列伝 さん プロフィール

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列伝さん: きょうのもののふフォト列伝
ハンドル名列伝 さん
ブログタイトルきょうのもののふフォト列伝
ブログURLhttps://ameblo.jp/yamazakibakufu
サイト紹介文熱く散って逝った源平・南北朝・戦国・幕末のもののふ達の、フォト・レクイエム列伝です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供136回 / 365日(平均2.6回/週) - 参加 2010/09/28 22:44

列伝 さんのブログ記事

  • ●巨大な三日月堀の諏訪原城・小山城へ、しかしまさか大熊朝秀が…
  • 諏訪原城(静岡県島田市金谷)の整備が進んでいるというので足を運ぶ。おおお、以前は堀の形などがよくわからなかったのに、これはすごい、みごたえあり。こんな巨大な三日月堀は初めてだ。勝頼が高天神城攻略のため築城したという。 高天神城へは南西20キロほど。 信州の牧之島城(長野市信州新町)の三日月堀とは規模が全く違う。諏訪原城も信玄家臣の馬場信春が築城者。整備がますます進んでいて、大井川の流れ、遠州灘まで一望で [続きを読む]
  • ●高天神城の悲劇、感動劇へ
  • いざ、行くぞ、高天神城。東側の追手門より。いきなり急な坂道じゃ。追手門を経て、杉を見て。着到櫓跡を通過。おお、三の丸に到着、やった休憩所が。ほほほ、景色だいぶいいぞ。それにしても、あたり山中、全くだ〜れもいないが、猪や熊さんは出ないか?しばしば奇声を発して警戒しながら、ゼイゼイハァハァ登る。 さらに登る。ややや、意外と簡単に御前曲輪。ここに模擬天守があったとか。城主ご夫妻がおはしましたぞ。、そして [続きを読む]
  • ●新春高天神城へ、ここには悲しい思い出が
  • 新春、高天神城(静岡県掛川市)へ一路駆ける。ウウウ、いきなり逆光。次回作「負けても負けぬ咆哮する二十九将星」に登場する、「武田勝頼」及び「渡辺金太夫照(てらす)」に関連した写真を撮りに。 実は私は高天神城には悲しい思い出がよみがえる。 出版化された「信州往来もののふ列伝」を「松本タウン情報」紙に連載中のころよく激励してくれた、あの若く元気なS女史が入院中と聞いたのが、たまたま当時高天神城へ来る直前だっ [続きを読む]
  • ●あけましておめでとうございます!今年の目標はなんといっても…
  • 体力に自信がまったくなくなりつつ、2019を迎えてしまった。しかしやらねばならぬことがある!と、自分自身を鼓舞して。 「負けても負けぬ       咆哮するもののふ 二十九将星」これを、なんとしても刊行しなければならぬ。マイナーな将星たちを少しでも表舞台に出してやらねば。 しかし、「もういいよ、そんなこと」「出したからってどうなるもんじゃない」「もう1冊だしたからいいじゃんか」などという声が耳元で。 [続きを読む]
  • ●2018訪ね歩いての ぜひぜひお薦め太鼓判の史跡・ベスト3!
  • 今年もクルマを駆けて、マイナーな、自分もよく知らない史跡などを訪ね歩いた。そんな中で、ぜひぜひお薦めしたい、ぜひ行ってみてほしい「史跡3選」にしぼってみました。 わざわざ行くとなれば、「なぁんだ、こんなんか〜、ガックリ」と、言われるかも。 よって、何かのついでに、近くに行ったらちょっと立ち寄って墓参・参拝などしていただけたらと。そしてジーンと胸打たれていただけたら(笑)、そんな思いでまとめました。 №1 [続きを読む]
  • ●2018年行った城、訪ねたお城 もはや懐かしい…
  • 「お城巡り、歴史探訪…」の健脚チェリーさんが、今年巡った城を回顧して特集していた。いやぁ圧巻! よく歩いている、走ってる! 見ていてすごい、楽しい。 で、負けじ?と、列伝・わっしも振り返ってみることに。去年もやってみればよかった。しばしお付き合いくだされ。 岸和田城和歌山城大阪城前橋城の土塁。なんちゅう写真じゃ! 丸岡城。次の国宝かな。上原城。信州諏訪と茅野市の間。 鑁阿寺。 足利氏居館址で、百名城の [続きを読む]
  • ●私が大河ドラマで登場を切に願う人!
  • 大河「西郷どん」が終わって、次の時代劇は再来年の光秀はん まで待つのか、待ち遠しい。ともあれ、逆臣と呼ばれる光秀はんを大河での主役抜擢は画期的だ。 全国各地にて、大河ドラマで取り上げてほしいと懇請している歴史上の人物は多い。我が信州では、保科正之を南信州で、木曽義仲を中信州や富山県・石川県と連携して要請活動している。 西郷どんをやった後なのだが、幕末で、いつか表舞台に登場を願っている人物がいる。 中 [続きを読む]
  • ●西郷どん、終わったなぁ、1年間たんと泣かせてもらった。拍手!
  • 西郷さんのゆかりの地などを思い出しながら最終回を見た。 もう20年も昔、鹿児島へ行って、一番の景色はこれ!そう、南洲墓地からの桜島。西郷さんは、西南戦争で、城山で戦死した人たちに囲まれて、桜島を見つつ眠っていた。桜島は優しい感じのするいい山だった。 これは確か、鹿児島空港近くに立っていた巨大な西郷像。 その年の秋、学園祭で、「薩摩西郷展」やったなぁ。なつかしい。 鹿児島市内には、あちこちに西郷さんの像 [続きを読む]
  • ●伊予愛媛紀行終章 岡山城にて小早川秀秋に思いを馳せる
  • 伊予松山からの帰途、岡山城に寄る。かつて仕事がらみで2度来たが、あまり記憶なし。烏の城も、後楽園もなつかしく、ときどき見覚えのある景色を思い出した。岡山城では、関ケ原後に岡山55万石の太守となった小早川秀秋を思った。かつては特に考えたことなかったが。……「日本国中に人が住み続く限り、裏切り小早川の名は語り継がれるぞ! 聞こえたか、金吾(秀秋)!」 と、ドラマ内で後ろ手に縛られながら叫ぶ三成の姿に、「快 [続きを読む]
  • ●伊予・松山にて、初めて凄い子規を知る!
  • 正岡子規について、授業で一度も話したことはなかったなぁ。しかし松山へ来て、「こんなすごい人だったとは!」と初めて知る。一番驚いたことは、壮絶な闘病生活の中での執筆活動、そして多彩な人物交流。 正岡子規ミュージアムを設けるほどの人物だったんだと、恥ずかしながら初めて知った。「子規の忌日を『獺祭忌(だっさいき)』というと聞きましたが、その由来を教えてください」「……ウーン、しばらく待っていただけますか」 [続きを読む]
  • ●宇和島にて、感激の2人に出会って感激〜ううう
  • 宇和島〜。大洲から南へ40キロほど。 ホテルから暮れゆく中に、宇和島城の天守が。この城の築城にも藤堂高虎が関わったとか。石垣が堅固。写真で見た感じはそんなでもなかったのに。天守台から海が見える。城のほかに、見たかったのは「高野長英居住の地」幕末の開明藩主・伊達宗城は逃亡する高野長英を密かに招き、藩士らに蘭学などを学ばせたという。その居宅が残されていた。高野長英には吉村昭著「長英逃亡」に感涙して以来 [続きを読む]
  • ●伊予城郭紀行3 大洲城 なんと近江聖人に会うとは!感涙にむせぶ
  • 来たぞぉ、大洲城。松山から南西へおよそ50キロ。 肱川に沿った盆地の街の中心に高々と大洲城天守閣あり。「おお、石垣もいい」「なんとなく松本城に似た感じだよな」 内部はすべて木造で、残されていた図面を忠実に復元したらいい。 「これもそのうち国宝だな、しっかり作ってある!」江戸城木造復元を力説していた建築家の亡き従弟が、かつて盛んに大洲城を見学して絶賛していたことを思い出すなぁ。 あれれ、なんと中江藤樹像 [続きを読む]
  • ●松山の「坂の上の雲」の秋山兄弟生家へ、松山城の石垣がまたすごい!
  • 今治城から松山へ。 ン十年前松山に来たのだが、ほとんど記憶なし。「路面電車がなつかしいわ、松本も昔あったのになぁ」 「坂の上の雲ミュージアム」へ。近くの秋山兄弟の生家がよかった。 兄弟の像が立っていた。「おめぇ、『坂の上の雲』、読んだか」「あたりまえじゃねか、全部読んだわ。おめぇ(列伝)は?」「読んでねぇ、テレビドラマちょっと見た」「ダメじゃん!」「…シュン」 そしていざ松山城に登城。あの賤ケ岳七本槍の [続きを読む]
  • ●急遽、伊予国城郭めぐりへ出立 まずは今治城へ 築城者藤堂高虎の指が…
  • 「おい、復興割引で愛媛・岡山あたりの西日本を旅すると、宿泊費がぐんと安くなるってよ、行くぞ四国へ」「四国は来年って云ったじゃねぇか」「それがよ、11月までだってさ、復興割は」「ふんとか、そりゃ行かねばなぁ」 てなわけで6月に北海道へ行った高校時代の旧友Yと、いざ、四国城郭漫遊の旅へ。因みにYとはテニスダブルスで県優勝コンビ、シングルスは私優勝、半世紀以上も前(ヤレヤレ何度同じこと書いてんだか!) 松本を朝7時に出 [続きを読む]
  • ●信州の錦秋を追って満喫そして哀し 29年前のあの事件
  • 碧空!ピーカン!錦秋の頃へ行くぞ! 安曇野から北の大北地区へクルマをとばす。ああ、爺ケ岳、鹿島槍あたりはもう雪か。ここはあの佐々成政一行がアルプス越えをした時のゆかりの西正院。瀕死の一行を救ってくれた現大町市の地元民に、成政は感謝をこめて守り本尊の大姥尊像を授けた。それがこの寺に安置されている。 すごい、すごい、錦秋が次々。そうだ、あの温泉へ行こう!初めて800円の湯舟。高くなかった、正解だった。写真 [続きを読む]
  • ●信州 咆哮するつわもの達 二十九将星 諏訪頼水、戦国武将の片鱗が
  • 諏訪頼水伝 下の巻頼水は諏訪宗家の出身で、6歳の時諏訪大社の大祝(神職)を父・頼忠から譲られた。しかし諏訪頼重(頼忠の従兄)が武田に滅ぼされて以後、諏訪の領国は武田に支配されたままだった。 その後武田が滅び信長が急逝して、信濃がまさに無主動乱の地と化した時、諏訪家は「好機至れり!」と、大名としての諏訪家再興を画策した。 しかし東から北条、南より徳川による諏訪への侵攻は激烈で、結局諏訪家は、徳川に臣従するこ [続きを読む]