研修隊員 さん プロフィール

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研修隊員さん: 日本史探検隊
ハンドル名研修隊員 さん
ブログタイトル日本史探検隊
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/nihonshi758/
サイト紹介文日本史について思いつきの探検を繰り返しています。 姫隊長・史乃/古参隊員・歴三
自由文探検結果のご報告もお楽しみに! 研修隊員
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供51回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2012/06/01 15:08

研修隊員 さんのブログ記事

  • 346 神輿に乗る者乗せる者
  • 「魏志倭人伝」によれば、女王・卑弥呼(生年不明−248年?)は、自ら備えた特殊な能力を発揮することで、衆を導いていたとされています。それまでの時期は、一種の乱世が続いていたようですから、それに終止符を打つためにも、各勢力の利害から離れた「無派閥人間」を必要としたということなのでしょう。事実。こんな説明も加えられています。〜既にしっかり年寄りの年齢で、(神に仕えるため)夫はなく、  ただ一人の男弟が(卑 [続きを読む]
  • 345 超巨大合併の直前挫折
  • 日本の歴史で「超巨大合併」といえば、真っ先にイメージしてしまうのは、幕末期において模索された、朝廷の権威と幕府の権力を結び付けることで、その影響力強化を図ろうとした、いわゆる「公武合体」路線ですが、じつはそれよりずっと以前に、同様の目論みを企てた人物もたのです。もっともこちらの場合は、もっと直截に〜幕府将軍による天皇家乗っ取り作戦〜と言ったほうが的確かもしれません。画策したのは、足利義満(1358-140 [続きを読む]
  • 344 他人には厳しく自分には甘く
  • 源義経(1159-1189年)を最高指揮官に据えた源氏軍が、それまで栄華を極めていた平家を瞬く間に追い詰めるや、ついには「平家滅亡」(1185年)にまで追いやった事績は、やはり大きな評価を受けて当然でしょう。義経本人にもその自負はあったようで、この後に朝廷からの官位授与に際しては、そのことを喜び素直に受けています。ところが、源氏のトップにあった兄・源頼朝(1147-1199年)は、弟・義経のその行為に対し激しい怒りを見 [続きを読む]
  • 343 偏諱を辞退した男
  • 〜自分の考えや態度を絶対に変えようとしないで  最後まで押し通すこと。 また、そのさま。〜「頑固一徹」という言葉の意味は、こう説明されています。しかし、「頑固」はなんとなく分かるものの、それに続く「一徹」って、いったいなんのこっちゃ?どうやら、その起源?は、斎藤道三・織田信長・羽柴秀吉に仕えた戦国武将・稲葉良通(1515-1589年)が号とした「一鉄」に求められるようです。〜20年間で80くらいの戦に参戦し、ほ [続きを読む]
  • 342 人類”20世紀”博物館
  • 第二次世界大戦における敗戦は、20世紀の日本にとって、まさしく「未曽有の出来事」でしたが、そうした経験は日本以外の国にも少なからずあったようです。政治的な面で挙げるなら、たとえば、ユダヤ民族という一つの民族を根絶やしにする目的で行われた、ナチス・ドイツのおける「ホロコースト」もそうたことの一つでしょうし、犠牲者の数が一千万人を超えるといわれた、中国「文化大革命」も、さらには、粛清による犠牲者の数がそ [続きを読む]
  • 341 信長を巡る不思議な出来事
  • たとえば、戦国武将の一人・武田信玄(1521-1573年)の正室の妻たち(正室/側室)の名はよく分かっていません。ですから、現在の資料でもそこにある名は、「上杉の方」とか「三条の方」とか、はたまた「諏訪御寮人」のように、いわゆるニックネームの類であり本名ではありません。実際、この時代は「女性の本名」が表に出る機会が少なかったこともあって、結果的に現在では「本名不詳」となっているケースが多いようです。ところ [続きを読む]
  • 340 義経はアスペルガーだった?
  • 平安時代末期に彗星のごとく登場した源義経(1159-1189年)は一般的に、天才的な戦術を駆使して戦を連戦連勝に導いたことと、さらにその「美男子ぶり」で現代女性にも多くのファンを誕生させています。こうした現状があるため、例えばドラマなどに取り上げる場合も、「天才軍人/イケメン男」であることを殊更に強調した描き方になっていることが少なくありません。しかし、そうしたウリの部分から少し離れて、「人間・源義経」と [続きを読む]
  • 339 知恵者はソツなくゴマをする
  • たぶん日本史上初の試みだったと思われますが、尾張国を拠点として活動していた織田信長(1534-1582年)が、新たに進出した美濃国に対して「地名改称」を行っています。それまでの「井ノ口」を、当時としてはかなりカイカラな語感であっただろう「岐阜」に改めました。そこには、自らのパワーを周囲に対して広く誇示するパフォーマンスの意味合いもあったのでしょうが、こうなると、信長の家臣たちも傍観してはおられません。主君 [続きを読む]
  • 338 我らこそ本物の武士であるッ!
  • 一時期TVドラマでも大きな人気を呼んだ「新選組」は、誤解の向きも少なくないようですが、実は幕府に直属する機関ではなく、町人・農民出で構成された非正規組織でした。ですから、正式な名乗りはこうなります。〜京都守護職 会津藩松平肥後守容保中将御預浪士 新撰組〜ですから、任務は京都の治安維持であることはその通りですが、あくまでも松平容保の庇護を受けた私的団体ということになりそうで、身も蓋もない言い方をするなら [続きを読む]
  • 337 滑舌は渡世人の生命線
  • 最近は時代劇をあまり見なくなりましたが、昔はそれなりに楽しんだもので、メッチャ古いところなら「東映時代劇」なんかの鑑賞経験もあるくらいのものですが、さて、その「東映時代劇」よく登場していたのが、いわゆる「渡世人」でした。「旅人(たびにん)」とか、「旅烏(たびがらす)」とか、他の呼び方もあったようですが、要するに、その土地土地の「親分」サンの方々に挨拶を通すことで、「一泊」と「一食」、つまり「一宿一 [続きを読む]
  • 336 偉人英雄も時にはキレる
  • 〜偉人英雄も時にはキレる〜これは、古今東西を問わない世に中の真理と言えそうで、たとえば、我が国のはヤマトタケルには、大暴れして兄貴を殺してしまったエピソードが語られていますし、一方、西洋の出来事で探すなら、穏やかさがウリのあのイエス・キリストもお弟子たちの目の前で突然の「乱暴狼藉」?を演じているのです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−例によって、以下の会話は、日本 [続きを読む]
  • 335 弥勒菩薩は遅刻する?
  • さてさて、仏教においてはこんな考え方もあるそうです。〜現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次に  この世に現れる約束になっているのが弥勒菩薩である〜有難いことです。菩薩様は決して現世を忘れてはおられません。では、ここにある「次に」とは、具体的に一体いつのことなのでしょうか?この点については、お経の本でも説明されていますから、どうぞご安心ください。〜ゴータマの入滅後「五十六億七千万年後」の未 [続きを読む]
  • 334 宗教界は情報公開を嫌う
  • 自らの信仰の教義を記した物、たとえばキリスト教なら「聖書」に当たるものですが、こうしたものを一般信者が自分で読めるようになったのは、割合に新しい時代のことです。それまでの聖書は、ヘブライ語かギリシャ語かはたまたラテン語なのかは知りませんが、一般信者自身が日常に使っている言語にはなっていませんでした。ですから原語で聖書を読解できない一般信者には、神父など教会関係者を経る形でしか「神の意思」を知る方法 [続きを読む]
  • 333 赤穂浪士は変装した?
  • ドラマの決定版ともいえる、いわゆる「忠臣蔵」においては、浪士(義士)たちは、全員が各人の名前を書き込んだお揃いの衣装で吉良邸討入りに臨んでいます。そうしたいでたちで四十七人もの武士が勢ぞろいした姿は、さすがに圧巻で、映像的にも強烈な印象を残しますが、おそらく史実として「赤穂事件」における四十七士はそんな「ド派手」なものではなかったはずです。だって、考えても御覧なさい。目的は吉良邸討入りですから、塀 [続きを読む]
  • 332 八百万神々は和の精神を愛す
  • 昔々の大昔のこと。土着の八百万神を信仰していたこの国(日本)にも、「仏サマ」と名乗る外来宗教の「新・外国人?神サマ」が加わることになりました。もっとも、国挙げての大歓迎というわけではなく、そこには多少の摩擦も生じた事実もありましたが、ともかく最終的には歓迎することに落ち着いたのです。しかしそうは言っても、その「仏サマ」の人相・風体をつらつら眺めてみると、なんとはなしに日本人離れした人相も、ちじれっ [続きを読む]
  • 331 みんなが天皇家に憧れた?
  • この国においては、「天皇家」の出身であることが、「天皇」になるための必須の条件になっています。いかに抜きんでた武力を備えていようと、あるいは世間の富の半分を手中に収めるほどの財力があろうとも、要するに「天皇」になる資格という面では何らの意味も持っていません。つまり、「血統のカリスマ性」こそが、その正当性を担保する仕組みになっているわけです。実はこれ以外にも、天皇家は天皇家で世間とは異なった特有のシ [続きを読む]
  • 330 朱子学はカイゼンを嫌う?
  • 江戸幕府を創設(1603年)した徳川家康(1543-1616年)は、幕府の公式学問として朱子学を選択しました。家康の脳裏に刻み込まれた戦国の遺風、例えば明智光秀(1528?-1582年)が主君・織田信長(1534-1582年)を討ったり、また同じく信長の家臣にあった豊臣秀吉(1537-1598年)が、その織田家をちゃっかり乗っ取ったような、いわばモラルに欠けた所業が、徳川家に起きないようにするには、、「孝(親孝行)」を最高の徳目としてい [続きを読む]
  • 329 世の常識はそれを許さない
  • 戦国の世には、元はと言えば足軽身分に過ぎなかった者が、後には出世街道を驀進し、遂には人臣最高位の関白にまで上り詰めた事件?があります。その人物の名は豊臣秀吉(1537-1598年)。しかし、現代人の印象とは違って、この出世物語は、当時の人々にはあまり歓迎されるものではありませんでした。〜末世とはほかにはあらじ木の下の猿関白を見るにつけても〜(意味) まさに世も末だゼ。       なにせ木の下の猿(秀吉) [続きを読む]
  • 328 独自信仰には手を触れるな
  • 奥州藤原氏は、日本史の中でも殊に独特な信仰を持っていたように見受けられます。いわゆる「奥州藤原氏四代のミイラ」がそれで、○初代:藤原清衡(1056-1128年)○二代:藤原基衡(1105-1157年)○三大:藤原秀衡(1122-1187年)○四代:藤原泰衡(1155-1165年)の一族の長・四代が、揃いも揃ってわが身をミイラとして残しているのです。ミイラ自体は、僧が即身仏になる時にも見受けられますが、そうした例は多いとは言えず、むし [続きを読む]
  • 327 将軍を巡る女の戦い
  • 江戸幕府の創始者・徳川家康(1543-1616年)の後継となった第二代将軍・徳川秀忠(1579-1632年)には、二人の次期将軍候補がいました。嫡男・家光(1604-1651年)とその弟・忠長(1606-1634年)です。秀忠本人も妻・江も、次期(第三代)将軍として、容姿端麗で才気煥発な弟の忠長を考えていました。嫡男・家光は、肉体的に病弱である上に吃音があり、さらには、家光の性格的(残虐性?性的嗜好?)についても、夫妻は「問題あり」 [続きを読む]
  • 326 他人様に迷惑な長生き
  • 実質的な天下人だった豊臣秀吉(1537-1598年)の死後も、しばらくの間「豊臣家」は存在していました。秀吉の死(1598年)から豊臣家滅亡(1615年)に至る、二十年弱の間で、これは徳川家康(1543-1616年)が江戸幕府を創立した年(1603年)から数えても十年以上になります。この江戸幕府のその後の安定ぶりを眺めてみると、この間の出来事が、もう少しテキパキと運んでいてもよかった印象にもなりますが、必ずしも一つ方向に一気に [続きを読む]
  • 325 神功皇后の不可解な特異性
  • メッチャ古い時代の天皇<いわゆる「上古天皇」について語られる事績は、どちらかと言えば歴史(史実)より伝説(創作)に近い印象ですが、その中でも異彩を放っている一人に「神功皇后」の名を挙げることができそうです。ただ、「皇后」の立場であった女性を「(上古)天皇」の仲間に加えること自体が、ハナからルールから外れているという指摘も出そうなところですが、必ずしもそうとは言い切れません。明治時代(1868-1912年) [続きを読む]
  • 324 間借り人は浮き沈む
  • 主君・豊臣秀吉(1537-1598年)の没後の加藤清正(1562-1611年)や福島正則(1561-1624年)は、「「秀吉子飼いの家臣」であるのもかかわらず、その豊臣家から一歩控えた場所に立つようになりました。〜主君・秀吉様が亡くなったのだから、豊臣家からオサラバだ〜決して、こんな気持ちを持ったわけではなく、同じ豊臣家の同僚である石田三成(1560-1600年)とは、どうしても反りが合わないために、やむなく選択した道でした。で、二 [続きを読む]
  • 323 戦国乱世の内部告発?
  • たとえば法令違反の業務を強いられているとか、あるいは労働環境があまりにも劣悪であるとか、現代社会なら、いわゆる「内部告発」によって、それを表面化することもできないわけではありますん。ところが、強い者が勝ち残るという原則の社会「戦国時代」では、労働者を守るための「労働基準法」も未整備だし、さらには「コンプライアンス(法令遵守)」の概念も生まれていませんでした。そのために、多くの大名が今でいう「ブラッ [続きを読む]
  • 322 信長死す!本願寺の快哉
  • 実質的に天下の主だった織田信長(1534-1582年)が家臣・明智光秀(1528?-1582年)の謀反によって、突然の自害に追い込まれた事件が、いわゆる「本能寺の変」(1582年)でした。このことは織田家家臣を含め、多くの人間にとってまったく「予想外」の出来事だったため、驚きふためく者もいれば、当座の善後策に動き出す者など、その受け止め方は様々でした。そうした中には、確実に「ほくそ笑んだに違いない」と思える人物も少なか [続きを読む]