yuki さん プロフィール

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yukiさん: くぐる鳥居は鬼ばかり
ハンドル名yuki さん
ブログタイトルくぐる鳥居は鬼ばかり
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10
サイト紹介文青森県は津軽を中心に、坂道・神社・歴史的建造物等々を紹介しております。
自由文自由気ままに…
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供404回 / 365日(平均7.7回/週) - 参加 2011/04/15 17:37

yuki さんのブログ記事

  • 若宮八幡神社 (南部町)
  • 三戸郡南部町小向。句碑がありました。達筆にて読めず。春松という方です。参道鳥居。拝殿が見えてきました。周囲は鬱蒼としています。御祭神は誉田別命。例祭日は旧暦8月25日。南部2代藩主實光公により城内守護・藩中安全の祈祷所として創建されたと伝えられます。「邦内郷村志」によりますと、本三戸館跡、馬場館跡、小向小四郎旧館跡、八幡宮、三光庵、隅観音堂が記されています。小向村の東側は天保12年に奥州街道を境に沖田面 [続きを読む]
  • 南部利康霊屋 (南部町)
  • 三戸郡南部町小向正寿寺。三光寺境内。南部利康霊屋『桃山様式の華麗な建造物である。方2間、単層入母屋作り、コケラぶき。南面して建てられてある。正面の向拝には美しいカエルマタ(蟇股)がとりつけられ、木鼻のところに猿(サル)の丸彫がある。この種のものでサルが用いられているのは全国的にみて、このおたまやだけである。柱は向拝が方柱であるほか、すべてが黒漆ぬりの円柱。その上には諸種の色を水平にぬってウンゲン彩 [続きを読む]
  • 三光寺 (南部町)
  • 南部町は、その名に面影を残すように、南部藩発祥の地として古くから発達してきた歴史の町。初代南部光行からはじまる中世南部氏の奥州入部時期については定かではないのですが、鎌倉時代の末頃までには北条氏の有力家臣として奥州に入部していた説が有力です。南北朝時代になると三戸南部氏は現在の南部町の聖寿寺館を中心として糠部を治め、室町時代から戦国時代にかけては、津軽や岩手県中部・秋田県鹿角地方へも勢力を伸ばして [続きを読む]
  • 聖寿寺館跡 (南部町)
  • 南部藩発祥の地、聖寿寺館跡。南部町正寿寺集落の南西。名久井岳を望む馬淵川沿いに位置。2017年7月にも中世アイヌ民族の印(シロシ)が施された中国産染付皿が出土し、館にアイヌが居住していた可能性が高まったとして非常に話題となりました。聖寿寺館跡は、東北北部最大の中世武士団であった南部氏の室町時代から戦国時代にかけての居城です。周囲に平良ヶ崎城・佐藤館・小向館・馬場館が置かれ、防御を固める一方、まわりを奥 [続きを読む]
  • 安方橋 (三戸町)
  • 県道45号線、宇藤坂から文治屋敷に向かう途中にある安方橋。住所は川守田宇藤坂と袴田文治屋敷の間で、猿辺川に架かります。美しいアーチを描いていますが、川に降りなければうまく写真は撮れない感じ。安方橋からの眺め。広報さんのへ(2009/4)にその歴史が詳しく書かれていました。※執筆者:三戸中学校教諭小泉敦氏。それによると、昭和10年の夏に襲った大豪雨は濁流満々として猿辺川の農耕地を浸食し、農作物に多大な被 害を [続きを読む]
  • 白山神社 (田子町)
  • 田子町田子喜助ケ沢。田子舞手との境にあり、鳥居は田子舞手に位置します。正面のここを上ってはダメですよ。誰も上らないですね。脇の石段から境内に上がります。石段。正面は石段じゃありません(笑)白山神社。由緒等は調べていません。白山神社の場合、御祭神は菊理媛神(白山比?神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊が多いですね。社殿内。本殿。両脇にも小祠があり、何かが祀られているのがわかります。境内からの風景。長閑です。ブロ [続きを読む]
  • 三戸城址 〜 其之肆 (三戸町)
  • 『三戸城址 〜 其之参(三戸町)』より。大御門跡。糠部神社奥殿付近。もしかしてあれが館守稲荷神社かな!?ピントが標柱なのでよくわかりませんが、何やら祠みたいなものが…違うかな…ただの木にも見える…三戸城跡付近にお住まい方、写真提供お待ちしています(笑)本丸に鎮座した由緒ある神で三戸城絵図には本丸にこの稲荷社が明記されています。御鷹部屋跡へ。御鷹部屋跡。鷹狩りに用いる鷹を飼育した場所。現在は祥鷹閣とい [続きを読む]
  • 三戸城址 〜 其之参 (三戸町)
  • 『三戸城址 〜 其之弐(三戸町)』より。石亀城主、石亀七左衛門邸跡。石亀七左衛門邸跡地はまさかの鹿園になっています。日本鹿。昭和42年9月に金華山より導入。現在の場所はここです。糠部上水道通水記念碑(昭和41年5月)。いよいよ糠部神社の鳥居が見えてきました。欅御門跡。欅御門跡…『近世の絵図によると、北面する門の前は枡形(兵隊の控所)となり、南北には門に連なる土塁(防御のための盛土)が築かれていました。門の [続きを読む]
  • 三戸城址 〜 其之弐 (三戸町)
  • 『三戸城址(三戸町)』より。綱御門跡から鳩御門に向かいます。前回の綱御門跡の説明にもあったように、綱御門を入って鳩御門に向かう途中、道を挟んで南北に武者溜があります。武者溜は綱御門の守備兵の控所のあったところです。武者溜…『綱御門は三戸城第一の要衝であり、石垣で厳重に防衛されていた。綱御門の守備兵の詰所を武者溜と呼んでいる。城内で武者溜の設けられているのはこの一郭だけである。これを見ても綱御門は三 [続きを読む]
  • 三戸城址 (三戸町)
  • 馬淵川と熊原川の浸食によって形成された河岸段丘上にある連郭式山城です。両河川を天然の水堀としており、周囲より孤立した台地で、低地との比高差は約90mを測り、規模は東北から西南方向に約1.5km、北西から南東方向に約400m。戦国時代にこの地方を治めていた南部氏(南部家第24代南部晴政)が、天文8年(1539年)6月にそれまで居城としていた聖寿寺館が家臣赤沼備中の放火により炎上焼失し、永禄年間(1558-1569)にこの高台へ [続きを読む]
  • 糠部神社 (三戸町)
  • 三戸郡三戸町梅内字城ノ下。三戸城跡内(三戸町城山公園内)。御祭神は旧南部藩藩祖、南部三郎光行命。明治11年創建。大祭は8月21日。狛犬一対(平成3年4月吉日)。石灯籠一対(平成3年4月吉日・南部公入部八百年記念)。手水舎。手水石。南部対鶴。さいかち(樹齢約400年)。下部が埋まっている手水石(明治25年4月・留?村中)。糠部神社は三戸城の中央に鎮座。明治9年2月神祭を上願し、同10年2月27日に許可となり、同11年12月1 [続きを読む]
  • 門住稲荷神社 (三戸町)
  • 三戸城大手門跡に鎮座。三戸城大手口(表口)守護の稲荷で、初め一段高いベコの鼻に祀られていましたが、そこに物見櫓を建てるため現在地に移されたものです。藩政時代は、三戸在住の武士たちから特に尊崇を受けたといわれ、武士仲間で寄進した幟なども保存されています。現在も信仰、参拝する者は多く、下在府小路町内の人々によって護持されています。社殿内。手水石(嘉永6年9月8日)。こちらの石は読み取れず。石灯籠一対。狛 [続きを読む]
  • 10月7日
  • 以前のブログ(アメブロ)開始が2007年10月7日。当ブログは2011年4月15日から並行して開始。始めた当時はこの先ブログというツール自体が10年以上も変わらず続くことを期待していなかった気もしますね。まぁ時代はSNSなんでしょうけど。そろそろ次のステップへ!って思いましたが…需要はないかも知れませんが…こちら(Yahoo!ブログ)はこちらで一応続けていきます。ファミマ代(Tポイント)浮かせたいし笑最近は何度も訪れて [続きを読む]
  • 秋葉山大権現 ・ 疱瘡神 (東北町乙部)
  • 上北郡東北町乙部道ノ上。森の中を切通しのように道路が作られており、その両脇にそれぞれ小祠があります。こちらは秋葉山大権現。小祠には石が祀られています。何か彫られているかどうかは確認できませんでした。道路を挟んでもう1つの祠は疱瘡神。石段はありますが鳥居はありません。小祠内には疱瘡神と書かれた木札と棟札(階段一基・栃ノ木2本植栽)がありました。いずれも由緒等は調べていませんが、一般的に秋葉権現の御祭神 [続きを読む]
  • 観福寺 (三戸町)
  • 三戸町同心町熊ノ林。同心町は三戸城下八町の一町で、三戸城下の南西に位置し、街道は地内で西に直行する鹿角道と、南に屈折する盛岡道に分岐します。町名は江戸初期に南部氏が在城して同心を配置したことに由来。元和年間頃の「三戸御古城図」に同心丁と見えます。「邦内郷村志」では梅内村の内の同心丁、「三戸通神社仏閣地名書上帳」でも梅内村の枝村となっています。三戸城下の機能が失われると、城下八町はそれぞれ独立した町 [続きを読む]
  • 妙光寺 (三戸町)
  • 三戸町同心町字熊ノ林。同心町は三戸城下八町の一町で、三戸城下の南西に位置し、街道は地内で西に直行する鹿角道と、南に屈折する盛岡道に分岐します。町名は江戸初期に南部氏が在城して同心を配置したことに由来。元和年間頃の「三戸御古城図」に同心丁と見えます。「邦内郷村志」では梅内村の内の同心丁、「三戸通神社仏閣地名書上帳」でも梅内村の枝村となっています。三戸城下の機能が失われると、城下八町はそれぞれ独立した [続きを読む]
  • 稲荷神社 (田子町相米)
  • 三戸郡田子町相米。相米は相米館(南部家から賓客として遇された相米弥左衛門の居館と推測)という館があった地。鳥居前に駐車場あり。そこから鳥居をくぐって細野川にかかる稲荷橋(平成21年3月)を渡ります。稲荷橋の金の擬宝珠が眩しいー!田子町指定天然記念物「稲荷神社のシロヤナギ」。推定樹齢は不明。樹皮のみで生きています。手水石。結構な勢いで水が出ています。川から引いてるのかな。社殿。石灯籠一対(明治30年)。 [続きを読む]
  • 早稲田観音 (南部町)
  • かつての沖田面村。元大向村枝村で、真言宗恵光院、嶺松院、諏訪大明神、新羅大明神、早稲田観音などが見えます。永福寺跡地であり、恵海上人五輪塔(町指定文化財)、経塚、西ノ坊、新羅神社などがあります。案内板より…『【永福寺】ここは、藩政時代南部氏の筆頭寺院真言宗の古刹「永福寺」(石高八百石余)の跡地である。元和3年(1617)南部氏の盛岡築城に当り、その鬼門鎮護のためここから永福寺を移したが、早稲田十一面観 [続きを読む]
  • 新羅神社 (南部町)
  • 三戸郡南部町沖田面字早稲田。御祭神は新羅三郎義光命。南部氏の遠祖である源義光。近江国の新羅明神(大津三井寺新羅善神堂)で元服したことから新羅三郎と称しました。祭日は8月25日。建久3年(1192)8月25日、南部藩主光行公が甲州から入国に際し、新封土開発・藩内守護神として創建されたと伝えられます。爾来、南部藩主代々の尊信を受けてきました。大正14年8月1日幣帛供進神社として指定。社殿。面白い形ですね。懸魚。南部 [続きを読む]
  • 清水頭蒼前神社 (田子町)
  • 田子町田子清水頭。県道21号線で北上し、三叉路にある千葉商店のすぐ近くです。鳥居の横に「千葉家のオニグルミ」があります。田子町指定天然記念物。鳥居横の庚申塔。清水頭の庚申塔として有名で、紀年銘は元文2年(1737)と大変古いものです。中央には特異な字で「庚申」と彫られ、右には「斯時元文弐」、左に「丁巳五月吉日村中」と彫られています。標柱でもその古さをアピールしております。山道をしばらく歩いて行くと鳥居が [続きを読む]
  • 生まれ変わる弘前駅前2
  • 私が思っていたほどの変化はありませんでした。よって特にコメントはありません。強いて言うならば、大きな変化はこの新築分譲マンションとツルハドラッグくらいですかね。『弘前駅 (弘前市表町、駅前町、駅前)』『弘前駅前の駅前とは思えぬ現状』『生まれ変わる弘前駅前』ブログ村ランキング参加中 [続きを読む]
  • 穴守稲荷神社 〜 其之弐 (東京都大田区)
  • 『穴守稲荷神社(東京都大田区羽田)』からの続き。「穴守稲荷」と聞くと「稲森いずみ」を思い浮かべます…というどうでもいい余談から其之弐のスタートです。さて、穴守稲荷神社には末社がたくさんあります。穴守稲荷神社奥之宮鳥居。大雨の時にこの鳥居は助かりますね。昔の鳥居はもっと凄い数で、本当に参道は傘いらずで歩けたそうです。石灯籠一対。奥之宮。有名な招福砂はここで頂けます。「老人が漁に出て魚を釣り上げて魚篭 [続きを読む]
  • 穴守稲荷神社 (東京都大田区羽田)
  • 穴守稲荷駅(京急電鉄)。駅を出るといきなり鳥居です。個人的には鳥居の向こうに見える「はねだぷりん(手造りぷりん)羽月」「炭火焼やきとり倶楽部」に参拝したい気持ちでいっぱいです。我慢我慢!鳥居の手前では「コンちゃん」という狐が出迎えてくれます。駅から神社までは数分で着きますが、稲荷橋や大鳥居などに寄り道しながら穴守稲荷神社へ向かいました。穴守稲荷神社の入口は正面、左右と3ヶ所ありました。全部くぐる私 [続きを読む]
  • 斗内千人塚 (三戸町)
  • 三戸町大字斗内字清水田。天明の大飢饉(天明3-4年卯辰)では当地方でも多くの餓死者が出ました。4年秋には同地は豊作となりましたが不仕付が多く、道路傍や山野にも無数の死者が放置されていました。斗内の林泉寺の檀家頭であった栗谷川藤右衛門はこの無縁仏を哀れみ、せめて首だけでも葬りたいと、翌5年に林泉寺のそばの丘に首塚を立てました。 4つの塚に葬られた首の数は1千といわれ、やがて千人塚と呼ばれるようになり、同7年 [続きを読む]
  • 林泉寺 (三戸町)
  • 三戸郡三戸町斗内寺牛。曹洞宗普門山林泉寺。法光寺末。近くには白旗神社や斗内千人塚があります。御本尊は釈迦牟尼仏。法光寺12世でもあった当寺第1世風山慶門大和尚が貞享元年(1684)に現在地から約1キロ離れた斗内田畑に厳木山林泉寺を建立。第7世月泉吟峰大和尚の安永3年(1774)2月に現在地に移転。一説によりますと、その寺は火事で焼失したともいわれ、焼失した当時の住職は、人一倍小豆が好きで、いつも小豆ばかり食べて [続きを読む]