ザック さん プロフィール

  •  
ザックさん: 休日、旅日和
ハンドル名ザック さん
ブログタイトル休日、旅日和
ブログURLhttp://miyaketomoya.blog.fc2.com/
サイト紹介文休日は各地を旅しています。2014年、日本一周の旅を予定!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供87回 / 365日(平均1.7回/週) - 参加 2011/03/28 15:00

ザック さんのブログ記事

  • 17209-0 石川県かほく市
  • 石川県かほく市1:宇野気■2018年11月18日(日)【偉人】①西田幾多郎西田幾多郎は1870年に、十村役を代々務めた西田家に生まれた。出生地には案内板が建てられている。生家は森集落にあったが、1873年に大火で焼失したため、向野地区(現在の宇野気駅前)に移り住んだ。幾多郎は13歳までを向野地区で過ごした。幾多郎は1911年に、日本最初の哲学書「善の研究」を出版するなど、日本の哲学のパイオニアとし [続きを読む]
  • 17202-2 石川県七尾市
  • 石川県七尾市1:七尾■2014年9月28日(日)■2018年11月17日(土)【歴史】室町時代から戦国時代の七尾は、能登畠山家が治めていた。畠山氏は三管領の1つで、河内国、紀伊国、越中国、能登国の四か国の守護だった。1408年に庶流の満慶が能登国の守護に就任し、満慶を初代とする能登畠山家が起こった。能登畠山家は7代義総の代が全盛期で、その期間に七尾城(詳細は史跡①を参照)を築城し、京都を模した町づ [続きを読む]
  • 31203-7 鳥取県倉吉市
  • 鳥取県倉吉市1:倉吉■2018年11月11日(日)【歴史】中世の倉吉は、打吹城の城下町で、山名氏の城だった。その後、毛利氏を経て、安土桃山時代には南條氏(国人で、豊臣秀吉の家臣)が城主を務めた。関ヶ原の戦い後、倉吉は米子藩領だったが、藩主の中村氏が改易されると、1614年に里見忠義が館山藩から移封された。里見氏は源義重(源義家の曾孫)が先祖の源氏である。里見氏は関ヶ原の戦い後に館山藩12万石の藩主 [続きを読む]
  • 31402-1 鳥取県日野町
  • 鳥取県日野町1:根雨■2018年11月10日(土)【歴史】江戸時代の根雨は、出雲街道の宿場町だった。出雲街道は出雲と姫路を結ぶ街道で、松江藩などが参勤交代で通行した。根雨宿には僅かに古民家が現存し、当時の面影を残している。本陣には松江藩主などが宿泊した。本陣の遺構として、門のみ現存している。奥日野はたたら製鉄が盛んだった地域で、根雨では近藤家が大鉄山師(たたら製鉄経営者)だった。近藤家は大阪に出店 [続きを読む]
  • 10204-1 群馬県伊勢崎市
  • 群馬県伊勢崎市1:伊勢崎■2018年10月28日(日)【歴史】江戸時代の伊勢崎は、伊勢崎藩の城下町だった。関ヶ原の戦い後、伊勢崎には稲垣長茂が入封され、伊勢崎藩(1万石)が立藩した。長茂は牧野康成の重臣だったが、徳川家康直属の旗本になり、功績をあげて大名になった。長茂は町割りを行い、伊勢崎の基礎を築いた。長茂が藩庁として建設した伊勢崎陣屋は、西側が広瀬川に面していたため、残りの三方を堀で囲っていた [続きを読む]
  • 10203-2 群馬県桐生市
  • 群馬県桐生市1:桐生■2013年4月6日(土)■2018年10月27日(土)【歴史】桐生は古代から絹織物の産地で、新田義貞や、関ヶ原の戦いに出陣する徳川家康の軍に旗絹を上納していた。江戸時代になると、大久保長安の手代である大野八右衛門が桐生に町(桐生新町、詳細は史跡①を参照)を作り、桐生の基礎を築いた。桐生では納税の方法が絹から金に変わると、絹市が盛んになった。また、桐生は幕府の支配力が弱かったた [続きを読む]
  • 17206-5 石川県加賀市
  • 石川県加賀市1:大聖寺■2018年10月21日(日)【歴史】大聖寺は大聖寺城の城下町だった。大聖寺城は室町時代には既に築城されており、1583年に柴田勝家が滅んだ後、丹羽長重の与力であった溝口秀勝が城主となった。秀勝は大聖寺城を改築し、大聖寺の町割りを行い、大聖寺の基礎を築いた。大聖寺城は錦城山に築かれた山城である。大聖寺城には本丸などの曲輪が現存する。本丸には、天守閣に該当する櫓があったと考えら [続きを読む]
  • 17203-1 石川県小松市
  • 石川県小松市1:小松■2018年10月20日(土)【歴史】小松は、安土桃山時代から江戸時代にかけて、小松城の城下町だった。小松城は、初めは加賀一向一揆宗の砦として築かれた。しかし、加賀一向一揆宗は織田信長の重臣の柴田勝家によって滅ぼされた。1583年に勝家が滅ぼされた後は、丹羽長重の与力だった村上頼勝が小松城主となり、頼勝が村上に転封された後は、主君の長重が城主を継いだ。関ヶ原の戦いにおいて、長重 [続きを読む]
  • 17201-4 石川県金沢市 金石
  • 2:金石■2018年10月6日(土)【歴史】金石(かないわ)は1866年に宮腰と大野が合併してできた町である。江戸時代の宮腰は北前船が寄港する港町だった。宮腰は金沢城から5Kmほどしか離れていないため、加賀藩の蔵米や材木、塩などが宮腰に集まり、加賀藩の流通や経済を支えていた。また、金石には銭屋五兵衛(詳細は史跡①を参照)などの廻船問屋があった。金沢城下から金石まで県道17号(宮腰街道)が直線に延び [続きを読む]
  • 17201-4 石川県金沢市
  • 石川県金沢市1:金沢?2014年7月19日(土)〜7月20日(日)?2018年10月6日(土)〜10月8日(祝)【歴史】金沢は安土桃山時代から江戸時代にかけて、加賀藩の城下町だった。金沢城の前身は、加賀の浄土真衆が設置した金沢御堂である。1580年、織田信長の重臣である佐久間盛政が加賀一向衆を攻略していく中で金沢御堂を占領し、金沢御堂跡に城(金沢城、詳細は史跡①を参照)を築城した。1583年、柴田 [続きを読む]
  • 17201-4 石川県金沢市 史跡・偉人
  • 【史跡】 ①金沢城 金沢城は小立野台地の先端に築かれた平山城で、百名城に選定されている。大手門は北側に位置し、石垣に巨石が使用されているが、比較的簡素な門だった。これは、徳川家に対して反抗する意思がないことを示すためと言われている。 大手門から城内に入って正面にある門は、近年に復元された河北門で、実質的な大手門だった。金沢は雪国のため、建 [続きを読む]
  • 10212-1 群馬県みどり市
  • 群馬県みどり市 1:大間々 ■2018年9月30日(日) 【歴史】 江戸時代の大間々は、銅山街道の宿場町だった。江戸時代の初め、大間々は吹払野と呼ばれる原野だったが、草分け六人衆が開拓し、町割を完成させた。その後、六人衆の子孫は村役人を務めた。六人衆に関連する史跡には、その内の一人である長澤家が代々守り続けている長澤薬師がある。 & [続きを読む]
  • 10203-2 群馬県桐生市
  • 群馬県桐生市2:黒保根■2018年9月29日(土)【歴史】明治時代初期の黒保根は、教育および製糸において、時代の最先端を進んでいた町だった。教育においては、1873年に、県内では2番目に早く学校が黒保根に開校された。そのため、開校当時の学校名は、群馬県第二番学校だった。開校当時、校舎は常鑑寺が利用された。製糸においては、1874年に県内では初の民間洋式器械製糸場となる水沼製糸場が黒保根に創設された [続きを読む]
  • 17205-7 石川県珠洲市
  • 石川県珠洲市1:蛸島■2018年9月17日(祝)【歴史】蛸島は砂地で、海岸の水深が深いため、奥能登有数の漁村だった。蛸島港は現役で、沿岸漁業が行われている。蛸島の民家は、雪に耐性のある黒い能登瓦、白壁、白壁を潮風から守る下見板張りの三点が特徴である。蛸島には現在もこの特徴を有する民家が現存し、町並みは1996年に「第3回いしかわ景観大賞」に選ばれた。蛸島は典型的な漁村らしく、港へ続く小路が張り巡ら [続きを読む]
  • 17204-9 石川県輪島市
  • 石川県輪島市1:門前■2014年9月27日(土)■2018年9月15日(土)【歴史】旧門前町は總持寺の寺内町として栄えた町で、現在は總持寺祖院の門前町となっている。總持寺は永平寺と並び曹洞宗の総本山であり、横浜市鶴見区にあるが、かつては門前にあった。總持寺は1321年に、道元の4代目の弟子である瑩山が、譲り受けた諸丘寺を元手に開創した。瑩山は總持寺の開創以前に能登国に数々の曹洞宗の寺院を建立し、能 [続きを読む]
  • 35211-0 山口県長門市
  • 山口県長門市1:通■2018年9月1日(土)【歴史】青海島の東端に位置する通(かよい)地区は、捕鯨で栄えた漁村だった。鯨は暖かい南の海洋で子供の出産や子育てをするため、秋から冬にかけて日本海または太平洋を南下する。通は東側に口を空けている仙崎湾の出入口に位置しており、通の漁師は秋から冬にかけて、仙崎湾の周辺を通過する鯨をターゲットに鯨漁を行った。鯨漁は網取方式で実施された。丈夫で巨大な苧網で鯨を囲 [続きを読む]
  • 32448-5 島根県美郷町
  • 島根県美郷町1:粕渕■2018年8月27日(月)【歴史】美郷町の中心地である粕渕は、江戸時代、銀山街道の宿場町(小原宿)だった。銀山街道は、大森から笠岡または尾道を結ぶ街道で、石見銀山の銀の輸送で使用された。小原宿には本陣があり、波多野家が務めていた。跡地には案内板が立てられている。粕渕には、小原宿の面影が残っている。粕渕の古民家には、石見で円熟していた鏝絵も見られる。幕末になると、林家も本陣を務 [続きを読む]
  • 32207-5 島根県江津市
  • 島根県江津市1:江津■2018年8月27日(月)【歴史】江津本町駅があった場所の近くにある江津本町は、江戸時代は湊町として栄えた。江の川は流れが緩やかな河川だったため、14世紀から水運が発達していた。江戸時代になると、江戸幕府は江の川河口の西岸の一部分(鶴山と亀山で挟まれた谷)のみ天領とした。そこは江の川の湊であると同時に、山陰道が通る交通の要衝だった。江津本町から西に数キロ外れに山陰道の石畳が現 [続きを読む]
  • 32501-5 島根県津和野町
  • 島根県津和野町1:津和野■2014年5月5日(祝)■2018年8月26日(日)【歴史】中世の津和野は、石見吉見氏の本拠地であった。石見吉見氏は源頼朝の弟である源範頼を祖先とする家系のため、源氏である。吉見氏は能登国の武士だったが、元寇の来襲において庶流の吉見氏に石見国守護の命令が下り、そのまま石見国に土着した。石見吉見氏は14世紀前半に津和野城(詳細は史跡①を参照)を築城し、本拠地とした。津和野城 [続きを読む]
  • 32202-4 島根県浜田市
  • 島根県浜田市1:浜田■2018年8月25日(土)【歴史】江戸時代の浜田は浜田藩の城下町だった。関ヶ原の戦い後の浜田は天領だったが、1619年に松阪藩から古田重治が移封され、浜田藩が立藩した(5.4万石)。なお、重治は豊臣秀吉の家臣だった古田重則の三男で、外様大名である。重治は浜田城(詳細は史跡①を参照)を築城し、城下町を整備した。重治の後を継いで、重治の甥の重恒が2代浜田藩主に就任したが、跡継ぎを [続きを読む]
  • 35204-7 山口県萩市
  • 山口県萩市1:萩■2014年5月3日(祝)〜5月4日(祝)■2018年8月28日(火)〜8月31日(日)【歴史】江戸時代の萩は、長州藩の城下町だった。1604年、毛利輝元は指月山に萩城(詳細は史跡①を参照)を築城し、三角州に城下町(堀内地区、平安古地区、浜崎地区、萩城城下町、藍場川の詳細は史跡②〜史跡⑥をそれぞれ参照)を造り上げた。輝元は萩城完成までの間、常念寺を宿舎にしていた。なお、常念寺の表門 [続きを読む]
  • 35204-7 山口県萩市 偉人
  • 【偉人】①吉田松陰1830年、吉田松陰は、家禄26石の長州藩士、杉家の次男として松本地区に生まれた。家は、萩城下を一望できる団子岩の近くにあり、松陰は19歳の頃までこの家で生活した(写真は誕生地跡)。松陰は5歳の時、山鹿流兵学師範の吉田家の養子となり、翌年、当主の死により、家督を相続した。松陰は、叔父の玉木文之進からスパルタ教育を受けて才能が開花し、9歳で明倫館の教授見習い、11歳で藩主の前で講義 [続きを読む]
  • 35204-7 山口県萩市 史跡
  • 【史跡】①萩城萩城は指月山に築かれた平山城で、百名城に選定されている。山麓に本丸が築かれ、城郭の建造物は現存していないが、石垣が現存している。なお、築城当時は指月山の山頂にも城郭があったが、現存していない。萩城には五層五階建ての天守閣があった。天守台が現存する。本丸から北東の二の丸には、東園と呼ばれる庭園がある。二の丸の東側の海に面した石垣に、銃眼土塀が一部復元されている。また、その銃眼土塀が復元 [続きを読む]
  • 17210-3 石川県白山市
  • 石川県白山市1:美川■2018年8月5日(日)【歴史】江戸時代、美川は本吉と呼ばれ、加賀藩有数の港町で、北前船の寄航地だった。本吉には加賀藩の藩倉が設置され、1.5万石の米が収納されていた。そのため、本吉は金沢、小松、滑川に並び、加賀藩四大藩倉の一つだった。藩倉が設置された御蔵所の跡地は、美川小学校になっている。江戸時代の本吉には、北前船の船主の豪邸が軒を連ねていた。本吉には、五十鈴通りを中心に、 [続きを読む]
  • 17365-7 石川県内灘町
  • 石川県内灘町■2018年8月4日(土)【歴史】一寒村から金沢のベッドタウンに変貌を遂げた内灘には、戦前と戦後にそれぞれ特筆すべき歴史がある。1925年、内灘に粟ヶ崎遊園が建設された。粟ヶ崎遊園は、北陸の材木王と呼ばれた豪商の平澤嘉太郎(写真)が、私財を投げ打って建設した大遊園地である。粟ヶ崎遊園には動物園、野球場、スキー場、貸別荘、海水浴場など、ありとあらゆる娯楽施設があった。そのため、粟ヶ崎遊園 [続きを読む]