戸田聡 さん プロフィール

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戸田聡さん: ウソの国?詩と宗教
ハンドル名戸田聡 さん
ブログタイトルウソの国?詩と宗教
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp
サイト紹介文自由にも不自由にも首を絞められそうになってる糞爺のブログ
自由文書庫分類(今のところ6つ):「日記」
「詩のようなもの」「詩と宗教・信仰」
「数学・算数・図形」「理念・断片」「震災関連」

元・精神科医。今は患者です。
考えることと感じることを、命ある限り、
忘れないようにしたいです。

座右の銘「何様のつもりだ!」を
心がけていくつもりです。
うまくいきませんけれど・・・

気が向いたらポチよろしく
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供292回 / 365日(平均5.6回/週) - 参加 2010/09/20 13:45

戸田聡 さんのブログ記事

  • 「原罪」
  •    原罪   (創世記、口語訳)2:15主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。 2:16主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。 2:17しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。  ・・・3:6女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと [続きを読む]
  • 「教会」
  •    教会  聖書からのイメージが教えられた話が牧師の説教と言動が他の信徒の言動がそして何よりも人の言葉で表されたものが心の偶像になりうるでしょう。 もう一つ教会も偶像となりうる大きな要素です。 カトリックの教会のキリストとマリアの像はむしろイメージ感を持っていてイメージなのだという気持ちも呼び起こすのでまだ分かりやすいかもしれません。 つまり像ではなくカトリックの教会のみならずプロテスタントの教 [続きを読む]
  • 「信じる理由」
  •    信じる理由  イエスを救い主キリストと信じたのは福音書を読んで感動し救い主として仰ぐに相応しいと思ったからであって 福音書の最初に書いてあるようなイエスがダビデの子孫だから信じたわけではない。 また数々の物や肉体の奇跡のゆえでもない。 キリストは十字架で死んで葬られ復活したのち天に昇ったと書いてある。 それを否定するわけではないがそれが信じる理由でもない。 キリストの代わりに聖霊が降臨すると [続きを読む]
  • 「道徳と」
  •    道徳と  最も偶像になるのは最も思い込みやすいのは自分自身であることを忘れてはいけない 聖書を教えを説くときも実際は自分の道徳観に照らして納得のいくことを教えている だから聖書を教えているつもりで実際は誰もが頷くような当たり前の自分の道徳観を教えていることがある 行為義認ではないのだから聖書に表された救いは道徳ではない 聖書に書いてあるからと道徳を説いても聖書を教えたことにはならない 道徳を [続きを読む]
  • 「唯一大事なもの」
  •    唯一大事なもの  全能の神について私たちは決して知ってはいないし分かったわけでもない。 神について自分に必要なものについては知っているのか。いやそれも分からないと言うべきだろう。何が必要かは神が決めることだから。 では神について全然知らないのか。いや知っている。しかしそれは神の超常を知っているのではない。 私たちがそれぞれの人生において聖書の神に出会ったのは超常体験ではなく経験である。 超常 [続きを読む]
  • 「信仰=祈り」
  •    信仰=祈り  キリストに救われた人々はキリストの生い立ちを尋ねたか。ダビデの子孫であることを尋ねたか。生贄と贖罪について尋ねたか。否である。 彼らはただどうしようもない願いがありどうしようもなく正直でしかありえずゆえに正直に願いを隠さず飾らずキリストに訴えて義とされたのである。 人は何ゆえ神を仰ぐのか。 人間は神を信じると言うほどに神の情報を与えられてはいない。 信仰があってそれゆえに祈るの [続きを読む]
  • 「偶像と祈り」
  •    偶像と祈り  超常を信じ込めば必ずどこか何か超常を思い描き思い込むことになる 神の御姿キリストの顔救いの現れストーリー成り行き奇跡 思い込みは信じ込むことにつながり神の意志と行為を決めつける 神の民としてそれではいけないと思う者は心掛けだけは持っていて 超常ではなく日々訪れる現実においては自分の心と成り行きを思い 超常の奇跡は分からない 成り行きの決めつけもしない 心の奇跡だけはと祈る しか [続きを読む]
  • 「神の存在」
  •    神の存在    コメントに書いたことから  記事に書いたことですが、あくまで私にとって、ということですが、神はいるのかと問われたら、私は、分からないと答えるでしょう。 しかし、今は分からなくても、神がいないならば、どこにも、人格を理解する絶対者がいないならば、私は生きてゆけないと申し上げます。 つまり、神への信仰は、その存在の格とは逆に、人の必要から生まれるものだろうという見解です。聖書を読 [続きを読む]
  • 「悪魔」
  • (修正あり)    悪魔  私たちは神とか良心とかはなかなかはっきり言えることが少ないのだが 悪魔については知ってるだろう。  コノヤローと思うときに心に出てきているヤツ ムッとするときにもしっかりスタンバイしているヤツ ほかでもなくそれは私だ  ※ つまり、私たちの人生には、ホラー映画のような悪魔ではなく、もっと身近に、たくさんの悪魔がいるということです。さらに、私たちは、悪魔を養ってさえいると [続きを読む]
  • 「完全言葉」
  •    完全言葉  神について使う言葉、全知、全能、絶対、永遠、完全、など これらは、憧れ望むところの対象にはなりますが、 これらの、いったい、どれが、人間の手に負えるというのでしょう。 これらは、むしろ、神が人間の理解するところの対象ではないということを表しているのです。 しかしながら、現実は、これら、完全言葉は、説教や伝道において、あたかも神についての理解を表すかのように使われています。 人が完 [続きを読む]
  • 「功罪」
  •    功罪    キリストの教えの功罪ではない。    キリストの教えを知ってるつもりの人間の功罪である。  二千年のキリスト教の歩みによって善かれ悪しかれキリストの教えは聖書によって今に至るまで伝えられてきた。 悪しかれを除外することは出来ない。それは世の人々に対してキリスト者に対してもキリスト教の固定観念を育ててきたからだ。 聖書と数々の書籍は聖典および貴重な糧として伝えられた。しかしキリスト [続きを読む]
  • 「悲しみ」
  •    悲しみ  どうしようもない悲しみから信仰者は除外されているとはあまり思わないほうがいい。 しかしどうしようもない悲しみから信仰者は見捨てられたとは決して思わないでほしい。 何故ならどうしようもないとはこの地上で人間の力ではどうしようもないということだからだ。 神の救いが終末でのみ成就と限られてはいないあるいは神の救いが死後と限ったものではないつまり救いは折々に与えられるのかもしれないでもその [続きを読む]
  • 「膨張と不全」
  •    膨張と不全  いつの時代もそして今も人間は自我というものを自己を省みることなく勢いのままに膨張させやすいから 人の世界の宗教を考えるとき人間存在がいかに不完全であり罪深いかを人が知るために神は働きかけキリストを遣わしたような気がする。 罪を悔い改めるだけで救われるというのは逆も真なる同値として罪を悔い改めなければ救われないという意味を含んでいる。 膨張する罪は宗教においても起こること。個人の [続きを読む]
  • 「潤い」
  •    潤い  目は潤いのない熱に耐えられない 乾燥した熱は命を損なう 命には潤いが必要だ 人間という水の動物には温もりの前に潤いが必要だ 命は水の世界から始まっている 目はいつも濡れている 人間は水に触れていなければ温もりを感じない人間は水に満たされていなければ温もりを与えられない どんなに強くても潤いがなければ何も伝わらないどんなに熱くても潤いがなければ何も伝わらない 世界に潤いがあったから世界 [続きを読む]
  • 「アーメンソーメン」
  • (修正あり)     アーメンソーメン  一般の人がある時までの私がキリスト教というとわけもわからず揶揄するような態度でアーメンソーメンねと見ているか見ていたかもしれません。 アーメンソーメンに含まれるのは古くから映像などに残されたところの敬虔の言葉にふさわしいとされるところのクリスマスにテレビなどで放送されるところの文化的先入観あるいは固定観念あるいはイメージなのです。 いつも微笑を湛え腰は低く [続きを読む]
  • 「動くとき」
  •    動くとき  愛と意欲と情熱によって動くか 憎悪と保身と恐怖によって動くか  地上の街中の雑踏で動くことになっても一人の部屋で動くことになってもさいはてで動くことになっても 乏しい行動力を発揮して精いっぱい生きていたいなら 前者のほうが温かく幸福とも呼べるだろう。 涙に震えることもあるだろう。 宗教と信仰が後者であってはならない。 冷たく震えたくはない。   神に跪いて罪を認めて告解して涙に濡 [続きを読む]
  • 「私たち」
  •    私たち  私たちが神様の何を知っているというのでしょう。 私たちにとって神様は折々に良きものを与えてくださいます。 でも私たちが神様のために何かをしたとしても神様のためにしたのだから良いことだなどと決めつけないでください。 私たちが不完全な身でありながらしたこと、それは神様に見ていただくための捧げものです。 本当の良きものは私たちが持っているのではなくなお神様とともにあります。 神と人とは双 [続きを読む]
  • コメントを記事に
  •    コメントに書いたのですが、それだけでは足りないと思うので、  私のコメントを記事にしておきます。  政治の: あれが不起訴なら、国民は沈黙の羊になれ、無抵抗の奴隷になれ、ということになる。いったい何のために法治国家があるのか。 多くの国民は、今の平和と今の社会が、このまま正常に続くことを、なんとなく信じているのかもしれません。役人にも、そういう人が多くいるのかもしれません。 しかし、今、起こ [続きを読む]
  • 「キリストの使命」
  •    キリストの使命  存在と支配は神中心 しかし信仰は人間のため 人間は神について知らないことのほうが遥かに多い 人間は神の奇跡について理解も共感もできない 物や肉体の奇跡は滅多に起こりませんそれに奇跡に驚くだけでは人は救われません どうして神を人が信じられるのだろうか 私たちが救われたいと望むのは救われない辛さを人間世界において知っているからでありゆえに何らかの理解と共感がなければ救いを求めた [続きを読む]
  • "aberration"
  •    aberration    weblo英和辞典https://ejje.weblio.jp/content/aberration  政治家は専門職ではない。政治学者は専門職だが政治家は専門職ではない。国民みんなに対して説明責任を負っているからだ。     (私の過去のコメントから一部修正) ABs「真摯に反省して二度とこういうことが起こらないように責任を果たしてゆく」 「真摯に反省」は前にも聞いた。そして、隠蔽や、白々しい辻褄合わせや、詭弁など、 [続きを読む]
  • 「凌ぐ」
  •    凌ぐ  信仰について悲しみの共感と慰めと癒しと言えば キリスト者は悲しくて苦しくて辛くて泣いてばかりいるのかと言われそうだが 前にも書いたように喜びや楽しみは悲しみを克服して得られるものであり ただ浮かれたように楽しい場合も含めて喜びは過ぎ去る定めを持っていて 必ず訪れるものとして喜びより悲しみのほうが大事なのは 悲しみが訪れるまでは順境においては楽しめという教えもあるのだから喜び楽しむこと [続きを読む]
  • 「人の善」
  •    人の善  人間は自分の行為の因果を限られた時間と空間において判断して善悪の判断をしている。 実に人間の関われる時空は限られている。 これが既に人間の善悪判断の不明を表しており人間の罪の原初だということを知るべきである。 このように考えると人間の罪は人間が善を行わずあるいは行えないために犯す罪だけではないということは明らかであり 人間の罪が人間が存在すること自体に不可避的に不可分的に犯してしま [続きを読む]
  • 「イエスからキリストへ」
  •    イエスからキリストへ  キリストは人の悲しみを分かっておられた以前そう書きました。 その理由は神の子だからというのは分からないと言うのと大して変わりありません 神と同じ全知という理由では何も広がりがないのです。人間として共感しようがないのです。 キリストは公生涯よりも前にすでに多くの悲しみを見てこられたのだろうこれも前に書きました。 ここを考えることで人間として生きてきた御方の人間に共感でき [続きを読む]
  • 「幸福と不幸」
  •    幸福と不幸  伝道者によっては信仰を持つとこんなに幸福になりますというような信仰は幸福への道という伝え方をする人がいます。 私はたちは信仰を与えられてそんなに幸福でしょうか。 今も数々の困難の中でただ信仰によって耐え忍んでいるということ以上に信仰を与えられてどんでん返しのように今は、とても幸福です、幸せいっぱいですと言えるような素敵な心境に変わるでしょうか。 信仰を得たのだから幸福でなければ [続きを読む]
  • 「魂の奇跡」
  •    魂の奇跡  讃美する資格もない罪人である私さえも神は憐れんで救ってくださるということに誤りはないと思うけれど そうするために讃美ばかりをするというのはどうだろう。  ハレルヤ くらいが精いっぱいで 神のどこがと讃美するほど神を知らない。 助けてくれたということなら それは感謝でしょう。 それは罪深く讃美する資格のない自分という人に目をつぶることではないか。 神は罪に目をつぶり目をそらす人を救 [続きを読む]