DUGON(ジュゴン) さん プロフィール

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DUGON(ジュゴン)さん: 幸せを約束する聖書の言葉
ハンドル名DUGON(ジュゴン) さん
ブログタイトル幸せを約束する聖書の言葉
ブログURLhttp://d.hatena.ne.jp/Dugon/
サイト紹介文あなたが聖書のみ言葉に接するとき、心に満足と喜び平安が与えられます。
自由文日々、神様が私共に与えてくださる聖書のみ言葉を通して、生きる力と助けを得たいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供128回 / 365日(平均2.5回/週) - 参加 2010/06/15 11:18

DUGON(ジュゴン) さんのブログ記事

  • 光の降誕祭(クリスマス)・・・(2)神、共にいる
  •  私たちは阻害され、日常の平穏な生活から隔離され、差別された生活を強いられたとき、どこに幸せを見い出すことができるでしょうか。 イエス・キリストをとおして、神が共にいるという約束以外にはないのです。 「初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」とあるのは、イエスのご臨在が、場所と時を越えて、真の幸せを人類にもたらすということを明らかにするため [続きを読む]
  • 光の降誕祭(クリスマス)
  •  エゼキエル書37章の枯れた骨の話を思い出します。 預言者エゼキエルに見せられたのは、谷間を埋め尽くす、枯れた骨でした。 それは、バビロンに捕らえられたイスラエルの人達の姿でした。 絶望的なイスラエルの姿であったのです。 そのイスラエルの人達が、聖霊によって生き返る預言がなされています。 クリスマスは、イエス・キリストがこの地上にくることで、人々に命と愛と喜び、希望をもたらしたのです。 ルカによる [続きを読む]
  • 賛美歌「きよしこの夜」の誕生
  •  世界で、誰でも知っている歌が三つあると言われます。 それは「ハッピー・バースディ・トゥ・ユー」、「蛍の光」、そして「きよしこの夜」です。 「きよしこの夜」は、1818年、オーストリアのオーベルンドルフのある教会で作られました。 オーベルンドルフは、ザルツアッハ川沿いにあり、川が氾濫するたびに、教会のある一帯は水浸しになりました。 それが、教会の古いパイプオルガンに悪影響を与え、遂に1818年のク [続きを読む]
  • クリスマスを迎えて
  •  クリスマスの季節になりました。 クリスマスに関する聖書の個所を確かめていきましょう。 イエス・キリストの誕生に関する聖書の御言葉と解説 イエス・キリストの誕生が予告される (1)ルカによる福音書1章26節〜38節(新約100ページ) 「六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマ [続きを読む]
  • 生ける水の流れ(5)・・・岩を打つ
  •  仮庵の祭、あるいは仮小屋の祭は荒野の生活を守り導いてくださった神様を礼拝する儀式だったのです。 ところが、人々はその祭の真の意味を忘れて、ただ儀式を守ることにのみ没頭していたのです。 人々は長い期間の祭に疲れを覚えた頃でした。 その日は最後の「祭の大事な日」でした。 イエスは声を張り上げて言われました。37.祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところ [続きを読む]
  • 生ける水の流れ(4)・・・わたしはそのかたのもとからきた者
  •  1.そののち、イエスはガリラヤを巡回しておられた。ユダヤ人たちが自分を殺そうとしていたので、ユダヤを巡回しようとはされなかった。 2.時に、ユダヤ人の仮庵(かりいお)の祭が近づいていた。 3.そこで、イエスの兄弟たちがイエスに言った、「あなたがしておられるわざを弟子たちにも見せるために、ここを去りユダヤに行ってはいかがです。 4.自分を公けにあらわそうと思っている人で、隠れて仕事をするものはありません。あ [続きを読む]
  • 生ける水の流れ(1)
  •  仮庵(かりいお)の祭は、過去の荒野の40年の生活を記念して行われる三大祭の一つです。 その祭の中で、イスラエルの民が、旅の途中で飲み水がなくて、困ってモーセと争って水を要求した時、神はモーセに岩を杖でもって打つようにと命じ、その打たれた岩から水が出て、人々に水を供給した事件を思い出すことになっていました。 それは、岩より流れた水を記念して仮庵の祭の中で、水をシロアムの池から一瓶汲んできて奉献する [続きを読む]
  • 御顔を求めて
  •  詩編の言葉の一つ一つが自分の霊的状態や信仰の姿をそのまま写しているようで、とても励まされることがあります。 詩編42編は、自分の置かれた状態に励ましになった箇所です。 特に、2節、3節、5節がそうです。 詩編42編は、ダビデがサウル王に追われて逃亡生活の中で作った詩編ではないかと言われています。 サウル王に命を狙われ、3年から4年の間、転々として逃亡しているわけですが、その苛酷な生活は、とても私 [続きを読む]
  • 復活の主を見る
  • 「夜は暗いが、義の太陽が彼らを照らしている。彼らの心は喜びおどる。彼らは、新しい世界にいるような気がする。キリストは生きておられる救い主である。彼らはもはやキリストが死んでおられると言って嘆かない。 キリストはよみがえられたのだと、彼らは何度も何度も繰り返す。この知らせを彼らは悲しんでいる者たちに伝えるのだ。彼らはエマオの道中の不思議な話しを弟子たちに語らねばならない。彼らは途中で誰と一緒になっ [続きを読む]
  • ペテロの改心・・・(3) 敵意という隔ての壁を取り壊し
  •  エフェソ人の信徒への手紙2:14〜18(新共同訳) 「実に、キリストは、わたしたちの平和であります。 二つのものを一つにし、ご自分の肉において、敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。 こうしてキリストは双方をご自分において一人の新しい人を造り上げて平和を実現し、十字架を通して両者を一つの体として神と和解させ、十字架によて敵意を滅ぼされました。 キリストはおいでにな [続きを読む]
  • ペテロの改心・・・(2)
  •  ペテロが偏見や差別をとり除くのに神様がお見せになった幻は、「清くないもの、汚れたものを屠って食べなさい」ということでした。 この幻が異邦人、即ちユダヤ人以外の人を清くない、汚れたものと思ってはいけないということをペテロに示していたのでした。 外国人は、汚れたもの、清くないもの、だから交際しないと宗教的に決められていました。 28節、29節にそのように書かれています。 28ペテロは彼らに言った、「あ [続きを読む]
  • ペテロの改心・・・(1)
  •  使徒行伝10章、11章は長い物語になっています。というのは、とても大切な出来事がとり扱われているのです。 イエス様は弟子たちに「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となる」と言われました。即ち、全世界に証人となって伝道しなさいといわれました。 この10章11章は、地の果てに伝えるのに、その壁を乗り越える大きな経験でした。それはペテロの経験であるばかりでなく、エルサ [続きを読む]
  • 光が見えなくても(2)
  •  イザヤ書50章4節から9節までは、主の僕であるイエスの預言があります。 僕である主イエスの働きは苦難の時でも、父なる神のみ心を行うことでした。即ち、神のみ言葉を行うことでした。言葉は神の意志のあらわれです。 イエスご自身も、神の言葉でした。神の言葉としてそのみ心を果たしたのです。 主の僕に聞き従うとは、具体的には、聖書の言葉を通して、イエス様に従う、神様に従うことです。 またそれは、聖書のみ言葉 [続きを読む]
  • 光が見えなくても(1)
  • 「お前たちのうちにいるであろうか主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。闇の中を歩くときも、光のないときも主の御名に信頼し、その神を支えとする者が。見よ、お前たちはそれぞれ、火をともし松明を掲げている。行け、自分の火の光に頼って自分で燃やす松明によってわたしの手がこのことをお前たちに定めた。お前たちは苦悩のうちに横たわるであろう。」    イザヤ書50章10節、11節 光が見えない暗闇の中でも神様に頼 [続きを読む]
  • それはどんなことか
  •  ルカによる福音書24章15節に「話し合い、論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた」とあります。 二人の弟子がエルサレムから約11キロ離れたエマオという村へ行く途中でした。彼らは、あとにでてくるイエスに関することで、熱心に論じ合っていました。 そこへイエス・キリストが加わったのです。そして、彼らに「歩きながら、語り合っている話しはなんのことなのか」と問われたのでし [続きを読む]
  • 天の霊的祝福
  •  新約聖書のエフェソ書を少しずつ学んでいます。 エフェソ書1章3節には、神に対する賛美と感謝がでています。   特に、エフェソ書の1章に記されている賛美の理由を教えられました。 神は、キリストにあって「天の霊的祝福」でわたしたちを満たしてくださったと述べられています。 そして、4節から14節までに、霊的祝福の具体的な出来事が次々と述べられています。 賛美の土台となる祝福について、最初に出てくるの [続きを読む]
  • 神の恵みの場
  •  「ペテロは落胆していた。一晩中かかっても何もとれなかったのである。そのひとりぼっちの時間の間中、彼は牢獄の中でただ一人苦悩しているバプテスマのヨハネの運命について考えていた。彼はイエスと弟子たちの前途や、ユダヤに対する使命の不成功や、祭司たちとラビたちとの敵意などについて考えていた。彼自身の商売さえ思わしくなかったので、空っぽの網のそばで見つめていると、落胆のために将来は暗く見えるのだった。」( [続きを読む]
  • 主イエスの方から近づかれた
  •  ルカによる福音書5章2節に「漁師たちは・・・網を洗っていた」とあります。 多くの群衆がイエスのまわりに集まっている中で、ペテロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブたちは、どうも網を洗っていたようです。 積極的にイエスの話しを聞こうと準備しているようには聖句からは見受けられません。 あたかもイエスと群衆をよそに、ペテロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブたちは、黙々と網を洗っていたようにも見受けられます。 しかしイエ [続きを読む]
  • 神の言葉を語るイエス・キリスト
  •  ルカによる福音書5章1節から3節を見ると、イエスがゲネサレト湖畔(マルコによる福音書では、ガリラヤ湖のほとり)の群衆にシモンの舟から神の言葉を語っています。 4節から7節を見ると、イエスの言葉に従って網をおろしてみると、沢山の魚がとれた話が載っています。 8節から11節は、み言葉に従ったとき、たくさんの魚が獲れた奇跡を見て、ペテロはイエス・キリストを神の子と知り、ひれ伏し、そのペテロに弟子の召命 [続きを読む]
  • 聖アウグスティヌス「告白」(上) 岩波文庫から
  •   「それでわたしは哀れな声を張り上げて言った。「もうどれほどでしょうか。もうどれほどでしょうか。明日でしょうか。そして明日でしょうか。なぜ今でないのですか。なぜ今がわたしの汚辱の終りでないのですか。」 わたしは、このように訴えて、わたしの心はひどく苦しい悔恨のうちに泣いていた。するとどうであろう。隣の家から男の子か女の子かは知らないが、子供の声が聞こえた。そして歌うように「取って読め、取って読め [続きを読む]
  • 真の信仰
  •  三浦綾子さんが、昭和21年、肺結核になりました。当時結核はひどく嫌われていました。親戚の人が見舞いに来ても会わずに帰っていったというのです。 そのような中で、新興宗教の信者さんが執拗に入信を勧めたり、他の布教師がやってきて教えを説いたりしたというのです。 その中でキリスト教を求めはじめ、祈りの中で、「神よ、どうか御心にかなうならばこの病気をお癒しください。」と祈るようになったというのです。 とこ [続きを読む]
  • 豊かに実を結ぶ
  • 「主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人  その人は流れのほとりに植えられた木。 ときが来れば実を結び 葉もしおれることがない。 その人のすることはすべて、繁栄をもたらす」 (詩編1篇2節、3節)。 詩編1篇2節、3節は、わたしの心に響く聖句です。 神のみ言葉を求めていく時、主にある幸いを思います。様々なことがあるなかで、主にあるときそこには主のお恵み深い御心を感じます。そして、そこに信仰で理解で [続きを読む]
  • わたしたちの祈りの姿勢
  •  イエスは、ルカによる福音書18章7節、8節で「まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しい裁きをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。」と言われました。 そうではない「神はすみやかに裁いてくださる」と言われるのです。そのために、不義な裁判官のたとえを話されたのです。 当時、やもめは貧しい者、弱い者の象徴でした。彼女は不正にも虐げられていたので、裁判官に訴えたのでした。とこ [続きを読む]