研修隊員 さん プロフィール

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研修隊員さん: 日本史探検隊
ハンドル名研修隊員 さん
ブログタイトル日本史探検隊
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/nihonshi758/
サイト紹介文日本史について思いつきの探検を繰り返しています。 姫隊長・史乃/古参隊員・歴三
自由文探検結果のご報告もお楽しみに! 研修隊員
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供53回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2012/06/01 15:08

研修隊員 さんのブログ記事

  • 探検296 なぜ御政道に口を出せないの?
  • それがホントに機能しているかどうかは別として、現代日本も一応は「民主主義」を標榜しています。要するに、主権は一般国民にあるということですから、施政を担う者は、物事を進めるに当たってそれに則していく義務があることになります。ただ、日本の場合も、施政者側に不透明な動きがまま見られることも事実ですから、「民の声優先」という理念は一応の「建て前」程度の位置づけになっているのかもしれません。ところが、江戸幕 [続きを読む]
  • 探検295 通信使が驚いた日本の乞食
  • 室町時代のこと、外交使節団であるいわゆる「朝鮮通信使」が訪れて驚いたことの一つに「日本の乞食」の生態があったそうです。ただ「乞食」という言葉は、現代日本では差別用語とされているようですので、ここでは仮に「物乞い」とでもしておきます。これでも、差別用語に該当するのかもしれませんが、他に適切な言葉が思い浮かばないのでご容赦をお願います。さて、当時の朝鮮にも大勢いたでしょうから、使節の面々とて、そうした [続きを読む]
  • 探検294 源頼朝は”大佐”だった?
  • 日本では一般に「カダフィ大佐」という呼び方で知られている、本名「ムアンマル・アル=カッザーフィー」なる人物は、1969年の「リビア革命」によって政権を掌握した後、つい最近の2011年まで長期にわたり、国家元首として独裁政権を維持し続けました。しかし、軍人における「大佐」という階級は、決して最高のものではなく、実際には、将官(大将・中将・少将)などより下位に位置する身分です。そんな階級にありながら、まぎれも [続きを読む]
  • 探検293 暗殺された?次期将軍
  • アメリカのケネディ大統領「暗殺」(1963年)もどきに、闇の中へ潜り込んでしまった事件が、江戸期の日本にもありました。第10代将軍・家治の長男である徳川家基(いえもと/1762-1779年)の「突然死」がそれです。今でいうなら「高校生」の年齢でした。名に徳川家が大切にしている通字「家」の字が付けられていることからしても、第10代将軍である父・家治の後継将軍と見られていたことは間違いありません。幼少期から文武両道に [続きを読む]
  • 探検292 五代将軍不人気の原因?
  • 江戸幕府歴代将軍の中でもとりわけ「不人気」と言えそうなのが、第五代・徳川綱吉(1646-1709年)かもしれません。その原因を探れば、稀代の悪法と言われたいわゆる「生類憐みの令」(1685-1709年)の推進者であったこと。そして、もう一つには、浅野内匠頭の殿中刃傷沙汰を発端とした「元禄赤穂事件」(刃傷1701年/討ち入り1703年)に対する将軍・綱吉の処置に行き当たるのでしょう。どちらも、いかにも「情に欠けた」処置であり [続きを読む]
  • 探検291 天皇家を羨望した家康
  • 戦国乱世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、自分の家系が未来永劫続くようにするため、そのお手本を「天皇家」に求めました。「天皇家」のカリスマ性が、「天照大神」の子孫であることに裏付けされているのなら、我が方は家康自らが「東照大権現」になることによって、そのカリスマ性を担保するといった具合です。つまり、天皇が「天照大神」のご子孫でなければならないのであるのなら、将軍は「東照大権現」の子孫で [続きを読む]
  • 探検290 「七不思議」?日本人族の天皇教
  • 「日本の常識は世界の非常識」という言葉があります。そのひとつに「天皇」という存在を挙げることができるのかもしれません。世界史的な視野でちょい昔を眺めれば、どの国においても破格の「権力者」であり、また飛び抜けた「権威者」でもありました。一言でいうなら「独裁者」でもあったわけです。確かに日本においても、武家政権が成立するより以前にはそうした傾向っはあったものの、ところが、それ以後の時代の天皇は、「権威 [続きを読む]
  • 探検289 二条城の戸籍謄本
  • 一口に「二条城」とは言うものの、その「履歴書」を辿れば結構複雑で、古くは室町時代にもそう呼ばれた城があったとか。ただ、ここで取り上げる「二条城」とは、江戸時代に建てられた現京都市街にある「二条城」のことです。実はこの建物には、かなりの歴史的価値が認められているとのことで、現在では例えば「世界文化遺産」とか、「重要文化財」などにも指定されています。さて、その地元京都が実施した、いわゆる「京都検定」に [続きを読む]
  • 探検288 朱子学で市民権を得た商人
  • その昔孔子サンが始めた「儒教」も、時代とともに古めかしく感じられるようになったものか、その後には「朱子学」と呼ばれる思想が誕生しました。位置づけとしては、「新儒教」ともいうべき考え方です。これを江戸幕府の創立者・徳川家康(1543-1616年)が幕府の公式学問として採用したことで、武士階級においては、これが身につけるべき基本教養となりました。しかし、どう転んだところで「外国思想」ですから、何かにつけ日本の [続きを読む]
  • 探検287 莫大利益はどこへ消えたの?
  • 江戸時代。 家康が生きている頃はともかく、その後の幕府は諸外国との外交貿易を止めてしまいました。いわゆる「鎖国政策」です。ただ、そうは言っても、何もかも完全にシャットアウトしたわけではなく、長崎「出島」を幕府直轄の窓口として、オランダ国など少数の外国の間の貿易は続けました。言葉を変えれば、諸外国との貿易はオランダを経由する形で、幕府が「独占」する仕組みを構築したことになります。実は、どの国において [続きを読む]
  • 探検286 第11代将軍の26・27・28人
  • 江戸幕府第11代将軍・徳川家斉(いえなり/1773-1841年)は将軍としての数々の記録?を打ち立てています。その内の一つに、西暦でいうなら1787年から1837年のおよそ半世紀に渡っての将軍生活?を送っていることが挙げられます。なにせ、この「在職期間50年」というのは、江戸幕府将軍だけでなく、各幕府歴代の「征夷大将軍」の中でもダントツの最長記録になっているくらいですから凄い。それだけではなく、「オットセイ将軍」とも [続きを読む]
  • 探検285 戦国のボランティア武将
  • 戦国の世に、甲斐・武田信玄(1521-1573年)、尾張・織田信長(1534-1582年)など、数多の大名と死闘を繰り返したのが、越後・上杉 謙信(1530-1578年)です。ところが、意外なことに天下を狙う気はさらさらなかったようです。天下統一を企てたのは、年齢的には若輩の信長であり、それを横目で見た信玄が、後年になってその信長のアイデアをパクったため、それなら謙信だって狙っていたとしても不思議はない。あるいは、数度にわた [続きを読む]
  • 探検284 負け戦の後には引きこもり
  • 日本の歴史には一つのパターンがありそうです。それは、対外戦争を仕掛けその結果に「敗戦」という現実をみると、往々にして対外政策に消極的になり「鎖国」もどきの、別の言葉に変えれば、「引きこもり」状態になることです。古くは、倭国・百済と唐・新羅の各連合軍の間で起きた「白村江の戦い」(663年)の後もそうでしたし、さらには、鎌倉時代の二度の「元寇」(1274/1281年)の後の状況にもそういった状況が見てとれます。 [続きを読む]
  • 探検283 20世紀人類の壮大実験
  • 日本に限らず世界でも、人間の営みというものには後世から振り返ると不思議とも言いたくなる出来事も混在しています。 まあ、諸欲に溢れた人類にとって避けて通れない道筋で、これを人類が挑んだ果敢な「実験」だったと言ってしまえばそれまでですが、後世からすればなんとも「徒労」だったと見えてしまう出来事もありました。それどころか、一部の人間が選択したその「20世紀人類の壮大実験」によってとんでもない数の人間が影響 [続きを読む]
  • 探検282 日本の亡命政権
  • 世界においては、治安の安定しない国・地域では、いわゆる「亡命政権」が立てられることが珍しくありません。チベットでは、国外ではあるものの、民族的指導者であるダライラマ14世(1935年--)が、こうした「亡命政権」(通称:チベット亡命政府)を立てることで、中国側が立てた「傀儡政権」と対峙を続けています。とはいうものの、巨大国・中国の圧政に敵うものではなく、現在の日本のマスコミの扱いが極めて小さいのもまた事実 [続きを読む]
  • 探検281 坂本龍馬のピストール
  • 幕末に大いなる活動をみせた土佐・坂本龍馬(1836-1867年)は、護身用の「ピストール(拳銃)」を常に携帯していたとされています。もっともこれは、長州・ 高杉晋作(1839-1867年)が藩命により清国に渡った際(1862年)の御土産の品だとされていることからすれば、龍馬の「常時携帯」はそれ以降のことになるわけです。そして、この「ピストール」は「(第二次)寺田屋事件」、つまり、奉行所によるいわゆる「坂本龍馬襲撃事件」 [続きを読む]
  • 探検280 昔もあった”超法規的措置”
  • 殿中刃傷から吉良邸討ち入りにいたる、いわゆる「(元禄)赤穂事件」(1701-1703年)はまことに不可解な経緯を辿っています。殿中においては、腰の物の鯉口を切っただけでも大きな法律違反(犯罪)を犯したことになるのにもかかわらず、事件のきっかけを作った浅野内匠頭(1667-1701年)に至っては、それどころか抜刀にまで及び、吉良上野介(1641-1703年)に斬りかかったのですから、武士たる者の常識を飛び越えた行いであり、こ [続きを読む]
  • 探検279 本地垂迹説って何のこと?
  • 「本地垂迹」説って何のこと?第一、その字面そのものが難しく、まともに読めるものではありませんが、「ほんじすいじゃく」と読むのだそうです。では、その意味は? こんな説明になっています。「本地」とは・・・平たく言えば「正体」「本身」ほどの意味で、「垂迹」とは・・・同じく平たく「神サマ仏サマが登場する」ことを言う。ですから、素直に解釈すれば、「神サマ仏サマが現れたゾイ」ほどのニュアンスになるのでしょうか [続きを読む]
  • 探検278 烏帽子は帽子ですか?
  • 昔と今とでは礼節に基づく作法が逆転しているケースがあります。たとえば「帽子」もその一つで、改まった席などでは昔は「帽子」の着用が礼儀とされました。ところが現代は、そうした席での「着帽」は失礼なこととされています。 う〜ん、何とも見事な逆転です。もっとも、昔の帽子とは野球帽のようなキャップでもなく、また紳士帽のようなハットでもなく、「烏帽子」のことですが。では「烏帽子」と「帽子」はどう違うのか? − [続きを読む]
  • 探検277 政教分離の無理難題
  • 現代の日本国においては、政治と宗教とは別物であり、それはしっかり分けて扱わなくてはならないもの、とされています。それを表したのが、いわゆる「政教分離」という言葉です。しかし、歴史的にみれば「政教一致」の方があるべき姿なのかもしれません。なぜなら、「治世」というか「政治」というか、これを古い言葉で表すなら、確かに「まつりごと」になりますが、同時にこの言葉には「政り事」、「祀り事」、はたまた「祭り事」 [続きを読む]
  • 探検276 長州藩はイスラム国だった?
  • 「長州の志士」・・・幕末維新の頃のこれらの人々を、現代一般的にはそう呼び、割合肯定的な評価をもって捉えていますが、彼らを著書の中で「長州テロリスト」と呼んでいる人もいます。その人によれば、彼らの思想・行動の全てが「まず暗殺ありき」から始まっているとのことで、こう言われちゃうと、昨今のいわゆる「イスラム国(IS)をイヤでも連想してしまうところです。要するに、幕末志士の正体とは、「イスラム教過激集団」な [続きを読む]
  • 探検275 胡麻の油と百姓は
  • 〜胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり〜情け容赦なく「年貢」を取り立てようとする、こんなセリフを吐いたのは、八代将軍・吉宗が「享保の改革」(1716年〜)に取り組んでいた頃の勘定奉行「神尾 春央」(1687-1753年)だったといわれています。ただし、これが事実だったとまでは断定できません。しかし、少なくともこれよりおよそ半世紀後に出された本には、そう書かれているとのことであり、そしてまた、幕府の財政事情 [続きを読む]
  • 探検274 報いを待てや羽柴筑前
  • 「本能寺の変」(1582年)で織田信長が倒れた後、家臣だった羽柴秀吉(1537-1598年)は、織田家の「乗っ取り」を目論みました。信長の後嗣である長男・信忠はこの「変」に巻き込まれる形で亡くなったとはいうものの、次男・信雄も三男・信孝も健在でしたから、それを実現するには知恵を働かせる必要がありました。さりとて、強引過ぎても周囲からは非難が出ますし、逆にゆっくりしすぎたのでは、そのチャンス自体を失うことになり [続きを読む]
  • 探検273 幕末の良薬口に苦し
  • 「頭に血が上る」という言葉があります。別の言葉なら、逆上する・キレる・血迷う・見境がなくなる、という意味のことです。振り返ってみると、幕末にはこうした雰囲気が充満していました。その中でも、長州藩や薩摩藩は「ブチ切れて」しまったがために、外国との戦争という、とんでもない局面まで経験しています。〜それは、あまりに無謀なことだ〜確かに周りにもこうした意見はあったのですから、これを「良薬」として、耳を傾け [続きを読む]
  • 探検272 進歩発展は邪悪な思想
  • 「江戸時代」というものを眺めてみると、自然とこんな疑問を抱いてしまいます。〜この時代の日本人は、社会の進歩発展、あるいは経済的な  好景気を「邪悪」なものとして受け止めていたのでは?〜なぜなら、たとえば技術面では、武器にせよ、その性能向上を目指して改良を加える努力は払わなかったように見えますし、あるいは経済面でいうなら、「好景気」をヒステリックに嫌い、目一杯の舵を切って「不景気」に向けていたように [続きを読む]