まる(=・3・=)ぞう さん プロフィール

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まる(=・3・=)ぞうさん: まるぞう備忘録
ハンドル名まる(=・3・=)ぞう さん
ブログタイトルまるぞう備忘録
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/ohisama_maruzo
サイト紹介文時事ネタ、政治、歴史、経営論。オモテに見えることとウラにあることは真逆です。という視点での個人メモ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供369回 / 365日(平均7.1回/週) - 参加 2011/01/05 12:47

まる(=・3・=)ぞう さんのブログ記事

  • 視点の変化を考察してみる。ふっきれ覚悟。
  • 親からの期待が、自我を重くする。 昨日の記事です。「重い自我の鎧の主成分」これには親の期待が含まれる。 これについてはもう少し詳細を書きたいと思っておりました。 (特に日本人の)良心の疼きが強まる時代に入っているのであれば、夜明け前の一番暗いこれからしばらく。心を病む人も増えるであろう。自我の鎧を脱ぐのは辛い。しかし着たままも辛い。そういう葛藤をする人は増えるであろう。そのような仮説を考えておりま [続きを読む]
  • 視点の変化を考察してみる。よだかの星。
  •  宮沢賢治氏の名作で「よだかの星」という作品があります。ご存知の方も多いことでありましょう。その一節から。==========・・・ 夜だかが思い切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたように思われます。一疋(ぴき)の甲虫(かぶとむし)が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。 雲はもうまっくろく、東の方だ [続きを読む]
  • 視点の変化を考察してみる。
  • ロシアのボリス少年。読者の方からのコメントに寄せられたある記事です。==========○ロシアで注目を集める予言者ボリス・キプリャノヴィッチ少年・・・ほとんど泣くこともなかったボリスカ君は、生後4ヶ月にして簡単な単語を発し、8ヶ月目には完全な文章を話した。2歳になると、火星について話を始め、他の太陽系の惑星や遠い文明に関しても語りだした。・・・ボリスカ君はストリートを歩く若者にドラッグを止めるよう [続きを読む]
  • 視点の変化を考察してみる。醍醐味。
  •  人類が「良心の呵責の門」をくぐらなければならないとするのであれば、それは人によっては大きな痛みとなると考えられます。良心が疼き出すことによって、自我がどこまで抵抗できるか。という状態になるからです。 固い自我をどれほど溶かすことができるのか。自我が「まいった〜。」という過程こそが、この人生の醍醐味であろうと思います。ただし自我が濃い=悪自我が薄い=善 ではなく、自我が「濃い→薄い」という過程が、 [続きを読む]
  • 視点の変化を考察してみる。良心の呵責の門。
  •  自我が濃い状態から徐々に薄くなっていく。この時に通過しなければならないのが「良心の呵責の門」であろうと思います。 自我が持っていた価値観が逆転するわけですから、そのギャップは大きいものであります。 今まで自分が大事と思っていた「自我のプライド」を棄てることになりますから。 今まで「自分が正しい」「間違っているのは相手だ」が崩れ始めます。これは自我にとっては大きな苦痛であります。 「良心の呵責の門 [続きを読む]
  • 視点の変化を考察してみる。日本人の物欲離れ。
  • 復習の意味から前回の話をまとめてみます。1,かつて人類は自我の薄い時代があったであろう。しかし今は自我の濃い〜文明の時代である。2,地球が健康で存続するためには、人類は再び「自我の薄い」回帰進化が必要であろう。3,人類が自我が薄くなるにつれて、「現実」と「幻想(潜在)」が入れ替わっていくであろう。日本人から進化が始まる。 縄文時代は持続可能な文明が1万年以上も続いたことからわかるように非常に高度な [続きを読む]
  • 視点の変化を考察してみる。現実と幻想が逆転する。
  •  陰陽の仮説では「陰と陽は同時に発生する。片方は目に見える現実の事象として。片方は目に見えない潜在因子として。」と考えます。これは皆様のご存知のようにです。 しかし人間の自我が薄くなると、この「目に見える」と「目に見えない」事象がそれぞれ逆転し始めるのであります。というのが今回の仮説の主題であります。目に見えることと目に見えないこと たとえば、ある人を騙してお金を儲けたとします。「お金が儲かった」 [続きを読む]
  • 視点の変化を考察してみる。序章。
  • 心の視点の変化に関するメモ。 表面の心を自我と呼びます。 奥底の心を真我と呼びます。 私達は日頃の日常をこの2つの心で体験しております。 自我とは私とあなたの区別がある心です。他人と比較する心であります。 真我とは私とあなたの区別がない心です。他人の喜びや苦悩も自分のことのようにとらえる心であります。 縄文文化とは貧富の差がない文化であると言われています。おそらく縄文人は、自我が薄い文化であったの [続きを読む]
  • 風邪の初期対応方法のメモ。
  • 風邪ひきに関する備忘メモ。 先日子供が風邪引いたと早引けして帰ると連絡がありました。私はちょうど家で仕事をしていた日でありましたので、早速熱いお風呂を入れて準備しました。 帰ってくるなり熱いお風呂に入れます。子供は寒気がするので熱いお風呂がちょうど良いようです。 お風呂から出てさっぱりしたところで、お水を飲ませて、厚着をさせて電気毛布で寝かせました。 私が子供の頃は背中にタオルを入れて厚着をして布 [続きを読む]
  • 奪われることと手放すことの違いの考察メモ。
  •  本日も自分の心の備忘メモであります。 「奪われるか」「手放すか」の違いについて。 人生には波がありますから、得る時もあれば失う時もあります。それは海の波であります。ふうむ。 失う時、多くの人は嘆くのであります。ああ、残念。失いたくなかったよ。と。 このように「ああ、残念、ああ、残念」と悔みと恨みの感情を発している間は、なんと自分自身に負の因子を蓄積しているのでありました。 一般的には、陰と陽は真 [続きを読む]
  • いざ「ナギ」。
  •  韓国の慰安婦合意に対するコメントを書いて欲しいというご要望を頂きました。 2年前に慰安婦合意を行った時、多くの保守層の人達は憤慨しておりました。私は「これは安倍さんは本当に策士であるなあ。」そのように思いました。またそのように記事にいたしました。 ゴールポストを動かさないために、アメリカに仲介になってもらい、かつ10億円を支払った。当初、韓国国民は「勝った勝った」と喜びましたが、この合意が自分た [続きを読む]
  • 雑感メモ。
  • 今日は読者の方から頂いたコメントに対する備忘メモであります。==========つい先日の記事で物凄く気になるものがあるのです。まるぞうさんのお友達の話しです。「真実は表面からは真逆」「そして必ず偽物から先に現れる」この後の言葉が気になって気になって。いつかのテーマとしてリクエストさせて下さい。==========陰と陽は同時にこの世界に誕生する。プラスとマイナスは同時に発生する。片方は目に見える [続きを読む]
  • 南無阿弥陀仏。その5。
  • 自分の心の奥深くの声を聴くことを思い出せた人。親鸞上人もまたそういう御方であったのかもしれません。心の奥底の声。それは良心の声とも言われます。良心の声に従って生きて行こうとすると、今度は自分の心の欲深さが目につくようになります。あらゆる瞬間に、ワレヨシの自分が出てきます。スケベエな自分が出てきます。ええかっうしいの自分が出てきます。言い訳小僧の自分が出てきます。ああ、自分はワレヨシで、スケベエで、 [続きを読む]
  • 南無阿弥陀仏。その4。
  •  歎異抄とは、異端を嘆いた文章という意味です。 親鸞上人が亡くなったあと、弟子たちが勝手にそれぞれ都合の良い解釈を始めたからでありました。 それはある意味仕方ないことでした。 親鸞上人の教えは「上から目線を棄てること。それが大安心。そのための方便としてひたすら南無阿弥陀仏を唱える。」ということでありました。 しかししか〜し、人は自分の上から目線(=エゴ=自力)を無くすのは至難のワザであります。 そ [続きを読む]
  • 南無阿弥陀仏。その3。
  • 親鸞上人が書いた言葉を意訳する。 究極の下から目線の即興詩人であった親鸞上人。彼が死ぬまで何度も加筆して書き続けて来たと言われる「教行信証」。 この文書の中に、親鸞哲学が凝縮されているように思います。 それは古今東西。多くの聖人達の共通した言葉。 人はすでに悟っている状態である。問題はそれを思い出すかどうかだ。 親鸞上人もまた同じことを言っているように思います。以下は「教行信証」から受ける私の個人 [続きを読む]
  • 南無阿弥陀仏。その2。
  •  親鸞上人が語る言葉。これは路上の即興詩人。きっとそんな言葉だったのでしょう。 もう生きていくのが苦しい。こんな苦しい人生、生きていて何の意味があるのか。 そういう人達に向けられた眼差し。これこそが親鸞上人の言葉の真髄でありました。 こんな苦しい人生であっても、生きよう。俺の方がもっとダメダメ人生なんだぜ。それでも生きてる。あんたも生きな。そう、俺は南無阿弥陀仏って唱えるんだ。俺のお師匠さんの法然 [続きを読む]
  • 南無阿弥陀仏。その1。
  •  先日の二礼二拍手一礼の考察の中で、「日本における2番めの仏教ブーム。鎌倉時代。日本古来の祖霊文化と融合した」というような内容を記載いたしました。 鎌倉仏教の中の浄土真宗は、位牌を置かない。先祖供養もしない。というご指摘を頂きました。 浄土真宗を開いた親鸞上人は、とにかく最後まで生ききればその人は救われる。そのようなことを人々に説いて廻った。と個人的にそのように思います。たくさんの学者さんのたくさ [続きを読む]
  • 二礼二拍手一礼について考える。後編。
  •  神社での参拝の方法。二礼二拍手一礼。なぜ最初にお辞儀を2回しなくてはいけないのでしょうか。 特に初詣など行列で並んで参拝する時、後ろにたくさんの人が並んでいるのに気兼ねして、ぴょこぴょこお辞儀をするのは好きじゃない。そういう方もいらっしゃるかもしれません。昔は重ねてお辞儀をする儀式は一般的だった。 しかし古代は、お辞儀を複数回することは当たり前でありました。時間がゆっくり流れていたということかも [続きを読む]
  • 二礼二拍手一礼について考える。中編。
  • 古代日本人は拍手をして敬う礼としていた。 二礼二拍手一礼は明治以降生定められたものだと言います。それ以前の江戸時代にはそういう拍手の習慣はなかった。 しかし太古の日本は、拍手(かしわで)が、尊い人への礼儀であったことが記録に残っています。 3世紀末(日本に仏教が渡来する前)に中国文化圏で日本について書かれた魏志倭人伝です。そこにはこう書かれています。 見大人所敬 但搏手以當跪拝 「大人を見て敬する [続きを読む]
  • 二礼二拍手一礼について考える。前編。
  • 二礼二礼二拍手一礼の起源とは。 近所の氏神神社に初詣に行かれた方も多いことでありましょう。 神社の参拝の方法は、ご存知のように二礼二拍手一礼であります。 明治天皇以前は、神社とお寺の区別は曖昧でした。そのため、人々が神社に御参りしても、拍手することなく合掌していたと言われます。映画「姿三四郎」より では二礼二拍手一礼は明治以降定められた新しい作法であるから意味がない。そのように思われる方もいるかも [続きを読む]
  • 母性の鏡。本年もよろしくお願いいたします。
  •  その人が逆境に強いかどうか。それは人から肯定感を受けている。そういう自信で大きく決まる。なるほどな〜。 でありますから子供を育てる時、接する時、それは本当に大事なのでありました。 親の意見を押し付けたり子供をコントロールしようとしたり、親の感情をぶつけたり。頭ごなしに否定したり。 それは繰り返される親子の相克。自分の親もそうであった。そしてその親も。 親もまた子供を育てる過程で、自分自身を育てる [続きを読む]
  • 心の傷を癒やす。心の自然治癒力=共感されているという実感。
  •  愚痴を聞くことで相手に寄り添いたい。そういう心の暖かい読者の方々がいらっしゃる。私は親業のことを思い出しました。 以前「合気道の間合いで人と論議をしない」という話を書き置いたことがあります。これも昔読んだ「親業」のテクニックの応用であります。 親業とは50年以上前にアメリカのトマス・ゴードン博士が考案提唱した子供に接する方法の理論です。 私達はついつい子供に対してこのような12の方法で接してしま [続きを読む]
  • 愚痴陰口の考察補足。
  • この2つの違い。おわかり頂けますでしょうか。「愚痴を聞きますよモード」と「寄り添い共感すること」とは似ているようで非なるものです。そのように私は思います。 人は人に共感されることで励まされます。共感されることは傷ついた心を癒やす素晴らしい薬であります。傷ついている人に対して、共感と肯定で寄り添うことは、大切なことであります。 一方「愚痴聞きますよモード」とは、相手が陰口に油を注ぐ聞き方のことであり [続きを読む]
  • 人生に幸運をもたらす宝について考えてみた。
  •  年末の仕事納め。知り合いのA社長の会社に顔を出しました。この会社は、敏腕やり手の営業マンB氏を部長職に迎えたのが半年ほど前でした。 しかし打ち合わせに出てきたのは社長のA氏だけでした。 あれ?今日はBさんは?お客さん廻り? いやあ、まるぞうさんにも言わなきゃいけないけど、Bは今月頭に退社したよ。 ええ?だってまだ入社したばっかりじゃないですか。 うん。残念だったけど。 そうですか。愚痴は言わない。愚 [続きを読む]
  • 十牛図私的メモ。補足。
  • 尋牛(じんぎゅう) 社会に暮らすということは、様々な理不尽さに出会うということです。本当はこんな仕事辞めたい。誰もが思うことでしょう。しかし自分や家族の生活費を稼ぐためには、仕事を続けなければならない。あるいは子供や両親の面倒を見なければならない。 どうして自分の人生はこのように辛いのだろうか。どうすればその辛さから抜けられるのだろうか。そのように尋ねること。それがこの十牛図の旅の第一歩となります [続きを読む]