DUGON(ジュゴン) さん プロフィール

  •  
DUGON(ジュゴン)さん: 幸せを約束する聖書の言葉
ハンドル名DUGON(ジュゴン) さん
ブログタイトル幸せを約束する聖書の言葉
ブログURLhttp://d.hatena.ne.jp/Dugon/
サイト紹介文あなたが聖書のみ言葉に接するとき、心に満足と喜び平安が与えられます。
自由文日々、神様が私共に与えてくださる聖書のみ言葉を通して、生きる力と助けを得たいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供152回 / 365日(平均2.9回/週) - 参加 2010/06/15 11:18

DUGON(ジュゴン) さんのブログ記事

  • 福音を恥としない(3)・・・救いをもたらす神の力
  •  マルコによる福音書8章38節に、イエス・キリストの言葉があります。「邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう。」  イエス・キリスト自身の中に、またその教えに対して、恥じることがあるというのです。 しかし、パウロは「わたしは福音を恥じとしない」と16節で宣言します。 恥と思わせる [続きを読む]
  • 福音を恥としない(2)・・・愚かにみえる
  •  ローマ人への手紙1章15節には、 「そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。」(口語訳) 新共同訳では、「是非…福音を告げ知らせたいのです」とパウロは言っています。 また、ある人は、この同じ個所を「心が熱する」と訳しています。心が熱してきて、どうにかして、福音を伝えたいと、パウロは言うのです。 パウロは、福音によって救われる、即ち、イエス・ [続きを読む]
  • 福音を恥としない
  • パウロはローマ人への手紙1章14節で、 「わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。」と述べています。 「果たすべき責任がある」という言葉の中に、神様の大きな憐れみとお恵みをみます。 具体的には、パウロの劇的な回心と、異邦人への使徒にされたという、神様のお恵みと憐れみです。 新改訳聖書を見ると、 「私はギリシャ人にも、未開人にも、知識のある人にも知識のな [続きを読む]
  • イエス・キリスト
  •  エペソ人への手紙からのお話しです。 「1:1神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。 1:2わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。1:3ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し…」(エペソ書1章1節〜3節) [続きを読む]
  • 朝7時の祈り
  •  私たち夫婦は、11月18日の水曜日に、羽田を出発して沖縄に向かいました。辺野古のキャンプシュワブのゲート前へ行くためです。 本来なら、朝7時の工事機材搬入車両を阻止するために、ゲート前に座り込んでいる人たちと一緒になって、座り込みをするべきですが、妻まり子が難病を抱えるため、そこにいる人たちに会うだけでもと考えて出かけました。 翌19日の木曜日午前10時、県庁広場を「島ぐるみ辺野古バス」に乗って [続きを読む]
  • アメージング・グレイス (驚くべき御恵み)
  • 1.驚くべき恵み  何と胸をときめかせる言葉か  私のような無頼漢をさえ救いたもうたとは!  私はかつて失われていたのですが、  今や神に見いだされ、  かつて目が見えなかったのですが、  今やみることができます。2.み恵みが私に恐怖を教え、  そのみ恵みが私を  恐怖から救ってくれました。  そのみ恵みは、何と貴く見えたことでしょうか、  私が初めて信じたときに!3.多くの危険、困難や誘惑を   [続きを読む]
  • 玉城ハルさんの証(11)・・・神様の言葉によって生かされる
  •  それから機会ある毎に先生から神様のお話を聞くようになりました。もう死ぬことを考えることもなくなりました。 それにしても、人に生きる力を与えることも、死に向かわしめることもできる、この言葉というもののなんと扱いの難しいことか。 ただ神様の言葉だけが、本当の命の鍵を握っているのだと気づくまでには、まだまだ時間を必要としたのですが、この時、まさに神様の言葉によって生かされる経験をしていたのでした。 昭 [続きを読む]
  • 玉城ハルさんの証(10)・・・神様との初めての出会い
  •  島袋昌子先生の御主人は、小学校の校長をはじめ、県視学、教育庁主事など一生を教育に捧げた教育者であり、著名な沖縄研究者でもある島袋源一郎先生です。 その源一郎先生の思い出や、源一郎先生が亡くなったとき(昭和十七年、五十六歳だったそうです。)本当に心細かったこと。 県内での最高学府を修めさせ、まさにこれからというときに、結核で亡くされた二人の子供(長女は沖縄にいましたが、長男はさらに上級の鹿児島の五 [続きを読む]
  • 玉城ハルさんの証(9)・・・死ぬ決意
  • そんなある日、小さい頃から私をとてもかわいがってくれたある人からこんなことを言われました。 「あんたに徳がないから、次々に子供を失くして苦労するんだよ。」 もちろん悪気があったわけではなく、彼女はなんとか私を慰めようといろいろ言ってくれていたのですが、それらはほとんど耳に入らず、ただその言葉だけが胸に刺さってきたのでした。 (ああ、そうか。私がいけなかったんだな。私が生きていると、残された二人の [続きを読む]
  • 讃美歌 320番 主よみもとに近づかん
  • そんなある日、小さい頃から私をとてもかわいがってくれたある人からこんなことを言われました。 「あんたに徳がないから、次々に子供を失くして苦労するんだよ。」 もちろん悪気があったわけではなく、彼女はなんとか私を慰めようといろいろ言ってくれていたのですが、それらはほとんど耳に入らず、ただその言葉だけが胸に刺さってきたのでした。 (ああ、そうか。私がいけなかったんだな。私が生きていると、残された二人の [続きを読む]
  • 玉城ハルさんの証(8)・・・辺野古の捕虜収容所で
  •  六月十六日、照りつける灼熱の太陽の中、私たち今帰仁村兼次の部落民は全員、米軍の大型トラックに乗せられ辺野古の捕虜収容所に送られました。 末子の京子は、風邪をひいたうえ、暑い中まる一日もトラックに揺られたために病状が悪化し、翌日、九ヶ月の命を閉じました。 この時、両手にしっかり掴んでいたはずの大切なものを、次々と失い、自分のすべてが終ってしまったのだと思いました。張りつめていた糸が切れ、立っていら [続きを読む]
  • 玉城ハルさんの証(7)・・・生きていかねば
  •  その数日後、降伏して部落民は全員村に戻ることになりました。 そこで私を待っていたものは、伊江島から帰ってきた戦友による、夫が行方不明であるとの知らせでした。 夫は二十日未明、左胸に重傷を負い、そのまま行方知れずになってしまったというのです。 私は、おそらく夫はもう生きてはいないだろうと思いました。 これから一体どうしたらいいのか、まったく途方にくれてしまいました。 しかし、生きていかねばなりませ [続きを読む]
  • 玉城ハルさんの証(6)・・・軍服姿で現れた夫
  •  四月十七日、いつものように杉林の水場で、みんなの昼食の片付けを終えた後、ぼんやりお椀た乾くのを待っていると、夫が軍服姿で現れ、 「覚悟はできているね?」と言うのです。 私はなぜか不思議とも思わず、むしろ自然に、ホッとするような気持で、 「はい。でも、一人で九人もの家族をみることはできないから、早く帰ってきて、必ず帰ってきてね。」と頼みました。 戦争という状況の中で、女手ひとつで家族を支えていくに [続きを読む]
  • 玉城ハルさんの証(5)・・・壕での生活
  •  そんなある朝、父が私たちを訪ねてきてくれました。 そして、「一緒に行こう。」と言ってくれるのです。実家も二十人ほどの家族をかかえているはずでしたので躊躇しました。 しかし父は、「北山の東に自然の壕を見つけたのだから遠慮はいらない。」と言ってくれるのです。それは涙が出るほど嬉しい知らせでした。 おそらく、父はずっと私たちのことを気にかけていてくれたのに相違ありません。 実は、その前から何度も様子を [続きを読む]
  • 玉城ハルさんの証(4)・・・戦場と化した沖縄
  •  昭和十六年に勃発した太平洋戦争で、日本は多大な犠牲を払わなければなりませんでした。  沖縄は本当に美しい島です。おそらく誰にとってもそうであるように、故郷は特別な意味をもってそれを語らねばならない場所ではないかと思います。 そこに住む人々を愛し、育み、慰める自然、生きる糧を与える大地、時には厳しい姿を見せることもあります。 しかし、それらをも含めて、愛さずにはいられないのです。 その故郷が、戦場 [続きを読む]
  • 玉城ハルさんの証(3)・・・最上の贈り物
  •  14年7月、大阪で小さな玩具工場を営んでいた嘉助の長兄、雄一は、妻を亡くし、妻の遺骨とともに、嘉久男・嘉子・百合子・嘉世則の四人の子供を連れて、沖縄に帰ってきました。 遺骨を墓に納め、四人の子供を母親に預けるためです。しかし、子供の養育費を作るために、自分は単身大阪に戻り工場を続けなければなりませんでした。 そのとき、私の父も雄一兄の好意で大阪見物に来ることになりました。父は沖縄から一度も出たこ [続きを読む]
  • 玉城ハルさんの証(2)・・・結婚、出産、長男の死
  •  昭和8年11月、私は同村出身の玉城嘉助と結婚しました。嘉助は宮崎で三年間の兵役訓練を受けていたのですが、11月に除隊が決まったので、大阪で落ち合い、結婚生活に入ったのです。 11年9月、男の子が授けられました。初めての子供でしたので、その喜び、感動はひとしおでした。 今思うと、満州国の建国以来、日本全体を包んでいた高揚感とあいまって、最も幸福な思いにひたっていた時期だったのです。 それにしても、 [続きを読む]
  • 玉城ハルさんの証(1)・・・子供時代
  •  大正6年4月1日、私は今帰仁村兼次で農業を営んでいる、諸喜田源鍋・ウシの二番目の子として生を受けました。 私の子供時代、大正末期から昭和初期にかけて、当時の沖縄を知る方々にはよく理解していただけると思うのですが、ほとんどの家庭がたくさんの子供を抱え、しかも貧しく、生活苦にあえいでいるような状態でした。 我が家も例にもれず、父母は十人の子供を抱え、寸暇を惜しんで働いていました。私は長女でしたので、 [続きを読む]
  • 主の祈り(1)
  •  マタイによる福音書6章9節から13節は、「主の祈り」と呼ばれているところです。「だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えく [続きを読む]
  • 絶えず祈る必要(1)
  •  私共は、祈り無しにクリスチャン生活を送ることは出来ません。 いや人生を送ることができないと言っても過言ではないかと思います。 私は、日々、神様に祈ってお願いしなければやっていけない弱い存在です。 イエスは、世の終りに生活している私たち一人一人に、毎日、毎時間、常にお祈りすることを教えています。  ルカによる福音書18章1節〜8節 18:1また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられ [続きを読む]
  • 永遠のいのち(3)・・・深く同情された
  •  改めて、ルカによる福音書7章11節から17節を読んで、一番感動した箇所は13節の「憐れに思い」、口語訳では「深く同情された」というイエス・キリストの御心です。 私は牧師として、何十年もの間、悲しい場面に接してきました。 それは、合理的に説明したり、割り切ることのできるものではありません。 合理的な説明よりも、また納得や割り切りよりも、奇蹟を何度も期待したかわかりません。 奇蹟が起こることは殆どな [続きを読む]
  • 永遠のいのち(2)・・・「もう泣かなくてもよい」
  •  ルカによる福音書7章13節を見ると、 「主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」(新共同訳)と言われたのです。 口語訳では、「深い同情を寄せられた」とあります。 しかしこの表現では、まだ足りないように思います。 ある翻訳の方が原文に近いと思います。 それは、 「主は・・・彼女に対して、断腸の思いを覚えた」と訳しています。 「断腸の思い」です。 ある牧師は、この箇所を説明して次のよ [続きを読む]
  • 永遠のいのち(1)
  •   「そののち、間もなく、ナインという町へおいでになったが、弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った。町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだので、葬りに出すところであった。大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、「泣かないでいなさい」と言われた。そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいる者たちが立ち止まったので [続きを読む]
  • 弟子たちを変えたイエス・キリスト(4)・・・無力な者の力強さ
  •  ユルゲン・モルトマン説教集の序文に、 「今日私たちは、無力さを日々の生活で経験しています。こうした無力さの経験は、すべての生活の領域でなされるのです。 私たちはいたるところで、予知し、予想することもできない限界に出くわします。そしてまた経済上の成長には限りがあり、政治的な意図にも限界があります。 さらに一個人の自己実現にも限界があるのです。けれどもこれらの限界そのものに問題があるのではなくて、む [続きを読む]