オリバー さん プロフィール

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オリバーさん: オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ
ハンドル名オリバー さん
ブログタイトルオリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ
ブログURLhttp://ogccl.blog10.fc2.com/
サイト紹介文オリーブ園クリスチャン古典ライブラリーの新着メッセージを紹介
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供318回 / 365日(平均6.1回/週) - 参加 2010/12/30 15:56

オリバー さんのブログ記事

  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第十章 神の御旨の隠された力(5)
  •  これが私たちの召しです。私たちが神の御旨と一致している限り、彼の御業は私たちの内で前進し続けることができます。まず大事なのは私たちの活動ではありません。神が関心を寄せておられるのは、私たちが彼のために何を行うかよりも、私たちの内に何がなされているかです。私たちが大いに働いている時よりも不活発な時の方が、私たちに対する御旨が果たされることがしばしばあります。モーセが荒野にいてあまり多くのことを行え [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第十章 神の御旨の隠された力(4)
  •  パウロは彼の手紙の中で繰り返し「彼の御旨にしたがって」召された者たちについて述べています。エペソ書三・一〇〜一一にはそうした明確な言葉の一つがあります。「それは今や、天上にいる主権者たちや権力者たちが、教会を通して、永遠の御旨にしたがって神の多様な知恵を知るためです」。私たちはこれを未来時制で考えるかもしれませんが、これは明確に「今」と述べています。神は今、御自身の教会の中で、主権者たちや権力者 [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第十章 神の御旨の隠された力(3)
  •  マルコによる福音書は明確さという特徴を帯びており、主イエスを主の僕として示しています。マルコによる福音書特有の言葉は「ただちに」という言葉です。この言葉はこの福音書の中に約四十回現われ、僕のあるべき姿を示しています。もし私たちが主とその奉仕のためにここにいるのなら、時間を無駄にできません。私たちの心は彼にささげきっていなければなりませんし、私たちの生活は彼への従順という目的意識によって特徴づけら [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第十章 神の御旨の隠された力(2)
  •  聖書の以下の節に見られるこの目的の強烈なしるしに注意することにしましょう。 「私の食物は、私を遣わされた方のみこころを行い、その御業を成し遂げることです」ヨハ四・三四。 「……私を遣わされた父(中略)私を遣わされた方を信じる者」ヨハ五・二三〜二四。 「……私を遣わされた方(中略)私を遣わされた父」ヨハ五・三〇、三七。 この明確な目的を同様の方法で表している、次のような他の節もあります。 「私が来 [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第十章 神の御旨の隠された力(1)
  •  この地上におられた時、主イエスは常に天の中で生活されました。彼は決して物事を当然視せず、まったく信仰による生活を維持されました。信仰の力の中で、また祈りにより、彼はこの地上の諸々の状況に勝利されました。祈りが彼の生活の中で大きな地位を占めていました。御父の栄光のために御自身の働きを果たすのに必要な力と手段を、彼は常に天的供給源から引き出されました。それは御父に関する信仰の働きであり、彼にとって必 [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第九章 子たる身分の意味と価値(9)
  • ヘブル人への手紙をもう一度見ることにしましょう。この書は、全嗣業は子たる身分に関して与えられている、と私たちに告げます。御父の豊かさが子たる身分の中に含まれています。もしかすると、この地上では私たちはあまり多くのものを持たないかもしれません。確かに、主イエスは地上の持ち物に関してあまり多く持っていませんでしたが、「私の父の家には多くの住まいがあります」と言うことができました。これは何と豊かな家でし [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第九章 子たる身分の意味と価値(8)
  •  御自身の子たる身分という事実から、主イエスは御自分の人生の究極的結果と達成に関して完全な確信を得ました。十字架がすぐ先にあること、自分が殺されることを御存知でしたが、この確信によって彼は遠くまで進みました。彼は地上で三年半のあいだ奉仕されました。そしてその後、彼の地上生涯はすべて終わりました。彼はそれにどのように直面されたのでしょう?彼はそれを自分に臨むべきもの、経過すべきものと見なされましたが [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第九章 子たる身分の意味と価値(7)
  •  子たる身分の目的は何でしょう?それは、霊的に責任ある地位に私たちをもたらすことです。神は決して「職員」に責任を与えません。子たちにお与えになります。ですから、神は私たちを子供たちとして訓練しなければなりません。それは私たちの内に子たる身分を成長させるためであり、神のために責任を担える地点に私たちをもたらすためです。神は私たちを霊的に成熟した状態に、完全なる成長にもたらそうとしておられます。これを [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第九章 子たる身分の意味と価値(6)
  •  神はイスラエルを御自身の長子と呼ばれました。神はこの子たる身分の基礎に基づいて御自身の民の傍らに立たれました。それゆえ、イスラエルは諸国民の間で重要かつ意義深い地位を得ることができました。それは地上における神の選びの器でした。神に対するその内的関係が単なる外面的形式になってしまったため、神は御自身の民から退いて彼らを捕囚に送らなければなりませんでした。イスラエルが主の方に向いて、「どうしてあなた [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第九章 子たる身分の意味と価値(5)
  •  今や、子たる身分は神の活動の基礎です。子たる身分の地位・使命は、「公的」任命とは何も関係ありません。私たちに対する神の取り扱いは、公的立場に基づくものではありません。神が私たちに関心を寄せておられるのは、私たちが何らかのキリスト教の働きに携わったり、特別な役職を示す或る名称を名乗っているからではありません。奉仕者やキリスト教の働き人であることは、神が特別に私たちを通して働かれることを意味しません [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第九章 子たる身分の意味と価値(4)
  •  さて、この神の子たる身分の霊的価値は私たちのものです。これは高ぶりや偽りの存在を意味しません。私たちは彼のように、人々の間で柔和で、心のへりくだった控え目な者でなければなりません。決して自惚れてはなりませんが、私たちは神の子の力を持たなければなりません。私たちは決して自分の証しについて弁解するようなことがあってはなりません。私たちは神の子たちです。ヨハネは言います、「見よ、私たちが神の子供たちと [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第九章 子たる身分の意味と価値(3)
  •  実際的適用に関しては、主イエスは神の子だったという事実に、とても多くのことが関係しています。主イエスがどれほど御自身の子たる身分に言及しておられるのか、彼にとってどれだけ多くのことがそれにかかっていたのかに注意して下さい。それは彼にとってすべてを意味しました。もし彼がそれを知らなかったなら、彼は彼の人生を特徴づけている主要な力を持たなかったでしょう。彼は勝利の生活を送り、力強く効果的に働かれまし [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第九章 子たる身分の意味と価値(2)
  •  私たちの十全性である栄光のキリストに関する黙想を続けることにします。私たちは今、彼の供給源の別の特徴に来ます。それは子たる身分と関係しています。 第一に、人の子そして神の子という私たちの主イエス・キリストの称号の間には違いがあることに注意しましょう。それらは真理と御業の二つの面を含んでいます。 神の子として、主イエスは、肉において現わされた神御自身という真理の面を表しています。堕落以降、神は御自 [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第九章 子たる身分の意味と価値(1)
  • 「父のほか、子を知る者はなく、子のほか、父を知る者はいません……」(マタ一一・二七)。「いまだかつて、神を見た者はいません。父のふところにおられるひとり子(逐語訳では「生み出された唯一の子」)、この方だけが父を示されたのです。(中略)私は見たので、この方が神の御子であると証しをしたのです」(ヨハ一・一八、三四)。「信じない者はすでに裁かれています。なぜなら、神のひとり子(逐語訳では「生み出された唯 [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第八章 「私の平安をあなたたちに与える」(7)
  •  ですから、律法の領域における平安に関して、安息日を守ることに関する問題は、主イエスを少しも悩ませませんでした。人々の支配者たちは絶えず彼に律法を押し付けましたが、神は彼の中に完全な地位と権利を得ておられました。彼の人生は日々刻々、彼の神、彼の御父のものでした。彼は御霊の中で律法を完全に満たされました。パリサイ人たちは外面的な形式、文字を守ることを要求し、そうすることによって、安息日の御霊に対して [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第七章 隠されたマナ(6)
  •  さて、私たちに対する神の御旨は何でしょう?主イエスは、御父のみこころは「彼の御業を成し遂げること」である、と言われました。その御業とは何だったのでしょう?もう一度四章を見て、サマリヤの女の必要を見ることにしましょう。彼女は真の命を知りませんでした。彼女が井戸に来た時、彼女は大きな必要を抱えていました。命に関する主との会話に導かれて、彼女はキリストが命であることを最終的に理解しました。「私を信じる [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第七章 隠されたマナ(5)
  •  食物と飲み物は霊的なものです。それは「キリストの中に」住むことを意味し、私たちの生活のあらゆる部分で御父の御旨を行うことと関係しています。しかしここで「私たちは生きることを本当に望んでいるのだろうか?」という疑問が生じます。覚えておいて下さい。私たちが真に「生きる」のは、私たちが私たちの主のみこころを成し遂げるとき、私たちの命となることを主イエスに許すとき、彼に完全に従順であるときだけです。私た [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第七章 隠されたマナ(4)
  •  さて、ヨハネ六・二七に注目すべき句があります。そこで主は、「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る永在する食物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたたちに与えるものです。それは彼に、父が証印を押されたからです」と述べておられます。主がこの御言葉を語った人々は、主が言わんとされたことをよく知っていました。過ぎ越しのために小羊なら何でも食べてよいわけではないことを、彼らは知っていました。それ [続きを読む]
  • 「私たちのすべてなるキリスト」 第七章 隠されたマナ(3)
  •  この霊の糧は私たちの命を維持するだけでなく、私たちの命を増し加えます。それは私たちをキリストの豊かさの中に導きつつあります。私たちはこの糧を摂ることによって成長します。そして、命は従順によって増し加わります。ピリピ二章は、主イエスは御父に徹底的に従われた、と私たちに告げています。「それゆえまた神は彼を高く上げて、あらゆる名に優る名を彼に与えられました」。これは従順から生じた豊かさです。新たな従順 [続きを読む]