やぶからす さん プロフィール

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やぶからすさん: 緑の谷・赤い谷
ハンドル名やぶからす さん
ブログタイトル緑の谷・赤い谷
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/yabukarasu
サイト紹介文山家育ちの少年がふるさと恋しや恋しや・・・と、お散歩写真など。(旧猿と熊のあいだに)
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供38回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2012/01/23 16:24

やぶからす さんのブログ記事

  • 再考、東赤谷駅の便所
  •  以前に東赤谷駅の便所の男子用は陶製で足を乗せる台も陶製と書いたが、今思い返してみると、それは思い違いで、4・5人横に並んで用を足せる一面の仕切りもないコンクリートのものだったような気がする。 先の陶製のおしゃれな便器は、診療所のもので有ったような記憶が湧いてきた。 とは言え、東赤谷駅の便所は戸建てのしっかりしたものであったのは間違いがない。 ここで話が変わるが、「便所」という文字をこの所ほとんど [続きを読む]
  • 滝谷の蕎麦の行方は
  • 滝谷の蕎麦のその後の写真は、収穫されてすっかりと刈り払われた畑の姿だった。はて、これを見て思わず蕎麦の一生とは何だろうと考えてしまった。人の一生とあれば線引きはそう難しいことではない。心臓が止まったとか脳死だとか・・・、そしてやがては土に還る。命が終わる時と考えれば、蕎麦にとってはその根源である土から離れた時か?・・・、いやいや種子という命が残っておる。となると、やっぱりこれは種子をお蕎麦という美 [続きを読む]
  • むべなるかなムベ
  • 今年もアケビの実は一つもならなかった。およそ40年前に故郷の地から移植して来たものである。数年前までは数は少なくとも毎年のように実をつけていたものだが、ある年に大きく剪定したせいで実をつけなくなったのかもしれない。それは仕方がなかったのだ。生長の旺盛なアケビは威勢良くあらゆる方向にツルを伸ばし絡み合って伸び上がり、そして見境なく隣家の樹木にまで犯し始めるに至っては、もはや切るしたなかった。それと同 [続きを読む]
  • 新発田弁よコンニチハ
  • 故郷を離れて半世紀も経つのに、未だに口から出る言葉が標準語なのか新発田弁なのかわからなくなることがある。そのような時は家人に「この言葉は標準語か?」と聞いたりするのだが、迷った言葉は大概新発田弁のことが多い。今日も何かのはずみで「うろかす」という言葉が出てきて、「はて、これは標準語か?」と口から出た途端に何やら違和感を感じ、娘と妻に問うて見たところ、娘は即座に「知らない!!」、妻は「じいちゃんとば [続きを読む]
  • 滝谷の蕎麦に花が咲いた
  • 子供の頃、家族揃って蕎麦を食べたという記憶がない。うどんや素麺は記憶にある。まあそれらは殆んどが乾麺であったろうから、生蕎麦となるとおそらく都会に出てからの話であろうと思う。また蕎麦を栽培している地所も見たことがないし、当然ながらその花も見たことがない。(ただ私が知らなかっただけかもしれないが・・・)それは今ほど蕎麦が珍重される時代でもなかったし、あの辺りは肥沃な土地であったから痩せた土地でも育つ [続きを読む]
  • 滝谷の蕎麦畑
  • お盆に帰省をしたFさんが、滝谷の蕎麦畑と思われる畑地の写真を撮って送ってくれました。この場所は8月4日に私が訪れて、緑の中の赤い地面に「なんだこりゃ!」と、その色彩のアンバランスにビックリした所です。私が訪れてから10日ほど経った時のFさんの写真ですが、ご覧の通り緑の芽がたくさん出ています。あの時、何気なく見ていたのですが、かがんでもっと近くから見ていたら小さな芽が出ていたのかもしれません。今頃はど [続きを読む]
  • お盆に故郷を思うこと
  • かつてお盆の帰省には、様々な経路をたどって帰って行きました。若い気があふれていたいた頃は故郷の背後に覆い被さる飯豊山を越えて幾たびか帰りました。。それも主稜線をを北側から縦走したり南側から縦走したり、あるいは東側から乗っ越したりと、その苦労に意味があるとばかりに我が家まで歩いて帰ったものです。車では旧会津街道・越後街道を通って帰ったり、当時はまだ関越道はありませんから三国峠を越えて帰ったりしました [続きを読む]
  • 夏は帰るにあらずして・・・。
  • 先週末、所用でちょっと帰郷をしたのですが、故郷の社宅跡の写真は一切撮る気にもなれず、のこのこと帰ってきました。夏の藪はすごいです。踏み入ることを断固として拒絶されているようで、すごすごと撤退してまいりました。せめて対岸に住み居ります知り人の庵へ、ひょっとしたら在宅しておられるかと尋ねてみたのですが、ご不在のようで、こちらもすごすごと帰ってまいりました。その途中、緑系の風景の中に、だだ広くオレンジ色 [続きを読む]
  • あっちぇけれども散歩
  • 暑い日の散歩は、できれば故郷の飯豊川沿いや釜ヶ沢沿いの小径を歩いてみたいと思うのだが、それは遥かに遠くおいそれとちょちょいと行けるものではなく、ではではと比企丘陵の小山小池に足を運べば、そこがまた無風の草いきれで、辟易しながらもせっかく来たのだから写真の一枚も撮って、更新のおざなりになっているブログに載せようと、あっちをキョロキョロこっちをキョロキョロとして、やっと自分なりに見つけた画角を自己満足 [続きを読む]
  • 川は友達
  • 先日、テレビを何気なく付けたらちょうどニュース番組で、テロップに「新発田市で母子水難事故」と出ている。流れる画面に慌てて目を凝らせば、なんと生地の上空からの画像が流れているではないか・・・。懐かしいという感情が一瞬流れたが、それはほんの一瞬でアナウンサーの言葉に現実に引き戻された。加治川治水ダムの放流で、滝谷森林公園の河原で遊んでいた母子が増水した川に流されたらしい。幸い大事に至らなかったようで良 [続きを読む]
  • 故郷は遠くにありて思うもの・・・か。
  • 故郷での山菜採りは、今年も早々に断念した。便りによれば我が山菜採りの縄張りは大きく整理をされて、ワラビの出る環境ではなくなったそうだし、また並行して計画していた加治川治水ダムから小倉沢までの自転車行も、赤谷林道が壁面崖崩れのため通行止めになってしまったようで、もはや私は行く気を失ってしまった。山菜採りは何処でも出来るではないかと思われるが、幼少の頃から通いつめた場所に行くことに意味があり、他で採る [続きを読む]
  • 社宅の子_夏
  • 皆に注視されて笑いの元となっているであろう中心の子は、いったい何をしたのだろうかと思いを巡らせてしまう。そのすました神妙な顔つきから見ると、きっと可愛い音のオナラでも出たのではないだろうか・・・。男の子も女の子も実に見事なおかっぱ頭であり、坊ちゃん刈りである。これは社宅の集落に一軒あった床屋の江戸っ子気質のおじいさんのなせる技である。子供の髪とて手を抜くことなく、前髪はぱっちりと切り揃え、生え際も [続きを読む]
  • 2017年、日鉄社宅跡にも春が来た「完」
  • 社宅の跡地は時を経て随分と変わりました。この季節はまだ宅地であったろころの凹凸がわかりますが、これから夏にかけて恐ろしいほどの野草が繁茂いたします。若く芽吹いている木々は、人々が居なくなった後から侵略してきた者共です。その木々はさておき、地上へ現れた草花はなぜか哀愁の情を醸し出します。旧道からバレーコート付近を通って三区方面へ・・・。二区と三区の間の川。かつては石垣のしっかりした川でしたが・・・。 [続きを読む]
  • 2017年、日鉄社宅跡にも春が来た(けれど)「続」
  • 日鉄社宅に残る桜木もすっかりと老いてしまいました。かつては爛漫と社宅中を彩り、旺盛に葉を繁らせていた者共ですが、いよいよ終焉の時を迎えつつあるようです。それでも最後の力を振り絞っているのでしょうか・・・、細い血脈を通して枝先にはちらほらと、かつての美しさの名残を見せております。旧道から奥に蒜場山を見て。職員用浴場の前にあった桜。購買所前にあった桜。旧道から四区方面(新発田方面)を見る。左側の桜は枯 [続きを読む]
  • 2017年、日鉄社宅跡にも春が来た
  • 日鉄社宅跡にも2017年の春がやってまいりました。ブロ友の角瓶28号さんが画像をたくさん送って下さったのでご紹介いたします。まずは故郷のシンボル「焼峰」と、秀麗な姿の「蒜場山」です。社宅跡に雪解けを待って萌え出ずる花や山菜。キクザキイチゲ・カタクリ・フキノトウ・コゴミ・ゼンマイと、豊かに自然に還りつつあります。続く・・・。 [続きを読む]
  • 誘われて歩けばカタクリの花
  • 春の日和に誘われて、とろりとろりと車を走らせれば、「カタクリ」と白地の小さな看板に書かれた文字と矢印・・・。車を停めて矢印に従えば、やがて木橋を渡った先にカタクリの群落・・・。思わず若き日に彷徨した山々の麓に咲き広がっていた姿を思い出す。4月の山郷に咲く花は、酸っぱい思いと共に咲いているのです。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お寺のシダレ桜も程よい感じ・・・。傍の [続きを読む]
  • 「鉱山野郎」のうた、再び。
  • 昭和30年代から日鉄鉱業の鉱員の間で、長く愛唱歌として歌い続けられてきた「鉱山野郎」の歌とは、いったいどのようなメロディーであったのか、ずっと気になっていたのですが、日鉄鉱業の採用サイトで歌詞付きで流れているとの情報をいただき、早速いってみました。歌手は女性で、とても哀愁を感じる歌であり歌い方です。山崎ハコ風です。元歌と一番の歌詞は同じで、二番以降は全く違います。採用サイトに流れる歌ですから、それ [続きを読む]
  • 「鉱山野郎」のうた、再び。
  • 昭和30年代から日鉄鉱業の鉱員の間で、長く愛唱歌として歌い続けられてきた「鉱山野郎」の歌とは、いったいどのようなメロディーであったのか、ずっと気になっていたのですが、日鉄鉱業の採用サイトで歌詞付きで流れているとの情報をいただき、早速いってみました。歌手は女性で、とても哀愁を感じる歌であり歌い方です。山崎ハコ風です。元歌と一番の歌詞は同じで、二番以降は全く違います。採用サイトに流れる歌ですから、それ [続きを読む]
  • あな恐ろしや「おこっへの窟」
  • 「ほら穴」「洞窟」・・・、山の少年は大好きである。覗かずにはいられない。恐る恐る、こわごわと・・・、首を突っ込み、やがてそっと体を入れ。闇に慣れない目には、薄ぼんやりと闇が奥深く続くようにも見えます。大概これらの穴の中には、宝物の箱があったり、あるいは妖怪や大蛇が住んでいます。図書室の絵本でも、大人の昔語りでもそうです。だから覗かずにはいられないのです。恐怖、おののき・・・、それらは少年の心に沸い [続きを読む]
  • あな恐ろしや「おこっへの窟」
  • 「ほら穴」「洞窟」・・・、山の少年は大好きである。覗かずにはいられない。恐る恐る、こわごわと・・・、首を突っ込み、やがてそっと体を入れ。闇に慣れない目には、薄ぼんやりと闇が奥深く続くようにも見えます。大概これらの穴の中には、宝物の箱があったり、あるいは妖怪や大蛇が住んでいます。図書室の絵本でも、大人の昔語りでもそうです。だから覗かずにはいられないのです。恐怖、おののき・・・、それらは少年の心に沸い [続きを読む]
  • 日鉄社宅の変遷_再考
  • 資料を整理しているうちに、一番古いと思われる日鉄赤谷鉱業所社宅の写真が出てきた。これは昭和二十四年発行の日鉄鉱業株式会社「創立十年史」に掲載されていた写真で、撮影年代としては終戦後直ぐか、あるいはその少し前かもしれない。この数年後の写真と比べると、社宅の棟数がかなり多い。最初は時代が逆かと思ったが、よく観察するとそうでもないようだ。社宅の外れの右奥を見ると開墾途中の感じもあって、伐採されていない樹 [続きを読む]
  • 日鉄社宅の変遷_再考
  • 資料を整理しているうちに、一番古いと思われる日鉄赤谷鉱業所社宅の写真が出てきた。これは昭和二十四年発行の日鉄鉱業株式会社「創立十年史」に掲載されていた写真で、撮影年代としては終戦後直ぐか、あるいはその少し前かもしれない。この数年後の写真と比べると、社宅の棟数がかなり多い。最初は時代が逆かと思ったが、よく観察するとそうでもないようだ。社宅の外れの右奥を見ると開墾途中の感じもあって、伐採されていない樹 [続きを読む]
  • バンザイと万歳橋_再考
  • 旧赤谷小学校の裏手を流れる加治川に、上赤谷と滝谷新田を結ぶ「万歳橋」という名の橋が架かっている。以前このブログで、その「万歳橋」という名の謂れについてあれこれ考えて、結局歩いて渡る程度の橋が車が渡れる橋に改修された時に、その名が付いたのではないかといい加減な結論を出してしまったが、その後故郷の先輩から「赤谷村史」(初版発行:明治33年4月、編集:阿部豊多)の写しを頂いて、それを読んでいるうちに「万 [続きを読む]
  • バンザイと万歳橋_再考
  • 旧赤谷小学校の裏手を流れる加治川に、上赤谷と滝谷新田を結ぶ「万歳橋」という名の橋が架かっている。以前このブログで、その「万歳橋」という名の謂れについてあれこれ考えて、結局歩いて渡る程度の橋が車が渡れる橋に改修された時に、その名が付いたのではないかといい加減な結論を出してしまったが、その後故郷の先輩から「赤谷村史」(初版発行:明治33年4月、編集:阿部豊多)の写しを頂いて、それを読んでいるうちに「万 [続きを読む]