研修隊員 さん プロフィール

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研修隊員さん: 日本史探検隊
ハンドル名研修隊員 さん
ブログタイトル日本史探検隊
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/nihonshi758/
サイト紹介文日本史について思いつきの探検を繰り返しています。 姫隊長・史乃/古参隊員・歴三
自由文探検結果のご報告もお楽しみに! 研修隊員
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供53回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2012/06/01 15:08

研修隊員 さんのブログ記事

  • 318 主君の趣味は領国拡張に勝る
  • 元はといえば、織田信長(1534-1582年)が、「茶」を趣味にしていたことが大きな影響を与えたのかもしれません。「茶」の楽しみには欠かせない「茶器」に対して、そこにある種の付加価値を持たせたことです。もっとも、なんの変哲もない茶器に評価を与えることで「高額茶器」に変身させるなどのことは、信長に先立ってすでに千利休(1522-1591年)なども行っていました。ただ、その利休は言うなれば一介の茶人に過ぎず、片や信長は [続きを読む]
  • 317 キリスト教苦戦の原因
  • キリスト教が、それまで縁のなかった日本に伝わったのは、戦国時代のことで、宣教師フランシスコ・デ・ザビエル(1506?-1552年)の来日が最初のことだとされています。実は、これ以後も日本には多くの宣教師が訪れるようになり、熱心な布教活動を展開するようになりました。確かに、少なくない信者も獲得しましたし、キリスト教を信じる、いわゆる「キリシタン大名」も登場しましたが、しかし、「布教成果」?という面から眺めれ [続きを読む]
  • 316 三英傑の神サマ変身症候群
  • 「みんな」が神サマになりたがった。その「みんな」とは、いわゆる戦国の三英傑」に数えられる○尾張出身・織田信長(1534-1582年)○尾張出身・豊臣秀吉(1537-1598年)○三河出身・徳川家康(1543-1616年) です。その理由は単純そのもので、この国においては、それこそ自分自身が「神サマ」にでもならないことには、至高の存在とされている「天皇」の権威を超えられないからです。その最初の「発案者」?であり「挑戦者」?は [続きを読む]
  • 315 洗脳された純血エリート
  • 「寛政異学の禁」(1790年)という政策を実施・主導したのは、幕府老中・松平定信(1759-1829年)でした。その趣旨をやや乱暴に言い切るなら、〜朱子学以外の学問を禁じる〜ということですから、別の言葉なら「学問統制法」ほどのイメージになるのでしょうか。徳川家康(1543-1616年)によって開かれた江戸幕府は、依頼幕府の公式学問としてこの「朱子学」を採用してきました。なのに、今頃になって、〜「朱子学」以外はイカン!〜 [続きを読む]
  • 314 鬼も仏も殺される
  • 意見の相違は「暗殺」をもって解消する。こんな雰囲気を漂わせていたのが「幕末」という時代でした。そうした顛末で落命した人物を挙げれば枚挙に暇がありませんが、数多の暗殺犠牲者のうちで、今回は特にこの二人の人物に注目してみました。○横井小楠(1809-1869年) 熊本藩士であったが、後に請われて福井藩の政治顧問と なり、さらには幕政改革や公武合体を推進し、 明治維新(1867年)後においては新政府の参与となった  [続きを読む]
  • 313 幕府のパワハラに泣き寝入り
  • 国民の生活や産業の基盤となる公共設備を整え充実させるなどのいわゆる「インフラ整備」は、現代なら「公共事業」として国家やそれぞれの自治体が行うものとされています。ところが江戸時代はそうでなく、「天下普請」とか単に「お手伝い」などと称され、幕府の命により諸藩の手で行うものとされていました。ですから、諸藩とすれば財政的に大きな負担を強いられる、こうした「お手伝い」から極力逃れたいのが本音でした。さて、現 [続きを読む]
  • 312 三幕府の個性比べ
  • 日本の歴史には三つの「幕府」(武士政権)が登場しています。これを通説となってい年代で古い順から並べてみると、○鎌倉幕府(1192-1333年/約142年間/将軍は 9代)○室町幕府(1336-1573年/約238年間/将軍は15代)○江戸幕府(1603-1867年/約265年間/将軍は15代)見ての通り、三幕府は、確かに中枢機構の所在地が異なってもいますが、さらにはそれぞれの政策理念が異なっていたことも指摘できそうです。そうでなければ、 [続きを読む]
  • 311 帽子を被る烏帽子を脱ぐ
  • 女性の場合は別として、一般的に男性が他人様と顔を合わせた時などに、帽子を被った(着帽)まま挨拶に及ぶのは、現代ではいささか失礼(不作法)なこととされています。ところが、これは「現代の常識」?であって、時代が違えば常識にも違いがあるものです。〜鎌倉時代から室町時代の前半にかけては被り物(帽子)が  ないのを恥とする習慣が生まれた〜つまりは、現代とは真逆の常識があったことになります。細かく言えば、現代 [続きを読む]
  • 310 蔦屋重三郎の企画センス
  • 喜多川歌麿(1753?-1806年)や東洲斎写楽(生没年不詳)など、多彩な絵師を抱えた版元・蔦屋重三郎(1750-1797年)は、それまでになかった斬新な次々と企画を打ち出すことで、数多くのヒット作品を世に提供しました。現代なら、才気あふれる「プロデューサー」業ともいうところでしょうか。その守備範囲は、吉原案内書/に始まり、黄表紙(絵入読物?)/洒落本(戯作)/狂歌本/浮世絵/など広範囲に及んでいます。その中でも、 [続きを読む]
  • 309 法の網をかいくぐる努力
  • 幾分の例外はあったかもしれませんが、その昔の我が国は一時期から土地も民もすべては天皇の所有とする、いわゆる「公地公民」制を建前としていました。しかし、内心では、〜天皇だけが優遇されるのは不公平だ〜と考える者たちもいて、彼らは彼らで「制度改革」?というよりは、むしろ「法の網」をくぐり抜ける努力を重ねました。その代表的な存在が、「藤原(中臣)鎌足」(614-669年)を祖とする「藤原一族」でした。〜土地(田 [続きを読む]
  • 308 放言は島国の特権?
  • 後先を考えることなく、言いたいことをズバズバ言っちゃう・・・いわゆる「放言」ですが、昔の日本はこの性癖を持っていたようにも見えます。当時の超大国「隋」(中国)の皇帝・煬帝に充てて送ったとされる国書にある差出人・聖徳太子(574-622年)の言葉がその典型的なものかもしれません。〜日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや〜この文言は、〜ひとことご挨拶を申し上げます〜という口調ではなく、むしろ〜 [続きを読む]
  • 307 好景気は悪の巣窟?
  • 一般国民の懐を潤すこよになる「好景気」は、現代でこそ歓迎すべきものだとされています。しかし、チョイ前の江戸時代になると、これが全く逆に受け止められていたようにも見えてしまうのです。というのは、慢性的な財政難にあえぐ江戸幕府が、その解消を目指して取り組んだ、いわゆる「改革」は、結果として、すべからく「好景気」の対極にある「不景気」に陥ったという経過を辿っているからです。以下が、俗に江戸幕府の三大改革 [続きを読む]
  • 306 小さな政府・江戸幕府
  • 一時期のことですが、この日本でも「大きな政府/小さな政府」というテーマが話題になったことがあります。もっとも、テーマになっただけで、確たる結論を出せないまま現在に至り、昨今は「消費税UP」などが検討されているのですから、ある意味では「大きな政府」を目指す傾向にあるというのが現在の日本なのかもしれません。「大きな政府」とは、国民に対して、行き届いた行政サービスを提供する代わりに、その欧文負担も国民に求 [続きを読む]
  • 305 進歩発展は邪悪な思想
  • 江戸幕府が公式学問として「朱子学」(新儒教とも)を採用したのには、創立者・徳川家康(1543-1616年)の強い意志が働いていました。盟友・織田信長(1534-1582年)が「、家臣・明智光秀の謀反によって呆気なく倒れる姿も、その後織田家が、やはり家臣であった豊臣秀吉(1537-1598年)は乗っ取る姿も見てきたからです。要するに、主君としてそうした失敗を繰り返さないためには、大名・武士に、きちんとしたモラルを植え付ける必 [続きを読む]
  • 304 水戸藩のネジレ現象
  • 江戸幕府の創立者である徳川家康(1543-1616年)が十一男・頼房(1603-1661年)を入れ、立てたのが「水戸徳川家」、いわゆる「水戸藩」です。諸藩に比べた場合、この「水戸藩」にはいくつか際立った特徴が備わっていることに気が付きます。 ざっと並べただけでも、○徳川本家「将軍家」に最も近い「御三家」の一つである。 (但、家格は尾張・紀州より一段格下の中大納言)○参勤交代は免除され、その代わり?に江戸定府を義務付 [続きを読む]
  • 303 元禄赤穂浪士と昭和青年将校
  • 日本史の中でもとりわけ有名な事件の一つに「元禄赤穂事件」を挙げることができます。この事件は大きく分ければ二つに事件になっています。発端となった浅野内匠頭の「殿中刃傷沙汰」(1701年)と、その後に起きた浅野家家臣たちによる、いわゆる「吉良邸討入り」事件(1703年)です。その後、この経緯をモデルにした芝居やドラマが評判を呼んで、21世紀になっても今なおその人気が廃ることはありません。ただ、芝居やドラマはあく [続きを読む]
  • 302 討幕派と立直し派の青写真
  • 本年(2018年)の大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」が始まりましたが、そこには薩摩藩主・島津斉興(1791-1859年)の息子である斉彬(1809-1858年)と久光(1817-1887年)兄弟も登場しています。おそらく、ドラマのこの後の展開は、この兄弟の思想・行動にも触れていくことになるのでしょうが、実際この当時の薩摩藩は私的にも功的にも大変に複雑な事情を抱え込んでいました。まず、斉興の正室「恒姫」を母とするのが兄・斉彬で [続きを読む]
  • 301 頑固な幕府とペリーのぼやき
  • アメリカ海軍による最初の訪日、いわゆる「黒船来航」(1853年)の翌年に、再びの「黒船来航」がありました。最初の折は日米両国の「御挨拶」程度で終わってしまった結果を踏まえたアメリカ側は、今度は「条約締結」を実現させるべく大きな期待と情熱をもっ乗り込んできたものです。ところが、互いの利益になる「相互貿易」を実現しようとするアメリカ側に対し、日本側は「開国」に踏み切ること自体に難色を示しました。長らく実質 [続きを読む]
  • 300 曲学阿世?の看板学者
  • 少し難解な言葉ですが「曲学阿世」とはこのくらいの意味になるそうです。〜学問上の真理を曲げて、世間や権力者の気に入るような  言動をすること〜こう説明されると、ついつい頭に浮かんでしまうのが、23歳の若さで江戸幕府創始者・徳川家康(1543-166年)のブレーンの一人になった朱子学派儒学者・林羅山(1583-1657年)の名です。では、羅山はどのように〜学問上の真理を曲げ〜、またどのように〜世間や権力者の気に入るような [続きを読む]
  • 299 天上天下ワイが独占
  • 釈迦は、母の右脇から生まれるや、すぐさま七歩歩み出て、右手で天を左手で地を指すポーズを取って、こう言ったとされています。 〜天上天下唯我独尊〜この言葉を素直に解釈すれば、こんな意味になるのでしょうか。〜世界(宇宙)の中で我のみが尊い〜受け止めようによっては傲岸不遜な言葉にも感じられますが、そこはそれ、信仰世界での言葉ですから、さらに深い意味合いが込められているのかもしれません。もっとも、掛け値なし [続きを読む]
  • 探検298 会津藩って何者ですか?
  • 江戸時代の「会津藩」は三代将軍・徳川家光(1604-1651年)の異母弟である保科正之(1611-1673年)が、出羽山形藩から入部したことによって確立し、以後その系統が治め続ける形で幕末に至っています。その将軍・家光は亡くなる折に保科正之を枕頭に呼び、こんなことを言い伝えています。 〜えぇか、(余亡き後の)将軍家のことはよろしく頼んだぞ〜正之の実直な人柄を見込んでの遺言?だったと思われます。将軍から直々にこの言葉 [続きを読む]
  • 探検297 清め塩の不可解
  • 昔のことになりますが、仏式葬儀に参列した際に、配られたいわゆる「清めの塩」・・・これには幾分の違和感を覚えたものですが、まあ一般社会の風習というか慣習という程度に捉え、そのままうっちゃっていました。ところが最近は、仏式葬儀におけるこの「清めの塩」の在り方も、ある種の「見直し」?が進んでいるそうで、確かにこうした機会は少なくなった印象です。しかしまあ、永年続いてきた「御作法」?が今頃になって、なんで [続きを読む]
  • 探検296 なぜ御政道に口を出せないの?
  • それがホントに機能しているかどうかは別として、現代日本も一応は「民主主義」を標榜しています。要するに、主権は一般国民にあるということですから、施政を担う者は、物事を進めるに当たってそれに則していく義務があることになります。ただ、日本の場合も、施政者側に不透明な動きがまま見られることも事実ですから、「民の声優先」という理念は一応の「建て前」程度の位置づけになっているのかもしれません。ところが、江戸幕 [続きを読む]
  • 探検295 通信使が驚いた日本の乞食
  • 室町時代のこと、外交使節団であるいわゆる「朝鮮通信使」が訪れて驚いたことの一つに「日本の乞食」の生態があったそうです。ただ「乞食」という言葉は、現代日本では差別用語とされているようですので、ここでは仮に「物乞い」とでもしておきます。これでも、差別用語に該当するのかもしれませんが、他に適切な言葉が思い浮かばないのでご容赦をお願います。さて、当時の朝鮮にも大勢いたでしょうから、使節の面々とて、そうした [続きを読む]
  • 探検294 源頼朝は”大佐”だった?
  • 日本では一般に「カダフィ大佐」という呼び方で知られている、本名「ムアンマル・アル=カッザーフィー」なる人物は、1969年の「リビア革命」によって政権を掌握した後、つい最近の2011年まで長期にわたり、国家元首として独裁政権を維持し続けました。しかし、軍人における「大佐」という階級は、決して最高のものではなく、実際には、将官(大将・中将・少将)などより下位に位置する身分です。そんな階級にありながら、まぎれも [続きを読む]