駄田泉 さん プロフィール

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駄田泉さん: 旧聞since2009
ハンドル名駄田泉 さん
ブログタイトル旧聞since2009
ブログURLhttp://koikoi2011.blog.fc2.com/
サイト紹介文主に福岡の地域情報を書いていますが、タイトル通り新しい話は何もありません。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供75回 / 365日(平均1.4回/週) - 参加 2012/03/18 19:36

駄田泉 さんのブログ記事

  • 円形劇場と嫩葉会
  •  福岡県うきは市の「道の駅うきは」敷地内に昨年12月、完成した円形劇場を見学してきた。1925年(大正14)11月、地元(当時は山春村)の農民劇団「嫩葉(わかば)会」のため、村人たちが総出で造り上げた野外劇場。それから約90年がたち、劇場は跡形もなく風化したものと思われていたが、2015年の発掘調査で遺構が確認され、市が復元を進めていた。この劇場について初めて知ったのは2014年8月、遺構が確認される前のことで、この [続きを読む]
  • 映画『陸軍』に見る大空襲前の福岡
  •  戦時中、福岡で撮影された映画『陸軍』を最近見た。1944年12月に公開された作品で、45年6月の福岡大空襲で焼け野原となる以前の街並みが記録されているため、福岡では歴史資料としても評価されてきた。初めて実写フィルムで見た44年当時の福岡市中心部は想像していた以上に近代的だった。 映画は木下恵介監督、出演者は田中絹代、上原謙、笠智衆ら。タイトルからは戦闘シーンを連想してしまうが、小倉から博多に移り住んできた [続きを読む]
  • 九州電灯鉄道の痕跡
  •  先日、福岡市中央区内を散策していた際、鳥飼神社に「九州電燈鐵道株式會社」と刻まれた石柱があることに、うかつにも初めて気付いた。十数年前から頻繁に通っている場所なのだが、例によって自分の観察力のなさに呆れるばかり。それはともかく、九州電灯鉄道とは、西鉄の路面電車(貫線)の前身に当たる福博電車を一時経営していた会社で、もう一本の石柱には大正2年(西暦では1913年)12月吉日に建立したと刻まれている。貫線 [続きを読む]
  • 博多湾のノリ養殖と猪野銅山
  •  国土地理院が1975年(昭和50)に撮影した博多湾の航空写真に、有明海みたいな風景が写っていた。シーサイドももち埋め立てで消滅した百道海水浴場のすぐ沖に、ノリ網が多数設置されているのだ。こんな市街地に近い海域で、昭和後期まではノリ養殖が行われていたのかと少し驚いた。博多湾のノリ養殖は現在、姪浜で続いているだけだが、かつては湾内で広く行われ、「博多湾ノリ」のブランドで各地に出荷されていたという。(写真は [続きを読む]
  • わがままになって福岡から帰ったパンダ
  •  上野動物園で誕生したパンダの赤ちゃん、シャンシャン(香香)が大人気だが、福岡市動物園にも以前、中国から貸し出されたパンダの中にシャンシャンがいた。もっとも、こちらはオスで、漢字では珊珊と書いた。福岡に来た時はすでに25歳で、相方だったメスのパオリン(宝玲)も17歳と、結構な高齢カップルだった。パンダ来日はちょうど私が学生時代のことで、せっかくパンダが福岡に来たのだからと、同級生と男ばかり十数人で見に [続きを読む]
  • 米一丸伝説のモデルは…
  •  学生時代、下宿近くの福岡市東区箱崎に米一丸というバス停があり、妙な名前だなと思っていた。当時は全く関心がなかったが、バス停近くには一帯の旧地名の元となった「米一丸の供養塔」があり、地蔵堂も建っている。供養塔の傍らには12基の梵字板碑や鳥居さえある。神仏習合を通り越してしまったような場所だが、不思議なことに雑多な雰囲気は感じられない。地蔵堂内も敷地も非常にきれいな状態で、地元の人に大事にされているこ [続きを読む]
  • 変化を続ける箱崎の風景
  •  先日、福岡市東区箱崎の県立図書館で調べ物をしたついでに、界隈を散策してきた。過去に解体を取り上げたことがある九大の旧法文学部本館や筥崎宮の大鳥居はきれいさっぱり取り壊されていた。どちらも老朽化が進み、特に旧法文学部本館に関しては「寿命に達している」とまで診断されていた建物だから、解体は仕方がない。仕方はないが、そこにあるべきものがない風景には、やはり違和感を覚えた。(写真1枚目が旧法文学部跡地、 [続きを読む]
  • 続・樋井川河口にあったものは
  •  先日書いた「樋井川河口にあったものは」には複数のコメントをいただき、貴重な情報も寄せていただいた。こんな個人ブログの記事に興味を持ってもらえたのかと思うと、非常な励みになった。仕切り直しで、再度古い住宅地図や資料などを当たっていたところ、福岡市総合図書館でたまたま手に取った古い新聞記事の切り抜きに、樋井川河口にあった謎の一角の正体が書かれていた。ツイッターやブログのコメントで複数の方から指摘があ [続きを読む]
  • 樋井川河口にあったものは
  •  福岡市の古い空撮写真や地図を眺めていて、妙なものがあるのに気付いた。写真は1956年(昭和31)に米軍が撮影したものだが、樋井川河口の地行側に長方形の一角が写っている。妙なものとはこれのことで、樋井川との間に開口部が設けられているところを見ると、最初は船溜まりではないかと思った。ツイッターで写真を取り上げたところ、同様のご意見をいただいたが、写真に見える修猷館高校や西南学院中高、西新小学校のグラウンド [続きを読む]
  • 百道浜の長生き?野良猫
  •  「モンバン君」と勝手に呼んでいる野良猫が、福岡市早良区の百道浜界隈にいる。6〜7年前だったか、最初にこの猫の存在に気付いた時、いつも福岡市博物館の裏門横にいたことから、門番呼ばわりするようになった。猫の個体識別が得意なわけではないが、この猫は額の模様が特徴的で、横分けした前髪を垂らしているようにも見える。つい先日も博物館前庭を元気に歩いているのを見かけた。つまり、この猫は少なくとも6〜7年は生き [続きを読む]
  • 雷山山頂のコバノミツバツツジ
  •  糸島市の雷山(955?)に登ってきた。紅葉の名所として有名な雷山千如寺大悲王院、古代山城跡の雷山神籠石など山中の名所・旧跡には何度か行ったことがあったが、山頂は初めて。雷山がある脊振山系は福岡・佐賀県境に広がる断層山地で、佐賀県側はなだらかだが、福岡県側は急崖だと言われている。つまり福岡県側から登れば、非常にしんどい。知識としては知っていたが、そのしんどさを我が身で経験してきた。 ルートは、雷山千 [続きを読む]
  • 天神コアと天神ビブレとの間の段差
  •  福岡では有名な話だが、福岡市・天神に隣接して並ぶ二つの商業ビル、天神コアと天神ビブレとを結ぶ連絡通路に階段3段分の段差がある。両ビルの前身の商店街時代からこの段差はあり、どういう理由か、段差を残したまま二つのビルは建てられたことになる。では、この段差はなぜ、生じたのだろうか。調べたところ、この辺りには明治時代後半まで「因幡町山」とも呼ばれた小さな丘があり、1910年(明治43)に開通した福博電気軌道( [続きを読む]
  • 郡役所の礎石が出土していた
  •  福岡市中央区の赤坂門バス停横の駐車場跡地で2014年暮れから翌年4月にかけて、発掘調査が行われていた。調査地を囲っていたフェンスに「福岡城下町の発掘調査」を行っているとの貼り紙が出されていたが、いったい何の遺構が出たのかはさっぱりわからなかった。そこで古地図などを調べたところ、藩政時代後期、郡役所が設置された場所らしいと判明し、このブログで取り上げたことがある(「福岡城下町の発掘調査」「やっぱり郡役 [続きを読む]
  • 県庁は春日原になる可能性があった
  •  もう7年も前になるが、福岡県庁舎は上空から見ると「亀井光」と読めるという噂話を紹介したことがある(「『亀井光』伝説」)。亀井光知事の下、福岡県庁舎が博多区東公園に新築移転したのは1981年のことで、それ以前は天神のど真ん中にあった。跡地は現在、アクロス福岡と天神中央公園になっている。東公園移転は唐突に決まった記憶があったので、ざっと経緯を調べてみた。全く覚えていなかったが、移転構想が動き出した当初、 [続きを読む]
  • 脇山口交差点に横断歩道増設
  •  福岡市早良区の脇山口交差点に3月下旬、ようやく横断歩道が増設された。周辺には西新商店街や修猷館高校、西南学院大などがあり、人通りが非常に多い交差点なのだが、上の地図で示したA〜B地点間には横断歩道がなく、歩行者は何十年もの間、AからBに行くには地図の青線で示したルートを通る必要があったのだ。 なぜ、こんなバカげたことがまかり通ってきたのか。この交差点は車の交通量も多く、市内でも有数の渋滞ポイント [続きを読む]
  • 幻に終わった博多湾淡水湖構想
  •  福岡市は一級河川を持たない全国唯一の百万都市で、2度の大渇水に見舞われるなど、長年水不足に苦しめられてきた。市は、数々のダムや筑後川導水、海水淡水化施設の建設など水源確保に力を入れてきたが、半世紀前の1960年代、水不足を半永久的に解消するための超巨大プロジェクトが浮上したことがあった。博多湾の一部を堤防で閉め切って多々良川の水を貯め、巨大な淡水湖を造るというもので、先頃、新聞データベースを漁ってい [続きを読む]
  • 福岡城跡で夜桜見物
  •  福岡城跡の舞鶴公園で30日夜、夜桜を見物してきた。同公園では4月8日まで「福岡城さくらまつり」が開催中で、ソメイヨシノやシダレザクラなど約1,000本の桜がライトアップされ、平和台球場跡地の広場には数多くの屋台が並んでいる。30日は花の金曜日ともあり、大変なにぎわいだった。この「福岡城さくらまつり」は意外に歴史が浅く、第1回が開かれたのは2010年。初の試みに17万人が集まり、大盛況だったことから恒例行事とな [続きを読む]
  • 甘木公園の桜が見事だった
  •  朝倉市の国道386号線バイパスを走っていて、沿道にある甘木公園の桜が満開になっているに気付き、せっかくだからと寄り道をしてきた。中央に池を配した広さ31.7?の公園で、園内にはソメイヨシノを中心に約4,000本もの桜が植えられている。公園自体には過去にも来たことがあるが、桜の季節は初めてで、4,000本が一斉に満開になっている光景は壮観だった。また、散策路はゴムチップ舗装されており、歩き心地は非常に快適だった。 [続きを読む]
  • 油山市民の森リニューアルへ
  •  24日、今年初めて油山(597?)に登り、中腹にある自然公園「市民の森」に下山後、夫婦岩展望台から福岡市街地をボーッと眺めたり、ほころび始めた桜の下で昼食を取ったりしてリフレッシュしてきた。市民の森一帯にはソメイヨシノやオオシマザクラなど2,000本弱の桜があり、この数は「日本さくら名所100選」に県内から唯一選ばれている西公園(中央区、1,300本)や、舞鶴公園(同、1,000本)を大きく上回る。福岡市内では有数の [続きを読む]
  • 川南造船所跡2018
  •  長崎県松浦市に行き、帰路に佐賀県伊万里市の川南造船所跡に立ち寄ってきた。戦時中に特殊潜航艇「海龍」などを製造していた軍需工場の廃墟が60年近くも放置され、マニアの間では超有名物件だったが、2012年3月に取り壊しが終わった。伊万里市は跡地に公園を整備する計画を打ち出していたが、解体完了から6年の歳月がたっても一歩たりとも進まず、今度は更地のまま放置されている。ただ、土地は全くの未利用というわけではなく [続きを読む]
  • 筥崎宮の大鳥居、解体へ
  •  福岡市東区箱崎の国道3号線沿いにそびえる筥崎宮の大鳥居が、老朽化により解体されることになった。報道で知り、10日に現地に行ったところ、鳥居はすでに工事用フェンスで囲われ、くぐれない状態になっていた。再建には5億円もの巨費が掛かると見込まれ、神社側に再建の考えはないらしい。学生時代、近辺に住んでいたこともあり、くぐったことは数限りなくあるが、だからと言って格別思い出があるわけでもない。ただ、この鳥居 [続きを読む]
  • 慈恩の滝の裏側
  •  大分県玖珠町にある慈恩の滝に4日、ほぼ20年ぶりに行き、滝の裏側から見た景色を写真に収めてきた。本来ならば、涼を求めて滝に行く季節ではないが、この日の最高気温は福岡でも大分でも20度超。由布院からの帰路、滝の横にある道の駅で休憩したついでに、陽気に誘われ滝を巡る散策路を歩いてきた。この散策路が滝の裏側にも通じている。こういった滝を「裏見の滝」と呼ぶらしい。写し方が下手なためにわからないが、本当は2段 [続きを読む]
  • 東光院の仏像を見てきた
  •  福岡県小郡市の九州歴史資料館で4月11日まで、企画展「堅粕薬師と東光院の古仏たち」が開かれ、福岡市の東光院(廃寺)に伝えられてきた仏像30体が展示されている。うち25体までが国の重要文化財。仏像の良しあしを見極めるだけの目も知識もないが、フロアに置かれた高さ2?に迫る薬師如来立像、これを守るかのように配置された2体の2?超の金剛力士像は圧巻で、ガラスケースに収められた薬師如来坐像、二組の十二神将像も見 [続きを読む]
  • 康永三年銘梵字板碑、または濡衣塚
  •  福岡市博多区の石堂川河畔に、「康永三年銘梵字板碑」という県指定文化財がある。一般的には「濡衣塚」の名で呼ばれており、濡れ衣という言葉の発祥地などと紹介されることもある。しかし、濡れ衣の由来とされる説話が聖武天皇の時代(在位は724〜749年)のものとして伝わっているのに対し、板碑が建てられたのは、銘に従えば、南北朝時代の1344年(康永は北朝の元号)。板碑は建立後、時代を約600年も遡って奈良時代の話と結び [続きを読む]
  • 今さら宮崎の「貞蔵道路」について
  •  宮崎市に「貞蔵道路」と呼ばれていた道がある。正式名称は市道大島通線。JR宮崎駅東側の宮脇町から市北部の島之内までの8?あまりを結んでいる。貞蔵とは、1982年から94年まで宮崎市長を務めた長友貞蔵氏のことで、大島通線は長友氏在任中の1988年12月に開通した。終点近くにあったのが長友氏の自宅。「自分の通勤専用道路を造った」と一部市民に反感を持たれたのが貞蔵道路の名の由来で、愛称と言うよりは、長友氏への非難、批 [続きを読む]