やぶからす さん プロフィール

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やぶからすさん: 緑の谷・赤い谷
ハンドル名やぶからす さん
ブログタイトル緑の谷・赤い谷
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/yabukarasu
サイト紹介文山家育ちの少年がふるさと恋しや恋しや・・・と、お散歩写真など。(旧猿と熊のあいだに)
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供36回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2012/01/23 16:24

やぶからす さんのブログ記事

  • 昭和36年の運動会_その2(日曹飯豊集落にて)
  • 運動会の種目の中でも、パン食い競争や鯛釣り競争などは足の遅い人でも、大いに勝つチャンスがある種目である。しかし、徒競走やリレーでは足が速いというのは絶対的条件となる。故郷の小・中学校の運動会は地域の運動会も兼ねていて、種目の最後に部落対抗リレーというものがあり、各集落から早足自慢の者が自薦他薦され競争した。ここで活躍した者は、ヒーロー・ヒロインとなり、その活躍度合いによっては〇〇(集落名)の〇〇さ [続きを読む]
  • 昭和36年の運動会_その1(日曹飯豊集落にて)
  • 昭和36年の運動会ですが、この年の9月には前述した第2室戸台風で日曹集落は大変な被害を受けています。それで気になったのが、運動会が開催されたのは台風の前か後か・・・、あるいは中止になったのか?・・・と言う事で、昭和36年と思われる写真を色々と見比べた結果、どうやらこの年の運動会は台風の後に行われたようなのです。復旧復興を目指して、例年にも増して元気に明るく行われたのではないでしょうか。●パン食い競争で [続きを読む]
  • 昭和35年の運動会(日曹飯豊集落にて)
  • アルバムに写真を貼らなくなって、もう随分と経つ。今は、もっぱらデジカメで撮った写真をパソコンに放り投げている。しかし、ちゃんと日付ごとにフォルダーを作り、名前を付け整理していることに関しては自分を褒めてあげても良いだろう。まぁ、そんな作業をしていて気が付いたのだが、運動会の写真のなんと多いことか・・・。自分の運動会の写真、我が子の運動会の時の写真、そして孫の運動会の写真と・・・、他の行事の写真に比 [続きを読む]
  • 野球が希望であった頃
  • 現在は都市対抗野球というとあまり人気がありませんが、昭和30年代には大変な人気がありました。私の父は日鉄赤谷鉱業所に勤めておりましたが、そこにも野球部があって盛んに活動をしていました。野球グランドもバックネット付きの立派なものがあって、場所は今の滝谷森林公園の対岸にありました。今日紹介する写真は日曹飯豊鉱山の野球の様子を写しているものですが、やはり当時は大変盛んに行われていたようです。この野球熱の裏 [続きを読む]
  • 日曹飯豊鉱山の山神祭
  • ワッショイ・ワッショイ。ワッショイ・ワッショイ。なんでだろう・・・普段恥ずかしくて大きな声なんて出せないくせに、あの時だけは不思議と大きな声が出た。大きい子は神輿を担ぎ、小さい子は神輿の前後に取り付けられた紅白の紐を引いた。そしてもっと小さい子は親や祖父母に手を引かれ、それよりもっと小さい子は母の背中で共に歩いた。広場を出た神輿は、棟割り長屋の路地から路地へと練り歩き、最後は再び広場に戻って何がし [続きを読む]
  • 日曹飯豊鉱山下流集落図
  • 日曹飯豊鉱山 序でも述べましたが、日曹飯豊鉱山には上流集落と下流集落が在りました。上流集落には選鉱場や鉱山事務所などの会社関連施設が集まり、下流集落には住居・学校・診療所・浴場などの従業員が生活するに必要な施設がありました。写真を掲載するにあたって、社宅を中心とした下流集落の地図があればわかりやすいと思い、かつての住人であった方のお話や、今回お借りした写真を参考に下流集落図として描いてみました。※ [続きを読む]
  • 日曹横田鉱山と二本木橋
  • お貸し頂いた古い写真を見る楽しみの一つに、撮影された「時と場所」の探索という事がある。例えばこの写真・・・数枚まとめて入っているネガ袋には、「横田」と書かれているだけ・・・。写真を拡大して判別できるものは、橋の脇に立つ「道路工夫 横田 某」という慰霊柱の様なものだけで、その陰に隠れている橋の名が読めない。当初、ネガ袋に書かれた「横田」とは、この慰霊柱のことかと思っていたのだが、日本曹達(株)の沿革 [続きを読む]
  • 第二室戸台風来襲
  • 昭和36年(1961年)9月16日の朝に高知県に上陸した第二室戸台風は佐渡沖を経て、その日の夜には津軽海峡西方に達した。新潟市では21時過ぎに最大風速30.7m/s、瞬間最大風速44.5m/sを記録し、私の住んでいた東赤谷の日鉄社宅も激しい西向きの風に晒された。私の家は4軒棟割長屋の西側にあり、強い風をもろに受けた西の壁は、風の息に合わせて、その度に大きく膨らんだことを今でも鮮明に覚えている。ちょうどその頃、さら [続きを読む]
  • 飯豊小学校
  • 飯豊小学校は新潟県で、おそらく一番過酷な地に建っていたのではないだろうかと私は思っている。あるいは、ひょっとしたら日本で一番だったかもしれない。その過酷さは、このブログを通じて、おいおい分かって頂けると思う。飯豊小学校の沿革を多少述べると、昭和12年(1937年)赤谷小学校の飯豊鉱山分教場として建設される。昭和29年(1954年)分教場が飯豊小学校として独立する。昭和43年(1968年)日曹飯豊鉱山の閉山に伴 [続きを読む]
  • 日曹飯豊鉱山 序
  • 私が生まれた東赤谷の日鉄赤谷鉱山社宅集落より、さらに5キロほど飯豊川を遡ったところに加治川治水ダムがある。通常そのダムに水が満々と貯められることはない。降雨時による急激な増水がない限りである。したがってダムの上から下方を見れば、ダム建設以前の地形の面影が所々に残っていて、それをまた感慨深く懐かしそうに見つめる人たちも居る。かつてダムの周囲には日曹飯豊鉱山の集落があって、そこの多くの人たちが生活を共 [続きを読む]
  • クレーストーン博士の館と日鉄赤谷鉱山
  • いつも我がブログに赤谷に関する情報を寄せて頂いている角瓶28号さんから、地元の胎内市にある「クレーストーン博士の館」という所に「日鉄赤谷鉱山」に関する物が展示されていますという情報と共に、写真が送られてまいりました。本来であれば赤谷は新発田市ですので、新発田市が保管・展示すべきなのでしょうが、近現代の産業歴史にはあまり興味を示さない新発田市に代わって、胎内市・「クレーストーン博士の館」がこの様に大 [続きを読む]
  • 顔という花
  • 朝顔という花がある。そして昼顔と夕顔という花もある。なんて事はない、花に対して顔というものに朝・昼・夕を付けただけである。この花を観て、私にはどうも顔には見えない。三つの花は確かに似てはいる。その区別をつけるために、朝に咲いたヤツは朝顔で、昼に咲いていれば昼顔で、夕べに咲いていれば夕顔でと、私にはこれ位しかその名の謂れが浮かばない。そして、ついでに遊んでみた・・・、間に「の」を付けたらどんなものだ [続きを読む]
  • 赤谷〜東赤谷間の路線バス
  • 1984年(昭和59年)に赤谷線は全線廃止になり、それに代わって新潟交通のバスが東赤谷まで運行されていました。しかし、その路線も今年の3月に手前の赤谷止まりとなり、とうとう東赤谷まで行く公共路線は無くなってしまいました。それにより「東赤谷」という地名はますます人々の記憶から消えて行くのではないかと憂いております。前回の記事で「赤谷桜回路写真集」を紹介したのですが、同じ作者が赤谷〜東赤谷間の路線バスの写真 [続きを読む]
  • 赤谷桜回路写真集
  • 私の故郷には、これほど沢山の桜の名所があったのかと改めて知った写真集があります。それは私の小・中学校の同窓生の方の写真集で、同級会で帰郷した際に友人から頂いて来たものです。題名は「赤谷桜回路写真集」といって、A4版16ページの手作りの写真集ですが、中には赤谷地区周囲の美しい桜の写真が並びます。桜の一番美しい時期と最高の撮影ポイントを知っていないとこうは参りません。さすがに地元に住み、故郷を愛している方 [続きを読む]
  • 日鉄赤谷鉱業所の電話交換所
  • 日鉄赤谷鉱業所の電話交換台です。東赤谷駅近くにあって、確か二坪あるか無いかの小さな小屋の中にありました。交換台は前面に穴がたくさん空いた所と、小さな蓋がたくさん並んだ所があり、穴にはコードが乱雑に刺されていたのを覚えています。なぜ、普段子供が入れない所のことを覚えているかと言うと、写真に写っている交換手は私の祖母で、きっと幾度か覗きに行った事があるからでしょう。とにかく色々と仕事をこなしてきた祖母 [続きを読む]
  • 蜂の警告
  • それは散歩中のことでした。竹林の細い小道を歩いていたら、突然目の前に3センチはあろうかという大きなスズメバチが、ブンブンと羽音を立ててホバーリングしながら私に語りかけるのです。「こっから先は危ないから帰りな!!」。ほんとうに目の先30センチ位のところで、尻を微妙に動かしながら言うのです。今振り返れば、実に冷静に私は立ち止まっていました。そしてその言葉を聞いてくるりと踵を返して帰って来たのですが、思 [続きを読む]
  • 結界の橋『飯豊橋』
  • 旧赤谷鉱山に向かう道は、新発田より一貫して下流の加治川、そして上流の飯豊川とも左岸に沿った道であるが、初めて右岸に渡る箇所がある。そこに架かる橋を「飯豊橋」という。いくつか蛇行を繰り返してきた飯豊川は、ここでも南寄りに大きく向きを変え、道を遮るかのような激しい渓谷は、ここに橋を架けざるを得なくなっている。それは、かつて走っていた鉱山鉄道も同じで、すぐ脇には1922年(大正11年)に架けられた飯豊川橋梁も [続きを読む]
  • 前略 T君
  • T君、元気にしていますか・・・?。あなたは一体この国のどこにいるのでしょう。中学校を卒業して以来、一度として会うことも無く、そのうちに日鉄赤谷鉱山は閉山になり、赤谷線は廃線になり、そして私たちの母校である赤谷中学校も赤谷小学校も廃校になってしまいました。今年、私たちのほとんどは古希を迎えます。時折会える級友たちは皆それなりに歳を老いました。ですがT君、あなただけは中学生のニキビ面のままなのです。振り [続きを読む]
  • 日鉄赤谷鉱業所事務所
  • 昭和15年、日鉄赤谷鉱業所設立に当たって、まず最初に建てるべき事務所は、国ヶ平と呼ばれた原野の中で一番見晴らしが良く通行に便利な最適地を当時の設計者は選んだと私は思うのです。先日角瓶28号さんに送って頂いたかつての事務所跡の写真に、昭和61年(1986年)撮影の事務所の姿を乗せてみます。2018年春。事務所があったら、こんな感じ・・・。昭和41年(1966年)春、事務所前付近からの風景。 [続きを読む]
  • 赤谷駅の松の木
  • 角瓶28号さんに赤谷駅の桜の写真も送って頂いたのですが、それを見ているうちに一緒に写っている松の木がどうにも気になって・・・、何が気になっているかと言えば、これだけの大きな松の木が昔からあったことに全く記憶が無いからなのですね。それで過去の赤谷駅の写真を探して見たのですが、赤谷線廃線前の営業していた頃の写真を見てみると、なんと松が無いのです。この松は赤谷線の廃線後、赤谷駅の保存とその整備の際に植え [続きを読む]
  • 2018春 東赤谷_その2
  • 旧県道を社宅4区に向って。左側に我が家はありました。今の観月橋。この橋のたもと、ちょうど写真の中央付近に黒崎商店はありました。観月橋の4区側から東赤谷駅方面を見ています。観月橋の下を流れる川ですが、かつては石垣で整備されていました。自然の川に還ってしまいましたね。かつての事務所跡。上段の平らな所に建っていました。老いた樹体に細々と咲いている様は、その生命力もさることながら、返って悲哀を感じさせます [続きを読む]
  • 2018春 東赤谷_その1
  • 今年も角瓶28号さんから東赤谷の桜の写真を送っていただいた。すでに枯れてしまった桜もあり、年毎に樹勢が衰えるばかりだが、それでも衰えた体に新しく伸ばした細い枝もあるようで、そこにもたくさんの花を付けていたそうです。桜とともに迎えてくれるのは、いつに変わらぬ焼峰です。東赤谷駅の便所脇にあった桜です。社宅1区の中程からです。右側の数本の桜は完全に枯れました。旧県道を新発田方面に向かって。真ん中奥の桜は [続きを読む]
  • 一等賞・二等賞・三等賞は何処に
  • 孫の通う小学校は、来月には早くも運動会らしい。私たちの頃は、運動会といえば秋と決まっていた。小学校の単独行事と言うよりは、集落こぞって老若男女あげての一大イベントであった。行う競技にも結構興奮したのを覚えている。棒倒し・騎馬戦・部落対抗リレーでは、普段大人しい子供でも興奮し、声を張り上げていたものだ。パン食い競争も、さまざま趣向を凝らし難関さを増した障害物競走(安易なものは今もありますが・・・)も [続きを読む]
  • 春を追いかけて
  • ちょっと曇り空で色の冴えが少々足りませんが、うかうかしていると春さんがどんどんと先に行ってしまいますので、何か焦る気持ちが湧き、御近所をひとまわり。春よ!!、少しはゆっくりと歩いたらどうだ・・・・、クァ〜ツ。 [続きを読む]
  • 葉桜見物
  • お花見のつもりで行ったが、葉桜見物。それではと萌え萌えの葉っぱを三題。と、ついでに先月末のカタクリの群生図を一つ・・・。春の走り去るのが早くて追いつかない・・・(^_^); [続きを読む]