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さくらんぼ日記 https://dan416.blog.ss-blog.jp/

気だけは若い。 超純情小説や日々のさまざまなことを、ぼちぼちとつづっています。

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2011/06/09

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  • 61回目の結婚記念日

    61年前の雲一つない晴天とは違って、今日は昨夜来からの雨が降り続いています。 今日は結婚記念日。この年になっても結婚記念日だなんて喜んでいる人がどこにいるでしょうか。 と思いつつもこみあげてくる懐かしさをどうすることも出来ません。 彼は十四年も前にさっさと逝ってしまったのに。 「そんなこと言えるママはきっと幸せだったからだよ。パパが良い人だったからだよ」と娘が ホームドラマの台詞のようなことを言って、またぞろ私を有頂天にさせる。 そうかもしれない、いえきっとそうだ。 彼と初めて会ったのは二十歳の春。彼は速記学校の講師で私は生徒だった。 将来自活できる何らかの技術を身につけたいと考えていた私は、友だちが 始めた洋裁も、和裁も編み物も見るのも嫌だった。 そんな時開校したばかりの速記学校を見つけた。 「これだっ!」私の決断は早かった..

  • 瀬戸の海に春が来た

    朝方からこんなにも淡い青い空。 心の芯がうずうずと踊りだし、春が来た春が来たと体中から歌声が聞こえる。 このところの冷え込みと、遠慮なく吹き渡る北西の風にどん底まで落ち込んで もう二月も半ばなのにと恨めしさでいっぱいだった。 ああ嬉しい今日は気温もぐんと上がって19度もある。 いいことありそうと、祈っていたら11時過ぎ弟夫婦がやってきた。 毎日曜日には一人暮らしの私のために買い物に行こうと誘ってくれる。 一日中一人でいる私は、この時とばかりに喋る喋る。 今日は気持ちいい青空だし暖かいからドライブでもしょうと。 「嬉しい嬉しい。海を見に行きたい」 遠くの山を見ながら20分も走るともう海が見えて来た。 海の色は紺碧の、淡い水色、緑に近い深い水色。様々の海の姿が美しい。 すぐそこにある小さな島のみどり。もう少..

  • 濃紫の寒あやめ咲いた

    立春が来ても今年は寒あやめが咲かない。 あんまり毎日眺めるので恥ずかしいのかなあ。 暖かくなり過ぎたのか。 おお、咲きました。真っ白に霜の降りた朝一度に三輪。 何だか切なくて、しゃがみこんでしばらく見つめていました。 遠い遠い日の彼の姿も一緒に顕れて、一瞬びくっとして少し嬉しい私。 この花にまつわる思い出はいっぱいあり過ぎて笑ってしまった。 すぐに写真の前に飛んで行って「咲いたよ、咲いたよ」 「もうもっと静かにして、分かった分かった」と苦笑いの彼。 とにかく花好きの彼は大輪の牡丹も、野に咲く小さな草花も大好き。 散歩の帰りにはいつも何か摘んできて、玄関の小さな備前焼きの花瓶にひょいと入れる。 私も早春の草花は好きで特に、あぜ道に星を散りばめたように咲く大犬ふぐりは格別だ。 ずっと昔この花を知らなかった彼に、お城の石垣の..

  • 大寒 霜がこんなにも美しい

    大寒と言えば一年中で一番寒い日です。 朝起きて一番に窓を開けて、あたりを見回します。 屋根瓦にも、目の下の休耕田にも真っ白な霜。ここは六十戸余りの団地でもう五十年もの 歳月を経て住む人も古くなったのですがみんな顔見知りで、気心も知れていて住み心地満点。 ああ、冷たいけどなんて美しい、キラキラ光る霜に心奪われて寒さは二の次。 見上げる空の青さは胸がときめくほどで、心の中が洗われてもっときれいになりそうです。 こんなに素敵な環境に、私はもう十五年も一人でいます。 健康で病院通いもなく、自由気ままに思い通りに生きています。 寂しくないと言えば嘘になるかも知れないけれど、仕方ないことです。 東京に住む子供たちとはラインで繋がり、娘は毎晩十時生存確認?の電話がきます。 この電話は一方的で、きょうあったことを私一人が喋り..

  • ハッピーバースデーのメールが来ました

    気温三度、十年振りの寒波が来る。朝からテレビもラジオもこのことばかり。 空は青く澄み渡り朝方雪もちらちらしました。 そしてなんと冷たい。手が凍り付いたよう。こんなことはあまり経験ありません。 でも青空の向こうに濃い灰色のそれも黒に近いどっしり腰を据えた大きな雲。 頑固で意地悪そうな雲が下界を睨みつけているようです。 風は北風今は強くはないけどこれから吹きまくるぞと、役者は揃っているようです。 それなのに私の心は温かい。朝から誕生日を祝うメールがもう何通も。 私が母の年齢に達したから。 母はとても元気で明るくて八十歳を過ぎても茶道に情熱をもって、お弟子さんも 大勢いました。 それがなんの前触れもなくあの日あっけなく逝ってしまいました。 年末年始を私たち夫婦、弟夫婦と温泉で楽しんできた一月六日。 眠るようにそ..

  • 雪がちらちら灰色の空

    何年振りかの実家で、穏やかで暖かいお正月を過ごして ご機嫌で我が家に帰りました。上げ膳据え膳、勧められるままに ご馳走を食べたせいか、体重も五年ぶりに200グラム増えて大満足でした。 今年初めての源氏講座にも行き皆さんにご挨拶したのは、つい先日だつたのに。 まあ今朝の寒さは年寄り泣かせ。予報雪も降ると聞いてもこの南国でと..気にも してなかったのに。 暖房がんがん、コタツにももぐり、それでもパソコンを打つ手が冷たい。 読む気も書く気も起らずたった一人て考えていると寂しくて涙が出そう。 笑っている写真の彼が恨めしい。 決めた。今日は私得意の「昔返り」。一日中暖かいところで心置きなくやってみましょう。

  • コロナに翻弄されても

    今年も後二日となりました。 コロナ禍で東京の子供たちも帰れず、私もコロナごろごろの東京へ行く気にも にもなれません。 悠々と空気の美しいこの街でお正月を迎えます。 たった一人のお正月は初めてだけど、心の中で寄り添っている彼と二人もいいかも。 そうは言いつつ内心は実家に行こうと考えていました。車で十分なのですぐ行けます。 先日それとなく打診した所義妹は、「あらお姉さん私は一緒にお正月を楽しくと考えている」 と言ってくれて、心底嬉しがっている私がいます。 皆さん一年間有難うございました。 くる年が素晴らしい年でありますように。 来年もよろしくお願いいたします。 元気で頑張りましょう。

  • 冬将軍 突然襲来

    風の音がいつもと違う。手が冷たい。 今朝目覚めた時そう感じた。ああ肩口も寒い。そう言えばラジオが今冬一番の寒波とか 言っていた気がする。 今日は生憎出かける予定がある。 のろのろと起きてみたら本当に寒い。昨日までの暖かさが嘘のようだ。 遠くの山があっという間に赤や黄色に紅葉して美しい。 お出かけはタクシーを奮発して飛んでいき、早々に帰ってきた。 当地でもコロナ禍は続いていて毎日県知事から報告がある。 温泉街や繁華街には行かないに限る。 突然の冬将軍襲来は、かえって良かったのかも。 この頃は誰言うともなく、夕方になると近くの大学の楠並木を歩く習慣が出来ていて、 時間になると団地の暇人たちが、三々五々やってくる。 昨日までは、楽しい笑い声が集まって四、五千歩歩くことなんか何でもなかった。 でも、この..

  • もの想う月11月も終わりです

    庭の紅葉が真っ赤に染まり、そしていつの間にかそこらあたりに散り敷いて、 静かに霜月が去っていきます。 もの想うことの多いひと月、青い空を見ては感激し浮かぶ雲をみると汽車に乗りたい。 私は少し若返って、出来る限り心のままに動きます。 汽車に乗って瀬戸の海とそこにうかぶ藍色の島々、赤や白の灯台に目を細めました。 夫の実家のある駅、初めて二人で歩いたお城のある町にも下りてみました。 半世紀の時を越えても、思い出は鮮やかによみがえってきます。 それで満足している私も、私に違いありません。 コロナに道をふさがれても、まだまだみな元気で笑顔を忘れないようにしています。 カルチャー教室もほとんど閉鎖になって、たった一つ一番好きなのが続いているので嬉しい。 そこまで来た師走とともに、少しでも明るい新年を迎えられますように祈ってい..

  • 秋明菊が咲いて十一月の青い空が

    遠く青い空の向こうに薄藍色の山の稜線がはっきりと見える。 毎朝同じ景色をみていても飽きない。 私の好きな十一月はそれでも悲しい想いの深まる月だ。 あの日から十三年の年月が流れ去り、私が一人で歩いて来た寂しい切ない道のり。 毎日夫の面影を追い続けた。 秋が来るたびに私が一人ではまってしまう時間。「昔返り」 自由に色々な想いが青い空をかけまわる。 そして一番懐かしく楽しい思い出の場所に座って目を閉じると、恥ずかしくなるくらい若い 二人の姿が浮かんでくる。 桜の花びらに包まれた日。堀の水にギラギラの太陽が輝いていた日。堀の岸の木々が赤く 燃えて水面が赤く染まっていた日。堀を渡って来る風が冷たくて思わず寄り添っていた日。 もう半世紀以上も前のことになってしまったのに私の中では鮮やかに生きている。 今私の傍に夫がいたらどんなに嬉しいだろう。 もう何..

  • 一筋の道

    梅雨の晴れ間の落ち着いた陽の光が足元にあり志津は歩を緩めた。 郊外電車を降りてどの位歩いたのだろう。 すぐ目の下に鈍い水色のゆったりした海が見える。歩いている県道の右側は丘で幾種類もの 灌木が茂っている。 時々通る車ものんびりと走っていて志津はこの田舎加減が気にいっている。 二十分に一回位来る三両編成の朱い郊外電車も、ここから見下ろすと、結構下の方を走っているのが 分かる。 志津は少し笑って「はいやって来ましたよ。祐さんの好きな散歩道」この胸にいる人に話しかける。 ずっと昔、初めて二人で歩いた道。 海は今よりもっと大きくて広々とゆったりしていた。あの日、祐に誘われるまま 志津はなんとなくついて来た。 四月短大を出て志津が入った銀行で、新入女子行員の指導係の助手のようなニ、三人の 先輩の中に祐がいた。 希望に目を輝かせ、新しい..

  • 春子さんの茶の間その16

    春子さんの茶の間の窓ガラスを伝って下りる雨粒がやたら大きい。 今日で三日降りつづく雨。豪雨被害のニュースがひっきりなしに流れている。 未明には避難勧告も出た。 全市内に出た。携帯が効いたことのない信号音で鳴り、ラジオがレベル4の避難勧告。 避難するってどこへ。ここは川もないし崩れてくる山も崖もない。 夜が明けて近所の人が一人二人と出てきた。 「びっくりしたねえ、でもどう考えてもここが一番安全な気がして笑えて来た」 意見が一致してまた笑った。 市や県の当局者はきっと一番安全な避難を考えてくれるのだろう。でも細かいことまでは 指示できるはずもないから最大公約数で仕切る。 やっぱり市民一人一人が自分で責任を持つべき事柄だと少し落ちついたら、すぐ納得できるのだ。 すっかり雨が上がって薄日さえ見えて来た窓を見ながら、春子さんいい勉強したと..

  • コロナと大雨どちらも嫌いです

    コロナウイルスというものが朝から晩まで目から耳から入り込んできます。 大都会ではこれと隣り合わせの生活を余儀なくされているのだから、それも仕方ないです。 当地は日本の地図で言えば左の下の方にチョンと、静かにしております。 その上、県知事さんが毎朝コロナに関する会見して下さるので様子もよく分かります。 「東京への仕事や遊びで出かけないで。私も出張を取りやめました」 だから、ここのところしばらく感染者もいません。 「東京から帰省したら二週間は自宅にいて下さい」と。 これでは里帰りもままなりません。 少し落ち着いたところで、今度は豪雨です。 今朝八時に携帯がけたたましく鳴って「緊急速報エリアメ--ル」というのが来ました。 初めてのことです。市内全域に土砂災害警戒区域の警戒レベル4で避難勧告がでました。 確かに昨日から雨は降り続いて、今朝..

  • 梅雨の晴れ間

    梅雨入り宣言から一週間一粒の雨もふりません。 やっと明日辺りから雨模様のようで、今日が最後のお日様とニュースが朝からノラの私に 何かしなさい。早くしなさい。とけしかけています。 自分の中でやるべきことは決めているのだからうるさいなあとしかめっ面。 この頃になって「明日の体調なんて起きてみないと分からない」と言っていた友の気持が 分かるようになりました。 十時にはお布団をほしました。今日は体調よさそうと思いながら一休みしていると、 「ピンポーン」とチャイムがなりました。 えっ誰か来た嬉しいなあと、出てみると宅急便でした。 コロナのせいで誰も来る人なんかいないと分かっていながらつい、飛んで出てしまう。 大阪の弟から、なんだろうと開けてみると美味しそうなデザート。にんまりしてしまう。 二つのフルーツを二層に重ねてたっぷりのゼリー。可愛..

  • 梅雨の晴れ間

    梅雨入り宣言から一週間一粒の雨もふりません。 やっと明日辺りから雨模様のようで、今日が最後のお日様とニュースが朝からノラの私に 何かしなさい。早くしなさい。とけしかけています。 自分の中でやるべきことは決めているのだからうるさいなあとしかめっ面。 この頃になって「明日の体調なんて起きてみないと分からない」と言っていた友の気持が 分かるようになりました。 十時にはお布団をほしました。今日は体調よさそうと思いながら一休みしていると、 「ピンポーン」とチャイムがなりました。 えっ誰か来た嬉しいなあと、出てみると宅急便でした。 コロナのせいで誰も来る人なんかいないと分かっていながらつい、飛んで出てしまう。 大阪の弟から、なんだろうと開けてみると美味しそうなデザート。にんまりしてしまう。 二つのフルーツを二層に重ねてたっぷりのゼリー。可愛..

  • 9歳になったさくらんぼ日記

    今日は青い空に所々白い雲が浮かんで澄ます。 このところ雲一つない青空が続いていました。 家にこもってなんとなく過ごしている日々も、もう随分続いています。 今朝何気なく庭の木を見ているとさくらんぼの木が目に留まりました。 「あれっ思えば今年さくらんぼの花を見なかったきがする」よく見ると枝の先の方が 枯れているように見えました。 枯れています。この木ももう六十年もこの庭にいるのですから。 つくづく自分の来し方を思わずにはいられません。胸が痛くなるような切ない気持です。 私の「さくらんぼ日記」みたいだと思いました。 もう九歳にもなってよろよろと、思い出したように綴るブログ。 娘に勧められ始めた頃の、あの意気込みも楽しさも元気もありません。 かと言って止めるのも残念な気がするのです。 毎日楽しみにしているお気に..

  • 夏も近づく若葉の美しい季節なのに

    美しい季節とはうらはらに、鬱陶しく重苦しい毎日が続いています。 籠っている家を一歩出ると若葉の香りがどこからともなく漂ってくるのに。 楽しみに通っていたカルチャー教室ももすべて休講。 友人たちとの電話でのお喋りも種切れ。朝晩一人で行く散歩も寂しい。 心身ともにしっかりしません。 コロナウイルスがなくなるのはいつの日か。 たまに顔を会わせるご近所さんとも長話は禁物。寂しいですね。 太陽の光が降り注ぎ、青い海に沿ってをごとごと走る電車に乗って終点まで行けるのは いつになるのでしょうか。 その日まで元気をだして笑って待ちましょう。

  • 公園の桜が満開になりました

    澄み渡る春の空を、満開の桜の花の下に入り込んで覗くのが好きです。 コロナウイルスのために鬱陶しい毎日が続いています。 毎朝知事さんが当地のコロナ感染者の様子を報告して下さって、感染者やその関係者の ことも発表されるので、不安もそんなに切実ではありません。 それなのにマスクも消毒液も、トイレットペーパーさえ売り切れて、そこそこ買いだめを している人もいるようです。 私が通っているいくつかのカルチャー教室もすべて休講の通知が来ました。 行けるところは病院だけと言う人もいますが、残念?と言うべきか私病院にも縁なし。 で近所の年の離れた仲良しと二人で近くの公園へ桜見物に出かけました。 歩いて十分余り昔から市内の桜の名所のひとつで有名なお寺のある小高い山です。 昔は我が家の縁側からその桜が見えて、満開になったら見物に行ったものです。 と..

  • 一期一会 早春の別れ

    雲一つない空のあたりに早春の冷気を漂わせて風が吹きわたっている。 体調も良く快適に朝の家事諸々を終えて新聞を読む。 コロナの文字があちこちにあって目障りなこと。気持まで落ち込みそう。 そして何気なく見ていた「お悔み」欄で見つけてしまった。 一瞬息が詰まった。胸がどきどきした。 もう一回目を見開いて亡くなった人の名前を確認する。 丁度一か月前の雨の土曜日、私は一か月に一回ある文学セミナーの会場に行った。 一月は欠席したので今年になって初めてだ。 いつもの部屋に人の気配がなく準備されている様子もない。どうしようと思っている所へ 彼女が来たので二人で事務室に行き休講を知った。 玄関で降りしきる雨を見ていると彼女が声をかけてくれた。 私は二十年近く通っていたけど彼女は初めてだと言う。 お互いに自己紹介してこの人が陽子さんと知った。 ..

  • 春風でコロナを吹き飛ばせ

    わんぱく坊やが二人小さい川の岸辺で、大声で何か叫んでいます。 そろそろと近づいて柿の木の陰から耳を澄ましました。 風吹け風吹けもっと吹け 台風くらい吹いてみろ コロナをあっちに吹き飛ばせ 山の向うへ吹き飛ばせ 思わず笑いながらつい拍手をしてしまいました。 こんな坊やでもコロナのことは分かっているのです。学校もお休み行く所もない。 大人たちはお仕事に行って、お昼ご飯もお姉ちゃんとふたりでママの作ったお弁当。 近くのお友だちと歌うしかないのです。 でも彼らの顔は穏やかな春の日差しにほの赤く染まって元気いっぱいです。 こんな私も楽しみにしているすべての会の主催者から中止、休止の連絡がきました。 コロナの今後については大学の先生も、テレビのコメンテイターも歯切れの悪いこと。 桜の開花のニュースが少し元気付けてくれるけれど、..

  • 鈴のふるさと 学生時代 2

    鈴が転校した中学校はお城の北、城北地区にあり文京地区で国立大学と私立大学が 隣接し、鈴が入学した高校もその隣にあった。 そのころには鈴一家も、あの小さかった官舎から広い所に移り、しかも高校まで三分と近い。 鈴はこの中学校で生涯の親友となった二人の優しい友と、巡り会った。 花絵さんと静子さん、鈴。全く性格の違う三人がどうしてこんなに仲良くなったのだろう。 名前の通り美しくて賢い花絵さん。 優しくておしゃれ、スタイル抜群の静子さん。 「ありのまま」がモットーで自分の考えはとことん通す意地っ張りの鈴。 何故か気があって意気投合した十五歳の三人だった。 そして一年後揃って高校に進学した。 高校の三年間三人は一度も同じクラスにならず、唯一体育の時間だけが一緒で顔を会わす程度。 ただ家が近かったこともあり、よく集まってお喋りしたり、映画に行ったり..

  • 春子さんの茶の間 その13

    窓ガラス越しの陽の光はもう春爛漫の感じ。 庭の椿も一度に咲いた。 真紅で大きめ女王様のようなのも、ちまちまと小さい藪椿も、しっとりとうつ向いている白い椿も。 寒がりの春子さんには嬉しいけれど、こう一足飛びに春がきたのでは風情がない。 春子さんには家事の外にやることは沢山あって、一日中退屈をすることはないけれど、 それと寂しいのとは別物だということに、ずっと前から気が付いてはいた。 近頃特に感じる。親しい友もみな老いて「出かけよう」と誘っても「明日になってみないと」と 起きてみないと体調が分からないなどと、情けないことを言う。 友がおかしいのではない。春子さんが元気過ぎるのだ。 昔から元気だった。両親に感謝しなさいよとよく言われた。 出かけると言ってもデパートをぶらついて食事してコーヒー飲んでお喋りするくらいのこと。 まあデパートでも今と..

  • 穏やかな春の始まり

    暖冬の令和二年。悩まされ続けた風邪もやっと出て行きました。 穏やかなお正月、節分、立春、思うに毎年散歩をしながら口づさむ「早春賦」今年は 歌っておりません。 春は名のみの風の寒さよ..... 我が家の近くに大学のグランドがありそれを囲むように樹齢50年にも及ぶ楠木が並んでいます。 私たちが希望に胸膨らませて新居をここに建てたのもそのころでした。 まだ若木だった楠木の上に沈む夕日が本当に真っ赤で、二人でよく眺めたものでした。 子供たちが巣立ち二人になっても、転勤や二人の仕事の都合で、さてこの家に二人で いたのは何年位かしら。 又一人になってしまった私はもう十四年近くここに一人でいます。 嬉しいことに近所の人たちも好い人ばかりで、みなさん優しくして下さいます。 私いつも娘に言っては笑われるのです。 「退屈はしないけど、それと..

  • 令和 鬼の霍乱

    一月も終わろうと言うのに残念ながら、未だにひょろひょろしている自分が情けない。 やっと一か月も滞在した東京から帰ってきて、我が家が最高と、いつもの私なら。 ところが東京で遊び過ぎた過労が原因と思われる風邪に捕まってしまいました。 微熱 咳 腰痛一緒にきて声も涸れて、考えてみると五年振りくらいの病気です。 元気なだけが取り柄なのにと自信喪失です。 それでも今日は少し元気が出て、ようし!!と声に出してみました。 庭には水仙が清々しい白い花を、その葉っぱの緑の凛々しさ。 いつもの垣根のしたには夫の寒あやめ紫は彼の好きな色、思い出もいっぱいあります。 咲き残った椿の赤も所々に。 やっぱり我が家が一番。 でも今年は特に年齢のこと考えました。年なんて関係ないが私の持論でしたが大間違い。 元気だからこそそんなこと言っていられるのです。 風邪をひいても、足を捻..

  • 追憶

    雨は小降りになり「もうすぐ日差しが注ぐでしょう」とにこやかに気象予報士の女性。 傘をさしゆっくりと横断歩道を歩いて行く息子の姿が、いつしか遠い日の夫の姿に重なる。 行ってらっしゃい行ってらっしやい今日もまた 貴方の笑顔青い空 あの角曲がればもう見えぬ 後はお帰りを待つばかり 懐かしい歌が蘇ってきて少し胸が切ない。 新しい街で新生活を始めた二人に知り合いとてなく、この歌の歌詞がすとんと心の底に。 しばらく専業主婦だった私は、一人家にいるのが苦痛で、失業保険を取りに行く度に 早く就職しなさいと急かす職員に何度も言った。 「失業保険より給料が多い所があれば明日からでも出勤します。」 ほどなく「まあいいか」程度の仕事についた。 離れて過ごした三年余の交際の後の結婚は私にとって、「さよなら」を言わなくてもいいと 本当に嬉しく..

  • 十二階から見えるもの

    今日も一月中旬とは思えぬ暖かさ。十四度もあるという。 八時前に息子を送ったとき、富士山が余りにも神々しくて見とれてしまい 寒さは感じなかった。 九時ころ洗濯を干した時は、かなり風が吹いていたが、飛ばないようにするにはと 考えていたので、寒いとは思わなかった。 そのあとはずっと部屋の中、エアコンなしでコタツに入っている。 雲一つない真っ青の空を時々北に向かって飛行機が飛ぶ。ほほう自分もあんなに高い所を 飛んで来たかと、不思議な気がする。 マンションの真ん前を環七が走っているのに窓を閉め切ると騒音は気にならない。 時々走るパトカーや救急車のサイレンや、午後五時「お家へ帰りましょう」と子供たちに 呼びかける声はとてもよく聞こえて、何だか下町の匂いが嬉しい。 東のベランダから見ているとひっきりなしに常磐線の電車が行き来する。 早朝から深..

  • 明けましておめでとうございます

    遅ればせのご挨拶。 気がつけば長い年末年始のお休みも今日でおわりです。 東京滞在予定も半分終わりました。 あまり出かけることもなかった前半ですが、明日からは予定が詰まっています。 親友のいない東京は切なくて上京初日の空港でほろり。 最後のお別れをした駅に着いた時には流れる涙を隠すこともなく、立ちつくしていました。 早一年過ぎたなんて、本当に寂しい限りです。 毎年二人でお参りした浅草寺にもなかなか足が向きません。 でもお墓参りの約束だけは彼女そっくりの、優しい娘さんと早くにしてあります。 さて旧友と会う約束が二件、横浜の弟宅を泊りがけで訪ねる予定。 新国立競技場もちよっと眺めたいし。東京のあちこちも足には自信があるので頑張ります。 オリンピックもマラソンなら見られると楽しみにしていたのに、札幌では残念。 それに十日は目出..

  • 上京して四日 令和も暮れていきます

    どこまでも澄み切った透き通るように青い空。 遥かに真っ白に輝く富士山がみえます。 四日前、いつものように快適な空の旅、環七の渋滞もなくリムジンバスは定刻息子のマンションのある駅に到着しました。 思いもかけず娘がベンチに座っていて私を迎えてくれました。仕事のはずなのに五か月振りの 対面なので休みとつたのかなあ。少し嬉しがっている私がいます。 それから二人で掃除やら買い物やら、彼女は私に似ずあまり喋らないので私一人がお喋り。 夜には仕事から帰って来た息子と、楽しい賑やかな嬉しい一日目でした。 それからは老骨に鞭を打ちつつ私の独壇場。「年の割には元気だなあ」と自画自賛しつつ 働き続けて最後には倒れるのではと心配になるくらい家事全般をこなしました。 夜お湯たっぷりのお風呂の後息子の数分のマッサージが本当に気持ちよかったのです。 今日も午前中にと..

  • 鈴のふるさと 学生時代 1

    街に来てすぐ転校する中学校へ行った。何故か父と一緒に行くのが恥ずかしくて困った。 村の学校はニクラスだったのにここは五クラスあると聞いただけで足がすくんだ。 そうでなくても田舎から来て勉強も随分遅れているのではと、鈴は足が重かった。 校長室には年配の女の堀本先生がいらして、 「この学校で一番厳しい先生です」と校長先生に紹介されて鈴はますます小さく縮こまった。 でも鈴を見る先生の目は優しくて、鈴も思わずにっこり笑ってしまった。 教室には男女五十余人の同級生が待ち構えていて、興味深々。この頃には鈴も朦朧としていて 何が何だか分からぬうちに、教壇の上に立たされて先生が紹介して下さった後一言いいなさいと。 震えながら「よろしくお願いします」と小さい声で言った。 すぐに授業が始まり、待っていた英語の先生がペラペラといったら窓際の生徒がさっと立って 窓を開けたので..

  • 鈴のふるさと 学生時代

    鈴は父の転勤のため故郷の村を出て大きな街にやって来た。 五時間も汽車に揺られてトンネルをいくつもくぐり、紅葉した山の木々いつまでも続く青い海。 鈴はこの旅を退屈することなく希望と好奇心でいっぱいだった。 母に時々睨まれるほど弟妹とはしゃいでいた。 父から住む家が小さいことだけは何度も聞かされていた。 大きな街は戦争でやられ焼け野が原になったのだと聞かされていた。 汽車を下りて駅前の広場に立った時、鈴は言葉が出なかった。 弟が痛いと言うほどその手を握りしめていた。 高い建物はひとつもなく、た焼け野が原の街に電車の線路が真っすぐに延びていた。 やって来た電車で官舎のある所まで十五分くらい。 「お父ちゃん小さい家はこの電車くらいの大きさ?」小さい声できく鈴に父は頷いた。 これから鈴たち家族七人が住む家に着いた。 「大きいじゃな..

  • 初冬の庭で

    短い秋を楽しむ間も無いままに冬の声を聞いた。 立春と聞けば心も弾むのに、一文字違うだけで立冬は何となく寂しく侘しい心地がする。 先日剪定をして頂いた。 この職人さんに剪定をお願いするようになってもう十一年。 知人の紹介で初めて来られた日、庭を丁寧に見てから私に言った言葉が忘れられない。 「この庭を見ていると、作った人の気持ちがとてもよく分かります。愛情がいっぱいですから」 四十代と思われる彼の顔を思わず見直してしまった私。本当に嬉しかった。この人なら 夫が自分で作りたかった庭を引き継いで大切にしてくれるような気がして安心した。 朝の八時半から五時半まで黙々と作業をされるので、お茶を差し上げる時だけ話をする。 椿、梅 さくらんぼ ウバメガシ 利休梅 百日紅 山茶花 つつじ 紫陽花 木蓮 そして松 小さい庭に、まあいっぱい。 この上牡丹を..

  • 春子さんの茶の間 その13

    金木犀の香りが漂ひ、やっと秋らしい気配がしてきました。 余りの暑さに精神的にも疲れ果てて外出もしなかった春子さん。 今日は久し振りのカルチャー教室にでかけました。 珍しく小雨で新調したばかりの折り畳みの雨傘もさしてみました。 若草色の濃淡の雲形模様が意外に素敵で、今更のように勧めて下さったデパートの 店員さんにちよっと感謝する気になってみたり、春子さんの気持ちも上向きがち。 NHkカルチャー教室は市の中心部にあり終わってからの方が楽しみな面も。(苦笑) 春子さんは教室などで友だちになるタイプではないので、ご挨拶だけで終わるから みなさんの名前や顔さえ覚えていません。終わればさっさと帰るのです。 でも今日の教室(史記を読む)では生徒がたった四人、女性は二人だけだったので 二年前初日に彼女が声をかけてくれました。 kさん。年..

  • 秋が来た! と思われるのに

    暑い暑いと呪文のように唱えていた九月も今日で終わり。 期待していたように、このところ風は確かに涼やかで、空は惚れ惚れするほど真っ青。 時には白くちぎれた鰯雲、ついにんまりしてしまうのです。 庭の秋明菊もその気高い白い花を開いたし、稲穂も畔に咲く彼岸花も赤く力強く燃えています。 それなのに今日はまたまた三十度超え。エアコン出動です。 明日からは予定が目白押し。出かける用事もあるのに予報は雨と曇り、そして気温は三十度。 一週間ほど前には夜が来ると虫の声が美しくて、嬉しがっていたのに。 のにのにと、のにバアサンの恨み言が続きます。 それでも少し日差しが陰ると途端に秋の気配が漂うから不思議です。 秋祭りもすぐで子供たちの元気なお神輿が回ってくる頃には少し涼しくなるでしょうか。 今日は近所の方がよかったら行きませんか。とスーパー..

  • 春子さんの茶の間 その12

    連日の猛暑にげんなりの春子さん。 二週間前に涼しい風が渡り、小学校の四本のポプラの木が秋色の青い空に突き刺さったように 緑の葉っぱと溶け合っていた。 ああ秋が来た。春子さんは心の底から嬉しかった。 それほど今年の夏の暑さは尋常ではなかったのだ。 爽やかな毎日が一週間続いて、もう夏服はいらないなあ。 ところがまた暑さが戻ってきて連日の32度が留まらない。一度涼しくなった分余計きつい。 午後からはエアコンの中にどっぷり、何をするでもなく得意のノラを決め込んでごろごろ。 日が傾きかけて少し涼しくなったので外に出ると、隣の家のご主人が立っていた。 「こんにちわ。一人だから気になるんですよ。変わりないですか」にこにこと声をかけてくれた。 やれやれ同い年なのに年寄り扱いしないでと思いつつ 「はい有難うございます。元気ですよ。まあ血..

  • 寂しん坊のある日

    今日も朝から蝉の声がやかましい上に、お日様ぎらぎら。 うんざりと窓の外を眺めつつ房江は今日こそ病院に行こうと思っていた。 どこと言って悪いところもないのに、全身倦怠感とふわふわ感で心もとない気持ち。 じっと考えてみるのに、これはもしかして鬱ではなかろうか。 後期高齢者で一人暮らしももう長い。 自分のことだけ考えていたらいいのだし、友達もいるし趣味もあるし、退屈をすることもない。 他人様からみれば気楽なばあさんなのだ。 ただ、退屈しないことと寂しいことは全く別物だと房江はこの頃やっと気がついた。 近所の少し年上の初枝さんの姿が見えないなあと思っていたら、昨日見かけたので 「初枝さんどこかへおでかけでしたか」 と聞くとくっくっと笑って 「私入院してたのよ。そこの脳神経外科へ」 「えっ脳神経外科?」 「昨年倒れて入院してから、しんどくな..

  • 奥様とばあや

    いつもより少し早く朝の家事が終わった。 空は真っ青で太陽はギラギラ今日も真夏日だ。 一人住まいの私の一日は毎日同じで全く面白くもない。 ふと街にでも行ってみようかと友の顔を思い描いてみたが、みんな浮かぬ顔をしている。 この頃では用事もないのに出かけることなど考えたこともなかったのに。 神の啓示だ。出かけよう。 でも暑そう、別に用事もないし。もう一人の私がぐどぐどと足を引っ張る。 バス停までの三分が暑いだけよ。バスは涼しいしデパートはもっと涼しいと私。 その時閃いた。そうだタクシーにしょう。 悲しい悲しい主婦の性、バスは260円タクシー1500円。でも今日は決めた。 そうなると気持ちが華やいでいつもより少しはお洒落してみようとフアッションショー。 好きな黒のプリーツスカートに薄紫の小花柄のインナーにベージュのレースの軽い上着。 ..

  • 春子さんの茶の間 その11

    今日も猛暑だと、とテレビ画面にはずっと高温注意報がでている。 それでも午前中は日によって違う方角から涼しい風が吹き抜けているので、エアコンはいらない。 朝の家事を済ませると春子さんは新聞を持って茶の間に篭った。 庭のランタナの朱色の花と緑の葉っぱが風に揺れているのが、レースのカーテン越しに見えて ついにんまりの春子さん。 今春子さんには心配事がひとつある。 高校以来の友葉子さんのことだ。 春子さんの友はみなさん旦那様がお元気で「共白髪」を満喫していらっしゃる。 で、食事をしましょう、とか買い物に行きましょうと、容易には誘えない。チャンスだと 思っても「朝にならないと体調がわからないから」と言われると後の言葉が出ない。 そなん中でただ一人葉子さんは元気で車にも乗っているから、時々春子さんの茶の間に 寄ってくれてコーヒー飲んでお喋りが弾ん..

  • 突然の猛暑にがっくり そして danの繰り言

    過ごしやすい梅雨、暑くもなくムシムシもしない。 青田を渡る風は心地よくて梅雨入りはしたものの、元気いっぱい快適な毎日でした。 ところが大雨警報や雷注意報が毎日出るようになり、その割には当地は大したことなく 先日平年より大分遅れて梅雨明け宣言がありました。 七月も半ば過ぎなのだから暑いのは覚悟していました。 でも26、7度だった気温が連日33度超え。「ひぇー」ジジ、ババの悲鳴です。 午前十時を過ぎるとエアコン無しでは死んでしまいそうな暑さです。 家に篭り涼しい所で非生産的な怠け者の私はとろりんとしています。 いつもの夏とどこが違うのか、そう確かにひとつ年はとりました。でも別に悪いところが 増えたわけでもないのに。 やっぱり突然の大きな気温の変化に体がついて行けなかったのでしょう。 私はのらだけど、今日はこれをしょうと決めたら少々体調が悪くで..

  • 雨が降ります 寂しい雨です

    毎日が日曜日の私にとって三連休なんて関係ない。とひねくれて降り続く雨を眺めています。 出かける予定がない日の雨は好きです。しとどに優しく降る雨はでも少し寂しい。 朝から予定の家事はさっさと片づけて、緑が一際美しい庭をぼんやりと見ていると 胸の底の奥の方がじんわりと痛くなって、心の中の涙を一粒そろりと吐き出してしまいます。 そして二階に駆け上がり馬鹿な私はやっぱり「宝物」を引っ張り出して一人でニヤリと うつ向いて笑います。 そう六十年も前の私と彼の青春がいっぱい溢れている往復書簡です。 彼が逝ってもうすぐ十二年にもなるのに、彼は私から片時も忘れない。 おはよう、お休み、暑いね、寒いね。私から一方的に話しかける毎日です。 まあ考えてみれば、そんなことだけ考えて過ごせる私は幸せなのかもしれません。 私の親しい友人は皆さん旦..

  • 心優しい人の家

    美千代は接骨院の石段が苦手だ。 たった三段だけど一段が結構高い。そしていつもここで少し忌々しい気持ちになる。 だってここに来る人は足や腰が悪い人が多いのではないか。と少し先生が恨めしい。 美千代が膝を痛めて困っていた時、知人が好い先生だと紹介してくれたが、六十そこそこで 接骨院というと「年寄り」の行くところだと少し抵抗があった。 それでも膝の痛さに負けて渋々やって来た。 五十歳代の先生は腕が良いだけでなく、なかなかイケメンで優しくて話もよく聞いてくれるのに 無駄口をきいたり、他の患者の噂話などはしない。 美千代はすっかり先生のファンなって膝が治ってからもご縁は続いている。 あの頃は石段なんて気にもならなかった。 あれからもう五年、美千代もりっぱな高齢者。この頃では腰も肩も時には体中が痛い。 そして石段が苦手になった。 それでも今の..

  • 朱色の路面電車に揺られて

    梅雨入りせぬまま夏至を迎えた。 紫陽花の紫が緑の葉の間からちらりと見えて、それでまた気持ちが和む。 暑くも寒くもなく風は心地よくこんなに爽やかな六月を私は知らない。 だから体調はまあまあでも、予定の講座には絶対に出かける。 バイクを止めたので今まで十四、五分で行けたところへ今はバスと電車を乗り継いで 一時間もかかる。 せっかちの私にとってこんなに悲しく悔しいことはない。都会と違って一電車遅れると十分は 待たなければいけない。 そこで私は気持ちの切り替えをした。のんびりとその時間を楽しむことにした。 見渡せば高層マンションが次々に出来ている。どんな人が住むのだろう。一時私も憧れた。 あれホテルの名前が又変わっている。新しいコンビニが出来ている。 電停のベンチだって楽しいではないか。私の中の野次馬百匹。 今日は予定も無いのでぶらり出かけ..

  • 春子さんの茶の間 その10

    梅雨入りした地方のニュースを見ながら、雨の気配もない空を見上げる。 二十数年前の地獄のような水不足を思い出して春子さんはゾクゾクっと身震いした。 退職したばかりだった春子さんを心配して全国の仕事仲間から、沢山の水を送って頂いた。 今年もちらほら節水のお願いが行政機関から聞こえてくる。 今のところこの茶の間から見える庭の木々は元気で、春子さんは散水もしていない。 まあそのうち降るでしょう。と一人住いの気楽さでボーと座っているとメールが来た。 まあ珍しい息子からだ。余程のことがない限り彼の方から連絡があることなどないので、まず 心臓がバクバク。 「私旅に出ています。」たったこれだけ。 確か今日はまだ金曜日休みでもないのにどうして? 何処へ? 何しに? 春子さんの頭の中で? がぐるぐる回る。 もともと彼は旅行好きで、ぽっと出かけることも珍しいこ..

  • 黄昏に佇む

    朝の家事が終わらぬうちに英子から電話が来た。 「何?また旦那様がお出かけしたの」 「なんでわかるの?」 「貴女は一人になるとすぐに私に電話かけて来るのだもの」 他愛のない会話がはじまる。英子と私は青春時代を共に同じ職場で働いて同期の桜なのだ。 元気な旦那様、キャリアウーマンの未婚の娘さんと優雅に暮らしている。 近くには長男一家が住んでいて、幸せを絵にかいたような日常だ。 「ねえ一度会いたいからお宅に行ってもいい?」 「大歓迎よ。今週は予定も無いからいつでもどうぞ」 旦那様は彼女を我が家に送ってくると自由にどこかへ行って、夕方迎えにきてくれる。 「コーヒーでもどうぞ」と進めて少しの時間を一緒に話すこともある。 私たちには積もる話はいくらでもある。 ただこの頃英子は耳が遠くなり、物忘れも年相応でたまにとんちんかんなのが少し寂しい。 早速..

  • 春子さんの茶の間 その9

    春子さんが花絵さんと住田君のことを話し合ってから随分時間が経った。 あれは十六夜の月が美しい秋の夜、もう半年も前のことだったのかと、大切なことを 放り出したままにしておいた自分に呆れてしまった春子さん。 この間少し体調を崩してそれを花絵さんに知られたくなくて、つい長いご無沙汰になった。 住田夫人に不信を抱いたまま花絵さんの方からも、このことについては何の話もなかった。 そうして春子さんも大分元気になり、気持ちの整理もできたので、やっと花絵さんとじっくり 話せると思っていた矢先に突然花絵さんの訃報が届いた。 春子さんは愕然として悲しみのどん底に沈んだまま、浮き上がることが出来ずにいた。 冷たい雨が降りしきる夜に、花絵さんは心不全で一人で逝ったのだという。 だんだん事情が分かってきてもどうして?何故?あの元気だった花絵さんが。と彼女の死を 受け入れ..

  • さくらんぼ日記八歳です

    令和になってもたもたしているdanをあざ笑うかのようにはや半月。 今朝がた夢をみました。なんだかやたら長い夢で夫を始め大勢の登場人物ががやがやと 海だか山だかで、楽しそうにバーべーキューなんかしています。 少し離れた木陰でパソコンを膝に四苦八苦しているdanがいます。 ああこの夢はすぐ記録しておかないと忘れてしまうからと枕元のメモ帳を探しているところで 目が覚めました。 そして考えました。夢の中でも折角出て来た夫と話もせずにパソコンに向かっている私。 ブログ始めた頃は何も知らないから怖いものなし。 だらだらと面白いように何でも書いていた。そしてそれを負担に思ったことなどなかったのに。 そのうち種切れ、才能なしに気がついてあたふた。ブログのこともだんだんわかって来て少し 怖くなったのも事実です。 でも書くことが嫌いではなかったし、素敵..

  • 予定通りの二週間

    平成から令和へ。 計画通りの二週間を終えて我が家に帰りました。 子供世代と行動を共にしたら、さすがに疲労困憊。 今日はごろ寝を決め込んでいます。 平成最後の日は娘と銀座の空気を胸いっぱい吸い込んで深呼吸。いい時代でしたと。 令和の幕開けは皇居前広場をゆっくり歩いて二重橋まで。新天皇、皇后さまに最敬礼。 午後からは、一別以来の親友に逢いに娘さんの案内でお墓参りに行きました。 お花をあげてお線香をたいて手を合わせると涙が溢れました。 美しくて賢くて元気な、私の自慢の彼女がすっきりとした立ち姿で目の前にいました。 子供たちとの温泉行は甲府湯村温泉。新宿からスーパーあずさ号で二時間の快適な旅。 六十余年前、夫が出張で行って「とてもよかった新婚旅行ならよかったのに」と絵葉書をくれた のを思い出して昇仙峡へも足を延ばしました。 甲府駅からタクシーで滝上まで、..

  • 平成最後の一日

    平成最後の日、この記念すべき日に東京に居るのです。どこかへに行こう。 皇居に近いところは人でいっぱいでしょう。ずっと一人で考えていました。 私にとっての平成を思い返してみました。 もしかして人生で一番のんびりしていた頃だと思います。 昭和に生まれて大人になり「この人でなれければ」と思う人と結婚して、二人の子供を育て 大学入学と同時に二人とも十八歳で家を出て行きました。 私たちは子供の思うように彼らの人生を生きてもらいたいと、いつも話していたので 別に寂しいとも思わなかったし、卒業したら帰れとも言いませんでした。 それでも長男は就職を決める時「帰らなくてもいいのか」と言ってくれました。 友人たちが家の都合で実家に帰るのを目の当たりにしたからでしょうか。 で、そのまま二人とも東京に居ついてしまいました。 私たち夫婦は二人して大好きな自分たち..

  • 飛んで東京

    爽やかな風とまぶしい陽の光。 やっと相応の季節の中に落ち着いた日々が過ぎて行きます。 ゴールデンウイークを東京で! 例年のことなのに今年は一つの感慨があります。 だって、私平成に発って帰ってくるのは元号が改まって令和なのですから。 ちょっと自慢に思う自分がいて、いつもより少し浮き浮きしています。 一人で過ごす長い休みが切なくて、ゴールデンウィークと年末年始は半ば習慣のように 子供たちと過ごすため上京するようになって、早十二年になります。 ご近所の皆さんからも、もうそろそろ行くのではと声をかけて下さったり羨ましがられたり。 でも人様が思うほど楽しみなわけでもなく、へそ曲がりの私は素直ではありませんでした。 でも行ってみると結構楽しくて、年を経るほど前よりは嬉しがってる私がいます。 ただ今年は「いつ来るの。待っているからね。」と言い続けてくれて彼女がもう..

  • 故郷の桜の花に包まれて

    朝から晴れ渡った青い空、浮き浮きと足も軽やかに駅に向かう。 私の生まれ故郷の街に近い駅まで特急で約二時間、のんびりゆるゆる走る。 早い春が来たのにそこで足踏みし続けて、桜もさっとは咲かない。 毎日一人で座っていると春とはうらはらに、何だか寂しくて病がちの友の消息など聞くと 余計に気分が滅入る。 そんな時ふと古い写真を見つけた。 おかっぱの髪に赤い鹿の子の布の入った髷をつけ、赤い着物を片袖脱いで下から空色の 襦袢の袖が見える。 それぞれのポーズでにっこり笑った七人の少女たち。 一人一人の顔を指さし名前を声に出して言いながら、懐かしくて私は涙が出そうになった。 これは小学校五年生の時の学芸会の劇中「紅葉おどり」の写真だ。 それぞれの役はこなしつつ、この踊りは別にしっかり練習をした。 学芸会が終わった翌日 隣町の写真館で摂ったもの。一里の道をどのよ..

  • 桜に雪 新元号の春が来た

    暖冬だ、今年は暖かいと喜んでいました。 本当に朝起きるとき寒くて辛いと思ったことはありませんでした。 特に二月と三月は体調も良くて、毎日好きなことのし放題。 お出かけはなく、訪ねてくれた友と我が家でゆっくりとコーヒータイム、それなりに好い日を 送ることが出来たました。 ところが春分の日が過ぎて「暑さ寒さも彼岸まで」などとお花見の相談やら、たまには美術館で 覗いてみましょうと、予定を立てたころから寒い日が戻って来ました。 開花宣言したまま桜の花が咲きません。楽しみにしていたお花見も花がなくては話にならない。 しまったセーターやコートまたで出してきたり。 今年は庭のさくらんぼも、梅も白山吹、アイリスまでが随分早く花が咲きました。 そしてずっと遅れて紫木蓮、蘇芳、利休梅が今やっと咲いています。 足踏みした春にいら立っているうちに四月が来まし..

  • 逢いたい人たちに

    濃い紅色と、白とピンクのツートンカラーの花が満開になった我が家の椿。 連日の雨にポロリポロリと散っていきます。 そしてこの花たちも私の逢いたい人たちのいるあちらへ行くのでしょう。 あちらではお彼岸には皆で集まって色々な話に花が咲くのでしょうか。 懐かしい顔が次々と浮かんできます。 私は長女なので弟たちは健在、遠くに住む私に月に一回くらいは「元気か」と声をかけてくれます。跡継ぎの弟は近くにいて何かと気を配ってくれるのが、何よりの私の心のよりどころです。 夫の兄姉たちはすでにあちらへ。残るは末っ子の妹一人となりました。 ただ夫以外はみんな85歳を過ぎていたし、父は94歳母は106歳みなさん長寿を全うしたと私は 思っています。 それに比べれば私の両親は早めに、特に父は59歳その悔しさは半世紀経た今も私の脳裏から 消えていません。私お父さんっ子でし..

  • 自分らしく思う通りに

    今日も朝から気持ちの良い青空です。 ついに春が来た! と声に出して言ってみてにっこり。 風は時折冷たいし、冬に戻りそうに寒い朝はリビングの温度計を日当たりのいいところへ。 私は天気予報を見るのが好きで、だいたい一週間分は覚えておきたいのです。 これは私の行動の原点といっても過言ではありません。 このところ体調もよくて、どうしたことか「のら」の私はどこかへ消えてよく動いています。 先日は突然にキッチンの戸棚の整理を思いつきました。 欲張りの私が出来る限り壁面いっぱいに取りつけて、何でもかでもしまい込むのだろうと夫に 笑われたしろものです。 あるある、不用品はとっくに処分していたつもりだつたのに、箱に入ったままの大鉢や 輪島塗のお椀。備前の湯飲みセット。今更IHに対応しない鍋などなど、笑ってしましました。 気に入って買っても「よそいき」と言ってすぐに..

  • 後ろ向きの青春

    雨が小降りになるのを待って景子は家を出た。 駅への道は何となく気が重かったが、小一時間も電車に揺られている間に薄日がさし 窓の外に続く里山の霧が少しづつ消えると、あたり一面に咲く菜の花に春のやさしい光が 降り注いで景子の気持も少し軽くなったようだ。 目的の駅に着いた。 何年振りだろう。辺りの様子はすっかり変っていたが、景子の胸にはあの日の深い絶望感が 昨日のことのように蘇ってきた。 駅前の道をおぼろげな記憶をたどりつつ、ゆっくりと歩いた。 二十三歳の春、吾郎と二人で歩いた道、喜びと不安でいっぱいの景子に吾郎の大きな暖かい 手が嬉しかった。この時二人は結婚を決め彼の両親に会いに来たのだった。 吾郎はすでに両親の許しも得て、婚約者として景子を紹介するのだと。 この辺りの旧家だとは聞いていたが、立派な門構えの家の前に立った時その立派さに 今更な..

  • 嬉しい春の訪れ

    思ったよりずっと早く春が来た。 今朝見たらもうさくらんぼの花が五つ六つ開いている。それなのにえひめあやめもまだ次々に 優しい紫の花をつけている。 花たちをみて、つい笑顔になる自分の単純さに呆れつつ、それでも嬉しくて心が躍る。 代わり映えのしない毎日が過ぎて行く一人の生活。何かしているので退屈をすることはないが 楽しいとか嬉しいとかいう感情とはほど遠いところにいる私。 お茶を飲んでほっと一息ついても、思い浮かぶ友たちの顔は.... 老々介護、病院通い、そしていくつかの高齢者施設の一人の部屋。春になっても二つ返事で 付き合ってくれそうな人はいない。年を取るということは寂しいことだと今更のように思う。 それでも春めいた日差しに誘われていつもの散歩道を歩いていて立ち止まってしまった。 固まって生えている一面の枯芝の中に、淡い薄水色のいぬふぐりの花が、星が降..

  • 雨水 春へ一足づつ

    久し振りの雨。それも終日降り続くという。 別に出かける予定もないので、気持ちもゆったりして自由だ。(いつも自由ではありませんか) 庭の白梅が小さい花を開き始めた。お隣の白梅はもうとっくに咲いてとてもきれい。 種類が違うのだろう。我が家のはいかにも小ぶりで五つ六つなる梅の実も可愛らしい。 さくらんぼの花も少し膨らんで春を待っているようだ。水仙はまだまだしっかり咲いているし 嬉しいことに今年も早々とエヒメアヤメの紫が優しい。 夕方の一人歩きの時は道の端の草花たちと話をしながら一人笑い。 一日中口をきかない日の方が多いのだから、慣れたと言っても侘しい一人住いではある。 当市には独居老人で、福祉の恩恵に(例えば緊急時電話など)預かっていない人で希望すれば 週二回ヤクルトが頂ける。生存確認も兼ねていて「こんにちわ!お元気ですか」とヤクルトを 手渡して..

  • 春立つ日 ひとつのさようなら

    視界から銀色の車体が消えた。 思ってもみなかった感慨が体の中心からじわじわと全身に広がった。 立春と聞いてもまだまだこんなに寒いのに。と毎年思ってきた。 今年は違った。朝からうらうらと優しい日差しがいっぱい降りそそぎ風もない。 こんな日に愛用のバイクとお別れできるのは良かったと思う。 十三年間お世話になった。買い物にカルチャーに命日のお墓参り、毎日の乗らない日はなかった。 しかしここ二、三年は遠出は止めて近くの電停まで五分とかスーパーまで五分とか。 それに弟たちや子供たちに「バイクは止めろ」耳にたこが出来る程言われ続けたし、自分でも もう潮時だと思えた。 今年は免許更新の年だったので昨年秋に更新しない決心もした。 このバイクは私にとって三台代目、必要にせまられ免許をとって三十六年無事故無違反を 通していたのに、五年くらい前初めての道で..

  • 最後のメール「おやすみなさい またあしたね」 2

    この冬一番の冷たい朝、昨日はひと時雪も舞った。 窓から見える白い水仙の清らかな花にHさんの姿が重なる。 彼女からの最後のメールを貰ってから二日間どうしても連絡が取れず心配していた。 こんなことは初めてだったし浅草寺へ行く詳しい約束も出来ていなかったから。 一人暮らしだったけどすぐ近くに次女のAさんと大学生のお孫さんが住んでいて、 毎日のように行き来していることは知っていた。 でもHさんはリビングに横たわり一人で旅立ってしまった。 私は警察署からの電話で事実を知った。私からのメールで色々分かったのだと。 今思うと私はこの時落ち着いていたと思う。 胸は早鐘を打つような動悸で今にも破裂しそうだったし、携帯を持つ手は震えていた。 多分血圧は200は超えていただろう。 それでも私は取り乱してはいけなかった。 話を聞いている間Hさ..

  • 最後のメール「おやすみなさい またあしたね」 1

    私が唯一無二の親友Hさんから最後のメールを受け取って三週間が過ぎた。 その間自分が何をしてどうなったか、今でも夢の国をさまよっているような頼りなさで 毎日の生活を普通にしているのが不思議な気がする。 年末年始やゴールデンウイーク そして思いついたら子供たちのいる東京へ飛ぶ。 本音は十五歳からの友であるHさんに逢える、待っていてくれるそれが何よりの楽しみ だったからだ。 そして今回も毎日のメールや電話で「いつ来る?」「あと二日ね」「待ち遠しい」と。 上京して四日目やっと十二月二十五日十一時半に会えた。私が風邪気味だと知って 「それなら私がそちらに行くよ」 にこにこといつものHさん、改札口で待っている私。いつものように固く手を握って大笑い。 色白で本当に綺麗な彼女とそうでなくても汚い上に、今回は帯状疱疹の跡が顔の右半分に ああ私の顔。 毎日..

  • 清楚な庭の水仙のお出迎え

    三週間振りの我が家。 初春の余韻そのままに静かに私を待っていてくれました。 カーテンを開けると嬉しい。 庭には緑の葉とすくっと伸びた茎の先には真っ白い花びらと花芯の春らしい鮮やかな黄色。 水仙の花が並んで、お帰りなさいと私には聞こえました。 今回の東京は残念なことにみんなが次々とかぜを引くし、私も体調芳しくなくて病院にまで。 でも帰ったら元気出て不思議なほど頑張れています。待っていてくれた友やご近所の人たちも 「ああよかった、やっぱり電気付かないと寂しいよ。」と笑顔です。 有難いこと ひとつ年をとってまたおばあちゃんになったのに「おめでとう」だって。 今日はまだまだやることが沢山あって張り切っています。 今年のモットー 人より前を歩かない.....年相応に何をするのもゆっくりと。 遅すぎると思うぐらいで丁度いいのだか..

  • 切ないよろよろ新年

    2019年も早くも六日となりました。 遅ればせながら明けましておめでとうございます。 こんなにも穏やかな新年、毎朝光輝く太陽を感謝の気持ちで眺めています。 それなのに上京して以来、一日として元気いっぱいの日がなくて、娘が来て 何もかもやってくれるのをいいことにマンションに籠っています。 心配してくれる子供たちには悪いけど、寝込んでいるわけでもありません。 ただ前に帯状疱疹のあと貧血になったことがあったのでそうかも知れないと 少し風邪気味でもあったので病院へ行きました。 二時間半待って貧血の検査をしましたが先生曰く「ヘモグロビン13もありますし 貧血ではありません」 途端に元気になって帰ってきて「明日は豪華な食事に行こう」と張り切っていました。 ところが夜になって風邪の症状が少しづつひどくなって微熱も出てきました。 そして今日で三日目少..

  • 平成三十年も後二日

    穏やかに明けた平成三十年でしたが、様々な自然の力に脅威を感じた一年でもありました。 それでも何とか細々と「さくらんぼ日記」を続けられたことを嬉しく思っています。 子供たちと迎える新年を昨年より、ちょっと喜んでいるのも年のせいでしょうか。 上京して十日、体調イマイチで折角の温泉行もキャンセルしました。 でも今日のように澄み渡った空、冷気のピンとしたベランダに出ると、元気がでます。 来年の夫の十三回忌の法要を終えるまでは頑張らなくてはなりません。 明日はみんなで賑やかに楽しく年越しそばを食べて、お正月には初詣に行きます。 一年間本当に有難うございました。 新しい希望に燃えた時代が始まります。 みなさん良いお年をお迎えください。

  • 一人ではない

    風はあるようでベランダに干したバスタオルが飛び跳ねています。 ガラス戸越しにみる空は澄み切った空色、とても師走とは思えぬ穏やかな風情です。 残念ながら今日は富士山は真っ白い雲に隠れて見えません。 上京四日目の昼下がり昨夜娘と婿殿が帰ったので、久しぶりにパソコンに向かっています。 先日の飛行機は割合よく利用する私が、もしかして今までで最高?と思うくらい素敵なフライト。 いつも通路側の座席を取るのですが、ほとんど満席状態なのに、三人掛けの真ん中は空席。 静かで離陸の時一瞬ガタガタ揺れた気はしたかなあ。とにかく着陸までまったく揺れません。 大体イヤホーンで音楽を聴くのがいつものパターンですが、今回は体調イマイチということもあり 備え付けの雑誌をなんとなく読んでいました。 そして聞くともなく斜め後ろの座席の二人の話が耳に入ってきました。 どうも今回席..

  • 招からざる客

    師走も早半分終って、垣根の南天の赤い実が北風にゆれています。 「ああ」ついため息が出てしまいます。 今日で十一日何と年末の忙しい私の体によもやの珍客。「帯状疱疹」が取りついてしまいました。 それも二度目の。それも今回は三叉神経に取りついた?「顔と頭右半分」 初回は十一年前の三月末、これは文字通り袈裟がけにびっしり出ましたね。 38度の熱も出たし、食欲もなくもう起きてなど居られなくてどっぷり床に着いたまま。 桜の花が咲いても花見どころではありませんでした。 でもあの時は強い味方の彼がいました。 絶対に欲しくないと我儘を言う私に、三度三度食事を作り「食べないと元気にならないから」と 怒ることもなく、本当に優しい彼でした。 内心どんなに感謝をしていても「有難う」とぶっきら棒にしか言えない素直でない私でした。 結局貧血も引き起こし、体がしゃんとした..

  • 二百円の極楽

    朝目が覚めた時今日はいつもより寒いなあと感じました。 窓を開けるとさっと冷気が入ってきて確かに冬の気配。 平年より暖かいと天気予報は毎日嬉しいことを言ってくれるし今日も快晴です。 午前中の予定を終えてお昼の食事をしながら考えました。 朝思ったほど寒くもないし、午後の予定もない私閃きました。 温泉へ行こう。 バイクで十分薄手のダウンを着たので寒くもありません。 真昼の温泉街は平日なのに観光客もそぞろ歩いて楽し気な雰囲気でした。 市民が本館とよぶ一番古い建物は来年から大修理がはじまります。 その代わり今年それに代わる新館がオーブンしました。飛鳥時代を模した素敵な建物です。 私が行くのは市民が愛用の温泉でここも今年リニューアルオープンしていい感じです。 館内は閑散としてオバアサンが六人。皆さんいかにも幸せそうな顔をして平和そのものです。 ゆ..

  • 霜月を重ねて

    今朝の風は優しくて霜月とは思えぬ暖さに少し嬉しい。 それでも玄関先で九月半ばから私を楽しませてくれた秋明菊はもう五輪が咲き残っているだけである。 寄り添うように風に揺れる白い花が心細げでとても切ない気持ちになってしまう。 先日剪定した庭は明るくなって、廊下から黄色いつわぶきの花が咲いているのが見える。 すっきりした庭に降り立ってみた。そして隅っこにある山茶花のピンクの花を見つけた。 毎年山茶花は散った花びらを見つけて、あれっ、いつの間にと思うほど知らぬ間に咲いて 私を残念がらせる。 今年はしみじみと近くで眺めた。一重のはなびらの可憐なこと。 私の庭の山茶花をそっと折り取る小さい手 何故に一言その花をくれよと言って下さらぬ 私は詩人は花に添え書いた歌まであげように 遠い遠い昔大好きだった西条八十の詩が突然浮かんだ。もっと長くて..

  • 春子さんの茶の間 その8

    今夜は十六夜の月が春子さんの茶の間から庭に出るとよく見える。 風が少しあり薄雲が流れて時折その姿がぼやけて見える。それもなかなか風情があっていい。 春子さんは今日も住田夫人との電話のことを、花絵さんにどう告げればいいか朝から 家事をしながら考えていたのだけれど、まとまらぬまま夜になってしまった。 ありのままを言っても花絵さんが素直に受け取らないのでは.....とそんな気がして仕方がない。 それでもやっぱり事実をそのまま知らせるのが一番いいと思い至った。 何より彼が元気だったのが嬉しかったから万事OKだと。少し気が楽になった。 いつもメールをする時間の十一時過ぎ春子さんは電話をした。 「もしもし私よ。少し遅いけど時間大丈夫?」 「いいよお風呂も入ったし後は寝るだけ」 二人とも気楽な一人暮らしだ。 住田君元気だったよ生きていたよ。よかったね。一気に喋る..

  • 春子さんの茶の間 その7

    二日続きの雨が上がり秋の気配が深まった感じの午後、一通りの家事を終えソファに座って 春子さんは、ずっと気にかかっていた花絵さんの彼のことを、もう一度考えた。 あれから毎日メールしているけれど、二人ともこのことには触れないで来た。 兎に角様子が知りたい。春子さんは考えていた通り意を決して彼の家に電話をかけた。 呼び出し音が六回、留守かな?と思った時 「はい住田でございます」 きれいな声の人が出てきた。 「奥様でしょうか」 春子さんは何回も考えていた通り、今日の用件について丁寧に説明した。 自分が住田さんの高校の同期生であること、ずっと前にもお世話になってお礼状を差し上げた ことがあったこと。先だっての同期会に欠席されていたので、どうしたのかと心配する人を代表 して電話したこと。 最後は勝手に考えた理由だったので、少し後ろめたい気持ちもしたが、平常心を..

  • 春子さんの茶の間 その6

    春子さんの思い出はふと家事から解放されたときなど、つるつると繋がって出てくる。 今日は朝、東の窓を開けた時今年初めての金木犀の香りがした。もう秋が来たのだ。 それにしても花絵さんからの手紙は春子さんを驚かせたし、考えもさせられもした。 手紙によると、花絵さんの高校時代の恋が卒業と同時に終わったと思い込んでいたのは 春子さんの独りよがりだったようで恋は続いていたのだ。 でも彼が大学を卒業する少し前には花絵さんは結婚して東京に住んでいた。 彼からのプロポーズはなかったのだろうか。どうして結婚しなかったのだろう。 それでも彼が仕事で上京した時など、二人は喫茶店や公園で逢瀬を楽しんでいたというのだ。 これはもう恋というより大人の友情というものだと今だからこそ春子さんも妙に納得した。 当時このことをもし春子さんが知っていたらどうだろう。 「結婚..

  • 春子さんの茶の間 その5

    彼岸花も色褪せて本格的な秋が来た。 窓を開け放ち風を入れる時、つい鼻歌でも歌いたい気分の春子さんだ。 待ちに待った短い秋、懐かしい思い出がいっぱいの秋。 昔ほど元気ではないけれど、この青い空を見ていると電車に乗りたいと思う。 と言っても今は「はいっ」と道連れになってくれる人もいない。友もみな老いた。 二時ごろ郵便が来た。その字に見覚えがあってつい嬉しくなって封を切るのももどかしい。 親友の花絵さん。美人で人柄もよくて中学時代からの友である。 性格そのままの優しいきれいな文字。二三日前にメールもしたのに手紙なんてどうしたの? 花絵さんは恋多き人で普段は静かで、どちらかと言えば引っ込み思案なのに恋をすると 元気になるのだ。それも自分から好きになるというのはなくて、いつも声をかけられる側。 だが彼女にとってはそれが当然と思っているようにも見える。 中..

  • 敬老の日

    黄金に実った稲田を囲むように真っ赤な彼岸花が咲いた。 我が家は六十軒くらいのこじんまりした団地で、もう半世紀余りが過ぎ人も家も老いた。 それでもそれなりに皆さん元気で平穏な日々を有難いと思っている。 昔はここも田舎だったが、今は歩いて十分以内に生活に必要な商店、病院はすべてある。 市の中心に出るのもバスでも二十分。シルバーさん?でも快適な日常生活は維持できる。 それに団地の北は市街化調整区域とやらで、かなり広い田圃が残っている。 三分の一しか稲作はなくて後は休耕田。よくわからないが田圃もそう簡単には売れないらしい。 ここがまた素敵で夕方薄暗いところに子供くらいの鷺が座っていていてギョッとしたり。 小さな鳥も沢山いるし、草花も色を添え、セミや虫の声も、季節の風も嬉しい。 彼岸花をみていて、あれっもしかして敬老の日かもと思った。この頃の祭日は分かりにくい。 ..

  • 山桃追想

    朝ゆっくりと新聞を読む。 とにかく全ページに目を通して政治も文化もスポーツに経済面も。 多少斜め読みの感じもするが、千秋の大切な日課のひとつである。 そして今日地方版の片隅に真っ赤な実をつけた山桃の木の写真をみつけた。 千秋はとっさに母の実家にあった大きな山桃の木を思いだした。何十年振りだろう。 あの村を離れてもう半世紀近い。学生時代までは夏休みや冬休みを待ちかねて弟たちと すっ飛んで行った。祖父母と叔母たちの優しさだけが待つ故郷へ。 ただ屋敷の周りに何本もあった、柿やみかんや、杏にイチジク。畑にはトマトが食べ放題。 本当に食べるもののなかった終戦直後。これら何よりのご馳走だった。 千秋はふと思い出した。あれは小学四年生の夏休みだ。赤黒く実った山桃は美味しい真っ盛り。祖母が食べごろだから、後で取ってあげるから待っていてねと買い物に出かけた。 山桃の木..

  • 春子さんの茶の間 その4

    今日も暑いなあ。ガラス越しに見る庭の木々もぐったり。連日の猛暑にげんなりの春子さん。 一人の午後、コーヒーでもと立ち上がったら電話が鳴った。 「暑いけど何かしてる?別に予定なかったら出かけて来ない?」 Hさんだ。少し涼しくなったらと、ずっと前から誘われていた。 「暑いからと思ったのだけど、家の中は涼しくしてあるし、思い切って出ておいで。」 「嬉しいわ。ぼんやりしていたところだからお言葉に甘えてお伺いするわ」 春子さんは即座に決めた。歩いても七、八分バイクなら三分だ。 Hさんとは子供が同い年で知り合いになったから、もう五十年近いお付き合い。 旦那様は銀行員で、春子さんのことが男?らしくて話が面白いから好きだと言ってくれる。 Hさんが春夫さんの淡彩画の会に入っていたので、こちらも気心のしれた間柄。 特に定年後みんなが暇になってから、そして春夫さんが逝ってからは優し..

  • 真夏の石和温泉へ

    この暑さをどのように乗り切ろうか。 このところ自分なりに体調を考えながら、よく働いた気がする。 日常の家事もやっとこさのくせに、ひとたび何かの整理など始めると頑張ってしまう。 特に机の抽斗や、古い書類などが入った缶などを何気なく見つけると始末が悪い。 懐かしさが先にたって、整理を忘れて読みふけったり、当時に帰ったり。 ここで一人でこんなことしているより、あっちも暑そうだけどやっぱり行こう。 そして上京した。息子たちも夏季休暇を取り早速温泉を予約して待っていてくれた。 ところが予約した那須は台風進路にすっぽりとはいった。 さあどうする。中止は残念と意見が一致。あれこれ考えた末にぎりぎりで台風を避けて 石和温泉に決定した。 いつものことながら私たちの旅は観光よりのんびりと温泉に入りご馳走を食べること。 それと往復の電車が楽しい。でもあまり遠いのは嫌。 ..

  • ノラの私 頑張ってます

    連日の猛暑に日本列島どうなっているのでしょう。 人智の及ばぬところで何かが起こっています。 ニュースを見て豪雨被災地の人たちとボランティアの方々の奮闘を、祈る思いで 見ているだけの自分が情けなくなりますがどうすることも出来ません。 スーパーの募金箱に一かけらの気持ちを託すのみです。 で、せめて自分のことでも頑張ってみようと、押し入れ、食器戸棚、下駄箱、机の 引き出し、本棚等の掃除と整理始めました。 あの大雨の後続いている猛暑の中(エアコンつけています)毎日頑張っています。 家事さぼり大臣の私としては、本当に久しぶりの健闘です。 やっていると、これが結構楽しくて、思い出の茶碗ににんまりしたり、懐かしい本を パラパラめくったり、昔の連句が出てきたときは、それを読んでいる時間の方が長くて つい苦笑してしまっ..

  • 七月十三日 金曜日

    青い空も照り付ける太陽のギラギラした光もあの日と変わらない。 ただ流れた年月だけがいかにも長くて、こんなにもと今更のように思う。 四十五年前の七月十三日金曜日、父が五十九歳で亡くなった。 三年前に初期の胃がんが見つかり「手術は大成功でした。」と執刀した医師が太鼓判を 押してからたった三年。 職場の花見の宴席で倒れたが検査の結果貧血ということになり、入院をすることもなく 治療しながら仕事をしていた。 私はこれですっかり安心して胸をなでおろした。 この世で誰よりも大好きで心から尊敬できる父だったから。 六月の父の日のプレゼントのゴルフボールを持って行ったとき、何だか元気がなく あまり嬉しそうな顔をしなかったことが、心にひっかかった。 ゴルフ大好きでお世辞にも上手とはいえなかったが、弟や妹たちとよくでかけていたから。 それから間もなく体がだるいと言い入院..

  • よろよろと七歳になったさくらんぼ日記

    台風七号が大雨とともに日本海を通過している模様です。大雨予報の当地は 風は強めに吹いているものの気温三十一度で、空は晴れ渡っています。 かなり揺れている庭の木をみていて、あれーと思い出しました。 梅雨明けの紫陽花をみながら「さくらんぼ日記」初めてブログを書いた日のこと。 あれあれさくらんぼ日記七歳になってしまいました。 「さくらんぼ日記二歳になりました」と五年前のブログなんと二年で二百個も書いて いたらしい。「二年で二百いいですね」と尊敬するRさんからコメント頂いています。 それがどうでしょう。その後の五年間でやっと百八十余だからがっくりです。 年のせい。才能ない。大病した。怠けていた。理由はいっぱいあるけれど、私にとって ブログは無くてはならない大切なもの。生きていく力と言っても過言ではないのです。 自分が書くこと..

  • 春子さんの茶の間 その3

    空梅雨気味の空を見上げてため息一つの春子さん。 自慢の紫陽花は葉っぱばかりがどんどん伸びて、少し前に一輪だけ寂しげに咲いた花が そろそろ色褪せて来た。 こんなのは初めて。 毎年次々に大輪の花を咲かせてくれて雨に一入の感ありと、嬉しがっていたのに。 もしかして寿命?と不吉なこと考えたりする。 もう二十年以上やっているシロアリ駆除の点検に業者が来た。五年毎に契約更改をして 毎年一回無料の点検に来て下さる。この辺りは湿気が多いということで太陽電池で動く 換気扇や扇風機も入れた。 三十分ほど床下でトントン、ごそごそ作業して、汗みどろで出てこられるので、六月に なって初めてエアコンを入れた。 冷たいお茶を一口飲んで、早速タブレットに写してきた床下の状態を見せてくれる。 三年くらい前まではテレビに写していたから、これも進歩したのだなあと春子さん感服。 「異..

  • ポンコツ車のお手入れ

    梅雨入りしてから初めて本格的な雨が一日中降りました。 どんよりとした曇り空が続いて、時には日差しも。本当に梅雨なの。 暑くも寒くもなく過ごしやすい。朝晩の寒暖の差さえ気をつけていればいい。 そんな折、何かにつけて顔を見せてくれる親友から一週間以上音沙汰がありません。 気になって電話してみると弱弱しい声で 「私もう駄目みたい。体がだるくて起き上がれないよ。こんなのならいっそ海に 入って死んでしまいたい。」 きれいで、華奢で優しいのに力持ちで、家事一般のみならず、私が出来ないことを さっとやってのける。その上とても元気なのです。 私の尊敬して止まない同級生のSさん。 彼女のこんな弱音は初めて聞いたので本当に驚きました。 今からかかりつけの病院へ行くところとか。 「ああそれならよかった。とにかく行っておいで、気をつけてね」 時々腰が痛くなるくらい..

  • 早くも入梅です

    五月十日に帰って来てわが家はやっぱり好きとのんびりするはずが予定はびっしり。 結局十三日間も出かけたことになります。 ああ道理で疲れたわけです。 病気して三年過ぎたので胃カメラと大腸内視鏡検査しましょうと先生。 やれやれ面倒だなあと思いつつ二日間受診しました。 結果は異常なしで、今後三年か五年は検査はいらないとか。 「そんなに命ありません」と言いたかったけどにっこり笑って黙っていました。 後歯科が三回。カルチャースクール五回。デパート二回(友の会満期で継続の手続き) (上京前に注文していた本を取りに。)のお出かけ。 二十日の日曜日は校区のグランドゴルフに出て下さいと団地の役員さんに頼まれて 「ほうきで庭がはける人なら誰でも出来る」というお誘いの回覧板の文句が気に入って それならと、見たこともしたこともない五人が年寄り組で出ることにしました。 ..

  • わが家ばんざい!!

    懐かしい我が家へ帰って五日目になります。 曇り空の羽田発、雷雲を突き切ってガタガタ揺れる飛行機はあっという間に陽の光が まぶしい青空のてっぺんに。 離陸して十五分飛行機に雷が落ちるというおまけまでついて。 ピカッと光ってドンと音はしました。本を読んでいた私は光は猛烈に感じたけれど 音はたいしたことなくて、飛行機も揺れもせず十分後機長の説明がなければ乗客は 誰も気がつかなかったと思います。 とにかく快晴のわが街に就きました。 出かけるとき見事に咲いていたつつじの花が、枯れはてた花をその木の上に落とし 無残な姿を晒していました。 庭の木々は若緑に光り、ついでに雑草も自由自在に伸びてわが世の春を。 あれもこれもしなければならない仕事が次々に頭を駆け巡ります。 最低限度のことだけして、それでも本当に疲れました。 これが齢を重ねるというのでしょう。 ..

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