駄田泉 さん プロフィール

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駄田泉さん: 旧聞since2009
ハンドル名駄田泉 さん
ブログタイトル旧聞since2009
ブログURLhttp://koikoi2011.blog.fc2.com/
サイト紹介文主に福岡の地域情報を書いていますが、タイトル通り新しい話は何もありません。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供64回 / 365日(平均1.2回/週) - 参加 2012/03/18 19:36

駄田泉 さんのブログ記事

  • 「160万都市」の過疎
  •  福岡市中央区・西公園の光雲(てるも)神社石段下で、十月桜の若木2本が小さな薄いピンク色の花を咲かせている。昨秋、この桜に初めて気付いた際は「狂い咲き」と勘違いしてツイッターで紹介し、恥をかいたが、春、秋の2回開花する変わった桜だ。全国の十月桜の名所では紅葉とのコントラストで人気を集めている例が多いらしい。西公園にも「もみじ谷」という場所はあるが、残念ながら十月桜とは場所が離れている上、葉はまだ青 [続きを読む]
  • 予想外に人気だった「かなたけの里公園」
  •  福岡市西区金武の「かなたけの里公園」に散歩がてら立ち寄ってきた。田畑を買収し、そのまま公園化した農業体験施設で、広さは約14?。整備費は33億円に上るが、そのうちの27億円までを用地買収費が占める。福岡市郊外では田畑など珍しくもない。やむを得ぬ「事情」があったことは知っているが、こういった公園にニーズなどあるのだろうか、と疑問に思ってきた。ところが、休日午後の公園は、小学生らしき年頃の子供を連れた家族 [続きを読む]
  • 千年煌夜、今年はじっくり
  •  福岡市で10月31日〜11月4日、寺社が立ち並ぶ博多旧市街をライトアップで彩る「千年煌夜」が開かれ、期間中は好天に恵まれたこともあり、大勢の見物客でにぎわった。私も日本シリーズの移動日だった11月2日に行ってきた。「日本シリーズの移動日」とわざわざ書いたのは、昨年は仕事の都合で結果的に最終戦となった日本シリーズ第6戦の日に行かざるを得ず、試合経過を気にしながら慌ただしく会場を巡ることになったからだ。今年 [続きを読む]
  • 復旧が進まない日田彦山線
  •  先日、福岡県添田町にある道の駅「歓遊舎ひこさん」に向け、JR日田彦山線沿いの道を車で走っていた際、添田駅付近で、国鉄カラーの列車が停まっているのを目撃した。帰路に車窓から写真を撮ってきたが、方向幕には「団体」と表示されており、臨時列車のようだった。帰宅後に調べてみると、昨年7月の九州北部豪雨で被災し、添田〜夜明間29?が今も不通となっている同線支援のため、小倉〜西添田間で企画されたツアー列車で、私が [続きを読む]
  • 戦時下のミッションスクール撲滅運動
  •  戦時下の福岡県で、不愉快極まりない運動が行われていたことが、県教委発行の『福岡県教育百年史』(1981)に記されている。戦前、戦中の「キリスト教系学校への弾圧」について紹介した一文で、「キリスト教国である米英等と深い関係があり、平和と人類愛を目標とするキリスト教系の学校に対しては特に非難、圧迫が次第に強く加えられるようになった。(中略)ある種の学校については、事実上学校経営が不可能になるような条件の [続きを読む]
  • 悲惨というより壮絶だった戦後開拓
  •  古い新聞の切り抜きに、目を引く記事があった。福岡県内の山間部にある某戦後開拓地の一つを取り上げた1965年1月11日の読売新聞朝刊地方版の記事で、「また一人さびしく下山」「15年、ついに報われず」「春のない辺地」などの見出しの下、過酷な環境で経済的にも厳しい生活を送る入植者を救うため、地元の市役所が下山を勧めていることが書かれていた。記事によると、この開拓地は1951年に開かれ、入植者たちは山を切り開いて畑 [続きを読む]
  • 鶴城高女、福岡城多聞櫓についての追記
  •  福岡市内に戦中まで存在したものの、戦後になって忽然と消え去った鶴城高等女学校について、2年前の11月に取り上げたことがある(「鶴城高女を探して」「続・鶴城高女を探して」)。福岡市と周辺にあった高等女学校は戦後、鶴城高女以外は全て新制高校として再出発し、今なお健在だ。鶴城高女がいつ、なぜ閉校したかを探ることが2本のブログのテーマだったが、あやふやなままで終わった。その後も折を見て古い新聞記事等を当た [続きを読む]
  • 世界的な彫刻家だった「ブルドン」の作者
  •  福岡市早良区の市総合図書館前に、黒御影石製の犬の彫刻が置かれている。「ブルドン」というタイトルから判断すれば、ブルドッグがモデルなのだろうが、愛嬌のある顔立ちはパグにも見える。恐らく若手の作品だろうと勝手に想像していたが、訃報で、作者が世界的な彫刻家だったことを知った。今年7月、95歳で亡くなった流政之さん。代表作は、ニューヨークの世界貿易センター前にあった重さ250?の巨大石彫「雲の砦」。この作品 [続きを読む]
  • 終戦直後まであった「田島の女中市」
  •  写真は、現在の山口県下関市で昭和時代まで続いていた「滝部の奉公市」を記録したものだ。滝部地区周辺の漁村では、女性たちが農繁期、近隣の農家に働きに出る慣行があり、こういった青空労働市場で雇用関係を結んでいた。賃金は、現金ではなく米などで支払われていたらしい。漁業者側はこれで米を確保できる一方、農家側も忙しい農繁期にだけ人を雇えるメリットがあったという。同様の風習は、玄海灘に浮かぶ福岡県の大島(現・ [続きを読む]
  • 芦屋町の海岸で撮影された『トラ・トラ・トラ!』
  •  調べ物でめくっていた『芦屋町誌』の年表に、目を引く記述があった。1969年の出来事に<映画「トラ・トラ・トラ」ロケ芦屋浜で>とあったのだ。町誌にはこれ以外に詳しいことは書かれていなかったが、真珠湾攻撃を題材にした1970年公開の戦争映画『トラ・トラ・トラ!』の撮影が同町で行われたということだろう。調べてみると、単なるロケではなく、同町の遠賀川河口に、連合艦隊の旗艦だった戦艦「長門」、空母「赤城」の実物大 [続きを読む]
  • 記憶に全くない先代の福岡市庁舎
  •  福岡市博物館の常設展示室に、福岡市の先代庁舎の写真があった。1923年(大正12)の完成で、1945年6月の福岡大空襲を生き延び、昭和後期まで現役の庁舎として使用されていた建物だ。福岡市に長年住み、市役所がある天神界隈にも頻繁に行っていたのだが、この庁舎に関する記憶が全くない。福岡市が1972年に政令市となって以降、区役所には行っても本庁舎に行く必要がなくなったためもあるが、それにしても記憶が完全に抜け落ちて [続きを読む]
  • 「カープ油津駅」を見てきた
  •  お盆休み、宮崎県日南市に遊びに行き、今年2月に誕生したJR日南線の「カープ油津駅」を見てきた。駅自体は昔からあるが、広島カープのキャンプ地がこの駅のすぐ近くにあることにちなみ、駅舎が真っ赤に塗り替えられ、カープ油津駅の愛称が付けられた。カープが強いと駅まで真っ赤に染まるのかと感慨深かった。この駅舎を眺めている際に聞いたのだが、親族の青年が来春、日南に転勤予定だという。仕事場はこの駅近くで、宮崎市内 [続きを読む]
  • 阿蘇くじゅうでヒゴタイ開花
  •  ヒゴタイがそろそろ開花を始める頃だと思い、熊本県産山村のヒゴタイ公園、大分県九重町のタデ原湿原を散策してきた。予想通り、るり色の球形の花が、阿蘇やくじゅうの山並みをバックに風に揺れていた。一見、涼しげな風景だが、下界よりはましとは言え、阿蘇くじゅうの高原地帯も酷暑だった。(写真は1枚目がヒゴタイ公園、2枚目がタデ原湿原) ヒゴタイは、阿蘇くじゅう地域では「盆花」とも呼ばれるキク科の多年草。現在で [続きを読む]
  • 日拝塚古墳出土の金製耳飾り
  •  福岡県春日市の日拝塚古墳で1929年(昭和4)に起きた盗掘事件を以前取り上げたことがある(「日拝塚古墳盗掘事件」)。この事件で2,000点を超える副葬品が同古墳に眠っていたことが明らかになり、これらは全て帝室博物館(現在の国立博物館)に召し上げられたが、なぜか金製の耳飾り1点だけが地元の「奴国の丘歴史資料館」に展示されている。「(伝)日拝塚古墳」の但し書き付きで。なぜ「伝」なのかと言えば、この耳飾りは国 [続きを読む]
  • ニイニイゼミを久しぶりに見た
  •  福岡市中央区の西公園で、ニイニイゼミが「チィチィ」と鳴いていた。木を見上げて姿を探したが、見つけるまで、しばらく時間がかかった。このセミは羽も体も地味な茶色で、桜の木などにとまっていると見事な保護色になる。それでも虫捕りに熱中していた子供の頃は、簡単に見つけることができたものだが。私が子供だった昭和時代、福岡にごく当たり前にいたのはニイニイゼミとアブラゼミで、今では信じがたいが、クマゼミは稀少な [続きを読む]
  • 軍用機献納運動と「福岡市号」
  •  福岡市博物館で夏恒例の企画展「戦争とわたしたちのくらし」の27回目が開かれている。今年のテーマは戦時期の宣伝戦略で、戦意高揚、戦争遂行のために制作されたポスターなどが展示されているが、目を引いたのは、朝日新聞提唱の「軍用機献納運動」のポスターだ。国民から金を集めて軍用機の製造費用に充てようというもので、ポスターには「千機二千機われらの手で」「更に銃後の赤誠に想ふ」などの言葉が並んでいる。ただ、朝日 [続きを読む]
  • 不法係留船が河口を埋める名柄川
  •  福岡市西区を流れる名柄(ながら)川で、福岡県が昨年から、不法係留されているプレジャーボートの強制撤去を進めている。河口両岸には数年前まで、300隻近いボートが並び、ある意味壮観だった。あまりに堂々と係留されているものだから、まさか不法状態とは思わなかったぐらいだ。先日、たまたま近隣を通ったので、現状を見てきたが、依然として多数のボートが河口を埋めていた。カウントはしなかったが、100隻ぐらいはあっただ [続きを読む]
  • 唐人町商店街に昔、飾り山があった
  •  書くネタが何もないので、3回連続で博多祇園山笠の飾り山についての話を。最近、山笠関連の資料を読んでいて、福岡市中央区の唐人町商店街に1965年(昭和40)まで飾り山があったことを初めて知った。同区地行浜の福岡ドーム(現・ヤフオクドーム)に2000年、初めて飾り山が建てられるまでは、山笠の歴史上で最も西にあった飾り山だったという。福岡部の数少ない飾り山の一つとして親しまれてきたが、66年、商店街のアーケード工 [続きを読む]
  • ヤフオクドームの飾り山小史
  •  博多祇園山笠が開幕し、中央区のヤフオクドーム前にも恒例の飾り山が登場している。ただ、残念なことに、今年はソフトバンクホークス戦の観戦客が飾り山を目にする機会は少ない。山笠期間中、ヤフオクドームでの試合は1日に行われたロッテ戦だけだったのだ。しかも、その試合でホークスは良いところなく敗れ、山笠を勢いづけにとはいかなかった。遠征とオールスターゲームを終え、ホークスがヤフオクドームに戻ってくるのは、山 [続きを読む]
  • 新天町の飾り山、今年もサザエさん
  •  博多祇園山笠が7月1日開幕するのを前に、福岡市内各所では飾り山の準備が進んでいる。29日、中央区天神の新天町商店街を通ったが、飾り付けはほぼ終わり、関係者が最後の調整中だった。ここの飾り山の題材は、今年も見送りが『サザエさん』で、実に7年連続。商店街関係者に直接聞いたわけではないが、福岡に縁の深い作品であり、TVアニメは国民的番組として幅広い年代に親しまれていることから題材に選んでいるらしい。 『サ [続きを読む]
  • 学園都市化するシーサイドももち
  •  今春、福岡市のシーサイドももち(早良区百道浜、中央区地行浜)に新たな大学が誕生し、さらに来年4月にも別の大学の開学が予定されている。いずれも医療福祉系の大学。同地区にはすでに2013年春、国際医療福祉大の福岡看護学部が開設されており(「百道浜に大学」)、130?ほどの埋め立て地に来春、三つの医療福祉系大学が並ぶことになる。 今年4月に設置されたのは、南区筑紫丘に本拠を置く純真学園大の百道浜キャンパスで [続きを読む]
  • 円形劇場と嫩葉会
  •  福岡県うきは市の「道の駅うきは」敷地内に先頃復元された円形劇場を見学してきた。1925年(大正14)11月、地元(当時は山春村)の農民劇団「嫩葉(わかば)会」のため、村人たちが総出で造り上げた野外劇場。それから約90年がたち、劇場は跡形もなく風化したものと思われていたが、2015年の発掘調査で遺構が確認され、市が復元を進めていた。この劇場について初めて知ったのは2014年8月、遺構が確認される前のことで、この時は [続きを読む]
  • 映画『陸軍』に見る大空襲前の福岡
  •  戦時中、福岡で撮影された映画『陸軍』を最近見た。1944年12月に公開された作品で、45年6月の福岡大空襲で焼け野原となる以前の街並みが記録されているため、福岡では歴史資料としても評価されてきた。初めて実写フィルムで見た44年当時の福岡市中心部は想像していた以上に近代的だった。 映画は木下恵介監督作品で、出演者は田中絹代、上原謙、笠智衆ら。タイトルからは戦闘シーンを連想してしまうが、小倉から博多に移り住ん [続きを読む]
  • 九州電灯鉄道の痕跡
  •  先日、福岡市中央区内を散策していた際、鳥飼神社に「九州電燈鐵道株式會社」と刻まれた石柱があることに、うかつにも初めて気付いた。十数年前から頻繁に通っている場所なのだが、例によって自分の観察力のなさに呆れるばかり。それはともかく、九州電灯鉄道とは、西鉄の路面電車(貫線)の前身に当たる福博電車を一時経営していた会社で、もう一本の石柱には大正2年(西暦では1913年)12月吉日に建立したと刻まれている。貫線 [続きを読む]
  • 博多湾のノリ養殖と猪野銅山
  •  国土地理院が1975年(昭和50)に撮影した博多湾の航空写真に、有明海みたいな風景が写っていた。シーサイドももち埋め立てで消滅した百道海水浴場のすぐ沖に、ノリ網が多数設置されているのだ。こんな市街地に近い海域で、昭和後期まではノリ養殖が行われていたのかと少し驚いた。博多湾のノリ養殖は現在、姪浜で続いているだけだが、かつては湾内で広く行われ、「博多湾ノリ」のブランドで各地に出荷されていたという。(写真は [続きを読む]