kotenji さん プロフィール

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kotenjiさん: Kotenjiのブログ
ハンドル名kotenji さん
ブログタイトルKotenjiのブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/kotenjidai
サイト紹介文後天時代の本当の意味と価値を理解し、ふさわしい生き方をしたい。正午定着、影のない時代と言われているが
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供23回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2012/02/07 10:07

kotenji さんのブログ記事

  • 「父母を慕う」と「父母に絶対服従」?
  • 若いころですが、復帰の道はつらい道だが、「父母を慕う」ことによって一気に越えていくことができる道がある、という内容をよく耳にしました。言い換えれば、全人類を救うためにはどのような犠牲も厭わないという愛で歴史を導いて来られた神様、そして、そのような神様の心情を受け継いで、全人類の父母となるべく愛を投入しておられる真の父母を「慕う」ことにより、その愛の世界にスパークすることで、越えられないような困難な [続きを読む]
  • 真実さ、真摯さに惹かれたのでは
  • この運動の最初の動機は、人類とこの世を救うことと、そのためにも自分自身が真の愛を持った人間になり、真の愛に溢れた家庭を築くことが目標だったはずであり、この運動に触れて参加した人々も、その点にスパークして参加した人が多かったのではないかと思います。その出発点には、真実さと真摯さがあったはずであり、そうでなければ人はそこに惹かれることはなかったでしょう。それが、運動が拡大していく中で、いわゆる「組織」 [続きを読む]
  • 反「血統」的実り
  • 最近はサンクチュアリ教会での驚くような出来事があり、「血統」ということを語るのも空しくなるような気もしました。その「血統」に生まれたはずの人の言行により、その「血統」自体の意味や価値が貶められる気がするからです。ともかく、誰であれこの「血統」を信じて生きてきた人にとっては、あまり選択肢は残っていないかもしれません。つまり、この「血統」が本当に万民にとって良いものであり、重要な意味を持つものだという [続きを読む]
  • 「血統」について(続き)
  • 「サタンの血統」というのを表現するために、原理講論では「原罪」とか「血統的な罪」という言葉が使われますが、この「原罪」は、すべての罪の根とも書かれています。そして、「原罪を罪の根というならば、遺伝的罪は罪の幹、連帯罪は罪の枝、自犯罪は罪の葉に該当する」とあり、「すべての罪は、その根に該当する原罪から生ずる。それゆえに、原罪を清算しない限りは、他の罪を根本的に清算することはできない」となっています。 [続きを読む]
  • 「血統」について(ちょっと戻ります)
  • ちょっと話を戻しますが、批判的な立場から言えば、そもそも、「原理」で言っている「神の血統」「サタンの血統」というコンセプト自体が果たして妥当なものなのか、という問題があります。既にこれを妥当でないと結論した人々はこの運動を離れ、批判する側にまわっているかもしれません。一つの単純な理由は、そもそもアダムとエバの物語は歴史上の事実ではなく、神話に過ぎない。ゆえに、その神話を事実として理解した前提で構築 [続きを読む]
  • 「血統」というキーワード
  • そもそも多くの食口といわれる人々は、程度の差はあれ、根本的には原理の「血統」という観点に希望を見出してこの運動に関わってきたのではないかと思います。その観点とは、つまり、人間の不幸や諸悪の根本原因を辿ればそれは人間始祖の堕落にあり、堕落とは即ち本来の「神の血統」が「サタンの血統」へと転換してしまったという問題であり、その根本的な解決は「サタンの血統」を「神の血統」へと再転換するところに鍵がある、と [続きを読む]
  • OOOOありき
  • 最近よく「OOOOありき」という表現を耳にするのですが、それで思ったのは、特に私も含めてこの運動に関わりを持った人の傾向として、「結論ありき」というのがあるのではないかということです。それに対する自覚と、その影響について自覚が必要ではないかと思った次第です。何が正しく、何が間違っているかを知ることは、人間である限り誰にとっても重要なことだと思います。しかし、「何が正しく、何が間違っているか」(客観的真 [続きを読む]
  • 鍋の底の悟り
  • 誰かの言うことなすことを正しいと思うと書き、誰かの言うことなすことを間違っていると思うと書けば、「あなたは『誰々派』だ」と規定されるような文化の中では、真実を追求したいという本意がそのとおりに現れず、伝わらない限界があるのは仕方ないことかもしれません。つまり、自分なりに真実を追求していると思っている行動が、「自分は誰々派である」という「枠入れ宣言」にすり替えられて受け取られてしまうので。まことに不 [続きを読む]
  • 「免職」「除名」は、真理に従う道か、似非真理に従う道か?
  • フィリピンの行事に参加したカープのリーダーが罷免されたということで、罷免に抗議する手紙がブログに出ていましたが、罷免の理由について、以下のように述べています。 (引用開始) 私を免職にする理由を要約すると以下の通りです。● 顯進様の大会に参加した私の行動が、真の父母様の願いに反するものである。● CARPの責任者という位置を離れた行動である。● スタッフや学生に混乱をもたらす行為である。● お父様は「真の父 [続きを読む]
  • 続き−自分の頭で考える重要性−カープリーダーの手紙を読んで
  • 古いメンバーであればあるほど、ゲリラ時代のすり替えられた「似非真理」に対する執着が強く、その逆に、若いメンバーは、本当の、心が納得する真理に対し、よりオープンかもしれません。フィリピンの行事に参加されたカープリーダーの手紙を読みながら、この方のように、まだ良心が死んでいない食口はたくさんいるはずだと思いました。 実りによって真実を確認するのは、一般の世間の人がそうであるだけでなく、食口も同じだと思 [続きを読む]
  • 続き−ゲリラ時代を越えて
  • 続きですが、しばらくの間、おそらく尊い真理ではない「何か別のもの」を維持するために、前回書いたような真理から真理を装ったものへの微妙なすり替えが、信徒の良心のレーダーに捕捉されない状況下で着々と行われていったのではないかと思います。しかし、いわば、そのような「ゲリラ戦術」的なものを継続して「理想世界」に向かおうというような時代はもう過ぎたのではないでしょうか。 過去はどうあれ、今の時代を迎えた以上 [続きを読む]
  • 続き−なぜ「負の遺産」が幅を利かせるようになったのか
  • 続きですが、なぜ「真の愛の実践」と相反する内容であるにも関わらず「負の遺産」が幅を利かせているのかという問題ですが、答えは簡単かもしれません。 一つは食口が受けてきた教育の内容の問題です。たとえば信仰の生活においては、神様を何よりも愛し、大切にし、優先するということが奨励されます。神様のみ言葉、神様との約束、神様とともに生きる生活、等々を自分よりも大事なものとして扱う、これを「信仰基台」とよんでい [続きを読む]
  • 続き−血統による救いの価値と負の遺産の克服
  • 先日も書きましたが、この「血統」は目に見えるものではないので、「血統」による救いの価値というものが世の中の一般の人に理解できる道があるとすれば、その血統の実りを通してでないと難しいと思われます。普通「食口」と言われる人々は、それなりの実りを見て「食口」という道を選択したと思いますが、歩んでいく中で、神の血統の実りとは思われないものを目にするようになり、その結果として、血統による救いの価値自体を疑う [続きを読む]
  • 続き−カルトで終わるか全人類に益を与える運動となるか
  • (続きです)始めに戻って、一つのカルトで終わるか、全人類に益を与える運動となるかの分岐点はどこにあるかということですが、一つのポイントは、この「血統」という問題をどのように扱うかという点にあると思います。この「血統」という内容は、統一運動の内部では、個人から世界に至るすべての問題を解決する最も重要なポイントとして理解されていますが、この内容について、狭い集団の中でしか理解できないような示し方しかで [続きを読む]
  • 続きーまず「血統」について
  • さて、「神の血統」という問題ですが、まず、「神の血統」に「メシヤ」という使命を担って生まれた文先生という方は、一般的な見方で見れば、普通の家の普通の子供として生まれたわけですが、成長していく中で、なんらかのきっかけで自分の血統的アイデンティティーを自覚するようになり、誰かから教えられたり命令されたからではなく、あくまでも自分の意志により真理を求め、実践し、周囲の多くの困難や誘惑を克服しながら「真の [続きを読む]
  • カルトで終わるか有益な運動となるかの分岐点
  • いわゆる「同じ釜の飯を食った」皆様に聞いてみたいのですが。この「統一運動」として始まった運動が、一つの矮小なカルト(その集団内の人々だけに通じる特殊な教義と実践の体系を持つが、最終的にはその内容をそのまま全人類が信じ、受け入れることを夢想)として存続することをよしとするならば話は別ですが、この運動が、当初の意図の通り、全人類に益を与える運動となることを本当に願うならば、自分が今まで信じてきた内容、 [続きを読む]
  • 人間を絶対とした場合の問題点(前回の続き)
  • 人間を絶対視すると何が問題か。一つはこういうことがあると思います。 人間は表面に見える言行の背後に、それぞれ事情というものがあります。私にも(人知れぬ)事情があるけれども、他の人にもそれぞれの(人知れぬ)事情があるものです。ところが、ある人が、「私の事情は重要だが、人の事情は重要でない」と考え始めると必ず問題が起こります。これは宗教紛争を例に挙げるまでもなく、夫婦や親子の関係を含め、日常的な些 [続きを読む]
  • 焼き払うべき「毒麦」は何か?
  • 私の考えでは、絶対なものがあるとすれば、それは神様だろうということであり、その神様以外のものを絶対としようとすれば、必ずどこかで無理が生じてくるものだと思います。しかし、そうやって無理が生じてきた時というのが重要であり、そこで謙虚に(良心の言うとおり)無理なものは無理と認めて、無理でない道を求めるならば、宇宙の道理にかなう道へと修正されるものではないかと思います。 そこのところを、あるものが絶 [続きを読む]
  • いわゆる「伝統」について
  • 世の中に「伝統」と呼ばれるものはたくさんありますが、長い歴史を生き残ってきた古い「伝統」というものは、基本的には「よいもの」であったからこそ生き残ってこられたのであり、一般的に言って、そこには、様々な相違を超えて、何らかの美しい心とその心の表現である美しい形があるように思います。いわゆる「統一家の伝統」について最近考えさせられていますが、統一運動の歴史がすべて予定どおりに順調に運んでおれば、今頃は [続きを読む]
  • 今こそ毒麦が焼かれる時ー神山先生の聖和に関連し(一部追加修正あり)
  • ここ数年の間、我が運動の中で、この人は「何側」、あの人は「誰側」、という表現がよく使われるようになりましたが、歪んだ文化の中で長年培われた頭の構造が変わらない限り、「何側」に行こうと「誰側」に行こうとたいした変わりはないということを自覚すべきだと思います。歪んだ文化の中に長くいた分だけ、その頭の構造が歪んだものになっている現実あるいは少なくともその可能性を各自が自覚する必要があると思います。 [続きを読む]
  • 神山先生の聖和を迎え、一食口としてひとこと
  • 神山先生、本当に神様から愛された方だと思います。様々なメッセージや言動を通し、一貫した真実さと真摯さを持たれ、神様と文先生を愛して一途に生きて来られた人生は、決して誰も汚すことのできない、永遠の宝であると思います。 聖和ぎりぎりまで、身を削りながらみ言葉を語り続け、お母様を心配し、教会の行く道を案じ続けられたその純粋で貴重な心が、神様の心を動かし、その聖和を通して、まさに神様がなそうとされた方 [続きを読む]
  • 歪んだ選民意識と真実追求のバランス…現状打開のためのつぶやき
  • 全体を眺めると、文夫人を中心とする教会側、サ教会、顕進会長支持の人々が、それぞれ異なった主張をして別れているように見えるのですが、私なりに精一杯客観的にいろいろな言い分、提示された事実関係などを比較しながら検討してみた現時点での結論としては、誰が一番まともなことを言い、まともなことを実践しているかという判断をくだすのはある意味ではとても簡単だろうということです。(因みに私は顕進会長が一番まともなこ [続きを読む]
  • 誰が悪いのかよりも何が悪いのか
  • 誰がよくて誰は悪いという話ではなく、何がよく何が悪かったのかという観点から過去を振り返ったときに、今後のことも考えてはっきりさせておいたほうがいいと私が思う第一の点は、歪んだ選民意識という問題です。 つまり、自分は選ばれた者(立場)なので、自分は絶対的に正しく、その自分に反する者はどんな説明をつけたとしても、絶対的に間違っている、という独善的思い込み、前提、決めつけです。誰であろうと、このよう [続きを読む]