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  • '05旅回想 その27 カロー、バゴー、ゴールデンエッグ

    ミャンマー5 Jan. 2006 ニャウンシュウェ→カロー→バゴー(ペグー)→キンプン/ゴールデンロック→ヤンゴン シュウェニャウンからカローまではバスではなくピックアップトラックで移動した。近距離移動ではポピュラーな手段で、後ろの荷台に木製の長椅子が括り付けてあるだけなので乗心地は良いはずもないのだが、2時間もかからない距離なので文句を思いつく前に到着した。ぬるい風が吹き抜けるので気持ちは良いが、時間が長いと頭の中まで土埃が入ってくる。東南アジアではよくあることだ。 観光の特別な目玉があるわけでもなく旅行者の集まるところは大抵トレッキングの基地だ。といっても外国人旅行者自体がそれほど多くはな…

  • '05旅回想 その26 インレー湖

    ミャンマー4 インレー湖 Jan.2006 マンダレー→ニャウンシュウェ・インレー湖 次の目的地はミャンマー旅行のハイライト、インレー湖。マンダレーの出発は午後6時半、夜行バスというものは乗り続けると体が慣れるのか普通に眠れるようになる。今回は「遠鉄バス」と文字が車体に残っていた。車内は見慣れた乗合バスの雰囲気でまったく長距離バスのものではない。まあそれも慣れる。 朝の4時に運転手に起こされバスを降りたのはシュウェニャウンという町。ここで乗り換え湖近くの町ニャウンシュウェまで行く。シュウェ?ニャウン?何でこんなに紛らわしい地名が近くにあるのだろう。ライトバンが停まっていたが料金を訪ねると250…

  • ’05旅回想 その25 ミャンマーは昔の日本の田舎に似ているそうです

    ミャンマー3 シーポウ Dec.2005 - Jan.2006 ピンウールウィン(メイミョー)→シーポウ→マンダレー ピンウールウィンから次の目的地シーポウまでは鉄道で移動した。今回の旅程ではあまり鉄道に乗る機会がないのだが、ここは乗車したかった。何故なら途中にゴッテイ鉄橋 / Gohteik Viaduct があるからだ。イギリス統治時代に作られたこの鉄橋は世界第2位の高さを持つそうで(詳細不明)、眺めは壮観だ。これには昔に乗った山陰線の餘部鉄橋を少しだけ思い出した。まだ華奢な鉄骨橋だった頃で、風が強かったため緊張感に溢れた20分ほどを手前の駅で待機した。以前強風にあおられ車両ごと落下したと…

  • COSTA COFFEE

    連休中にTVのCMを見てあれっと思った。 特徴あるロゴと臙脂色の色使いは間違いない。世界第2のコーヒーチェーン店”COSTA”? 早速調べたところ、Petボトルのコーヒードリンクが発売されるよう。そして、迂闊にも去年夏に日本に上陸していたことを知らなかった。これではコスタファンを自称できない。ただ飲食店への供給が主で、海外で行われているような店舗の展開はまだのようだ。 コスタ、以前の旅行中には各地でよく利用した。ニューデリー、マスカット、ドバイ、マナマ、カイロ、ケープタウン… 他にも何処かの空港で見かけた。当時は何となくだが欧州外では旧英国領や関係国で展開しているような気がした。他の地域でもあ…

  • ’05旅回想 その24 ミャンマーの旅は続く

    ミャンマー2 バガン、マンダレー Dec. 2005 ニャウンウー・バガン遺跡→マンダレー→ピンウールウィン(メイミョー) 雨はまったく予想していなかった。雨期ではないのに、ニャウンウー到着の午後から出発日まで計4日もの間雨にあたり続けるなんて、運が悪いのか日頃の行いが悪いせいかはしらないが、とにかくついていなかった。特に空を見上げながらパゴダ巡りを決行した日が結果的に一番雨脚が強かった。なんてこった。おまけに気温はそれほど高くなかったが湿度がものすごい。雨に濡れた服などを乾かそうとして一晩掛けておいても全く乾く気配がない。常に湿った物が体に纏わりついている感覚は正直嫌だった。地元の人が身に着…

  • ’05旅回想 その23 ヤンゴンに来ました

    ミャンマー1 ヤンゴン Dec. 2005 ヤンゴン→ニャウンウー 物心ついてから僕が初めて接した外国人は実はビルマ人だ。 僕の通っていた小学校の近くにビルマ大使館があった。近所の人はそう呼んでいたが正しくは大使館員の官舎だ。色の浅黒い子供達が敷地内や近くの道路で遊んでいるのを時々みかけ、当時の僕はビルマを黒人の国だと勘違いしていた。まったく馬鹿な小学生を許して欲しい。その彼らがある年以降普通の公立小学校に入学転校してきた。僕らの2つか3つ下の学年からだったので同じ教室で学んではいないが、計10人位はいたのかな、校内でも時々見かけるようになった。僕は中学の途中で引っ越したので、その後は知らない…

  • ’05旅回想 その22 インドその2、バングラデシュ少し

    インド2、バングラデシュ Dec. 2005 カルカッタ(現コルカタ)←→ダージリン、→ダッカ→ ダージリン方面へはもう一つのターミナル、シアルダー駅より列車が出ている。機能的な駅だがハウラー駅のような趣きは無い。こちらには床に寝ている人が多数いた。今回も夜行列車、僕のインド旅では定番のスリーパークラス。長大な客車の編成を牽いているせいか出発後なかなかスピードが上がらないのはいつものことだ。街を抜けるまでは窓を開けない方が良いね・笑。 近くの席のバングラデシュ人の家族と知り合い、親父が最近手相に凝っているのでみてくれるという。嫌な予感がしたが、無下に断るわけにもいかない…、というか僕の場合今ま…

  • ’05旅回想 その21 インド再び

    インド1 Nov.-Dec. 2005 カイロ→アブダビ空港→ニューデリー→カジュラホー→カルカッタ(現コルカタ) この旅はエジプトへ行くことまでは決めていたが、その先は成り行き任せとしていた。金が尽きれば帰ってくればよい。幸いもう少しだけ続けられそうなので、次の行先をエジプト滞在中考えていた。アフリカを南下するつもりはないからアジアかな…、そうだ、ミャンマーがある。この2年前の夏ブダペストの宿で1か月以上もだらだらと過ごした仲のイシイ君がミャンマーに前年行ったことを思い出しメールを送ってみた。すると彼はなんと引き続き旅行中で南米にいるという。ミャンマービザはカルカッタの領事館で簡単に取れるこ…

  • ’05旅回想 その20 エジプト2

    エジプト2 Nov. 2005 カイロ→スエズ→アレキサンドリア→カイロ、砂漠ツアー さて、とりあえず言えることは砂色の乾いた光景には食傷気味ということだ。ナイル河デルタでは農業が盛んだと学校で習ったことを思い出し、そちら方面に向かうことにした。アレクサンドリアと、その前にスエズ運河を見てみたかった。スエズとポートサイードが両端の町であることを地図を見て確認し、バスでスエズへ向かった。 スエズは紅海側の端に位置する町。とりたてて何があるわけでもなく、運河がスエズ湾に繋がる港近くに公園があり、町の人と一緒に規則的に通り過ぎる貨物船をひたすら見続けた。僕がいたその日の午後遅くは、地中海からインド洋…

  • 旅のさなかに聴いていた音楽2

    何と今頃に大昔に載せた投稿の続編です。 前回は直近の旅行中に聞いた音楽についてでしたが、今回は昔を振り返ってのものばかりなので、自分で言うのも何ですがヒジョ~に懐かしいです。具体的な映像だけでなくその場の空気や雰囲気のようなものまで、色々忘れていたものごとが蘇ってくるのが不思議です。no music, no life! ●リヨン(フランス) Ace of Base - The Sign 学生の頃春休みにヨーロッパを1か月旅した。それが最初の海外旅。今思えばそんな寒い時期によく行ったものだが、夏休みの航空券なんて高くて買えなかったのだから仕方がない。行くだけで十分満足だった純真無垢なあの頃(笑)…

  • ’05旅回想 その19 エジプト1

    エジプト1>シナイ、カイロ、ナイル上流 Oct.-Nov. 2005 ウェイバ入国→ダハブ→カイロ→アスワン→ルクソール→カイロ ● ダハブはバックパッカーの沈没地として有名な所。僕は初め興味無く直接カイロまで行ってしまいたかったのだが、ヌウェイバ入港はまだ暗いうちで公共交通の姿は無く、タクシーに一緒に乗ることにした皆が行くと言うので立ち寄ってみることにした。一人だったらおそらく1,2日で出発しただろう。4人も一緒にいると主体性が無くなるのはいつものとおりだった。 海を眺めているうちに、寄せては返す波の音に引き込まれるかの如くダイビングスクールに申し込んでしまった。というかここで何もせずにブラ…

  • '05旅 その18 ベツレヘム、アンマン、ペトラ

    アラブ7>イスラエル、パレスチナ、ヨルダン Oct. 2005 エルサレム←→ベツレヘム→国境→アンマン→ワディ・ムサ/ペトラ遺跡→アカバ出国 せっかくイスラエルまで来たのだから「パレスチナ自治区」へも足を伸ばしてみた。エルサレムの近くにはPLOのアラファト議長が事実上軟禁されていたラマッラという街があるが、氏は既に前年亡くなっていたので、ベツレヘムへ行くことにした。パレスチナといってもベツレヘムはキリスト生誕の地、クリスマスシーズンには世界中から巡礼者が訪れる観光地でもある。エルサレムからはたった10kmしか離れていないのでミニバスが利用できた。ただ、これで街中まで行くことはできない。 車の…

  • '05旅 その17 ラマダンから逃れイスラエルへ

    アラブ6>ヨルダン、イスラエル Oct. 2005 →アンマン←→サルト、ジェラシュ→国境→エルサレム→テルアビブ←→アッコ→エルサレム 昨年の9月にサウジアラビアが個人旅行者に対する観光ビザの発行を開始するというニュースを耳にした時の印象は正直なところ、俄には信じられないというのが半分、ついにその日が来たかというのが半分だった。というのも、何もない小国や情勢が不安定で旅に適さない国を除けば、ある程度名の知れた国で個人旅行の許されていない最後の砦がサウジアラビアだったからだ。世界全ヵ国制覇を目指す旅行者でもサウジだけはツアーで訪れなければならなかった(この旅行中グルジアで会った人も確かそう言っ…

  • '05旅 その16 イエメン3

    アラブ5>イエメン3 Sep.-Oct. 2005 サナア→タイズ→アデン→サナア←→シバーム&コーカバン 『アデンはおそろしい岩地です。草は一本もなく、良い水は一滴も出ません。蒸溜した海水を飲むのです。暑さは桁はずれで、・・・』 (家族宛の手紙) 詩を捨て当地で交易に従事していたランボーが一滴の水も無いといったアデン。諸々ずいぶんな言い様ではないか、これは是非とも行かなくてはならない、と当時考えたかどうかは今となっては定かではないが、妙な期待と共に訪れた実際のアデンは… 一言、 -----蒸し暑かった ゆるゆると漂う湿気の多い空気は他のイエメンとは異なるものだった。暑さの中のむせかえるような…

  • '05旅 その15 砂漠の摩天楼 イエメン2

    アラブ4>イエメン2 Sep. 2005 サナア→サユーン、シバーム→アルムカッラ→サナア←→ロックパレス もうだいぶ昔の事になるがNHKの紀行番組で、アラビア半島奥地の砂漠の真ん中にぽつんと存在する町の、高層住宅がびっしりと建ち並ぶ姿を紹介していた。確か「砂漠の摩天楼」という表現が使われ番組のタイトルにもなっていたと思う。まったく変わった町だなあという印象が持ったが、それが忘れ去ること無くずっと記憶の奥底に残っていた。イエメンに行くことを決め訪問地を調べているうちに、その砂漠の摩天楼がシバームという町であることを知った時の興奮と言ったらない。自分がそのまさかあの場所に行くなんて当時は夢にも思…

  • '05旅 その14 気分は千夜一夜物語 イエメン1

    アラブ3>イエメン1 Sep. 2005 アンマン→入国・サナア←→マナハ&アルハジャラ この旅のルートを決めた時に、ぜひとも訪れたいと思った国の第1がイエメンだった。ただトルコやエジプトなどの国と違って、陸路で簡単に入ることのできる国ではないうえ、治安などの状況は安定していなかった。諸々の確認は近隣で情報を仕入れたうえで決める。このような国があった場合、僕は俄然行く気になる。大抵面倒な手続きや多少の苦労が付き物だが、それらのプロセスを含めて全部を旅として楽しむつもりで。 イエメンには、リゾートやショッピング、グルメといったモダンな娯楽が出現する以前の素朴だが少々荒っぽい世界を期待していた。そ…

  • '05旅 その13 すべては砂に還る シリア2&レバノン

    アラブ2>シリア2、レバノン Sep. 2005 ハマ→パルミラ→ダマスカス→国境→ベイルート←→スール、シドン、バールベック→国境→ダマスカス→ボスラ→国境→アンマン あまりエアコンの効いていないバスだった。トルコと違って小国シリア、それも地方都市ハマ出発の中型バスのせいか車体は古くて少しくたびれていた。日差しが強く黒いカーテンがどの窓にもひかれている。旅行者としては、たとえ周囲が変化のない砂漠地帯であってもそれはそれで眺めたいものだが、地元の人にとっては特に興味を持つ理由などない風景なのだろう。皆何かに耐え忍ぶかのようにじっと動かない。まあ気持ちはわからないでもない。暫くは我慢するしか他は…

  • '05旅 その12 シリアに入国

    アラブ1>シリア・レバノン>シリア北部 Sep.2005 アンタキア→国境→アレッポ→ハマ←→クラック・デ・シュヴァリエ 夜行バスは朝の7時半にアンタキアのオトガル(バスターミナル)に到着。トルコのバスは最後まで時間が正確でした。更に言えばこの時乗ったバス会社のサービスは良過ぎです。夜中の3時の休憩直後に飲物のサービスを行うんですよ。寝ぼけ眼でも、ここはやっぱりコーラを一杯!。 同じオトガルからシリアのアレッポへ直通バスが出ているので、その場で9時半発のチケットを購入。すぐ裏のロカンタでトルコ最後の食事、チョルバ(スープ)の軽い朝食をとりました。 アレッポとは英語読みで、アラビア語ではハラブ、…

  • '05旅 その12 トルコ4

    トルコ4>トルコ西部~ Aug.-Sep. 2005 →ブルサ→イズミール、エフェス→コンヤ→ (経路内の時間は参考にしないでください) サフランボルからはブルサに行こうとしたところ、珍しく直行バスの便が悪く1日1本それも夜の中途半端な時間しかありません。バスターミナルで尋ねると、イスタンブール行きに乗り手前のイズミットで乗り換えればよいと教えてくれました。それなら本数は多い。イズミットはイスタンブールより少し内陸側にあり、交通の結節点として位置しているようです。ターミナルも大きく乗換もスムーズでした。 ブルサはオスマン帝国かつての首都。モスクや廟が残る古都で緑も多く観光も楽しいですが、イシュ…

  • '05旅 その11 トルコ3

    トルコ3>トルコ中部 Aug. 2005 →アマスヤーアンカラーサフランボル→ (経路上の時間は参考にしないでください) ほとんどアラブのような乾燥した南東部を脱してアマスヤまで移動しました。アナトリアを一気に縦断したかたちです。夜行バスで一晩を過ごし、目を覚ましたら昨日までとはうって変わっての別世界です。山と川のある風景には心が癒されました。この町にはオスマン帝国時代の住宅や町並みがきれいに保存されています。なかには内部も見学できるよう修復された住宅もあります。 独特な二階の迫出し ディヤルバクルでもそうだったのですが、保存住宅では人々の生活がわかるよう室内に人形や雑貨が設置されています。は…

  • '05旅 その10 トルコ2

    トルコ2>トルコ南東部 Aug. 2005 →ディヤルバクル、ハザンケイフ、マルディン→シャンルウルファ、ハラン→ (経路上の時間は参考にしないでください) ヴァンから夜行バスに揺られ、ディヤルバクルのバスターミナルにはほぼ遅れなく朝着きました。この辺りはクルド人が多く住んでいる地域です。クルドといえば僕が最初に思いつくのがクルディスタン労働者党、略してPKK。その昔IRA(アイルランド)とかETA(バスク)とかPKK(クルド)など独立運動がゲリラやテロ等に過激化していったのは、皆アルファベットの頭文字3文字で呼ばれる組織だった。現在トルコでの停戦の合意はなされています。この旅行時は平穏化して…

  • '05旅 その9 トルコ 1

    トルコ1>トルコ東部 Aug. 2005 国境ートラブゾン、スメラ修道院ーカルス、アニ遺跡ードウバヤズットーヴァンーディヤルバクル、ハザンケイフ、マルディンーシャンルウルファ、ハランーアマスヤーアンカラーサフランボルーブルサーイズミール、エフェスーコンヤーアンタクヤー国境 (経路上の時間は参考にしないでください) 黒海沿いのサルプというポイントからトルコに入国しました。先を急ぐウッチーとはトラブゾンで別れ、気ままな一人旅の再開です。 実は、アルメニアで一緒だったフランソワが往きに使ったトルコのガイドブックを帰り際に僕に貸してくれたので、それを活用するためにもある程度まとまった時間を使ってトルコ…

  • '05旅 その8 グルジアの谷間へ2

    コーカサス7 > グルジア(現ジョージア)スヴァネティ#2 ●Aug. ’05 ※2回に分けました 3 中世の町~グルジア式宴会~別れはあっけなく 柔道親父は時間通り待ち合わせ場所に待っていたが、何故か中々出発しない。車が目の前にあるので我々も大袈裟に文句は言わなかったが、少し苛立った。ようやく出発したが久々の悪路を3時間近く。道は整備されておらず、途中水浸しになっているところもあった。アルメニアでもさんざん乗せられたが、旧ソ連製の4WDはたて付けが悪く、悪路で弾んでいるうちにどこかでネジが飛び、果ては車が崩壊してしまうのではないかという悪夢が今回も頭の片隅をよぎる。ただし車窓の風景はとても美…

  • '05旅 その7 グルジアの奥地へ

    コーカサス6 > グルジア(現ジョージア)スヴァネティ ●Aug. ’05 終了したジオシティーズの個人サイトに載せてあった旅日記。多少加筆修正しましたが、基本的には旅行直後の文章です。写真は追加しました。 グルジアの奥地へ 1 話が決まる~遠路はるばる~満点の星空 列車の終点はズグディディという不思議な名前の町だった。夜行列車に乗ると翌朝早く、頭が完全に回り始める前にプラットフォームにポンと投げ出された気がするのはいつもの事だ。今回は4人いる。自分以外の3人はトビリシのプライベートルームで知り合った日本人なのだが、彼らも長旅の途中でひとりひとり出会ってきたという。 目的地はスヴァネティ谷。周…

  • '05旅 その6 トビリシ散景

    グルジア(現ジョージア) その4 トビリシ ●Jul. Aug. 2005 スマホやデジカメの進化が写真撮影の在り方を変えたということは、自身の体験としてはっきりと実感できるものです。スマホの画質やデジカメ記録媒体の容量の小ささに苦心していた頃は、枚数なんか気にせずメモ代わりに使う現在の撮り方なんて夢みたいなものでした。僕は特に写真を趣味にする程ではありませんでしたが関心は持っていました。それでも今思えばリミッターが掛かったような気分で撮影していたような気がします。 昔の旅の写真を何度か整理して分かったことですが、滞在の長さや印象の強さのわりには撮影枚数が非常に少ない場所があるのです。何度も通…

  • '05旅 その5 グルジア、アルメニア教会巡り #3

    グルジア(現ジョージア)、アルメニア その3 ●Jul. 26-31, '05 →ステパナケルト→イェレヴァン→ギュムリ→国境→ 久しぶりに一人旅の再開です。 次はナゴルノ・カラバフへ向かいました。ここはアルメニアとアゼルバイジャンの係争地で現在アルメニアが殆どの地域を実効支配しています。独立宣言後の名称は アルツァフ共和国/ナゴルノ・カラバフ共和国。首都はステパナケルト、いたって普通の町です。見所は… これだけですね。訪れた人の旅行記をみても大抵この写真以外の見物はありません。「われらの山」という名の巨大なモニュメントです。高い方で6-7mくらいの背丈。独立宣言後の新生ナゴルノ・カラバフのシ…

  • '05旅 その4 グルジア、アルメニア教会巡り #2

    グルジア(現ジョージア)、アルメニア その2 ●Jul. 21-26, '05 →イェレヴァン→ゴリス→ 古代のアルメニア王国はキリスト教を国教とした初めての国として有名ですが、その後は東ローマ、ペルシア、トルコ、ロシア等の列強に支配され、現在の共和国として独立したのはソ連崩壊後のことです。首都イェレヴァンの起源は古いのですが、第一次大戦後の混乱期に人口が増大し、その後の都市計画に基づき現在の街が形成されました。地図をみる限りではこの街の形態にはそそられますね…、でも地上歩いている分にはわかりません。広場や公園が広く街路樹も育ち、ぶらぶら歩く際の気持ち良さは安定のソビエトタウンです。まあ単なる…

  • '05旅 その3 グルジア、アルメニア教会巡り #1

    グルジア(現ジョージア)、アルメニア その1 ●Jul. 10-21, '05 陸路入国→テラヴィ→トビリシ→国境→アラヴェルディ→デリジャン→ 国境では自分で手続きを終え無事入国。テラヴィまで行く同じバスに再び乗り込みました。でもなかなか出発しない。他の乗客に聞いたところ、国境少し手前から乗り込んで来た大勢の買出しのオバちゃんたちが持ち込んだ物を税関でチェックするのに時間がかかり、またそれに対して支払う十分な金を持ち合わせていないので揉めているらしい。話が済むまでは静かな山の中で何もすることなくただ待つしかありません。 結局バスは薄暗くなってから出発、テラヴィに着いたのは夜の9時過ぎでした。…

  • '05旅 その2 アゼルバイジャン

    アゼルバイジャン ●Jul. 3-10, '05 → バクー → シェキ → カフ → グルジアへ陸路出国 タシケント→バクー・ウズベキスタン航空機内食(昼食) 当時はインスタなんて無かったので食事をいちいち写真に撮る人は少なかったと思います。僕もそうでしたが、機内食だけはスケッチしたりデジカメを使い始めてからは撮ることが多くなりました。今思えばもっと撮っておくべきでしたが、当時はまだ食意地が張っていなかった。料理はその国の文化と密接に繋がっている、などという重要なことを理解するのはたいてい旅行後です。 この頃はバクーの空港でアライバルビザを入手可能だったので、40USドルで購入しました。僕が…

  • '05旅 その1 出発/タシケント

    出発 南米を旅したおかげで知見が拡がり、せめて地球半周くらいしなければ自分の旅人生を終えることはできないと考え始めたら妄想が止まらなくなりました。自分があちこちに飛び回り永遠に旅人であり続けることができたらどんなに素晴らしいことなのだろう…。でもさすがにそれは妄想で止めておかなければなりません。ひとまず次が最後の旅とすべくプランを考え始めました。 北米や中国オージーには当時興味があまり無かったので、残るはアフリカか中近東。そこで以前すっ飛ばしてあまり滞在できなかったトルコを回った後南下してエジプトまで。その先はその時の気分次第で。トルコの前に地続きのコーカサスを。頭の中でおおまかなルートが繋が…

  • '04南米 その13 南米の旅は終わるが気分は上の空

    さてブエノスアイレスを思うように動けなかったのは、時間が無くなってしまったことのせいだけではありません。 前回プエルトイグアスの川で泳いで問題が起きたと書きましたが、思いもよらぬ事に足をすくわれたのです。それは、、、「日焼け」!。僕は特段敏感肌ではありません。ただ、日焼けには弱い。普段から露出していた首筋や腕などは問題無いのだけれど、いきなりの南米の強烈な日差しには、背中や肩などの生っちろい肌はたった2時間ほどでも耐えられませんでした。BsAs到着の翌日くらいからヒリヒリは痛みへと変わり、街歩きをしようにもバッグは手で持たなければならず、Tシャツが肌と擦れるだけでもいちいち気になって仕方ありま…

  • '04南米 その12 イグアス→BsAs

    イグアスの滝~~~ブエノスアイレス 僕は元々大自然なるものを求めて旅はしない人みたいです。まあその場に立てば感動もするし結果的には良い思い出として心に残るので否定的になるつもりはありませんが、神が創った世界よりは、人間がそれに抗い作りあげてきたモノの方に興味があり、まずは気持ちが向かうという事です。 日本には存在しないスケールという点では、ここイグアスの滝の迫力にはさすがに心を奪われました。広大な範囲にわたり滝が連続・散在しているので、ブラジル側とアルゼンチン側双方からアクセスでき、それぞれが特徴ある観光ルートとなっています。悪魔の喉笛と呼ばれる巨大な滝壺があるアルゼンチン側の方が人気があった…

  • '04南米 その11 サンパウロで年越し

    マナウスという街は、現在変わったかわからないが、当時はほとんど陸の孤島と呼んでもよい場所だった。広大なジャングルのど真ん中にあり、道路は北方のベネズエラ方面にしか通じておらず、国内の他の主要都市とは繋がっていなかった。そのため長距離バスの運行は限定的で、大抵の移動はアマゾン河の利用か飛行機しか術が無い。帰路に今までたどって来た経路を再び戻るなんて奇特な行為はいくらなんでも考えられないので、ここはサクッと飛行機で次の目的地まで飛ぶ。迷いは無かった。そもそも普通の旅行者ならマナウスへは往きも帰りも飛行機だろう。延々と拡がるアマゾンの密林を眼下に眺めながら感慨に耽った。5日もかけてひたすらゆっくりと…

  • '04南米 その10

    マナウスの有名な黒い水と白い水の合流だけど、既にいろんな所で見てきたので… アマゾン河では特に珍しいものではないようです マナウスに来る観光客の多くがジャングルツアー目当てです。街中に看板を掲げている旅行代理店は多く、ホテルに併設されていることもあります。僕も泊まった宿の1階にあった事務所で2泊3日のツアーを申し込みました。 朝、車で出発。近郊の船着場まで行き、船でアマゾンの支流に入っていきます。細い流れに入っていくため途中で小さなボートを乗り換えた記憶があります。宿泊は木造のコテージ。ジャングルの中なので高級なホテルなど作りようがありませんし、簡素な造りの方が否応なしにジャングルという環境を…

  • '04南米 その9 ハンモック船でアマゾン河

    ハンモック船でアマゾン河 ベレン→マナウス Yahoo!ジオシティーズのサービスが3月末で終わります。僕はそこに旅行日記や写真を載せた小さなサイトを持っていたのですが、この10年もの間は更新せず全くの放置状態でした。今更新しいところへ引っ越すつもりもなく消え去るのみでよしとしましたが、幾つかの文章はこのブログの過去旅回想記に既に転記しています。今回もそのひとつです。 1. 南米の地理のスケールは桁違いだ。 地図を見てそんなことくらい解っているつもりでいたが、いや、これは実際に体感するのとではえらい違いだ。 目の当たりにすると、本当に、ため息が出てしまうのだ。そのなかでもブラジルは、すごい。なん…

  • '04南米 その8

    ブラジリアはあっけらかんとしていて、言われるほど悪い所ではないと感じた。何といっても、空が広い。 それはもちろん、ここが何もない高原にポンと置かれた現代の計画都市だからだ。街を構成する一つ一つの要素に歴史の重みはまったく無い。人の生活の営みや築いてきた社会の積み重ねなど微塵にも感じさせず、そのさらりとした爽やかさは、図面上では同じく整然とした都市でありながらも実際はインカの町を根こそぎ破壊した上に碁盤目状に拡げられたアンデスの植民都市のもつ重さ、ある種血生臭い過去に因る逃れようのない重さとは、全く真反対の性質のように思える。まだ地に足がついていない様な浮遊感すら感じられるのは、歴史や風土に根付…

  • '04南米 その7

    やばい、やばい。当初はこの南米旅日記は昔のことだから1か国1,2回くらいでさっと終わらせるつもりだったのだけれど、写真をみながら当時の日記を読み返していたら、忘れていたことが次から次へと出てくる出てくる。皆書き出していたらきりが無い。とてもじゃないが簡単に終わらせることなどできそうもない。どうしよう??? @ @ @ キハロの国境を渡りブラジルに入国する。ボリビア側には町が隣接していたがブラジル側は近くの町コルンバまで5キロ何もない。大抵の通過は自動車なので公共機関は無く、暇そうに待っているバイタク(オートバイの二人乗)の世話になる。 コルンバのバスターミナルではフェデラルポリスのチェックが厳…

  • '04南米 その6

    サンタクルス(正確には Santa Cruz de la Sierra)にやってきた。久しぶりに山から下りた気がした。それも極端なことに乾燥して肌寒い高地から蒸れた熱帯の低地へ。空気が濃い。生暖かい風が常にゆるゆると吹いている。陽差しも明るく気分が開放的になれる。此処で感じる気持ち良さは、タイあたりでだらだらと過ごす時の雰囲気に似ている。こういうところではのんびりと寛ぐにかぎる。 居心地の良い中庭のある安宿に滞在できたことも良い思い出だ。ブラジルスタイルの朝食がついているのも嬉しかった。後に知るのだがブラジルでは安宿でもいっぱしの朝食がついてくる。たいていは果物が食べ放題だったりする。ここでも…

  • '04南米 その5 アンデス息切中

    ボリビアの首都ラパスはそこそこ近代的な街でビルも多いですが、その足元に拡がるのはアジアの様に込み入った市場と屋台群です。この対比が何ともいえないですねえ。すり鉢状の地形でその真ん中が町の中心ですが、周囲を囲む斜面に住宅が拡がっているのはちょっと見慣れない光景です。 街は縦に長く坂も多いので車で移動~ マチュピチュ、チチカカ湖に続きアンデス観光のハイライト、ウユニ塩湖を目指します。ラパスからウユニへはオルーロという街でバスの乗継になります。オルーロからは夜行です。この頃は長時間や夜間の移動を全く厭わずにガンガン突き進んでいました --- なんて格好の良いことではありません、他に移動手段が無いだけ…

  • '04南米 その4 アンデス観光中

    個人でクスコからマチュピチュへ行くための当時のルートは主に2つ 1)ツーリストトレインでクスコから麓の町へ 2)普通列車でオリャンタイタンボという町から麓の町へ お金が掛からないのはもちろん後者(それでも12USD)。またオリャンタイタンボには結構立派な遺跡もあるので、町歩きや遺跡見学後に午後遅く出発するその列車に乗れば数時間後に麓のアグアスカリエンテスという町に着きます。翌朝のバスでマチュピチュへ。バジェットトラベラーのためにあるような行程です。当時の日記によれば僕も朝クスコを出発、ローカルバスをウルバンバで乗継ぎオリャンタイタンボへ。遺跡で同じ宿にいた人等と再会してそのまま前述のルートでマ…

  • ’04南米 その3 クスコ

    この石をいったいどうやって積んだのだろう ------- 12角の石、クスコ旧市街 例えば二、三人で道を歩きながら話をしていたとする。その道がいつの間にか上り坂に変っていたり、階段になったりする。気が付くと会話が終わっている。そこで話を始めようとするが、何か、く、苦しい、会話が文章にならない… これが高度3,400mの世界。僕にとっての最初の感想です。クスコの標高はおよそ富士山の山頂に近い高さ、日本での生活圏には存在しない高度です。もちろん人間はそんな環境でも順応できます。人々は普通に生活します。でも一時の旅行者にとってははなかなか厳しい環境ですね。高山病の症状は多かれ少なかれたいていの人に現…

  • ’04南米 その2 試合開始早々

    この旅はとある理由wにより帰国日が決まっていたので、出発前に往復航空券を購入しました。キトin、サンパウロout、ヒューストン経由の今は亡きコンチネンタル航空のチケットです。日本を出発してちょうど24時間後にエクアドルのキトに着きました。夜遅かったため街中へはタクシーを利用しましたが、南米最初の夜ということで緊張しました。 南米、いろいろ言われているけど大きな街はそれほど心配することはないんじゃないの、というのが出発前の感覚でしたが、現地で生々しい情報を知るにつれ終いには笑い事なんかではなく、自分の身に起きた時の事を想像すればぞっとするほどでした。とはいえ、必要な注意を払い行動すれば特に問題無…

  • あえて無題

    mainichi.jp まあね、このご時世、いずれこういう事がニュースになってしまうのだろうなと薄々感じていたのだけれども。先日TVでも画像が流れてましたな、まったく。 あれはクフ王のピラミッドかな、頂部に鉄骨の四角錐が渡してあるから。 え、何で知っているのかというと… もう時効でしょう。そう、そういうことですな。でも、あんな行為はしていませんよ(爆) 我々健全な仲間でしたから(再爆!) ただ、今まで体験した中で最高に美しく神々しい夜明けでした。 ただただ、ひたすら感動しておりました。奴らと比べたら可愛いもんです。 これも最近のニュースから呼び起こされた、2005年の懐かしい思い出。 一応、顔…

  • ’04南米 その1 パパブッシュ死去により旅立ちの記憶が呼び起こされる

    www.bbc.com ブッシュ元大統領が先日亡くなった。もちろん自分とは何も接点の無い人なのだが、心の中に感じる僅かな引っ掛かりが気になり記憶の深層を探ってみた。そしたらありましたね、時は2004年10月、3か月の南米旅行、アメリカ国内での中継地はテキサスのヒューストン、そう、ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル国際空港でした。忘れてた。 という訳で唐突ですが過去旅の掘起こしが再び始まります。備忘録になってしまうかも。 期間;2004年10月~05年1月。 訪問国;エクアドル、ペルー、ボリビア、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ ※この3か月という期間は失業保険の待期期間を…

  • '98ヨーロッパ その7 <'98 Mar.>

    ブルノ駅前通り 本来ならばウィーンに着く頃のはずだが、せっかくビザ※をとったチェコを見ないわけにはいくまい。まあ、ウィーンは今後も大きく変わることは無いだろうし、また来る機会はきっとあるだろうと判断して今回はあきらめた。それでもプラハにすら行けそうも無いのには愕然とした。我ながら行き当たりばったりのドタバタには苦笑せざるを得なかった。でもそのおかげで予想外の経験もした。今だったら帰りの切符を当然のごとく捨てるだろう。いやいや、やっぱり旅なんてほどほどが良いのかも… とはもうとてもじゃないが思えない。 ※まだチェコ入国もビザが必要な時代。とても美しいデザインのビザでした。 ブルノでの最初のお仕事…

  • '98ヨーロッパ その6 <'98 Feb.-Mar.>

    サラエボからドブロブニクへバスで移動した。途中の風景には内戦の傷跡も残りいたたまれないものがあったが、内陸部からクロアチアのダルマチア海岸沿いの道路に出てからは、もう、広い空! 青い海! 美しい島影! 別世界のようだった。 まだ肌寒かったけど、溢れんばかりの陽の光の中、開放感で気分が一気に弾けた。特異な町の景観も素晴らしい。こう言っては悪いが、陰鬱だったサラエボとは何もかも対照的だった。レストランでワイン飲んだりスカンピを食べたり夜遅くまで海沿いを散歩したり。旧市街を取り囲む壁上の遊歩道は遮る物無く360°のパノラマだ。この町は大きく内戦の被害を受けたわけではなかったが※、旅行者が(恐らく)ま…

  • '98ヨーロッパ その5 サラエボ2 <'98 Feb.>

    サラエボは周囲を丘陵や山に囲まれ、ミリヤツカ川沿いに市街地は長く展びる。西洋と東洋が微妙に入り混じり、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教それぞれの特徴が街を形作りアクセントになっている。僕はそもそもがこういった異文化混在の場所が好きであるが、今思えばこの街がきっかけだったのかもしれない。町中にはモスクが点在し多くのミナレットが景観のアクセントになっている。高台に上がり眺めたらそれがよくわかった。美しい光景だと思った。でも騒音がしてきたので振り返るとなんと戦車が2台やってきてすれ違った。オイルの臭いが強い本物の国連軍SFORの戦車だった。夢現な気分でいてもそうやって現実に引き戻される。 旧市街は石…

  • '98ヨーロッパ その4 サラエボ1 <'98 Feb.>

    駅構内に留置されていた客車 当時は旅客運行がまだ再開されていなかった かなり昔の事であるから忘れてしまったことも多い。でもこの時この場所を訪れたということは、僕の旅人生の中では、もしかしたら最初にして最大のハイライトだったのかもしれない。この時に受けた重みのようなものを、その後も事有る毎に求めていた気がする。でも色々なものを見てきたが、この時の経験に勝るものはあったのだろうか。何ともいえない。今はそう思えて仕方が無い。 長旅に出るには皆それなりの理由がある。もちろん飽くなき好奇心の追求といったものが根底にあるのだろうが、それだけではなく何か非常に個人的な衝動が人をより長い時間の旅に駆り立てるは…

  • '98ヨーロッパ その3 <'98 Feb.>

    建物の中庭に設けられた小さな市場 とか何とかいろいろ書いたが、この街、宿にやってきた理由は以下の2つだった。 1)国際学生証 ヨーロッパでは学生は優遇されていて、あらゆる場所で料金の割引が受けられる。外国人がその恩恵を受けるための唯一そして絶大なるものが国際学生証だ。大げさな言い方ではなく、小額の割引きも積もり積もれば長旅においてはかなりの金額になるはずである。 宿泊者に教えてもらったとおり近くの鉄道駅(東駅/ケレティ・プー)構内にある旅行会社へ行き、簡単な手続きで入手した。これ以降も数回国際学生証を入手したが、カード自体はバンコクのカオサンで冗談半分で購入したもの以外は本物だ。既に学生は卒業…

  • '98ヨーロッパ その2 ブダペスト <'98 Feb.>

    ミラノから夜行列車に乗りウィーンへ向かった。ヨーロッパで夜行はたいていクシェットを利用した。学生の頃は4日連続列車で夜を過ごしたこともある。この時の切符は下段、上段はブラジルから旅行に来た女の子だった。何か少し話して南駅で別れた記憶がある。航空券がウィーンアウトだったため、この日は立ち寄らずミッテ駅横にあるバスターミナルに直行してブダペスト行きのバスに乗った。たった3時間である。気が付けばバスは広いドナウ河を渡るところで、程なくして街のど真ん中にあるバスターミナルに着いた。現在のネプリゲットターミナルはまだなく、デアーク広場横に窮屈に混み合う長距離バスターミナルがあった。 ブダ側から国会議事堂…

  • '98ヨーロッパ その1 ミラノへ 〈'98 Feb〉

    これもまた昔の旅の記録のようなものです ■旅行期間:1998年2-3月 ■旅行箇所:ミラノ、コモ、ブダペスト、ケチュケメート、サラエボ、ドブロブニク、ブルノ、テルチ、チェスキークルムロフ、ウィーン、 ■背景:ちょうど2年近く勤めていた建築設計事務所を辞めたところだった。この業界でよくあることだが、毎日定時が終電で家には寝に帰るだけ、時にはそれすらも面倒に思える程。最後には体調を崩し、仕事の切れ目でようやく逃げ出した(弾き出された)。でも仕事の内容は面白かった。体力的にはキツかったが知的好奇心は満たされていた。今振り返れば必ずしも悪い思い出ばかりではないが、さすがに若くなければ務まらない働き方だ…

  • '99アジア その16 日記帳

    長旅では必ず日記帳をつけている。いつの頃からか、旅先で起きたことは須らく忘れたくないと思う様になっていた。 この時は最初の長旅で、今みると本当に力が入っていたのが良くわかる。 ボールペンで、日常の細々とした記述と共に、可能な限りその日の収支も記入していた。これが後になって当時の事を思い出す際に結構役に立つのだ。一時期面倒になり止めた期間があったが、うまく思い出せない事があったりするのは面白くないので、次の旅から復活させた。 購入物の名前と金額のみで、忘却の彼方に葬られていた記憶が呼び起こされる。不思議だが実際そんなことが起こるのだ。 絵の具でイラストを彩色したのなんて、この時だけ。その後絵の具…

  • '99アジア その15 トルコ

    トルコ (イラン)ギュルブラック国境→ドウバヤジッド→ギョレメ/カッパドキア→イスタンブル→(アムステルダム経由)帰国 予定では最後の訪問国、トルコ。終わりに近づくと急いでしまうのはこの頃からの癖だったようで、一気に横断してしまった感がある。イスタンブールとカッパドキアには訪れたが、今思えば他にも行くところはたくさんあっただろう!ということだ。(結局2005年に再訪し1ヶ月かけて回ることになった) トルコの最初の印象は長距離バスだった。 イランのラシュトから夜行バスに乗り早朝タブリーズに到着後、すぐに国境まで移動した。イランからの入国者が多かったため通過には少し時間がかかったが日本人なら問題な…

  • '99アジア その14 イラン3

    ギーラーンちょっとだけ旅行記 マースーレ当時の旅日記 イランといえば確かに砂漠や岩山ばっかりだけど、カスピ海沿いの地域では気候は変わって雨が降ります。緑も多くその風景は日本にさえ似ていて最初は意外に思えました。イランでも米を食べますが、この地域の田んぼで獲れたものです。 ●5月6日 テヘラーン西バスターミナルからも雪を抱いた山並みはよく見えた。 まるで北陸、富山みたいだな、と思いながらターミナル内で時間をつぶしていると、S君とばったり再会した。 (彼とはイスファハーンのアミールカビール・ホステルで同室になり知り合った) 国境手前のマクーまで直行、即トルコ突入とのこと。 良い旅を! と別れの言葉…

  • '99アジア その13 イラン2

    モジガンと一緒 テヘラン当時の旅日記 かつて日本に出稼ぎに来ていた親切なイラン人にお世話になった、というお話 イラン人といえば偽造テレホンカードの不法販売で一躍有名になりましたが、それ以前は建設業等で結構真面目に働いていた印象があります。バブル崩壊後暫くして、景気の悪化やビザ制度の変更により多くのひとは国に帰りました。まだ日本の記憶が新しい彼等に、当時、日本人旅行者はイラン滞在中よく片言の日本語で話しかけられました。そういえばパキスタンにも同じような人がいました。 マシュハドからテヘラーンに向かう夜行列車のコンパートメントの中で、僕が例によって身振り手振りを交えて会話していると、廊下から片言の…

  • '99アジア その12 イラン1

    イーラーン (トルクメニスタン)サラフス国境→マシュハド→テヘラーン→イスファハーン→シーラーズ/ペルセポリス→バム→ヤズド→イスファハーン→テヘラーン→ラシュト/マースーレ→タブリーズ→マークー→バザルガン国境(トルコ) アシュガバートで世話になったメルダンがある時、カーペットで商売をしないかと話を持ちかけてきた。僕が日本で客をとり注文を受け、彼がトルクメニスタンから発送する。そして売り上げを山分けする。今でこそ面白い話だとは思うが当時は思いも寄らぬ事だった。 あまり知られていないが、トルクメニスタンは絨毯の一大生産国とのことだ。イラン製やトルコ製となっている絨毯のうちのある程度の割合はトル…

  • '99アジア その11 トルクメニスタン2

    当時のトルクメニスタン旅日記です 長かったので2回に分割しました (承前) ●ピクニック 本当はすぐにお暇しようと思ったのだが、翌日の日曜日はグルナースの誕生祝いで郊外にピクニックに行くからぜひ来てくれ、と請われたので滞在が延びてしまった。でも本当は郊外のタルクーチュカ(サンデーバザ-ル)に行きたかった。アシュガバートではこれくらいしか見所はないと思い、そのために日曜日を滞在に含めたのだ。僕がそう言うと、メルダンは午前中に案内をしてくれるという。 彼はとても親切だった。田舎のひとの素朴な親切さ、というよりはもう少し洗練された感がある。一族郎党の頭であり、それにふさわしい人柄は皆に慕われるのもう…

  • '99アジア その10 トルクメニスタン1

    当時のトルクメニスタン旅日記です (’98.4.16-20) 長かったので2回に分割しました。 ●国境を越える -----このバス、トルクメニスタンへ行く? -----トルクメニスタン? あー、そんならタモージュネへいくんやなー -----タモージュネって何? -----カラクル、アラート、ほんでタモージュネ アフトーブスは向こうからや -----タモージュネ? ブハラのバザール前にあるバススタンドで尋ねたところ、トルクメニスタン国境方面へのバスは別のスタンドから出ていると筆談を交えて教えてもらった。教えられた方向に5分位歩くと、確かにひなびた建物が目に入ってきた。でも全くひと気が無く、運行地…

  • '99アジア その9 ウズベキスタン2

    この国には工芸品に対するような愛おしさを随所に感じる どこでも子供たちは皆無邪気に集ってくる ヒヴァ 中央アジアの秘宝。説明は必要無いと思う。今まで訪れた場所の中で五指に入る。 アルクの上部が展望台になっていて壁に囲われた旧市街の見晴らしが素晴らしかった。特に夕方は、傾いた日差しが砂色の町に本当に似つかわしい。 夜がまた魅力的で、暗い中所々ドームやミナレットが薄っすらと浮かび上がりマジカルな雰囲気。今だったら多分ライトアップなんてされているのだろうが、当時はそんな無粋な物など無かった。 宿はホテル・ヒヴァが改装中だった為イチャンカラ内ではアルカンチ一択だった。当時はチャイハナ以外食事をする所が…

  • '99アジア その8 ウズベキスタン1

    オズベキスタン タシケント、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、国境(トルクメニスタン) 飛行機がタシケント上空にさしかかり高度を下げると、街を流れる運河の川面が目に付いた。絵の具を垂らしたようなはっきりとした水色だった。砂漠地帯を流れる川の水は透明感が少なくきれいに濁るのだ。アジア中央部にはこの様な色をした川が多い。白っぽく乾いた山の岩肌と点在する細い樹木。そして水色の川。この後幾度となく目にする事となる中央アジア共通の風景が僕は好きだ。 パキスタンからウズベキスタンに着いて最初の感想は、何もかも薄いなということだった。むせ返るような人いきれも、旅人に対する隠しきれない好奇心もここでは感じられない…

  • '99アジア その7 パキスタン

    パキスタン (インドから)ワガ国境→ラホール→ペシャワール→ラワルピンディ/タキシラ→ラホール→(ウズベキスタンへフライト) 思い起こせば信じられないほど多くの日本人旅行者がこの時期このルートの路上に溢れ返っていた。バンコクはともかく、インド、ネパールのある程度の有名所では必ず出会ったし、インドの先からは旅行者自体は減るものの経路が限られてくるので安宿には必ず滞在していた。 今はもう誰も訪れることのなくなったパキスタンも当時は日本人旅行者で溢れていた。ラワルピンディの安宿ポピュラーインで同室だったK君はインドのアジャンタとアウランガーバードで一緒だったし、後にイスタンブールで再会するSS君もい…

  • '99アジア その6 インド3

    インド3 ラジャスタンはそれぞれの街に独自の文化と特色が感じられ興味深く思えた ピンクシティ ジャイプル おばちゃんもピンク ブルーシティ ジョードプル 高所からの眺めに真っ青 宿主にホーリーのお祭りへ駆出された人たち ゴールデンシティ ジャイサルメル 格調の高さに心を奪われる 以下当時の日記より抜粋 デリ-に帰ってきた。何となくだが虚脱感のようなものを感じる。 知らない土地を訪れる度に覚える興奮の連続こそ長旅の醍醐味なのだが、そんな中少しでも知っている場所を再訪すると、言い様のない安堵感を覚える。そういえば「帰る」ということに久しく縁のない旅をしていた。初めての経験に対する感受性は鋭敏になっ…

  • '99アジア その5 インド2

    インド2 (ネパール)→ヴァラナシ→デリー→アーグラー→ボーパル/サーンチー→インドール→アジャンタ→アウランガーバード/エローラ→ムンバイ→アフマダバード→ジョドプール→ジャイサルメル→デリー→ジャイプル→チャンディガル→アムリトサル→(パキスタン) 疾風怒濤のインド旅再開 ヴァラナシを経由してデリーに着く。先は長いのでカメラを何とかしなければならない。まずはコンノートサークル中央の公園地下に広がるパリカバザールへ。日用雑貨や衣料、宝飾品等を扱う小さな店舗が無数に犇きあっている。ぐるっと廻って幾つかの候補から中古のオリンパスOM-2n+50mm/f1.8に決めた。現金払いだったので近くにある…

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