戸田聡 さん プロフィール

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戸田聡さん: ウソの国?詩と宗教
ハンドル名戸田聡 さん
ブログタイトルウソの国?詩と宗教
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp
サイト紹介文自由にも不自由にも首を絞められそうになってる糞爺のブログ
自由文書庫分類(今のところ6つ):「日記」
「詩のようなもの」「詩と宗教・信仰」
「数学・算数・図形」「理念・断片」「震災関連」

元・精神科医。今は患者です。
考えることと感じることを、命ある限り、
忘れないようにしたいです。

座右の銘「何様のつもりだ!」を
心がけていくつもりです。
うまくいきませんけれど・・・

気が向いたらポチよろしく
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供291回 / 365日(平均5.6回/週) - 参加 2010/09/20 13:45

戸田聡 さんのブログ記事

  • 「偽善者」
  •    偽善者   私が出会った偽善者の典型  30年の牧師のキャリアがあると言う。外国で暮らした経験があることを必要もないところで書いたりする。 丁寧な言葉遣いで盛んに聖句を引用し神を讃美する。 私は不覚にも数年間彼を聖書の先生として敬意を抱いてさえいた。 今思えば私はまんまと騙されていたのである。牧師だったのかどうかも分からない。プロフィールには引退ボクサーというモジリも書いていた。そこで疑うべ [続きを読む]
  • 「解釈と約束」
  •    解釈と約束  聖書は読むべきだが原語で読める人は極めて少ない。また原語で読める人の言うことが常に正しいわけではない。 聖書は原語に詳しい人が解釈しその翻訳を一般の人は読んでいるしそれを聖書と呼んでいる。 聖書は神の言葉と呼ばれる。しかし聖書は人の言葉で書かれ翻訳され解釈される。 受け取るべきは解釈だろうか。 神様の約束という言葉は麗しい。しかし現実には神の約束の有り様は解釈する人によって分か [続きを読む]
  • 「一体」
  •    一体  テレビの王室の結婚式での教会の話。 神と一体である教会・・と豪語する。 多くのセレモニーで教会はそう言うのだろう。 ここに事実と当為を混同する典型例か事実と当為を区別しない人間の罪の性質が見られる。 神と一体の教会これは当為かくあるべき理想であり、実際には人間が営む以上ありえないから理想でありキリスト者と同様教会は神に背いてきた歴史があり教会は神と一体ではなかったことがあってむしろそ [続きを読む]
  • 「信仰が求めるもの」
  •    信仰が求めるもの  救われるためにキリスト信仰に必要なことは難しい超常を信じ込むことではなく難しい哲学を学ぶことでもなく気難しい人になって悟りを開くことでもないのです。 必要なのは超常の神ではない人間としての弁えを持つことだけです。 つまり神と違って不完全で弱く小さい存在であることを神に対して正直に認めることです。 教理とか儀式とかはその後ついてくることであり人がそれを守るように言うことは伝 [続きを読む]
  • 「学問と信仰」
  •    学問と信仰  学問は人の知恵である。学問は冷静であり対象を絶対化しない。 学問は絶対ではない。学問は糧である。 しかし時には神学その他の学問の名のもとに自説を学問の妥当性と整合性をもって絶対化してしまうことがある。 絶対を持っているのは神のみである。 学問的に正しいと言われることは人の世界の整合性であって神の整合性には遠く及ばない。 信仰者は神に対する恐れをもって糧ととなるべき学問を相対化す [続きを読む]
  • 「信仰と行為」
  •    信仰と行為  キリスト信仰は何かをせよと命じる信仰ではない。何かをすることが条件でも目的でもない。何かをすることで信仰が成るわけでもない。どんな大きいことにおいても小さいことにおいても行為によって義認される信仰ではない。 十戒は戒めであるがこれを正しく守ることが出来ない人間ゆえにキリストによる福音が伝えられる。 新約においても命令形は数多く見られるがそれらの命令は目標を語っていて救いの条件を [続きを読む]
  • 「正しさの誘惑」
  •    正しさの誘惑  信仰はどうするべきかではなくどうあるべきかであるということを前に書きました。 あるべきことは守るべきこと以前に弁えておくべきことです。 人間の罪の根源はどんなときも正しさを求めてしまうところにあります。 罪の根源は人間の正しさにあるのです。 正しさは一つだけと他の正しさの存在を否定します。これは諍いの種になります。 一つだけの正しさは神のみのものです。 しかし人それぞれの多様 [続きを読む]
  • 「ちり灰の中で」
  •    ちり灰の中で  ネットを見ていますと、ヨブ記についてヨブは神の与えた試練に耐えたという書き方をしてそれだけになっているサイトが結構あることに驚く。 自分の先入観的な善の結論から逆に神の関わる話をまとめてしまう考え方です。 神は悪いことはしないしヨブも立派に耐えたのだと辻褄を合わせようとするのです。 何でも分かったことにしないと語れないという先入観でもあります。聖書を正面から見ていない態度とも [続きを読む]
  • 「空の思想(2)」
  •    「空の思想(2)」    コメント欄より少々編集  「空の思想」https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/19725624.htmlに次のようなコメントをいただきました。 私の記事引用:>どうか伝道の書の空を軽んじる者に>同調しないでいただきたい。>そういう人は>空、空しい、の意味を理解していないだけだから。」 意見として:「 伝道の書1:2で「空」と訳されている語はヘベルです。手元の辞書で見ると、旧約聖書で73回ほ [続きを読む]
  • 「分かる信仰」
  •    分かる信仰  人間に分かることを分かろうと努めるが 人間に分からないことを分かると思ってはいけないし分かると言ってはいけない 「分かる」「見える」というところに罪はある 知っている、守っている、これらも同様である 人間に分かることとは人間の世界つまり現実における一部でありまた人間の持っている思慮と情緒によるものである 人間に分からないこととは、神の聖なる意志と行為でありとりわけ奇跡である な [続きを読む]
  • 「空の思想」
  •    空の思想  伝道の書が語る空(くう)の思想は、別に仏教との融和を語っているわけではない。 しかしキリスト信仰者の中には空をただ空しいと解釈してソロモン王とも言われる著者の伝道者を恵まれているのに空しいと語るような者と言っている人がいる。 どうか伝道の書の空を軽んじる者に同調しないでいただきたい。そういう人は空、空しい、の意味を理解していないだけだから。 伝道者は神のなさることについては讃美し [続きを読む]
  • 「信じる」
  •    信じる  正直言って私は神がいるかどうかなんて分からない。分かると言えるだけの根拠を持たないからだ。 だいたい神がどのような形なのかさえ人は知らない。 神を信じると言うことが思いを強くするほどに信じ込むことならば神について分かりもせぬのにその姿、その存在様式、その御心を乏しい自分の知識からみすぼらしい自分の視野に納まるものをそれらしく作るしかなくなる。 神はいるんです!と言い張る心には既に何 [続きを読む]
  • 「逆境と弱さ」
  •    逆境と弱さ  時を隔てた2つの聖句を並べてみます。ここでは聖句の言葉の改行位置なども好きなようにしてみます。  「順境と逆境」この聖句は、人には人の領分があり、神の領分を欲しがってはいけない、と教えると同時に、支配と救いの正しさは、ただ全能の神のものであり、人は、それを受けて考えるために生きている、のであって、すべての答えを欲しがる立場になく、その能力もなく、全能をもって救えるのは、ただ神の [続きを読む]
  • 「信仰と人間」コメント
  •    「信仰と人間」コメント  こうさん、の記事コメントに次のようなものがあります。 あの方の学びが浅いだけで キリスト教がそうだとは思えないですね。 必死に語ったのがバカらしくなりましたよ。コメント感謝です(^^) 2018/5/4(金) 午後 3:08 [ こうさん ] ↑ この人物おそらくリアル子供かと思われます。 2018/5/7(月) 午前 11:02[ ]返信する  >  さん  はい、私も、リアル子供でいいです (苦笑) 2018/5/7(月) [続きを読む]
  • 「あわれみ」
  •    あわれみ  異教の人または求道者に対して私はあなたを憐れみますと言うのは信仰に適うか、 適っていないことが多いと思います。 まず相手の反応は憐れまれる謂れはないということになる可能性が大です。 そういう交流上の予測をするべきということもあるでしょう。 しかしそれだけではありません。 憐れみの中に相手を悟らない者とみる態度があるかもしれないからです。 それはないと言えるでしょうか。伝わるでしょ [続きを読む]
  • 「フットプリント?」
  •    フットプリント?  揺るがない信仰のことを十字架によって罪に死んだのだから死体を蹴ってもびくともしないということに喩えているのを見たことがある。 揺るがない信仰が死体の無反応? こういう比喩をして憚らずかつ反省もしないというのは単に比喩表現が下手くそというだけではない。 こういう教え方をすることが邪悪だと思うのはとにかく罪が死んだのだから十字架によって総ての罪は赦され死ぬまで赦されておりこれ [続きを読む]
  • 「信仰と人間」
  •    信仰と人間  信仰は人間性を含むあるいは信仰者は人間を含むと言ってみて人間性のない信仰の部分とかある?と思い直して 善き人間になりたい人々の中に信仰者は含まれると言い直してみるのです。 信仰に拠らず善き人間であることがあるのかと熱心な信仰を思う人から言われそうですが、それはあると思います。 神の全知全能は人が決めつけて理解できるものではありません。 また、この世に矛盾を感じて義と善を追究して [続きを読む]
  • 「絶対と相対(2)」
  •    絶対と相対(2)   かな漢字および言い回しなど、少し修正した可能性あり。   タイムスタンプ省略。   コメント本体は、記事「苦楽」コメント(2)コメント    https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/19709986.html    のコメント欄です。  (こうさん様が続けます) 長文ありがとうございます。カルトは私の学んだ浄土真宗にも存在します。それは偽の信心を掴んだ者です。 信心授かるとそんな方は話せ [続きを読む]
  • 「薄命そうなピエロ」
  •    薄命そうなピエロ  私は読書障害の傾向があるようで黙読が遅くて、億劫で、苦痛です。目で読んでいても読んでいない時があります。あちこちブログ、ごめんなさい、最初の数行しか読まないでナイス入れること、あります。 例えば、昔の受験のような死活問題か、あるいは、よほど引き込んでくれるか、でないと全部読むということはしない・・。子供の頃、父が買ってくれた小学○年生と中○時代殆ど絵を見るだけで読まなかっ [続きを読む]
  • 「絶対と相対」
  •    絶対と相対   コメント本体は   https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/19709986.html  (先ず、こうさん様の意見です) コメントではありませんが、 何方かに考えてもらえることもあるかと書いてみます。これは母から幼い頃に聞かされたことです。 以下↓ 仏様は自分の心にいらっしゃるもの。。。仏様は、自分の心を見せ、気づかせてくださる。  紙に書いた線。この線がまっすぐな線かどうかは一本の線ではわかり [続きを読む]
  • 「神聖とは」
  •    神聖とは  私たち信仰者は終末の救いの成就のために生きていることは聖書から言えるのかもしれない。 しかし私たちは今の時点からずっと終末を考えるなんてことは出来ない。 何故なら終末はいつ来るのか分からないし、また終末がどのような様相で訪れ私たちがどうすればよいかについても聖書は比喩と謎に満ちた黙示であるから知らないし分からないからだ。 神の全知から言って神はそのような人の事情を既にご存知である [続きを読む]
  • 「思考と情緒」
  •    思考と情緒  悲しみは思考を促し喜びは思考を忘れさせ喜び浮かれることは思考を停止させる 悲しみを嫌い喜びだけを求めればいいように何かを信じ込むことは思考を停止させる 悲しみに沈み続けることは心を暗く塗りつぶしかねないので思い煩うなという癒しの教えがある つまり思い煩うほどに考える必要はないということであって考えなくていいということではない 癒しと麻痺を勘違いしてはいけない 麻痺へ導くのは信仰 [続きを読む]
  • 「苦楽」コメント(2)コメント 
  •    「苦楽」コメント(2)コメント (一部割愛)     記事「苦楽」コメント(2)は     https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/19706359.html  御二方ともに、貴重な遣り取りを有り難うございますm(_ _)m 感謝。 2018/4/28(土) 午前 0:57[ ◯ ]返信する  こうさんさんと戸田さんのやり取りを拝見して感じる事。 こうさんさんの思考は水平的であり、戸田さんは垂直的思考なのではないかと。ご承知のように民俗 [続きを読む]
  • 「確信」
  •    確信  確信をもって、ということが信仰でも言われます。しかし私は、以前から、神の意志について、どうして人が確信を持てるんだ、と言ってきました。 神の意志について人が確信を持ったらそれは訂正不能になってしまう、という危惧であります。 人は神に比べて不完全なのだから、人には訂正不能にしてよいものは何もない。 ましてや神事を人が訂正不能にする?とんでもないと思うわけです。そんな能力は人にはないから [続きを読む]
  • 「贖い」
  •    贖い  キリストの十字架は人の罪の贖いということは、聖書から学び教会で聞く。 だからといっていつもそれを思い出してあるいは唱えて感動できるわけではなく心の支えになるとも限らない。 人は不完全であるがゆえに同じ情緒を保てないからだ。 感動しているように演技することは出来ても感動をそのまま保持することは出来ない。感動に再現性はなく、そのとき限りである。 しかしこのことは人がいつも新しい感動を求め [続きを読む]