plumriver さん プロフィール

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plumriverさん: PlumriverのBLOG 2
ハンドル名plumriver さん
ブログタイトルPlumriverのBLOG 2
ブログURLhttp://plumriver.blog.fc2.com/
サイト紹介文神奈川・東京をメインとした、散歩ブログです。写真を撮りながら、身近な町を、ゆっくり歩いてます。
自由文神奈川県を中心に、歴史的スポットや寺社、公園庭園、海や山の眺望を求めて散策し、ゆる〜くブログ記事にしてます♪最近は鎌倉時代についての内容が多めです。
あわせて、鉄道のフリーキップを利用した話も。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供112回 / 365日(平均2.1回/週) - 参加 2012/12/19 02:31

plumriver さんのブログ記事

  • 水城と、ヒガンバナ
  • 664年、大宰府を守るために建設された、水城。当時の先端的な土木技術が結集された、巨大な土塁です。全長1.2キロメートルある水城のうち、私は西鉄・下大利駅ちかくの、東門跡の周辺を歩きました。このとき、土手には、赤と白のヒガンバナが咲いていた。コスモスは、10月から11月にかけて咲くようにしているらしい。ほんの少しの時間だけ、ここを歩いて帰った私は、いつもここを歩き、季節と時間の移り変わりを知る人たちに出会っ [続きを読む]
  • 観世音寺、戒壇院
  • 大宰府政庁跡の東にある、観世音寺。唐・新羅に滅ぼされた百済(660年)の復興要請に応えるため、みずから九州の地まで赴いた斉明天皇は、661年、朝倉橘広庭宮(福岡県)において崩御した。観世音寺は、皇子の中大兄(のち天智天皇)の発願により、母の追善のために建立され、746年に伽藍が完成したという。「観世音寺」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年10月3日 (火) 18:19URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/ [続きを読む]
  • 坂本八幡宮、万葉集歌碑
  • 大宰府政庁の北西にある、小さな神社。戦国時代に創建された坂本八幡宮、平安期にはお寺だったとも。その周囲は、大伴旅人の館跡と伝えられている。(説明板より)奈良時代、728年から730年まで、大宰府の長官(大宰帥)として赴任していた、大伴旅人。もしかしたら、この場所には、大宰府長官の官邸があったのかも。境内の石碑に刻まれるのは、万葉集に収録されている、大伴旅人の歌。奈良の都から大宰府に下り、間もなくして、妻 [続きを読む]
  • 大宰府政庁跡
  • 古代において、諸外国との玄関口だった、博多の那の津。その博多湾から、15キロあまり内陸にある、ここ太宰府は、外交と防衛、さらに九州の行政を統括する、大宰府政庁が置かれていた。写真の石碑は、大宰府の中核たる政庁にあって、長官が政務を取り、儀式儀礼などが行われた、正殿の跡を示すもの。私は、太宰府天満宮を参拝したあと、御笠川を渡って西へ歩き、大宰府政庁の跡地へとやって来ました。7世紀後半の飛鳥時代に、大和 [続きを読む]
  • だざいふ遊園地、天開稲荷神社
  • 太宰府天満宮の、境内の奥まで行ったところにある、だざいふ遊園地。子供向けの遊園地とあなどるなかれ、質も量も豊富で、遊園地に揃うべきものが、揃いすぎるほど揃っています。私がこのあたりの子供だったら、友達と何度も何度も、丸一日ここで遊び、思い出の遊園地にしていたはず。私の思い出の、あの山のうえの遊園地は、もう存在しない。子供の笑い声が忘れられたとき、それは失われてしまった。そして、天満宮の境内のさらに [続きを読む]
  • 憧憬、憂鬱
  • 横浜の関内、ジャックの塔こと開港記念会館から、国道133号を挟んだところにある、このレンガ遺跡。明治時代に建築された日本人商社の、開通合名会社の社屋の一部なんだそうです。初期の社屋は、関東大震災(1923年)で大部分が倒壊したが、一部分は、そのあとに復興された建築の内部にあって、奇跡的に現在に残されてきた。私のなかにある、近代への憧憬。機械文明が花開き、人の可能性が広がった。私のなかにある、近代への憂鬱 [続きを読む]
  • ヨコハマトリエンナーレ2017にて
  • 2枚 アイ・ウェイウェイ 難民の救命ボートと救命胴衣イアン・チェン 使者は完全なる領域で分岐する2枚 柳幸典 蟻と日の丸宇治野宗輝 プライウッド新地ドン・ユアン 祖母の家をモチーフとした絵画青山悟 刺繍と絵画ヨコハマトリエンナーレに行ってきました。横浜美術館・横浜市開港記念会館・赤レンガ倉庫、3つの会場で、現代の社会問題を取り上げたもの、未来の世界を創造させるもの、など、さまざまな作品を見ることがで [続きを読む]
  • 太宰府天満宮と、榎社
  • 菅原道真の墓所をもとに創建された、太宰府天満宮。もとは、安楽寺天満宮といったそうです。宇多天皇に重んじられ朝廷の要職にあった菅原道真は、政治的な対立により、京の都から、大宰府に左遷されたという。天満宮のとなりには、幕末に京都から長州へと落ちた、三条実美、東久世通禧ら五卿が滞在した、延寿王院があります。(見学不可)私は、参道で太宰府バーガーを食べ、梅園さんのお菓子・梅守をお土産に。梅ヶ枝餅は、社殿の [続きを読む]
  • 西鉄の旅人、太宰府散策きっぷ
  • ここは西鉄の天神駅、私にとって初めての西鉄の乗車です。昨夜過ごした、私が泊まるビジネスホテルの一室、自分の部屋のよりも広いベットでぐっすり眠れたし、シャワーのお湯の出も、おトイレの便座のフィット感も問題なし、なかなか快調な朝を迎えましたよ。西鉄天神駅は、駅ビルの中に埋め込まれているんですね。改札を抜けると、頭端式・櫛形ホームが待っていました。直通運転も悪くはないけれど、頭端式ホームのお出迎え感、豪 [続きを読む]
  • 筑紫の館、鴻臚館跡、舞鶴公園
  • 今よりはもう 秋になってしまったらしい。山の松かげで ひぐらしがないている。ここは、福岡は天神の西にある、舞鶴公園。黒田官兵衛・長政の親子が築いた、福岡城の跡地にあたる公園です。その公園内に置かれている石碑に刻まれた文字は、万葉集におさめられた歌の一首で、736年に、新羅へ派遣される大和朝廷の使節一行が、この地で望郷の想いを詠んだもの。私は、福岡市地下鉄の赤坂駅で下車して、舞鶴公園を散歩しました。舞鶴 [続きを読む]
  • 放生会、お潮井浜、ナガタパン
  • 大きな鳥居、そこから伸びる500メートルほどの参道を、露店の幔幕が余地なくならび、集いし人々進みゆく。ここは、福岡市東区にある、筥崎宮。平安時代の創建で、三大八幡宮のひとつらしい。この日は、放生会とよばれる祭事の期間中で、すごい人出でした。私は、天神駅から、福岡市地下鉄空港線・箱崎線に乗って、5駅目のところにある筥崎宮の最寄駅、箱崎宮前駅で下車しました。空港線と箱崎線は、中洲川端駅を経由した直通運転も [続きを読む]
  • five hours on N700
  • ここは、福岡空港の展望デッキ。ANA機に、JAL機、国内外のジェット機が、その大きな羽を休め、飛びたちの時を待つ。先週の数日間、私は、福岡に滞在してました。初めての福岡、初めて九州の土を踏む。羽田から福岡まで、飛行機なら2時間弱で行けてしまう。だけど私は、4時間40分かけて、こっちで移動。だって鉄道が好きなんだもん。新横浜から博多まで、太平洋ベルトを新幹線で横断する。少年時代の夢を叶えた人間のひとりに、私も [続きを読む]
  • 三崎のレモネードソーダ
  • YRP野比駅から、京急長沢駅まで歩いたあと、さらに、津久井浜駅から、三浦海岸駅まで。津久井浜までが横須賀市で、三浦海岸は三浦市になります。同じような住宅地のなかにも、少しずつ畑地が増えてくる。横須賀は、三浦半島の低い丘を住宅地として使う。三浦半島の低い丘を、三浦は農業地として使う。そして、三崎口から京浜急行バスに乗り、夕暮れの三崎へ。観光客と地元の人が混ざり合う、薄暗がりのバスのなか、「み」にアクセ [続きを読む]
  • 野比から、長沢
  • YRP野比駅から、京急長沢駅まで歩いたあと、さらに、津久井浜駅から、三浦海岸駅まで。津久井浜までが横須賀市で、三浦海岸は三浦市になります。同じような住宅地のなかにも、少しずつ畑地が増えてくる。横須賀は、三浦半島の低い丘を住宅地として使う。三浦半島の低い丘を、三浦は農業地として使う。そして、三崎口から京浜急行バスに乗り、夕暮れの三崎へ。観光客と地元の人が混ざり合う、薄暗がりのバスのなか、「み」にアクセ [続きを読む]
  • 平和島駅のまわり
  • 萩原朔太郎詩集をカバンに入れたまま、平和島駅から大森町駅のあいだを散歩。旧東海道の道筋だという、三原通りの商店街は、月に一度の安売りセールで、店舗まえに机を出して販売していた。詩人の住みよくない時代というのは、時代のほうがどこか間違っている萩原朔太郎詩集 解説何年か前に読んで、まったく意味が分からなかった『萩原朔太郎詩集』(新潮文庫)。数年たち、『猫町』(岩波文庫)を読んでからというもの、萩原朔太 [続きを読む]
  • 大森ふるさとの浜辺公園の赤い花
  • 東京都 大田区の、大森にある、大森ふるさとの浜辺公園に行ってきました。京浜急行の、大森町駅と平和島駅のあいだを流れる、内川の河口付近の運河沿いに、2007年にオープンした公園。まぶしい白いビーチは、もちろん人工の砂浜です。対岸の平和島・昭和島は東京の物流拠点で、淡白で無表情な建物が並ぶ、その上を、羽田から離陸したばかりの飛行機が飛んでいく。公園のほとんどすべてが最近に造成されたもの、にもかかわらず、「 [続きを読む]
  • 番田から、原当麻まで
  • 神奈川県 相模原市にある、JR相模線の番田駅に来ました。番田駅の木造駅舎は、1941年に竣工されたものだそうです。当時は相模鉄道の駅で、駅名は「上溝」だったらしい。「番田駅 (神奈川県)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年8月27日 (日) 11:46URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/番田駅 (神奈川県)古い駅舎ですが、全体的に別の素材でコーティングされているので、一見するとそんなに古いようには見えず。木 [続きを読む]
  • ミニトマトは甘くない
  • ここ数年、プチ家庭農園にこっている私。この夏も、ミニトマトを育ててみました。園芸ショップで買ってきた種をポットに蒔き、ほどよく芽が伸びたところで、プランターに植え替え、さらに地植えにも挑戦してみました。まずこちらは、プランターのほう。さほど大きくはならず、だいたいビー玉くらい。でも真っ赤に色づき、食べると甘々でした、美味しい♪そして、地植えのほう。こっちはかなり大きい、ピンポン玉くらい。弾けんばか [続きを読む]
  • 入谷駅のまわり
  • ここは、相模線の入谷駅です。相模原市かな、海老名市かな、と思って調べたら、座間市でした。相模線で唯一の座間市内の駅。単線で、本数が少なく、ドアはボタンを押して開ける。神奈川県内では珍しい、素朴なスタイルの相模線。その相模線にあって、ひときわ素朴な入谷駅のまわり。頭を垂らし始めたばかりの水田、その背景には、私が大好きな大山と丹沢の山々。駅前にあるべきあらゆる店舗・施設の姿がここでは見られない。現代的 [続きを読む]
  • チェ・ゲバラ展はあきらめて
  • あまりにも混んでいた、チェ・ゲバラの写真展はあきらめて、恵比寿から中目黒にかけての町を、すこし散歩。生産と消費、欲望の廃棄、私たちの時代のシンボルのひとつ、清掃工場の煙突、後ろめたさを眺めて歩いた。その後、大通り沿いにある、小さくて美しい八百屋さんで買った、野菜とフルーツのスムージー(旬ムージー)を飲み、たまたま出会った八幡宮をお参りした。 [続きを読む]
  • Houses in the Fields
  • 二子玉川駅から、西へ歩いて十数分のところ、世田谷区 宇奈根の、住宅地にあるひまわり畑を訪ねました。そして、宇奈根から喜多見へとさらに散歩。町の路地をクネクネと歩くうちに、この土地のかつての風景を知る。住宅地のなかのひまわり畑、それは、畑のなかの住宅。いまなお野菜が育つ、対岸の町。 [続きを読む]
  • himawari fields, rice fields, ZAMA 2017
  • この日、このとき、座間は晴れてくれました。太陽の光がなつかしい、夏の暑さが恋しい。ここに咲くひまわりは、今年のこの夏だけのもので、夏が終わったら、とてつもなく大きな機械でバリバリいくんだとか。来年の夏は、来年の種が蒔かれる。それまでの季節は、また別の植物を育てるんだそうです。農家の方に、ぜひ冬にも写真を撮りにきてね、と言ってもらえた。よし、冬にもここに来てみようじゃないか。 [続きを読む]
  • 座間神社、左岸用水、相模線
  • 小田急線の相武台前駅から、兵士たちが門を守る、キャンプ座間のあいだの道を、東へ抜けて、相模川の河岸段丘の一角にある、座間神社をお参りしました。およそ1400年前、湧水により悪疫をおさめたという、飯岡権現をお祀りする。(説明板より)いまも座間市の水道の、85%は地下水でまかなわれているらしい。(座間市観光協会のパンフレットより)古代人の生活跡を、そこかしこに見ることができる座間丘陵、その崖線の端に立てば、 [続きを読む]
  • 藤沢本町から、腰越まで
  • 小田急線の相武台前駅から、兵士たちが門を守る、キャンプ座間のあいだの道を、東へ抜けて、相模川の河岸段丘の一角にある、座間神社をお参りしました。およそ1400年前、湧水により悪疫をおさめたという、飯岡権現をお祀りする。(説明板より)いまも座間市の水道の、85%は地下水でまかなわれているらしい。(座間市観光協会のパンフレットより)古代人の生活跡を、そこかしこに見ることができる座間丘陵、その崖線の端に立てば、 [続きを読む]