戸田聡 さん プロフィール

  •  
戸田聡さん: ウソの国?詩と宗教
ハンドル名戸田聡 さん
ブログタイトルウソの国?詩と宗教
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp
サイト紹介文自由にも不自由にも首を絞められそうになってる糞爺のブログ
自由文書庫分類(今のところ6つ):「日記」
「詩のようなもの」「詩と宗教・信仰」
「数学・算数・図形」「理念・断片」「震災関連」

元・精神科医。今は患者です。
考えることと感じることを、命ある限り、
忘れないようにしたいです。

座右の銘「何様のつもりだ!」を
心がけていくつもりです。
うまくいきませんけれど・・・

気が向いたらポチよろしく
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供303回 / 365日(平均5.8回/週) - 参加 2010/09/20 13:45

戸田聡 さんのブログ記事

  • 「伝道と伝達」
  •    伝道と伝達  人間は、伝達の手段として言葉を用いることが多いのですが、一つの言葉が、いつも一つのものを指すとは限らないのが、人の言葉の常態であり、人が絶対ではなく相対的である表れです。 きれいな夕焼けと言えば、きれいな夕焼けの情景が伝わるとは限らない、というのと同じようなことです。心の中のことを表すなら、なおさらでしょう。 だから、詩人は心を伝えるのに、努めて様々な比喩を使うのです。そこが伝 [続きを読む]
  • 「「近況、逆説的な」コメント欄」コメント
  •    「「近況、逆説的な」コメント欄」コメント  コメント欄を記事にした「「近況、逆説的な」コメント欄」のコメント欄にコメントが寄せられ、これも大事な気がしてきたので、記事にいたします。  こんにちは。この記事からシャローム氏のブログを見ましたが、主張の根底にあるものがRにはよく分からないです。何に対して怒ってるのかな。共産主義でも逆に国粋主義でもないようだし、キリスト教的でもないような。何に基づ [続きを読む]
  • 「信仰を支えるもの」
  •    信仰を支えるもの  二千年前、キリスト者が、今日か明日には殉教して天国にいるかもしれない、という状況では、教会の結束を固める意味でも、ひたすら讃美するしかなかったでしょう。その状況で、疑問など感じていては今までの苦労が水の泡になる、死が迫っている状況では、そういうものなのでしょう。讃美しかない状況、それは、聖徒には死の迫る時、また、私たちには臨終の時なのです。 しかし、現代の私たちにおいては [続きを読む]
  • 「近況、逆説的な」コメント欄
  •    「近況、逆説的な」コメント欄   上のタイトルの記事とコメントは関係ないようにと思えますが、人間の精神性ということを考えて思い出して、何やら腹も立って、自分のブログに自分で書いてしまった私のコメントです。 カルトは新興宗教の意味ですが、新興宗教だから悪いというわけではなく、伝統宗教の名を騙ることもあります。その悪性は、人間の良心をどれだけ無視しているかによるだろうと思います。つまり、宗教だけ [続きを読む]
  • 「悪質なカルト」
  •    悪質なカルト  一見して変なことを言っていると分かるカルトは、それほど大ごとにはならないでしょう。変だと思えば、近づくことはないからです。悪質で怖いカルト的宗教は、伝統宗教の仮面をかぶっているから怖いのです。 悪質なカルトは、一見、熱心で厚い信仰、柔和、敬虔、冷静、受け入れる態度、ということを、表面だけ装ってくるから怖いと申し上げます。 信仰において大切なことは、決めつけず修正可能であること [続きを読む]
  • 「依存と歪曲」
  •    依存と歪曲  讃美しているつもりが断定して豪語することでひたすら信仰自慢をしている自分に気づかない場合、 それでも、結局、気づいて祈りに結びつくなら試練であったと言えるだろう。 ある程度、考えるけれど、結局、考え続けるのが嫌になって、辻褄合わせをして完成したことにして、決めつけて言い張るようになる。こうなってゆくのは、とても危険なことです。 それでも反省しないで、強く言えば通用する、と思い込 [続きを読む]
  • 「慙愧の果て」
  •    慙愧の果て  数えきれない場面で失言がありまたは不適切な無言があり 見当違いの余計なことを言い見当外れの妄想を夢見て しばしば異国の異形の変な顔になって 今もこの顔をさらして死ぬ勇気も怒気もない暮らし この所作は間違っていないかなどといちいち思うようになったら神経症になるし イドの欲望に堕ちているのはいけないことなのだが今日と明日をつなぐための接着剤 ニコチンで胸苦しく電子タバコで煙に巻いて [続きを読む]
  • 「光と闇」
  •    光と闇  闇は、光を当てない限り、闇のままです。 不明は、不明であることを自覚しないと、やがて偽りの飾りを求めるでしょう。 罪は、悔い改めない限り、罪のままです。 罪人は、罪人であること自覚しないと、やがて偽善を求めるでしょう。  正しさは、人間においては、絶対にはなりません。 正しさの言葉を言えば正しくなるわけではありません。 正しさの言葉は、そのときの、正しい言葉とは限りません。 人間が [続きを読む]
  • 「近況、逆説的な」
  •    近況、逆説的な  強調したいとき、語尾を断定にする、語気を強くする、大声で言う、頻回に吹聴する、・・結局、強調されたかどうかは、相手によるのだ。 罪を犯さないこと、正しさ、愛の人、完全、いずれも多くの信仰者が求めることだが、為し得ている御方はキリストのみ、つまり、求めるべきだが、出来たと思えば偽善になること。 信仰によって目覚め、罪を思いとどまるまではよいのだが、罪を犯さなくなったと思えば偽 [続きを読む]
  • 「出会いと逆説」
  •    出会いと逆説  人が、キリストを一目見て、キリストだと分かるなら、むしろ怪しいもんです。私たちは神かどうかの見分けがつくほど賢くはないのです。イケメンか、神秘的な顔貌か、澄んだ目?、・・とても怪しい。様々に描かれているキリストの顔とか、・・想像でしょう。 人が、キリストを一目見て、視線が合った途端、人が悔い改める?、水戸黄門の印籠のように?、・・怪しい。それは、全くもって魔法の世界です。そう [続きを読む]
  • 「カルト」コメント欄
  •    「カルト」コメント欄  貴重なコメントを頂きましたので私のコメントと併せて載せることにしました。 あるカルト宗教は、家庭の不幸や病人に狙いを定め、最初の二週間は生活の面倒を見てやったり、下も世話までするそうです。もちろん、誘い込むための手段ですがね。また、四人一組で行動し、一人抜けたら「あなた一人が抜けたおかげで、あとの三人が迷惑と損害を被った」と脅しまがいのことを言うので、優しく責任感の強 [続きを読む]
  • 「信仰の義」
  •    信仰の義  義というのは、正しさという意味でしょう。神の義、神義は、神の正しさ。信仰の義は、信仰の正しさですから、信仰者つまり人について言うのでしょう。言い換えると、信仰における誠実さを神によって認められる、という意味でしょうか。 砕けた言い方をすると、罪が赦され、心の悩みや病や傷が癒されて、信仰の道に従っている、ということでしょう。・・これは、結果かな、この辺の宗教用語には詳しくありません [続きを読む]
  • 「と思う」
  •    と思う  人間が考えて書いた文章の、特に当為(「べき」の付くこと)を表す文には、書いてなくても「と思う」が付いています。人間が、こうあるべき、と考えたことだからです。 しかし、文章を書くときに、いちいち「と思う」を書いたのでは、しつこくて見苦しい文章になってしまうので、「と思う」と書くところと、書かないところがあります。 言いたいと思う程度の強さによって、文の語尾を変えて表しています。「とい [続きを読む]
  • 「罪と赦し」
  •    罪と赦し  重複するところがありますが、罪と赦しについて考えます。  (マタイによる福音書、口語訳)5:28しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。 (マタイ5:26、新約聖書) 情欲を抱くことさえ姦淫の罪だというキリストの厳しい教えは、守れ、ということではなく、罪なき者は一人もいない、という意味だと私は書きました。 人は、金持ち [続きを読む]
  • 「正しさへの恐れ」
  •    正しさへの恐れ  前に、人はいつも今の自分は正しいと思っている、と書きました。間違ったと思って反省しているときは、反省している自分は正しいと・・。 怒っているとき、泣いているときは、感情からの行為だから、正誤の判断の段階にない、ということかな、・・くらいに思っている段階が私ですが・・。 これは、今は正しい、ということであって、いつも正しい、ではありません。 信仰についても、今は正しい、と思う [続きを読む]
  • 「不信仰の弁え」
  •    不信仰の弁え  信仰が愛だと言われるのは、神が自分を救うから信じる、というのが信仰ではないからだ。契約の教理だけでは、聖書は書物のままで、超常趣味が飾るだけになる。 信仰は、契約書を見て契約するのではない。契約は、神の愛によるのであり、信仰は取引ではない。したがって、契約が先にあるのではない。理屈ではなく、縁のような絆のような愛が、さらに先行している。  (旧約聖書:新改訳)イザヤ書43:4 わ [続きを読む]
  • 「因縁付けと良心」
  •    因縁付けと良心  人について語ることは、その人の目に見えるもの、表したもの、そこからの感情と思想など、目に見えないものとしても具体的なことが多くあるだろう。 神について語れることは、絶対を表す言葉ばかりで、地上を生きる人間にとっては、そうですか、そういう解釈ですか、という感想以上を持ちえないことが多い。 にもかかわらず、神を信じる人は、しばしば、人について、事物について、神への因縁付けをした [続きを読む]
  • 「この世の神?」
  •    この世の神?   引用ブログタイトル:ダビデの日記β 最近、聖書の解釈として参考にしているサイトから引用します。 このサイトの批判ではありません。 記事タイトル:サタンはアダムから地上の支配権をだまし取ったの? https://blogs.yahoo.co.jp/psalm8934/33424160.html  まず「ダビデの日記β」から引用します。 >キリスト教界には、サタンがアダムから地球の支配権をだまし取ったという教えがあります。以 [続きを読む]
  • 「超常と偽善」
  • 批判的な記事が続きますが・・    超常と偽善  経験から想定されるところの、スピリチュアルよりも悪質な、お金目当てではない詐欺のようなものについて書いておきます。かなり今まで書いてきた悪質なカルトの話とも重複します。自尊目当ての、頼まれもしないのに関わってきやすい偽善者の話です。 超常もスピリチュアルも占いも、趣味や興味としては自由なのだが、私たちは、趣味や興味としてキリストを信じているわけでは [続きを読む]
  • 「気安さ」
  •    気安さ  自然を見て感動するのは、人の感性の自由であり、安息を求める宗教人には、よくある話になっているようです。でも自然の美をどう喩えても、美しいと感じたのは自分であります。 自然の美しさを見ることを、神を見ることと、抵抗もなく言ってしまう癖をつけると、神と、自然の美しさを、同じような気持ちで見る気安さにつながるかもしれません。 自然は神の創造物だから、と言うなら、創造した神の心が自然を見て [続きを読む]
  • 「悲しむ人」のコメント欄
  •    「悲しむ人」のコメント欄  悲しみを知っている人は反省の出来る人、という宗教的な話から、話が、なんだか政治的になってきて、私のコメントは知識不足で雑ですが、参考までに載せておきます。STは私です。私の思想傾向と個人的な事情を少し書いてあります。固有名詞の一部は書き換えて伏せてあります。 ST:戦後最悪の ABSは、なりふり構わなくなって、結局、ソリを辞めたら逮捕してもらえるのでしょうか。いず [続きを読む]
  • 「カルト」
  •    カルト  ここでは、単に新興宗教という意味ではなく、邪悪なカルトという意味で書いています。伝統宗教の中からも生まれてきます。 カルトは、奇想天外な妄想的な主張をもって、いつも目立って豪語している者たち、ということではなく、しっかり伝統宗教と呼ばれる者の中に住んでいて、内心では自分に従えと豪語したい欲求を持っている者たちも含みます。 邪悪なカルト、あるいはその芽は、人間らしい感情を、ひたすら、 [続きを読む]
  • 「疑問と危機」
  •    疑問と危機  信仰者でも、信仰について、疑問と危機があります。 1. 神はいないのではないか。 まず、信仰者が立つべきところは、今頃そんなことを言ってどうする、ということではありません。 この地上に見えなくても、この地上の背後でも、今は隠れていても、結局、どこにも神がいない世界に生きられるか、と自らに問うことになります。 信仰によって癒され生かされた体験を持っている人は、神のいない世界で生き [続きを読む]
  • 「無常の価値」
  •    無常の価値  人間が死にたくなるのは、周りに人間がいなくなるか、周りにいる人が人間と思えなくなるとき。 人間が生きるのは、周りに人間らしい人や話があって、いつも人間味を味わっていられるから。 人間味の中に尊い愛があり心があり、それゆえにこそ泣いたり笑ったりが生まれるというのに、 処女懐妊に、奇跡に、肉体の復活にと、超常の不明を、明として信じ込めば、いろいろな不明を次から次に信じ込んで、心は超 [続きを読む]
  • 「判断」
  •    判断  私たちは、皆、いつの間にか、信仰を自意識の中に取り込んでしまっていると思っておいたほうがよいだろう。 自分は神に救われると決めている心からは、自分と違う信仰は神の御心と違う信仰になり、受け入れられなくなって呆れる対象・・。 例として、ある牧師と、ある日、一緒に道を歩いていると、酔っ払いが機嫌よく笑って近づいてきた。適当にあしらうこともできただろうし、それが普通だと思うのだが、 牧師は [続きを読む]