京都大神宮 さん プロフィール

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京都大神宮さん: 京都大神宮のブログ
ハンドル名京都大神宮 さん
ブログタイトル京都大神宮のブログ
ブログURLhttp://kyotodaijingu.sblo.jp/
サイト紹介文京都大神宮の神主が書くブログです。 神道、京都についての情報をメインに掲載いたします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供1099回 / 365日(平均21.1回/週) - 参加 2011/04/14 16:54

京都大神宮 さんのブログ記事

  • もうこれ以上は無理
  • ある存じ上げている方は、つねに健康に気を配り、運動をし、食事も身体によいものを摂っておられました。それにもかかわらず、体調不良のことが多く、体調が良くなるように、常に神様にお祈りなさっていました。しかるに、なかなか改善が見られなかった由です。あるとき、体調が思わしくなく、医師からも安静を勧められたにもかかわらず、働かなくてはならず、どうしようと思われたそうです。「神様、健康に留意してきましたが、良 [続きを読む]
  • 神様を信じるとは
  • 神様を信じるとは、神様は万能でおられるので、すべてが可能と理解することだそうです。さすれば、辛いことなどを神様に託してしまえば、もうそれは存在しないと心から確信することが重要だそうです。確信することによりそれが真実となるのだそうです。神様に迷いはないので、託してしまったからには迷わないようにすることが肝要だそうです。迷いは、神様の光をさえぎるために影となって現れてくるのだそうです。影は、光が当たっ [続きを読む]
  • 病気は肉体になく心にある
  • ある霊能者の方から教えていただきました。病気は肉体上にあると思いがちですが、本当は心にあるのだそうです。実は、病気にかかわらず様々ものもあたしたちはまず心にその思いを創り出し、それが物質世界に顕現してくるのだそうです。さすれば、病気の治療をするにあたり、肉体を治しても、心にある病気を完治させないとまた病気になってしまうそうです。心にある病気完治の方法は、病気など本来存在しないと理解し、心に宿る陰を [続きを読む]
  • 何を苦しんでいるのか
  • 神様にお願いをしますと、それがほかの人の迷惑にならないものであり、本人の御霊磨きに有用なものであれば、必ずその人にとって最も良い時に叶えて下さるそうです。否、実は、求めるものは、既に与えられているのだそうです。それに気づいていないのが真実だそうです。苦しむのはそれ以上のものを求めているからだそうです。そのため取り越し苦労になり、囚われてしまうのだそうです。まずは、今この瞬間に感謝し、現在を喜びます [続きを読む]
  • 心にあることを書く
  • 「メモ」は「メモランダム」の省略形ですが、その意味は、備忘録であり、忘れたときの用心に書き付けることです。しかし、ここから転じて、書くことによって忘れてしまってもよいわけです。「心にあることを書くこと」は、心に持っていることを忘れる方法のようであり、心の重荷を卸す方法のようです。悲しい時や心が苦しい時には、思うまいとしないで、その悲しみや苦しみを紙の上に文字にして出すのが良いようです。そうしますと [続きを読む]
  • 小野道風
  • 小野 道風(おののとうふう)は、平安時代中期の貴族・能書家で、それまでの中国的な書風から脱皮して和様書道の基礎を築いた人物で、藤原佐理、藤原行成と合わせて「三跡」と称されています。道風の職務は、宮中で用いる屏風に文字を書いたり、公文書の清書をしたりするといったものでした。能書としての道風の名声は生存当時から高く、当時の宮廷や貴族の間では「王羲之の再生」ともてはやされ、『源氏物語』でも小野道風の書に [続きを読む]
  • 一人一人違うから面白い
  • あたしたちは、周りの人と同じような生活を送りたいと考えがちです。自分だけが周囲の人より勝っていることは望みますが、劣っていることは望みません。どちらも周囲の人より際立っているのですから、人間とは難しいものです。しかし、霊能者の方によりますと、あたしたちは、一人一人違うから面白く、貴重なのだそうです。周囲に人に自分の尺度を押し付けるのは百害あって一利なしだそうです。さすれば、自分の尺度を取り払うのが [続きを読む]
  • 時間は進んでいる
  • この世は不思議なもので、時間は一方向に進んでいるのですが、四季の移ろいなど循環するものが多く、時間が一方向に進んでいるとわかってはいても、意識できないことがございます。あたしたちは生まれた瞬間からこの世を卒業する方向に時間が進みその時間に乗って動きます。あるとき、そのことに気が付いてもう若くないと意識し苦悶なさるかたも多いようです。さすれば、毎日の繰り返しで、ルーティーンワークの中に暮らしていても [続きを読む]
  • 神職とお祭り
  • 数多くの神職の方から同様の話を何度も聞きました。大切なお祭りの前に病気になられたのですが、代務者が見つからず、難渋された由です。ところが、不思議なことにお祭りが迫ってきますと、体調が良くなり、お祭りをご奉仕することができるのだそうです。ある方は、絶対安静を医師から宣言されたそうです。ところがどうしてもその方がご奉仕せねばならないお祭りがあり、担当医師に何とかご奉仕をしたいとお願いされたそうです。し [続きを読む]
  • 神様のお手伝いをすると奇跡が奇跡でなくなる
  • 神様を信じるということは、ただ神様を心に念じて、そのあとは何もしないということではないそうです。神様を信仰するということは、果敢に努力し、神様の手足となってお役に立つということだそうです。例えば、机の上にあるコップを動かしたいという思いがあると致します。信仰と申しますのは、祈るだけで手も足も動かさず怠けるということではないのだそうです。あのコップはきっと動かせると信じて、神様のお手伝いをして自分で [続きを読む]
  • もう既に救ってくださっている
  • 辛いことにあったり、悩みを持ちますと、神様に手を合わせて救ってくださるように祈ります。しかし万能の神様のこと、実は、もう既に救ってくださっているのだそうです。「既に」だそうです。未来も現世もなく、既に救われているのだそうです。それを認めないからいろいろな問題が起こってくるのだそうです。真の祈りはもう救っていただいていることの確認と感謝なのだそうです。あたしたちはただこの事実を認めさえすればよいのだ [続きを読む]
  • 見たとおりに顕れてくる
  • 神様は万能で無限の力をお持ちですべてに寛容でおられます。神様は実はどなたに対しても万能者として対峙してくださいますが、神様はあたしたちに自由を与えてくださいますので、どのような神様を求めるかはあたしたち次第だそうです。もしもあたしたちが、心が小さく罰を与える神様を描けばそのような形になって神様は出てこられるそうです。さすれば、神様本来の姿である万能で寛容な神様を常に心に描きたいものです。それはとり [続きを読む]
  • こだわらないことは無理をしないこと
  • こだわりを持つことは百害あって一利なしだそうです。例えば、宗教に熱心な方で喜捨をなさる方がございます。しかし、すべてを捨て去って無になる事は必ずしも神様の心に叶っていないそうです。なぜならこの世にあるすべては神様によって創り出されたものですから、すべては悪しきものではなく必要なものなのだそうです。それをどう使うかが重要だそうです。人助けも重要ですが、自己犠牲も良し悪しで、本来は自他ともに幸せになる [続きを読む]
  • 他人の病気を創らないようにする
  • 「病は気から」と申しますが、これは自分自身だけにとどまらず周囲にも影響するそうです。家族のものや知人・友人の体調が悪い時に、そのことをあまり心配しすぎて対処いたしますと、心に生じた心配という悪しき気が相手に感応して本当に病気になってしまうことが多々あるそうです。相手の体調が悪いように見えるときでも、「心配なし」と心より励まして明るく接しますと、本人もそう思いだし、病も退散していくのだそうです。接し [続きを読む]
  • 「是非」、「ねばならない」にとらわれない
  • 自分で、「こうでなければならない」という寸法をもっておりますと、そうでないものはすべて間違っているように思えてまいります。しかし、この世はすべて相対的で絶対的のものはございません。「こうでなければならない」という心の凝りを取ることによりまして、一見不可能と思うことを可能にする方法を見つけることが可能になるのだそうです。万策尽きたと思うときには、神様が宿られる自分の心と対話いたしますと智慧を頂けるよ [続きを読む]
  • 無理と思わねば無理にならない
  • 「無理」と自分の尺度で勝手に判断しますから無理になりますが、「無理」と自分の心で判断しない人は、無理にはならないそうです。起こってくるものすべてを神様に任せて力を尽くしておりますと、神様はすべての力の源ですから、あたしたちに無限の智慧を授けて下さり、一見無理と思えるようなことでも、無理なくやり遂げることができるのだそうです。人間に無理はなく、無理と思わねば奇跡と思われるようなことでも奇跡ではなく実 [続きを読む]
  • 自分で自分の力を限らない
  • 人間の潜在能力は無限です。「火事場の馬鹿力」という言葉もあります。神様の子供のあたしたちに不可能なしだそうです。これをすれば無理だとか、あれをしたら無理だとかというように、自分で自分の力を限らぬことだそうです。自分で自分の力を限るために、自分の力が出なくなり、「これは無理だ」ということになるのだそうです。無理だと思うために、その思う通りに心の力でその無理が具象化して顕れるのだそうです。心に思えばそ [続きを読む]
  • 神様に向かうことは堅苦しいことではない
  • 時々参拝者の方から、「神社に参拝したいのですが、どうも敷居が高くて」というお話を伺います。神様に向かうには、心身を整えなくてはならないので、ついおっくうになるとの由です。しかし、本来神様に向かい、神様とともに歩くことは、堅苦しくなることではなく、通常以上の自由を手に入れることを意味します。万能の神様はすべてに自由であり、その自由を共有することになるからです。もちろん目上の方に遭う時にため口をたたい [続きを読む]
  • 念は具象化する
  • 念といいますものは具象化しようという性質を持つようです。それがゆえに、「病は気から」の言葉の通り、病気は観念によっておこるのだそうです。つまり、念を無形のままで心に埋めておきますと、いつまでもその具象化しようという潜在的力をもって人間を苦しめるようですが、何らかの形に具象化してやると、その潜在的な力で内部から人間を苦しめることがなくなるようです。さすれば、嫌な思いで心が満たされるときには、紙の上に [続きを読む]
  • 日本人も捨てたものではない
  • 何事も極端に走ってはなりませんが、自分のアイデンティティーに誇りを持つことは重要だそうです。天才物理学者のアルバート・アインシュタインが来日された時、「こんなに素晴らしい国が地球上に、否、この宇宙に存在しているとは・・・」と、感嘆の言葉を発しなさったそうです。大正末期から昭和の初めにかけて駐日フランス大使を務められた、詩人のポール・クローデルは、昭和18年に、「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界で [続きを読む]
  • 「いい加減」は良い意味
  • 一般に「いい加減」と申しますと、否定的な意味に捉えがちですが、そうとは言い切れないようです。「いい加減」とは、「無責任」という意味ではなく、「ちょうどよく調整された」という意味だそうです。物事にこだわりを持たず、良い面、良いところは何でも取り入れるという意味だそうです。この「こだわり」が多くのことの問題の本質になることが多いようです。「如水」、「みずのごとく」と申しますが、こだわりがなければ、柔軟 [続きを読む]
  • 例祭記念の書置きの朱印
  • 10月17日、京都大神宮の「例祭」が斎行されます。これを記念しまして、本日8日より、「例祭記念の書置きの朱印」を授与いたします。書置きの朱印は、2種類ございまして、一つは、「祓鈴と稲穂をあしらったもの」、そしてもう一つは、「くろがねもち」をあしらったものです。それぞれ、大きさの異なる2種類準備しております。なお、限定ですので、無くなりましたら終了とさせていただきます。ご希望の方は、ご参拝の折、社務 [続きを読む]
  • 柿の実と金木犀の花
  • 京都大神宮には、初春に一本の木に紅白の花が咲く梅の木や初夏に大輪の花を咲かせるアジサイなどがございまして、縁起が良いとたくさんの方が撮影に来られます。また、本殿の右側、梅の木の後ろには楠木がございますが、ある霊能者の方からパワーみなぎる木で大切にするようにと言われたことがあり、この木を撮影され、待ち受けにされると良いという話を伺ったこともございます。現在は、柿の木に実が付き、金木犀の花が咲いており [続きを読む]
  • 例祭
  • 例祭(れいさい)とは、神社で毎年行われる祭祀のうち、最も重要とされるもののことことを申します。例会的に定期的に開催される神社の祭りですので、「例祭」と呼ばれるようになったようです。ただし、例祭という名称が使われ出したのは近世のことのようで、それ以前には大祭(おおまつり)、御祭(おんまつり)などと呼んでいたようです。京都大神宮は、伊勢神宮の遥拝所として設立されましたため、伊勢神宮の重要なお祭りである [続きを読む]
  • 悪いことにも有難う
  • ある医師から教えて頂きました。「病気」を辛いと思わず、寧ろ感謝して、これまでの生活習慣を反省すれば、免疫力が増して、病気は治りやすくなるそうです。ある神職の方によりますと、言うは易く行うは難しとはいうものの、同様に、自分に降りかかってきました「悪い(ようにみえる)こと」も、むしろ「ありがたい」と思うようにするのがよいそうです。「悪い事」の後は、耐えて努力をすれば、「善い事」が起こるものですし、「悪 [続きを読む]