住兵衛 さん プロフィール

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住兵衛さん: ヤジ馬の日本史
ハンドル名住兵衛 さん
ブログタイトルヤジ馬の日本史
ブログURLhttps://nagoya301.at.webry.info/
サイト紹介文日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!
自由文日本の常識は世界の非常識?
もしそうならその原因は、この国が体験してきたユニークな歴史にあるのかもしれません。
そんな「日本史」を軽い目線でヤジ馬しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供72回 / 365日(平均1.4回/週) - 参加 2011/08/28 08:28

住兵衛 さんのブログ記事

  • 日本史の「付録」10 なにゆえ貴殿が国葬に?
  • 幕末の推移が分かりにくいのは、たぶん劇的な事態急変と逆転が遠慮なく登場することが原因の一つになっているのかもしれません。たとえば、その幕末期に政局の安定と攘夷実行を目論んで、いわゆる「公武合体」路線を強力に推し進めた孝明天皇(1831-1867年)が突然の崩御に見舞われたことを受け、その後継に立った明治天皇は逆に開国・倒幕路線に軸足を移しています。 [続きを読む]
  • 日本史の「異国」03 衣服まわりの二三の閑話
  • 人類史上初の有人宇宙飛行計画において、ライバル・ソ連の先手を取るべくアメリカが情熱を傾注したのが「マーキュリー計画」(1958〜1963年)でした。この時のNASA(アメリカ航空宇宙局)、要するにアメリカの有人飛行計画の黎明期の顛末を描いた映画に1983年「ライトスタッフ」という作品があります。 [続きを読む]
  • 日本史の「誤算」10 戦国乱世の三バカ大将
  • 「馬鹿者/愚者」を意味する言葉は、TPOによって阿呆・トンマ・間抜けなど、別の表現も用いられますが、そうした意味ではなく、政治的な判断もしくは行動の拙さをもって「愚者」と評された人物も、歴史上には少なからず登場しています。そんな立ち振る舞いだけで、後世の人間から「愚者」扱いされては、もう冤罪並みの不運と言ってもいいのかもしれません。 [続きを読む]
  • 日本史の「事始め」17 幕末日本人のモノづくり
  • 〜泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず〜いわゆる「黒船来航」(1853年)で吃驚仰天した様を揶揄した狂歌です。蛇足ですが、この「上喜撰」とは茶の銘柄であり、「蒸気船」(黒船のこと)にかけた言葉になっています。それはともかく、それこそ「見たこともない」ハイテク戦艦が姿を現したのですから、当時の日本人にとっては、そりゃあ随分のビックリだったでしょう。 [続きを読む]
  • 日本史の「お国自慢」17 やっとかめ文化祭2018
  • どうやら、数えて6年目ほどになるようですが、今やすっかり名古屋の秋の恒例行事となった感が漂う「やっとかめ文化祭」を今年もチョロっと覗いてみました。本年(2018年)10/27(土)〜11/18(日)を期間として、名古屋の街全体を会場にする形で、例年のように ○芸どころまちなか披露 ○芸どころまちなか舞台 ○まちなか寺子屋 ○まち歩きなごや など、多彩な企画が用意されました。今回筆者は、その「まちなか寺子屋」の〜見 [続きを読む]
  • 日本史の「微妙」09 素知らぬ顔して意趣返し
  • モンゴル高原に居住する遊牧民の有力族長の一人であったチンギス・カン(1162-1227年)が、その他の遊牧民らを統合して創設した「モンゴル帝国」(1206-1634年)は、その後もさらなる領地拡大に励み、いつしか下図にある範囲をその「最大版図」(領土・領域・勢力範囲)とするようになっていました。 [続きを読む]
  • 日本史の「ツッパリ」22 戦国ボランティアの聖戦
  • 〜山口県周防大島町で8月12日から行方不明になっていた2歳の男児が  15日、無事に保護された。 山中で男児を発見したのは、ボランティアで  捜索に加わっていた大分県の尾畠春夫さん(78)だった〜そもそも「ボランティアで捜索」という発想すら持ち合わせていなかった筆者は〜わずか30分ほどで男児を無事救出〜という劇的なニュースに接し、ただただ驚嘆するばかりでした。 [続きを読む]
  • 日本史の「逆転」22 異国・異人に拘った幕末風景
  • 黒船来航(1853年)の翌年に日本再来航を果たしたアメリカに対して、心ならずも「日米和親条約」(1854年)を締結せざるを得なかったのが時の幕府でした。長崎「出島」に拠点を持つオランダ国以外の、新たな「異国」である欧米との関りを持つことは、それまで継続してきた実質的な「鎖国体制」に幕府自身が終止符を打ったことになり、その打ち方も含め、これはこれで新たな問題を生みました。 [続きを読む]
  • 日本史の「付録」09 頭のテッペンに祖法あり
  • ものごとを比較するのび、世界の、あるいは日本の「三(大)○○」という表現がよく使われます。 筆者の生息地・名古屋辺りでいうなら、たとえば「郷土の三英傑」※とか「徳川御三家」※という表現などがそれに該当します。※織田信長(出身:尾張)/豊臣秀吉(出身:尾張)/徳川家康(出身:三河)※尾張徳川家(家祖:家康 9男・義直/62万石)  紀州徳川家(家祖:家康10男・頼宣/56万石)  水戸徳川家(家祖:家康11男 [続きを読む]
  • 日本史の「もしも」13 鉄砲は信仰に馴染まない
  • 日本国内の各地で戦が展開される戦国の頃に、遥かヨーロッパからこの地・種子島に初めて鉄砲という道具が伝わったのが、いわゆる「鉄砲伝来」(1542?1543年?)です。若き領主・種子島時堯(1528-1579年)は、その「鉄砲」が備えた威力を間近に見て、さっそく実物二丁を買い求めるや、すぐさま刀鍛冶職人に「コピー品」の製造を命じています。若いだけあって、決断も行動もさすがに早い。 [続きを読む]
  • 日本史の「列伝」18 突然死と長っ尻の第11代
  • 江戸幕府第10代将軍・家治(1737-1786年)の世嗣・徳川家基(1762-1779年)は、幼年期より聡明で文武両道の才能を発露していただけでなく、成長するにつれ政治にも大きな関心を寄せるようになっていました。ですから、8代・吉宗→その子9代・家重→その子10代・家治と続いた江戸幕府将軍職は、何事もなければ、血筋の流れの通りに第11代には家基が就くはずでした。 [続きを読む]