やす さん プロフィール

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やすさん: やすのブログ
ハンドル名やす さん
ブログタイトルやすのブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/9zaemonn/
サイト紹介文織田信長家臣、佐久間安政の子孫です。子孫に伝わる面白い話が満載のブログです。
自由文長年患っていたC型肝炎を、ペグ・インターフェロン療法でウイルスの排除に成功しました。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供5回 / 365日(平均0.1回/週) - 参加 2011/07/04 17:58

やす さんのブログ記事

  • 城落ち
  •  今、執筆中の短編小説のタイトルです。  天正十一年四月二十四日、賤ヶ岳ノ合戦で敗れた柴田勝家が越前・北ノ庄城で自害します。その折に、実子だと伝わる乳飲み子の善右衛門勝春を城落ちさせたそうです。  勝春は、家臣や乳母数人と共に、遠く九州の筑前・柳川に逃れて立花道雪に仕えたと伝わります。  その子孫たちも、代々立花家臣となり維新を迎えました。  数年前に、その現御当主とお知り合いになれ、共に滋賀県高島 [続きを読む]
  • 近江高島・岩佐家
  •  長沼藩佐久間家に仕え、飛び地の近江高島の浜分(はまぶん)の代官を勤めた家が岩佐家です。現在の滋賀県高島市今津町浜分の地に代官所がありました。  岩佐家は、近江源氏の佐々木三郎兵衛尉盛綱の孫にあたる岩上五郎秀信の子であった、岩佐太郎右衛門信光が家祖と伝わります。  永正年間に浜分に土着した信光の孫の広仲は、そこに飛び地を持っていた若狭小浜の京極高次に仕えて、大坂ノ陣の折に徳川秀忠の下で手柄を立てた [続きを読む]
  • 小原左近右衛門久勝
  •  小原作左衛門久重の二男に左近右衛門久勝という人がいました。政信の弟です。  この人は父の久重と共に飯山佐久間家に仕えていたようですが、寛永十五年(1638)の飯山佐久間家改易後に、会津藩主・保科肥後守(正之)に仕えたようです。  その時に仲立ちしたのが、飯山初代藩主・佐久間安政の奥方・光寿院か、兄の京・金閣寺(鹿苑寺)の住持だった鳳林承章(ほうりんじょうしょう)だったようです。  久勝は飯山三代藩 [続きを読む]
  • 津野・妙笑寺と小原家
  •  長野市の津野にある妙笑寺さん(曹洞宗)と飯山藩・長沼藩両佐久間家に家老として仕えた小原家とは深い所縁があります。  小原家の初代・小原作左衛門久重は、飯山佐久間家に仕えていた人物で、我が家の先祖・佐久間安政の一族と伝わります。  その名に「久」の一字が付いていますので、我が家と血の繋がりがあるのではないかと思っています。吉原と小原という名にもそれが感じられます。家紋は我が家は佐久間家と同じ「丸の [続きを読む]
  • 御無沙汰致しておりました。
  • 一年余りブログの更新をさぼっておりました。申し訳ありませんでした。 その間にいろいろな事もありましたが、先祖所縁の方々との交流は続けております。 今年の春、飯山にある私の先祖・佐久間備前守安政の藩主としての菩提寺・大聖寺(曹洞宗)に、飯山藩佐久間家三代の位牌を新調し置かせて頂きました。 もちろん、私だけでは無く、これまでお付き合い頂いている先祖所縁の方々のお力をお借りしての事でした。 藩主三代の [続きを読む]
  • 「北國文華」第69号
  • ずいぶん御無沙汰しておりました。申し訳ございません。さて、明日ですが私の短編小説「攻防 金沢御堂」が、こちらの北國新聞社発行の季刊文芸誌「北國文華」第69号に掲載されます。佐久間盛政と加賀一向宗との攻防を描き、金沢城初代城主になった時の事をフィクションをまじえて書いたものです。ストーリー自体は史実に沿った形にしています。新作小説一般応募に採用されたものです。これが嬉しくて、それからこのブログも書 [続きを読む]
  • 危ない?旅・欧州編7
  •  前日に泊まったホテルでは、さすが生まれて初めての海外一人旅への不安や興奮で寝る事が出来ず、金沢の友人に電話を掛けまくっていました。 まあ、今も旅先の布団では寝られないのですが・・・・(笑) 当日の昭和47年9月5日の朝が来ました。確かホテルの食堂で朝食を食べたという記憶がありますが・・・ 船はホテルの目の前の大桟橋から出ます。9時過ぎに集合だったと思いますが、早目に行った覚えがあります。500 [続きを読む]
  • 修羅の道
  •   このブログも、英検の勉強もそこそこにして、また短編小説を書いていました(笑) 今回は、ストーリーもスラスラ浮かび、5日間で完成しました。 その題は「修羅の道」。今回は賤ヶ岳ノ合戦で大岩山の中川清秀を討った直後の佐久間盛政の登場から始まります。合戦、敗走、補縛、処刑と描き、最後を迎える盛政の人物像を想像して頂ければと思いました。 「湖水の槍」で盛政の幼年期から初陣まで、「極楽橋」で加賀一向一揆 [続きを読む]
  • 危ない?旅・欧州編6
  •   欧州に行く前に、交通公社で買って行ったものがもう一つありました。 英国内のバスが乗り放題の、外国人観光客専用の定期券コーチマスターズチケットというものです。これも確か期間により、数種類あったように思います。 私は一ヶ月のものを買いました。7〜8万円位だったと記憶していますが・・・・ しかし、これは英国に行かずに帰ってきたので後に払い戻しする事になりました。今は行けば良かったと後悔していますが [続きを読む]
  • 中川家の家老職
  •  中川家文書「諸士系譜」という資料を頂きました。 それを見ると、豊後岡藩・中川家には家老職をしていた家が五家(田近二家、戸伏家、古田家、熊田家)あったそうです。 田近家は初代が田近新次郎といい、中川姓を下賜されて中川平右衛門と名乗ります。もう一つの田近家は中川玄蕃を名乗ります。 戸伏家は初代を戸伏宗慶といい、二代目の助之進から中川姓が下賜されます。 古田家は初代が、お茶人で有名な古田織部重勝で妻 [続きを読む]
  • 危ない?旅・欧州編5
  •  このロシア行きの船は、今もあるようですね。 ただし、ナホトカまでではなくウラジオストックまでで、そこからシベリア鉄道に乗り換えるもののようです。出発も、ここ金沢に近い富山県高岡市の伏木港だそうです。ウラジオストックも当時は、ソビエト極東艦隊の基地(今もそうですが)で外国人立ち入り禁止でした。 料金は欧州まで20〜30万円位掛かるそうで、趣味性の強い豪華な旅になったようです。私の時分は一番安く欧 [続きを読む]
  • 危ない?旅・欧州編4
  •  このソビエト経由欧州行きの旅は、船と鉄道か飛行機(ソビエト国内)を乗り継いで行くものでした。 船は5000トン級の貨客船で、二隻を交代で運用していたようです。私の乗った船は、ハバロフスク号という船でした。私の時は横浜からでしたが、後には新潟からも出ていたようです。もちろん、今はこの様な旅は出来ないのでしょうね・・・・ 出発の二・三日前に、当時、東京の王子にいた叔父の家に泊めてもらいました。金沢 [続きを読む]
  • 危ない?旅・欧州編3
  •  交通公社の担当の方にプランを見せると、スケジュールが大変タイトだと言われました。 予算に制限(100万円)があるのに、何カ月滞在するかもハッキリ決めていませんでしたし、その計画にはイギリスや東欧まで含まれているもので、大変アバウトなものだったのです。 とにかく、外国を見たいという単純な動機がベースにあったのだと思います。 それで計画を練り直し、欧州の中央とイギリスを中心にしました。移動は鉄道で [続きを読む]
  • 危ない?旅・欧州編2
  •  その本から多くの事を知りました。 欧州では、国と国の間を何本もの列車が自由に走っているという事です。たとえばウイーン発ミラノ行き、パリ発ローマ行きなど・・・・ 国境を超える時に、係官が列車の中でパスポートをチェックするだけなのでした。日本の県境を越える時と変わりません。簡単に越境出来るのです。 その本から英国の大手旅行代理店であるトーマス・クック社が発刊している「コンチネンタル・タイムテーブル [続きを読む]
  • 危ない?旅・欧州編1
  •  若い時の欧州の旅の事を書きましたら、早速、読者の方から連絡を頂き、ブログに詳しく書けと言われました。 今は英検受験の為に英単語の一つでも覚えなければいけないのですが、記憶を辿りながら数回にまとめてみます。乗せられ易い性格ですね(笑) 佐久間の新しい話題も見つかりませんので・・・・ 決して今の若い方にはこの様な旅はお薦めしません。かなり危ない事もありました。それだけ印象に残り、若い故の旅だったの [続きを読む]
  • カルチャーショック
  •  英語の話題が出たので、それと関係する私の若い頃のお話をします。 地元の高校を卒業して、大阪・北新地にある有名なステーキハウス(今も盛況ですよ)に就職したのは、遠い昔の昭和44年(1969)の春でした。 当時、金沢と大阪は電車で4〜5時間掛かった時代、今の北陸新幹線が夢のようです。 翌年があの、三波春夫の歌「こんにちは・・こんにちは・・」の大阪万博でした。そのステーキハウスは、当時、ステーキ一人前 [続きを読む]
  • 通訳案内士特区
  •  英語のお好きな方ならば御存じでしょうが、増え続ける海外からの観光客に対応する為に、政府(内閣府)は特例で地域限定の通訳案内士制度を設けています。 難関な国家試験である通訳案内士試験とは別に、ある程度の語学力のある人たちに地域を限定して有償の通訳案内士として認定しようというものです。 現在、実際に活動しているのは和歌山県や沖縄県位のようですが、それぞれの募集要項を見ますと、英検ならば2級以上、準 [続きを読む]
  • 寿勝院
  •  今回も、大阪在住の私のブログ読者の方から御教示頂きました。 佐久間勝之の娘と、豊後竹田・岡藩の家老であった中川隼人正資重(旧姓・熊田藤助)が結婚して、その家が今も大分に続いている事は何度もお話しています。 今回、その勝之の娘の院号が「寿勝院」だと判明しました。 「勝」は父の名から取ったのでしょうか・・・・? 「竹田市立歴史資料館研究報告書・中川(熊田)家文書」の中にも、佐久間勝之からの中川隼人 [続きを読む]
  • 戦国ハンバーグ?
  •  ここ、二・三ヶ月の間に雑誌、テレビ、ブログの取材が続いていました。 ・・・と言っても、先祖・佐久間氏の事ではなく、本業のステーキハウスの取材でした(笑) 先日のブログにも書きましたが、当店自慢の和風ハンバーグランチ(別名・戦国ハンバーグ?)の事です。 もちろん、その取材の中でも先祖の事を話しますので必ず取り上げて下さいます。 佐久間盛政が金沢城初代城主だから、記事にし易い事もあるのでしょうね。 [続きを読む]
  • いいづな歴史ふれあい館紀要第4号
  •  いつもお世話になっている、長野県飯綱町にある「いいづな歴史ふれあい館」の研究紀要第4号が発刊されました。 その中に、新進気鋭の学芸員の方が纏められた『飯山藩・長沼藩佐久間家の江戸藩邸』という論考が載っています。 昨年の先祖たちを取り上げた特別展の為に、東京へ何度も出向かれて調査された結果を纏められたものです。 多くの江戸絵図などの史料を精査されて、図と共に詳しく説明して下さっています。 先祖た [続きを読む]
  • 「熊野田氏世譜」
  •  私のブログを読んで下さっている大阪の方から御教示頂きました。 この方は、地元の歴史として中川家の研究調査をされておられます。 賤ヶ岳ノ合戦で、佐久間盛政に討たれた中川清秀の中川家です。 清秀の奥方である梢(やや)の実家である熊田(熊野田)家に付いても研究されています。 佐久間勝之の娘が中川内記と離縁後に、熊田藤助(後に中川隼人正資重と改名)と再婚しますが、その時の様子が「熊野田世譜」という史料に [続きを読む]
  • 秋の法要
  •  今年の秋に、福島県二本松市にある龍泉寺さんで、先程修復した佐久間勝茲の位牌開眼法要があります。 前御住職の七回忌を兼ねての御法事ですが、その時の導師を務められるのが長野市松代の長國寺御住職をされていた方だそうです。 松代にある長國寺は真田山・長國寺(しんでんざん・ちょうこくじ)と言い、真田幸隆が建立した真田家の菩提寺です。 幸隆は昌幸の父で、信之・信繁の祖父にあたる人です。 元々は上田にあった [続きを読む]
  • 会津・蒲生家々臣団
  •  秀吉の奥州仕置きの時に、蒲生氏郷が大軍勢を率いて黒川城を出立します。 その時や、その後の南部一揆や九戸政実ノ乱の折の蒲生家臣団の中に、佐久間安政・勝之兄弟の名が見られます。 その傍には、「のぼうの城」で有名な忍城主・成田氏長や長親たちもいますし、真田昌幸の兄弟だと言われる真田信尹(のぶただ)の名も見られます。 これは、「會津若松史」などの史料や、蒲生家の分限帳など後世の確かな史料の中に書かれて [続きを読む]
  • 前田慶次郎
  •  私の本業は歴史研究家ではありません。 ここ金沢で小さな鉄板焼きのステーキ屋をして、来年でちょうど40年になります。 オリジナルな和風ハンバーグ・ランチ(900円)が好評で、我が店のメイン料理になっていますが、時々雑誌やテレビの取材を受けます。 今日も、地元テレビ(北陸放送)のゴールデンタイム番組の中で紹介される事になり、その収録に6時間程かかり先程終了した所です。 そのレポーターの方が、金澤百 [続きを読む]
  • 信濃の国
  •  長野県人の方なら皆さんご存じの長野県歌「信濃の国」です。 数年前に先祖の御縁で入会した、石川県長野県人会・りんどう会の会合が先週の土曜日に金沢でありました。 一昨年には、阿部長野知事さんや?田佐久市長さんも参加され、お会いする事が出来ました。 その会合の最初に、いつも皆で「信濃の国」を合唱する事になっています。 長野県の自然、文化、歴史を盛り込んだ歌詩が六番まであります。ようやくその曲も覚える [続きを読む]