なんたろ さん プロフィール

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なんたろさん: 周縁自体(なんたろ日記)
ハンドル名なんたろ さん
ブログタイトル周縁自体(なんたろ日記)
ブログURLhttp://nantaro3.blog119.fc2.com/
サイト紹介文名古屋在住の日本キリスト教団無任所教師の日記です。時事、キリスト教ネタ、日記等を記しております。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供23回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2010/08/20 21:02

なんたろ さんのブログ記事

  • 『放浪宣教の手引き』(ルカ福音書9:1〜6)
  • 『放浪宣教の手引き』(2018/5/13)ルカによる福音書 9章 1〜6節弟子の派遣についてイエスは弟子たちを宣教に派遣するにあたって、まず弟子たちにある力を授けています。9章1節。「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。」 どのような力か、分かりません。しかし、そうした力によって弟子たちは、自らの存在の確かさ、神の使者としての正統性を示したのでしょう。そして [続きを読む]
  • 『神のみに信頼を寄せて』(マルコ福音書10:23〜31)
  • 『神のみに信頼を寄せて』(2018/4/22)マルコ福音書 10:23〜31誰が救われるか 今日の箇所は、「財産についての勧告」として、読むことが出来ます。が、23節のイエスの言葉「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」この言葉をそのまま受け取りますと、この直前の箇所、「財産をもつ青年」がイエスの前から悲しみながら、去っていったように、誰でも少しばかりの蓄えはあるものであり、私達も悲しむべき存在 [続きを読む]
  • 『信仰の原点としての復活』(ヨハネ福音書20:19〜29)
  • 『信仰の原点としての復活』(2018/4/8)ヨハネによる福音書 20章 19〜31節ヨハネ福音書における受難と復活 ヨハネ福音書の特徴は、一貫して、イエスが神と共にいた存在として描かれているところにあります。 有名なヨハネ福音書の冒頭、1章1節「1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」また、1章14節をお読みします。「1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見 [続きを読む]
  • 『今も続く裏切りと許し』(マルコ福音書14:32〜42)
  • ?『今も続く裏切りと許し』(2018/3/18)マルコによる福音書14:32〜42祈り 「祈り」というのは様々な宗教に見られることです。宗教にとって、また人にとって普遍的なことと言ってもいいかもしれません。「祈り」とは何か、キリスト教の枠内においては、神との対話、という言葉が一番適切ではないか、と思います。しかし礼拝の中でなど祈られる祈りには何かしら制約がかかる、ということを意識したりします。私が小学生の [続きを読む]
  • 「持つ者と持たざる者の救い」(マルコ10:13〜22)
  • 『持つ者と持たざる者の救い』(2018/3/4)マルコ福音書 10;13〜22神を知るということ 今日の箇所、イエスと弟子以外に二人の登場人物が現れます。問題となっているのは、それぞれ「神の国に入ること」、「永遠の命」を得ることとなっていますが、内容的には、同じことです。そして、こうした箇所から私たちはイエスの意志、神の意志を触れ、自分たちの生きる指針にしていくわけです。そうした積み重ねの中において、イエ [続きを読む]
  • 『癒やしという形の救い』(ルカ福音書8:40〜55)
  • 『癒やしという形の救い』(2018/2/18)ルカによる福音書 8:40〜5512年間の病いと、12歳の病い今日の箇所では12年間も出血に悩んでいる女性が登場します。この女性の「病」は当時は血というだけで「穢れたもの」として捉える文化でありました。女性の生理についても穢れたものとして捉えられます。生理中そしてそれ以後一週間は神殿に入ることが出来ないなどの律法があったほどでありました。レビ記15:25〜27に [続きを読む]
  • 「『多数だから』こその痛み」(ルカ8:26〜39)
  • 「『多数だから』こその痛み」(2018/1/21)ルカによる福音書  8章 26〜39節ユダヤにおけるローマ帝国軍 福音書の中の登場人物、ほとんどはユダヤ人であります。しかし、今日の悪霊に取り憑かれた人のように少数の異邦人が登場します。異邦人たちを上げてみます。シリア・フェニキアの女(Mk7:24-30/Mt15:21-28)、ローマ総督だったピラト、ユダヤに駐屯していたローマ帝国の軍隊の兵士たち、そして百人隊長たちローマ兵 [続きを読む]
  • 『隣人への責任と権利』(マルコ10:1〜12)
  • 『隣人への責任と権利』(2018/1/7)マルコ福音書10;1〜12フェミニズム的視点 今日のメッセージを担当するのに、開きました注解書は『女性神学・フェミニズム神学』の視点で書かれたものでありました。そこにはだいたいのこのような趣旨のことが書かれております。「(このイエスの言葉の狙いは)男性が気まぐれに結婚を終わらせるという一方的な特権を無効にするものだった。そうすることで、男性(夫であれ父であれ)のい [続きを読む]
  • 『傷だらけの系図』(マタイ福音書1:1〜17)
  • 『傷だらけの系図』(2017/12/10)マタイによる福音書 1章 1〜17節福音書の冒頭 新約聖書には、福音書が4つ含まれており、それぞれ福音書を生み出した教会や信仰者の信仰が現れています。比較するため、マタイ以外のもの、マルコ、ルカ、ヨハネの書き出しに触れます。マルコ福音書1章1節をお読みします。(P.61)「1:1 神の子イエス・キリストの福音の初め。」 ここにはイエスの物語を小説のように記そうという意識があり [続きを読む]
  • 『神の支配の模索』(サムエル記上 8:1〜22)
  • 『神の支配の模索』(2017/11/26)サムエル記 上 8章 1〜22節サムエルという存在 サムエルは、なかなか子どもが生まれなかった母の子として誕生し、乳離れする年、3歳ぐらいに聖所に預けて、サムエルは聖所で成長しました。サムエルという名は、「その名は神」という意味で、「自分の願いを叶えてくれた神の名を忘れないように」付けられたものでしょう。そして祭司としてサムエルは育てられていきます。そして、立派に成長 [続きを読む]
  • 『犠牲的発想を超えて』(マルコ9:42〜50)
  • 『犠牲的発想を超えて』(2017/11/12)マルコによる福音書 9章 42〜50節地獄 「地獄」と言いますと、ミケランジェロの「最後の審判」などが思い出され、絵画のような想像を膨らましますが、ここで地獄と訳されている「ゲヘナ」というギリシア語は、実際にあるエルサレムの南側にあった谷、「ヒンノムの谷」(ゲー・ヒンノム)という土地の名前を指しております。それが「地獄」と訳されているのはキリスト教ならでは解釈に [続きを読む]
  • 『嵐の中の航路』(ルカ福音書8:22〜25)
  • 『嵐の中の航路』(2017/10/15)ルカによる福音書 8章 22〜25節嵐の中で 嵐の中の舟、右往左往する弟子たち、そして、その嵐に何ら臆することなく、ただの一言で鎮めてしまうイエス。福音書において、イエスの奇跡を思い起こす時、誰もが思い起こす物語の一つでしょう。イエスさまがこの世において表した奇跡はいくつかの種類に分けることが出来ると思います。様々な形で人の病を治療する「いやし」、そしてパンと魚を5000 [続きを読む]
  • 『赦されることと許し合うこと』(マタイ福音書18:21〜35)
  • 『赦されることと許し合うこと』(2017/9/24)マタイによる福音書 18章 21〜35節赦しという課題 許しについて、述べられている箇所です。「赦し」とは何か、いろいろと考え方、とらえ方があると思います。また、説教題においても、音としては「ゆるし」は、同じ音であり、意味内容も似ているように捉えられますが、辞書などで調べてみますと、最初の「あかへん」の「赦し」は、罪を無くすこと、罪の赦し、神による赦しなど [続きを読む]
  • 『イエスの弟子たちと家族たち』(ルカによる福音書 8:1〜3/19〜21)
  • 『イエスの弟子たちと家族たち』ルカによる福音書 8章 1〜3/19〜21節男の弟子たち(十二弟子たち) 今日、選ばせて頂いた聖書の箇所は、2カ所、8章1節から3節の女性の弟子に関する記述、そして後半19節から21節のイエスの家族たちが登場する場面です。イエスの弟子たち、そして家族たちに関する福音書の記載は、十二弟子のリストは、使徒言行録の最初の記事があります。しかし、中心的な弟子に対しては、間違いが [続きを読む]
  • 『弟子たちの自分ルール』(マルコによる福音書9:33〜41)
  • 『弟子たちの自分ルール』(2017/8/27)マルコによる福音書  9:33〜41弟子たち(私たち)の受け取り方 今日の箇所は、マルコ福音書全体で言いまして、この箇所を説明してみますと、33節カファルナウムの家と記されておりますが、イエスが恐らくは、神の国運動、神の支配の宣教活動の中心にしていた場所で弟子たちに向かってエルサレムへの旅を始める直前、最後にまとまった形で教えを述べている箇所であります。前半の箇 [続きを読む]
  • 『平和への犠牲』(マタイ福音書9:9〜13))
  • 『平和への犠牲』(2017/8/6)マタイによる福音書 9章 9〜13節平和聖日の課題 日本において8月は戦争の記憶抜きに、語ることは出来ません。今日、8月6日にヒロシマ原爆記念日、8月9日にはナガサキ原爆記念日、そして8月15日には、終戦記念日として、様々な追悼式典が行われます。日本基督教団としても多くの教会において、8月第一週の礼拝を平和聖日として守られます。いわゆる太平洋戦争、15年戦争、第二次世界大戦の終戦 [続きを読む]
  • 『誰が種を蒔いているのか』(ルカによる福音書8:4〜15)
  • 『誰が種を蒔いているのか』(2017/7/16)ルカによる福音書 8章 4〜15節聖書の読まれ方と解釈すること今日の「種蒔きのたとえ」は、結構に頻繁に読まれる箇所であります。またイエスは、いくつかの「種」を用いたたとえをおっしゃっています。主なモノとして、今日お読みしました「種を蒔く人」のたとえ、「成長する種」のたとえ(マルコ4:26-29)、これはルカには納められていません。そして、「からし種」のたとえ(ルカ13: [続きを読む]
  • 『癒やしにつながる祈り』(マルコ福音書9:14〜29)
  • 『癒やしにつながる祈り』(2017/7/2)マルコによる福音書 9章 14〜29節律法学者と弟子たちの議論 14節最初に「一同」とありますが、先の9章2〜13節には、イエスとペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子たちが山に登って、イエスの姿が変わる記事がありましたが、その続きとして読ませるためにマルコが記した編集句でありましょう。14節をお読みします。「一同がほかの弟子たちの所に来てみると、彼らは大勢の群衆に取 [続きを読む]
  • 『罪の重さと愛の大きさ』(ルカによる福音書 7:36〜50)
  • 『罪の重さと愛の大きさ』(2017/6/18)ルカによる福音書 7章 36〜50節罪とは何か ―ユダヤ人にとって― こんな想像をしてみてください。キリスト教の神さま、またはイエスの愛の大きさを示すとして、どの「逸話」や「たとえ」を紹介するでしょうか。旧約聖書、新約聖書には、数多くのお話は数多くあります。しかし、イエス様や神さまの愛の大きさを表すのに、ふさわしいお話とふさわしくない話があるでしょう。例えば、ア [続きを読む]
  • 『神を生かすも殺すも』(ルカによる福音書 7:18〜35)
  • 『神を生かすも殺すも』(2017/5/28)ルカによる福音書 7章 18〜35節イエスとヨハネ 今日の箇所、バプテスマのヨハネとイエスさまが比較された形で記されています。バプテスマのヨハネは、イエスに洗礼を授けた預言者でありますが、すでに捕らえられており、牢屋に繋げられた状況の中に置かれています。7章18節19節をお読みします。「ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟 [続きを読む]
  • 『キリスト教的過去・現在・未来』(マルコ福音書9:2−13)
  • 『キリスト教的過去・現在・未来』(2017/5/14)マルコによる福音書 9章 2〜13節イエスは何者か 福音書は、イエス自身が、何者であるのか、どのような存在であるのか、を記している文書であります。イエスは、キリスト(救い主)であり、メシアであり、神の子であり、ダビデの子であります。これらの言葉は、「イエスは○○である」という形で、なされます。しかし、これらの言葉は、イエスに基づく場合もありますが、人の言 [続きを読む]
  • 『神の涙という矛盾』(ヨハネ福音書11:28-37)
  • 『神の涙という矛盾』(2017/5/7)ヨハネによる福音書 11章28〜37節感情の連鎖先日、SNS(Twitterやfacebook)にこのような文章を載せました。「ちょっと前のお話。仕事で、自動車の運転をすることが多い日々です。道路には、いろいろなモノが落ちています。軍手、長靴、パイロン、ゴミ袋、言葉に出来ないモノ…など。しかし先日、目にしたモノはいろいろと想像を膨らむものでした。なんと、花束。いわゆる、葬儀や結婚式などのお [続きを読む]