トロロヅキ さん プロフィール

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トロロヅキさん: 安芸の夜長の暇語り
ハンドル名トロロヅキ さん
ブログタイトル安芸の夜長の暇語り
ブログURLhttp://tororoduki.blog92.fc2.com/
サイト紹介文安芸の歴史について戦国時代は毛利元就から幕末の浅野長勲まで。主に毛利元就の春霞集の訳を扱っています。
自由文神楽や郷土情報番組など割と自由に書き綴ってるブログです。興味がある方はどうぞ!!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供18回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2010/12/30 19:51

トロロヅキ さんのブログ記事

  • 元就さんを巡る出雲旅行〜満願寺の椿〜
  • 元就さんが御手植えしたのは温泉津の梅と満願寺の椿というのが分かってます。・・・とは言うても北の森の弟の墓標とか隆元の墓標は手植えしてそうじゃし、月山富田の周りの柿の木の一本ぐらい接ぎ木してそうじゃし、そもそも、あの時代に珍しい樹木葬しとって方ですし「木を植えた男」を異名にしてもおかしうないぐらい植樹しとるので他にもあるのかもしれんです。で、温泉津の梅は1代目が枯れたので2代が側に満願寺の椿のみ元就 [続きを読む]
  • 鰐淵寺の投げ入れ堂
  • あれから随分更新してなかったのですが、中途半端はいけんので続きをたちまち仕上げます。まずは鰐淵寺の続き。一旦お寺を出て更に奥の道へ。この石橋を渡ったところも広く整地されていてなにかしらの建物があったげです。それから石垣。隅の所は算木積みに近いですが、横をみると石の目が通っているので石づきのものどもの仕事かと思います。基本古い石造物が多いのですが所々に新しいものがありました。階段。階段。延々と登り道 [続きを読む]
  • 織田信長からの毛利への和議申し出(明智光秀経由)
  • 天正4年に英賀合戦で奇襲を仕掛けられ、決裂した織田と毛利の入魂ですが、天正4年以降に一度、復縁しようとする動きがありました。それも織田信長の方から。巻子本厳島文書に納められている書状です。81号書き下し文備後様御覧 安国寺恵瓊状「隆景よりの書状御被見入り候、御心得為す候 追って申せ令め候、上口所々儀は上下の船便など具に聞こし召し及ばれるべく候 さりながら備前表の儀も、1年2年の間には、今の分は隙明く [続きを読む]
  • 戦国サラリーマンはつらいよ。
  • 不動院文書を借りる機会があったのでひゃっほうと借りてきました。夏休みの読書記録です。やたらきれいな本だったのですが刊行は1983年6月。この綺麗さで同い年・・・。因みに収録されている書状のほとんどが恵瓊さん宛てです。本当はたくさんあったようですが下張りなどに使われた様子・・・。三原城といい古い建物の壁を崩す時には書状がないかどうか確認する必要がありそうです。書き下し文「急度御意得候、路次中御見合い [続きを読む]
  • 「戦国日本と大航海時代」感想
  • 最近一目ぼれして買った本。「戦国日本と大航海時代」(平川 新著 中央公論新社 2018発行)私は高校で世界史選択者じゃったのですが横の軸でつながっていく世界というのが面白くて世界史大好きじゃったです。カタカナの響きも呪文っぽくてかっこいい!というか漢字大っきらいじゃったので日本史苦手でした。似たような名前ばっかりで覚えにくい!!絶対日本史とるかぁあ!と吠えようたんですが、今から考えれば偏諱を与えた [続きを読む]
  • 毛利家文書289号「郡山合戦報告書の注進について」
  • 四国を考える前にちょいと気になるものを見つけたので。毛利家文書書き下し文「去る2月14日御状、委細拝見申し候 尼子陣退散の由御注進よりて則披露申し候 それにつき、毛利右馬頭方働き比類無き由 それ隠れ無き候。木左かたへ懇ろに注進候 其趣披露仕り候の所、御書成られ候 長政かた、巨細申されるべく はたまた貴所今度御忠節比類無し旨、まずもって珍重候 この表事も、赤松殿仰せ合われ、近日其働き有るべく候 大内 [続きを読む]
  • 元春と息子展の感想
  • 春から行きたいと思っていてなかなか行けていなかった岩国へいってきました。吉川史料館の「吉川元春とその息子たち」の展示をしているのでわくわくしながら行ってきました。丁度錦帯橋祭りと重なっていたのですごい人出でした。高速バスから降りた瞬間、ばばばん!と銃声が。え!まさか岩国鉄砲隊の演武!!と河原まで走って行きました。岩国藩鉄砲隊の演武を見るのは久々でした。歴史に再可燃して初めて見たのがもう10年近く前 [続きを読む]
  • 鰐淵寺〜洞春院跡〜
  • 言っているそばから朽ちている標識・・・。って。あれ??おおおう!!洞春院跡!!!ええ!!まじで!!テンションだだ上がりです。洞春院ということは毛利元就の菩提寺あるいは追悼寺院があった場所。毛利元就寿像がここに祀られていたってことです。おおう!道が残っている!!おお!でかい!礎石跡?でしょうか。上の本堂なみの広さがあります。庭石もどきもありますが、多分庭だったんでしょう。こっちは辛うじて枯山水らしき [続きを読む]
  • 鰐淵寺〜デサント山盛り桃山時代の最先端
  • 石垣を堪能しつつ目指す本堂へ。おおうでかい!大宰府天満宮のような構えです。天正5年でこれを立てられるような財力があったんじゃなあ。すごいなあ。あ、でもまだ上層部が都に行ったことがないので地方色がかなり強いつくりとなっています。例えば、ここ。これは細い木を組み合わせた格子ではなく木を掘り抜いてつくったもの。八千代の神社でみたのとそっくりです。こちらのほうが細工技術は難しい。天井の格子も格式高くするな [続きを読む]
  • 出雲・鰐淵寺の石垣特集その1〜算木積み的な何か〜
  • 毛利元就の肖像画はいくつかありますが、その中でも一番古く、かつ依頼主が元就本人の肖像画が鰐淵寺のものです。鰐淵寺の元就さんの肖像画は白ひげでふくよかめに描かれたもの。一方で息子の隆元が注文した元就さんの肖像画をみると顎は細く、髪も黒々としています。2枚とも寿像。生きている間に描かれたのに何故このように違うのか。肖像画は一度描いたら注文者にみてもらい、色々と直して完成させていたので注文者本人の意向が [続きを読む]
  • 出雲大社〜毛利氏関係〜
  • 歴友と出雲旅行に行って参りました。まずは出雲大社。空は快晴。桜は満開。綺麗だったのでつい参道で長居してしまいました。大国主命と国造りの神話。出雲大社の祝詞が神話のあらましと共に看板に書かれていました。「さきみたま くしみたま まもりたまひ さきはへたまへ」最近物覚えが悪いので頭の中でぶつぶつ繰り返して手水鉢へ。手水鉢の奥では車祓いをされていました。ボンネットからトランクに至るまで全部開けて祈っちゃ [続きを読む]
  • 四国攻めと隆景
  • 秀吉の四国攻めの契機は、長宗我部元親が土佐と伊予の2カ国を安堵してもらうことに「異議あり!!」と唱えた隆景のせいで始まったんじゃないのか。前にそうおっしゃられていた先生がいらっしゃってどうなんだろうと疑問に思っていたのです。まあ、道直時代から実質隆景領に近い状態なのと休戦協定破って攻めてきたのは長宗我部の方なのでそりゃあ普通は激怒するだろうとは思うんですが・・・。小早川家文書214号書き下し文「尚 [続きを読む]
  • 戦国時代と柿の木と
  • 以前、安芸高田市歴史民俗博物館で開かれた講座で「島根に広く分布している西条柿は毛利軍が継ぎ木して持ち込んだものではないか。」というのを論文発表したと講師の先生から聞いて、何それぶちおもろい!!と検索したらありました。「街道を往った西条柿 〜遺伝資源 西条柿の古木調査研究〜」中央図書館で貸出可だったので見にいきました。いつも県立図書館に行くのですが、中央図書館も結構良い棚ぞろえでした。広島城の過去の [続きを読む]
  • 「毛利元就展」感想
  • 下関市立美術館で開催されている毛利元就展に行ってきました。下関だから新幹線でぴょいといけるなと思っていたら・・・。遠かったです、長府。新下関から山陽線に乗り換えたのですが山陽本線なのにベースが1時間に2本・・・。宮島行きなんて昼間でも10分に1本あるのに何で!?しかも長府駅から下関市立博物館まで2kmあるのでバスを見たら1時間に2本・・・・。山口県、観光増を狙うなら道路整備よりバスや電車の本数を増 [続きを読む]
  • 小鳥と隆元と幸鶴と
  • 毛利家文書606号書き下し文「珍しからず候へども、小鳥百籠これ進め候 任せ見るの来ばかり候 恐々 2月2日 隆元 幸鶴殿 進之候」私訳「あんまり珍しくもないだろうけど 小鳥を100籠ほど渡します。 任せますからしっかり面倒をみてください。 2月2日 父より 幸鶴へ 渡して下さい」隆元から輝元(幸鶴)へ鳥を送った手紙です。輝元はこの頃鳥にはまっていたらしく次の書状にも鳥の話題があります。ただ、100 [続きを読む]
  • 「瀬戸の鷹 小早川隆景」を読んで
  • 友から「瀬戸の鷹 小早川隆景」という本を借りました。(泉 淳著 叢文社 1989年発行)元就さんが広島弁だし、基本登場人物が広島弁(正確には備北言葉?)。と聞いていたので、わくわくしながらページを開きました。物語は郡山合戦の少し前から。武田氏家臣熊谷氏の話からスタート。元春の嫁さんの叔母さんの腰入りが熊谷信直と武田光和の間にひと悶着を起こします。そんな感じで、全国的にはマイナーな安芸国人達の名前が [続きを読む]
  • 「清盛・元就と宮島」感想
  • 秋山先生が宣伝なさっていた県立大学で開かれている「清盛・元就と宮島 −名誉教授菅原範夫先生収集近世資料を読み解く−」を出張がてら見に行きました。詳しくはこちらPDFファイルです。因みに扇で招いているのが清盛さん。女性に導かれている子どもが松寿丸時代の元就さんです。毛利元就の浮世絵であれば厳島合戦が有名です。陰徳太平記は江戸時代に三大軍記物と呼ばれるほどベストセラー。なので浮世絵にも結構題材として使 [続きを読む]
  • 「郡山城と城下の構造を再考する」講義録
  • 今日は秋山先生の講義を聴きに吉田歴史民俗博物館にいって参りました。先生が講座を吉田で開かれるようになられてから、もう27年も経つんだそうです。その中で「郡山城」をテーマに話をされたことが過去にも何度かあり、今回は過去のものをベースに城と城下町について再考されちゃったことをお話されてでした。確かに吉田郡山城はテーマになることが多く、過去の吉田の公開講座では、●三浦先生の「毛利の城」12●山城シンポジウ [続きを読む]
  • 「長宗我部元親と四国」感想
  • 今、伊予で月に1回ほど戦国時代の歴史講座が開かれているのです。「芸予土」の瀬戸内海挟んだ戦国時代のお話。石谷家文書など新出書状がまだまだ出てくるように、伊予と土佐と安芸の三国関係はまだまだ研究途上。そもそも長曽我部氏が四国統一したのかどうか、河野氏は毛利氏とどこまで連帯していたのか。まだまだ謎は尽きず、講座に行きたいのですが、10時までに松山行けない・・・。まあ、歎いていてもしかたないので、そうい [続きを読む]
  • 石見銀山展行ってきました
  • ちょっと時間ができたので、石見銀山展に行ってきました。出雲大社にお参りして、おみくじの結果に衝撃を受けてああ、やっぱりかぁと、とぼとぼ歩いていたら看板を発見。そうか!!銀山展してたんだ!!ありがとう!!神様!!と、中へ入りました。結果、入って良かったぁ!!!初見の展示品がたくさんあったのです!!図録と一緒に本多先生の本をゲットだぜ!!ポケモンNO!GO!の館内だけど!!これで一気にテンション上がり [続きを読む]
  • 「新出・隆景書状と厳島合戦前夜の山里合戦」感想
  • 先日、津田で行われた秋山先生の「厳島合戦前夜の山里合戦」を聴講しに参りました。市電廿日市駅から緑バスに乗って津田まで行きました。道中、御敷畑山合戦のあった峠を通ったんですが、すごいヘアピンカーブでした。その途中に、明石のバス停がありました。陶方の宮川さんと激戦になった場所で、亡くなったとされる岩がバスの窓から見えるんだそうです。私は見逃しましたが・・・。・・・ていうか、こんな急な所で戦ったん??と [続きを読む]
  • 父・毛利元就危篤につき
  • 墓前祭があったので、この間見た書状を。吉川家文書1209号書き下し文「先書に申す如く候、上の御煩い今度了簡に及ばず事に候、 御下の儀、いかが候はん哉。 勝事にて候、御心遣い申す事無き候、 元春御下向の事は、某許の趣によるへき候条 爰許より相定められ候て仰せられずの由、 輝元仰せられ候、其口又上口所々正体無く罷り成り候々 此の表の儀も分もなき体たるへき候 御相談折節ため隆家、信直、貞俊、道良御参上候 [続きを読む]
  • 西園寺公望、毛利元就贈正一位承認書
  • 元就さんの生前の階位は従五位下からスタートし、正親町天皇の即位に献金したことで従四位下になります。大江氏は源平藤橘から洩れている家で、数の少なさもあってかあまり政治的な活躍をしていません。そのため、辛うじて堂上家に名を連ねていても所属は最下層の半家。位を貰えたとしても従三位が限度。毛利家は武家なので公家の大江よりも上の位を得ることはできません。なので、従四位下の位だけでは感謝しきれないと正親町天皇 [続きを読む]