なんたろ さん プロフィール

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なんたろさん: 周縁自体(なんたろ日記)
ハンドル名なんたろ さん
ブログタイトル周縁自体(なんたろ日記)
ブログURLhttp://nantaro3.blog119.fc2.com/
サイト紹介文名古屋在住の日本キリスト教団無任所教師の日記です。時事、キリスト教ネタ、日記等を記しております。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供23回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2010/08/20 21:02

なんたろ さんのブログ記事

  • 『信仰を持つことと行うこと』(ルカによる福音書9:37〜43a)
  • 『信仰を持つことと行うこと』(2018/11/18)ルカによる福音書 9章 37〜43a節奇蹟物語の核について 今日の奇蹟物語、癒された人は、イエスのもとにやってきた父親の息子であります。そして、病としての症状は、39節に記されています。「9:39 悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。」 そして最初、イエスの弟子たちに頼んだ [続きを読む]
  • 『風立ちぬ、いざ生きめやも』(マルコ福音書6:45〜50)
  • 『風立ちぬ、いざ生きめやも』マルコ福音書6:45〜50なぜイエスは通り過ぎたのか マルコによる福音書6章45節から50節において、イエスさまに促されてか、弟子たちはイエスさまを残して、ガリラヤ湖という湖に船を出しました。ガリラヤ湖はパレスチナ地域の北部にある湖で周囲50Kmほどの湖です。その周りにはイエスの出身地であるナザレや弟子たちが育った町がありました。弟子たちは、その湖に船を出したのですが、その [続きを読む]
  • 『身を献げた主に従う』(マルコ福音書10:35〜45)
  • 『身を献げた主に従う』(2018/8/26)マルコ福音書10章35〜45節エルサレムの道とは わたしたちの信仰というのは、常に「このままで良い」と、今のままではダメで、「変わらなければならない」。そんな二つの意志のどちらか、または、その狭間にあるのではないか、と感じます。そして今日の箇所における弟子たちには、そういった二つの内の一つ、「自分は変化していくのだ。立派になるのだ」という思いと、「評価されたい」 [続きを読む]
  • 『共感、共苦、共同体』(ローマの信徒への手紙12:9〜15)
  • 『共感、共苦、共同体』(2018/8/19)ローマの信徒への手紙 12章9〜15節あるロボットのエピソード 『プルートウ』(浦沢直樹著)というマンガがあります。誰もが知っている漫画家の手塚治虫さんの作品「鉄腕アトム」を元にしたマンガです。マンガの舞台は近未来、その世界ではアトムのように、ロボットがたくさん人間と一緒に生活をしております。ロボットらしいロボットもいますが、人間とは変わらない外見を持つロボット [続きを読む]
  • 『沈黙の声に聴く』(列王記上 19:1〜12)
  • 『沈黙の声に聴く』(2018/8/5)列王記上 19章 1〜12節預言者の問いに答えられない エリヤは、イスラエル民族の王国が南北に分裂していた時代、紀元前570年から550年頃、北側の北イスラエル王国において活動しました。今日の箇所の前の部分、列王記上の18章には、預言者エリヤとバアル神との預言者の対決の場面が記されています。首都サマリアは、ひどい干ばつに襲われ、酷い飢饉に陥っていました。それをエリヤは王国全体 [続きを読む]
  • 『許しの創造性』(ヨハネ福音書8:1〜11)
  • 『許しの創造性』(2018/7/29)ヨハネによる福音書 8:1〜11姦通という罪 今日の箇所、様々な捉え方がされます。イエスの慈悲深さを示す物語として、またイエスが持っている人という存在に対する鋭い視座を示すものとして、またファリサイ派や律法学者たちという論敵に対する見事な知恵の勝利として、など本当に様々な捉え方があります。さらに、ここに出てくる女性は、とある伝承によれば、マグダラのマリアではないか、と [続きを読む]
  • 『神の支配は小さな群れから』(ルカ福音書9:10〜17)
  • 『神の支配は小さな群れから』(2018/7/15)ルカによる福音書 9:10〜17イエスと弟子たちの活動 よく知られている奇跡物語であります。しかし、その解釈において、その受け取り方においては、非常に幅広い物語と言えるのでは無いでしょうか。イエスの奇跡の力に注目する人、その人数、増えたパンと魚の数に注目する人々もいるでしょう。また、この奇跡物語には何らかの小さな出来事が、様々な人々が口伝え、口伝で伝えるこ [続きを読む]
  • 『イエスのパン種』(マルコ福音書8:14〜21)
  • 『イエスのパン種』(2018/7/1)マルコによる福音書 8章 14〜21節舟としての教会 今日の箇所の舞台である船は、キリスト教の伝統において「教会」や一つの「集団」、また、この「世界全体」を指します。一つの教会において、また一つの集団において、また世界において、パンが一つであったとき、どのようなことを考えるでしょうか。世界中に、パンが一つしかない、ということはあり得ないことです。ですが、世界が置かれて [続きを読む]
  • 『エルサレムへの道の捉え方』(マルコ福音書10:32〜34)
  • 『エルサレムへの道の捉え方』(2018/6/24)マルコ福音書10章32〜34節受難予告と弟子たち 受難予告は、マルコ福音書において、三カ所あり、今日の箇所が最後の箇所であります。そして、イエスと弟子たちの思いの違いを明確に表しております。弟子たちは、イエスがエルサレムへ向かうということは、新しいメシアになるものである、という理解でその言葉を聞いています。また、受難などあり得ない。メシア、つまり弟子たちに [続きを読む]
  • 『ヘロデ家の因果応報』(ルカ福音書9:7〜9)
  • 『ヘロデ家の因果応報』(2018/6/17)ルカによる福音書 9章 7〜9節ヘロデ家という背景 今日の箇所にも触れられていますが、福音書の中には、バプテスマのヨハネを、宴会の余興のような形で斬首したという記事があります。このヘロデは、息子のヘロデ・アンティパスといいます。そして、この二人を区別するため、イエスが生まれた時代のヘロデを、「ヘロデ大王」と、今日の記事に登場するヘロデを、ただの「ヘロデ」、もしくは [続きを読む]
  • 『放浪宣教の手引き』(ルカ福音書9:1〜6)
  • 『放浪宣教の手引き』(2018/5/13)ルカによる福音書 9章 1〜6節弟子の派遣についてイエスは弟子たちを宣教に派遣するにあたって、まず弟子たちにある力を授けています。9章1節。「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。」 どのような力か、分かりません。しかし、そうした力によって弟子たちは、自らの存在の確かさ、神の使者としての正統性を示したのでしょう。そして [続きを読む]
  • 『神のみに信頼を寄せて』(マルコ福音書10:23〜31)
  • 『神のみに信頼を寄せて』(2018/4/22)マルコ福音書 10:23〜31誰が救われるか 今日の箇所は、「財産についての勧告」として、読むことが出来ます。が、23節のイエスの言葉「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」この言葉をそのまま受け取りますと、この直前の箇所、「財産をもつ青年」がイエスの前から悲しみながら、去っていったように、誰でも少しばかりの蓄えはあるものであり、私達も悲しむべき存在 [続きを読む]
  • 『信仰の原点としての復活』(ヨハネ福音書20:19〜29)
  • 『信仰の原点としての復活』(2018/4/8)ヨハネによる福音書 20章 19〜31節ヨハネ福音書における受難と復活 ヨハネ福音書の特徴は、一貫して、イエスが神と共にいた存在として描かれているところにあります。 有名なヨハネ福音書の冒頭、1章1節「1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」また、1章14節をお読みします。「1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見 [続きを読む]
  • 『今も続く裏切りと許し』(マルコ福音書14:32〜42)
  • ?『今も続く裏切りと許し』(2018/3/18)マルコによる福音書14:32〜42祈り 「祈り」というのは様々な宗教に見られることです。宗教にとって、また人にとって普遍的なことと言ってもいいかもしれません。「祈り」とは何か、キリスト教の枠内においては、神との対話、という言葉が一番適切ではないか、と思います。しかし礼拝の中でなど祈られる祈りには何かしら制約がかかる、ということを意識したりします。私が小学生の [続きを読む]
  • 「持つ者と持たざる者の救い」(マルコ10:13〜22)
  • 『持つ者と持たざる者の救い』(2018/3/4)マルコ福音書 10;13〜22神を知るということ 今日の箇所、イエスと弟子以外に二人の登場人物が現れます。問題となっているのは、それぞれ「神の国に入ること」、「永遠の命」を得ることとなっていますが、内容的には、同じことです。そして、こうした箇所から私たちはイエスの意志、神の意志を触れ、自分たちの生きる指針にしていくわけです。そうした積み重ねの中において、イエ [続きを読む]
  • 『癒やしという形の救い』(ルカ福音書8:40〜55)
  • 『癒やしという形の救い』(2018/2/18)ルカによる福音書 8:40〜5512年間の病いと、12歳の病い今日の箇所では12年間も出血に悩んでいる女性が登場します。この女性の「病」は当時は血というだけで「穢れたもの」として捉える文化でありました。女性の生理についても穢れたものとして捉えられます。生理中そしてそれ以後一週間は神殿に入ることが出来ないなどの律法があったほどでありました。レビ記15:25〜27に [続きを読む]
  • 「『多数だから』こその痛み」(ルカ8:26〜39)
  • 「『多数だから』こその痛み」(2018/1/21)ルカによる福音書  8章 26〜39節ユダヤにおけるローマ帝国軍 福音書の中の登場人物、ほとんどはユダヤ人であります。しかし、今日の悪霊に取り憑かれた人のように少数の異邦人が登場します。異邦人たちを上げてみます。シリア・フェニキアの女(Mk7:24-30/Mt15:21-28)、ローマ総督だったピラト、ユダヤに駐屯していたローマ帝国の軍隊の兵士たち、そして百人隊長たちローマ兵 [続きを読む]
  • 『隣人への責任と権利』(マルコ10:1〜12)
  • 『隣人への責任と権利』(2018/1/7)マルコ福音書10;1〜12フェミニズム的視点 今日のメッセージを担当するのに、開きました注解書は『女性神学・フェミニズム神学』の視点で書かれたものでありました。そこにはだいたいのこのような趣旨のことが書かれております。「(このイエスの言葉の狙いは)男性が気まぐれに結婚を終わらせるという一方的な特権を無効にするものだった。そうすることで、男性(夫であれ父であれ)のい [続きを読む]
  • 『傷だらけの系図』(マタイ福音書1:1〜17)
  • 『傷だらけの系図』(2017/12/10)マタイによる福音書 1章 1〜17節福音書の冒頭 新約聖書には、福音書が4つ含まれており、それぞれ福音書を生み出した教会や信仰者の信仰が現れています。比較するため、マタイ以外のもの、マルコ、ルカ、ヨハネの書き出しに触れます。マルコ福音書1章1節をお読みします。(P.61)「1:1 神の子イエス・キリストの福音の初め。」 ここにはイエスの物語を小説のように記そうという意識があり [続きを読む]
  • 『神の支配の模索』(サムエル記上 8:1〜22)
  • 『神の支配の模索』(2017/11/26)サムエル記 上 8章 1〜22節サムエルという存在 サムエルは、なかなか子どもが生まれなかった母の子として誕生し、乳離れする年、3歳ぐらいに聖所に預けて、サムエルは聖所で成長しました。サムエルという名は、「その名は神」という意味で、「自分の願いを叶えてくれた神の名を忘れないように」付けられたものでしょう。そして祭司としてサムエルは育てられていきます。そして、立派に成長 [続きを読む]
  • 『犠牲的発想を超えて』(マルコ9:42〜50)
  • 『犠牲的発想を超えて』(2017/11/12)マルコによる福音書 9章 42〜50節地獄 「地獄」と言いますと、ミケランジェロの「最後の審判」などが思い出され、絵画のような想像を膨らましますが、ここで地獄と訳されている「ゲヘナ」というギリシア語は、実際にあるエルサレムの南側にあった谷、「ヒンノムの谷」(ゲー・ヒンノム)という土地の名前を指しております。それが「地獄」と訳されているのはキリスト教ならでは解釈に [続きを読む]
  • 『嵐の中の航路』(ルカ福音書8:22〜25)
  • 『嵐の中の航路』(2017/10/15)ルカによる福音書 8章 22〜25節嵐の中で 嵐の中の舟、右往左往する弟子たち、そして、その嵐に何ら臆することなく、ただの一言で鎮めてしまうイエス。福音書において、イエスの奇跡を思い起こす時、誰もが思い起こす物語の一つでしょう。イエスさまがこの世において表した奇跡はいくつかの種類に分けることが出来ると思います。様々な形で人の病を治療する「いやし」、そしてパンと魚を5000 [続きを読む]