元島根県民 さん プロフィール

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元島根県民さん: 元島根県民のお部屋
ハンドル名元島根県民 さん
ブログタイトル元島根県民のお部屋
ブログURLhttp://okigoka.blog.fc2.com/
サイト紹介文島根県を中心とした建物や街並み、近代化遺産と、路面モジュール、Nストラクチャーの製作など。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供45回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2011/09/24 11:30

元島根県民 さんのブログ記事

  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その6)
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その3)で先代16代松江大橋に並行する水道管用橋の存在について指摘をしましたが、今回はその続編です。先代松江大橋の時代には、橋の上流側(宍道湖側)に水道管用の橋が並行して架けられていたことが確認できる絵葉書があります。同じように見える絵葉書でも上記の水道管用の橋が見当たらないものもあります。先代の松江大橋の架橋が明治44年、松江市における上水道の設置が大正7年です [続きを読む]
  • 三澤村の絵葉書
  • 最近絵葉書ネタが続いていますが、久しぶりの更新も絵葉書ネタです。ヤフーオークションで「三澤名勝」と題された絵葉書を落札しました。「三澤」は現在の奥出雲町三沢地区です。かつては三澤村という独立した村でしたが、昭和30年に三成町・阿井村・亀嵩村・布勢村と合併して仁多町となり村はなくなりました。三澤村の中心地を写した絵葉書です。右手前に立派な門構えのお屋敷があります。突き当りの茅葺屋根がキャプションにある [続きを読む]
  • 旧制松江高校本館基礎部分
  • 最近、浅草十二階(凌雲閣)の基礎部の煉瓦が発掘されたニュースが話題になりましたが、島根県でも基礎の煉瓦が発掘され、こちらはしっかりと保存されています。便乗ではありませんがこの機会にご紹介したいと思います。発掘・保存されたのは島根大学の前身である、旧制松江高等学校本館の基礎煉瓦部分です。旧制松江高校本館は大正10年に建てられ、その後の学制改革による松高廃止後は島根大学の校舎として昭和40年代まで使われた [続きを読む]
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その5)
  • 松江大橋を写した絵葉書について、(その1)、(その2)、(その3)、(その4)と撮影年代を考察してきました。その後に入手した絵葉書についても考察をしてみたいと思います。【昭和12年の絵葉書】なにわ本店側から撮影した当代(17代)大橋の絵葉書です。このアングルからの絵葉書は珍しいと思います。川面に小舟が浮かんでおり、何か作業をしているのでしょうか。橋の上からはその作業を見ているのか、大勢の人が川面を見下ろ [続きを読む]
  • 旧海潮村産業組合倉庫(雲南市大東町南村)
  • 海潮中学校前、JAしまね海潮店の敷地内に残る、産業組合時代の農業倉庫です。(松陽新報昭和15年7月15日付)昭和15年の松陽新報で、海潮村産業組合が設立30周年を迎えたという記事があり、その写真にこの倉庫が写っているのを確認することが出来ました。倉庫の建築年代はわかりませんが、少なくとも戦前、記事が書かれた昭和15年以前に、海潮村産業組合の倉庫として建てられたのは間違いないのではないかと思われます。写真の拡大 [続きを読む]
  • 横田小学校校門門柱(奥出雲町横田町)
  • 出雲横田駅からほど近く、横田小学校の門柱は大正10年に建造された歴史のあるものです。2mくらいあるのではないでしょうか。立派な門柱です。「横田歴史文化写真帳」によれば、横田小学校の校舎増改築を記念して建てられたとのことです。上記写真集には生徒総出で門柱を引っ張る写真が残されています。【撮影】平成29年4月【参考文献】「島根の近代化遺産」  平成14年 島根県教育委員会「横田歴史文化写真帖」  平成16年 横 [続きを読む]
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その4)
  • (その1)(その2)(その3)の番外編です。(その4)では現在の松江大橋の絵葉書について考えてみたいと思います。(松陽新報 昭和12年10月19日付)前回まで検証してきた16代目松江大橋は明治44年の架橋以来、松江の橋南・橋北を結ぶ重要なルートとして重きをなしてきましたが、年を経て老朽化が進み、昭和に入ると改架に関する議論が上がるようになりました。紆余曲折の末、昭和12年10月18日に17代目となる現在の松江大橋が [続きを読む]
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その3)
  • (その2)からの続きです。【昭和7年〜昭和8年の絵葉書】これまでの絵葉書と若干構図が異なり、川下に大橋館も写っています。①原田時計店未だ改築されていないので昭和8年以前という事が分かります。②大橋館松陽新報昭和7年8月18日付前述の通り、大橋川沿いの旅館大橋館は昭和7年8月に新築開業していますので、昭和7年8月以降の風景という事になると思います。③市営バス市営バスの塗装が旧塗装ですので、昭和9年4月以前というこ [続きを読む]
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その2)
  • (その1)からの続きです。【昭和4年〜昭和7年の絵葉書】(その1)で紹介した絵葉書と変化がないようにも思われますが、下記のような変化が見られます。①原田時計店原田時計店はまだ明治築のものですから昭和8年以前という事が分かります。②橋の上を走っているバス絵葉書のバスの部分の拡大です。写真手前に文化自動車バス同様の古風なモニター屋根付きバス、そのバスの前をやや近代的なバスが走っています。塗装は文化自動車バ [続きを読む]
  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その1)
  • 大橋川に松江大橋が架かる風景は、松江市の代表的な景観の一つであり、明治時代より絵葉書の題材として多くのバリエーションがあります。本稿では、数多く残されている松江大橋の絵葉書について、絵葉書に写されている周辺の建物や自動車を分析することにより、その絵葉書の写真の撮影年代を特定してみたいと思います。〈平成30年2月追記と修正〉大橋に併設された水道橋の時代考察について追記し、「初代日銀」に関する記述を修正 [続きを読む]
  • 旧出西小学校その3(出雲市斐川町出西)
  • 以前ご紹介した出西小学校について、「出西村教育八十年史」より校舎の変遷についてまとめたいと思います。以下青字部分は「出西村教育八十年史」より校舎の情報を抜き出したものです。明治校舎明治41年4月1日着工明治41年12月1日落成本館(2階建て)+屋内体操場(平屋)+付属建物工費 ¥11,300-請負 松江市 和泉豊吉昭和校舎(前略)これより先き現校舎の西に6畝28坪を借り受け埋め立てをなし屋内体操場を建築し、現校地に旧校 [続きを読む]
  • 深野奥原隧道(雲南市吉田町深野)その4
  • 深野奥原隧道探索(その1)・(その2)・(その3)からの続きです。ついに全貌をあらわした深野奥原隧道ですが、今回はその歴史や掘られた理由などについて考察をしたいと思います。(参謀本部 昭和7年「木次」・「頓原」より)改めて戦前の地形図で隧道の位置を確認してみます。昭和7年の地図では隧道はなく、隧道があるべき位置には道が記されています。昭和10年に完成したとされる隧道ですから、この地図の破線は尾根を越え [続きを読む]
  • 深野奥原隧道(雲南市吉田町深野)その3
  • 深野奥原隧道探索(その1)・(その2)からの続きです。ついに深野奥原隧道に到達しました。おそらくWEB上ではじめての公開という快挙をなしとげました。殆ど沢と同化している道より隧道を眺めます。古いトンネルにありがちな「高度を稼いでから尾根のチョイ下くらいに穿たれている隧道」を想像していたのですが、様相は全く異なり、尾根のはるか下を穿つ隧道でした。隧道の入り口には土砂などが堆積していていて隧道全体が見 [続きを読む]
  • 旧横田町森林組合(奥出雲町横田)
  • 旧横田町の市街地は、出雲横田駅、旧山陰合同銀行横田支店、横田相愛教会など、昔ながらの町並みの中に近代建築が点在している桃源郷です。その町並みの中、旧合銀横田支店と相愛教会の間に1軒洋風な建物が建物が残されています。現在は商店の倉庫?作業場?のような使われ方をされているようですが、全体を見ますとなかなか立派な建物です。これまでこの建物の出自が分からないでいたのですが、島根県立図書館でたまたま見かけた [続きを読む]
  • 深野奥原隧道(雲南市吉田町深野)その2
  • 深野奥原隧道探索(その1)からの続きです。(第二次探索・平成29年4月)前回の平成27年の第一次探索は完敗に終わりましたが、1年半後の平成29年4月、深野奥原隧道に到達すべく、再度雲南の地に出撃しました。第二次探索では、「夏は下草がすごくて道がわからなくなる」という戦訓を踏まえ、まだ下草が出てこない早春の時期を狙うことにしました。今回はペットボトルも3本持って、水不足への対策も万全としました。平成29年4月の [続きを読む]
  • 深野奥原隧道(雲南市吉田町深野)その1
  • 平成17年に発刊された「島根の近代化遺産」の市町村別リストを見ると、旧吉田村の項に「深野奥原隧道」という見慣れないトンネルがリストアップされています。リストには「昭和10年・土造」とあり、昭和10年代にあっても「土造」、すなわち手堀りの隧道という事だと思うのですが、これは一体どういうことなのか、大変興味をそそられる物件です。しかしながらこの隧道、ネット上で検索しても画像が出てこず、文献も見当たらず、山陰地 [続きを読む]
  • 旧和栗銀行本店(JAいずも知井宮支店)その2
  • 山陰本線西出雲駅前の旧和栗銀行についての続報です。大正15年4月16日付の山陰新聞をご覧ください。(山陰新聞 大正15年4月16日付)当時の知井宮村の役場を、旧和栗銀行本店建物に移転したことが記されています。大正15年当時の旧和栗銀行の姿が写し出されていました。現在はモルタル塗り風ですが、当時は石造り風の装飾の多いデザインだったことが分かります。玄関庇部分はバルコニー風な感じです。和洋折衷ではなく、本格的な様 [続きを読む]
  • 鑓ヶ崎橋(出雲市大社町入南)
  • 一畑電鉄の浜山公園北口駅から少し北へ、入南地区の外れの用水路?(川名不明)と高浜川が合流する地点に架かる橋です。名前は「鑓ヶ崎橋」、昭和7年架橋の鉄筋コンクリート桁橋です。(国土地理院WEBより)場所はココ。「島根県の近代化遺産」リストでその名は知っていましたが、どこに架かる橋なのかさっぱりわからず、グーグルストリートビューでようやく見つけることが出来ました。地図の通り、当てずっぽうでドライブしていて [続きを読む]
  • 旧白潟派出所(松江市伊勢宮町)
  • 松江市内、新大橋の南詰に近代建築っぽい建物がありました。建物には「松江魚商協同組合」の看板が掲げてありました。ちょっと昔のマップルでは「伊勢宮町会館」となっています。戦後の建物のようにも見えるし、何とも言えない物件でしたが、昭和15年の松陽新報を読んでいたら、この建物が「派出所完成」として登場してきましたのでご紹介します。(昭和15年4月19日付松陽新報)いかがなものでしょうか、「新築された松江署白潟派 [続きを読む]
  • 旧吉田小学校講堂(雲南市吉田町)その2
  • 以前ご紹介した、旧吉田小学校講堂ですが、建築当初の様子や学校の歴史などについて調べてみましたので、二回にわかってご紹介したいと思います。旧吉田小学校講堂に関しては、松陽新報昭和12年12月21日付の記事にその詳細が記載されていますので、必要な部分について抜粋してみます。松陽新報(昭和12年12月21日付)「飯石吉田小学校 移転新築落成式挙ぐ」飯石郡??田村小学校は近時学童の著しい増加にともない校舎の狭隘 [続きを読む]
  • 西郷岬灯台(隠岐の島町岬町)その2
  • 以前ご紹介した、島後の西郷岬灯台について、戦前の絵葉書を手に入れましたのでご紹介します。古い絵葉書には灯台の外、官舎らしき寄棟の建物が確認できます。灯台周辺は背の低い塀が廻らされているのも確認できますね。絵葉書に近いアングルで撮影した写真です。向かって右側が西郷湾側です。もう少し引いて撮りたかったのですが、崖から落ちます。昔の写真で国旗がたなびいている柱とほぼ同じ位置に、現在はアンテナ塔が建てられ [続きを読む]
  • 旧白鳥村信用組合倉庫(市原市大久保)
  • 模型仲間とともに小湊鉄道の「里山トロッコ」を楽しんでおりましたところ、上総大久保駅を出たところで車窓に気になる物件を見つけました。JAの支店とその倉庫といった風情ですが、すでに看板をはずされ、ATMも動いていなさそうな雰囲気です。事務所棟の隣には農業倉庫。手前は新しい増築風ですが、その奥には昔ながらの倉庫のようです。注目すべきは倉庫の「鉢巻」の部分に書かれている文字です。一部不鮮明ですが「保証責任 [続きを読む]
  • 津森医院(松江市本庄町)その2
  • だいぶ前にご紹介した、松江市本庄町の津森医院について補足です。津森医院の築年代について、島根県教育委員会の「島根の近代化遺産」リストでは昭和元年、文化庁のデータベースでは昭和初期としてあります。大正天皇が崩御された大正15年12月25日をもって昭和に改元されていますから、昭和元年は12月25日から12月31日までのわずかの期間しかなかったことになります。ということで、津森医院は本当に昭和になってから建てられた建 [続きを読む]
  • 旧本郷青年倶楽部(大田市温泉津町湯里)
  • 以前ご紹介した旧湯里村役場前の通りを海方向へ、歩いていくと、こんな建物に出会いました。民家にしては大柄で何となく明治〜大正期の小学校の講堂にも見える建物です。気になる建物でしたが、旧湯里村の歴史を記した「ふるさとアルバム」という資料に、昭和初期に「本郷青年倶楽部」として建てられたものという記述がありました。映画を上映したり、会合などに使われたとありました。「青年倶楽部」というくらいですから、主に地 [続きを読む]
  • 母里小学校校門(安来市伯太町西母里)
  • 旧伯太町の母里小学校の校門です。「郷土母里」によれば、昭和3年に建立されたものとのことです。なかなかオシャレなデザインです。上述の「郷土母里」によれば、「人造石洗出し工法により仕上げられている」とありました。校舎はすっかり建て替えられていますが、校門は昔のままの姿で残されています。【撮影】 平成26年9月【参考文献】郷土母里第2輯 平成16年 母里公民館・ 母里郷土誌編纂委員会 [続きを読む]