okado さん プロフィール

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okadoさん: okadoのブログ
ハンドル名okado さん
ブログタイトルokadoのブログ
ブログURLhttp://okadosblog.blogspot.com/
サイト紹介文湘南の歴史・自然・文化・伝説の記録です。
自由文鎌倉を中心とした湘南の歴史・自然・文化・伝説を巡る旅の投稿です。ときには湘南から離れた神社や寺院の記事も投稿しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供895回 / 365日(平均17.2回/週) - 参加 2010/11/21 16:06

okado さんのブログ記事

  • 源頼朝が始めた放生会を起源とする鶴岡八幡宮例大祭
  • 鶴岡八幡宮の例大祭は、源頼朝が始めた放生会を起原としているそうです。『吾妻鏡』によると、頼朝が最初に放生会を催したのは1187年(文治3年)8月15日。放生会の後には流鏑馬が奉納されています。そして、1190年(建久元年)から二日間の祭事となり、流鏑馬は放生会の翌日(16日)に行われるようになりました。現在は、9月14日から16日の三日間で行われています。☆ ☆ ☆ ☆ ☆浜降式浜降祭は、例大祭前 [続きを読む]
  • 挙兵した以仁王と源頼政
  • 以仁王は後白河天皇の第三皇子。三条高倉に御所があったことから、三条宮あるいは高倉宮と呼ばれていました。『吾妻鏡』によると、1180年(治承4年)4月9日、以仁王は、源頼政の勧めで全国の源氏に平家追討の令旨を発布。(※伊豆の源頼朝のところには4月27日に届いています。)これに対して朝廷は、5月15日、以仁王を土佐国流罪と決定。検非違使の源兼綱と藤原光長らが三条高倉御所へ向かいますが、事前に源頼政から [続きを読む]
  • 自分の命を縮めて夫の命を救った女性〜仁田忠常の妻:三嶋大社〜
  • 『吾妻鏡』によると・・・1187年(文治3年)正月18日、仁田忠常は瀕死の重病に陥ります。源頼朝も見舞いに訪れました。このとき、忠常の妻は、「妻の命を縮め、忠常を救い給え・・・」と三嶋大社に祈願したのだといいます。それから半年後の7月18日、忠常の妻は、三嶋大社を参詣します。しかし、洪水となり、江尻の渡しの船に乗りますが、その船が転覆してしまいました。乗船客は皆水中に放り出されますが、奇跡的に助か [続きを読む]
  • 座間のひまわり畑2018/08/13
  • 45万本のひまわりが見頃です。台風で倒れてしまった所も。8月15日まで「ひまわりまつり」が開催されています。座間市HPhttp://www.city.zama.kanagawa.jp/www/contents/1409788323797/index.html座間市観光協会HPhttps://www.zama-kankou.jp/☆ ☆ ☆ ☆ ☆夏休み鎌倉計画!夏休み江の島計画!☆ ☆ ☆ ☆ ☆農地・農業に関する情報! [続きを読む]
  • 源頼朝と鶴岡八幡宮の放生会
  • 源頼朝が鶴岡八幡宮で最初に放生会を催したのは1187年(文治3年)8月15日。これが鶴岡八幡宮例大祭の始まりとされています。☆ ☆ ☆ ☆ ☆『吾妻鏡』によると・・・源頼朝は、放生会に先立って、8月1日から15日までの間、殺生を禁止することを関東の荘園などに命ずるとともに、鎌倉の海、浜、川、溝などでもこれを守らせるよう命を出しています。8月9日には、流鏑馬馬場が造られ埒(らち)が結ばれました。流鏑 [続きを読む]
  • 源頼家の誕生日
  • 『吾妻鏡』によると、1182年(寿永元年)8月11日、夜になって北条政子が産気づくと、源頼朝は比企邸に赴き、祈祷のための奉幣の使者を伊豆山権現・箱根権現と近国8箇所の宮社に派遣しています。※政子は比企邸を産所としていました。伊豆山:土肥遠平筥根:佐野忠家相摸一ノ宮:梶原景高三浦十二天:三浦義連武蔵六所宮:葛西清重常陸鹿島:小栗重成上総一ノ宮:上総良常下総香取社:千葉成胤安房東条庤:三浦義村安房洲崎 [続きを読む]
  • 謀叛を疑われた源範頼
  • 源範頼は、源頼朝の異母弟。遠江国蒲御厨で生まれ育ったため蒲冠者、蒲殿などと呼ばれていました。異母弟の源義経とともに木曽義仲や平家を滅ぼすなどの活躍をしました。しかし、1193年(建久4年)、謀叛を疑われてしまいます。☆ ☆ ☆ ☆ ☆この年の5月、頼朝は富士裾野で大規模な巻狩を催します。そのときに起こったのが曽我兄弟の仇討ち。5月28日夜半、曽我十郎祐成と五郎時致の兄弟が工藤祐経を殺害した事件です [続きを読む]
  • 鎌倉:長谷寺の四万六千日2018/08/10
  • 今年も有難いお札を頂くことができました。長谷寺の観音さまは十一面観音。右手に錫杖を左手に蓮華の花瓶を持ち、蓮華座ではなく岩座に立つという独特の像であることから「長谷寺式十一面観音」と呼ばれています。??かきがらに導かれてやって来た観音さまかんのんね見晴台キキョウ輪蔵経蔵内にある回転式の書架を一回転させると、全ての経を読んだのと同じ功徳があるといわれています。摩尼車摩尼(マニ)車には経文が収められ、 [続きを読む]
  • 信濃善光寺を再興した源頼朝
  • 『吾妻鏡』によると・・・1187年(文治3年)7月27日、源頼朝は信濃善光寺を再興するため、信濃国の荘園や公領の執行者に、勧進上人に協力して土木人夫を提供するよう命じています。当時の信濃善光寺は、創建が古いことから堂宇は壊れ、1179年(治承3年)には火災に遭い、礎石以外だけが残されている状況だったようです。そして、1191年(建久2年)10月22日、再建された信濃善光寺で供養が行われました。もし [続きを読む]
  • 源実朝の誕生日
  • 『吾妻鏡』によると・・・1192年(建久3年)8月9日、晴れて風も穏やかな日でした。朝早くから北条政子が産気づきます。加持は宮法眼園暁。祈祷は義慶坊と大学坊など。鶴岡八幡宮と相模国の神社仏閣には、馬を寄附して読経させています。福田寺〔酒匂〕平等寺〔豊田〕範隆寺〔平塚〕宗元寺〔三浦〕常蘇寺〔城所〕王福寺〔坂本〕新樂寺〔小磯〕高麗寺〔大磯〕國分寺〔一宮下〕弥勒寺〔波多野〕五大堂寺努寺觀音寺〔金目〕大山 [続きを読む]
  • 大姫の病気治癒祈願〜源頼朝の日向参詣〜
  • 『吾妻鏡』によれば・・・1194年(建久5年)7月29日、源頼朝の長女・大姫が危篤状態に陥ります。(八方手を尽くしたといいますが、一向によくなりませんでした。)そこで、頼朝は、「この国に2つとない効験のある薬師如来」という日向薬師の参詣を思い立ったのだといいます。頼朝は、8月8日の早暁、日向薬師に向けて出発しています。そして、仏に祈った後、夜になって帰ったそうです。大姫は、1183年(寿永2年)に [続きを読む]
  • 源範頼、平家追討へ出陣!
  • 『吾妻鏡』によると・・・1184年(元暦元年)8月8日正午、源範頼が平家追討のため西海へ出発。旗印を持つ者一人と弓袋を持つ者一人が並んで前を行きます。紺村濃の直垂に小具足を着けて栗毛の馬に乗った範頼が続きます。従う武将は、北条義時、足利義兼、武田有義、千葉常胤、境常秀、三浦義澄、三浦義村、八田知家、八田朝重、葛西清重、長沼宗政、結城朝光、比企宗朝、比企能員、阿曽沼広綱、和田義盛、和田宗実、和田義胤 [続きを読む]
  • 8月10日、鎌倉は大功徳の日。
  • 8月10日は四万六千日。この日、観音さまにお参りすると46000日分の功徳が得られるといいます。46000日÷365日=約126年四万六千という数は「米1升が4万6千粒ある」ということに由来すると言われ、これを「人間の一生」にかけているのだとか・・・。杉本寺午前0時開門安養院午前5時開門長谷寺午前4時開門☆ ☆ ☆ ☆ ☆覚園寺8月10日は、地獄の罪人の苦しみを少しでも和らげようと鬼(獄卒)に代わ [続きを読む]
  • 六道の辻:珍皇寺の迎え鐘
  • 六道の辻の珍皇寺の迎え鐘。鐘楼の穴から出された引き綱を引っ張って撞くと、その音は十万億土に響き渡り、その音をたよりに精霊がこの世へ蘇ってくるのだとか。「精霊迎え 六道まいり」は、8月7日〜10日。六道珍皇寺http://www8.plala.or.jp/bosatsu/nara-kyoto/rokudo-tinnoji.htm☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ [続きを読む]
  • 八幡神の使い:源氏の白鳩
  • 『吾妻鏡』によると 、1185年(元暦2年)4月21日、平家を壇ノ浦に滅ぼした後、鎮西で戦後処理に当たっていた梶原景時から鎌倉の源頼朝に手紙が届きます。それによると、屋島や壇ノ浦の戦いでは吉事の前兆が多くあったのだそうです。○その1景時の家来・海太成光の夢の中に清浄な衣服の男が立文を捧げもって現われます。これは石清水八幡宮の使いと感じた海太成光が文を読んでみると、「平家は未(ひつじ)の日に死す」と [続きを読む]
  • 鶴岡八幡宮と石清水八幡宮と壺井八幡宮
  • 『吾妻鏡』によると、鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)秋8月、河内源氏の棟梁源頼義が由比郷に石清水八幡宮を勧請したことに始まります。1081年(永保元年)2月には、頼義の子義家が修理を施しました。由比若宮そして、1180年(治承4年)10月12日、その子孫の頼朝が小林郷の北山に遷しました。場所は、頼朝自らがおみくじを引いて決めたのだとか。ただ、社殿は華やかなものではなく、茅葺だったそうです。鶴岡 [続きを読む]
  • 源実朝ゆかりの江島神社辺津宮〜江の島〜
  • 辺津宮江島神社の辺津宮は、1206年(建永元年)、三代将軍源実朝の命によって、鶴岡八幡宮の供僧良真によって創建されたと伝えられています。奉安殿奉安殿は、「八臂弁財天」と「妙音弁財天」を祀る八角の堂。八坂神社八坂神社は、江島神社の境内末社。7月に行われる祭礼は「江の島天王祭」とも呼ばれ、神輿が海に入り、対岸の小動岬にある小動神社へと神幸します。江島霊迹建寺の碑江島霊迹建寺の碑は、1204年(元久元年 [続きを読む]
  • 摩々(まま)〜源頼朝の乳母と源義朝の乳母〜
  • 『吾妻鏡』治承5年(1181)閏2月7日条によると・・・源頼朝が誕生したときに乳付(授乳)した乳母は、尼となって摩々(まま)と呼ばれていたそうです。相摸国の早河庄に住んでいたようで、この日、頼朝は摩々の屋敷・田畑を安堵するよう地頭に命じ、同年11月29日には早河庄の年貢を免除しています。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ところで・・・『吾妻鏡』には、摩々という乳母がもう一人登場します。文治3年(1187年)6月13 [続きを読む]