トラ さん プロフィール

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トラさん: トラの日記
ハンドル名トラ さん
ブログタイトルトラの日記
ブログURLhttp://d.hatena.ne.jp/hidekitora/
サイト紹介文明治維新から終戦までの歴史が語られています。
自由文明治維新、日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争そして終戦と国民は臣民として不断の戦争にかりたてられつづけたのである。、「インド以下」という極端な表現をされた例もあるほどの貧窮を強いられ、権利などというものはほとんど与えられなかったのである。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供28回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2012/10/03 14:31

トラ さんのブログ記事

  • 伊藤博文サギにあう
  • 六九年十一月五日、三条太政大臣部で、岩倉、沢 (外務卿)、大隙(大蔵大輔)らがパークスと会見、その助言と推薦により、同月十一日、おりから清国上海税関の総税務司をやめて帰国の途中、日本に立ちよったイギリス人レイと、日本政府との間に、東京より京都.大阪をへて兵庫に [続きを読む]
  • 維新政府の鉄道事業
  • 利権回収をするかたわら、大蔵大輔大隙重信らが中心となって独自の鉄道敷設計画をすすめた。彼らの考では鉄 道は経済開発の上に必須のものであるのみならず、「別テ非常緩急ノ節戒厳出兵迅速二相整ヒ富強ノ為メ武備肝要 ノモノ二相聞候間一日モ速二相開度儀」(六九年十月十 [続きを読む]
  • 明治政府の方針
  • 「国力を養ひ、取り易(やす)き朝鮮、満州、支那を切随(したが)へ、交易にて魯墨(ロシアとアメリカ)に失ふ所は、亦(ま)た土地にて鮮満にて償ふべし」 (吉田松陰が神奈川条約調印を機に述べた言葉) (『未完の明治維新』田中彰,三省堂選書131ページ) 「木戸孝允は [続きを読む]
  • 「女工と結核」と題する演説
  • 石原修は九大医学部で衛生学を専攻した医学士であった。農商務省社会局に入り、紡績工場の監督官として各地を視察してまわった。各地を歩きまわり、数年の精査をへて綿密な基礎資料をつくり,一つを職務上の報告として内務省へ、一つを学位論文として大学へ提出した。しかし [続きを読む]
  • 薩長政府の功罪
  • 維新後の薩長政府は、急速に強国を建設することをめざした。そのために多大な資本が必要であった。その必要資金は第一に国民の大半を占める農民の税によってまかなわれていた。維新以後もそれ以前と同じく、農民の負担のもとに成立していたことにかわりなかった。 江戸時代 [続きを読む]
  • 江戸時代における先人の業績
  • 関孝和の数学、いわゆる関流の算学の分布は,非常に驚いたことに、日本のほとんど各地に農業技術と結びついた形でひろがっている。 それに、五十歳まで家業に励んでいた井能忠敬が、地理学の勉強をはじめている。彼の故郷である佐原村の周辺に関流の算学の塾が三つも四つもあ [続きを読む]
  • 陸奥宗光 日本人
  • 明治7年元旦、陸奥は日本人と題する一文を起草、薩長の片方の統領たる木戸にあてた。そして、下野する。 「日本人とは、西は薩摩の絶地より、東は奥蝦夷までの間に生育して、凡そ此帝国政府の下に支配せらるる者みな此称あり。既に此称あれば、各人其尊卑、賢愚、貧富、強 [続きを読む]
  • 紀尾井坂の変
  • 紀尾井坂の変 島田らが大久保暗殺時に持参していた斬奸状は、4月下旬に島田から依頼されて陸が起草したものである。 其一、公議を途絶し、民権を抑圧し以て政治を私す (公儀を閉ざして民権を抑圧し、政治を私物化している) 其ニ、法令謾施、請詫公行、恣に威福を張る (法 [続きを読む]
  • 吉田松陰
  • 『幽囚録』で「今急武備を修め、艦略具はり礟略足らば、則ち宜しく蝦夷を開拓して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加(カムチャッカ)・隩都加(オホーツク)を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからめ朝鮮を責めて質を納れ貢を奉じ、古の盛時の如 [続きを読む]
  • 権威と権力
  • 日本の徳川が支配していた政治を田舎者達が一か八かのクーデターで、いっきに幕府が倒壊し、天下の政権を握った。しかし、倒幕側の田舎者達が政治を興していかなければならなかった。最大の課題は、これからの日本の政治と自分達が政治を動かすことの理由が必要であった。み [続きを読む]
  • 女王蜂
  • 西欧の近代化によって自由・平等思想に対置されるものが、日本に実らなかったということだと思う。明治以降に作り出された日本社会では、いまだそこへ到達しえない。それは、まずしく暗い、封建制を濃厚に残した中世の突然変異の変種の社会で、政策の結果についてその責任が [続きを読む]
  • 国策遂行要領再検討
  • 昭和16年(1941年)10月30日 第65回大本営政府連絡会議(議題:国策遂行要領再検討) 資料1: 昭和十六年十月三十日(木)第六十五回連絡会議(『大本営政府連絡会議議事録 其の二』(杉山メモ)96画像左〜101画像右) 資料2:昭和16年10月30日( [続きを読む]
  • 薩摩藩邸を急襲
  • 朝廷がわでは十二月十二日、西觶・大久保も参与として正式に政府の指導的地位につき、議定の公卿や大名、ことに岩倉及び上佐、越前、宇和島侯らにより、ついに 二十八日、辞官は「前内大臣」と称すること,納地は, 「政務的用途之儀は天下の公論を以御確定可被遊」として、当 [続きを読む]
  • 真珠湾攻撃
  • 予算からいえば、日本には陸軍と海軍という独立した虫食い国家が存在していたのでしょう。お互い反目しながら、日米戦争も遂行した。海軍は予算を獲得するためには、何かしらの根拠が必要である。それはアメリカを仮想敵国とすることです。それが国策として決まると、大蔵省 [続きを読む]
  • 武士階級
  • 明治維新以来、武士階級は,人材を供給しうる社会的階層であった。だから、軍人が首相や大臣になることは普通で、軍に対する文民統制という考え方が一般的になるのは戦後のことです。 薩長政府のあいつぐ布告は,社会における武士の地位を根柢からくつがへすに役立ったかも知 [続きを読む]
  • 中江兆民
  • 明治22年春、憲法発布せらるゝ全国の民歓呼沸くが如し、先生嘆じて曰く、吾人賜ゝの憲法果して玉耶(たまか)将(は)た瓦耶(かわらか)、未だ其実を見るに及ばずして、先づ其名に酔ふ、我国民の愚にして狂なる、何ぞ如此(かくのごと)くなるやと。憲法の全文到達するに [続きを読む]
  • 総力戦研究所
  • 未来の東芝社長、日銀総裁集った「総力戦研究所」  「総力戦研究所」の存在を知っているだろうか。1941年=昭和16年4月に開所式があったばかりの組織である。集められたのは第一線で働いていた官僚、軍人、ジャーナリストらエリート36人である。彼らは30代ばかりで、その平 [続きを読む]
  • 一銭五厘の命
  • 一銭五厘とは、戦時中の葉書の郵便料金であったが、実際には、召集令状は役場の職員が持ってきた。つまり、この赤紙が切符代の代わりとなって各家庭に届けられた。一銭五厘という僅かな金額で集めることができるほど価値の軽い兵隊の命、という意味です。 また「赤紙」とも [続きを読む]
  • 戦争責任者の問題
  • だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い [続きを読む]
  • 沖縄
  • 〔戦後〕 下記は昭和22年、GHQ外交顧問シーボルトはマッカーサーに提出した覚書です。 「1947年9月19日(金曜日)  午前、内廷庁舎御政務室において宮内府御用掛寺崎英成の拝謁をお受けになる。なお、この日午後、寺崎は対日理事会議長兼連合国最高司令部外交局長ウィリ [続きを読む]
  • 大東亜戦争に至る原因
  • 〔太平洋戦争〕 大東亜戦争に至る原因はシナ事変から起因すると見ることができる。 仮に支那事変を起さず現状であれば、その推移を考えてみると、まず、ヨーロッパ戦争が始まる。 これに米国が参加する。 世界列国は戦争の為に多くの人命を失ひ国力を尽し、兵器、弾薬、食糧 [続きを読む]
  • 関東軍特種演習
  • [太平洋戦争]  関東軍は、「関東軍特別演習」と呼ばれる軍事演習を幾度か行ないました。中でも、ドイツ・ソ連戦開始(6月22日)の直後、昭和16年(1941年)7月に行なわれた演習は、従来実施されていた関東軍の通常の演習とは異なるので、はっきり区別するため 秘 [続きを読む]
  • 関東軍特種演習
  • [太平洋戦争]  関東軍は、「関東軍特別演習」と呼ばれる軍事演習を幾度か行ないました。中でも、ドイツ・ソ連戦開始(6月22日)の直後、昭和16年(1941年)7月に行なわれた「関東軍特種演習」は、「関特演」という略称で呼ばれます。この時の「関特演」は、実際 [続きを読む]