仁保裕介 さん プロフィール

  •  
仁保裕介さん: 真実なクリスチャンライフを求めて〜自由な祈りのため
ハンドル名仁保裕介 さん
ブログタイトル真実なクリスチャンライフを求めて〜自由な祈りのため
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/chlife/
サイト紹介文キリストへの祈りは生活の現場から誰にでも自由にできます。キリストは呼び求める人と共に居る方です。
自由文このブログでは、痛みの連鎖のある世界について、祈りを共有し、見るべきこと知るべきことを探していきます。皆がぶつかって考え込むような共通のことを書いています。
クリスチャン2世として、教会の問題、カルト化の問題について、傷を受けた皆さんと共に祈り、教会・教派主義からの脱出と信仰について、自立を目指す現実的視点で触れていきます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供44回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2013/01/20 12:52

仁保裕介 さんのブログ記事

  • 間違いや弱さにこそ人が生きる意味を感じる
  • 人は間違いを犯しつつ、弱さに苦しみ、逃避したり、克服や努力に苦闘し、地上の短い人生を死に向かって生きる。そこにこそ、人は生きがいや生きる意味を感じています。正しさのみに生きることは実際不可能です。正しさのみに生きることを確信した心は人間らしさを失い、他人に優越した意識を持ち、弱さを伴う心からの交流をできず、弱い自分の心を閉じ、上辺だけの正しいと思い込んだ言葉だけを好んで使い、合う人と交流して肯定や [続きを読む]
  • 傷ついた過去を肯定する胆力、頑なさを手放すための自由の祈り
  • 傷ついた信仰者の人生は、恨みと回復願望に頑なにしがみつく心と、それを神や受容者に委ねて手放すことの繰り返しかもしれません。旧約聖書の預言者の書も、詩篇も、使徒パウロの書簡も、祈りの中に嘆きと神を見上げる委ねと、将来への希望を繰り返し述べています。生き方、生き様すべてが、地上で傷を負われた主キリストが肯定した道だと思えるか、、そこに人生すべてをかけることが、信仰の道なのかもしれません。ストレスの必然 [続きを読む]
  • 隣人と共に歩むために、十字架を追い求める
  • 自分の十字架とは?キリストの御跡を追い、自分の十字架を負いたい自分の十字架を日々追うことができるよう祈りたい。今負っているものは、果たして私の心からの願いなのか。負うべき十字架に必要なものなのか。平安なのは、自分が救われ、隣人が救われるからなのか。ふと祈って、焦りすぎや気負い過ぎが分かることがあります。『平安』の源が、隣人を裁き、自分を裁いているところから来ていることさえあります。裁き裁かれ続け、 [続きを読む]
  • このブログの姿勢・コンタクト
  • 自由な心で神様に祈っていますか?祈りの言葉が何かに縛られていませんか?私たちは神様に向いて自由であり、それぞれの心の思い、叫びがあります。その自由に聖霊がおられ、必ずとりなされています。多様な祈りがあってこそ、みからだの一致ではないでしょうか。祈りが、誰か人から強いられたものではなく、「自由に神様に向かう私たち自身の心」であることを神様は喜ばれます。自然な心のことばこそ、神様との交わりに必要です。 [続きを読む]
  • 信仰・救いは、運命の縛りではない
  • 運命を信じる。運命に縛られる。このふたつの言い方では、運命のとらえ方が違います。人生に無くてはならない出会いを見つけ、信じられるなら、厳しい現実に必死に祈りながら愛や導きを信じられ、そこに留まる意思を保てるなら、たとえ恐れ不安があっても「信じる結果」や「信仰の実」をすでに受けていると思います。目に見えるものや、教会や牧師に頼れなくても、この時の私たちの祈りは、泣き叫ぶだけの祈りかもしれませんが、そ [続きを読む]
  • 私たちのみっともないところ、罪と失敗の破れ目から注がれる恵み
  • 永遠の命が与えられ、その恵みは、泉から溢れる水のように注がれます。その恵みの水が私たちの心に入り込む入口は、実は、みっともないところ、隠したいところ、誇れない、罪と失敗の破れ目であったりします。他人には言えない、その破れの穴から入ってきた恵みは、他人にはよく見えない部分で、それぞれ「私の内面」を癒しますが、そこからの感謝や神への愛、罪や試練にある人への共感やとりなしの祈りは、周りに広がり流れ出すの [続きを読む]
  • 良いものを良いものとして、人生の時計を進める
  • 福音派と聖霊派で『信仰』を教えられた私は、伝道のしにくさを30年以上感じていました。自分の中で、福音、イエス・キリストを喜んで人に伝えたい、と素直に思えるようになるには、と思い、追い求めます。そして、福音、キリスト、神の導きについて、良いと思えるもの、人に伝わり人を救うものが分かってきたのは、教会を離れてからです。主は生きて、人に伴い、人を生かそうとされています。この神の愛の基本を押さえることは、ま [続きを読む]
  • 祈り、悔い改めを縛られないで
  • Nさまブログ記事「頼れる『親分肌』や『タレント性』『カリスマ性』『聖書知識』を見分ける」へのコメントをありがとうございます。(コメントにはプライバシーが含まれますので非公開にしております)一週間お待たせして申し訳ありません。この記事でお返事をさせていただきたいと思います。悔い改め、心の底からの祈り、イエス様との繋がりの実感、ということに課題を感じておられるということでよろしいでしょうか。悔い改め、 [続きを読む]
  • 徹底して仕事を極めようとする職場で
  • カルト化被害、隣人の痛みを感じない人との出会いに苦しみ、問題や痛みや孤独、脱出の模索を一生の課題だと思っています。それをブログを書いているわけですが、去年から、真っ当に懸命に生きる人たちとの出会いに、正直動揺しています。世の中、自己中心が当たり前で、矛盾だらけなものばかりだと嘆き、自分に、自己中心や矛盾があることも分かっていたつもりでしたが。しかし、今の職場で、現実的に自分の足りなさに直面していま [続きを読む]
  • 人に認められたくて、人が怖くて、事実を見逃す
  • カルトやブラック被害に気づかず依存している時には、組織や人にばかり注目してしまい、様々な矛盾ある事実を意識・無意識に見逃してしまいます。しかし、ある時、見逃していた問題について見逃せないと感じ、組織や人、自分の矛盾が耐えられなくなったり受け容れられなくなります。人の救い、命輝く人生、正義のビジョンに共鳴して生きているのに、目の前の結果や事実が違う場合、何が問題なのかまっすぐ見る必要があります。それ [続きを読む]
  • 領域を広げることで、人と世の成り立ちや細部を知ること
  • 福音派聖霊派が強調する「人には罪があるので神から離れている」という『原罪』の教えは、その教派に集う人に、教会と世を分断する意識を与えています。『教会に来ない人は神を知らず、救われず、滅びの道にいる』と。私は子どもの時から教会学校に毎週日曜欠かさず通い、それを信じていました。『教会に人を連れて行かないと、人は救われない』この世界観が正しいと思っていました。『聖書と教会の教えこそ唯一の真理』として、私 [続きを読む]
  • 道を見分け、キリストと共に、また世の道を行く
  • キリストに出会っていれば、導きを期待できます。キリストに出会っている人は、委ね、あわてずに待ち、焦りからではない行き方や出会いを落ち着いて待ちます。キリストを自分の中に本当に欲しい、一生伴い内に共に住んで欲しいと心から願う人には、必ず与えられます。主なる神は日です、盾です。主は恵みと誉とを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。 万軍の主よ、あなたに信頼する人はさいわいです。詩篇 84:11 [続きを読む]
  • 自分自身に関心を持ち、他人に関心を持つ
  • 自分自身に関心を持ち、他人に関心を持つ。仕事人の自分に関心を持ち、仕事の相手に関心を持つ。このような普通のことが、問題ある教会ではいつのまにか否定され、皆罪ある人だからと自己否定と他者否定をくりかえし、教会への貢献を求められます。兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。 律法の全体は、「自分を愛するように [続きを読む]
  • 教会の外で試される信仰
  • イエス様は会堂を出て、街を出て、広くて何もない場所で大勢に説教しました。そこに集まったのは信仰的で忠実な人ばかりではなく、多くの人が興味本位だったかもしれません。それでも、イエス様は、食べるものが無くなったときに、パンと魚を分けて与えられました。現実への対応として、何を成し遂げ、何を作り、生み出すか。私たちのアウトプットはどのようなものでしょうか。ただ、神のみ心、み旨のままにと、委ねているようでい [続きを読む]
  • 自分で運命や人生の道筋を決めることと信仰
  • 教会で失った心の安らぎや優しさや常識は、教会の外で取り戻すしかないのかもしれません。今、『教会』と言われている建物や組織が、聖書で言われているようなものなのか疑問を持つことは大切です。本当にキリストが来られるところは、命からの真実な祈り求めがあるところでしょう。聖書では、求める人にキリストが触れる場面がありますが、その中の多くは立派に教会堂に通うような人ではなく、逆に会堂に入れないような思いを持っ [続きを読む]
  • カルト化やブラック化で張り詰めた糸が解かれた後には
  • カルト化やブラック化で張り詰めた糸が解かれて、報われない頑張りに虚しくなり、信じて尽くしたリーダーの人間性の実態に気づくと、ある人はその後の人生でも心の落胆を引きずってしまい、気力が萎えます。ビジョンや言葉を一生懸命に信じた努力が報われなかった年月を思うと、人間不信なり、自信喪失し、ただ自己防衛的になってしまい、積極性を失うことがあります。現実に直面したり、聖書を読んで厳しさにショックな時、それを [続きを読む]
  • なすべき現実の行いと祈り
  • クリスチャンがなすべき行いは、救われるための善行ではなく、負うべき十字架の重荷ではないでしょうか。それぞれの人生にある違う関心や避けられない体験から神を求め祈るなら、自分と隣人を生かす発見があり、そこに助けが必ずあります。信仰は逃避と言う人もいます。ある時は、確かに神は我らの避け所です。毎日、瞬間瞬間祈るなら、神は確かな避け所です。しかし、それは現実を知って叫ぶから避け所なのであって、それぞれ受け [続きを読む]
  • 痛みのある弱さのある人になることが成長
  • 人は皆、強くなることが成長だと思っていますよね。しかし、キリストを見ると、私たちのゴールは弱さに留まって祈り、隣人の痛み苦しみを感じる存在になること、それこそが信仰の強さだと思うのです。キリストが栄光に入られたのは、地に下り死にまで従われたから、と聖書にあります。父のみ心に従って、人の弱さに留まり、多くの人と交流し、病と悩みと祈りと願いを担いました。神の愛ゆえに、罪に死に行く人間を見捨てることはせ [続きを読む]
  • 神の声を聞き、人の話を聞かない教会とは
  • 教会も罪ある人の集まりですが、一部の人が神がかり的に教会を美化したり高揚していたりします。聖霊はどこででもキリストを求める人に働きますが、『この教会の集いには聖霊が働いていて、ここに来ない人は悪魔に支配されている』と言い出したら、もうカルトです。福音派や聖霊派の中に多く、その教会内では何の疑問も無く受け容れられていると思います。その上、カルト化している教会では、新来者にこそ丁寧に対応しますが、教会 [続きを読む]
  • 労苦を共にできるのが愛
  • 快適さや理想よりも、労苦を共にできるのが愛です。私たちは、これにとどまるべきです。キリストは、十字架につけられことで、人類の罪の結果を共にしましたが、それがキリストの愛であり、弟子たちに教えた人生の歩き方でした。すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれ [続きを読む]
  • 教会の言いなりから脱出して、自分の心を回復しましょう。
  • 教会の言いなりから脱出して、自分の心を回復しましょう。どの人でも互いに感じ取れる思いやりや苦労からの共感があるものです。しかし、教会の考え方だけに自分を押しとどめて、人とのふれあいを排除して『確信』にとどまるなら、多くの人の共感や共に歩む支えや受容寛容などは味わえません。多くのふれあいのある人ほど、真のキリストの姿を見つけることができるのではないかと思います。なぜなら、キリストは教会にとどまらず、 [続きを読む]
  • 自分のために悩み、人のために悩もう
  • 自分のために悩み、人のために悩む、それは旧約聖書の預言者から新約聖書の使徒に至るまで共通する、主の働き人の姿です。その中心にはキリストの御姿があります。日常に悩みの無い人生はありません。自分のために悩む時間も大切です。慰めや癒しの時間も必要です。キリストは、栄光の姿に変えられた、その体には釘と槍の傷跡があります。私たちの歩みの中でできた傷も、自分や隣人の救いに用いられていることに気付きます。そうし [続きを読む]
  • 主に対してするように人に仕える
  • 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。 あなたがたが知っているとおり、あなたがたは御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主キリストに仕えているのである。コロサイ人への手紙 3:23?-24 JA1955http://bible.com/81/col.3.23-24.JA1955主イエス・キリストは、弱くても求める人には応える方。私たちは、その主に対して慕い求め信頼するように、すべての人を見 [続きを読む]
  • 「子どものように信じる」とは簡単で単純なことか
  • 「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。彼は金をふきわける者の火のようであり、布さらしの灰汁のようである。 彼は銀をふきわけて清める者のように座して、レビの子孫を清め、金銀のように彼らを [続きを読む]