ひまわり さん プロフィール

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ひまわりさん: sos.tv.japan
ハンドル名ひまわり さん
ブログタイトルsos.tv.japan
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/1844light1888
サイト紹介文生きる力を与えるデビット・カン講演集。 「福音はあなたの人生を変える!!」
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供308回 / 365日(平均5.9回/週) - 参加 2012/01/25 21:54

ひまわり さんのブログ記事

  • これが真の福音です ソン・ケムン 第7回
  •  キリストの勝利の力はどこから?私がイエス様の人性の問題について、組織神学者たちと会談したことがあります。ある正直な神学者は「正直よくわかりません」と言いました。なぜそんな答えが出てくるのでしょうか? その神学の根が聖書の真理を歪曲するイエズス会の教えであるという結論が出てくるからです。カトリック教会は、マリヤの本性に対する彼らの誤った教理によって、キリストが罪の性質を持った肉体で来られたというこの [続きを読む]
  • これが真の福音です ソン・ケムン 第6回
  • 無原罪懐胎の教理の誤りイエス様が私たちの本性ではなく、マリヤの本性を取られたという無原罪懐胎の教理は、キリストと私たちとを完全に分離させます。この教理と他の教理によってカトリック教会では、罪人がイエス・キリストを通して天におられる神様に直接進むことを教えられません。そして罪人たちにマリヤ、教皇、神父、聖人、つまりカトリック教会の仲介を通してイエス様へ行くことを推奨します。さらに、カトリック教会はマ [続きを読む]
  • これが真の福音です ソン・ケムン 第5回
  • 数千億円の価値ある質問ヘブル2章17、18節を見ます。「そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである」。もう一度真理は確証されました。イエス様は私たちと同様の肉体をとって、私たちと同じように試練を受け勝利された [続きを読む]
  • これが真の福音です ソン・ケムン 第4回
  • 小さな細胞となられたイエス様もう少し具体的に話します。イエス様を生んだマリヤには罪がありましたか、ありませんでしたか? ありました。マリヤは創造当時に比べて身体的、精神的、霊的活力が下がった罪の弱さを持った一人の女性でした。 そのマリヤの体の中に聖霊によってイエス様が宿られました。 マリヤの卵巣に着床して、マリヤの体で育ちました。私たちの体に異物が入ると、体は直ちに反応します。 目にごみが入ると涙が [続きを読む]
  • これが真の福音です ソン・ケムン 第3回
  •  言は肉体となりそれでは、イエス様が 「肉体をとってこられたこと」はどんな意味なのでしょうか。ヨハネの福音書1章14節を見ると、「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」とあります。 ここで「言」はベツレヘムに誕生したイエス・キリストに適用されます。「言が肉体と」なった時はいつですか?ローマ人への [続きを読む]
  • これが真の福音です ソン・ケムン 第2回
  • 反キリストの教え身元を確認するためには運転免許証、健康保険証などが必要です。私たちはこれまで何回かにわたって反キリストが誰なのか、聖書を通してその正体を知るようになりました。聖書は反キリストが誰なのかを知るための非常に重要なもう一つの情報を提供します。□ヨハネ第一の手紙4章2、3節を見ます。「あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊 [続きを読む]
  • これが真の福音です ソン・ケムン 第1回
  • キリストの受肉こそ福音の中核イエス様の弟子たちが、オリブ山で「世の終わりにはどんな前兆がありますか」と尋ねた時、イエス様は「人に惑わさないように気をつけなさい」と言われました。イエス様の返事にはっきり示されているのは、人を惑わす誤った教えがたくさん出てくるということです。今日、ほとんどのクリスチャンがよく考えもしないで受け入れ、キリスト教界に大きな誤解をもたらしている神学的な問題が一つあります。そ [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 最終回
  • 6、何の変更もない新しい契約新しい契約はキリストの血潮で承認されたので、キリストが十字架に付けられて死なれる時までは効力を発揮することが出来ませんでした。この重大な事実を決して見逃してはいけません。私たちの永遠の命と死は、まさしくこの真理をどれほどよく理解するかにかかっています。パウロは「いったい、遺言には、遺言者の死の証明が必要である。遺言は死によってのみその効力を生じ、遺言者が生きている間は [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第24回
  • 心に記された新しい契約の律法が、シナイ山で石の板に書き記された律法と全く同じであることを体験することは、私たちにとってとても重要なことです。律法の偉大な霊的原則は、まさしく神様の品性を反映しており、神様の政府の基礎となっているものです。この二つの律法の間に存在する違いは律法自体にあるのではなく、律法の役割にあるのです。石の板に書き記された律法は、私たちを罪に定めて死に至らせるだけです。「なぜなら、 [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第23回
  • 4、古い契約と新しい契約区分古い契約新しい契約律法を記録した場所二つの石の板に書かれる肉(心)に記される約束の根拠イスラエル民の約束神様の約束契約の承認方法動物の血イエス・キリストの血5、真の悔い改めに基づいた「新しい契約」の概念新しい契約と古い契約の違いを知ることによって、私たちは新しい契約の中心部に導かれます。従順は表面的な決心や行為ではなく、神様の律法が心に記されることによって可能にな [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第22回
  • どのように新しい契約が承認されましたか?それは古い契約と同じ方法で、血を流したことによって成し遂げられました。しかし雄牛の血が流される代わりに、罪のない神様のみ子の血が流されました。「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死人の中から引き上げられた平和の神が、イエス・キリストによって、みこころにかなうことをわたしたちにして下さり、あなたがたが御旨を行うために、すべての良きものを備 [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第21回
  • ここでこの契約は、十戒自体を言うのではなく、「主がこれらのすべての言葉に基いて」作られた双方の契約であることがもう一度確認できます。十戒は神様が守りなさいと命令された道徳律であって、神様とイスラエルの民の間で交わされる双方の間の契約(約束)ではありませんでした。「あなたの父と母とを敬え」という戒めがどのように契約(約束)となりますか?古い契約とは、〈十戒を必ず守ると公言するイスラエルの民の誓い〉と [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第20回
  • 3、では古い契約は何だったのか?十戒が古い契約ではない事が分かりましたが、私たちは今や、何が古い契約であったかを聖書から探してみましょう。そのために私たちは、聖書の出エジプト記へ遡って行くべきです。シナイ山で結ばれた契約には、異常な点が一つあった事を知らない人が多くいます。神様がご自分の律法を与える前に、モーセを山の上に呼び、ご自分と民の間で結ぶ契約を提案されました。“さて、モーセが神のもとに登 [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第19回
  • 2、古い契約は十戒ではなかった!聖書には廃された古い契約のことが書かれています。では、十戒がその廃された契約でしょうか?私たちは、廃された契約の中には、十戒が含まれていないという事実を証明してくれる3つの点を学ぶ必要があります。その次に、古い契約が何であったのかを、聖句を対照しながら注意して調べてみましょう。① まず初めに、私たちは古い契約の中には、何かの貧弱な面があった事実を見る事が出来ます [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第18回
  • 神様はある時にはモーセやアブラハム、あるいはダビデのように個人と契約を結び、時にはイスラエルの国家とも契約を結ばれました。そのあらゆる契約の中で最も重要な契約は、この世界が存在する前の古い時代からすでに立てられていました。それは、父なる神様と子なる神様との契約であり、罪の問題を究極的に解決するためのものでした。地球を創造する以前から、すでにキリストはご自分を「世のはじめから、ほふられた小羊」(黙示 [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第17回
  • 第2部:消え去った古い契約とは?1、序論ある時私は、伝道集会の説教を終えて、集会に参加された人々に挨拶するために急いで入り口に向かっていました。そこに、急に道を遮る3人の若者が現れました。その中の一人が私に大きな声で聞いて来ました。「牧師先生、私たちは今日の夜、先生が戒めに対して従順であるようにと強調して、あたかも私たちが、古い契約の中に生きているかのように主張なさる説教を聞いてとても失望しま [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第16回
  • 二人の兄弟についての古い話があります。その話は律法と恵みに対するとても良い例話になるでしょう。兄は裁判官でした。彼の弟が罪を犯して裁判官である兄のところへ連れて来られました。すべての証拠を見れば、自分の弟は間違いなく有罪でした。兄が弟をどのように裁判するか、法廷の中に緊張感が走りました。裁判官はこのような場合でも正義を実行し、公平な裁判が出来るでしょうか?裁判官は自分の弟を真っすぐ見つめながら、厳 [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第15回
  • 10、何によって救われたのか?律法と恵みに関するわかりやすい例話があります。昔、ニュ―オーリンズ奴隷市場でこのようなことがあったそうです。二人の綿畑の農場主たちが、反抗的な声で大きく叫んでいる一人の黒人を奴隷市場で競売していました。ついに一人の農場のオーナーがその競売に勝って。その奴隷を自分の馬車に乗せて農場に向かいました。家に行く間中、その奴隷は反抗的な口調で、新しい主人のために働かないと言って [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第14回 
  • 9、律法により裁かれる律法に関してもう一つ考えなければならないのは「人が罪人とされるのは、十戒の中でいくつを犯したときか?」と言う点です。ヤコブは次のように言いました。「なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。たとえば、『姦淫するな』と言われたかたは、また『殺すな』とも仰せになった。そこで、たとい姦淫はしなくても、人殺しをすれば [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第13回 
  • 多くのクリスチャンたちが、キリストは、自分たちは持っていない特別な力を持っておられたので律法に服従することが可能であったのだと信じています。もちろん、イエス様はただ一度も罪を犯さずに、生涯を全うされた唯一のお方です。そして主がそのような完全な勝利の生涯を全うされた秘訣が、ローマ人への手紙8章34節に書かれています。「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、 [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第12回 
  • 主を知ることは主を愛することであり、主を愛することは主のお言葉に従うことです。聖書の著者たちの言葉は単純で明白です。かりにある人がキリストに服従しないのであれば、その人はキリストを愛さない人だと言うことです。そして、彼が主に従っていないならば、彼は主を知らず、主もまた彼を知っておられないと言うことを、ヨハネは断言しているのです。「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつか [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第11回
  • 口で、「愛します」と言ったりするだけでは十分ではありません。神様への本当の愛の証拠は従順なのです。そういう意味では、最近自動車の後に貼ってあるステッカなどーは、浅はかな愛についての観念をあらわしています。「あなたがイエス様を愛するなら、笑顔を浮かべてください」。「もし、あなたがイエス様を愛するなら、手を振ってください」等々。しかし、私たちの主は、どのように語っておられますか?「もしあなたがたがわた [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第10回  
  • 7、従順:愛の試金石 ある人たちは、律法が養育掛として罪人をキリストに導いて、罪の赦しを受けさせる目的を達成した後では、もう律法は必要ないと、ガラテヤ書3章24節25節を用いて言うかもしれません。それはどのような意味なのでしょうか。養育掛としての律法と、キリストにある自由との関係を私たちは正しく理解しなければなりません。律法は私たちの罪を指摘しキリストに導きますが、キ [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第9回
  • 一人の殺人者が死刑宣告を受けたと仮定します。死刑執行日を待つ間、彼は法律の下にあり、罪責感の中で、その日をおびえながら待つことになります。しかし死刑が実行される一日前に、大統領がこの囚人の罪状を再検討した結果、恩赦を与える事にしたと考えてみましょう。大統領が情状酌量して、自分の権限によってその囚人を完全に釈放しました。赦された囚人は、今はもう、法律の下にあるのではなく、恵みの下にあるようになりまし [続きを読む]
  • 十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第8回 
  • 6、律法の下にいないとは?私たちはしばしば、神様の戒めを格下げしようとする次のような発言を聞きます。「私たちは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、これ以上十戒を守る必要はありません」。これは正しい見解でしょうか?聖書は確かに、私たちが律法の下にあるのではないと記していますが、それは私たちが、律法に従う義務から解放された事を意味するのでしょうか?このことを教える聖書箇所はローマ人への手紙 [続きを読む]