小さなイギンジャ さん プロフィール

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小さなイギンジャさん: 小さなイギンジャのブログ
ハンドル名小さなイギンジャ さん
ブログタイトル小さなイギンジャのブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/tennnorappanooto/
サイト紹介文聖書の御言葉のブログです
自由文聖書の解釈はたくさんあります。

しかし、神様も聖書もひとつです。

今までだれも考えも、知ることもできなかった
御言葉をご紹介します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供105回 / 365日(平均2.0回/週) - 参加 2012/07/01 23:41

小さなイギンジャ さんのブログ記事

  • 1人で信仰をしているようでも実はそうではなかった
  • 信仰をする中で、いつもに感謝し喜びの中で幸せを感じる時間は実に短い。 信仰とは孤独で、寂しさを感じるものだ。 だからこそ、神様を頼り、涙を流しながら祈ることができ、自分の未熟さを認めることができるのではないだろうか。 自分の力では当然、解決できない問題が起きた時、誰かを頼ることもできず、不安と恐怖の中にいたとしても、信仰人には、主が共にいてくださることを忘れてはいけない。 信仰とは孤独を感じるからこ [続きを読む]
  • 正しいことを正しいという勇気と奇跡
  • どうも、自分は人の意見を気にしすぎて、正しいことを正しいといえないときがある。 これは、普段の生活の中ではさほど、問題にはならないようなことだけど、信仰に関してになると大きな問題になってしまう。 神様のみことばは、ただ真理だけがあるのであり、「こうでもいい」とか「ああでもいい」とかいう中途半端な考えを持って信仰してはいけないからだ。 神様の求められる信仰とは、まさに確信を持った悟った信仰であり、なま [続きを読む]
  • 信仰人として誇りをもつこと
  • 信仰人として誇りをもつこと 信仰人として、誇りを持つことは大切なことだと思う。 クリスチャンだからといって、何も恥ずかしいと思うことはないし、むしろ、天地創造主、唯一神、神様を信じていることを誇りに持つべきではないだろうか。 ただ、無神論者が持つ宗教のイメージは良いイメージばかりじゃないし、中には宗教に対して偏見を持つ人だっている。 日本は人口のほとんどが無神論者であるだけに、宗教自体を持つことに抵 [続きを読む]
  • 聖書を知らなくても天国に行ける?!
  • 聖書を知らなくても天国に行ける?! 日本の信仰人のほとんどが、日曜日の礼拝以外、聖書を読まないという。自分もかつては、そういった信仰をしていた。 しかし、だれも、聖書を読むように言わないのもまた、問題だと思う。 では、聖書を読まない理由は何か? 読まなくなる理由は様々あるが、思い当たるのを3つ挙げてみる。 ①聖書がなぜあるのかを知らない。②聖書と自分の関係性を知らない。③聖書に何が書かれているのか知 [続きを読む]
  • 果たして本当に信じるだけで天国にいけるのか?!
  • 果たして本当に信じるだけで天国にいけるのか?! 新天地教会でみことばを学ぶ前まで、信仰をしていく中で一番不安だったのは、果たして自分は本当に天国にいけるかどうかという疑問であった。 教会では、洗礼を受け、イエス様を救い主だと信じれば、その瞬間、天国は決められているから、それを信じて日曜日に礼拝を捧げればいいと学んでいた。 今から考えれば、そんなに無責任な信仰のやり方はないと思う。 聖書には、ともしび [続きを読む]
  • 一緒に助け合いながら行くところが天国
  • 天国にはけして一人で行くことはできない。 同じ信仰をする仲間がいて、一緒に助け合いながら行くところが天国なのだ。 人を助けながら、自分も助けながら神様の気持ちを悟ることが多いが、最近は御言葉を学びながら、神様の気持ちをより感じるようになった。 なぜ、神様が私たちに御言葉をくださったのか? 単純に、知識を増やし、人々に御言葉を伝えるためなのではなく、御言葉を通して、その御言葉を下さった深い意味があるこ [続きを読む]
  • 御言葉を心に刻むことの大切さ
  • ただ、御言葉を読むだけでは、自分を変化することはできない。 知っていると思っていても、きちんと理解していないことが沢山ある。聖書を読むものはけして、知識に傲慢になってはならず 常に心に御言葉を刻む努力を惜しんではいけない。 まだまだ、御言葉の知識に足りないものだからこそ、努力に努力を重ね、神様がご覧になったときに恥ずかしくない信仰人になりたい。 ここまで歩んできた道。けして、後進させず前だけを見て [続きを読む]
  • 弱き者を助け共に努力し助け合う信仰人たち
  • 人が誰かを助けるのは、自分に余裕があるときだと思っていた。しかし、新天地教会にきて知ったのは、弱い者同士だからこそ、互いに助け合う必要があるということだ。聖書の聖句をひとつ覚えるにしても、新天地教会では兄弟姉妹、助け合いながら覚える。誰か特に秀でた才能があったとしてもみせびらかしたりせずに、いかにどう教会の発展、神様の栄光のために使えるか模索し行動に移す。そして、その才能を寄付する気持ちで他の聖徒 [続きを読む]
  • 神様に喜ばれる人
  • 何事にも一生懸命な人にあこがれる。 自分が一生懸命ではないからだ。 きっと、神様の働きに対しても、一生懸命な人こそ、神様に喜ばれる人だと思う。 謙虚にただ、神様の働きを黙々と頑張れる人。 妨害を受けても、へこたれず、迫害にも負けず、むしろ敵を愛して、いつも喜び、感謝を忘れない人。 人を批判せず、悪く言わず、純粋な心を保つ人。 誰かのために熱心に祈ることができ、一緒に泣き、喜べる人。 今は、自分とはかけ [続きを読む]
  • キリスト教は、どこかの教団に必ずしも所属すべきだろうか?
  • 教団がそれぞれ分かれるのは、教団ごとに進もうとする道がちがうからだろうか。信仰する目的が違うからだろうか。聖書の解釈がそれぞれ違うからだろうか。 神様の目的は、失われた神様の国をもう一度、創造すること。(黙示録21章)そして、みなが天国に至れるように努力すること。 要するに、教団が多数存在し、人それぞれ考え方や信仰の価値感が違うのは、神様の中で1つになっていないということ。 神様の目的の中で信仰人 [続きを読む]
  • 主日の前夜
  • 一週間があわただしく過ぎ、主日を迎える中でどれだけ礼拝を重要視しているのか、もう一度自分を振り返る時間をもった。礼拝とは一週間の罪を清め洗い、神様に栄光を捧げる時間。ただ単に、説教を聞いて時間を過ごすのではない。神様のみことばを深く心に入れ、知り悟り自分を変化させ、神様の働きのために力を注ぐ。明日の礼拝もいつも以上に恵みを受けることができるように、神様に感謝を捧げ、祈りたい。 [続きを読む]
  • 壁画を通して人々の愛を感じた
  • 壁画を通してイエス様の愛を感じた古びた何でもない壁が、壁画ボランティアにて生まれ変わる宗教や人種、言語が違っても、私たちは同じ地球に住む仲間だと思う。争う理由は何もないし、偏見をもつ必要もない。話し合い、相手を知れば、いくらでも分かり合えることができる。今回、新天地教会ボランティア団で行われた壁画ボランティアは、単なるボランティアだけで終わったのではなく、壁画を新しくする過程の中で出会う人々との交 [続きを読む]
  • 聖書を読む前に考えたこと
  • 今日も何気なく読んでいる聖書だけれども、今の様に聖書が読めるようになったのは今の時代になってからだ。 また、今日に至るまで命をかけてまもってくれた殉教者たちの存在も忘れてはいけない。 沢山の人の血が流され、多くの涙と苦労の中で書かれた聖書 まずは、感謝の祈りと、信仰人としての気持ちをしっかりと持てるよう祈ってから聖書を読もうと思った。 [続きを読む]
  • 新天地イエス教の真実が明らかになる 新天地イエス教への誤解が解かれる
  • 新天地イエス教の真実が明らかになる 新天地イエス教への誤解が解かれるこれまで多くの人たちが、虚偽報道の情報を通し、新天地教会について、誤解をしてきました。新天地教会が、いくら情報が作り上げられたものだと声をあげても人々は関心をもたなかったでしょう。しかし、今回、インターネットの中継を通して新天地教会の代表と、韓国キリスト教会の牧師が公開討論を行い何が、正しく間違っているのかを分かりやすく説明してい [続きを読む]
  • みことばを毎日、宣べ伝えたい
  • 使徒の働き5章42節 そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。 神様のみことばを受け取った限り、このみことばを他のだれかへ伝えなくてはならない。これこそ、キリスト人としての使命である。 神様のみことばによって、自分のたましいが生きることができた。 暗闇を光だと信じて生きてきた自分が本当の光に出会った。 死ぬしかない道を、必死に生きてきたが、本当に生きるための道を神様は [続きを読む]
  • 神学校出身の友達が教会に通わなくなった。
  • 同じ、神学校で学んだ友達に久しぶりに会った。 神学校時代はとても仲がよく、よく一緒に勉強したり遊ぶ仲だったが、自分が神学校をやめてからは連絡が途絶え、久しぶりの再会だった。 自分はてっきり、今でも彼はしっかりと信仰をしているのだと思っていたが、いつの日からか彼は教会に通わなくなったらしい。 (彼は新天地教会の友人ではない) 彼と信仰の話をしていくうちに、日本のキリスト教の教会の問題について話すことに [続きを読む]
  • 誰かがあなたのために祈っていることを忘れてはいけない。
  • 自分は、一人でだれにもこの気持ちは分かってもらえない。 そんな風に思う時があるかもしれない。 だれにも知られない気持ちを持ったとしても神様はご存知であることを忘れちゃいけない。 一人じゃないこと。けして、一人じゃないこと。 目に見て、肌で感じることはできないけれど 神様が共にされることを、心の中のぬくもりで感じることができる。 [続きを読む]
  • 悟ってこそ、信仰ははっきりしたものになる。
  • 信仰は、聞くことから始まる。 御言葉をまなび、御言葉が神様のことばであると悟ったときに、なぜ、信仰をすべきであり、信仰が必要なのか知ることができる。 御言葉を悟ってこそ、信仰ははっきりしたものとなるのだ。 信仰がはっきりすれば、自分の存在価値を見つめなおし信仰人として、今すべきことも分かってくるはずだ。 信仰とはけして、冗談ごとでもなく遊びでもない。 神様の御前で正しい人になりたいと思った。 [続きを読む]
  • 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして主を愛すること。
  • 申命記6章5から9節の御言葉をもう一度、読み返した。 5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。 6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、 7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。 8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの [続きを読む]
  • 祈ることを忘れず、感謝の気持ちを持つ。
  • 当たり前のことのようだけど自分の中で、一番守れてない2つのこと ① 祈り ② 感謝の気持ち 忙しくても、気持ちが落ち込んでいても、いつ、どこにいても祈りと感謝の気持ちは忘れてはいけない。 [続きを読む]
  • みことばを聞くことの大切さ
  • みことばは神様のことばである。 これを忘れてしまえば、神様のみことばをいくらたくさん聞いたとしても意味がなくなる。 神様のみことばは、人のことばとは異なり、 人の中で生きて働く力がある。 イエス様が、私のことばは霊であり、いのちである(ヨハネ6:63)。と言われたみことばの様に、人を生かすのも神様のことばであるのだ。 霊が飢え乾き、心が渇望しているときこそ、みことばに耳を傾け、自ら命の道を選択する自分 [続きを読む]
  • 信仰はあきらめるものではなく、乗り越えるのもである。
  • どんな状況に陥っても、信仰を捨ててはいけない。 信仰を捨てたその時こそ、神様が自分から離れてしまうときなのだ。 信仰がいくら辛く、自分の思い通りにいかない道だとしても、それが生きる道であるならば、ひと時の快楽を選ばずに、神様の道を歩むべきである。 信仰はあきらめるものではなく、乗り越えるのもだから、行くべき道も初めから一つしかなかったんだ。 だからこそ、自分の中の基準をしっかりと保ち、揺らぎな信仰を [続きを読む]