ジン さん プロフィール

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ジンさん: 戦国きっず
ハンドル名ジン さん
ブログタイトル戦国きっず
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/yjxhj219
サイト紹介文 趣味で戦国武将のイラストを描いております。よろしかったらどうぞ!!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供23回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2010/10/14 15:19

ジン さんのブログ記事

  • 日山城
  •  天正16年(1588)10月、秀吉さんの養女・容光院さん(宇喜多秀家さんの姉上)が吉川広家さん(吉川元春さんの三男)と婚礼を挙げる際に、秀吉さんの名代として官兵衛さんは広家さんの居城・日山城まで花嫁行列に付き添いました。 感想はめっちゃ怖かったです。ほとんど道なき道を行く感じで、落ち葉で何度も足を滑らせました。そのおかげか筋肉痛になりました・・・・藪だらけで正直辟易・・・・ [続きを読む]
  • 名島城
  •      関ヶ原の戦い後、黒田御一行様は筑前の名島城へお引越ししました。                      本丸跡          除草作業中だった為、全体は撮れませんでした。                       隅櫓跡                     隅櫓跡の石垣                    隅櫓跡の石垣                    隅櫓跡の石垣   [続きを読む]
  • 秋らしくていいね
  •   天正十五年(1587)、九州征伐の功績により、黒田家は豊前六郡の領主となり ましたが、それを快く思わない地元の豪族達は、たぶん、その時、反抗期だったの でしょうね。一揆を起こします。その一揆のひとつ、野中鎮兼さんの長岩城を攻略 した栗山利安さんは、野中鎮兼さんの旧領地六千石を領する事となり、白米城(別 称、平田城)の城番を任される事になりました。   城の名は所在地の字名、町丈(まつたけ)から [続きを読む]
  • 気が合うかも♪
  •      ある冬の日、毛利輝元さんは秀吉さんに桃を献上しようとしましたが、              と、三成さんに拒否されてしまいました。     一方、家康さんにも似たような逸話があって、冬に信長さんから桃が贈ら   れてきましたが、                と言って食べなかったそうです。  このように健康を大事にする二人だから、もしかしたら気が合ったんじゃないか な〜と思ったりします。 [続きを読む]
  • お城がピンチ!!
  • 7月19日に放送された『所さん!大変ですよ〜お城がピンチ 消える!?壊れる !?〜』を視た感想を。   現在に城を復元する際には外観と内部の構造が分かる資料が必要なのだとの 事。それは何故かというと、文化財保護法という法律があって、本物というものを 重視しており、歴史的価値の高い場所に復元する場合は原則として、柱や階段の 位置、梁等の構造を当時のものと同じに正確に再現しなければならないのだから [続きを読む]
  • 最近、知った事
  •   最近になって知った事ですが、徳川家光さんって次男だったんですね。私は  てっきり長男だと思っていました。   さて、家光さんについてこんな噂があります。一般的には彼の父上は秀忠さん  母上は江さんですが、なんと!江戸城にあった『松のさかえ』と、臼杵藩稲葉家  の『御家系典』という本には、母上は春日局さんだと記してあるとの事!!これ  が本当だったら嫉妬深い江さんはどう思った事でしょうね。  [続きを読む]
  • 立花道雪さんと雷さま
  •                某サイトで興味深いのを見付けました。  “戸次伯耆守は大友宗麟の重臣なれど、矢傷にて脚がくさり衰えたり”『大友文書』    戸次伯耆守とは誰ぞや?宗麟さんの重臣で戸次という名字といえば戸次鑑連  さん(立花家の養子となり、以後、立花道雪と名乗る)だけど、道雪さんって稲妻  の中にいた雷さまを愛刀千鳥で切った為、下半身不随になったという逸話がある  から違う人物なのかなと [続きを読む]
  • わざとだよ
  • 官兵衛さんの逸話から。 晩年の官兵衛さんは家臣達に罵詈雑言を浴びせてい ました。(あの優しかった大殿が・・・)困り果てた家臣達は長政さんに相談。  長政さんは家臣達の悩みを聞き、官兵衛さんに「何故に家臣を罵るのですか?」 と聞くと、官兵衛さんはこう答えました。  早速、長政さんはそれを家臣達に報告しました。  その後、官兵衛さんがいくら冷たくしても、家臣達は笑顔でうなずくばかり。不思 議に思っ [続きを読む]
  • 甘い囁き?
  •                 甘い囁き〜秀吉さんの場合〜               甘い囁き〜村田吉次さんの場合〜  秀吉さんのは説明するまでもなく有名な話ですね。一方、村田吉次さんは、彼の 兄達は黒田家に仕えたけど、いずれも戦死、罪人の家来に殺され、残るは末子の 吉次さんだけとなりました。そこで官兵衛さんは吉次さんの父上に「どうか、吉次く んを僕にください」。と頼みましたが、吉次さんの父上は [続きを読む]
  • 馬ヶ岳城
  •   九州平定後の天正15年(1587)、官兵衛さんは秀吉さんから豊前六郡を与え られ、福岡県行橋市と同県京都郡にまたがる馬ヶ岳城を居城としました.。   大谷登山口から登る前に、右側になにやら畝状竪堀群があるので、まずはそこ へ行ってみました。  見えづらいけど左側に堀切の案内板があります。で、どんどん進んでいくのです が畝状竪堀群らしいモノが見当たりません。おかしいな?と思い、大谷登山口まで 引 [続きを読む]
  • 豊前松山城
  •   天正14年(1586)の九州征伐の際、小倉城を攻め落とした官兵衛さん達は、 次のターゲットの宇留津城を攻める為、松山城(福岡県京都郡苅田町)に布陣 しました。                              土塁と横堀①                             土塁と横堀②                        三ノ郭                       [続きを読む]
  • 家康さんの死の謎について
  •  『尾上松矢の謎解き歴史ミステリー 徳川家康は二度死んだ?』を視た感想を。 元和2年(1616)元旦、京都より豪商の茶屋四郎次郎さんが家康さんに鯛の天ぷらを献上して、それを食べたのが原因(?)で、3ヶ月後の4月17日に家康さんは他界したというのが定説ですが、家康さんの死亡説について諸説あるようです。     そのひとつが?大坂夏の陣、討ち死に説? 慶長20年(1615)の大坂夏の陣において、豊臣方 [続きを読む]
  • 吉田郡山城
  •   官兵衛さんは宣教師の山口県での布教再開の望みを聞いて、毛利さんの居城、 広島県安芸高田市の吉田郡山城に赴きました。  『官兵衛は主なるデウスの御為になる事ならば何でも喜んで行う旨、誠意をもって申し出ていた。福   管区長は彼に対し、山口の国王(輝元)及び、その叔父なる領主(吉川元春、小早川隆景)が、一   司祭が山口に戻って、そこに残されている古くからのキリシタン達と同居する許可を与えるよう働 [続きを読む]
  • 坂東寺
  •   官兵衛さんは?九州の関ヶ原の戦い?のひとつ、八院合戦の際に、福岡県筑後 市の坂東寺に陣を張ったといわれています。  当寺には官兵衛さんからの下広川庄乱暴狼藉等の禁制や、清正さんからの坂 東寺放火の禁制が寺宝として残っているとの事です。 [続きを読む]
  • 水田天満宮&恋木神社
  •  関ヶ原の合戦が終結しても、官兵衛さんは「まだまだ、これからじゃ!」と、九州にいる西軍を攻める為、福岡県筑後市の水田天満宮で陣を張ったといわれています。 そして、東軍の鍋島軍と西軍の立花軍が戦います。(江上・八院の合戦) なんだかんだあって、官兵衛さんと清正さんは水田天満宮で会見し、立花宗茂さんを説得させて戦いは終了しました。                              桜門    [続きを読む]
  • 住吉神社
  •     今年、最初の官兵衛さん巡りは、山口県下関市にある住吉神社です。  天正14年(1586)の九州征伐の際、豊前国に渡る前、9月22日に赤間関(山口県下関市)の一宮(住吉神社)に官兵衛さん、毛利輝元さん、小早川隆景さん、吉川元春さん達が着陣したとの事です。                               一の鳥居                                 太鼓 [続きを読む]
  • 自分へのクリスマスプレゼント♪
  •            ♪前々から欲しかった本を買っちゃいました♪            『黒田長政と二十四騎 黒田武士の世界』 福岡市博物館のミュージアムショップで販売しているので、そこで買おうかな? どうしようかな?と悩んでいたのですが、ネットの古本屋で半額で販売していたの で、(これはお徳だ!!)と思い即購入。  黒田二十四騎がテーマの本って滅多にないですからね。オモシロそう!!これ は期待 [続きを読む]
  • 今年1番の驚き!!
  •           今年1番の驚きといえば、なんといってもこれです。  この肖像画は真田昌幸さんとなっていますが、本当は長男の信之さんだったと いう事です!!  肖像画の原本は高野山の蓮華定院という寺にあり、信之さんの墓もあります。 そしてこの肖像画を収めた箱には信之さんの法名、大峰院殿と書かれており、 他に信之さんの晩年の側室の玉川右京さんの肖像画も一緒に入っていたとの事。 つまり、この肖像画は [続きを読む]
  • 関ヶ原合戦について
  •   『関ヶ原合戦の真実』(著:白峰旬)によれば、通説では小早川秀秋さんが裏切 るのは正午頃とされていますが、実際は開戦と同時に裏切ったので、西軍はな すすべなく敗北したとの事です。  しかし、それではオモシロくないので、時代が下るにつれて色んな話が盛り込ま れていったそうです。  というわけで、関ヶ原合戦のやりなおしを妄想してみました。 ?宰相殿の空弁当?とは、南宮山に布陣した毛利秀元さんは戦おう [続きを読む]
  • 日本最古のそろばん?
  •   日本最古のそろばんについて、以前までは文禄元年(1592)の文禄の役で使 用した前田利家さんの陣中そろばんが、日本に現存するそろばんの中で1番古い とされてきました。                               (前田利家さん)     ところが、それよりももっと古いモノとして、天正15年(1587)の九州征伐後、  数々の戦乱で荒廃した博多の町の復興と町割りの整備を秀吉さんから [続きを読む]
  • 近江牛
  •          〈黒田長政さんの黒漆塗桃形大水牛脇立兜について〉  『黒田家重宝故実』によると、浅井長政さんの家臣、浦野若狭守勝宗さんは八幡 神を信仰していました。ある日、夢から覚めると大水牛兜があったそうな。この事 を浅井長政さんに告げると、「これは熱心に八幡神を信仰するお主に、八幡神が 日頃のご愛顧に感謝を込めて与えたものであろう」と浅井長政さんは言いました。  それから浅井家が没落した後、 [続きを読む]
  • キリシタン又兵衛さん?
  •   黒田家には官兵衛さんをはじめ、弟の利高さんと直之さん、嫡男の長政さんがキ リシタンでした。因みに直之さんの洗礼名はミゲル、長政さんはダミアンですが、利 高さんは分かりません。   そして、なんと!あの又兵衛さんもキリシタンだったという噂があるのです!!       左から官兵衛さん(シメオン)、利高さん、直之さん(ミゲル)、長政さん(ダミアン)   又兵衛さんキリシタンの噂 その①    フラン [続きを読む]
  • キリシタン官兵衛さんと辞世の句
  •   キリスト教に熱心だった官兵衛さん。洗礼名はシメオン。慶長9年(1604)、最期 の時を迎える前、マトス神父は次のように様子を記しています。 『臨終の際、彼は告解する為に神父を呼ぶように願った。ところが彼の側近は   何故かと言って神父を呼ばなかったので、彼は死ぬ前に告解する事ができな   かった。しかし、彼は自分のアニュス・デイとロザリオを持って来るように願い、   自分はキリシタンとして [続きを読む]
  • 考えてみたら・・・
  •   佐竹義宣さんは敵から身を守る為、戦以外でも常日頃から面頬を着けていたと の事。義宣さんの素顔を知らなければ、たとえ味方と偽って敵の間者が暗殺しよう にも、誰が本人なのか分からないから敵も困惑した事でしょう。  しかもトイレでも寝室でも面頬をはずさなかったという徹底ぶり。終いには彼の素 顔を知る者が家中ではほとんどいなくなったといいます。  しかし、考えてみたら、敵に素顔を知られようが知られまい [続きを読む]
  • 法然寺
  •  天正15年(1586)、九州を平定した秀吉さんから、豊前六郡(京都郡、中津郡、築城郡、上毛郡、下毛郡、宇佐郡)をもらった官兵衛さんは、法然寺に仮り住まいをしたとの事。 ?孝高、豊前国に入国し、まず時枝城にて領内の位置を沙汰し、三ヶ条の制法を 出し給う。その後、法然寺という寺を仮の住まいとし、しばらく留まり居続ける。長 政は京都郡馬ヶ岳の城に居給う。その間、二里あり? 『黒田家譜』   さてさて [続きを読む]