pingupapa さん プロフィール

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pingupapaさん: 続・エヌ氏の私設法学部社会学科
ハンドル名pingupapa さん
ブログタイトル続・エヌ氏の私設法学部社会学科
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/pingupapa
サイト紹介文無理,矛盾,不条理,不公平,牽強付会,我田引水,頽廃,犯罪,戦争,世間とは斯くも住み難き処なりや?
自由文 法律や社会問題、時事や歴史などを切り口に、自分なりの正論を展開します。

 我が「ディオゲネスの樽」へのご訪問、いつでも歓迎いたします。

 なお、プロフィールに掲げてある写真は、最高裁判所に飾られている、法の女神「テミス」の像です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供49回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2010/09/19 01:56

pingupapa さんのブログ記事

  • 願西といふ法師舎利の罰を得し事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 山城国新田に与十郎という者がいた。 彼の家には不思議な本尊があり、二尺ばかりの御長立像で、なかなかの名作と見えたが、いかなる仏工の作かは分からなかった。ただ、惣身より次々と舎利が湧き出てきて、いつ見ても舎利が七つ八つほど蓮台の上に落ちていて、絶えることがなかった。(注)舎利=釈迦の遺骨。上では、骨の欠片らしいものが湧いて出るのを、仏像から出てき [続きを読む]
  • 舎利の奇特にて命たすかりし人の事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 津国瀬川の宿、待兼山のほとりに甚之丞という者がいた。 先祖は昔、荒木津守が伊丹籠城をした時、何度か手柄を立てて感状などを貰い、その後、摂津守を恙なく勤めるなど天晴れな武士であったが、伊丹が没落の後は、屋敷ひとつばかりの、浪人同然の身となった。 しかも、それが三代目の今に至っては、再び武家の名を興すことも叶わず、そうかといって、土民の数に入りなが [続きを読む]
  • 狸の子を取て報ひし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 加州金沢に、弥九郎という獣捕りの名人がいて、見かけた獣を残さず捕って市に運び、三貫五貫の銭を得て自分の稼業としていたので、この男が出かける時は、獣たちは安心して出遊ぶことができないなどと言われた。 ある時、用事があって越前の国福井へ行く時、月津より轟へ行く間に勅使という所があり、その辺には道竹という隠れなき古狸が住んでいて、ややもすれば人を誑か [続きを読む]
  • 人形を火に焼きてむくひし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 寛文(元禄の少し前)の頃まで世に持て囃された説教大夫(説教節=語りものの民衆芸能)で、日暮(説教節の日暮派)という者は類なき誉を残した。今でも片田舎の者は、折にふれて俊徳丸、山椒大夫などといった演目で涙を流し、今は廃れつつある音曲に耳を傾けているという。 元禄十一年の頃まで、日暮小太夫(日暮派の名跡)という者がいて、美濃、尾張、稲葉、筑紫など至 [続きを読む]
  • 死たる子立山より言伝せし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 京都六条の寺内に、木綿綛(=もめんかせ:糸を巻き取る道具)を商う市左衛門という者は、息子が一人がいて、市之介といった。 親の市左衛門は、浄土宗の熱心な信心者で、毎年のお山詣りを欠かさなかったことを見込まれ、寺の大切な役目なども引き受けて本山の先立となったり、水無月の大役を勤めて、富士山詣りも二三度に及んでいた。その他、諸事の名誉ある会長なども引 [続きを読む]
  • 播磨灘舟ゆうれいの事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください これも大坂立売堀の住人で、湯川朔庵という儒医がいた。生まれつき器用な者で、およそ難波の津においては、肩を並べるべき者もないほどの学者で、門弟も多かった。また、朔庵の妻も堺の生まれで、名高い人の娘であった。 朔庵は、難治の病であっても必ず治すと評判で、人々は朔庵の医院に親しみ、方々から薬を求める者が絶えず、傍に教えを乞う書生のいない日はなかった。 [続きを読む]
  • 腰ぬけし妻離別にあひし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 大坂長町にいた京屋七兵衛という男は、極めて不人情な者であった。元来は、京の丸太町辺りに住んでいて、七兵衛夫婦には、七つと四つになる娘がいた。 女房は長いこと腰を患い、さまざまに療治したが露ばかりの験もなく、この一両年は腰も立たなくなって、朝夕の食事は言うに及ばず、大小用さえ御虎子(おまる)で取る身であった。また、女房の親は父一人だけ、それも剃髪 [続きを読む]
  • 猫人に祟をなせし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 備後福山に清水何右衛門という人がいた。元禄元年の頃、家の中で、物が次々と無くなってしまう事件が起きた。 魚や鳥によらず何であっても、料理しようと思って洗わせ、または買って来て置いていたら、しばらくして忽然と消えてしまう事が続いた。 何右衛門は、奉公人の中に心よからぬ者がいて、このような手癖の悪い真似をするのかと思い、皆に問うてみたが、誰が盗んだ [続きを読む]
  • 盗せしもの神罰をかうふる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 丹波桑田郡篠村に与八という者がいた。心よからぬ男で、神仏を蔑ろにし、人を人とも思わず、転々と雇われ歩く身であったが、雇われた先々で、欲しいと思ったものは何でも盗んでしまい、後で咎められる事があっても何とも思わない、不敵な曲者であった。 同じく心よからぬ友に、その近くに住んでいた小左衛門という者がいた。これも能なしで、博奕に身を打ちこんで方々と稼 [続きを読む]
  • 祖父の死霊祖母をくひ殺す事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください これも元禄四年の事である。 伊賀の上野、詳しい所は忘れたが、甚吉という百姓がいた。彼には母がいて、父の再婚相手だが、いつも心に沿わぬことばかりであった。 甚吉の祖父が死んだとき、男子は甚吉だけであったので、祖父は何かと甚吉に教育を施し、跡継ぎにしようとしていた。しかし継母は、自身の子が生まれてからは、甚吉を押し退け、我が子に跡を継がせ、少しばか [続きを読む]
  • 女の執心人に敵を討たする事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 奥州仙台役者町に都筑慶元という者がいて、名作の脇差を持っていたが、それを手に入れるには、次のような次第があった。 慶元の近くに、伊達の何某とかいう武士の後家がいて、家来衆もなく、ただ独りで住んでいたが、女ながらも心ざま甲斐甲斐しく、侍の心映えを失わず、誰かと再縁するなどという事もなく、三十八九まで貞女を立て、機織りの仕事で渡世していた。 この女 [続きを読む]
  • 女の執心夫をくらふ事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 京都、新在家烏丸の辺に住む、何々伊織とかいう者は、元来、江戸の住人であったが、知人を頼って京都に登り、堂上方(公家)で働いて、僅かの扶持を貰って命を繋ぎ、出世の時を待っている身であった。 かつて江戸に居た頃は、数寄屋橋通り寄合町にいて、さる人の娘と馴れ睦んで言い交し、行く末は夫婦ともなるべき、堅めの誓紙まで取り交わした仲であった。 そんな頃、上 [続きを読む]
  • 二十二年を経て妻敵を打し事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 下野の国宇都宮に重右衛門という、田地なども多く持って、徳のある者がいた。 この重右衛門宅に、長年、京都より通う小道具商人が出入りしていて、竹屋の庄兵衛といった。いつも秋の頃はここに下り、手代などを召連れて、宇都宮の町や日光山の町々に行き、染物や小間物などを取り揃え、輪王寺宮を始め寺社など余すところなく出入りしており、毎年、下野へ来る度に、心安さ [続きを読む]
  • 蛇(くちなわ)の子を殺して報をうけし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 京新町三条の辺に真苧(まお=繊維を取る植物)や煮扱(にこぎ=麻の加工)などを商う富貴な人がいて、手代や小童なども多く使っている家であった。 元禄十年の夏の頃、江州高嶋から朽木嶋売りや蚊帳売りなどが、この家に集って、荷物など夥しく積み置いていたところ、どういうわけか、小蛇が多数湧いて、荷物の下からにょうろにょろと出て来た。手代がそれを拾い取って、 [続きを読む]
  • 人の妻嫉妬により生きながら鬼になりし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 大坂春慶町五丁目に古手屋久兵衛という者がいた。 久兵衛には、長年連れ添った女房がいる上に、外にも女を作って通うことがあった。この女は絎屋の何某とかいって、奉公先で腰元から妾となり、懐胎して子供を産み、その後、金百両を添えて暇を出された女であった。 久兵衛は元より色好みで、この女に心を懸け、いつからとなく取り入って夫婦の語らいをなしていた。そこで [続きを読む]
  • 山賊しける者仏罰を得し事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 長門の国、浮野という所の、隆長司という禅宗の修行僧が、多くの僧が集まって行われる修行のため、岩国の寺へ出かけて行った。 この僧は極めて肝が太く、大変な力持ちで、武術の腕も人に超えた男であったが、昔から殺生を好み、生き物の命を取る事など何とも思わぬ生まれつきだったので、親も見余して出家させた次第であった。 それほどの者だったから、夜道を行き、山坂 [続きを読む]
  • 男の亡念下女の首を絞殺せし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 西六条に恵閑という一向宗の僧がいた。 僧になりたての頃は、定まった妻もなく清僧を勤めていたが、その後、寺が恵閑の代になってから、下女を心に思うようになり、情を交わすようになった。 また、その寺には、下男の五助という者もいた。 若気のあまりか、五助もこの下女に心を寄せ、様々と言い寄ったが、女は、旦那に情をかけられていることを鼻にかけ、五助を散々に [続きを読む]
  • 炭焼藤五郎死して火雷になりし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 江州龍花村に、惣兵衛という、炭焼を商売にしている者がいた。 この辺り多くは、北山炭といって洛中で売られ、銅壺や風呂などに、早く火が熾って便利だとして持て囃され、惣兵衛も、毎日往還して渡世としていた。そして、伊香立という所を始め、周辺各地の山々の持ち主に前金を渡し、炭窯ごと買い取る形で、出来た炭を運んでいた。 その、惣兵衛が買った炭焼窯のうち、崩 [続きを読む]
  • 商人の金を盗み後にむくひし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 元禄三年の頃、京より河内に通って木綿の仲買をする、喜介という者がいた。 総じて仲買人の類は、木綿類によらず何でも、生産元へ出かけて行って買い付けるものであり、この喜介も、毎年通い慣れていたが、木綿織物は家ごとに生産していて、一軒で大量に織り溜めているわけではないので、一日一日と日数をかけては、此処彼処を巡って二反三反ずつ買い取り、それをまとめて [続きを読む]
  • 巻6の4 福引きの糸 并 冥合、不思議の縁ありし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 恋にはさまざまの道がある。見初めて恋をするもあり、聞いて慕うもあり、だんだんと親しくなっていくこともあり、絵に描かれた人を求めたり、草紙を読んで恋話に憧れるもあり。いずれにしても、神に祈り仏に携え、身を捨ててもその人に逢いたいと思い詰めるものである。 限りない欲望のために、限りある命を擲つ輩が多い世の中で、珍しい宿世の話もある。例として、逢い難 [続きを読む]
  • ウソップ物語:狼少年
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 昔、ある村に羊飼いの少年がいた。 少年は、自分が飼っている羊をとても大切にしていて、狼に狙われては大変だと、いつも気をつけていた。 ある日、少年は森の中で、木の枝に狼の毛が付いているのを見つけた。 少年は、狼が近くまで来ていると思い、すぐに村へ帰って、 「狼が来た。狼が来た」と、村人たちに知らせて回った。 驚いた村人たちが、少年と共に森の中へ入 [続きを読む]
  • 巻6の3 勝尾の怪女 并 忠五郎娘を鬼女に預けてそだてさせつる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 津の国勝尾寺の前の里を、名付けて勝の郷という。ここは多くの湯治客が有馬へ通う海道にあたり、また、西国の大名が往還の道筋として宿場に利用している。そのような具合でこの地は繁栄し、村には 指折りの富貴者と言われる者も、また多かった。 この村に忠五郎という者がいて、数多の田畠を持って農業を家業とし、その家は美麗に造り、国主が参勤する際の本陣を承っても [続きを読む]
  • 巻6の2 桃井の翁 半弓を射る沙門の事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 禅師隆源という僧がいて、曹洞の所化(教化された人)であった。久しく豫州宇和島の等覚寺にいて、江湖(学問僧)を勤めていたが、このたび、美院の慈照寺(銀閣寺)へ行こうと思い立ち、錫を取り、草鞋を踏んで、とりあえず上方へと心ざすついでに、故郷の若州の方へも寄って、両親の無事をも尋ねようと思い、三条の宿より北を指して進んでいたが、急ぐ道でもなく、心に任 [続きを読む]
  • 巻6の1 木偶、人と語る 并 稲荷塚の事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 盛南壬生の辺に玉造善蔵という者がいた。生まれつき心ばえが優しく、書道や珠算の道に長じ、儒学の旨を学び伝えて徳を積み、様々なことを学んで、しかも、その道を極めるなど、万事について才能を発揮したので、近辺の者たちも善蔵を珍しい人だと、その徳を慕って親交を結び、また酒宴や遊興の席、囲碁将棋の会などにも必ず招かれて、朝暮楽しみの中に年月を経る身であった [続きを読む]