kurou さん プロフィール

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kurouさん: kurouのブログ
ハンドル名kurou さん
ブログタイトルkurouのブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/namu-hatiman/
サイト紹介文歴史と散歩の記録
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供688回 / 365日(平均13.2回/週) - 参加 2011/07/28 17:57

kurou さんのブログ記事

  • 平清盛の園城寺焼討ち
  • 『吾妻鏡』によると・・・1180年(治承4年)12月11日、平清盛は、5月の以仁王の挙兵に際して、園城寺(三井寺)が味方したのを理由に、五男重衡を遣わして合戦に及んでいます。園城寺が以仁王に味方したことについて、清盛は大して気にしていなかったようですが、以仁王の令旨を受けた伊豆の源頼朝が挙兵したことで、頼朝にも味方する可能性を心配しての決定だったようです。翌12月12日、園城寺は焼かれ、金堂以下 [続きを読む]
  • 長谷寺の納めの観音
  • 「納めの観音」(12月18日)は、年に一度、内陣に入ることが許される特別な日。観音さまの足に触れて、一年の感謝と来年の家内安全・厄除け・無病息災を祈る「御足参り」(みあしまいり)が行われます。12:00頃〜20:00(受付は8:00〜19:30)志納金 ¥1000門前では歳の市長谷寺https://www.yoritomo-japan.com/page136hasedera.htm☆ ☆ ☆ ☆ ☆京都は七福神発祥の地☆ ☆ ☆ ☆ ☆ [続きを読む]
  • 日本三大天神の荏柄天神社で初詣
  • 荏柄天神社の初詣荏柄天神社は、「学問の神」、「正直者、努力を重ねるものを助ける神」として信仰されています。1月15日左義長と餅つき1月25日初天神(筆供養)2月8日針供養例年、「筆供養」の頃には「寒紅梅」が、「針供養」の頃には「古代青軸」が見頃を迎えます。京都は七福神発祥の地☆ ☆ ☆ ☆ ☆ [続きを読む]
  • ハッピー弁財天〜鎌倉:光明寺〜
  • 光明寺の八臂弁財天(はっぴべんざいてん)は、もと江の島にいらした弁天さま。八臂(はっぴ)だけに正月がハッピー弁財天として人気があるのだとか。年末年始は光明寺で除夜の鐘・ハッピー弁財天に初詣、材木座海岸で初富士!京都は七福神発祥の地☆ ☆ ☆ ☆ ☆ [続きを読む]
  • 茅ヶ崎の神明大神宮からの贈り物
  • 茅ヶ崎市にある神明大神宮総代の方より、鎌倉手帳に載せているページへの御礼ということで、今年も素敵な贈り物を頂戴いたしました。神明大神宮のタオルと癌封じのお守り。これで来年も健康に過ごせます。神明大神宮は、源頼朝に仕えた大庭景義の懐島館の鬼門に建てられた神社です。景義は『吾妻鏡』にも度々登場する頼朝の信頼を得ていた武将です。神明大神宮https://www.yoritomo-japan.com/sinmei-daijingu.htm [続きを読む]
  • 東大寺南大門の金剛力士像
  • 東大寺の金剛力士像は、左に阿形像、右に吽形像が配置されています。これは通常とは逆の配置。そして、2体の像は向き合う形で置かれています。阿形像吽形像1988年(昭和63年)から5年間にわたって行われた金剛力士像の解体修理では、天平創建時から向かい合って安置されていたことや、山口県で伐採された木材が使用され、1203年(建仁3年)7月24日から10月3日までの70日間で像造されたことが判明しています [続きを読む]
  • 北方の王者・藤原秀衡の死と源義経
  • 藤原秀衡は奥州藤原氏の第三代当主。☆ ☆ ☆ ☆ ☆1174年(承安4年)に鞍馬寺を出奔して平泉へ下ってきた源義経を匿い、1180年(治承4年)に源頼朝が挙兵すると、頼朝のもとへ駆けつける義経に佐藤継信・忠信の兄弟を付けて送り出しました。その後、義経は、源平合戦で活躍し、1185年(元暦2年)3月24日、壇ノ浦で平家を滅ぼしますが、間もなく頼朝と対立して逃亡生活を送るようになり、1187年(文治 [続きを読む]
  • 義経を匿った興福寺の聖弘
  • 源頼朝と対立して、1185年(文治元年)11月に京都を落ちて行方をくらましていた源義経。1186年(文治2年)の7月頃まで、比叡山に匿われていたことが判明したものの、その後は再び行方知れずになっていました。しかし、9月20日、義経の郎党・堀景光が京都に潜伏していたところを比企朝宗に捕えられました。景光の白状によって義経が興福寺に身を潜めていることが判明。翌日、比企朝宗が数百騎を率いて興福寺の聖弘 [続きを読む]
  • 源義経を探す鎌倉軍、比叡山に匿われていたことが判明したが・・・
  • 1185年(文治元年)11月3日、都を落ちて、11月6日、摂津国大物浦で難破した後、行方をくらました源義経。源頼朝は畿内一帯に義経捜索の厳命を下します。5月12日、源行家が和泉国小木郷の日向権守清実宅にいるという密告があり、北条時定、常陸坊昌明らが討手として向かって誅殺。行家は源為義の十男。頼朝に以仁王の令旨を届けた人物ですが、頼朝と対立し、壇ノ浦の戦い後は義経に近づき行動を共にしていました。6 [続きを読む]
  • 鎌倉の鶴岡八幡宮で舞った静御前
  • 1185年(文治元年)11月3日、源頼朝と対立して都を落ちた源義経。11月6日、九州へと船出しますが摂津国大物浦で難破した後、姿をくらまします。11月17日には、義経の妾・静御前が義経と別れた吉野山で捕えられ、翌1186年(文治2年)3月1日、母の磯禅師とともに鎌倉へ送られました。☆ ☆ ☆ ☆ ☆京の白拍子だった静御前。伝説によると・・・1182年(寿永元年)、後白河法皇は、神泉苑に白拍子10 [続きを読む]
  • 鶴岡八幡宮の破魔矢
  • 破魔矢1063年(康平6年)、由比郷に京都の石清水八幡宮の神霊を迎えて社殿を造営した源頼義。その時、石清水八幡宮で賜わった弓矢を奉納したのだと伝えられています。鶴岡八幡宮の破魔矢は、その故事にちなむもの。新春には楼門にも矢が架けられます。鶴岡八幡宮の初詣https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/hatumoude-hatiman.htm京都は七福神発祥の地☆ ☆ ☆ ☆ ☆ [続きを読む]
  • 円応寺の詫言地蔵
  • 円応寺の「詫言地蔵」にお参りすると・・・お地蔵様が本人に代わって閻魔大王にお詫びしてくださり、閻魔大王のお許しを得ることができるのだとか・・・円応寺https://www.yoritomo-japan.com/page138ennouji.htm☆ ☆ ☆ ☆ ☆京都は七福神発祥の地 [続きを読む]
  • 新年鎌倉:海のイベント〜船おろし・船祝い・潮神楽〜
  • 船おろし船おろしは、坂ノ下海岸・材木座海岸の漁師の仕事始めの儀式。大漁旗を掲げた漁船からは海に向かって「みかん」が撒かれます。1月2日10:00〜船祝い船祝いは、腰越漁港の新年行事。大漁旗を掲げた船の上からは参観者に向かって「みかん」が撒かれます。1月4日8:30頃から。潮神楽潮神楽は、材木座海岸の鏡開きの神事。「鎌倉天王唄」・「鎌倉神楽」が奉納されます。1月11日10:00〜☆ ☆ ☆ ☆ ☆ [続きを読む]
  • 洗った銭は有意義な事に使おう!銭洗弁財天の銭洗い。
  • 銭洗弁財天の霊水で洗い清めたお金は「有意義なことに使うこと」。使う事で福が巡ってきます。まずは「線香とろうそく」を購入し、ざるをお借りします。闇を照らす「ろうそく」を灯し、身を清めるために線香をたて、本宮のお参り。次に奥宮そして銭洗い。銭洗信仰は「霊水で銭を洗うと数倍にもなって返ってくる」というもの。「返ってくる」ということですから持っていたのではダメなのでしょう。感謝の心をもって有意義なことに [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの白山神社と大注連縄〜鎌倉:新年の祭〜
  • 鎌倉今泉の白山神社は、源頼朝が京都の鞍馬寺から賜った毘沙門天を祀ったことに始まるという社。注連縄作り1月8日に作られる大注連縄は、毘沙門天の使いとされるハガチ(ムカデ)を模したもの。約6メートルの縄に180本の足がつけられます。ハガチの足注連縄作りは朝早くから始められ、午前11時半頃から大注連祭が執り行われます。大注連祭https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/oosimesai.htm☆ ☆ ☆ ☆ ☆京 [続きを読む]
  • 兄弟絶縁・義経都落ち・日本第一の大天狗
  • 『吾妻鏡』によると・・・源頼朝と弟の源義経の対立が決定的となった1185年(文治元年)10月、義経は後白河法皇に頼朝追討の院宣を迫ります。一方、頼朝は、義経を討つため土佐房昌俊を刺客として差し向けますが失敗。後白河法皇はどうしたか・・・10月18日、源行家と源義経に源頼朝追討の宣旨を発給しました。行家と義経には、院庁の御下文(命令書)も出され、四国や九州に者は二人の命令に従うように書かれあったそ [続きを読む]
  • 源義経を襲った土佐坊昌俊
  • 1185年(元暦2年)5月、平家を壇ノ浦に滅ぼした源義経は、捕らえた平宗盛を護送して鎌倉に凱旋しようとしますが・・・兄の源頼朝は、それを許しませんでした。その理由には・・・頼朝に無断で任官されたことや、戦での独断専横的な行動が挙げられます。満福寺(鎌倉市腰越)義経は腰越の満福寺に留まって、大江広元を通じて頼朝に弁明するための「腰越状」を書きます。しかし、頼朝から許されることはなく、再び宗盛の護送 [続きを読む]
  • 源頼朝が行った儀式〜鶴岡八幡宮の手斧始式〜
  • 鶴岡八幡宮の手斧始式は、源頼朝が1191年(建久2年)の大火で焼けた鶴岡八幡宮を再建する際に、材木座海岸に着いた材木を「木遣唄」を唄いながら鶴岡八幡宮まで運び、棟梁が手斧をかけたり、墨打ちをしたことが始まりだと伝えられています。1月4日の手斧始式では、御神木が二の鳥居から舞殿前まで運ばれて、儀式が執り行われます。手斧始式https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/tyonahajime.htm鶴岡八幡宮の初詣ht [続きを読む]
  • 源頼朝の御弓始と鶴岡八幡宮の除魔神事
  • 『吾妻鏡』の記録では、1180年(治承4年)12月20日、源頼朝の新造御所(大倉御所)での「椀飯」(おうばん)の折、酒宴の余興に「御弓始の儀」が催されました。これが「御弓始」の最初の記録となります。※「椀飯」とは、御家人が頼朝を饗応する行事のこと。 一番下河辺行平 対  愛甲季隆二番橘公忠  対  橘公成三番和田義盛 対 工藤行光除魔神事1月5日に行われる鶴岡八幡宮の除魔神事は、源頼朝の「御弓始」 [続きを読む]