縮した箇所であると言われています。神によって造られ、「はなはだ良かった」と記された人間がどのようにして神に対して罪を犯し、堕落していったのかということが、誰にでも分かる印象的な表現で描かれている箇所です。6節に「女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共に... [続きを読む]
  • 神に造られた人
  • ■聖書の箇所 創世記1章27節、2章4〜7節 神様は、「わたしに似ているように、人を造ろう」と言われました。まず、土で人の形を造ってからその鼻にいのちの息を吹き込みました。すると、土でできた人の形に命が入り、人は本当の意味で生きた者となりました。他の生き物との違いは何でしょうか。人は、神を信じ、礼拝することができます。神様に祈り、お話しをすることができます。動物は、礼拝や祈りをしませ... [続きを読む]
  • 天地創造
  • ■聖書の箇所 創世記1章 「はじめに神は」聖書冒頭のこの言葉は、聖書全体にとって欠かすことのできない導入であり、すべての物事は神が主導権をとっておられるということを宣言する言葉です。初代教会の指導者の一人であるアウグスティヌスは、次のように言っています。「神様は無から有を創造されました。何もないところから神様がお持ちの力によって一切のものが造られた。しかも、神様は、何か機械を作るとい... [続きを読む]
  • 共に歩むイエス
  • ■聖書の箇所 ルカ24:13〜43 エマオ途上の弟子たちは、彼らに聖書を説き明かしてくださったお方との交わりの中で心開かれ、主イエスのことを深く知ることができました。主の姿が見えなくなったときに、彼らは語り合います。 「道々お話になったとき、また聖書を説き明かしてくださったとき、お互いの心が内に燃えたではないか。」そのときにはまだ分からなかった。後で分かった。すぐにわからなくても... [続きを読む]
  • 開かれた心、開かれた手
  • ■聖書の箇所 申命記15章7節〜11節 日本国際飢餓対策機構啓発総主事 田村 治郎師 この世界には、わたし達と同じ地球、同じ時代を生きていながら貧困や飢えによって失われる命が4秒に1人あります。その命は生まれた場所に関係なく、創造主なる神のかたちに似せて作られた、イエスキリストの贖いにふさわしい価値を持っています。一人として、不当な扱いを受けることに「ふさわしい」命はありませ... [続きを読む]
  • 主イエスの復活
  • ■聖書の箇所 ヨハネ20章1〜18節 主イエスの復活は、現代の私たちだけではなく、昔の人々にも、理解することのできない出来事でした。それは、十字架よりも、はるかに受け入れることのできないこと、信じることのできないことでした。しかし、主イエスの復活の事実が人を変え、教会を生み出し、世界を変え、支えてきたのです。 そして、その信じ受け入れることの困難な出来事を、どのようにして、最... [続きを読む]
  • 主イエスの十字架
  • ■聖書の箇所 ヨハネ19章17〜30節 十字架に向われ、十字架につかれた主イエスをどのように見るかということは、キリスト信仰にとって、最も重要なことです。ある人々にとって十字架は飾りです。またある人にとって十字架は、恥そのものです。また、ある人々にとって十字架は復活と栄光に至るまでの通過点にしかすぎません。しかし、ヨハネはそのように主イエスの十字架を描くことをしませんでした。十字架の... [続きを読む]
  • 真理とは何か
  • ■聖書の箇所 ヨハネ18章28〜40節 ローマ総督ピラトは、主イエスに何の罪も見出すことができませんでした。しかしこの後、人々は、彼の提案である「恩赦によって、強盗のバラバを釈放するか、それとも主イエスを釈放するか」という二者選択に対して、強盗のバラバを釈放するようにと、叫び出すのでした。40節「すると彼らは、また叫んで、『その人ではなく、バラバを』と言った。このバラバは強盗であ... [続きを読む]
  • 父と子が一つであるように、キリスト者も一つになる
  • ■聖書の箇所 ヨハネ17章20〜26節  メッセージ  中出 幸子姉 (信徒・教会役員)  教会が「一つにまとまる」ということは難しいことであるが、それを可能にするのは何か。 第一の鍵が、22節である。神とイエスが「一つ」であるように、教会も「一つ」になるためである。教会が「社会における集団と唯一区別」するのは、キリストを信じる信仰(キリストの生涯・行為・御言葉・力あ... [続きを読む]
  • 常に主を前に置いて
  • ■聖書の箇所 詩篇16篇8〜9節 メッセージ 久保木 勁師 「常に」が、新改訳では「いつも」となっています。「時々」ではなくて、「いつも」と言うのです。原典を直訳すれば「来る日も来る日も」であって、「毎日」ということに他なりません。「日曜日に、教会で、礼拝で」ではなくて、「日常生活の中で、毎日」なのです。 「主を前に置く」とは、第一に、「主の臨在(=今、ここにおられる... [続きを読む]
  • ろばの子に乗るイエス
  • ■聖書の箇所 ヨハネ12章9〜19節 世界に平和をもたらす手段は、軍事的力によるのではなく、平和的な手段でなければなりません。「剣をとる者はみな、剣で滅びる」という主イエスの言葉に耳を傾けるべきです。そして、私たちは、平和の象徴であるろばの子に乗って、すべての人々の救いのために十字架につくため、エルサレムに入城された主イエスを絶えず、思い起こし、祈りつつ、平和をつくり出す者とされ... [続きを読む]
  • ナルドの香油
  • ■聖書の箇所 ヨハネ12章1〜11節 本日、注目させていただくのは、マリアの行動です。ここで、マリアが思い切ってとった主イエスへの感謝の行動は、独特のものでした。このときに使われた香油は300デナリ、つまり300日間の一家の生活費に相当する金額のものでした。それほどに高価な香油がこの時、主イエスの足に注がれたのです。理性的に考えれば、香油を注ぐというようなことは明らかに無駄使いです。... [続きを読む]
  • 私は正しい人?罪人?
  • ■聖書の箇所 ルカ5章27〜32節  メッセージ 津村 誠神学生 レビは、どのような思いで座っていたのでしょうか。お金持ちになれてうれしい反面、罪悪感もあったかもしれません。しかし、イエス様の話しをおそらく聞いていたことでしょう。イエス様に「わたしに従ってきなさい。」と言われただけで、彼は「いっさいを捨てて」従いました。彼は、自分がそれまで頼みとしていたお金をギブアップし、イ... [続きを読む]
  • 謙遜な信仰
  • ■聖書の箇所 列王記下5章1〜19 生まれつきの盲人が、主イエスからつばで作った泥を塗ってもらい、シロアムの池で洗えと命じられたときに、その勧めに素直に聞き従い、見えるようになったという記事がヨハネの福音書9章に記されています。生まれつきの盲人が泥を目に塗り、池に行ってあらうだけでその目が開かれるということは信じがたいほどに単純なことでした。しかし、彼は主と主の言葉に聴き従って癒... [続きを読む]
  • 主は生きておられる─エリヤの神―
  • ■聖書の箇所 列王記上18章15〜24節 エリヤは旧約を代表する預言者で、人々を神に立ち返らせるために立てられた神の器です。彼がアハブ王の前で、干ばつを預言してから3年が経過していました。ここで、エリヤは、雨が降らないのは、エリヤのせいであるとして彼を捜しだし、殺そうとしていたアハブ王に仕えるオバデヤという高官に、「わたしの仕える万軍の主は生きておられる」と、告げます。「主は生き... [続きを読む]
  • 神の知恵を求める
  • ■聖書の箇所 列王紀上3章3〜14節 就任当初のソロモンは、主なる神を第一として純粋に礼拝をささげ、主を喜ぶ心を持っていました。聖書はそのような彼を、3節で「ソロモンは主を愛し、父ダビデの定めに歩んだ」と評価しています。主なる神は、そのことを喜び、ソロモンの捧げものを受けて、その夜、夢の中で彼に語りかけられるのでした。「あなたに何を与えようか、求めなさい」と。ソロモンの答えは賢明... [続きを読む]