たつや さん プロフィール

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たつやさん: いにしえララバイのブログ
ハンドル名たつや さん
ブログタイトルいにしえララバイのブログ
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/hs_anriver
サイト紹介文いにしえララバイのブログは、古代歴史小説と日本の起源をテーマにした古代史の記事を掲載しています。
自由文たつやのいにしえララバイのブログ以外の4つのブログ。
ソフトコレクションのブログ(ソフトの紹介)
http://blog.livedoor.jp/tf_collect/
たつやの料理教室(レシピ集)
http://ameblo.jp/tf-cook/
たつやのブログ(たつやのコメント)
http://blogsyahoocojphsanriver.blogspot.com/
たつやの私的情報室(インターネットの機能等の紹介)
http://blogs.yahoo.co.jp/fujimakitatuya

参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供35回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2011/03/12 11:47

たつや さんのブログ記事

  • 貝と漆の伝統工芸品
  •  伝統工芸が多く残されている京都。漆職人や金箔職人や染め物職人など、日本人として大切に残していかなければならない装飾技術ですね。現在でも、先端技術、例えば、宇宙開発や原発や交通インフラなど世界が認める技術を保持している日本。これは、古くからある伝統工芸に結び付いてきます。日本人のものに対する工夫や素材の発見。美しいものに対する探究心。その他にもいろいろな性格を持った日本人。世界的に物作りについては [続きを読む]
  • 魏志倭人伝を通しての日本史
  •  中国の歴史書『三国志』の「魏志倭人伝」には、倭人のことを「夏(中国の王朝)の王の少康の子が、會稽に封ぜられた時、断髪して入れ墨をし、蛟(みずち)の害を避けたという。今、倭の漁師も好んで水にもぐって魚や蛤を捕り、身体に入れ墨をして大魚や水禽を避けていたが、後には飾りになった。」と記されています。現在の日本では、入れ墨の印象がよくないですね。でも、素潜りで漁を行っていた古来の人々にしては、海に潜って [続きを読む]
  • 日中韓における思想の違い
  •  現代、何となく年月日や日時を使用して生活しています。朝日が上がり、太陽が沈むまでを昼。日が沈んでから朝日が昇るまでを夜。1日が24時間で区切られ、1時間は60分。当たり前ですね。このような決まり事は、江戸時代の幕府が明治新政府に倒幕され、明治政府が明治5年12月3日を明治6年1月1日として、明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告を発令して、西洋のグレゴリオ暦を採用した。ここから、何年何月何日何時何分という言い [続きを読む]
  • 年号と暦の話
  •  今上天皇陛下が2019年5月に退位されて、新しい年号に変わりますね。そして、崩御後、平成天皇となられます。今上天皇陛下が在位していた時代の年号を天皇陛下の諡にされる。これも明治時代になって、明治政府は中国の明・清王朝で実施されていた一世一元制を採用して、慶長4年を明治元年とし、一世一元の詔(太乙を体して位に登り、景命を膺けて以て元を改む。洵に聖代の典型にして、万世の標準なり。朕、否徳と雖も、幸に祖宗の [続きを読む]
  • 古代のソリ(修羅)の話
  •  クリスマスの時期になると雪景色の中、トナカイに引かれたソリに乗ってサンタクロースがやって来ます。現在では、スポーツカーに乗ったサンタクロースの演出もありますね。ソリは、雪国で運搬用として使われているものだと思っていました。それが古墳時代にも存在した。 1978年に藤井寺市の三ッ塚古墳の周濠底から大小2つの木製のソリが発見されました。大型のソリは全長が8.8メートルもあり、小型のソリは全長2.9メートル。先端 [続きを読む]
  • 4,000年程前に日本の米文化の基礎が築かれた縄文人
  •  日本人の主食は、昔から米ですね。この米はジャポニカ米と言われ、この紀元は15,000年程前、氷河時代の末期、日本がまだ陸続きの頃に今の東南アジアにあったスンダランドに生育していた熱帯ジャポニカ米です。スンダランドは、紀元前12,000年から紀元前4,000年の間に沈没し、現在のタイランド湾から南シナ海に渡る大陸棚に相当する。スンダランドが存在していた頃、黒潮海流は沖縄諸島より東側を流れていました。スンダランドか [続きを読む]
  • ヤマト王権は母系家族制では。
  •  現在の明仁天皇陛下は2019年4月30日で退位されて、諡号が平成天皇となられ、天皇家としては第125代の天皇となられます。世界でも、国の王として125代も続いている国は日本だけですね。初代神武天皇は、『古事記』や『日本書紀』によると辛酉年1月1日に橿原宮で即位してとなっています。明治時代の学者、那珂通世は、神武天皇の即位の年代について、推古天皇9年(601年)から遡って1,260年前、紀元前660年と唱え、戦前までの政府 [続きを読む]
  • 狐と稲荷の話
  •  最近、海外観光客の最多のスポットが京都の伏見稲荷大社だそうです。鳥居が約1万基もある千本鳥居があり、伏見駅のごく近くから赤い鳥居が続き、それが如何にも日本的と思われています。この赤い鳥居は、江戸時代になって町人や商人の信仰が盛んになったころから、商いの成功を祈願することから赤い鳥居を奉納する習慣が現れ、赤い鳥居が建てられるようになった。また、現在ではあまり見られなくなったが、商売をされている屋上 [続きを読む]
  • たつやの古代旅日記 第6章 殷鑑不遠 第4節
  •  陽介は沖縄が琉球国であったことぐらいは知っていたが、その琉球国がいつ頃出来たかは知らなかった。首里城が14世紀の末に建てられたことぐらいの知識でした。 「先生、『中山世鑑』を編纂されたころに琉球国があったのはわかりました。しかし、それ以前がわかりません。」 「中山世鑑に書かれているように。13歳の時、父、源為義に勘当されて九州に追放され、鎮西総追捕使になっていた源為朝は、保元の乱で崇徳上皇側に付き、 [続きを読む]
  • たつやの古代旅日記 第6章 殷鑑不遠 第3節
  •  『中山世鑑』は、ニライカナイやアマミキヨの神話的な琉球開闢説話から、源為朝が琉球へ逃れ、その子が実在しない伝説上の王統の舜天になったという説話まで載っています。この為朝琉球渡来説が発端になって、京都の五山僧侶、臨済宗の月舟寿桂等によって唱えられた日琉同祖論。日琉間の禅宗僧侶の交流を通じて琉球へもたらされ、呉象賢(羽地朝秀)は、『中山世鑑』を編纂する前に日琉同祖論の影響を受けたようです。また、この [続きを読む]
  • たつやの古代旅日記 第6章 殷鑑不遠 第2節
  •  大城陽介は、本土と沖縄とは別の国、或いは本土にある程度対抗意識を持っていた。それで、たつやの神話の話を聞いて、琉球神話が本土の神話より先に出来たのかと疑問が湧いてきた。 「先生、沖縄は本土より早く日本人が住んでいるのではないでですか。たとえば、山下洞人や港川人。石垣島では、約2万7千年前の人骨が19体も見つかっていますね。」 「山下洞人は、3万2千年前と言われていますが、人骨から直接抽出されたタンパク [続きを読む]
  • たつやの古代旅日記 第6章 殷鑑不遠 第1節
  •  大学校内も日差しがきつくなり、いよいよ夏休みが近づいてきた頃、たつやの部屋に青柳良祐がやって来た。 「やぁ、りょう君。入りなさい。」 「先生、今日は沖縄から来ている大城陽介君を連れてきました。」 「陽介君もどうぞ。沖縄ですか。沖縄のどの辺りの出身ですか。」 「私、沖縄本島の南にある知念岬辺りで、知念高校から東京のこの大学に入学しました。」 「陽介君がこの夏に沖縄に帰るというので、私も沖縄を旅行し [続きを読む]
  • 天災を恐れた古代日本人の信仰
  •  日本列島は活火山が多く、地下断層やプレートの変化やシベリア高気圧と太平洋高気圧の境界線上にあり、低気圧が発生しやすく、大量の雨量も発生します。火山災害、地震災害、台風などによる洪水災害など天変地変による自然災害の多い国に私達は生活しています。戦後、昭和20年以降、平成23年までの主な災害でも54件もあり、最大の被害はやはり、東日本大震災だったようです。このような災害の多さは現在だけでなく、太古の時代か [続きを読む]
  • 日本語の難しさ
  •  私達、日本人は何となしに日本語を話しています。イントネーションを上げれば、怒っているように聞こえますし、下げれば自信なさそうにも。話し言葉全体からの強弱がイントネーションだとすると、名詞の単語自体にも強弱を表わすアクセント或いは音調があり、それは、助詞によって判断する。たとえば、「雨と飴」「箸と橋と端」「鼻と花」などたくさんありますね。この単語にしても、近畿の方言と東京の方言ではまたアクセントが [続きを読む]
  • 日本人の食生活の変転
  •  日本で最古の土器は、1万6,000年前、青森県外ヶ浜町で生活していた縄文人が使用していた土器で、大平山元I遺跡から土器片が1998年に住居建て替え工事の際に発見されました。その土器の内側を放射性炭素年代測定(地球自然の生物圏内では炭素14の存在比率がほぼ一定で、動植物の内部における存在比率も、死ぬまで変わらないが、死後は新しい炭素の補給が止まり、存在比率が下がり始める。この性質と炭素14の半減期が5730年である [続きを読む]
  • 天狗の話
  •  現在でこそ、「天狗の仕業」という言葉は、死語に近くなってきましたが、私が育った戦後間もない頃、明治・大正時代の人達は「原因が分からないもの」「モヤモヤとしてその根拠が希薄なもの」など、悪質な霊力が働いた不可思議な出来事のことを「天狗の仕業」という言葉で表わしました。子供の頃、そんなおじいさん、おばあさんに「天狗って、いるの」と聞いたことがあります。すると「いてるよ」と。確かに、祭りの夜店で天狗の [続きを読む]
  • 古琵琶湖と信楽焼
  •  地球上に人類らしき生物が誕生したのは、ルーシーという名前で有名なアウストラロピテクスの女性の一個体と言われています。猿人ですね。400万年前〜300万年前のアウストラロピテクスが中東アフリカで見つかりました。その頃の地球の地質は、パナマ地峡が形成され、ヒマラヤ山脈の上層が激しくなってきた新第三紀の鮮新世にあたり、岩石の浸食を招き、これによって大量のカルシウム塩が海に流入し、カルシウム塩が二酸化炭素を吸 [続きを読む]
  • 倭文と淡路の海人
  •  「倭文」は、倭国の文章ではありません。「しず」または「しとり」と読み、古代から生息している植物、クワ科の落葉低木、楮(こうぞ)が原料になっています。この楮を釜に入れ、楮を蒸し、楮の皮をはぐ。そして、皮を灰汁で煮て、皮をモミガラにまぶしながら踏み表皮をとる。後は、木槌で軽く打ち、皮をやわらかくし、皮を川にさらし、皮を干して皮を細かくさき糸にする。この糸を織ったのが「倭文」という布、「木綿(ゆう)」 [続きを読む]
  • 辛酉という暦と神武天皇の真実
  •  日本に西暦(太陽暦・グレゴリオ暦)が入って来て、正式に使用されるようになったのが明治6年のことでした。それまでの皇室や武家を除いての人々は、十干十二支を使用し、60年で一周する軌道になっていました。甲乙丙・・の十干と子丑寅・・の組み合わせによってその年を表現していました。この十干十二支は、中国の殷王朝の時代に発明され、甲骨文にも使用されていたようです。日本に十干十二支が入って来たのは、第33代推古天 [続きを読む]
  • 崇仏派と排仏派との真実は、ヤマト王権の権力争い
  •  仏教公伝は、百済の聖明王から第29代欽明天皇の時代とされています。その時に天皇の側近であったのが、大臣の蘇我稲目でした。蘇我稲目は、第27代継体天皇の大臣、巨勢男人から大臣職を引き継ぎ、536年に第28代宣化天皇から務めていた。その当時の大連は、物部尾興で、ヤマト王権内で大臣と大連の権力争いがなされていました。 大臣も大連も古くからのカバネで。大臣は、『先代旧事本紀』によると第4代懿徳天皇の時代に申食国政 [続きを読む]
  • たつやの古代旅日記 第5章 百花繚乱 第6節
  •  「先生、徐福茶、飲んでくださいね。長生きして頂かないと。それで、徐福の日本渡来はわかりましたが、徐福伝説なのです。私が育った新宮には、1,700年から1,600年前に掛けて飛鳥山の麓に集落があって、阿須賀神社の境内に弥生式竪穴住居跡があって。」 「ふぉ、4世紀から5世紀の頃だね。邪馬台国の卑弥呼が亡くなって、臺與の頃から倭の五王までの失われた4世紀の時代ですね。」 「阿須賀神社はその頃に創建されたと思う。神 [続きを読む]
  • たつやの古代旅日記 第5章 百花繚乱 第5節
  •  俊樹と晴美は、阿須賀神社を参拝した後、熊野川の沿岸に出た。 「ねぇ、俊樹、大学を卒業したら新宮に帰ってくるの。」 「今のところわからない。」 「将来、何がしたい。」 「学校の先生にでもなるか。大学で教員課程を選択しているから。」 「東京に何時戻るの。」 「明日、たつや先生にも言われているので熊野三山に。そして、明後日にでも戻ろうかと。」 「もう、戻っちゃうのね。」 俊樹と晴美はたわいもない会話を [続きを読む]
  • たつやの古代旅日記 第5章 百花繚乱 第4節
  •  晴美が歴史民俗資料館の扉を開けようとしたとき。 「しょっと、待って。」 「どうしたの。」 俊樹は、階段を半分上がっていたのにUターン。 「あの標識を見てくる。」 「弥生式竪穴住居跡ね。」 「この辺りには、1,700年から1,600年前の集落があったらしい。堀立柱建物跡が4棟、竪穴式住居跡が10棟も。かなり大きな集落だ。それにあの煉瓦の形からみて、隅丸方形・長方形住居のようで、カマドも設置されていたようだ。古墳 [続きを読む]
  • たつやの古代旅日記 第5章 百花繚乱 第3節
  •  俊樹は、もう陽が落ちようとしているときに家に着いた。母親は俊樹のために食事の用意も終え、テーブルには俊樹の好きな肉料理が並べられていた。 「ただいま。」 「お帰り。遅かったね。さぁ、お風呂に入って着替えなさい。そうそう、晴美ちゃんに会った。この間、バッタリあって俊樹の話をしたら、駅まで向かいに行きますといっていたけれど。」 「駅に着いたら待っていたよ。そして、徐福公園をぶらぶらして。明日、阿須賀 [続きを読む]
  • たつやの古代旅日記 第5章 百花繚乱 第2節
  •  俊樹が新宮駅に着いたとき、彼女、立花晴美が駅の改札口で待っていた。 「お帰り。東京からだと時間がかかるね。私、もうここで小一時間も待っていたのよ。」 「スマホで到着する時間をメールで送っておいただろう。」 「でも。早く着いたらと思って。ゆっくりできるのでしょ。」 「それが。大学のたつや先生から宿題をもらって。」 「宿題。それ何。」 「新宮に帰ったら、徐福の伝説を調べてくるように。」 「徐福公園に [続きを読む]