ザック さん プロフィール

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ザックさん: 休日、旅日和
ハンドル名ザック さん
ブログタイトル休日、旅日和
ブログURLhttp://miyaketomoya.blog.fc2.com/
サイト紹介文休日は各地を旅しています。2014年、日本一周の旅を予定!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供96回 / 365日(平均1.8回/週) - 参加 2011/03/28 15:00

ザック さんのブログ記事

  • 10522-8 群馬県明和町
  • 群馬県明和町1:川俣■2018年6月10日(日)【歴史】江戸時代の川俣は、日光脇往還の宿場町(川俣宿)だった。日光脇往還は八王子と佐野を結ぶ街道である。川俣宿の南には利根川が流れていたため、川俣には渡船場があった。また、川俣には関所が設けられ、通行人を厳しく取り締まった。関所跡は河川改修により川底に沈んでしまったが、当時あった碑が移転されている。【出来事】①川俣事件川俣事件は、足尾鉱毒事件において [続きを読む]
  • 10207-5 群馬県館林市
  • 群馬県館林市1:館林■2018年6月9日(土)【歴史】江戸時代の館林は館林藩の城下町だった。館林藩は豊臣秀吉の小田原攻めの後、徳川四天王の一人である榊原康政が館林城(詳細は史跡①を参照)に入封し、立藩した。榊原氏は足利氏の支流である仁木氏が先祖で、室町時代に伊勢国一志郡榊原に所領を得て、榊原を名乗るようになったと伝えられている。康政は幼い頃に家康の小姓を務めるなど、家康の長年の側近であった。康政は [続きを読む]
  • 32209-1 島根県雲南市
  • 島根県雲南市1:吉田■2018年6月3日(日)【歴史】江戸時代の吉田は、田部氏を中心とした、たたら製鉄の技術者の町だった。田部氏の先祖は、鎌倉時代の武士である備後の周藤通資の家臣と言われている。戦国時代、田部氏は武士の身分を捨て、吉田に土着し、たたら製鉄を経営した。たたら製鉄は、吉田から北に数Km離れた菅谷地区(菅谷たたら山内:詳細は史跡①を参照)で生成された。なお、山内はたたら製鉄に従事する人々 [続きを読む]
  • 32201-6 島根県松江市
  • 島根県松江市1:松江■2014年7月13日(日)■2018年6月2日(土)【歴史】江戸時代の松江は松江藩の城下町だった。松江藩は関ヶ原の戦い後、堀尾忠氏を藩主に、出雲国と隠岐国を領地とし(24万石)、立藩した。忠氏の父、堀尾吉晴は豊臣秀吉が若い頃からの重臣である。なお、堀尾氏の先祖は長屋王(天武天皇の孫)と言われている。しかし、忠氏は藩主になった数年後に急死し、子の忠晴が藩主を継いだ。藩主就任当時 [続きを読む]
  • 10382-9 群馬県下仁田町
  • 群馬県下仁田町1:下仁田■2018年5月27日(日)【歴史】下仁田は1864年に下仁田戦争が勃発し、水戸藩の天狗党と高崎藩の戦場となった地である。下仁田には中山道脇往還が通っており、水戸から徳川慶喜のいる京都を目指した天狗党は、中山道脇往還を通行していた。旧暦11月15日、天狗党は下仁田に分宿した。この際に本陣となった桜井弥五兵衛宅が現存する。翌16日、天狗党は高崎藩の軍隊と下仁田にて対峙し、戦争 [続きを読む]
  • 10384-5 群馬県甘楽町
  • 群馬県甘楽町1:小幡■2018年5月27日(日)【歴史】江戸時代の小幡は、小幡藩の城下町だった。小幡は大阪の陣の後、宇陀松山藩主に封じられた織田信雄の領地(飛び地)になった。信雄は織田信長の次男である。信雄は関ヶ原の戦いにて日和見をしたため改易され、豊臣家に身を寄せていたが、大阪の陣で徳川家に寝返り、大名に返り咲いた。なお、当時は既に信長の長男の血筋は断絶していたため、信雄の家系が織田家宗家になっ [続きを読む]
  • 10210-5 群馬県富岡市
  • 群馬県富岡市1:富岡■2018年5月26日(土)【歴史】江戸時代の富岡は、七日市藩(1万石)の城下町だった。七日市藩は1616年に、前田利孝を藩主に立藩した。利孝は、加賀藩の藩祖、前田利家の五男である。前田利家の死後、前田家は徳川家康から家康暗殺計画の疑惑をかけられた。疑惑を晴らすため、当時の前田家当主の利長は母のまつと利孝を人質として江戸に送った。成人した利孝は、大阪の陣で戦功をあげ、甘楽郡に1 [続きを読む]
  • 32203-2 島根県出雲市
  • 島根県出雲市1:大社■2018年5月19日(土)【歴史】旧大社町は、古くからの出雲大社(詳細は史跡①を参照)の門前町である。出雲大社には、国譲りの神話(古事記にて記載)に登場する神々に関する史跡が豊富に存在する。出雲大社の主祭神は、大国主である。大国主は国譲りの神話にて、自身が築き上げた国である葦原中国を、天照大御神の勧告に従い、天上界の神々に譲った。その代わりに、大国主は天に届くほど巨大な住居を [続きを読む]
  • 33216-0 岡山県浅口市
  • 岡山県浅口市1:鴨方■2018年5月6日(日)【歴史】江戸時代の鴨方は鴨方藩の城下町だった。鴨方藩は1672年に、池田光政が次男の政言に2.5万石を分知し、立藩した。鴨方藩は岡山藩の支藩として幕末まで鴨方池田家が治めた。岡山藩は、岡山藩と鴨方藩を往来するために、鴨方往来を整備した。鴨方往来は、鴨方経由で岡山と笠岡を結んでいた。鴨方往来が通る鴨方の城下町には、僅かに町屋が現存し、昔の町並みの面影を残 [続きを読む]
  • 33205-4_岡山県笠岡市
  • 岡山県笠岡市1:笠岡■2018年5月6日(日)【歴史】中世の笠岡は陶山氏が治めていた。陶山氏は吉備氏の一族である笠臣氏を先祖とする説と、平氏の一族で平貞盛の庶子を先祖とする説がある。陶山氏は笠岡に多くの寺を建立し、現在でも笠岡には10軒以上の寺がある。笠岡が「寺のまち」と言われる所以である。威徳寺には、陶山氏の墓石を集めた、陶山氏の墓所がある。関ヶ原の戦い後、笠岡は天領となり、小堀氏が備中代官とし [続きを読む]
  • 33461-8 岡山県矢掛町
  • 岡山県矢掛町1:矢掛■2018年5月5日(日)【歴史】江戸時代の矢掛は、西国街道の宿場町(矢掛宿)だった。矢掛宿には古い町屋が所々に現存し、町並みは江戸時代当時の面影を残している。矢掛宿は江戸時代に大火で町を移転したことが一回あり、宿場町の通りの幅が広くなっている(江戸時代から道幅が殆ど変わっていない)。矢掛は町の南側を流れる小田川の恩恵を受け、造り酒屋など、多くの水を必要とする商売が発達した。ま [続きを読む]
  • 31372-6 鳥取県北栄町
  • 鳥取県北栄町1:由良■2018年4月22日(日)【歴史】由良は、江戸時代中期から伯耆街道の宿場町だった。由良には本陣を務めた佐伯宅が一部現存する。由良は由良川の河口に位置し、由良川は比較的流れが穏やかで由良川の水運を利用できるため、水利と交通の便が良かった。そのため、鳥取藩は、年貢米を納める負担が減るように、享保年間に、逢束(現在の浦安駅周辺)から藩倉を由良に移した。由良の藩倉は鳥取藩で有数の貯蔵 [続きを読む]
  • 31370-0 鳥取県湯梨浜町
  • 鳥取県湯梨浜町1:橋津■2018年4月22日(日)【歴史】橋津川の河口付近に位置する橋津は、江戸時代、鳥取藩における主要な港町だった。橋津には、鳥取藩の藩倉が最大で15棟ほど設置され、約5万俵の米を貯蔵することができた。貯蔵した米は江戸や大阪へ廻米されるため、橋津の藩倉は鳥取藩の経済に不可欠な存在だった。橋津では、3棟の藩倉が現存する(上から案内板、古御蔵、片山蔵、三十間蔵)。橋津が港町だったこと [続きを読む]
  • 31201-1 鳥取県鳥取市青谷
  • 鳥取県鳥取市3:青谷■2018年4月21日(土)【歴史】江戸時代の青谷は、伯耆街道の宿場町だった。中町を中心に商家が所々に残っており、町並みに当時の面影が残っている。また、青谷は港町でもあり、北前船の寄港地だった。湊神社には、航海の安全を祈願し、廻船問屋の船主たちが寄進した狛犬、灯籠が現存する。幕末の青谷、および青谷の周辺では、川六と呼ばれる石工が活躍し、多くの史跡を残した。以下に、青谷に残る川六 [続きを読む]
  • 31201-1 鳥取県鳥取市
  • 鳥取県鳥取市1:鳥取■2014年4月13日(日)■2018年4月14日(土)〜4月15日(日)【歴史】1581年、鳥取では羽柴秀吉(天下統一を目指す織田信長の先鋒)による鳥取城(詳細は史跡①を参照)攻めがあった。前年、秀吉は鳥取城を攻め、城主の山名豊国を降伏させた。しかし、豊国の家老は徹底的に抗戦し、毛利氏に応援を依頼した。この依頼により派遣されたのは、石見吉川家(吉川氏の分家)の当主、吉川経家で [続きを読む]
  • 10211-3 群馬県安中市
  • 群馬県安中市1:安中■2018年4月8日(日)【歴史】江戸時代の安中は、安中藩の城下町だった。安中は、井伊氏が高崎藩主(藩庁が箕輪城主)の時代から、井伊氏の領土だった。1615年、井伊直勝に安中が分知され、安中藩が立藩した(3万石)。直勝は井伊氏宗家の長男だったが、病弱で大阪冬の陣・夏の陣に出陣できなかったため、弟の直孝に家督を譲ることとなった。なお、安中藩領には碓氷関所があり、安中藩は碓氷関所の [続きを読む]
  • 31371-8 鳥取県琴浦町
  • 鳥取県琴浦町1:八橋■2018年3月31日(土)【歴史】江戸時代初期までの八橋(やばせ)は、八橋城の城下町だった。八橋城は、戦国時代に尼子氏と毛利氏の両氏が軍事拠点として重要視した平山城である。八橋城は山陰本線の開通で分断されたため、現在は一部が現存するのみである。関ヶ原の戦い後、八橋(やばせ)は米子藩領になり、八橋城に中村一栄が配された。一栄は、当時の米子藩主だった中村一忠の叔父である。しかし、 [続きを読む]
  • 31202-9 鳥取県米子市
  • 鳥取県米子市1:米子■2018年4月1日(日)【歴史】応仁の乱の頃、山名氏が米子に米子城(詳細は史跡①を参照)を築いたと伝えられている。当時の米子城は飯山(写真左の、国道9号線で分断された左の山)に築かれたと伝えられている。1591年、出雲国・伯耆国の領主として配された吉川広家は、米子城の大改築に着手した。しかし、広家は朝鮮出兵でなかなか工事を進めることができず、工事が未完成のまま、関ヶ原の戦い後 [続きを読む]
  • 10201-6 群馬県前橋市
  • 群馬県前橋市1:前橋■2018年3月24日(土)【歴史】江戸時代の前橋は、前橋藩の城下町だった。前橋藩は、関ヶ原の戦い後の1601年に、酒井重忠が封じられ、立藩した。酒井氏は戦国時代以前から松平氏(徳川氏)に仕えた家柄である。室町時代に酒井氏は二流に分かれ、そのうちの一流が酒井雅楽頭(うたのかみ)家で、重忠は酒井雅楽頭家の宗家の家柄である。なお、もう片方の一流は、庄内藩主となる酒井左衛門尉(さえも [続きを読む]
  • 33212-7 岡山県瀬戸内市(特集:長島)
  • 岡山県瀬戸内市(特集:長島)■2018年3月18日(日)旧邑久町にある長島は、2つのらい病(ハンセン病)の療養所(長島愛生園と邑久光明園)があり、国政によりらい病患者が隔離されていた島である。らい病は、らい菌に感染することで発症する。症状として、末梢神経が冒され、温度や痛みを感じなくなるなどの知覚まひが発生する。その結果、やけどや怪我を繰り返し、手足や顔面が変形する。らい病が発病することは稀で、遺 [続きを読む]
  • 33212-7 岡山県瀬戸内市
  • 岡山県瀬戸内市1:福岡■2018年3月17日(日)【歴史】旧長船町にある福岡地区は、中世に最も栄えた町である。奈良時代の福岡には、薬王寺が建立され、町の形成に関与していたと推測される。薬王寺は江戸時代に廃寺となったが、現在は跡地に薬師堂が建立されている。福岡の地名は、平安時代末期の文献に、福岡庄として初めて登場する。そして、鎌倉時代には福岡に町が形成され、定期市が開かれていた。その証拠として、福岡 [続きを読む]
  • 34207-6 広島県福山市
  • 広島県福山市1:福山■2014年3月1日(土)■2018年3月11日(日)【歴史】江戸時代の福山は、福山藩の城下町だった。福山藩は、安芸国と備後国を領有していた福島正則の改易後、1619年に備後国10万石で立藩した。初代城主には、水野勝成が任命された。勝成は、於大の方(徳川家康)の弟で、家康の家臣、水野忠重の長男である。つまり、家康と勝成は従兄弟関係にある。勝成は、忠重から勘当され、青年期から中年 [続きを読む]
  • 34204-1 広島県三原市
  • 広島県三原市1:三原■2018年3月10日(土)【史跡】江戸時代の三原は、三原城(詳細は史跡①を参照)の城下町だった。江戸時代の三原城は、一国一城令の例外となり、広島藩の支城だった。三原城は、1567年に小早川隆景が築城し、後に小早川氏の本拠地となった。隆景は毛利元就の三男だったが、竹原小早川氏の養子となり、小早川姓を名乗った。隆景は宗家である毛利氏に仕えながら、豊臣秀吉から厚い信頼を置かれた。な [続きを読む]
  • 33202-0 岡山県倉敷市
  • 岡山県倉敷市4:児島■2018年2月25日(日)【歴史】旧児島市の中心地、児島は、江戸時代、製塩と綿花が盛んだった。中世までの児島は島だったが、17世紀の干拓により陸続きになった。しかし、新しくできた土地は塩気が多く、稲作には不向きだったため、塩田になったり、綿畑になったりした。児島の製塩は、19世紀中頃に、野崎武左衛門が児島など数ヶ所に塩田を開拓し、隆盛した。塩田跡は児島駅や商業施設になっている [続きを読む]
  • 33423-5 岡山県早島町
  • 岡山県早島町■2018年2月24日(土)【歴史】江戸時代の早島は、旗本で交代寄合の戸川氏の城下町だった。戸川氏の出自は諸説あるが、家譜では中世に伊予国を治めていた河野氏の末裔となっている。戸川氏は宇喜多氏の重臣であったが、達安の代にて、宇喜多氏のお家騒動により遠ざけられ、徳川家康に預けられた。その翌年の関ヶ原の戦いにて、達安は東軍に味方し、3万石弱の庭瀬藩の藩主になった。達安の長男、正安は、弟の安 [続きを読む]