牧師になったくすりや さん プロフィール

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牧師になったくすりやさん: 釣りバカ牧師の元気が出るブログ
ハンドル名牧師になったくすりや さん
ブログタイトル釣りバカ牧師の元気が出るブログ
ブログURLhttp://mosahiyo.blog.fc2.com/
サイト紹介文人生やり直せることは本当に可能?放蕩息子が立ち直った話を聞いて見ませんか?
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供4回 / 365日(平均0.1回/週) - 参加 2012/08/03 10:40

牧師になったくすりや さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • これがあなたの人生を明るくします。
  • これがあなたの人生を明るくする2018年の最初のメッセージに最適なのを選びました。ルーマニア宣教師 河井勝太郎師のメッセージを釣りバカが編集しました。旧約聖書の中で、神様が一番最初に言った“ことば”は何か、と聞かれて、創世記の1章に目を留めると、3節の「光あれ」と言う一言にたどり着きます。 暗闇の世界に、光を望まれた神は、創造の御業の最初に光我必要だと思われ、神ご自身の御言葉によって光を創造されました。 [続きを読む]
  • これが解決すれば人生バラ色
  • なぜすべての人は生まれながらに罪人なのですか。日本人の一般的な「罪」に対する考えを吟味してみよう。クリスチャンや聖書から「あなたは罪びとだ」と言われると違和感、反感を持ったのは私自身が体験したことです。キリスト教が世間で不人気なのは頻繁に罪という言葉を頻繁に使うからです。新聞やテレビのニュ-スのほとんどは犯罪に関するもので、現実の社会は罪に満ちています。牧師や聖書が罪を語るとき、あなたの具体的な罪 [続きを読む]
  • ジョン ウエスレーの10の名言
  • ジョン ウエスレーの10の名言かの世界中にリバイバルの火をつけられたというウエスレーの名言をお届けします。メソジストの父ジョン・ウェスレーの名言の中から、選ばれた10の言葉を紹介する。 徹底した主への従順と生き方に於いての妥協しない聖霊によるきよめを求める姿勢は、少なくとも私の心の琴線には強く響く励ましの言葉である。1. 私はキリストの全てを私の救い主としたい。 聖書に書かれている全てを私の本としたい。 [続きを読む]
  • 恐怖の山火事発生 
  •   恐怖の山火事発生   主にある友へ過ぎる日曜(10月8日)の真夜中から強風が吹き荒れました。月曜の朝目を覚ましてラジオ(テレビがないので)のニュースでサンフランシスコの北のサンタローザの町とナパバリーに大きな山火事が起こっていることが分かりました。強風であったために逃げ遅れた人が多く今までにないほど死者と行方不明者が出ています。普通、山火事はなんとか逃げられるので死者は出ないのですが、今回は夏の [続きを読む]
  • 数学の科学の不思議
  • 数学の科学の不思議:佐藤健太郎著:182P 文芸春秋2016年11月号   「あまりにも大きい宇宙の存在。あまりにも小さい地球の存在。」近頃、太陽系が惑星が見えるようになってきた。19990年以降の観測手段の進歩によって、太陽系外惑星が3000個以上観測されている。地球から一番近い太陽系外惑星はプロキシマ、ケンタリウという恒星に最近新たに発見された惑星。この惑星のサイズと気候は地球によく似ている。多量の水が存在 [続きを読む]
  • イエスキリストが眠っておられる時なにが?
  • 眠っておられるイエス様 ヨハネ以外の福音書で書かれている有名な記事であるガリラヤ湖での出来事であるが、読む度にいつも考えさせられ、学ばされることが多い。 まずイエス様が伝道に行くべく船で向こう岸に渡ろうとする場面から始まる。 ガリラヤ湖の周辺の町々に福音を伝えるイエスの情熱は、弟子たちにも十分伝わっていたが、船で湖を渡る経路をあえて選ばれた様にも思われる。 船の事なら任せておくれと言ったかどうかは [続きを読む]
  • 日本人の誇り
  • 日本人の誇り最貧国ブルネイを最裕福国にした日本人木村強、当時41歳は第二次世界大戦で日本が英国植民地から占領したブルネイの知事として着任した。彼は国王に、「ブルネイのことを良く知っている人を秘書として付けてほしい」と頼んだ。26歳のオマル、アリ、サイフディンが王の指名で来た。木村は日本の国益にではなく、ブルネイの発展を第一として統治しようとした。英国統治下でブルネイは世界最貧国と言われるほどの貧し [続きを読む]
  • 真珠湾攻撃飛行隊指揮官、海軍元中佐淵田美津雄氏の証し
  • 真珠湾攻撃飛行隊指揮官、海軍元中佐淵田美津雄氏の証し1902年奈良の柏原市で生まれる。神武天皇が国を始めたというところで、「八紘一宇」八方天下ひとつはここから始まったという。畝傍中学を卒業するすぐに、18歳で江田島海軍兵学校に入った。以来25年間軍人生活が続いた。 39歳、海軍中佐のとき1941年12月7日、360機の陣頭指揮に立ち、真珠湾空中攻撃の総指揮をとった。祖国の攻防を掛けるこの一戦に精魂の限りを尽くし戦闘 [続きを読む]
  • 「良い知らせ」を受け取りそこなったら
  • 「良い知らせ」受取そこなったら!第二次世界大戦が終わり、平和が宣言されました。しかし、フィリピンのルバング島に駐留していた大日本帝国陸軍の小野田寛郎少尉は、戦争の終結を知りませんでした。なんども終戦を知らせるビラが空からまかれました、捜索活動も何回もありました。しかし1945年、彼が最後に受けた命令は、「そこに留まり戦え」でした。彼はそれを敵の陽動作戦だと考えたのです。小野田少尉が投降したのは、1974年 [続きを読む]
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