園遊舎主人 さん プロフィール

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園遊舎主人さん: 園遊舎主人のブログ
ハンドル名園遊舎主人 さん
ブログタイトル園遊舎主人のブログ
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/koichiro1945
サイト紹介文温故知新。 日本の自然に学ぶ。
自由文ドイツ人のランドスケープ・アーキテクトに日本のガーデニングを紹介した時、江戸期以前のガーデニングは参考にしていたが、近年のガーデニングには目もくれなかった。花についても同様。
オランダのキュウケンホフ公園の猿まねやイングリッシュガーデン擬、日本産の花の利用が少ない、わざわざ西欧から見に来る価値のないものが多すぎる。
外国人に、これが日本の新しいガーデニングと言える庭や花の増えることを期待して。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供52回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2011/06/01 06:34

園遊舎主人 さんのブログ記事

  • ★安永五年七月〜十二月
  • 江戸庶民の楽しみ 41★安永五年七月〜十二月★七月十九日○明六より浅草参詣(略)挑燈にて出谷中にて挑燈を消す、上野本堂矢来の内蔓艸高く東側林中樹をまろハし縄をはりて行人を駐め雲水塔の方一道を開く、三河屋に休み(略)御堂内を行直に参詣、帰掛に因果地蔵拝し伊せや迄来る、鄽上客多き故境屋へ引かへし休む(略)帰路別路をとり風神門にて夏菊買ふ、日出甚あつし、車坂下にて五の鐘聞へ五半頃帰廬 この年の七月は、「朔日田ら [続きを読む]
  • 信鴻のガーデニング安永五年2
  • 信鴻のガーデニング安永五年2○七月 七月は、ガーデニング作業と思われる記述が22日あり、植物名を記載した日は6日である。それらの中から、記された植物名は7、7種である。新たな植物の種類は3種である。以下、日付順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。 「唐橘」は、カラタチバナ(ヤブコウジ科)とする。 「千日紅」は、センニチコウ(キク科)とする。 「栗」は、クリ(ブナ科)とする。○八月  [続きを読む]
  • 信鴻のガーデニング安永五年1
  • 信鴻のガーデニング安永五年1 安永五年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。○一月 一月の日記には12日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、18日間ある。それらの中から、記された植物名は18あるものの、この年初めて記され [続きを読む]
  • 平穏な安永四年六月〜閏十二月
  • 江戸庶民の楽しみ 39★平穏な安永四年六月〜閏十二月★六月 信鴻は、以下の一日しか外出していない。江戸の町に特記するようなことはなかったと思われる。廿二日○六半前より珠成同道浅草参詣(略)谷中通り(略)清水門より入、山内旗本衆参詣多し(略)山下門より三河屋茶やに休む(略)浅草山門にて五ツの鐘聞ゆ、御筑百度参、堺やに休む(略)田原町にて(略)又清水門より出、首振坂茶やに休む、雑司谷へ(略)帰路大暑堪かたし、四ツ帰廬 [続きを読む]
  • 安永五年一月〜六月の楽しみ 
  • 江戸庶民の楽しみ 40★安永五年一月〜六月の楽しみ ○ 安永五年★一月 この年の元旦も「福寿草を貰ふ」。二日に「風巾貰ふ」。三日「夕園にて羽子を突」。と、これらが信鴻の正月らしさを感じさせる記述である。一月の信鴻は、以下のように6日も出かけている。七日○九半前(略)首振坂にて宇平次庭へ(略)坐敷梅鉢植飾り見事也、感応寺(略)刀を預け五町見物(略)新町より裏通り二町目一町目を見る、豊後語り花人七八人鄽先にて芸 [続きを読む]
  • 信鴻のガーデニング安永四年2
  • 信鴻のガーデニング安永四年2○五月 五月も植物名を18日記載している。摘みの記載は、「いちこ・笋・梅子」などと変わり、4日に減っている。ガーデニング作業と思われる記述も10日となる。それらの中から、記された植物名は31ある。新たな植物の種類は11種である。以下、日付順に示す。 「いちこ」は、キイチゴ(バラ科)と思われるが、確証はない。                「笋」は、マダケ(イネ科)とする。 「茗 [続きを読む]
  • 信鴻のガーデニング安永四年1
  • 信鴻のガーデニング安永四年1 安永四年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。○一月 一月の日記には○日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、11日間ある。それらの中から、記された植物名は21あるものの、植物の種類は13種で [続きを読む]
  • 平穏な安永四年一月〜五月
  • 江戸庶民の楽しみ 38★平穏な安永四年一月〜五月★一月 信鴻の日記から正月の様子を見ることにする。元日○花屋権兵衛に福寿草貰ふ、浅野に鉢うへ接分梅貰ふ三日○妹背山へ穴沢妻召連、羽子をつく○新助来、絵本四の時貰ふ、おりう羽子板・道中双六貰ふ四日○妹背山にて羽子を突五日○節分祝如例十三日○三河万歳来、舞十九日○昼お氷より年始の文来廿一日○風神門内鳥取侯西台観式参詣人群集、観音へ詣廿六日○新堀へ行(母・利 [続きを読む]
  • 信鴻のガーデニング安永三年2
  • 信鴻のガーデニング安永三年2○四月は、ガーデニングに適した時期であることもあって17日作業をしている。ただ、「鉢殖の草を水分石岩狭に殖」「木枯山の草を刈」など、植物名の記されない日があって、植物名が記載されたのは10日である。新たな植物は、以下の通りである。 「黄山蘭」は、キンラン(ラン科)とした。それは、翌日の「白山蘭」が記されたことで、キンランとギンランであろうと判断したからである。 「白山蘭」は [続きを読む]
  • 信鴻のガーデニング安永三年1
  • 信鴻のガーデニング安永三年1 柳沢信鴻は、安永三年の日記の半数以上に、ガーデニングに関連する記述を記している。その中で注目したのは、植物名である。当時の植物を知ることに加えて、信鴻がどのようなガーデニングしていたかを探る手がかりとなる。なお、日記には色々な種類の植物名が記されており、食べ物などガーデニングとは直接関係がないものが数多くあり、判別に迷うものが少なくない。たとえば、「蕎麦を喫す」「真瓜 [続きを読む]
  • 花壇綱目 序
  • 花壇綱目 序 『花壇綱目』は、国立国会図書館デジタル資料に、以下のように公開されている。1 花壇綱目 3巻 【全号まとめ】 古典籍資料(貴重書等)/その他 水野元勝 [著][他] (河内屋太助, [1---]) 2 花壇綱目 3巻. [1] 古典籍資料(貴重書等)/その他 水野元勝 [著][他] (河内屋太助, [1---]) 3 花壇綱目 3巻. [2] 古典籍資料(貴重書等)/その他 水野元勝 [著][他] (河内屋太助, [1---]) 4 花壇綱目 3巻. [3] [続きを読む]
  • 花壇綱目
  • 『花壇綱目』★解読花壇綱目の刊行 早いもので、『江戸の園芸』(ちくま新書)を刊行して20年経ちました。終活として、集めた資料をそろそろ廃棄しようと見直しました。すると、あちこちに首を突っ込んだまま、整理しかけの一覧表や書きかけの原稿がいくつも出てきました。 その一つが『花壇綱目』の植物名の解析で、こんなことに時間をかけていたのかと懐かしい思いにとらわれました。主な植物名200程を見ると、その7割以 [続きを読む]
  • ★冬の物見遊山・安永三年十一月十二月
  • 江戸庶民の楽しみ 37★冬の物見遊山・安永三年十一月十二月 江戸市中の十一月、十二月は、大きな出来事がなかったようである。十一月の信鴻は、十二日、十四日、二十四日と3回も芝居見物に出かけている。人は、楽しいことに対しては、どんなに朝が早くても起床して、出かけるものである。信鴻も同様で、十二日は別録によれば、「丑に眠覚、今日、寅に起るゆへ、すぐに起き、七半より」とあるから、まだ暗い午前4時に起きて5時 [続きを読む]
  • ★祭礼と菊見を楽しむ、安永三年の九月十月
  • 江戸庶民の楽しみ 36★祭礼と菊見を楽しむ・安永三年の九月十月 九月、幕府は物価の下落を図るため、鋳銭座での鋳造を停止、真鍮銭も半減させた。江戸市中への影響がどの程度あったか、庶民の生活はさほど変化があったとは感じられない。たとえば、『武江年表』によれば「○九月朔日より、市ヶ谷八幡宮内茶の木稲荷開帳」「○九月廿日、眞土山聖天宮祭礼、産子の町より出し練物を出す」「○九月廿一日、小石川白山権現祭礼」と、 [続きを読む]
  • ★納涼・安永三年
  • 江戸庶民の楽しみ 35★納涼・安永三年六月七月八月の楽しみ 江戸市中の六月以降の出来事を信鴻の日記と対照させて見てみよう。信鴻は、五月からの大当たりの中村座『恋女房染分手綱』を六月三日に出かけている。その日の帰りは午前様であった。六月は天変地異とまで言えないが異常気象が記され、『武江年表』六月六日には「大雷三十七ケ所に落る」とある。さらに、六月廿三日には「大風雨家屋を損じ樹木を倒す」とある。 信鴻の [続きを読む]
  • 放屁男と開帳
  • 江戸庶民の楽しみ 34★放屁男と開帳を楽しむ・安永三年三四五月 三月以降の出来事を『武江年表』から示すと、行楽シーズンの到来を受けて開帳が続々と催される。「三月十八日から魚籃観世音開帳○四月朔日より六月二十一日迄、大師河原平間寺弘法大師、中瀬稲荷、回向院にて開帳○同月四日より六月八日迄、本所表町本久寺祖師開帳○四月八日より五月十八日迄、木下川薬師如来○永代寺内丈六観世音腹龍佛開帳○四月十八日より六月 [続きを読む]
  • ★正月の楽しみ、安永三年
  • 江戸庶民の楽しみ 33★正月の楽しみ、安永三年 安永三年、江戸の庶民はどのような生活を送っていたか、町の様相、特に盛り場の動向を柳沢信鴻の日記から探してみたい。日記は、まるで現代新聞の三面記事のように浅草や境町(芝居小屋街)など繁華街の様子を伝えている。 正月の様相は、現代と季節のずれがあり、そのことを念頭に見ることになる。安永三年の元日は西暦1774年2月11日である。二月の半ばに入ることから、真冬とい [続きを読む]
  • 柳沢信鴻のガーデニング1773年の植物
  • 安永二年柳沢信鴻のガーデニング1773年の植物 信鴻の日記の特徴は、毎日のように植物名が出てくることである。六義園に安永二年五月二十三日に引っ越した以降は、六月には29日、七月は29日、八月も29日、九月は28日である。十月は少し減少して26日である。十一月は冬に入り、寒さのため庭作業をしなくなったこともあって12日。十二月は19日である。この二カ月、植物名は記されていないものの庭を見せたり、植木屋に訪れたり、植物 [続きを読む]
  • ★浅草の賑わい(安永二年十一月・十二月)
  • 江戸庶民の楽しみ 32★浅草の賑わい(安永二年十一月・十二月) 信鴻も江戸庶民と同じように、浅草の様子に関心を向け日記に再三記している。十一月・十二月に7回触れている。この記述から当時の浅草の賑わいや町の様子が伝わってくる。 十一月十一日は「大快晴終日英蓉見」とあって、絶好の行楽日和であった。九ツ(昼頃)から供を7名連れて、谷中を抜け上野へ、山下より広徳寺(現在の地下鉄稲荷町駅の北西に位置する。信鴻 [続きを読む]
  • ★雨の種類(安永二年九月・十月)
  • 江戸庶民の楽しみ 31★雨の種類(安永二年九月・十月) 信鴻の日記を読むと、日付の次に天候が記されている。その記述が詳細で、日長に丸一日空を見ていたのではないかと思わせる。現代だって気象の変化は、江戸時代とそんなには違っていないはずである。 天候の判別(気象庁)は、快晴・晴れ・薄曇・曇り・煙霧・砂塵嵐・地吹雪・霧・霧雨・雨・霙・雪・霰・雹としている。科学的な基準で判別するもので、微妙な変化や様相を示 [続きを読む]
  • ★栗拾いと茸狩り(安永二年七月・八月)
  • 江戸庶民の楽しみ 30★栗拾いと茸狩り(安永二年七月・八月)七月朔日戊午 薄曇五頃少地震朝少し涼し西風夕過出八過より東風七過風雲で勿散○上館より廻したる石燈籠ニツ庭へ直す○松雑木をきる二日 朝少涼一面うす陰昼蒸気強四過村雨勿止八過雨霈然無程小雨七前又雨昏前雨止大晴夕虹○満蔵・力衛門・交如・宗治・小兵衛・沖衛門・に蜀(矮性)鶏ひ葉貰ふ三日 八頃より南東幽雷折々響夜明大猛雨至庭中水如池二□計ニ而雨静に成 [続きを読む]
  • ★花火(安永二年五月・六月)
  • 江戸庶民の楽しみ 29★花火(安永二年五月・六月)五月朔日 繊雨折々七半ころより蕭雨夏至二日 淫霖森々夜大猛三日 大陰暁雨鎮昼過より日出雲漸次霽                           四日 雲夜七半頃地震せし由しらす 五日 雨森漫六日 陰朝繊雨少七日 曇夜四半頃よハき地震八日 陰次第に蒼天出夕にはるゝ○文より朝鮮石竹貰フ○園の隠元小豆を取る九日 大晴白雲流暑○岩崎に鉢殖貰ふ十日 快晴○ [続きを読む]
  • ★凧揚げ(安永二年閏三月・四月)
  • 江戸庶民の楽しみ 27★凧揚げ(安永二年閏三月・四月) 閏三月は、現在の4月末から5月である。四月は現在の6月である。閏月をいれた暦、現代では何とも感覚的にしっくりしない。ただ、旧暦では四月から夏としているから、そう見ればわからないことはない。季節は春から初夏、梅雨へと移り、一年でも最も過ごしやすい時期である。天候も比較的恵まれていたものと推測され、信鴻は閏三月に凧揚げを6回も行っている。まだ大和郡 [続きを読む]
  • ★安永二年二月・三月
  • 江戸庶民の楽しみ 27★安永二年二月・三月 『宴遊日記』から江戸の気象状況が見えてくる。信鴻の天候について詳細な記述は、変わり行く季節の様を克明に表している。これは、信鴻の自然への関心の深さを示すものであろう。信鴻は、六義園ではなく、まだ城の南側に住んでいたので、江戸の町の気象と見て良いだろう。当時の江戸は、今より寒かったといわれている。確かに、寒そうな感じがする。 正月(1773年1月23日〜2月21日) [続きを読む]
  • ★安永二年一月の楽しみ
  • 江戸庶民の楽しみ 26★安永二年一月の楽しみ 江戸庶民が日々どのような暮らしをしていたかはなかなかわからない。底辺の庶民には、日記を記すなど無理なことで、また江戸の町全体を広く見渡して考察することなどできない。そこで参考になるのが、『武江年表』である。『武江年表』(ぶこうねんぴょう)は、斎藤月岑によって天正十八年(1590年)から明治六年(1873年)までの江戸の出来事を綴った年表である。月岑は名主であった [続きを読む]