嵯峨野の青竹 さん プロフィール

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嵯峨野の青竹さん: 今週の話題から
ハンドル名嵯峨野の青竹 さん
ブログタイトル今週の話題から
ブログURLhttps://ameblo.jp/pandausagi37/
サイト紹介文テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
自由文最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」
一つ前号は、「日本国債の格下げ」
もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。

宜しくお願いします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供299回 / 365日(平均5.7回/週) - 参加 2011/03/10 14:54

嵯峨野の青竹 さんのブログ記事

  • 日本一の生産量を誇る「大王わさび農場」
  • 46年振りの”寒さ”だそうですが、とても寒い1日でした。この写真は「9月下旬」のものですが、すっかり様変わりしてしまいました。行楽シーズンは、もう終了なのでしょうか。 さて、日本一のわさび生産量を誇る「安曇野の大王わさび農場」です。総面積約15万?もの広さで、まる1日遊ぶことも可能です。 北アルプスから流れる”豊かな清流”が魅力的です。美しい”わさび田”そして、”わさび料理を戴ける食事処”が人気です。 開 [続きを読む]
  • 総面積約24万?を誇る「京都府立植物園」
  • 大正13年に開園した”日本初の公立総合植物園”です。 花木を愛でる府民の憩いの場として親しまれています。春の”桜”、秋の楓などを始め、様々な木々が整備されています。 広さは、約24万?(甲子園球場の6倍)、植物数は、約12000種類、12万本を誇っています。 余りに広く、この日は、北山門周辺と賀茂川門周辺に限り、散策しました。 北山門周辺の「噴水」です。 秋の草花が綺麗に咲いています。 賀茂川門周辺エ [続きを読む]
  • 上田「藩主屋敷」
  • 関ヶ原の戦いが終わり、真田昌幸は「徳川本軍を遅延させ、戦いに間に合わなくさせる」という大功績を挙げましたが、西軍が敗れたため高野山に流罪となりました。東軍についた信之の必死の助命嘆願が実を結んだ故でした。 戦後、上田領は信之に与えられましたが、徳川軍に大きなダメージを与えた上田城は、徹底的に”破却”されました。 信之が松代へ移転するまでの約20年間居住したのが、この「上田藩主屋敷」です。 「藩主屋敷」 [続きを読む]
  • 本来の五条通「松原通」から「あじき路地」へ
  • 天正18年(1590)秀吉は「東山大仏」を造営しましたが、六条坊門小路(現在の”五条通り”)に(鴨川に)橋がなかったので、参詣人のために、五条大橋を六条坊門小路に移設しました。 当初は「大仏橋」と呼ばれていましたが、石橋になるなど、段々立派な橋となり、そのうち、六条坊門小路が「五条通り」と呼ばれるようになりました。今や「五条通り」は「国道一号線」として、京都の東西の幹線道路になっています。 本家の「五条 [続きを読む]
  • 吉祥仁王さまの下駄「東光寺」(安曇野市)
  • 安曇野市で、穂高神社と並ぶ信仰を集めている「吉祥山東光寺」です。”仁王さまの下駄”の寺として有名です。 信州七福神の一つ(大黒尊天)ですが、門前に「吉祥仁王さまの下駄」と呼ばれる、大きな下駄があります。この大きな下駄を履いてお願いをすると”願い事が叶う”といわれています。 下駄を履いて、この山門から祈願します。 仁王さまも、立派です。 本堂です。 この「道祖神」も、良い雰囲気を持 [続きを読む]
  • 興福寺中金堂再建記念「運慶展」
  • 東西で競い合うように、力の籠った展覧会が開催中です。まずは、京都国博の「国宝展」、そして、東京国博の「運慶展」です。 日本で最も有名な仏師といえる「運慶」。平安から鎌倉にかけての”動乱の時代(貴族の世から武士の世への変遷期)”に生きた運慶は、平家の南都焼き討ちにより荒廃した興福寺や東大寺の復興に貢献しつつも、新興勢力である東国武士からの注文も受けます。 生涯で多くの仏像を造ったと思われますが、現在 [続きを読む]
  • 半兵衛麩「むし養い料理」
  • 元禄2年創業で320余年に亘り五条橋畔で”生麩と湯葉料理”を提供されて来られた「半兵衛麩」さんの「むし養い料理」です。 「むし養い」とは、(空腹の虫がなくのを避ける程度の)”軽い食事”という意味です。 近年は、洋風の「ふふふあん」も拡大され、「銀座SIX」への出店されています。 築100年以上の京町家です。美味しく戴くには、この”舞台装置”が必要です。 柿のように見えるのは、「麩饅頭」です。 ”し [続きを読む]
  • JR上田駅前の「幸村像」
  • 「初秋の京都」、「信州松本」そして「信州上田」を並行してアップしています。 上田は何と言っても「真田の城下町」なかでも「幸村(信繁)」は人気No.1です。 関ヶ原の戦い後、真田昌幸は改易。その後を封された長男/信之も、元和8年(1622)には松代へ移封され、上田における”真田氏の時代”は、約40年で幕を閉じました。 上田は”7万石”、松代は”10万石”。表向きは栄転ですが、上田での実収は10万石以上はあったといい、 [続きを読む]
  • 日本アルプスの総鎮守「穂高神社」
  • 「京都」と「松本」と「上田」を、並行してレポートしています。今日は、JR大糸線「穂高」駅から直ぐの「穂高神社」です。 信濃の延喜式内名神大社です。平安初期から国史に登場する古社です。境内は、とても広く立派な神社です。 奥宮は、何と、上高地の明神池畔にあり、穂高見命を祀っています。 この辺りには、「道祖神」が散見されます。 この道祖神は、大きいです。 立派な本殿です。 樹齢500年の「孝養 [続きを読む]
  • 京都国博開館120周年記念「国宝展」
  • 「京都国立博物館開館から、そして、”国宝”という言葉が出来てから、120年」だそうです。関西では実に”41年振り”の「展示物全てが”国宝”の、夢のような8週間」と銘打たれています。 秋も深まりました。今日から、①先日の「京都旅行」、②「信州/松本旅行」、③「信州/上田旅行」のリポートを並行してアップさせて戴きます。あっち行き、こっち行きますが、宜しくお願いします。 「国宝展」へは、3日のオープン日に行きました。9 [続きを読む]
  • 黄檗風”竜宮門”が珍しい「成願寺」
  • 中野坂上では「宝仙寺」が有名ですが、この「成願寺」も、魅力的な寺院です。この山門は、何と表現すれば良いのでしょうか。 山手通り沿いに、「莫妄想」と書かれた大きな”達磨絵”に、圧倒されます。「つまらないことを想わずに、黙っておれ」と言っているのでしょうか。曹洞宗の禅寺らしい表現です。 京都では、見たことがありますが、東京では珍しい山門です。 肥前/鍋島家の支藩/蓮池鍋島家の菩提寺です。 鐘楼 [続きを読む]
  • 増上寺/徳川将軍家墓所(旧霊廟)
  • 芝の「増上寺(浄土宗)」は、上野の「寛永寺(天台宗)」と並ぶ”徳川将軍家の菩提寺”で、2代:秀忠公、6代:家宣公、7代:家継公、9代:家重公、12代:家慶公、14代:家茂公の6代の将軍家の墓所となっています。(初代:家康公と3代:家光公は日光に、15代:慶喜公は谷中に) その他、崇源院(2代秀忠正室、お江の方)や静寛院(14代家茂正室、和宮さま)なども、此処に祀られています。初期の将軍家の墓所が立派(初期の方 [続きを読む]
  • 東新宿のパワースポット「稲荷鬼王神社」
  • 東新宿。都会のど真ん中に、パワースポットがあります。「稲荷鬼王神社」です。 有名な「水鉢」です。鬼が頭の上に水鉢を載せている珍しい構図です。 ユーモラスな鬼です頭に大きな水鉢を載せて、しゃがんでいます。 もとはこの水鉢は、或る”旗本の屋敷内”にありました。 毎夜毎夜、水浴びのような音がするので、旗本は、刀で切り付けました。ところがそれからは、家人に”病災”が頻発したので、神社へ寄進することとしまし [続きを読む]
  • 芝の諸寺(金地院、瑠璃光寺、安養院)
  • 東京タワー直下にある寺院を3寺ご紹介します。 まずは「金地院」。ご承知の「南禅寺の塔頭の金地院」の末寺で、家康の帷幕にあった「黒衣の宰相/金地院崇伝」の住居でもありました。現在「東京タワー」が建つ”敷地”も、江戸時代は「金地院の敷地」でした。 崇伝は紀州の生まれ。南禅寺や相国寺で禅を学び、慶長10年には「五山の上である南禅寺の住持」になったといいますから、相当な秀才でした。家康のブレーンとなり、外交文書の作 [続きを読む]
  • 家康の遺言により建立された「芝東照宮」
  • 「増上寺」は、徳川家の菩提寺として、16世紀に大発展を遂げました。全国の浄土宗の宗務を統べる”総禄所”が置かれ「関東十八檀林の筆頭」として隆盛を極めます。寺領は1万余石に上り”寺格百万石”と謳われたほどでした。 「台徳院」とは2代将軍/秀忠公の院号で、国宝の”霊廟”がありましたが、戦災で、惜しくも焼失しました。 家康は遺言で、「生前は駿府城に祀っていた”寿像”」を「増上寺に鎮座させ、永世 [続きを読む]
  • 23区内最高標高「愛宕神社」
  • 23区内で一番高い山「愛宕山」山頂にある「愛宕神社」です。標高は”25.7m”。 大正14年の「ラジオ放送」が開始されたのも「愛宕山頂」からで、直ぐ隣に「NHK放送博物館」があります。 寛永11年(1634)に、この階段を3代将軍/家光の要請により、曲垣平九郎が馬で駆け上がりました。平九郎は男を上げ、「出世の階段」とも呼ばれています。 将軍家の御成りのときに、讃岐/高松松平家藩士の曲垣平九郎がいたのかは不明ですが、 [続きを読む]
  • 青松寺/天徳寺(愛宕)
  • 日本初のテレビ放送が始まった”愛宕山”。東京五輪を機に、東京メトロ日比谷線に「虎ノ門新駅」が開設されるなど、今後の発展が期待されています。 その愛宕山の東側にある「青松寺」と西側にある「天徳寺」を、ご紹介します。 まず「青松寺」。相当の大寺です。堂々たる山門です。 文明8年(1476)、太田道灌が雲崗舜徳禅師を開山として麹町あたりに建立したといわれています。慶長5年(1600)に当地に移転し、曹洞宗江戸3カ寺の [続きを読む]
  • 智積院東京別院「真福寺」
  • 総本山”智積院”東京別院です。「真福寺」といいます。 智積院といえば、真言宗智山派の総本山です。東山七条で「妙法院」と甍を並べ、長谷川等伯・久蔵の「楓図壁付図」、「桜図壁付図」や利休好みの”庭園”で有名です。 関東エリアで、成田山新勝寺、高尾山薬王院、川崎大師平間寺を有する大寺院です。 虎ノ門ヒルズの直ぐ隣の好立地にあります。 創建は天正19年といわれていますが、慶長10年(1605)に家康により、愛宕 [続きを読む]
  • ”お竹如来”の真心を今に伝える「心光院」
  • 増上寺の「別院」です。宝暦年間(18世紀)に飯倉に移転し、戦後の”区画整理”を経て、現在地に落ち着きました。 東京タワーの塔脚に”真下”にあり、ある意味では「劇的な」位置ですが、お寺自体は、閑静な雰囲気の良い寺院です。 注目は、この左にある「小さなお堂」です。 5代将軍/綱吉の頃、江戸は大伝馬の名主/佐久間勘解由の屋敷に奉公していた女中に「お竹」さんという人がいました。 庄内生まれの下女でしたが、 [続きを読む]
  • 芙美子が愛した家と庭「林 芙美子記念館」
  • 「花の命は短くて 苦しきことのみ  多かりき」 「放浪記」や「浮雲」で有名な女流作家”林 芙美子”が昭和16年8月から昭和26年6月に亡くなるまでを過ごした、彼女が愛した家と庭が公開されています。 新宿区中井の閑静な住宅地です。 芙美子は、この新居を建設するとき、建築の勉強をし、京都の気に入った民家を見学するほどの力の入れ様だったと言われます。 著書の「家をつくるにあたって」に、”私の生涯で、家 [続きを読む]
  • 塩竈神社(新橋)
  • 此の地には「仙台/伊達家の中屋敷」があり、陸奥国の大社/塩竈神社の分社がありました。最も、今の東新橋にあった「伊達家上屋敷」から移転してきたものですが……。 現在、「港区塩竈公園」として、綺麗に整備されています。 祭神は、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)です。 今は伊達家の上屋敷も中屋敷も無くなりましたが、公園は地元の人々に愛され、神社は引き続き、信仰を集めています。 [続きを読む]
  • 「銀座大志満」の”秋メニュー”
  • 季節毎に訪れる「銀座大志満(銀座コアビル)」です。今月から”秋メニュー”で提供されています。 先付け:帆立貝と蕪の明太とろろかけ お造り:盛り合わせ(まぐろ、きびなご、鯛) 煮物:治部椀 焼八寸秋鮭の柚子庵焼き、子持ち鮎の煮ひたし、蓮の芽、もずく酢、栗のいが揚げ、烏賊の雲丹焼きと銀杏、さつま芋せんべい、もみじ板雲丹 食事:蟹と湯葉のご飯、味噌汁、香のもの ご飯のお代わりは、「栗ご飯」です [続きを読む]
  • ”芝神明だらだら祭り”開催中「芝大神宮」
  • 「東京大神宮(飯田橋)」と共に、”東京のお伊勢さま”として有名な「芝大神宮」です。 9月11日から21日まで、「芝神明だらだら祭り」が開催中です。祭礼期間が11日間も”だらだら”続くので、「だらだら祭り」と言われています。例祭としては、日本一の”長さ”です。約20基もの神輿が集結する勇壮な祭りです。 なかでも17日(日)の13時〜14時頃に予定されている「神輿の宮入」は、汐入通りを神輿の行列が練り歩く”圧巻の” [続きを読む]
  • 「風神雷神(柳 広司著)」
  • 画家(絵師)を主人公として描いた小説は、「等伯(安部龍太郎)」、「若冲(澤田瞳子)」など多々あります。 織田信長が上杉謙信に贈った「洛中洛外図屏風(狩野永徳筆、国宝)」など、武将間で「屏風」の贈答が日常的に行われ、代表的には、大坂城の秀吉が座す”謁見の間”に「通常より一廻り大きな、威風堂々たる”唐獅子図屏風(狩野永徳筆、国宝)”が置かれて、秀吉そのものを大きく見せた様に、時の政権保持者とも密接な関 [続きを読む]
  • 横山家住宅/月松山長円寺(千住宿)
  • 「千住宿」には、まだ、見処が多くあります。 ●横山家住宅  商店街の外れにあり、かつての「千住宿」の雰囲気を良く伝えています。内部は  「非公開」です。   安政2年(1855)築で、江戸時代は「地漉き紙問屋」だったとか。綺麗に保存されており、    細格子造りなど見応えがあります。 ●月松山長円寺  出羽/湯殿山の行者/雲海が、寛永4年(1627)に庵を結び、後に、賢俊が開山しました。  本尊は [続きを読む]