とに さん プロフィール

  •  
とにさん: 短い歌の日記
ハンドル名とに さん
ブログタイトル短い歌の日記
ブログURLhttp://tankayfugue.seesaa.net/
サイト紹介文短歌結社「冬雷」の掲載歌を中心とした雑記。できるだけ簡潔にまとめたいものです。
自由文ぽつぽつと短歌を作っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供76回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2011/04/15 13:12

とに さんのブログ記事

  • カラスの歌
  • 電線を横あるきして子鴉は親のこゑ上ぐ電柱に向かふ電線の揺れをつばさで子鴉は均衡たもち横あるきする水谷慶一郎(冬雷 2017年12月号p.1)カラスの横歩きって愛嬌があるんですよね。お母さんのところへ行こうとよちよちと歩を進めていく様子がよく観察されているなあと思いました。「おっとっと」と不安定な状態を乗り切ろうとする子供。ここにはカラスへの暖かいまなざしも感じられます。美しい羽根も声も持たない嫌われ者かもし [続きを読む]
  • ふるさとは
  • 室生犀星 「小景異情」(抒情小曲集より)ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふものよしやうらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても帰るところにあるまじやひとり都のゆふぐれにふるさとおもひ涙ぐむそのこころもて遠きみやこにかへらばや遠きみやこにかへらばやこの詩が作られたとき、犀星は東京と故郷の金沢を行き来していたといいます。東京にいて辛いことがあれば、ふるさとへ心が向く。でもあれほど焦がれた [続きを読む]
  • 日常へ
  • 旅のあとは日常への調整が必要です。近所のプールでゆっくり泳ぐこと。猫とカラスと話すこと。猫は急に消えた飼い主に対して怒っていましたが、すぐにたいへんな甘えん坊・わがままモードに突入し「遊んでくれ!」攻撃が激しくなりました。カラス一家は、帰宅した日に2ブロックも先の教会の屋根から私の姿を認めて、四羽そろって飛んできました。バッハを弾くこと。今日は平均律BWV873を弾きました。フーガの三声がお互いに語り合 [続きを読む]
  • Blast
  • 日本を離れる日が近づいています。こちらに来る前に考えていた計画は案の定ことごとくながれてしまいました。お会いしたい人たちがたくさんいたのに。でも比較的心穏やかに「家の用事」をこなすことができました。それは少し苦く切ない時間でもありましたが。Himiko and I are having a blast...キャットシッターさんからのメールでは、一人と一匹は楽しく盛りあがっているとのこと(投薬を必要とする老猫の世話で申し訳ない)。シッ [続きを読む]
  • 子守歌はバッハ
  • 明日、再び日本に向かいます。今回もまた、残して行く猫にとって一番ストレスが小さい方法を選びました。それはキャットシッターさんを頼むこと。留守の間ずっと家に泊まり込んで面倒を見てもらいます。責任感があり、かつ穏やかな声の持ち主だからきっと大丈夫。それにこの人、ピアノも上手いのです。バッハを弾いてもらおうね、ひみちゃん。父も猫もいつのまにか老境に入ってしまって、切なくなります。これからはふたつの家をも [続きを読む]
  • スクリャービン
  • 客のいぬ二十三時のデニーズにスクリャービンは小さく流れるこの歌を何度も結社に投稿しようと思っては結局ボツにしました。なんのへんてつもない「ただごと歌」なので。でも何だかこの歌は捨てられないのです。この歌は今年の春に帰省した折に詠みました。父の急病の知らせに駆けつけた実家。半月ほどたって少し状態が落ち着き始めた頃、前から約束していた幼馴染に会いに行きました。多忙な人なので自由になる時間は深夜だけ。で [続きを読む]
  • 秋のユリノキ
  • 朝の日を浴びてユリノキ黄葉の深みを見せる四階の窓高橋燿子(冬雷 2017年1月号 p.39)ユリノキが私にとっても親しい存在になったのは、冬雷の方々の短歌のおかげです。ユリノキは背の高い樹。四階からならば、まっすぐに樹と向かい合えそうですね。深みを見せる黄葉…朝日を浴びて葉は濃い黄金色に光っていたのかもしれません。関東地方のすがすがしい秋の空気が伝わるような歌。ここ太平洋の東側の港町でも、ユリノキはすっかり [続きを読む]
  • さあ始めようピアノの稽古
  • 聟の話孫の話も良いけれどさあ始めようピアノの稽古ピアノに向かい同じ所を何十遍進歩している様な気になる山田和子(冬雷2017年1月号 p.30)そうそう、私もこんな具合です。私には聟も孫もいませんが、どこへたどり着くともないおしゃべりに浸るのは心地よいもの。今頃ならばさしづめぬくぬくしたコタツのような?「さあ始めよう」というところに、作者の気合が感じられます。そしてどうしても団子の塊がゴロゴロの私のベートーヴ [続きを読む]
  • ある日カラスと
  • 日本語の話し相手の吾にあり猫のひみことカラスのチビ太赤ちゃんと動物にはついつい日本語で話しかけてしまいます。可愛いなあというとっさの気持ちが、母語である日本語だと自然にしかも思う存分に込められるからでしょうか。相手の反応がなくても別にいいやと思っているからでしょうか。でも、ひよこのような頭をした赤ちゃん。きっと家庭では英語オンリーなのでしょうけれど、日本語で話しかけてもきゃあきゃあ笑ってくれたりし [続きを読む]
  • 歯の歌
  • 最近はデジタルで読むことが増えましたが、やはりリアルな本がたくさんある空間が好きです。アマゾンでピンポイントで本を買うよりわくわくするのが、カナダの日系人の古本市。思いがけないところで思いがけない本を見つけられるお宝市です。最近ではメーチニコフの「亡命ロシア人の見た明治維新」が嬉しかったですね。そして先週買った本の一冊が、大岡信「新 折々のうた 9」(岩波新書)でした。これは1979年から2007年にかけ [続きを読む]
  • 片本さんのこと
  • 今月のはじめ、「冬雷」の編集長のブログにて片本はじめさんが59歳で急逝されたことを知りました。あ、奈良の方がいらっしゃる。かつて奈良市に住み、いまでも奈良を心の故郷と呼んでいる私は、まずそこに親しみを覚えたものでした。そしてその率直な歌いぶりに。もちろんお会いしたこともありません。でも私とは同じ所属欄で掲載場所が近いこともあって、片本さんの歌は毎月まっさきにチェックしていました。今となっては「冬雷」 [続きを読む]
  • 虫の声は音楽だ
  • 魯迅の「あひるの喜劇」を読みました。ロシアの詩人ワシリー・エロシェンコが社会主義者との関わりを疑われ日本を追放された後、たどり着いた北京。エロシェンコはそこでの秋を「さびしい。さびしい。沙漠にいるようにさびしい」と言うのです。魯迅は、そうかねえ、私には寂しくないけれどねえ、と首をかしげます。このロシア人が寂しいのは、かつて滞在していたビルマの夏の夜の虫の声を思い出すからでした。「ビルマでは至るとこ [続きを読む]
  • カナダの秋
  • カナダの秋もまた美しい。でも日本の27倍という広い国なので、場所によって秋の姿もさまざまです。この時期にここに来るのは鮭目当て鴎、鷲、熊、釣り人、吾も渾身の力に滝を上らむとジャンプする鮭あれは何度目 大滝詔子「ひょいと飛び立つ」より(合同歌集 冬雷の113人 2015年)大滝さんはカナダ西海岸、ブリティッシュコロンビア州にお住まいの方。鮭の遡上はこの地域の秋の風物詩と言えましょう。人も獣も鳥も鮭の到来を待 [続きを読む]
  • 虫は歌う
  • 「あれマツムシが鳴いている…」で始まる「虫のこえ」。マツムシ、スズムシ、コオロギ、ウマオイ、クツワムシが登場する楽しい歌ですが、きっとこういう鳴く虫は暖かいところが好きなのでしょう。ここカナダではコオロギにさえ私は出会ったことがありません(もっともカナダは広い国なので、内陸や島や南の国境近くに行ったらいるのかもしれません)。私にとって、彼岸花、秋祭りのお囃子と並ぶ「日本の秋を恋しく思う」ものが虫の [続きを読む]
  • 素晴らしき先輩がた
  • 左利きの指よく曲がらねど手順よく掃除機料理難なく出来るバス停の椅子に腰掛け休みつつ歌を詠むなり一石二鳥老いたれど臥すこともなく料理をば作れる日日を良しと思はむ耳遠く補聴器あればこそなりと会話の出来るこの幸せよ眠れない事はあらざり朝目覚しの鳴るまで殆ど休める幸よこの齢老い先短しと思ふかな然れども人生これからなりとも池亀節子 「卒寿を越えて」より(冬雷2017年9月号 今月の30首 p.12~13)ああこの前向きさ [続きを読む]
  • ジョン・ケージの歌
  • ジョン・ケージ「四分三十三秒」のすずしさよ茸すぱすぱと伸ぶ 渡辺松男「泡宇宙の蛙」より音楽を扱った歌もたくさんあるのですね。バッハ、モーツァルト、ショパン…でもケージの歌には私は初めて出会いました。「四分三十三秒」はもうすっかり有名になりましたが、ざっくり言えば4分33秒の間、演奏者はまったく音を出さないという、音楽とはいったい何か?と改めて問われるような、何か哲学的ともいえる作品です。いったい茸が [続きを読む]
  • 蜘蛛の百合
  • 約束のありたるやうに彼岸にはきつちりと野に曼殊沙華咲く土なかに球根は生きて季なれば茎突つ立てて彼岸花咲く水谷慶一朗(冬雷2016年12月号 p.2)「約束のありたるやうに」という美しい句がずっと印象に残っていました。「季」がめぐると言いますが、久しぶりにこの歌を読み返して、太陽の動きに連動して豊作の祝いと祖先の供養が脈々と行われてきた日本のことを考えています。我が家の庭にも群生しているよ、と実家の父が写真を [続きを読む]
  • 緊張するのです
  • 短歌の楽しみ。それはとてもたくさんあるのですが、その一つが自分と同じような体験をした人の歌を見つけることかもしれません。少なくとも私はそうして慰められ力づけられてきています。発表会サマーコンサート緊張でピアノ鍵盤弾く手震う  鵜崎芳子 (冬雷2017年9月号 p.64)ああとてもよくわかります、鵜崎さん、私も同じでした…!8月に友人が企画したサロンコンサートで私はぜんぜん弾けませんでした。重たい鍵盤に転びそう [続きを読む]
  • 猫の歌
  • 暗がりに激しく争ひゐる猫のあふむき叫ぶはわが猫なりや戦ひに負けたるわが猫毛の抜けて額より血を流しもどりぬ痛からう悔しからうと敗れたるわが猫の傷に軟膏ぬりやる負け犬にならうとどんな姿でもきつと帰り来よこの猫のごと   橘美千代(冬雷2015年11月号p.72)猫のけんかの凄まじさがよく伝わってくる歌です。「あふむき叫ぶ」にやはり小さくても猫は猛獣なのだなと改めて思います。そして傷ついた猫に、痛いだろうね、悔し [続きを読む]
  • つぶやき短歌
  • 痛む手のおきどころなく過ごす夜に小鳥の歌を待ちわびている私の人生初の短歌です。2014年の晩秋に作りました。手は治らないわ、仕事はないわ、雨は止まないわで、途方に暮れていた時でした。誰もそう言ってくれないので、ああ何とかわいそうな私!と言葉を書きつけ始めたのでした。他人に愚痴を聞いてもらうには限度がありますが、この方法だと気が済むまで続けられましたので。さんざん書いていっぱいになったらノートを処分する [続きを読む]
  • 短歌を必要とする理由
  • TEDでアメリカの文芸評論家スティーブン・バート氏の講演、「人は何故詩を必要とするのか」(原題:"Why people need poetry")を聞きました。特に印象に残った箇所があるので拙訳を載せます。…私たちはみないつか死にます。このことを受け入れさせてくれるのが詩です。…詩は共有しやすく、伝えやすい。そして詩を読むとき、私たちは誰かが自分に話しかけているように感じます。その誰かはどこか遠くにいる人かもしれません。架 [続きを読む]
  • 日食の歌
  • わが庭の薔薇垣に朝のひかり差すまさしく日食まへの太陽  木下孝一『霜白き道』(現代短歌社)今朝のバンクーバーでは86%の日食が見られました。私は自室のPCで仕事をしていたところでした。ふと気が付けば南の窓から差し込む太陽の光線が、色が、雰囲気がどことなく違います。空はいつにも増して青いのに。これを「まさしく日食まへの太陽」と言うのでしょうか。今では人間も日食が起きる日時もその原理もよく知っていますが [続きを読む]
  • 浴衣に必要なもの
  • 七夕の花火見物に行く人の浴衣の多き白百合の映ゆ  中村哲也(冬雷 2015年10月号 p.27)ああこれぞ日本の夏だなあと、懐かしい思いでこの歌を読みました。カナダにももちろん花火大会はあるし、夏らしい野外コンサートやそれこそ日系人コミュニティによる「夏祭り」なども開催されます。もともと着物好きの私はこれぞチャンスとばかりにいそいそと浴衣を着て出かけます。やっぱり好きなものを身に着けると幸せな気持ちになります [続きを読む]
  • コヨーテ
  • コヨーテに食われし子犬に涙してコヨーテをなお憎めずにおり私は子供の時に「シートン動物記」のティトオというコヨーテの話に泣き、そして学生時代にカナダのマニトバ州で初めて野生のコヨーテを見て憧れて、今はコヨーテが闊歩する町に暮らしています。おとといの地元の新聞記事の写真より。コヨーテは猫だけではなく犬、人間の子供も襲うことがあります。でも私はコヨーテを害獣とは呼びたくないのです。そもそも害獣も害虫も雑 [続きを読む]
  • 庭仕事の愉しみ
  • 春の日に鳴きつつ遊ぶ小雀をけふの友にして庭の草引く 橋本佳代子(冬雷 2017年7月号 p.31)ブログでは今の季節にあった歌を取り上げたいと思っているのですが、今日はこの歌の気分でした。「小雀をけふの友にして」というところがとても好きなのです。庭仕事は瞑想だと言ったのはヘルマン・ヘッセでしたか。土に触れていると無我の境地になります。Traffic calming space(交通静穏化のために設けられた緑地帯)の園芸ボランティ [続きを読む]