pingupapa さん プロフィール

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pingupapaさん: 続・エヌ氏の私設法学部社会学科
ハンドル名pingupapa さん
ブログタイトル続・エヌ氏の私設法学部社会学科
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/pingupapa
サイト紹介文無理,矛盾,不条理,不公平,牽強付会,我田引水,頽廃,犯罪,戦争,世間とは斯くも住み難き処なりや?
自由文 法律や社会問題、時事や歴史などを切り口に、自分なりの正論を展開します。

 我が「ディオゲネスの樽」へのご訪問、いつでも歓迎いたします。

 なお、プロフィールに掲げてある写真は、最高裁判所に飾られている、法の女神「テミス」の像です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供64回 / 365日(平均1.2回/週) - 参加 2010/09/19 01:56

pingupapa さんのブログ記事

  • 巻3の4 五道冥官
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 洛陽下嵯峨太秦の西に祠があって、人々はみな五道の冥官と呼んでいるが、本来は車前の宮といって、清原真人頼業(きよはらのまさとよりなり)を葬った地だということである。その昔、亀山天皇が嵐山に行幸した時、この塚印の石の前で、関白兼平公の車を曳いている牛が俄かに地に伏して、進まなくなってしまったことがあった。供の人々が怪しみ、そのあたりを馳せ巡ると、丸 [続きを読む]
  • 巻3の3 奈良饅頭
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください いにしえの都、奈良の京二条村に住んでいた林浄因は、もと宋の国の人であった。花洛建仁寺第二世の龍山禅師が宋へ行ったとき、この林浄因に逢ったのだが、浄因も龍山に帰依して、浅からぬ膠漆の交わりを持った。宋が元になって、順宗皇帝至正元年に及び、龍山禅師は帰朝したが、これは第九十七代光明天皇(北朝)在位の、暦應四年のことである。 林浄因も龍山禅師の徳を慕 [続きを読む]
  • 巻3の2 猿畠山の仙
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 相州鎌倉の地に、御猿畠という山があって、この上に六老僧の窟(いわや)という窟があった。いにしえ、日蓮の徒の中に、六老僧と言われて、最も上足の名を得た僧が住んでいた岩窟ということである。 時代は下がって、能州惣持寺の沙門で鶯囀司(おうてんす)という者は稀有の人で、才知にあふれ、学業にも優れ、仏の教えを弁舌流れるように語る人であった。そこで皆は衆議 [続きを読む]
  • 巻3の1 六条の妖怪
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 西六条の寺内に四本松町という所があって、ここに住む吹田屋喜六という者は、元々、信州上松という村で、猿太という腕利きの杣(そま=木こり)の子であった。父の猿太は代々、勢州内外宮の御造替がある毎に、必ず召されて杣の頭に任命されていた。猿太には子が多く、去る元禄二年の御造替遷宮があったときも、吉例どおり杣頭を命じられた猿太は、木曽山を越え、諸国を渡っ [続きを読む]
  • 巻2の5 桶町の譲(ゆずり)の井
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 江戸に、名井戸と名の付いた所はいくつかあって、隅田町の亀の井、自称院の蜘蛛の井、小石河の極楽の井、亀井戸の渕の井、玉水の井、興福の井など、全部で18か所を数えた。(注:江戸は地下水質が悪く、そのまま飲めなかったので、「水売り」が商売として成り立つほどであった) 桶町の譲の井というのは、その昔、この町を開いて住み始めた者の名を、桶玉太郎作と言った [続きを読む]
  • 巻2の4 亀嶋七郎が奇病
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 泉州境の津に名高い大寺は、その昔、聖武天皇の勅命によって仏寺となり、大念仏寺と号したが、元は住吉大社の別宮で、木戸村、原村、開口村、これら三ヶ村の氏神であったため三村大明神と号し、塩筒の翁(塩の神様)を勧請した所である。 この寺の住職に契宗という法師がいて、もと亀嶋の住人であり、契宗の親族も多くがそのあたりに住んでいた。 あるとき、この僧の兄で [続きを読む]
  • 巻2の3 淀屋の屏風
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 淀屋の何某という者は、難波津で第一と言われる富貴を極め、万事、欠けることのなかったあまり、道楽に財産を浪費し、何に依らず一芸に秀でた者を招いたり、あるいは尋ねて行ったりして、楽しみとしていたので、ありとあらゆる名人や堪能の輩が、我先にと集まって、芸を争っていた。 ここに元禄二年二月、天王寺の御開帳があって、都からも田舎からも、富める者も貧しい者 [続きを読む]
  • 巻2の2 宿世の縁
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 西八条遍昭心院大通寺は、世に尼寺として知られ、その昔は清和天皇(850-881)の第五王子、貞純親王(873-916)の宅地であって、六孫王経基(?-961)も相続いて住んでいたところであるが、ここに葬られて、その墳墓うず高く、長い間埋もれることもなく星霜を経たところに、去る元禄十四年の冬、新たに官社を造営することとなった。 神宝や社務が立派に改築され、甍には花を飾り [続きを読む]
  • 巻2の1 岡崎村の相撲
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 筑前の博多、黒崎などというあたりは、よい相撲取りが大勢いる所である。 元禄十二年、京都岡崎の村で勧進相撲を取りむすぶこととなり、諸国に人を遣わし、抜き手の者どもを選んで上京せよとの沙汰があり、当国の男どもの中には、両国梶の介、金碇仁太夫という者を始め、たくさんの相撲取りどもが、ここぞとばかりに勝負を挑み誉を得ようと、我先に京へ上る支度をしていた [続きを読む]
  • 巻1の5 宮津の妖 附 御符の奇特ある事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 丹後の国、宮津という所に住む須磨屋忠介という者は、絹を商っており、たくさんの機織り機を糸繰りの女たちに使わせ、日夜、家業を怠らなかったので、年ごとに栄えていって、雇人も大勢になっていた。 その中で、長年勤めて古参に数えられる源という糸繰りは、出身が成相の脇で伊祢という村の者であったが、幼い時に父と離れ、母ひとりの手で三つ四つまで育てられた。この [続きを読む]
  • 巻1の4 灯火の女 附 小春友三郎妖化に遣わるる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 甲州青柳という所に、小春友三郎という者がいた。彼の祖先は元、太田道灌の家来で、小春兵助という武士であったが、文明の頃、主人の道灌は、上杉定正と戦った時に討死した。 兵助はその時、重い病に罹っていたので、出陣せずに引き籠っていたが、戦の知らせを聞いて、具足に身を固め、手鑓を押っ取り、馬に飛び乗って扇が谷の戦場へと駆けつけた。しかし時すでに遅く、主 [続きを読む]
  • 巻1の3 石塚の盗人 附 鉄鼠砂をふらせし事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 上古、神宮皇后を葬った陵は和州歌姫の地にあって、成務天皇を葬った陵と並んでおり、俗に、神宮皇后の陵を大宮と名付け、成務天皇の陵を石塚と言って、その頃の官職や大連が住んでいたところも、土師村、陵村と呼ばれ、これらは千歳を経た今でも残っており、世の中の移り変わりを見続け、成務、神功、孝謙、三代の陵墓が連なりながら、松の緑を誇っていた。 さて、吉備の [続きを読む]
  • 巻1の2 狢のたたり 附 豊後国日田の智円が事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 豊後の国、日田という所にいた智円と云う僧は、たいへん禁呪の術に長け、病人を加持すればたちまち妖魅(つきもの)が払われるなど、霊験あらたかであったので、近郷の者は誰もが足を運んで、寺の門前はまるで市でも立ったようであった。そして皆は、金銀や衣服、米穀などを喜捨し、あるいは建物や本尊の修理を買って出るなど、思い思いに寄進をしていた。 中でも、近くに [続きを読む]
  • 巻1の1 剪刀(はさみ)師、竜宮に入る
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 元禄の年号は、元年から17年(1688-1704)まで続き、将軍は5代綱吉、生類憐みの令の真っ只中です。 江戸時代が始まってから約100年、世の中が円熟してきて、文化的にも、井原西鶴、松尾芭蕉、新井白石、近松門左衛門などが、同時代に活躍しています。 また、忠臣蔵で有名な赤穂浪士の討ち入りは、元禄15年の出来事です。 こうした、騒がしくも面白い時代に、俳 [続きを読む]
  • 竹の子
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 片田舎に、普段から仲の悪い隣同士があって、何かきっかけがあると、すぐに喧嘩ばかりしている。 あるとき、こちらの畑へ、隣の藪の根が張って、筍が生えたのを取っていると、隣の亭主が見つけて、「これこれ、その筍はこっちの藪から生えたのだから、こっちのものだ。断りなしに、なぜ取る」「いやいや、そっちの藪から根は這っているが、生えた所が俺の畑だから、筍はこ [続きを読む]
  • 河童
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 河童がうろうろと陸へ上がり、まごついている所を、人が見つけて、ヤレ打ち殺せと大勢寄って、とうとう河童をひっ捕らえ、「こいつは、よく人の尻子玉を抜く奴だから、見せしめのため、こいつの尻子玉を抜いてやれ」と、寄ってたかって、河童の尻子玉を引っこ抜き、突き放せば、河童はひょろひょろして、命からがら川の中へ転げ込んだ。 そこへ、友達の河童が来て、「おや [続きを読む]
  • 蛇蛙
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 往来の野道に、大勢の人だかりがあるので、何事ぞと見れば、大きな蛇と蛙が向かい合って、互いに狙い合っている。 じりじりと詰め寄せては、又、じっとして見合っているので、大勢の見物人も目を離さず、「今に蛙が呑まれるであろう」「イヤイヤ、この蛙は一通りの蛙ではないから、蛇のほうが呑まれるであろう」と評議とりどり。 そうこうして見ているうちに夕刻となれば [続きを読む]
  • 幽霊
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください なじみの女郎のから文が来た。「故あって、二十両の金がなければ、生きていられなくなりました。死んでしまっては、かねて約束した、夫婦にもなられませんので、是非とも二十両の工面をお願いします」との文言。男は、惚れた女郎の命づくと聞いて不憫に思い、何とか金の才覚をしてやりたいと思ったが、都合悪く、そのままにしてしまった。 それからしばらく経って、男が、 [続きを読む]
  • 初雷
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 晴天にわかにかき曇り、雷が鳴りはためけば、家内の者ども皆恐れて、蚊帳を吊って静まり返っているところへ、ゴロゴロピッシャリとすさまじい音がして、雷様が庭先へどさっと落ち、手水鉢で手を洗っていた。 亭主、恐る恐るさし覗いて、「もしもし、どうなさりました」「いや、今、あそこで、臍をつかみそこなった。ああ汚い」<蛇足>では、何を掴んだのか。ああ汚い。 [続きを読む]
  • 女惚れ
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 女郎が大勢で、「何々さんが来なんした」と、色男を取り巻いた。 一人の女郎が、「わっちは、ぬしの目つきに、どうも惚れんしす」と言い、また一人は、「口つきにさ」また脇から、「わっちは心意気に」「わっちは声に」と、そこら中から、「惚れんしたよ、惚れんしたよ」と、口々にわやわやわやわや。 その中で、その色男に指名された女郎ひとりが、悲しい顔をしてめそめ [続きを読む]
  • 誕生日
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 勘定奉行が誕生日のお祝いをするというので、出入りの町人たちが皆、申し合い、進物をすることになった。勘定奉行の干支が子の年と聞いて、銀で拵えた白鼠の置物を進物にしたら、奉行は大変喜んで、皆に酒を振舞い、「さてさて、心入れ千万、かたじけない。ところで、妻の誕生日も近いので、また、お祝いをしようと思う」「それは、おめでとうござります。奥方の干支は何の [続きを読む]
  • かけとり
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください ある男の家に、掛取り(借金取り)が大勢詰めかけて催促していたが、なかなか払わないので、掛取りたちは座敷へ上がり、悠々と居催促をしていた。後から来た米屋は、居所のなさに、入り口にかがんで居たので、亭主がそっと呼んで、「貴方は、明日早く来なされ」と言う。 米屋は、これは多分、俺一人に早く来いと言うから、俺だけに借金を済ませるつもりかと、喜んで立ち帰 [続きを読む]
  • 閻魔
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 閻魔様が御大病になって、地獄の医者たちがいろいろと思案し、娑婆の名医を連れて来ることになり、青鬼へ仰せつけられた。青鬼、「ハッ、かしこまりましたが、娑婆へ参りましても、どれが名医か知れませぬ。どう、見分けましょう」と言う。十王が、「それは、門口に幽霊の居ない医者が名医じゃ」と言いつけた。 青鬼が娑婆へ出て、医者の門口を見ると、皆ことごとく、盛り [続きを読む]
  • 婿二人
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 娘一人がいる家に、二人の男から、嫁に貰いたいと申し出があった。 一人は大金持ちだが大ブ男。もう一人は貧乏だが頗る美男。両親も、どうしたらよかろうと娘に語れば、娘、「両方ともへ嫁入りしましょう」「おまえは、とんだ事を言いやる。両方へ嫁入りして、どうするつもりだ」「昼のうちは金持ちの所で食べて、日が暮れたら美男の家で寝ましょう」<蛇足>現代でも、実 [続きを読む]
  • 息子
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 親父が旅行に行くので、息子に、「これ、俺の留守に、もし人が来て聞いたら、『旅行いたしました』と言え」と申し渡し、息子は、忘れてはならぬと紙に書き付けて、袂に入れ置き、時々出してこれを見ていた。 一日、二日経っても、誰も尋ねに来る人もなかったので、もはやこの書付も要らぬものと、袂から出して焼いてしまった。 翌日、客が来て、「親父様は」と問う。息子 [続きを読む]