ダイヤモンド☆トナカイ さん プロフィール

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ダイヤモンド☆トナカイさん: 鉄道全線完全制覇の旅
ハンドル名ダイヤモンド☆トナカイ さん
ブログタイトル鉄道全線完全制覇の旅
ブログURLhttp://4190koawazay.blog.fc2.com/
サイト紹介文昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供76回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2012/03/24 16:13

ダイヤモンド☆トナカイ さんのブログ記事

  • 「本線」という名の元に⑨ 幌糠
  • さて、留萌本線の駅を今まで紹介してきたが、ここで初めて「貨車駅」に触れることになる。というか、厳密には恵比島でも若干ながら触れているが、恵比島の場合、観光用に外装が施されており、ある意味ピュアな貨車駅ではない雰囲気である。それに比べここ幌糠は完全無欠の貨車駅として地味に眩しい存在であろう。留萌本線は意外に昔ながらの木造駅舎が残っており、むしろこうした貨車駅が少ない。そいえばかつて峠下との間には東幌 [続きを読む]
  • 「本線」という名の元に⑧ 峠下
  • ご存じ、留萌本線の中間駅で唯一交換設備が残されたここ峠下であるが、周囲に民家はほぼ皆無で、利用者的にも北海道らしい数値であることは間違いないであろう。そして駅舎に至っては「年季が入った」などという言葉で片付けてしまっては申し訳ないような年季の入り様で、恐らく石狩沼田や留萌よりも先輩に当たるであろう。国道沿いにあるが、意識していなければ普通に通り過ぎてしまうであろうその空間は、文字通り「サミット」で [続きを読む]
  • 「本線」という名の元に⑦ 恵比島
  • 「明日萠」の異名を名乗るのはあまりにも有名であるここ恵比島は某テレビドラマのロケ地で使われた当時の面影を残し現在に至ってる。たが普段はひっそりとしており、木造駅舎の待合室にいるオブジェが印象的であるが中には入れないように鍵錠されている。代わって一般が利用する待合室は隣の「貨車」となっているが、外装は木製風な施しがロケ的な雰囲気を醸し出している。駅前にはドラマ撮影時に使用されたと思われる建物が数件あ [続きを読む]
  • 「本線」という名の元に⑤ 真布
  • かつては「仮の姿」であった真布であるが、現在は仮の姿では無く「駅」として堂々と時刻表に載っている。仮の姿の名残はあるものの、立派な待合室も健在である。やはり北海道特有の気候にはこうした「味方」がいると心強い。都会に住まわれる一般の方にとって「これが駅です」と言われてとても信じられない心境になる事であろう。とは言え、レールファンにとっては見慣れた光景。いかにも北海道らしいと言えば北海道らしい駅でもあ [続きを読む]
  • 「本線」という名の元に④ 石狩沼田
  • かつてここから札沼線が分岐していたのはあまりにも有名であるが、一般的にはあまり有名じゃないかも知れない。私の世代でさえ物心付くか付かないかくらいの時代に廃止されたため完全に伝説的な事象である。廃線跡もそれほど面影が無いらしく、実感的なものを感じないのが正直なところである。と言うものの、残った末端区間も1日一本しか列車がやって来なくなってしまい、同じ運命を辿るのも時間の問題であろう。さてそんな石狩沼 [続きを読む]
  • 「本線」という名の元に③ 北秩父別
  • 超北海道らしい駅と言えば超北海道らしい駅であるが「本線」と思えば思うほど味が出てくるのがここ北秩父別であろう。留萌本線をウィキで調べたら「本線を名乗るJR線では一番短い」との蘊蓄があった。実際にレンタカーで訪ねてみたら、留萌〜増毛の廃止区間は全駅訪問しても一時間とかからなかった。多分留萌から30分くらいで増毛に着いた印象であった。とりあえずその件については後述するとして、北秩父別について、ご覧の通り [続きを読む]
  • 「本線」という名の元に② 秩父別
  • 以外にもそれなりの繁華街に位置する秩父別は、すぐそばに道の駅があり住宅的な人の気配も絶えないため、それなりの利用者はあると思われる。実際に、駅前には自転車が多数主(あるじ)の帰りを待っていた。だがその空間は、時空を超え、相対性理論さえも寄せ付けない「鉄道」という魔術に染められた「駅」という名のパラダイスでもあった。決して近代的とは言えない華奢な駅舎は、特に冬季の時間帯には利用者にとって非常に心強い存 [続きを読む]
  • 「本線」という名の元に① 北一已
  • 前述通り、パソコンで変換出来ない北一已であるが、念のためレールファン以外の方にも知っていただこうと読み方を記しておこう。その名も「きたいちやん」と読むが、かつては「きたいっちゃん」とも呼ばれていた。ただ、私は「きたいちゃん」を変換していたのでパソコンで漢字に変換できなかったが、「きたいちやん」と入力すれば変換できる事に気がついた。いやはや、私の早とちりであったみたいだ。いずれにしても特殊な難読駅名 [続きを読む]
  • 「本線」というの名の元へ・・・プロローグ
  • 最近はすっかり駅紹介のブログと化してしまった感のある私の記事の数々であるが、逆に言えば私の旅のスタイルが変化したという事でもある。つまり、今までの私の旅はブログのタイトルである「鉄道全線」をテーマにレールのある場所全てを訪問するという、いわば「線の旅」が主流であった。しかし現在は「線の旅」はほぼ完成し、今まで訪問したかったが乗りつぶし優先のため通過せざるを得なかった場所にも行けるようになり「点の旅 [続きを読む]
  • 1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑧
  • さて、前章では阿久根にかなりこだわってしまったが、実際、阿久根はある意味私のお気に入りに街でありそして駅でもある。あの、ローカル的な出水〜川内間は特に「本線」と名乗っているから(当時)尚更愛着が湧いてくる気がしてならなかった。そんな感性がもうすでに中学生の私にあったのだから不思議だ。いや、恐らく旅を重ねていくうちにこうした事がひとつひとつ体に心に刻み込まれ、そして染み付いて現在があるのであろう。私 [続きを読む]
  • 1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑦
  • ますます雨が「土砂」になってきた九州地方であったが、鹿児島交通を訪問する頃にも当然ながら現地は雨であろう事が確定材料になるのに充分説得があった。電化区間をDCにゆられる光景は、ある意味今も昔も変わらないであろう光景の中、今度は出水で乗り換える。今でこそ新幹線のホームができてかなりイメージが変わったが、それまでの出水は規模的に中間駅とさほど変わらなかったというのが私の印象であった。割りと地味な部類の [続きを読む]
  • 1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑥
  • 「ながさき」に揺られ一夜を過ごす私は途中肥前山口で下車した。そして上り「ながさき」にのりかえ再び西鹿児島を目指す。今考えたらこんな価値ある伝統的な列車を「旅籠」として過ごすとは何とも無礼かつ罰当たりな私であるが、旅の目的はあくまで鹿児島交通。長崎本線より鹿児島本線を南下するため軌道修正をしなければならない。上り「ながさき」に乗った私は鹿児島本線に再び入り二日市で下車した。そして更に下り鹿児島本線普 [続きを読む]
  • 1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑤
  • 夕方から夜にシフトチェンジしていくわけであるが、広島から一気に小郡(現・新山口)までのりかえ無しで便利であった。だが、ある意味逆にエコノミー何とかになりそうなくらい精神的に修行に近い何かを感じずにいられない。これから予定では5日間の行程で旅籠にも身を寄せず、ただひたすらに車中泊なのだから帰郷まで持つかどうか不安になる・・・なんて事は無く、当時中学生の私に不安など全く無し!むしろ期待の方が大きかった。 [続きを読む]
  • 1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅④
  • 姫路で40分近く待ち時間があった。せっかくだからと播但線の飾磨港線を乗りたいと時刻表を計画段階で見ていたが、朝1本、夕方1本しか列車設定がなく、こちらも乗りつぶし泣かせの路線であった。というより播但線とは全く性質が違い、しかも山陽電気鉄道とほぼ並走しているため利用者はそう多くない。しかも気動車の単行がコトコト走る記憶であったので尚更乗車意欲をそそられる。結局制覇できないまま現在を迎えてしまい勿体無 [続きを読む]
  • 1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅③
  • 「ムーンライト」とは違った夜行列車の旅となる大垣夜行を体験した私であるが、やはり現在の形である「全席指定」の方が一般的には伝わりやすいかも知れない。であるが、このアナログ的な大垣夜行もまたいい味を出していたと思う。なぜならそれは普段は「東海」など、急行列車でしか乗れない165系の運用であったから何となく得した気分になるからだ。などとカッコいい事言いながら、実は当時かなりの苦痛や苦戦をしていたかも知れ [続きを読む]
  • 1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅②
  • さて、東京から「大垣夜行」で西を目指す私は、相模線・西寒川駅の最終列車で東京に向かった。茅ヶ崎で東海道線にのりかえ東京に行くのであるが、当時は散々上野などに特急列車などの撮影に行っていたため勝手は知っている。であるが、それは日曜の朝、上り列車に乗るという風景しか知らないため、夜に乗る東海道線の上り列車が何気に新鮮であった。通勤時間帯的に言えば、夜の上りは逆方向のためある意味国鉄(当時)に貢献してい [続きを読む]
  • 1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅①
  • いよいよ「18」シーズン真っ盛りとなった。私も「18」フリークとして季節柄、過去の「18」の旅を紹介してみようと思いPCに向かった。今回は東京からはるばる九州向かった時の旅であるが、既に紹介している1983年春の旅の中で登場する旅で、当時私は東京から普通列車のみで西鹿児島まで行ってしまった。当時は中学2年〜3年へのステップアップの時であった。乗車券は・・・もちろん「青春18」であった。当時、廃止情報 [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ⑥ 鷹泊
  • 生まれて初めてこの地を訪れた。国鉄時代は常に収支係数ワースト常連の深名線に、いつか訪問してみたいと思っていたが、とうとう実現しないまま今日まで至ってしまった。そして今回、2017年6月にその思いを果たせたわけであるが、当然ながら既に現役ではないどころか、レールは既になく、面影すらない場所もある。だが、意外にも路盤や駅設備が現在でも残っている場所も少なくなく、廃止されてから20年以上経過した現在でも [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ⑤ 大樹
  • 国鉄時代の駅名標はmassi1様のご協力のお写真である。今回の旅ではmassi1様のブログ「プラットホームの旅」の国鉄時代を参考参考にしながらの旅であったので、比較しながらの旅が大変楽しかった印象だ。既に廃止されてしまった広尾線は帯広から広尾までの路線であったが、広尾から先、えりも経由で日高本線の様似まで繋がる「予定線」があった。開通していたら恐らく特急列車が設定されていた事であろう。そして今回紹介する大樹は [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ④ 飛行場前
  • こちらの駅名標は現役時代。「プラットホームの旅」の管理人様よりご協力いただいた。天北線にあった飛行場前「駅」は、国鉄時代は仮乗降場であった。いわゆる全国版の時刻表には載らない駅なので、その存在を知る者は地元の方かレールファンがほとんどを占めていた事であろう。私も北海道初上陸前にはわざわざ通販で「道内時刻表」を取り寄せたものだ。それは1982年〜1983年の頃だったと思うが、常に夏休みには北海道行き [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ③ 山軽
  • 現役時代の駅名標は、お馴染み「プラットホームの旅」の管理人でいらっしゃる「massi1」様似ご協力頂いた。天北線・・・若いレールファンはご存知ないか実感がないのが現状であろう。天北線とは1989年に廃止された国鉄〜JRの路線であるが、私は何度も北海道路線を制覇しようと思っていた時にネックになっていた路線でもあった。稚内側では天北線と宗谷本線の接続が良いとは言えず、特に稚内発の夜行列車「利尻」に間に合うよう [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ② 万字炭山
  • 本当に鉄道の歴史があったのであろうか・・・完全に外界から隔離され「秘境」という名のカテゴリーではくくれない恐怖を感じた。万字炭山とは、かつて室蘭本線の志文から枝分かれし万字炭山に至る、言わば炭鉱路線である「万字線」の終点駅である。現役時代は、旅客列車は全て岩見沢発着であった記憶だが、実はここに来る前に旧・万字駅にも寄った(その模様は後日紹介します)。志文から万字線方面へ車で向かうとだんだんと幅員が [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ①大狩部
  • まずは厳しい現実を皆様に報告しなければならない。既に日高本線の現状は各メディアから報告あるように、災害により鵡川〜様似間が不通になり代行バスで対応している。が、JR北海道が最近発表した事項では、同区間の復旧断念を示す内容であった。つまり代行バスが代行でなくなってしまう事を示唆していることになる。大変残念であるが、復旧する費用や、仮に復旧したとしても今後また同じ災害を受けないと言い切れない沿線風景で [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ〜SASURAIの旅
  • 今回紹介する旅は、実はおととい帰宅したばかりのホヤホヤの旅である。行き先は北海道。一部の人には紹介していたが、今回の北海道は日高本線、室蘭本線の苫小牧〜岩見沢間、留萌本線、宗谷本線を、また、廃止路線として広尾線、万字線、幌内線、深名線、天北線などを訪問した。正直言ってかなりのハードスケジュールの中、意外に自身の思っていた以上にすんなりと計画が実行され、ある意味パーフェクトな予定の組み方であった。た [続きを読む]