住兵衛 さん プロフィール

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住兵衛さん: ヤジ馬の日本史
ハンドル名住兵衛 さん
ブログタイトルヤジ馬の日本史
ブログURLhttps://nagoya301.at.webry.info/
サイト紹介文日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!
自由文日本の常識は世界の非常識?
もしそうならその原因は、この国が体験してきたユニークな歴史にあるのかもしれません。
そんな「日本史」を軽い目線でヤジ馬しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供72回 / 365日(平均1.4回/週) - 参加 2011/08/28 08:28

住兵衛 さんのブログ記事

  • 日本史の「災難」11 改革とミニ科挙と異学の禁
  • 戦国の世を勝ち抜いた徳川家康(1543-1616年)は、自ら征夷大将軍となって江戸幕府を開き、その公式学問として「朱子学」を採用しました。理由は明快で、家康自身が目の当たりにした明智光秀(1528?-1582年)による主君・織田信長(1534-1582年)に対する謀反・謀殺や、その後の豊臣秀吉(1537-1598年)による織田家乗っ取りなどが、間違っても徳川家には起こらないようにすることが目的でした。「朱子学」は、親に対する「孝(行 [続きを読む]
  • 日本史の「冗談」18 無位無官では無視される
  • 筆者はお誘いを受けたことがありませんのでニュースで知るばかりですが、皇居で催される園遊会では、そこに招待された方々に対し天皇ご自身が直接にお声を掛けられる光景を見ることができます。そればかりか、大きなダメージを受けた被災地を訪問された場合などには、避難所に身を寄せる人々を前に、天皇自らが膝を折ってお声を掛けられる場面もしばしば伝えられています。 [続きを読む]
  • 日本史の「タブー」07 技術革新 300年の空白
  • 遥かヨーロッパからこの日本に「鉄砲」が伝わった時期は、戦国の世真っ只中の1542年か1543年のことだとされています。いわゆる「鉄砲伝来」ですが、そのハイテク武器が最初に上陸した大隅国・種子島の、今なら中学生ほどの年齢だった若き領主・種子島時堯(1528-1579年)は、これに大きな関心を寄せ、大枚をはたいて二丁を購入するや、自らも熱心に射撃練習に精を出しました。今風に言うなら、初めて自分用の「スマホ」を持てた中 [続きを読む]
  • 日本史の「付録」07 トレンディ学問アラカルト
  • 一口に学術・学問とは言うものの、たとえば漢学/蘭学/洋学/国学/儒学/朱子学など、日本史の中には実に多くの名称が登場していることに気が付きます。仮にそうした字面に出くわしても、筆者なぞは、まあ大方の場合、自己流の勝手な解釈でお茶を濁していますが、少し拘って探ってみると、そこにはそれなりに深い意味があるようです。 [続きを読む]
  • 日本史の「トホホ」26 京の大仏様にツキはない
  • 日本の場合、「大仏」サマと言えば、まあ普通には「奈良の大仏」(東大寺廬舎那仏仏像/752年開眼)か、あるいは「鎌倉の大仏」(高徳院阿弥陀如来像/開基時期不明)あたりを、イメージするものと思われます。では、この他に大仏サマがないかのと言えば、実は「さにあらず」で、古い時代に限っても、たとえば方広寺には「京の大仏」(毘廬舎那仏坐像/1595年建造)と呼ばれた大仏サマもおられました。「・・・ました」と過去形の [続きを読む]
  • 日本史の「アレンジ」18 拙者の名前も御維新いたす
  • 実際には、この他にもその該当者?は大勢いますが、幕末維新の頃に大いなる活動を見せた人物の中からピックアップしたこの四人の「共通点」に気が付きますか?○長州藩士・村田 蔵六 (むらた・ぞうろく   /1824-1869年)○福井藩士・三岡 八郎 (みつおか・はちろう /1829-1909年)○長州藩士・桂 小五郎 (かつら・こごろう   /1833-1877年)○薩摩藩士・中村半次郎(なかむら・はんじろう/1833-1877年) [続きを読む]
  • 日本史の「謎解き」28 民族DNAは競争を嫌う?
  • 戦国の世の最終勝者となり、その後に江戸幕府を創立した徳川家康(1543-1616年)は、幕府の公式学問として「朱子学」を採用しました。もともとは「孔子」(前552-前479年)が始めた「儒教」を、千数百年も後になって南宋の「朱熹」(1130-1200年)が再構築したものが、この「朱子学」であり、これはまた「新儒教」ともいうべき位置づけをされています。 ちなみに「朱子」とは「朱先生」を意味する尊称です。 [続きを読む]
  • 日本史の「タブー」05 偽勅が歴史を変えた?
  • 「勅(ちょく)」とは、天皇の命令またはそれが書いてある文書(勅書とも)を指す言葉です。念のためですが、天皇が思いついたことを気まぐれに「チョクチョク」命令することから「勅」と呼ばれるようになったとする見解は、まあトンデモ説の類だと受け止めておいた方が無難なのかもしれません。ところが、長い歴史の中にはこのニセの「勅」、すなわち天皇の意思を捏造?したかのように見える出来事も、それこそチョクチョクあるの [続きを読む]
  • 日本史の「付録」06 幻に終わった一日五食
  • それまで縁のなかった日本にキリスト教を最初に紹介した人物は宣教師フランシスコ・デ・ザビエル(1506?-1552年)とされています。これ以後は日本にも多くの宣教師が訪れるようになり、熱心な布教活動を展開するようになるのですが、ただ、その「布教活動」の中身が、現代日本人の感覚からしたら、ちょっとばかり曲者で、むしろ「布教後」の展望に重きを置いたものになっていました。いうなれば、「布教」はその後に出される「メ [続きを読む]
  • 日本史の「陰謀」24 家康の朝廷封じ込め作戦
  • 戦国の世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、その権力機構である「幕府」(1603年)を江戸に置きました。そこでちょっと気になるのは、家康がその「江戸」という地名をそのまま使い続けたという事実です。平安時代末期の頃にはすでに「江戸」という地名はあったとされていますが、これは「穢土」にも通じる響きがあって、「良い名」どころかむしろ逆の印象にもなるところです。 [続きを読む]
  • 日本史の「言葉」26 すべては言葉が創り出す?
  • その昔、桓武天皇(第50代/737-806年)は山背国(京都府)に移した新しい都を「平安京」と名付け、その折ことのついでに国名の方も「山城国」(発音は同じヤマシロ)と改めています。世界最先進国・中国の雄大な城郭に囲まれた荘厳な都に憧れを持っていた桓武としてもホントのところは、それと同様の城郭を備えたかったでしょう。ところが、当時の日本はそれをまんまマネできるほどに豊かではありませんでした。  [続きを読む]