Aさく さん プロフィール

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Aさくさん: 一弘前人の思いつき☆
ハンドル名Aさく さん
ブログタイトル一弘前人の思いつき☆
ブログURLhttps://ameblo.jp/agekane/
サイト紹介文主に弘前周辺のことをぼやいています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供0回 / 365日(平均0.0回/週) - 参加 2011/06/28 18:03

Aさく さんのブログ記事

  • 乳井城
  •  乳井氏は鎌倉時代この地に入り福王寺を創建した修験僧を祖とする。かなり独立性は強かったと推測される。南北朝の争いに巻き込まれていることからそのあたりに乳井古舘からこの乳井城に城を移したのであろうか?石川城の南部高信に従わなかったため大光寺城城主滝本重行に乳井玄蕃が暗殺される。その子乳井建清は高畑城を築かれ劣勢に立たされていた。しかし南部氏の後継者問題による統制の乱れをつき津軽為信が石川城を急襲。そ [続きを読む]
  • 乳井古舘
  • 詳細不明。福王寺の別当乳井氏の?とみられているが確証はない。後に述べる乳井城、津軽為信が築城したといわれる乳井茶臼館とともに六羽側の戦いの舞台となった城である。乳井神社の脇の山に展望台がありそこが城跡と思われる。http://www.hb.pei.jp/shiro/mutsu/nyui-furu-date/ [続きを読む]
  • Canon EOS 5DmarkⅣ
  •  5D4が昨日発売されました。ずっとフルサイズ機がほしくてこれの発売を待っていました。もう我慢できません。発売と同時に買ってしまいました。一緒に自分としては初の白レンズとなる100-400も購入しました。懐が寒くなりましたが大満足です。とにかく写真がきれいです。 [続きを読む]
  • 浅瀬石城(汗石城)
  •  1240年、千徳氏の祖である一戸行重が築城としたとされるが詳細不明。戦国時代城主である千徳政氏が津軽為信と同盟した。それに怒り南部信直は東政勝を用い当城を攻撃、千徳氏はこれを撃退するもこの際援軍を出さなかった津軽為信と不和になる。後に津軽為信の家臣森岡金吾、裏切った重臣らに攻められ奮闘するも落城する。ちなみに田舎館の千徳氏は分家。ここを落城させた為信の家臣森岡金吾ものちには為信に暗殺されたといわれる [続きを読む]
  • 黒石城(旧黒石城)
  •  黒石藩の陣屋を黒石城とも呼ぶことから旧黒石城とも呼ばれる。黒石市境松にある。築城年代は不明。工藤氏の居城。津軽に入部後南朝方について活躍した時期もあったそうである。その後の詳細は不明とのことだが近くにある千徳氏の居城浅瀬石城との関係はどうだったのでしょうか?津軽為信が隠居したともいわれているので江戸時代初期までは何らかの形で存在していたものと考えていいのだろうか。 浅瀬石川の北側の崖の上にある。 [続きを読む]
  • 青柳館
  • 岩木川とその支流の河岸段丘の上に作られた館です。一段高いところにあり昔はかなりの景勝地だったのではと思います。津軽3代藩主の別荘だったようです。弘前偕行社も昔は津軽藩主の別荘であり昔は景勝地だったと記憶しています。また火薬庫などもあったようです。ここからは個人的な推測ですが、ここは弘前城の埋門のある方角ですので有事の際の逃げ込んだり反撃の拠点にしたりと出城的な役目もあったかもしれません。また南東方 [続きを読む]
  • 湯口茶臼館
  •  この湯口茶臼館は中世悲運の長慶天皇の武官であった溝口左膳亮が上皇を守るために築城したと言い伝えられています。その後、その子孫が溝江と改名し子孫の方がこの周辺にいらっしゃいます。下にある覚応院の住職さんも溝江氏とのこと。ただし長慶天皇津軽下向については諸説、異論もあるそうなので参考程度に。グーグルマップで長慶天皇陵と検索すると全国に数か所出て来ます。覚応院の敷地と思われる小さな山を登っていくと頂上 [続きを読む]
  • 持寄城
  •  相馬(村)の城跡第2弾、持寄城です。鎌倉幕府方の武将が最後の最後に戦ったとされる城です。本州で北へ北へ逃げて最後に相馬や目屋にたどりつくのは地元の地理に精通している人間としてなんとなくわかる気がします。 元弘3年(1333)鎌倉幕府執権・北条高時が治める鎌倉幕府は、後醍醐天皇の倒幕計画によって滅亡したが、幕府の重臣・安達高景、名越時如らが幕府の再興を期して、奥州にいて反撃の機会をうかがっていた。それ [続きを読む]
  • 里見館
  • 今日から相馬の城跡です。相馬には私の調べた限りでは3つあります。そのなかで一番シンプルなやつから。築城、館主については詳細不明です。一説には長慶天皇津軽下向の際お供した里見氏が居住したとも伝わるらしいです?次に紹介する湯口茶臼館も同じような言い伝えです。目屋に行く新しい県道に里見橋という橋があります。そこから城跡がみれますよ。私有地になっているようですから中には入りませんでした。きちんと集落の名前 [続きを読む]
  • 福村城
  • 福村城。津軽為信が大光寺城攻略の後堀越城の支城として築城したそうです。城主は後に暗殺されたとされる森岡金吾氏。場所から考えるに田舎館や浅瀬石城攻略に重要な役割を果たしたのではと推測します。本丸は老人施設。熊野宮は館神の名残でしょうか?土塁の残欠があるそうですが私は確認できませんでした。第5城東地区なので住宅開発が進んでおります。老人施設前に私有地と思われますが少し堀跡と思われるものが確認されました [続きを読む]
  • 福村古舘
  • 詳細不明。一説には安東氏の館ともいわれるそうな。実際その場所に行きましがよくわかりませんでした。畑になっております。平川とその支流に挟まれたところで防御に有利だったのでしょうか?またこの館があったので後にこの近くに福村城がつくられたのでしょうhttp://www.hb.pei.jp/shiro/mutsu/fukumura-furu-date/ [続きを読む]
  • 古屋敷
  •  前回目屋シリーズ最後といいましたが一つ紹介し忘れてましたのでおまけでもう一つ。 詳細全く不明ですが古屋敷というものが下記HPにはあります。丘の上の館の館主が生活しやすい里に邸宅を構えていたのでしょうか???地図で示されるところに行きましたが公園になってました。脇に土塁のようなものがありましたが城とは関係ないのでしょうね。http://www.hb.pei.jp/shiro/aomori/?c=hirosaki [続きを読む]
  • 黒土館
  •  さて、とうとう目屋シリーズの最後の城となります。 なぜこのなんの変哲もない民家になっている平城を最後にもってきたというと、この城にはとても興味深い歴史背景があることがわかったからです。 鹿角市花輪にも黒土館という城跡があります。成田氏分流黒土氏の城です。黒土氏は安東側についていたため南部氏が鹿角地方を制圧した際に津軽に逃れたそうです。その行き先がここである可能性が高いとのことです。 この城跡を撮 [続きを読む]
  • 高野館
  • 国吉古舘、新館の支城と推測されるが詳細不明とのこと。弘前方面からの侵入に対する見張り、先制攻撃に適するだろう山にある。木が生い茂ってとても入っていく気にはなれなかった。郭が残っているとのこと。いつも下記HPを頼りに場所を特定してます。本当に役に立つHPです。http://www.hb.pei.jp/shiro/mutsu/?c=aomori-hirosaki [続きを読む]
  • 国吉古館、国吉新館(坂本館)
  •  目屋シリーズ続きます。 国吉古館は東郭、国吉新館は西郭で堀で区切られています。個人的にここはよく通るところでしたがまさか城跡とは思ってませんでした。別名坂本館。坂本、館後など城に関わる地名が残っています。現在はリンゴ畑ですが実際に行ってみると郭跡、堀跡が比較的わかりやすく残っています。 築城時期・築城主体ともに不明。伝承によると東郭(古館)は鎌倉末期、津軽の地頭代陸奥工藤氏の一族により築かれ、西 [続きを読む]
  • 国吉館
  •  弘前市目屋地区の城跡シリーズまだ続きます。国吉館。築城時期主体ともに不明なそうですが、南部氏の津軽統治のために関氏が居住したともいわれているそうです。そういえば少し前の(今もかな?)西目屋村長さんが関さんいう方だっと記憶しているが関係あるのかな? 登りたかったのですが民家があってどこから登るかわからなかったので外観の写真一枚で。城跡は稲荷神社になっているそうです。参考HP(ほんと勉強になって感謝し [続きを読む]