pingupapa さん プロフィール

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pingupapaさん: 続・エヌ氏の私設法学部社会学科
ハンドル名pingupapa さん
ブログタイトル続・エヌ氏の私設法学部社会学科
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/pingupapa
サイト紹介文無理,矛盾,不条理,不公平,牽強付会,我田引水,頽廃,犯罪,戦争,世間とは斯くも住み難き処なりや?
自由文 法律や社会問題、時事や歴史などを切り口に、自分なりの正論を展開します。

 我が「ディオゲネスの樽」へのご訪問、いつでも歓迎いたします。

 なお、プロフィールに掲げてある写真は、最高裁判所に飾られている、法の女神「テミス」の像です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供73回 / 365日(平均1.4回/週) - 参加 2010/09/19 01:56

pingupapa さんのブログ記事

  • 人の妻嫉妬により生きながら鬼になりし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 大坂春慶町五丁目に古手屋久兵衛という者がいた。 久兵衛には、長年連れ添った女房がいる上に、外にも女を作って通うことがあった。この女は絎屋の何某とかいって、奉公先で腰元から妾となり、懐胎して子供を産み、その後、金百両を添えて暇を出された女であった。 久兵衛は元より色好みで、この女に心を懸け、いつからとなく取り入って夫婦の語らいをなしていた。そこで [続きを読む]
  • 山賊しける者仏罰を得し事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 長門の国、浮野という所の、隆長司という禅宗の修行僧が、多くの僧が集まって行われる修行のため、岩国の寺へ出かけて行った。 この僧は極めて肝が太く、大変な力持ちで、武術の腕も人に超えた男であったが、昔から殺生を好み、生き物の命を取る事など何とも思わぬ生まれつきだったので、親も見余して出家させた次第であった。 それほどの者だったから、夜道を行き、山坂 [続きを読む]
  • 男の亡念下女の首を絞殺せし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 西六条に恵閑という一向宗の僧がいた。 僧になりたての頃は、定まった妻もなく清僧を勤めていたが、その後、寺が恵閑の代になってから、下女を心に思うようになり、情を交わすようになった。 また、その寺には、下男の五助という者もいた。 若気のあまりか、五助もこの下女に心を寄せ、様々と言い寄ったが、女は、旦那に情をかけられていることを鼻にかけ、五助を散々に [続きを読む]
  • 炭焼藤五郎死して火雷になりし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 江州龍花村に、惣兵衛という、炭焼を商売にしている者がいた。 この辺り多くは、北山炭といって洛中で売られ、銅壺や風呂などに、早く火が熾って便利だとして持て囃され、惣兵衛も、毎日往還して渡世としていた。そして、伊香立という所を始め、周辺各地の山々の持ち主に前金を渡し、炭窯ごと買い取る形で、出来た炭を運んでいた。 その、惣兵衛が買った炭焼窯のうち、崩 [続きを読む]
  • 商人の金を盗み後にむくひし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 元禄三年の頃、京より河内に通って木綿の仲買をする、喜介という者がいた。 総じて仲買人の類は、木綿類によらず何でも、生産元へ出かけて行って買い付けるものであり、この喜介も、毎年通い慣れていたが、木綿織物は家ごとに生産していて、一軒で大量に織り溜めているわけではないので、一日一日と日数をかけては、此処彼処を巡って二反三反ずつ買い取り、それをまとめて [続きを読む]
  • 巻6の4 福引きの糸 并 冥合、不思議の縁ありし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 恋にはさまざまの道がある。見初めて恋をするもあり、聞いて慕うもあり、だんだんと親しくなっていくこともあり、絵に描かれた人を求めたり、草紙を読んで恋話に憧れるもあり。いずれにしても、神に祈り仏に携え、身を捨ててもその人に逢いたいと思い詰めるものである。 限りない欲望のために、限りある命を擲つ輩が多い世の中で、珍しい宿世の話もある。例として、逢い難 [続きを読む]
  • ウソップ物語:狼少年
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 昔、ある村に羊飼いの少年がいた。 少年は、自分が飼っている羊をとても大切にしていて、狼に狙われては大変だと、いつも気をつけていた。 ある日、少年は森の中で、木の枝に狼の毛が付いているのを見つけた。 少年は、狼が近くまで来ていると思い、すぐに村へ帰って、 「狼が来た。狼が来た」と、村人たちに知らせて回った。 驚いた村人たちが、少年と共に森の中へ入 [続きを読む]
  • 巻6の3 勝尾の怪女 并 忠五郎娘を鬼女に預けてそだてさせつる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 津の国勝尾寺の前の里を、名付けて勝の郷という。ここは多くの湯治客が有馬へ通う海道にあたり、また、西国の大名が往還の道筋として宿場に利用している。そのような具合でこの地は繁栄し、村には 指折りの富貴者と言われる者も、また多かった。 この村に忠五郎という者がいて、数多の田畠を持って農業を家業とし、その家は美麗に造り、国主が参勤する際の本陣を承っても [続きを読む]
  • 巻6の2 桃井の翁 半弓を射る沙門の事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 禅師隆源という僧がいて、曹洞の所化(教化された人)であった。久しく豫州宇和島の等覚寺にいて、江湖(学問僧)を勤めていたが、このたび、美院の慈照寺(銀閣寺)へ行こうと思い立ち、錫を取り、草鞋を踏んで、とりあえず上方へと心ざすついでに、故郷の若州の方へも寄って、両親の無事をも尋ねようと思い、三条の宿より北を指して進んでいたが、急ぐ道でもなく、心に任 [続きを読む]
  • 巻6の1 木偶、人と語る 并 稲荷塚の事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 盛南壬生の辺に玉造善蔵という者がいた。生まれつき心ばえが優しく、書道や珠算の道に長じ、儒学の旨を学び伝えて徳を積み、様々なことを学んで、しかも、その道を極めるなど、万事について才能を発揮したので、近辺の者たちも善蔵を珍しい人だと、その徳を慕って親交を結び、また酒宴や遊興の席、囲碁将棋の会などにも必ず招かれて、朝暮楽しみの中に年月を経る身であった [続きを読む]
  • 巻5の2 百鬼夜行 附 静原山にて剣術を得たる人慢心をいましむる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 富田無敵とかいう名前の、丹後より京都に登り、剣術の師をする人がいた。剣術は元陰流で、この流派は、鵜戸大権現が夢に現れ、僧慈恩と言う者に伝えた妙手ということである。無敵の剣術は人気を博し、門弟になって秘技に与かる事を思う人も少なくなかったので、一門は日夜に繁栄し、朝暮、剣術の稽古が止むことはなかった。無敵は、これも偏に摩利支天毘沙門の冥慮だと思い [続きを読む]
  • 巻5の1 花形の鏡 附 難波五人男が事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 摂州難波の津、白髪町という所に住む阿積桐石とかいう人は、その昔は儒医として名高く、かつては仕官をも勤め、富貴の栄耀をも究めた人物であるが、さる仔細があって、この所に引っこんで逼塞の身となってから、今は世を渡る術もなくなり、今日の命を育むべき道もなかった。 だから、身命を保つには、学び得た儒の道を広めるより他はないと思い、昨今の、俗っぽいばかりで [続きを読む]
  • 巻4の4 絵の婦人に契る 附 江戸菱川が事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 世に名画と言われる絵画が神に通じて妙を顕すことは、古今、和漢の記録に数多くある。これらの、妙を得たと言われる人が描いたものは、花鳥人物ことごとく動いて絵から離れ、さまざまな態をなすことは、本物と同じで変わるところがない、ということは、古くから言い伝えられている。 今の世でも、風流の絵を描く著名な画家は、波濤の果て、鯨が寄り来る蝦夷の千島までも、 [続きを読む]
  • 巻4の3 恨み晴れて縁を結ぶ 附 高山の喜内田地を売る事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 近江の国、守山辺に喜内とかいう農民がいた。生まれつき正直者で、かりそめにも人に対して悪いことはせず、逆に、自分のことを顧みなくても、人のため良い事であれば世話をするような心映えの者であった。しかし前生の因果によって、兎角、稼いでも稼いでも貧乏暮しから抜け出せず、日を追うごとに生活もままならなくなってきた。そこで、少しばかり持っている田地を人に貸 [続きを読む]
  • 巻4の2 雲の浜の妖怪 附 鵜取兵衛あやしき人に逢う事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 能登の国、一宮にある気多神社は、能登の大国主にして羽咋郡に鎮座する神である。多くの祭祀がある中で、毎年十一月中の午の日は鵜祭りといって、丑の刻に至ってこれを勤めるのに、十一里を隔てた鵜の浦という所より、いつもこの神事のため、鵜を捕え、籠に入れて提げ来る役人がいる。彼の名は鵜取兵衛といって、代々同じ名を呼び伝える習わしであった。 去る元禄の頃、こ [続きを読む]
  • 巻4の1 有馬富士 附 二本松の隠れ里
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 摂州有馬郡塩原山の温泉は、世に有馬の湯と称して、近郷はもちろん遠くの方からも、馬や徒歩でやって来た人々が日夜に群がり、疲労や病気など各々の悩みに応じて、案内人の教えるままに湯治をすれば、速やかに百発百中の験があるということで、第三十五代舒明天皇が治世三年の時に初めて行幸してから、千年を経た今日にまで至り、その繁栄は綿々として絶えることがない。そ [続きを読む]
  • 御伽百物語 序
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 春は、穏やかな日があったり嵐の日もあったりするが、今日はのどかな日だ。誰か訪ねてこないかなあと、外を眺めていると、ほころび始めた梅が芳しく、夕日が着物の袖に映り、風がまた何とも言えず心地よい。 そうこうしていると、私の梅園の入り口に、いつもの友人達がやって来たが、その中に見慣れない人も交じっていて、その人は四五年ほど東の国々を旅して、有名な山や [続きを読む]
  • 巻3の4 五道冥官
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 洛陽下嵯峨太秦の西に祠があって、人々はみな五道の冥官と呼んでいるが、本来は車前の宮といって、清原真人頼業(きよはらのまさとよりなり)を葬った地だということである。その昔、亀山天皇が嵐山に行幸した時、この塚印の石の前で、関白兼平公の車を曳いている牛が俄かに地に伏して、進まなくなってしまったことがあった。供の人々が怪しみ、そのあたりを馳せ巡ると、丸 [続きを読む]
  • 巻3の3 奈良饅頭
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください いにしえの都、奈良の京二条村に住んでいた林浄因は、もと宋の国の人であった。花洛建仁寺第二世の龍山禅師が宋へ行ったとき、この林浄因に逢ったのだが、浄因も龍山に帰依して、浅からぬ膠漆の交わりを持った。宋が元になって、順宗皇帝至正元年に及び、龍山禅師は帰朝したが、これは第九十七代光明天皇(北朝)在位の、暦應四年のことである。 林浄因も龍山禅師の徳を慕 [続きを読む]
  • 巻3の2 猿畠山の仙
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 相州鎌倉の地に、御猿畠という山があって、この上に六老僧の窟(いわや)という窟があった。いにしえ、日蓮の徒の中に、六老僧と言われて、最も上足の名を得た僧が住んでいた岩窟ということである。 時代は下がって、能州惣持寺の沙門で鶯囀司(おうてんす)という者は稀有の人で、才知にあふれ、学業にも優れ、仏の教えを弁舌流れるように語る人であった。そこで皆は衆議 [続きを読む]
  • 巻3の1 六条の妖怪
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 西六条の寺内に四本松町という所があって、ここに住む吹田屋喜六という者は、元々、信州上松という村で、猿太という腕利きの杣(そま=木こり)の子であった。父の猿太は代々、勢州内外宮の御造替がある毎に、必ず召されて杣の頭に任命されていた。猿太には子が多く、去る元禄二年の御造替遷宮があったときも、吉例どおり杣頭を命じられた猿太は、木曽山を越え、諸国を渡っ [続きを読む]
  • 巻2の5 桶町の譲(ゆずり)の井
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 江戸に、名井戸と名の付いた所はいくつかあって、隅田町の亀の井、自称院の蜘蛛の井、小石河の極楽の井、亀井戸の渕の井、玉水の井、興福の井など、全部で18か所を数えた。(注:江戸は地下水質が悪く、そのまま飲めなかったので、「水売り」が商売として成り立つほどであった) 桶町の譲の井というのは、その昔、この町を開いて住み始めた者の名を、桶玉太郎作と言った [続きを読む]
  • 巻2の4 亀嶋七郎が奇病
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 泉州境の津に名高い大寺は、その昔、聖武天皇の勅命によって仏寺となり、大念仏寺と号したが、元は住吉大社の別宮で、木戸村、原村、開口村、これら三ヶ村の氏神であったため三村大明神と号し、塩筒の翁(塩の神様)を勧請した所である。 この寺の住職に契宗という法師がいて、もと亀嶋の住人であり、契宗の親族も多くがそのあたりに住んでいた。 あるとき、この僧の兄で [続きを読む]
  • 巻2の3 淀屋の屏風
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 淀屋の何某という者は、難波津で第一と言われる富貴を極め、万事、欠けることのなかったあまり、道楽に財産を浪費し、何に依らず一芸に秀でた者を招いたり、あるいは尋ねて行ったりして、楽しみとしていたので、ありとあらゆる名人や堪能の輩が、我先にと集まって、芸を争っていた。 ここに元禄二年二月、天王寺の御開帳があって、都からも田舎からも、富める者も貧しい者 [続きを読む]