けん さん プロフィール

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けんさん: ぶらり歴史旅一期一会
ハンドル名けん さん
ブログタイトルぶらり歴史旅一期一会
ブログURLhttp://poreporetraveler.blog96.fc2.com/
サイト紹介文戦国武将にまつわる史跡と近代建築をテーマに全国各地色々巡っているブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供80回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2010/08/22 16:46

けん さんのブログ記事

  • JR桜井線櫟本駅(奈良県天理市)
  • 桜井線櫟本(いちのもと)駅は明治31(1898)年に桜井線の前身である奈良鉄道時代に建てられたというかなり古い木造駅舎が残っています。やや難解な駅名ですが天狗が住んでいた櫟の木の根元という地名が由来になっているとか。無人駅ですが近くに高校があるので朝晩や部活帰りなどの時間帯は結構混みます。            ★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固く禁止しております。にほんブログ村   [続きを読む]
  • 花園寺 井戸若狭守覚弘供養碑(奈良県天理市)
  •           浄土宗のお寺ですが創建年次などは不明。決して広くはない境内には数々の石仏が残されており見ごたえのあるお寺です。           本堂           井戸覚弘供養碑・井戸良弘逆修碑この付近の領主であった井戸若狭守良弘が父覚弘の菩提を弔うのと自身の逆修(生前に自身の冥福を祈るために仏事をすること)に建てています。井戸良弘については前回の記事をご覧頂けたらと思います。    [続きを読む]
  • 井戸若狭守良弘の墓(奈良県天理市)
  •           大和の有力国人のひとつであった井戸氏。大和の国人衆の多くは戦国の世に没落の憂き目に遭いますが、井戸氏は紆余曲折経ながら最後は徳川家の旗本となり家名を保った数少ない家です。この家の戦国時代後期〜江戸初期の当主は覚弘か良弘を名乗る人が多く調べれば調べるほどそれぞれ書いてあることがバラバラで経歴など混乱状態になりますが、若狭守良弘は筒井順慶の義兄に当たり家督を嫡男覚弘に譲り自身は信長 [続きを読む]
  • トンバイ塀(佐賀県有田町)
  •                     有田内山重伝建築地区のメイン通りから少し路地に入り込むとトンパイ塀という煉瓦造りの塀の並ぶ通りに出会えます。トンパイ塀とは製陶の街有田らしく登り窯を築くために用いた耐火煉瓦(トンバイ)の廃材や使い捨ての窯道具・陶片を赤土で塗り固めて作った塀のことです。               ★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固く禁止しております。にほん [続きを読む]
  • 松浦鉄道楠久駅(佐賀県伊万里市)
  •           松浦一酒造を後に最寄駅の松浦鉄道楠久駅から有田へ抜けます。楠久駅に駅舎はなくおそらく駅舎があっていたであろう更地の先はいきなりプラットホームが見えています。国鉄松浦線時代には楠久駅も木造駅舎が建っていましたが他の多くの駅と同じく松浦鉄道移管後に取り壊され雨が凌げる程度の待合室があるだけとなっています。          構内踏切がかつての国鉄時代の雰囲気を感じさせてくれます。  [続きを読む]
  • 里小路の小笹生垣(佐賀県伊万里市)
  •                               松浦鉄道里駅から山の方に向かう道沿いの多くのお宅が笹の生け垣になっています。この区画は元は筑後の国人領主で江戸時代は小城藩家老職などを務めた山代領主田尻氏の家臣団の武家屋敷で、家臣たちはこの丘陵地を住居と定め東西に本道、南北にいくつかの小路を設けて土地を区画し屋敷を構え、その境に矢竹を植えて生垣としました。この矢竹は普段は生垣ですが有事の [続きを読む]
  • JR肥薩線坂本駅(熊本県八代市)
  •           かつての坂本村の代表駅で特急かわせみやませみの一部列車の停車駅ですが停車時間はわずか2分ということで慌てて撮影した結果駅舎が歪んでました。          駅舎は肥薩線開業当時のものと思われる古い木造駅舎です。JR九州は幹線の木造駅舎は建て替えを進める反面、肥薩線などローカル線の木造駅舎は観光列車に付随する観光資源のひとつとして考えている節があるので余程なことがない限り当面は安 [続きを読む]
  • 了清院跡 犬童一族の墓(熊本県人吉市)
  •            昨年は4月初めに行くもすでに草茫々で途中断念した相良忠房の菩提寺であった了清院跡。幕末に火災で寺が焼けそのまま廃寺となり忠房や相良家重臣などの墓が残されています。現在は相良家菩提寺の願成寺が管理し年2度ほど地元の方々が草刈りなどされておられるそうですが昔の墓しかないので人は私のような物好きしか来ないのでしょう、一帯は草木が生い茂り藪の中、途中倒木に行く手を遮られたりと寺院跡まで [続きを読む]
  • 岡本河内守頼氏の墓(熊本県人吉市)
  •       相良家で名の知れた武将のひとりである岡本頼氏の五輪塔墓のあるとされる場所へも行ってきましたが、田んぼの中と明らかに私有地。さすがに私有地に無断で立ち入るのは気が引けたのでこれ以上先へ行くのは止めましたが田んぼの中でこの一画だけが不自然な形で手も付けられず浮島のようにポツンとあるのはやはり頼氏の墓がかなりの確率でここにあるんだろうと思います。※私有地のためマップを貼り付けるのは控えること [続きを読む]
  • 願成寺 人吉藩主相良家墓所(熊本県人吉市)
  •           願成寺は天福元(1233)年創建の真言宗のお寺で人吉藩主相良家の菩提寺です。ご本尊の木造阿弥陀坐像は国の重要文化財に指定されており、その他にも鎌倉時代からこの地を治めた相良家の菩提寺らしく多くの文化財を所有しています                石造七重塔(熊本県指定文化財)                石造三重塔(人吉市指定文化財)            一願地蔵ひとつだけ願 [続きを読む]
  • 老神神社(熊本県人吉市)
  •           老神神社は霧島神社を勧請したとされますが詳しい創建年次は不明です。現在の神社の建物は木造茅葺き寛永5(1628)年に人吉藩初代藩主相良長毎によって相良家の産宮として建立され、国重要文化財に指定されている本殿・拝殿及び神供所は小規模ながら入母屋造りで建築様式・小壁・欄間の絵画彫刻に桃山時代風の豪華な手法が残っています。                     拝殿及び神供所  現在は切 [続きを読む]
  • 人吉城(熊本県人吉市)
  •           相良氏の居城である人吉城は長年に渡って島津家などと戦いを繰り広げてきただけに、球磨川など河川を巧みに利用した非常に堅固な作りとなっています。残念ながら西南戦争の際に人吉も戦場となり城の建造物のほぼすべてが焼けてしまいましたが、現在城跡は国の史跡に指定されています。また日本100名城(93)のひとつでもあります。 [続きを読む]
  • 旧人吉機関区石造機関庫(熊本県人吉市)
  •                                  人吉駅構内に残る旧人吉機関区の石造機関庫は明治44(1911)年に建てられたもので、今も利用される現役の石造機関庫としてはここのみとなっています。               ★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固く禁止しております。にほんブログ村    当ブログを補完するFacebookページを始めました。よろしければご覧くださ [続きを読む]
  • 近世宇土城跡(熊本県宇土市)
  •           近世宇土城は肥後の国人一揆後に肥後半国を領した小西行長によって天正16(1588)年より築城を開始、城下町も包括する形の惣構の城として形成されましたが関ヶ原の戦いで行長は主力を率いて上方へ進出、宇土城も九州に残っていた加藤清正に攻められ城代小西隼人行景(行長の弟)らが奮戦するも落城しています。加藤清正の時代は同じく西軍方に付き改易された紀伊新宮城主堀内安房守氏善が2千石で清正に仕え宇 [続きを読む]
  • 宇土古城(熊本県宇土市)
  •           宇土城は中世に築かれた宇土古城と肥後の国人一揆鎮圧後に肥後半国24万石で宇土に入った小西行長によって築かれた近世宇土城の2つに区分されます。宇土古城は永承(1048)年の関白藤原頼通下向の際に宇土氏によって築かれたとも言われますが詳細なことはよく分かっていません。 [続きを読む]
  • 船場橋(熊本県宇土市)
  •           熊本は優秀な石工を輩出した土地ですがそういう彼らが作った石橋が今も多く現存しています。宇土市にある船場橋のある一帯は古くから宇土藩の米蔵屋敷や舟手奉行屋敷などが武家屋敷の建ち並ぶ地区で荷物の集積場としても賑わっていました。                      船場橋は長さ13.7メートル・幅4.1メートルの単一アーチ橋で石材は宇土市網津町で採れる馬門石(ピンク掛った石)と安山岩 [続きを読む]
  • 松井神社(熊本県八代市)
  •           松井神社は明治14年に肥後藩筆頭家老で代々八代城主を務めた松井家の初代松井佐渡守康之と2代興長(宮本武蔵に出てくる長岡佐渡)を祀っている神社で、松井家の旧臣たちによって松井家の居館跡に建てられました。八代城跡や麦島城跡などと一括で松井神社の社域も国の史跡指定を受けています。元々この場所は肥後が加藤清正の統治時代に八代城代加藤正方が母親の隠居所を建てたことに始まり、加藤家改易後に細 [続きを読む]
  • 八代城(熊本県八代市)
  •                     現在の八代城(松江城)は加藤家家老である加藤正方が地震で崩壊した麦島城に代わる城として築城し、加藤家改易後に細川家が肥後に入国すると隠居していた細川三斎(忠興)が隠居城として入ります。合戦経験豊富な歴戦の雄である三斎を置くことで薩摩の島津への備えとしたわけです。三斎没後は細川家筆頭家老松井家が城主として入り明治へと至ります。                  [続きを読む]
  • シャルトル聖パウロ修道院記念館(熊本県八代市)
  •                   JCHO熊本総合病院の近代的な建物の裏手にやや不自然にも思えるような形で建っている洋館はシャルトル聖パウロ修道院記念館。国の登録有形文化財に登録されています。八代白百合学園高等学校敷地内に東を正面にして建つ。木造2階建下見板張,南北棟の寄棟造洋館で,階下内部は中廊下を挟んで2室づつの4室構成とし,階下階上とも東南の2面にベランダを廻す。ベランダ下見板コロニアルの伝播 [続きを読む]
  • 医王寺(熊本県八代市)
  •                        高野山城福寺の末寺で真言宗のお寺です。八代城建設以前には松江村にあったと伝えられていますが一時荒廃し、寛文2(1662)年に八代城下の石原町に移転。寛文5(1665)年に八代城主松井寄之夫人崇芳院が夫の病気平癒を願って現在地へ再興し八代城と城主の安寧を祈祷する寺となりました。 明治の神仏分離令で宮地の妙見宮(現八代神社)に付属した神宮寺の遺品をはじめ、浄心石塔(じ [続きを読む]