元島根県民 さん プロフィール

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元島根県民さん: 元島根県民のお部屋
ハンドル名元島根県民 さん
ブログタイトル元島根県民のお部屋
ブログURLhttp://okigoka.blog.fc2.com/
サイト紹介文島根県を中心とした建物や街並み、近代化遺産と、路面モジュール、Nストラクチャーの製作など。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供34回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2011/09/24 11:30

元島根県民 さんのブログ記事

  • 佐和歯科医院(松江市寺町人参方)
  • 松江市の寺町に「人参方」という小字がありまして、これは封建時代の松江藩で大根島の朝鮮人参を取り仕切っていた、「人参方」という役所があったことの名残であります。今も寺町の屋根が掛かっているのは、かつての役所の長屋門の一部だそうです。その人参方のすぐ近くに、歴史的な医院の建物が残されています。電灯のデザインがモダンな雰囲気の玄関部分。「佐和歯科醫院」の表札がかけられています。(昭和7年6月26日付松陽新報 [続きを読む]
  • 出雲ビル(松江市白潟本町)
  • 松江市白潟本町はかつて松江市内でも有数の繁華な地だったのですが、中心市街地の空洞化の波をうけてすっかり寂しくなってしまいました。そのような状況の中、頑張っているのが大正14年築の「出雲ビル」の建物です。あまりにも有名な物件で、今更説明することもないのですが、この建物は大正14年、千葉県野田市の「興風会館」などを手掛けた大森茂の設計により建てられました。建築主の出雲益良氏はイギリス留学の際に現地のデパー [続きを読む]
  • 旧上府村役場(浜田市上府町)その2
  • 以前ご紹介した浜田市上府町の旧上府村役場について、当時の新聞記事より建築年が判明しました。昭和4年7月14日付山陰新聞「上府村の役場新築 此十五日着工」那賀郡上府村では既報の如く村役場庁舎新築の為過般入札に付した結果、三千四百円にて下府村森下治三郎氏に落札した右新庁舎は本館六間半五間半三十五坪五合、瓦葺二階建、階下は事務室宿直室とし、階上広間は会議室及び村公会堂とするもので七月十五日着工、十月三十日竣 [続きを読む]
  • 浜田の絵葉書よりその2
  • 前回の続きです。今回は絵葉書の左半分をみてみます。⑥浜田税務署いかにもお役所風な近代建築です。戦前の新聞記事などから手掛かりを見つけることができなかったのですが、昭和12年に刊行された「大日本職業別明細図」を確認したところによれば位置からして浜田税務署だった建物のようです。現在も大体同じ位置に浜田税務署がたっています。⑦坂根惣太氏邸絵葉書の左端には見慣れない洋風3階建ての建物が確認できます。これは「 [続きを読む]
  • 三成のワキ
  • 木次線の出雲三成と亀嵩の間、線路に沿って国鉄時代の貨車が二両保存?されています。国道432からも良く見えるのでご存知の方も多いでしょう。昭和43年の銘板。二両とも台車が残っており、線路も敷かれていています。この貨車は国鉄のワキ10000形といい、Wikipediaによれば貨物列車の運転速度向上のため、最高速度時速100 kmで走れるように開発された貨車だそうです。ワキ10120。ワキ10073。橋の上から俯瞰。ワキ10000はおそらく木 [続きを読む]
  • 旧鹿足郡役所(津和野町後田口)
  • 水路に鯉が泳ぐ津和野のメインストリートに旧鹿足郡役場の建物が現存しています。武家屋敷風の門が素敵な風情ですが、これは修景の為に後年建築されたもの。郡役所の建物は隠れがちです。大正8年築の旧鹿足郡役所。和風平屋建ての堂々たる役所建築です。益田に現存する旧美濃郡役所にそっくりですがこちらの役所の方が2年先輩です。郡役所としては郡制廃止の大正15年まで使用されています。その後昭和9年から昭和34年まで津和野警 [続きを読む]
  • 浜田の絵葉書より(その1)
  • 最近絵葉書ネタばかりですが、やはり今回も絵葉書ネタです。せんだってヤフーオークションで浜田市をうつした絵葉書を落札しました。なかなかクリアな画質で建物がいろいろ確認することが出来る貴重な資料です。この絵葉書に写されている個々の建物について、ブログ主が持っている資料を基に考察を加えてみたいと思います。(国土地理院WEBより)絵葉書の写真は浜田の北側の山より日本海の方向に向けて撮影されています。写ってい [続きを読む]
  • 大田の地震のこと
  • 先般の大田の地震で被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。あれだけ大きな地震であったにもかかわらず、NHKニュースでさえもあまり大きく取り上げないので、被害がどうだったのか、あまり情報が入ってこなかったのですが、TwitterなどのSNSを通じて刻々と入ってくる建物被害に、相当現地はご苦労されているだろうと痛切に感じました。※地震翌日のNHKニュースが地震より先に大リーグを取り上げたのにはさすがに怒りを覚えまし [続きを読む]
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その6)
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その3)で先代16代松江大橋に並行する水道管用橋の存在について指摘をしましたが、今回はその続編です。先代松江大橋の時代には、橋の上流側(宍道湖側)に水道管用の橋が並行して架けられていたことが確認できる絵葉書があります。同じように見える絵葉書でも上記の水道管用の橋が見当たらないものもあります。先代の松江大橋の架橋が明治44年、松江市における上水道の設置が大正7年です [続きを読む]
  • 三澤村の絵葉書
  • 最近絵葉書ネタが続いていますが、久しぶりの更新も絵葉書ネタです。ヤフーオークションで「三澤名勝」と題された絵葉書を落札しました。「三澤」は現在の奥出雲町三沢地区です。かつては三澤村という独立した村でしたが、昭和30年に三成町・阿井村・亀嵩村・布勢村と合併して仁多町となり村はなくなりました。三澤村の中心地を写した絵葉書です。右手前に立派な門構えのお屋敷があります。突き当りの茅葺屋根がキャプションにある [続きを読む]
  • 旧制松江高校本館基礎部分
  • 最近、浅草十二階(凌雲閣)の基礎部の煉瓦が発掘されたニュースが話題になりましたが、島根県でも基礎の煉瓦が発掘され、こちらはしっかりと保存されています。便乗ではありませんがこの機会にご紹介したいと思います。発掘・保存されたのは島根大学の前身である、旧制松江高等学校本館の基礎煉瓦部分です。旧制松江高校本館は大正10年に建てられ、その後の学制改革による松高廃止後は島根大学の校舎として昭和40年代まで使われた [続きを読む]
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その5)
  • 松江大橋を写した絵葉書について、(その1)、(その2)、(その3)、(その4)と撮影年代を考察してきました。その後に入手した絵葉書についても考察をしてみたいと思います。【昭和12年の絵葉書】なにわ本店側から撮影した当代(17代)大橋の絵葉書です。このアングルからの絵葉書は珍しいと思います。川面に小舟が浮かんでおり、何か作業をしているのでしょうか。橋の上からはその作業を見ているのか、大勢の人が川面を見下ろ [続きを読む]
  • 旧海潮村産業組合倉庫(雲南市大東町南村)
  • 海潮中学校前、JAしまね海潮店の敷地内に残る、産業組合時代の農業倉庫です。(松陽新報昭和15年7月15日付)昭和15年の松陽新報で、海潮村産業組合が設立30周年を迎えたという記事があり、その写真にこの倉庫が写っているのを確認することが出来ました。倉庫の建築年代はわかりませんが、少なくとも戦前、記事が書かれた昭和15年以前に、海潮村産業組合の倉庫として建てられたのは間違いないのではないかと思われます。写真の拡大 [続きを読む]
  • 横田小学校校門門柱(奥出雲町横田町)
  • 出雲横田駅からほど近く、横田小学校の門柱は大正10年に建造された歴史のあるものです。2mくらいあるのではないでしょうか。立派な門柱です。「横田歴史文化写真帳」によれば、横田小学校の校舎増改築を記念して建てられたとのことです。上記写真集には生徒総出で門柱を引っ張る写真が残されています。【撮影】平成29年4月【参考文献】「島根の近代化遺産」  平成14年 島根県教育委員会「横田歴史文化写真帖」  平成16年 横 [続きを読む]
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その4)
  • (その1)(その2)(その3)の番外編です。(その4)では現在の松江大橋の絵葉書について考えてみたいと思います。(松陽新報 昭和12年10月19日付)前回まで検証してきた16代目松江大橋は明治44年の架橋以来、松江の橋南・橋北を結ぶ重要なルートとして重きをなしてきましたが、年を経て老朽化が進み、昭和に入ると改架に関する議論が上がるようになりました。紆余曲折の末、昭和12年10月18日に17代目となる現在の松江大橋が [続きを読む]
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その3)
  • (その2)からの続きです。【昭和7年〜昭和8年の絵葉書】これまでの絵葉書と若干構図が異なり、川下に大橋館も写っています。①原田時計店未だ改築されていないので昭和8年以前という事が分かります。②大橋館松陽新報昭和7年8月18日付前述の通り、大橋川沿いの旅館大橋館は昭和7年8月に新築開業していますので、昭和7年8月以降の風景という事になると思います。③市営バス市営バスの塗装が旧塗装ですので、昭和9年4月以前というこ [続きを読む]
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その2)
  • (その1)からの続きです。【昭和4年〜昭和7年の絵葉書】(その1)で紹介した絵葉書と変化がないようにも思われますが、下記のような変化が見られます。①原田時計店原田時計店はまだ明治築のものですから昭和8年以前という事が分かります。②橋の上を走っているバス絵葉書のバスの部分の拡大です。写真手前に文化自動車バス同様の古風なモニター屋根付きバス、そのバスの前をやや近代的なバスが走っています。塗装は文化自動車バ [続きを読む]
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その1)
  • 大橋川に松江大橋が架かる風景は、松江市の代表的な景観の一つであり、明治時代より絵葉書の題材として多くのバリエーションがあります。本稿では、数多く残されている松江大橋の絵葉書について、絵葉書に写されている周辺の建物や自動車を分析することにより、その絵葉書の写真の撮影年代を特定してみたいと思います。〈平成30年2月追記と修正〉大橋に併設された水道橋の時代考察について追記し、「初代日銀」に関する記述を修正 [続きを読む]
  • 旧出西小学校その3(出雲市斐川町出西)
  • 以前ご紹介した出西小学校について、「出西村教育八十年史」より校舎の変遷についてまとめたいと思います。以下青字部分は「出西村教育八十年史」より校舎の情報を抜き出したものです。明治校舎明治41年4月1日着工明治41年12月1日落成本館(2階建て)+屋内体操場(平屋)+付属建物工費 ¥11,300-請負 松江市 和泉豊吉昭和校舎(前略)これより先き現校舎の西に6畝28坪を借り受け埋め立てをなし屋内体操場を建築し、現校地に旧校 [続きを読む]
  • 深野奥原隧道(雲南市吉田町深野)その4
  • 深野奥原隧道探索(その1)・(その2)・(その3)からの続きです。ついに全貌をあらわした深野奥原隧道ですが、今回はその歴史や掘られた理由などについて考察をしたいと思います。(参謀本部 昭和7年「木次」・「頓原」より)改めて戦前の地形図で隧道の位置を確認してみます。昭和7年の地図では隧道はなく、隧道があるべき位置には道が記されています。昭和10年に完成したとされる隧道ですから、この地図の破線は尾根を越え [続きを読む]
  • 深野奥原隧道(雲南市吉田町深野)その3
  • 深野奥原隧道探索(その1)・(その2)からの続きです。ついに深野奥原隧道に到達しました。おそらくWEB上ではじめての公開という快挙をなしとげました。殆ど沢と同化している道より隧道を眺めます。古いトンネルにありがちな「高度を稼いでから尾根のチョイ下くらいに穿たれている隧道」を想像していたのですが、様相は全く異なり、尾根のはるか下を穿つ隧道でした。隧道の入り口には土砂などが堆積していていて隧道全体が見 [続きを読む]
  • 旧横田町森林組合(奥出雲町横田)
  • 旧横田町の市街地は、出雲横田駅、旧山陰合同銀行横田支店、横田相愛教会など、昔ながらの町並みの中に近代建築が点在している桃源郷です。その町並みの中、旧合銀横田支店と相愛教会の間に1軒洋風な建物が建物が残されています。現在は商店の倉庫?作業場?のような使われ方をされているようですが、全体を見ますとなかなか立派な建物です。これまでこの建物の出自が分からないでいたのですが、島根県立図書館でたまたま見かけた [続きを読む]
  • 深野奥原隧道(雲南市吉田町深野)その2
  • 深野奥原隧道探索(その1)からの続きです。(第二次探索・平成29年4月)前回の平成27年の第一次探索は完敗に終わりましたが、1年半後の平成29年4月、深野奥原隧道に到達すべく、再度雲南の地に出撃しました。第二次探索では、「夏は下草がすごくて道がわからなくなる」という戦訓を踏まえ、まだ下草が出てこない早春の時期を狙うことにしました。今回はペットボトルも3本持って、水不足への対策も万全としました。平成29年4月の [続きを読む]
  • 深野奥原隧道(雲南市吉田町深野)その1
  • 平成17年に発刊された「島根の近代化遺産」の市町村別リストを見ると、旧吉田村の項に「深野奥原隧道」という見慣れないトンネルがリストアップされています。リストには「昭和10年・土造」とあり、昭和10年代にあっても「土造」、すなわち手堀りの隧道という事だと思うのですが、これは一体どういうことなのか、大変興味をそそられる物件です。しかしながらこの隧道、ネット上で検索しても画像が出てこず、文献も見当たらず、山陰地 [続きを読む]