やぶからす さん プロフィール

  •  
やぶからすさん: 緑の谷・赤い谷
ハンドル名やぶからす さん
ブログタイトル緑の谷・赤い谷
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/yabukarasu
サイト紹介文山家育ちの少年がふるさと恋しや恋しや・・・と、お散歩写真など。(旧猿と熊のあいだに)
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供28回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2012/01/23 16:24

やぶからす さんのブログ記事

  • 前略 T君
  • T君、元気にしていますか・・・?。あなたは一体この国のどこにいるのでしょう。中学校を卒業して以来、一度として会うことも無く、そのうちに日鉄赤谷鉱山は閉山になり、赤谷線は廃線になり、そして私たちの母校である赤谷中学校も赤谷小学校も廃校になってしまいました。今年、私たちのほとんどは古希を迎えます。時折会える級友たちは皆それなりに歳を老いました。ですがT君、あなただけは中学生のニキビ面のままなのです。振り [続きを読む]
  • 日鉄赤谷鉱業所事務所
  • 昭和15年、日鉄赤谷鉱業所設立に当たって、まず最初に建てるべき事務所は、国ヶ平と呼ばれた原野の中で一番見晴らしが良く通行に便利な最適地を当時の設計者は選んだと私は思うのです。先日角瓶28号さんに送って頂いたかつての事務所跡の写真に、昭和61年(1986年)撮影の事務所の姿を乗せてみます。2018年春。事務所があったら、こんな感じ・・・。昭和41年(1966年)春、事務所前付近からの風景。 [続きを読む]
  • 赤谷駅の松の木
  • 角瓶28号さんに赤谷駅の桜の写真も送って頂いたのですが、それを見ているうちに一緒に写っている松の木がどうにも気になって・・・、何が気になっているかと言えば、これだけの大きな松の木が昔からあったことに全く記憶が無いからなのですね。それで過去の赤谷駅の写真を探して見たのですが、赤谷線廃線前の営業していた頃の写真を見てみると、なんと松が無いのです。この松は赤谷線の廃線後、赤谷駅の保存とその整備の際に植え [続きを読む]
  • 2018春 東赤谷_その2
  • 旧県道を社宅4区に向って。左側に我が家はありました。今の観月橋。この橋のたもと、ちょうど写真の中央付近に黒崎商店はありました。観月橋の4区側から東赤谷駅方面を見ています。観月橋の下を流れる川ですが、かつては石垣で整備されていました。自然の川に還ってしまいましたね。かつての事務所跡。上段の平らな所に建っていました。老いた樹体に細々と咲いている様は、その生命力もさることながら、返って悲哀を感じさせます [続きを読む]
  • 2018春 東赤谷_その1
  • 今年も角瓶28号さんから東赤谷の桜の写真を送っていただいた。すでに枯れてしまった桜もあり、年毎に樹勢が衰えるばかりだが、それでも衰えた体に新しく伸ばした細い枝もあるようで、そこにもたくさんの花を付けていたそうです。桜とともに迎えてくれるのは、いつに変わらぬ焼峰です。東赤谷駅の便所脇にあった桜です。社宅1区の中程からです。右側の数本の桜は完全に枯れました。旧県道を新発田方面に向かって。真ん中奥の桜は [続きを読む]
  • 一等賞・二等賞・三等賞は何処に
  • 孫の通う小学校は、来月には早くも運動会らしい。私たちの頃は、運動会といえば秋と決まっていた。小学校の単独行事と言うよりは、集落こぞって老若男女あげての一大イベントであった。行う競技にも結構興奮したのを覚えている。棒倒し・騎馬戦・部落対抗リレーでは、普段大人しい子供でも興奮し、声を張り上げていたものだ。パン食い競争も、さまざま趣向を凝らし難関さを増した障害物競走(安易なものは今もありますが・・・)も [続きを読む]
  • 春を追いかけて
  • ちょっと曇り空で色の冴えが少々足りませんが、うかうかしていると春さんがどんどんと先に行ってしまいますので、何か焦る気持ちが湧き、御近所をひとまわり。春よ!!、少しはゆっくりと歩いたらどうだ・・・・、クァ〜ツ。 [続きを読む]
  • 葉桜見物
  • お花見のつもりで行ったが、葉桜見物。それではと萌え萌えの葉っぱを三題。と、ついでに先月末のカタクリの群生図を一つ・・・。春の走り去るのが早くて追いつかない・・・(^_^); [続きを読む]
  • 赤谷小学校、懐かしき道を辿れば・・・
  • 赤谷小学校が閉校になり今月で3周年になります。閉校前、1968年(S43)10月に撮影された赤谷小学校周辺の航空写真パネルを、校長室で認めた新発田の写真家S氏が、撮影の許可を得て2015年に複写され、それをありがたくも贈っていただいたので掲載いたします。旧赤谷中学校の校舎もまだ残っています。赤谷線もしっかり走っています。かつての卒業生は、この写真を見ながら当時の通学路を辿ると、少年少女時代の数々の思い出が懐かし [続きを読む]
  • 日鉄赤谷保育園卒園式
  • 私たちが子供の頃、通称「幼稚園」と言っていた所は、正式には「日鉄鉱業株式会社赤谷鉱業所保育園」と言いました。数百世帯で形成する社宅群の中央にあって、ほぼ全て共働きであった家の子供達を預かっていた訳です。何歳児から預っていたのか今や記憶がありませんが、おそらく今でいう年中組と年長組を面倒見ていたと思います。先生はそれぞれの組に一人づつの計二人、園長は時の赤谷鉱業所の所長が務めていました。ちなみに私の [続きを読む]
  • 春めく故郷
  • 先日「東赤谷 冬」と銘打ちましたが、陽射しはすっかりと春めいております。再び角瓶28号さんから画像をいただきましたので載せます。赤谷線跡から見る臼ヶ森。朝な夕な車窓から眺めた山です。山里からの出口であり、入り口でもありました旧赤谷駅。今年の雪の多さがわかります。閉校になった赤谷小学校。まだ校内に子供達の声が聞こえてくるようです。喫茶店「ミント」。この道路も赤谷線跡です。赤谷線は東赤谷に向かい走りま [続きを読む]
  • 平成30年 東赤谷 冬
  • 平成30年2月22日の東赤谷です。少年時代は当たり前として見ていた冬の風景も、今は懐かしく、そして遠く離れている私には何処かよそよそしさも感じられます。写されている故郷の山々の風景は、あくまでも平面ではありますが、いっとき己の記憶の中に入ってみれば、頬に伝わるピーンとした空気が感じられるのであります。蒜場山も焼峰も往時と変わること無く立ち続けています。見上げる私の目も、あの時の少年の目です。ぼーっ [続きを読む]
  • 赤谷小学校旧木造校舎の変遷
  • 母校「赤谷小学校」が閉校になって、まもなく3年が経ちます。今も閉校時の姿のままで残されており、新発田市の活動拠点として利用されているようですが、我々昭和時代に卒業した者としては、やはり木造校舎だった頃の方が懐かしいのです。木造校舎は昭和56年に解体されたのですが、それ迄の事を創立100周年記念誌や閉校記念誌で調べている内に、当時、何気無く学んでいた校舎は時代と共に大きく変っていたのだなと改めて気付か [続きを読む]
  • 日鉄社宅の少女とトメさん
  • 今からおよそ50数年前の冬に日鉄赤谷鉱業所保育園(通称幼稚園)の前で撮られたものです。撮映月はわかりませんが、屋根の雪や後ろの樹木の融け具合からみると3月頃ではないでしょうか。一人の少女は紙の花飾りをつけています。手に花飾りを持っている少女もいます。おそらく園で何かの催し物があったのでしょう。考えられることは赤谷小学校の卒業をお祝いしての集まりであったのかもしれません。ちなみに後ろに立っているのは [続きを読む]
  • 赤谷線との並走
  • 最近頂いたコメントがキッカケで思い出した一枚の写真があります。それはこのブログに寄せて頂いた中の一枚で、撮影地点に自信を持てなかったがために置き忘れていた物でした。撮影年はおそらく昭和40年代終わりから昭和50年代の初頭、撮影地点は現在の焼峰橋の入り口付近(地図参照)と思われます。土手のようなところに登って撮影していますが、この土手は鉱滓の沈殿池で昭和40年代初頭にはありませんでした。左手に見える [続きを読む]
  • 正月に思うこと
  •  幼い頃に家族と正月をどのように過ごしていたのか思い返してみるのだが、なかなかはっきりと思い浮かんでこない。せいぜい丸いチャブ台に輪になって座り母手作りの小煮物であるとか、きんとん・なます等をつまみながら雑煮をすすっていたくらいである。 昭和14年頃に原野に忽然と現れた鉱山会社の社宅群には、私に物心がつく年代ではたかだか20年余りの歴史しかなく、永く祖先から引き継がれてくるべき神社や仏閣というもの [続きを読む]
  • 再考、東赤谷駅の便所
  •  以前に東赤谷駅の便所の男子用は陶製で足を乗せる台も陶製と書いたが、今思い返してみると、それは思い違いで、4・5人横に並んで用を足せる一面の仕切りもないコンクリートのものだったような気がする。 先の陶製のおしゃれな便器は、診療所のもので有ったような記憶が湧いてきた。 とは言え、東赤谷駅の便所は戸建てのしっかりしたものであったのは間違いがない。 ここで話が変わるが、「便所」という文字をこの所ほとんど [続きを読む]
  • 滝谷の蕎麦の行方は
  • 滝谷の蕎麦のその後の写真は、収穫されてすっかりと刈り払われた畑の姿だった。はて、これを見て思わず蕎麦の一生とは何だろうと考えてしまった。人の一生とあれば線引きはそう難しいことではない。心臓が止まったとか脳死だとか・・・、そしてやがては土に還る。命が終わる時と考えれば、蕎麦にとってはその根源である土から離れた時か?・・・、いやいや種子という命が残っておる。となると、やっぱりこれは種子をお蕎麦という美 [続きを読む]
  • むべなるかなムベ
  • 今年もアケビの実は一つもならなかった。およそ40年前に故郷の地から移植して来たものである。数年前までは数は少なくとも毎年のように実をつけていたものだが、ある年に大きく剪定したせいで実をつけなくなったのかもしれない。それは仕方がなかったのだ。生長の旺盛なアケビは威勢良くあらゆる方向にツルを伸ばし絡み合って伸び上がり、そして見境なく隣家の樹木にまで犯し始めるに至っては、もはや切るしたなかった。それと同 [続きを読む]
  • 新発田弁よコンニチハ
  • 故郷を離れて半世紀も経つのに、未だに口から出る言葉が標準語なのか新発田弁なのかわからなくなることがある。そのような時は家人に「この言葉は標準語か?」と聞いたりするのだが、迷った言葉は大概新発田弁のことが多い。今日も何かのはずみで「うろかす」という言葉が出てきて、「はて、これは標準語か?」と口から出た途端に何やら違和感を感じ、娘と妻に問うて見たところ、娘は即座に「知らない!!」、妻は「じいちゃんとば [続きを読む]
  • 滝谷の蕎麦に花が咲いた
  • 子供の頃、家族揃って蕎麦を食べたという記憶がない。うどんや素麺は記憶にある。まあそれらは殆んどが乾麺であったろうから、生蕎麦となるとおそらく都会に出てからの話であろうと思う。また蕎麦を栽培している地所も見たことがないし、当然ながらその花も見たことがない。(ただ私が知らなかっただけかもしれないが・・・)それは今ほど蕎麦が珍重される時代でもなかったし、あの辺りは肥沃な土地であったから痩せた土地でも育つ [続きを読む]
  • 滝谷の蕎麦畑
  • お盆に帰省をしたFさんが、滝谷の蕎麦畑と思われる畑地の写真を撮って送ってくれました。この場所は8月4日に私が訪れて、緑の中の赤い地面に「なんだこりゃ!」と、その色彩のアンバランスにビックリした所です。私が訪れてから10日ほど経った時のFさんの写真ですが、ご覧の通り緑の芽がたくさん出ています。あの時、何気なく見ていたのですが、かがんでもっと近くから見ていたら小さな芽が出ていたのかもしれません。今頃はど [続きを読む]
  • お盆に故郷を思うこと
  • かつてお盆の帰省には、様々な経路をたどって帰って行きました。若い気があふれていたいた頃は故郷の背後に覆い被さる飯豊山を越えて幾たびか帰りました。。それも主稜線をを北側から縦走したり南側から縦走したり、あるいは東側から乗っ越したりと、その苦労に意味があるとばかりに我が家まで歩いて帰ったものです。車では旧会津街道・越後街道を通って帰ったり、当時はまだ関越道はありませんから三国峠を越えて帰ったりしました [続きを読む]
  • 夏は帰るにあらずして・・・。
  • 先週末、所用でちょっと帰郷をしたのですが、故郷の社宅跡の写真は一切撮る気にもなれず、のこのこと帰ってきました。夏の藪はすごいです。踏み入ることを断固として拒絶されているようで、すごすごと撤退してまいりました。せめて対岸に住み居ります知り人の庵へ、ひょっとしたら在宅しておられるかと尋ねてみたのですが、ご不在のようで、こちらもすごすごと帰ってまいりました。その途中、緑系の風景の中に、だだ広くオレンジ色 [続きを読む]
  • あっちぇけれども散歩
  • 暑い日の散歩は、できれば故郷の飯豊川沿いや釜ヶ沢沿いの小径を歩いてみたいと思うのだが、それは遥かに遠くおいそれとちょちょいと行けるものではなく、ではではと比企丘陵の小山小池に足を運べば、そこがまた無風の草いきれで、辟易しながらもせっかく来たのだから写真の一枚も撮って、更新のおざなりになっているブログに載せようと、あっちをキョロキョロこっちをキョロキョロとして、やっと自分なりに見つけた画角を自己満足 [続きを読む]