小さなイギンジャ さん プロフィール

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小さなイギンジャさん: 小さなイギンジャのブログ
ハンドル名小さなイギンジャ さん
ブログタイトル小さなイギンジャのブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/tennnorappanooto/
サイト紹介文聖書の御言葉のブログです
自由文聖書の解釈はたくさんあります。

しかし、神様も聖書もひとつです。

今までだれも考えも、知ることもできなかった
御言葉をご紹介します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供103回 / 365日(平均2.0回/週) - 参加 2012/07/01 23:41

小さなイギンジャ さんのブログ記事

  • 強く生きるとは何か?
  • 周りに、優しい言葉、美しい言葉だけを口にする人だけがいればどんなにいいだろうか。 むしろ、その逆で、人を苦しめ、悩まし、悲しませるなど、傷つくことを言う人が多くいる。 ことだまという言葉があるように、言葉には力があるが 人が口にするのも、人を悲しませるような言葉ではなく、人を勇気付ける言葉であるべきだと思う。 そして、もし、傷つくような言葉を話す人がいたとしても、それを真に受けて自分を責めるのではな [続きを読む]
  • マタイ25章を読んで
  • マタイ25章には、2つの天国のたとえ話について語られています。 一つは10人の乙女の話もう一つはタラントの比喩です。 この章を読んで改めて学んだことは信仰とは、自分自身が歩む道であり人を非難しても自分が成長することはないということです。 賢い娘も、愚かな娘もほかでもなくこの聖書を読む信仰人のためにかかれた内容。 大切なのは人ではなく、神様と自分との関係。 気持ちをしっかり立ちなおし、天国に近づくことのでき [続きを読む]
  • 辛い時こそすがるのは神様に
  • 人の力では解決できないほど落ち込むことがありました。 とても逃げたくなるような現実にぶつかったのです。 しかし、そういう時こそ神様にすがり、逃げることなく 現実を受け止める大切さを学びました。 現実を受け止めるのは、恐ろしく、辛くたいへんなことです。 本当に、怖くて、今でも逃げたい気持ちでいますが、それでも、神様を信じ、すがって祈ることで必ず乗り越えられると信じます。 乗り越えた時には、自分はもっと強 [続きを読む]
  • この聖書のみことばは私たちだけのものじゃない。
  • この聖書が書かれたのは、多くの人たちの犠牲と殉教の上にあるものだ。 聖書を読む前に、もういちど、殉教の霊たちのことを祈りながら 聖書を読む大切さをもう一度学んだ。 ふと、気軽な気持ちで聖書を読むことが多い自分は反省した。 どれだけ、聖書が大切な書物なのかその気持ちを忘れていたからだ。 気が付くことができたことに感謝し、この気持ちを忘れずに 聖書を読みたい。 [続きを読む]
  • 主の御名を呼び求める者はみな救われる
  • ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです 「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。 ‐ローマ10章12から13節‐ むしろ、信仰人同士を区別しているのは、現代の信仰人たちなのかもしれない。全ての人が神を知り、学び、救われる権利があるはずなのにその働きを真実に妨げ、妨害するのは私たちの持つ固定観念か、、、 人 [続きを読む]
  • 信仰の友人
  • 信仰はけして孤独なものではない。新天地教会に来て、かけがえのない友人に出会えたのはこの上ない喜びだ。これもまた、神様の恵み。友人の優しさに神様の愛を感じたことで、新天地教会の素晴らしさをもう一度感謝した一日になった。 [続きを読む]
  • 体を大切にすること
  • 信仰をする上で大切なことは、精神的にも肉体的にも健康であること。日本人は自分を追い詰める信仰をしがちだが、自分をいたわるのも神様がくださった体を大切にすること。時には自分を愛し、大切にするのも重要なんだと思った。 [続きを読む]
  • 聖書は全て神様の計画の中にある
  • 神様の働きは全て成し遂げられ、今もその段階の中にいることを忘れてはならない。人の教会をどうこう言うよりもまず、自分が聖書のみことば通りの信仰なのかどうかを確かめる方が大切だと感じた。今の時は、ノアの時やロトの時と同じなのだから。 [続きを読む]
  • 新天地教会での信仰確認試験
  • 新天地教会では、単に信じて救われると安易な気持ちで信仰をするものはいない。だからといって、幻想的な雰囲気に酔っているものもいない。実に現実的で、実践的で、行動的な教会だ。常に聖書の内容を理解しているかどうか試験が行われ、みな必死に聖書を学んでいるのだから。聖書のみことばは神様のみことばみことばは生きてその人のうちに働くみことばを分からずに批判ばかりすることなく、少しでもみことばの真意が分かるように [続きを読む]
  • みことばを学んで感じたこと
  • 礼拝の説教を繰り返す習慣を持つようにしているその内容をまたのノートに整理するのも日課だ。はじめは、慣れないものだったが、繰り返しの力は凄まじい。今ではそれほど苦ではなくなった。習慣で、その人を生かすか殺すかが決まるというが、神様のみことばを学び、身に付ける習慣、これはこれからもずっと続けていきたい。 [続きを読む]
  • 第一テモテ 1章3から7節
  • 第一テモテ 1章 :3 私がマケドニアに行くときに言ったように、あなたはエペソにとどまり、ある人たちが違った教えを説いたり、 :4 果てしない作り話と系図に心を寄せたりしないように命じなさい。 そのようなものは、論議を引き起こすだけで、神に委ねられた信仰の務めを実現させることにはなりません。 :5 この命令が目指す目標は、きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛です。 :6 ある人たちはこれ [続きを読む]
  • 第一テモテ1章
  • 第一テモテ1章 :1 私たちの救い主である神と、私たちの望みであるキリスト・イエスの使徒となったパウロから、 :2 信仰による、真のわが子テモテへ。父なる神と私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。 聖書の御言葉は、荒んだ心を穏やかし勇気と希望を与える。 それは、人のことばではなく神様のことばであるからだ。 テモテ書は使徒パウロがテモテに送った書簡であるが、ただの手紙の [続きを読む]
  • み言葉の力、聖書の力
  • み言葉の力、聖書の力 ヨハネの福音書1章1節はじめにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばはかみであった。 聖書のみことばには力がある。 人のことばでないからだ。 人のことばは人を力付けることができても 人のたましいまでは生かすことはできない。 ただ、神様のみ言葉だけが、人のたましいを救うことができる。 [続きを読む]
  • 信仰は悟った時にはじめて本物になる
  • 信仰は悟った時にはじめて本物になる 信仰とは、とりあえず信じることではない。 みことばを聞き、皮膚で感じて心が動かされ、理解と共に悟ったときに初めて生まれるのが信仰である。 とりあえず信じれば、そのうち信じることができる のではないのだ。 牧師はクリスチャンたちが正しく悟ることができるように助ける役割を担い教会に出席させることに躍起になってはいけない。 本当にそれが大切だと悟ったならば来るなといって [続きを読む]
  • 神様に認められる信仰
  • 神様に認められる信仰 まず、神様にみとめられる信仰をするためには聖書の内容をしることだ。 聖書は神様がわたしたちに下さった手紙であり、約束であり、この聖書の中に神様が人類に対し思っている全てのことが記録されている。 聖書を読むことで、神様の心情を知ることができ聖書の御言葉を悟ることで神様に近づくことができる。 そうやって、少しずつ自分自身を変化させていき信仰人として努力するなかで常に見守ってくださる [続きを読む]
  • 1人で信仰をしているようでも実はそうではなかった
  • 信仰をする中で、いつもに感謝し喜びの中で幸せを感じる時間は実に短い。 信仰とは孤独で、寂しさを感じるものだ。 だからこそ、神様を頼り、涙を流しながら祈ることができ、自分の未熟さを認めることができるのではないだろうか。 自分の力では当然、解決できない問題が起きた時、誰かを頼ることもできず、不安と恐怖の中にいたとしても、信仰人には、主が共にいてくださることを忘れてはいけない。 信仰とは孤独を感じるからこ [続きを読む]
  • 正しいことを正しいという勇気と奇跡
  • どうも、自分は人の意見を気にしすぎて、正しいことを正しいといえないときがある。 これは、普段の生活の中ではさほど、問題にはならないようなことだけど、信仰に関してになると大きな問題になってしまう。 神様のみことばは、ただ真理だけがあるのであり、「こうでもいい」とか「ああでもいい」とかいう中途半端な考えを持って信仰してはいけないからだ。 神様の求められる信仰とは、まさに確信を持った悟った信仰であり、なま [続きを読む]
  • 信仰人として誇りをもつこと
  • 信仰人として誇りをもつこと 信仰人として、誇りを持つことは大切なことだと思う。 クリスチャンだからといって、何も恥ずかしいと思うことはないし、むしろ、天地創造主、唯一神、神様を信じていることを誇りに持つべきではないだろうか。 ただ、無神論者が持つ宗教のイメージは良いイメージばかりじゃないし、中には宗教に対して偏見を持つ人だっている。 日本は人口のほとんどが無神論者であるだけに、宗教自体を持つことに抵 [続きを読む]
  • 聖書を知らなくても天国に行ける?!
  • 聖書を知らなくても天国に行ける?! 日本の信仰人のほとんどが、日曜日の礼拝以外、聖書を読まないという。自分もかつては、そういった信仰をしていた。 しかし、だれも、聖書を読むように言わないのもまた、問題だと思う。 では、聖書を読まない理由は何か? 読まなくなる理由は様々あるが、思い当たるのを3つ挙げてみる。 ①聖書がなぜあるのかを知らない。②聖書と自分の関係性を知らない。③聖書に何が書かれているのか知 [続きを読む]