上野公園(新・ノアの箱船) さん プロフィール

  •  
上野公園(新・ノアの箱船)さん: 人に内在する良心神(神言会)
ハンドル名上野公園(新・ノアの箱船) さん
ブログタイトル人に内在する良心神(神言会)
ブログURLhttp://kamikotokai-b.jugem.jp/
サイト紹介文人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。
自由文神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供44回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2011/11/10 16:05

上野公園(新・ノアの箱船) さんのブログ記事

  • みろく世に適応した専用の【水晶玉(魂)】の中に【白十字】
  • つい最近、ある方からメールを頂きました。そのメールによると、その方の前に透明の水球が現れて、その中に白色の正十字が入っている。不思議なことに、その白色の正十字はどの位置から見ても正面に見えて来る。通常ならば正面に白色の正十字が見えるならば、脇から見るとそうは見えないはずなのに何故か白色の正十字が常に正面に見えて来る。それが玉だと解ったのは光の関係からです。これが貴方が説いていおられるみろく世におけ [続きを読む]
  • 【実写版ビデオ】 霊はこの世の物質界を通過する 霊界否定に走っては行けない
  • 私はとある悪党と電話で話をした時、その悪党は【宗教は大嘘つきだ。悪いことをすれば地獄に墜ちると人?を脅迫しているが地獄など存在しない。人は死ねば終わりだから、悪をしなければ損をする。怖いのは神ではなくて警察だ】と言います。この悪党。別に神の存在を否定しているのではないのです。その悪党曰く。【神は俺達人間がすることに口を出すな。人間が困って神頼みに行った時だけ、神は人間を救っていればいいのだ】と、神 [続きを読む]
  • かごめ歌は予言歌として知られるが、伊勢の神に見られた鶴と亀
  • 最近、複数の人から自分の頭の中に「かごめ歌」が流れ込んで来たとの連絡を受けました。童歌の「かごめ歌」は精神世界に関わっている者であれば、それが【予言歌】であることは知られていますが、解釈がかなり難しいと言えます。その解釈は人様々です。誰の説が正しくて、誰の説は間違いだと断定は出来ません。 私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【私はこの日本の「民話」や「昔話」に私の教えを秘めた。日本の童歌の「か [続きを読む]
  • 世の表に出て来た、何故に大立替が起きるのかの要因と新地球の論
  • 精神世界ランキング上のブログで名実共にトップを走っておられるのは【伊勢白山道のリーマン氏】で、このことは天人界でも知られているようです。 私の知人の友人が天人界を訪問した時、天人から近々最後の審判が執り行われるの噂が天人界でもあり。それを執行されるのは【国常立尊】様である。各自の魂の【良心神】の点数で最後の判定がなされる。その判定そのものは「国常立尊」様付きの天使長が主体でなされる。その為に、その [続きを読む]
  • 立替時には霊媒体質者は、助けを求める霊に懸かられて被害を被るおそれあり
  • 最近、霊媒体質の方から、何故か以前よりも体がだるい。非常に眠いと言う声を聞きます。自分の体に大きな変化を感じておられるです。 世には死後の世界、霊の世界など無いと頑固に主張される方達が多数あります。それは学者だけでなく、日本仏教のある宗派は公然と死後の世界を否定しています。では、仏教の開祖であるお釈迦様は死後の世界たる霊界に居ないのか?。その宗派の元祖の教の開祖とされるべき人は死後の霊界に居ないの [続きを読む]
  • 出口王仁三郎聖師予言の【陸の龍宮城】に見られる霊的光景(写真)
  • 大本教の出口王仁三郎聖師は、綾部の大本教神苑内にある「金龍海」は型であり、本当の金龍海は別の場所だと述べておられます。そこを「陸の龍宮城」と言っておられます。その金龍海とは明治の初め頃までは排水路が無い池で「底なし沼」とされていたのですが、綾部藩最後の藩主であった宇宙の元津神を【ウシトラ(宇志採羅)神】とする九鬼神道家の九鬼氏が、その沼から由良川(和知川)までの排水路を付けたことにより、その沼その [続きを読む]
  • 立春に秘められた みろくの世は嬉し嬉しの青春時代に若返った様な世界
  • 明治25年節分の夜。大本教の「出口なお開祖」に艮(ウシトラ)金神国常立尊の神懸かりが起きました。何故、節分の夜だったのでしょうか? そこには「牛虎」の鬼が云うの「魂」の存在を知らせむ意味はありました。世の大立替は各自の「魂」を審査して、永遠(みろく)の世に入る各魂の地位を定めるからです。聖書に記載される「最後の審判」の意味は、単なる天国と地獄に分けるではなくて、永遠の世に向かうので、これまでの長き [続きを読む]
  • 三千世界一度に開く梅の花の【梅の花とは?】
  • 丹波の片田舎綾部(漢部)で発祥した大本教から出された「世の立替」に関して、大本教神諭に【三千世界一度に開く梅の花 艮の金神の世になりたぞよ。神が表に現れて三千世界の立替え立直しを致すぞよ】が出されました。予告と言えます。 それを受けて、大本教の基本宣伝歌に【三千世界の梅の花 一度に開く神の教(のり) 開いて散りて実を結ぶ 月日と地(つち)の恩を知れ この世を救ふ生神(いきがみ)は 高天原(たかあま [続きを読む]
  • 多様な三千世界故に【霊界保険】を掛けておく
  • 日本の心霊科学の分野で著名なある方は、その霊界研究に霊媒者を通じて霊界と通信をされていました。その霊媒者の前世とされる霊を通じて霊界を学ぶです。その方が帰幽された後、その方の志を継がれた方達が霊媒者を通じてその方が行かれた霊界の様子を聞いたところ、その方が生前に霊媒者を通じて霊から聞いていた世界とはまるで違う世界であったと言われたとされます。 何故にそうしたことになるのかと言いますと、霊界は非常に [続きを読む]
  • 西暦2018年【戌】年の漢字が示す【烕(めつ)】の越中越え
  • 西暦2018年の犬(戌)年。必ずしも「明けましておめでとうござます」とは言えない面があります。それは「戌」の漢字が持つ意味にあります。私達は【祓い】の字に【犬】の字があることは理解していました。ところが、その【犬】年に使われる【戌】の漢字の意味を見落としていたと言えます。戌の元字は【戉】です。戌の字を見ても「戊(つちのえ)」しか気づいていなかったからと言えます。五行で「土は戊に生じ、戌になる」で、 [続きを読む]
  • 魂を磨く?/人は【霊(ヒ)止(ト)】故に、誰しも霊の憑依を受ける
  • 三千世界の大立替を予告した大本教の出口王仁三郎聖師によって、人は「霊止(ヒト)」のことであるとの説が出されました。現在、出口王仁三郎聖師の大本教霊学で何等かの学びを得た人達の間では、人は「霊止(ヒト)」の意味であるという考え方は成り立っていると思われます。「霊」の字に「ヒ」とする呼び方があるからです。 人=霊止(ヒト) 人は肉体に霊を止めている物 この「霊」の漢字は知られているのですが、あまり知ら [続きを読む]
  • 魂を磨く?/前世の記憶から学ぶ人としての在り方
  • キリスト教などでは死後は天国か煉獄(地獄)の二元論世界で、人の魂が【輪廻転生】している等の教えは存在しません。そうなりますと【カルマ】の存在すら否定されてしまいます。一応、【輪廻転生】は仏教における【六道輪廻】の教えはありますが、お釈迦様の原始仏教にはそうした教えが見当たらないようで、後世の物だとする仏教関係者もあります。日本の仏教でも某宗派は公然と死後の世界はないとしています。ならば、その某宗教 [続きを読む]
  • 魂を磨く?/正神界も邪神界も共通して説けることは「感謝心」を持て
  • よく「正神」だとか「邪神」だと言葉を発する方が居られます。その人は何を持って正神と邪神の基準を決めておられるのだろうかです。おそらく、自分が信じる神が正神界で、自分が信じていない神以外の存在は邪神だ式なのでしょう。自分が創造神だとか救世主だと名乗っている方を100人集めれば、100人が100人とも自分以外の人は蛇や狐や狸や猫の類いの神に騙されていると言われます。ということは、そうしたことを名乗って [続きを読む]
  • 魂を磨く?/枝葉の神の栄えの教えではなく、松(公)の根元神を知る
  • 私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は私にある例え話をして来ました。【海岸に長年の風雪に耐えた見事な枝振りの「松」がある。人々はその風雪に耐えて荒々しい木肌や見事な枝振りの松を見て褒めるであろう。だが、誰がその「松の根元」を見るであろうか。松の枝振りでなく「松の根元」を見る者でないといけない。仮に【松の根元】が解る者がそなた一人であっても、そなたには【松の根元】を見る者になって欲しい。 私は子供の [続きを読む]
  • 魂を磨く?/何故に魂は肉体を必要とするのか?。肉体は魂の汚れの浄化の為
  • 私達が持つ魂はその本籍地を霊界とします。この世を去れば霊界で生きているわけです。今は魂の修学の為に、一時的にこの世に降りて来ているのに過ぎません。そんな魂にとって、何故に肉体をまとってまでこの世に降りて来る必要があるのかとなります。それに関してはそれほどの差異はないのですが、霊能者の方々の表現は違ったりしています。厳しい方は「この世は魂の刑務所」とか、大本教の出口王仁三郎聖師のように「天人の苗床」 [続きを読む]
  • 魂を磨く?/祓い清めると霊の浄化の意味違い
  • よく祓い清めるという言葉が語られます。この祓い清めるとは、神社に参拝すると神主から修祓(しゅうばつ)として、頭を下げていると、【祓い賜へ、清め賜へ】と祓い串が振られることです。また、霊能者や行者が米・麻・塩などを混ぜた物を【祓い賜へ、清め賜へ】とばら蒔く行為も一種の修祓なのです。 何を祓い清めているのかとなります、それは個々の人が犯した罪や汚れを祓い清めることなのです。しかし、その時、誰しも疑問に [続きを読む]