DUGON(ジュゴン) さん プロフィール

  •  
DUGON(ジュゴン)さん: 幸せを約束する聖書の言葉
ハンドル名DUGON(ジュゴン) さん
ブログタイトル幸せを約束する聖書の言葉
ブログURLhttp://d.hatena.ne.jp/Dugon/
サイト紹介文あなたが聖書のみ言葉に接するとき、心に満足と喜び平安が与えられます。
自由文日々、神様が私共に与えてくださる聖書のみ言葉を通して、生きる力と助けを得たいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供143回 / 365日(平均2.7回/週) - 参加 2010/06/15 11:18

DUGON(ジュゴン) さんのブログ記事

  • キリストのみ名によって立ち上がる(2)・・・物ように置かれている存在
  • 使徒行伝3章1節〜10節「3:1さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、 3:2生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。 3:3彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。 3:4ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見 [続きを読む]
  • キリストのみ名によって、立ち上がる
  •  「現代のヨブたち」 ハンセン氏病に罹った人たちが、その中で信仰を持つに至り、どうやって生きてきたかということを書いてある文章です。 ・・・15才になった時、自分の異常に気がつき、赤十字病院に行って、実に簡単に「あなたはハンセン氏病だ」と言われた。 その宣言に自分はもう死んだ方がいいのではないかという思いになったのです。 その当時、ハンセン氏病患者であるということは、とても厳しいことでした。 家族 [続きを読む]
  • しなやかに生きる・・・(2)
  •  「しなやかに生きる」という言葉は、植物の竹の弾力性のある性質を連想し、この言葉をお話の題に選びました。 それは、ガンになり、亡くなっていった一人の医師が、自分の苦しい闘病生活を、丁度雪の重さによって、今にも折れそうで折れない竹に例えて、生きていくことを詩に書いていたことを思い出したからです。 辞書で「しなやか」という言葉を調べてみると、「(曲げても形がくずれず)弾力に富んだ柔らかさがあるさま」と [続きを読む]
  • しなやかに生きる
  • 詩篇37篇の聖句が目に留まりました。詩篇37篇1節〜40節37:1悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。37:2彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。37:3主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。37:4主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。37:5あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、37:6 [続きを読む]
  • イエス・キリストをあらわす・・・(2)
  • 使徒行伝16章25節には、「真夜中ごろ、ペテロとシラスとは神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは、耳をすまして聞きいっていた」とあります。 エレン・ホワイトはその著書の中で、「ほかの囚人たちは、奥の獄屋から祈りと歌が聞こえてくるのを、驚きながら聞いていた。彼らは夜のしじまを破って聞こえてくる悲鳴やうめき、のろいや悪口には慣れていたが、陰気な地下室から祈りやさんびの言葉が上ってくるのをこれま [続きを読む]
  • イエス・キリストをあらわす
  •  教会の働きを考えて、成功しなければと考えると、そこには自分のエゴ、利己心が出ることがあります。 エレン・ホワイトの著書「患難から栄光」の中に、パウロは十字架のイエス・キリストを伝える。それがパウロの目的であったと記されています。 私たちは何かと計画するとき、それが成功するかどうか、人間的基準で判断するのでなく、イエス・キリストの十字架を伝える、それを掲げることが第一でなければならない。その時に人 [続きを読む]
  • 喜びのクリスマス
  •  マタイによる福音書2章1節は「イエス」という言葉で始まります。 「イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき…」 イエス・キリストが、この物語の中心であり、主人公であることを示しています。 イエス・キリストは、王でありメシアです。 同じく1節の終りに「占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来た」とあります。 東方と言うと、聖書では、現在のイランからイラク、シリアを含む地域 [続きを読む]
  • 神の御子(3)・・・キリスト以外に救いも解決もない
  •  ヘブル人への手紙1章3節の後半に、 「そして罪のきよめの業をなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右の座につかれたのである。」とあります。 罪のきよめとは、十字架のイエスのみ業、十字架の死を指しています。 イエスの十字架の死は、私共1人1人にとって、罪をきよめるためでした。イエスの十字架の死なくしては、私たちの罪の赦しと清めはないのです。 イエスは、十字架の死を遂げましたが、そのまま墓に横た [続きを読む]
  • 戦後74年目の沖縄戦の記憶
  •  私の戦争の記憶は、74年前、4歳の時に始まります。 外でポンポンポンという音が鳴り、家から出てみると、米軍機が空から爆弾を投下していました。 昭和19年、1944年、10月10日、米軍による那覇市への空爆から始まりました。 当時、私の家族は那覇市に住んでいました。 両親と兄二人、姉、弟の七人でした。 70年以上経った今でも10月10日の米軍による沖縄本島上陸、そして那覇市への爆撃を鮮明に思い出し [続きを読む]
  • 神の御子(2)・・・イエス・キリストは神
  •  ある日、家内が突然話しかけてきました。 「イエス様は、神様なのね。そうでないとこんなに長い歴史の中で、また現在多くに人に神として崇められないわね。」と言いました。 一時的に神と自ら唱え、人々もそのように唱えさせた人は、歴史の中でもいました。 しかし、それは長く続きませんでした。それは権力をもっている限りのことでした。 日本においても、天皇を現人神として拝むことを強要された時代がありました。戦後、 [続きを読む]
  • 神の御子・・・イエス・キリストの語りかけを聞く
  •  ヘブル人への手紙が書かれた背景には、いまだに旧約の律法(儀式律法)を忠実に守っているクリスチャンに宛てられたと言われています。 コロサイ2章17節に、 「これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある」とあります。 影である旧約の儀式律法を熱心に守っている人たちに、イエス・キリストをさし示すことで、儀式律法の目的が成就し、それはもういらない、守る必要のないものであることを示そうと [続きを読む]
  • 十字架のキリストを伝える・・・(3)死を克服する力
  •  当時、ギリシャ人から見ると、十字架の教えは愚かなものでした。 ギリシャ人の考える神は、人間世界から遠く離れ、不動で、何も感ずることができないものと考えていました。 神が嘆き、悲しみ、怒るということは、どんでもない考えでした。神は不動で、変わることがないから、神が人間となる…つまり、受肉といった考えは、ギリシャ人にしてみれば、考えただけで吐き気をもよおす思想でした。 以上のようにみていくと、ユダヤ [続きを読む]
  • 十字架のキリストを伝える・・・(1)
  •  私が牧師になって40年以上になりますが、その間、両親に対して充分なことができませんでした。  しかし、神のお恵みで、母は90歳、あるいは父は100歳以上になるまで永らえました。  私に神御自身が恵んでくださったように思います。一方で、私は今まで何を宣べ伝えてきたのか考えさせられました。  パウロは「十字架につけられたキリストを宣べ伝える」と言いましたが、私は、果たしてキリストを伝えてきただろうか [続きを読む]
  • まことの故郷・・・(3)魂のふるさとへ帰っていく)
  • ヘブル人への手紙11章15節を見ると、 「もし出てきた土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。」とあります。 口語訳では、 「もしその出てきたところのことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう」となっています。 使途行伝7章を見ると、ステパノの演説の冒頭にアブラハムのことが出てきますが、アブラハムはハラン、あるいはカランから出てきたと述べています。 アブラハムが自 [続きを読む]
  • まことの故郷・・・(2)天国
  •  ヘブル人への手紙11章14節に、 「このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかにあらわしているのです」とあります。 「このように言う人たち」とは、「仮住まいの者である」ということを言っている人たち(アブラハム、イサク、ヤコブ)のことですが、口語訳では、「旅人、寄留者」であると表現しています。 アブラハムに将来、アブラハムの孫に与えられると言われる土地で、アブラハムは旅人のよう [続きを読む]
  • まことの故郷
  •  夏目漱石の「三四郎」の終りの方で、三四郎が美禰子という女性が教会堂から出て来るのを待っている所があります。  「やがて、唱歌の声が聞こえた。賛美歌というものだろうと考えた」と述べていますが、三四郎ならざる漱石は多分、本郷中央教会の賛美歌を聞いたと思われます。 当時、本郷中央教会のオルガニストは、岡野貞一という人でした。夏目漱石が、東京朝日新聞に、小説「三四郎」を載せた時には、既に岡野貞一は8年前 [続きを読む]
  • 生ける水の流れ(5)・・・岩を打つ
  •  仮庵の祭、あるいは仮小屋の祭は荒野の生活を守り導いてくださった神様を礼拝する儀式だったのです。 ところが、人々はその祭の真の意味を忘れて、ただ儀式を守ることにのみ没頭していたのです。 人々は長い期間の祭に疲れを覚えた頃でした。 その日は最後の「祭の大事な日」でした。 イエスは声を張り上げて言われました。37.祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところ [続きを読む]
  • 生ける水の流れ(4)・・・わたしはそのかたのもとからきた者
  •  そののち、イエスはガリラヤを巡回しておられた。ユダヤ人たちが自分を殺そうとしていたので、ユダヤを巡回しようとはされなかった。時に、ユダヤ人の仮庵(かりいお)の祭が近づいていた。そこで、イエスの兄弟たちがイエスに言った、「あなたがしておられるわざを弟子たちにも見せるために、ここを去りユダヤに行ってはいかがです。自分を公けにあらわそうと思っている人で、隠れて仕事をするものはありません。あなたがこれら [続きを読む]
  • 生ける水の流れ
  •  仮庵(かりいお)の祭は、過去の荒野の40年の生活を記念して行われる三大祭の一つです。 その祭の中で、イスラエルの民が、旅の途中で飲み水がなくて、困ってモーセと争って水を要求した時、神はモーセに岩を杖でもって打つようにと命じ、その打たれた岩から水が出て、人々に水を供給した事件を思い出すことになっていました。 それは、岩より流れた水を記念して仮庵の祭の中で、水をシロアムの池から一瓶汲んできて奉献する [続きを読む]
  • 獄中から、テモテに送られた手紙
  •  テモテの第二の手紙は、獄中からテモテに送られたものです。 パウロは殉教することが、間近いことを知って個人的な勧めをしています。  「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をする上に有益です。こうして、神に仕える人は、どのように善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」(テモテ第二3章16節、17節)  「しかしあなたは、わたしの教え、歩み [続きを読む]
  • 父親の懺悔の祈り
  •   ダニエルは、私たちに何を与えてくれているのでしょうか。 彼の懺悔(ざんげ)し、祈る姿は、何を意味するのでしょうか。 それは、彼の苦しみであり、嘆きであり、同胞に対する愛であり、神に対する愛を教えています。 そして、彼の祈る姿の中に、又祈りの言葉の中に、神の愛と憐れみと慈愛が溢れ、罪と反逆にある、神に対する限りない赦しが語られています。そして、反逆のイスラエルの神に帰る道が示されています。 母親 [続きを読む]