オリバー さん プロフィール

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オリバーさん: オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ
ハンドル名オリバー さん
ブログタイトルオリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ
ブログURLhttp://ogccl.blog10.fc2.com/
サイト紹介文オリーブ園クリスチャン古典ライブラリーの新着メッセージを紹介
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供319回 / 365日(平均6.1回/週) - 参加 2010/12/30 15:56

オリバー さんのブログ記事

  • 「御霊による生活」 第五章 祭司団 (5)
  • 神の大きな喜び さて、それが意味したことが、この懸案の章からわかります。モーセがアロンの息子たちの手をキリストの御業の両面を示すもので満たしたことに気が付きます。キリストの御業の両面とは、すなわち、片方の面は贖いによって罪を取り除くこと、罪を全く取り除くことと関係していました。この面は、その道を旧創造や天然の人であるものから徹底的に清めるためであり、死の面です。次にもう片方の面を示すものとして、彼 [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第五章 祭司団 (4)
  •  黙示録の最初の数章にある諸教会への手紙を見て下さい。これらの諸教会は主の民から成るものではなく、一般的・形式的・名ばかりで口先だけのキリスト教界を表しているにすぎない、と信じる者たちの一人では私はありません。それらは主が御手の中に握っておられる諸教会である、と私は信じています。それらは星々であり、主はそれらのただ中におられます。このようなことが全く主のものではない単なる口先だけの教会にあてはまる [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第五章 祭司団 (3)
  • 新約聖書に示されているこの真理 この問題に関して新約聖書が使っている用語はとても単純な言葉です。私たちが述べた最初の点を見落とすことはありえません。すなわち、神は常に御自分の完全な御思いに照らして御自分の民を取り扱っておられますし、また、彼らに向かって語っておられるのです。そして、それに届かないもののために、決していかなる備えもしておらず、それに届かないいかなるものにも決して満足することはできない [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第五章 祭司団 (2)
  • 神の民の失敗のせいで生じた相違 しかし、これがそうである一方で、同じように事実であるこの二番目の点があります。すなわち、相違が存在するという事実です。これは神がそれを定められたからでも、そうなるよう決定されたからでもなく、人々自身のせいです。最も内側の所に祭司の一団が生じます。次に、それよりも外側の所に、祭司の一団ではない別の団体が生じます。この団体はレビの一団と称しうるものです。次に、さらに外側 [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第五章 祭司団 (1)
  • 聖書朗読:レビ八章、ヘブ一・一〜二、五、八、二・一、三・一、四・一四、五章、六章 レビ記八章に戻ると、祭司団、聖所に属した一団が示されています。これはこの章の節によって示されています。その節によると、この祭司団は聖所から離れてはならず、彼らの聖別の期間である七日間のあいだその扉から外に出てはなりませんでした。「七」は霊的完全を象徴します。ここには期間全体を支配するものとしての霊的完全、あるいは期間 [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第四章 御霊に満たされる (10)
  •  これは難しく思われるかもしれません。これは大いに熟考すること、常に警戒していることを意味する、とあなたは思うかもしれません。いいえ。これはその結果であり、自然の成り行きです。御霊による生活のこれらの詳細や方法のすべてを把握する必要はありません。秘訣は内住の主が支配されることであり、これは誰でも可能です。ここで私たちは諸々の霊的事実を私たちの前に置き、次に私たちは自分を主に明け渡して、これらの事柄 [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第四章 御霊に満たされる (9)
  • 交わりのために成長する重要性 そしてさらに、霊的交わりのために霊的成長がなければなりません。さらに優った積極的交わり抜きで、関係を持つおそれがあります。この関係は続きますが、今やあなたは交わりの中を進んでおり、真の霊的交わりのために霊的に成長しなければなりません。交わりは私たちの関係性の所産であるべきであり、交わりに導かない関係性にはその麗しさと豊かさが欠けており、その真の目的に達していません。あ [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第四章 御霊に満たされる (8)
  • 信者の諸々の関係 次の点は、私たちの諸々の関係は内なるキリストによって支配されなければならないということです。気づいておられるように、最初に私たちは個人と団体とを分けました。今まで私たちは個人に関することについて述べてきましたが、次に移って団体に関することを理解することにします。キリストは御霊によって内側におられるのですから、私たちの諸々の関係はこの事実によって支配されなければなりません。これは二 [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第四章 御霊に満たされる (7)
  • 聖霊に対する服従 第二に、これは信者にとって、御父の霊の訓練に服さなければならないことを意味します。この訓練により、私たちは子たる身分、あるいは成熟に達します。それは、もちろん、霊的知性、霊的力、霊的豊満を意味します。これは大まかな説明です。これを分解することにしましょう。 私たちは御霊による御父の訓練に服さなければなりません。御父の霊は、子たちを扱うように私たちを扱われます。聖霊はこの訓練の働き [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第四章 御霊に満たされる (6)
  • 内なる命の法則によって歩む これにも幾つかの段階があります。一つはこれです。すなわち、聖霊はキリストを内側にもたらして下さったのですから、私たちはそれ以降、主と共なる新しい歩みによって生活行動しなければなりません。私たちは彼が歩まれたように歩まなければならない、私たちは彼が歩まれたように歩むべきである、とヨハネは言いました。彼はどのように歩まれたのでしょう?御自身の歩みに関する彼御自身の言葉はまっ [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第四章 御霊に満たされる (5)
  • 信者の主要な包括的義務 これを理解する時、信者たちは内なるキリストに関してある義務を負うことになります。第一の包括的義務(さらに多くのものを含む義務)は、信者は新生以前の立場とそれが意味するすべてのものを放棄しなければならないということです。これは、信者は生来の在り方という立場を全て放棄しなければならない、ということを述べる別の方法に他なりません。主イエスは偉大な数々の真理を具現化するのにとても単 [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第四章 御霊に満たされる (4)
  •  聖霊来臨に関する第二の点は、キリストは一つなので、御霊の御業はすべての信者をキリストにあって一つのからだにする、ということです。キリストを一人の信者の中に、あるいは個々の信者たちの中にもたらすことは、多くのキリストを多くの信者の中にもたらすことではありません。信者の数だけキリストがおられるようになるという問題ではありません。キリストは一つのままです。キリストは一つであって分けることができず、しか [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第四章 御霊に満たされる (3)
  •  聖霊が来臨されたのは、第一に、キリストを信者の中にもたらすためです――キリストは人として神と全く連携しておられます。私たちと関係しているすべての人にこれが実際に起きた、と信ずべきもっともな理由を得るまで、私たちは決して満足すべきではありません。精神的同意や合意やそのようなものではなく、真の再生が必要です。 キリストとの合一が意味するところはみな、内側にもたらされたキリストというこの単純な句・表現 [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第四章 御霊に満たされる (2)
  • 聖霊の降臨と御業 二番目の点は、聖霊はその結果来臨されたということです。それが確立されない限り、聖霊は決してこの経綸に来臨してその真の御業を行うことはできませんでした。そして、主イエスの高揚と栄化の結果、聖霊は来臨されました。ですから聖霊の御旨は、最初から、天におられる主イエスと深く関係していました。聖霊が来臨されたのはその結果であり、この人にあって団体的に二重のことを行うためでした。 第一に、彼 [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第四章 御霊に満たされる (1)
  •  私たちにとても馴染み深い一つの句が新約聖書の中にあります。「御霊に満たされる」という句です。この句が、一つの例外を除いて、ルカの書き物にしか現れない事実に私は感銘を受けてきました。その一つの例外はエペソ人への手紙の中にあります。 ルカの書き物における彼の目的は、キリストを人の子として、神の完全な人として示すことです。彼がこの書を彼の友人であるテオピロに宛てて書くことに取り組んだとき、これがそれを [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第三章 イエス・キリストの死と復活 (8)
  • 新しい主また主人 「今、この世の君は追い出されます」。これはキリストの死によって生じることです。この世の君は私たちを束縛していました。彼は私たちの主人、私たちの主でした。私たちはこれまで悪魔を意図的・意識的に礼拝してきた、ということではありません。それでも、私たちは生来悪しき者の中にある事実はそれによって変わらない、ということです。使徒ヨハネは「全世界は悪しき者の中に横たわっています」と述べていま [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第三章 イエス・キリストの死と復活 (7)
  • 新しい世界 一二章三一〜三二節:「今は、この世が裁かれる時です。今、この世の君は追い出されます。私は、地上から上げられるなら、すべての人を私自身に引き寄せます」。 ここには、主イエスの死と関係している二つのものがあります。第一に、この世が裁かれること、第二に、この世の君が追い出されることです。 この世の裁きはキリストの十字架でなされました。この世を裁くとはどういうことでしょうか?神の御言葉がその答 [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第三章 イエス・キリストの死と復活 (6)
  •  これは実際に真実です。私たちの中で主を真に知っている人々にとって、また主にとって真実です。私たちの国籍が何かは関係ありません。この地上で私たちがいかなる者なのかは関係ありません。私たちには何か共通のものがあります。私たちは全く異なる領域の中に生きています。私たちはキリストの中にあります。様々な国籍の多くの人々を一つの部屋の中に集めることになったとしましょう。もし彼らがみな再生された神の子供なら、 [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第三章 イエス・キリストの死と復活 (5)
  • 新しい関係 一〇章一七〜一八節:「父が私を愛して下さるのは、私が自分の命を捨てるからです。それは、私がそれを再び得るためです。誰かがそれを私から取り去るのではなく、私がそれを自分から捨てるのです。私にはそれを捨てる力があり、またそれを再び得る力があります。この命令を私は私の父から受けたのです」。 ここにキリストの死に対するもう一つの言及があります。その文脈を見るなら、「私は良い羊飼いです(中略)私 [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第三章 イエス・キリストの死と復活 (4)
  •  そこで、ここで持ち上がる問題は、新生を通して神の子供になった者として、私たちは成長して神の子らの完全な身の丈に至らなければならないということです。そのために私たちは養ってもらわなければなりませんし、食物を得なければなりません。自分が持っている命を維持してもらわなければならず、この命を増し加えるものを得なければなりません。こうして私たちはこの第二段階に進みます。そしてここで私たちは、キリストの死は [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第三章 イエス・キリストの死と復活 (3)
  • 新しい養い 六章五三〜五四節:「それゆえイエスは彼らに言われた。『まことに、まことに、私はあなたたちに言います。人の子の肉を食べず、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はありません。私の肉を食べ私の血を飲む者は永遠の命を持ちます。私は彼を終わりの日によみがえらせます』」。 このような言葉が用いられる時は、キリストの死が前提となっています。主イエスはそう語ることで御自分の死を見つめ、御自分の死を [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第三章 イエス・キリストの死と復活 (2)
  • ひとりの新しい人 三章一四〜一六節:「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、彼にあって永遠の命を持つためです。神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛されました。それは彼を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持つためです」。 これらの御言葉の文脈を見ると、それらがその死、主イエスの十字架と関係している私たちをどこにもたらすのかがわかります。 [続きを読む]
  • 「御霊による生活」 第三章 イエス・キリストの死と復活 (1)
  • 聖書朗読:ロマ五、ヨハ一二・二〇〜二八、三一〜三三。 私はヨハネによる福音書におけるキリストの死の地位について黙想してきました。そして、異なる方法で彼の死に対する多くの言及がなされていること、そして、それらはみなその結果として新たにもたらされたものと関係していることを見い出しました。それらのいくつかを見ることにします。 それと同時に、新約聖書のその後の書物では、主イエスの死と復活がどれほど頻繁に、 [続きを読む]