峰さん さん プロフィール

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峰さんさん: ウォーク更家の散歩
ハンドル名峰さん さん
ブログタイトルウォーク更家の散歩
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
サイト紹介文昨年、一人旅で、東海道五十三次を全踏破しました。 現在、中山道を踏破中です。
自由文一人旅の街道歩きに、すっかりハマってしまいした。
街道歩き以外の横浜・東京の町歩きもブログに書いています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供77回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2013/01/26 09:01

峰さん さんのブログ記事

  • 「肥薩オレンジ鉄道」で行く「薩摩街道」 ( その3:佐敷城 ) 2018.3.24
  • (佐敷城址から佐敷港を臨む)現在残る「佐敷城」は、肥後国(熊本県)の南部の防衛拠点として、「加藤清正」が築きました。佐敷城の城代となったのは、加藤清正の家臣の「加藤重次」でした。(加藤重次の遺構については、前回の「佐敷宿」を見てね。)重次が城代を勤めていた1592年に「梅北の乱」が起きました。「梅北の乱」とは、朝鮮出兵に向けて佐敷に在陣していた島津家の家臣・梅北国兼が、城代の加藤重次が出陣し手薄になっ [続きを読む]
  • 「肥薩オレンジ鉄道」で行く「薩摩街道」 (その2:佐敷宿) 2018.3.24
  • (写真は、佐敷宿の町並み) 「佐敷(さしき)宿」は、肥後(熊本)と薩摩(鹿児島)を結ぶ「薩摩街道」の要衝の地で、「佐敷城」の城下町でもあります。古くは、豊臣秀吉が、薩摩遠征のために大軍を率いて押し寄せたという薩摩街道は、江戸時代には、参勤交代の通り道で商家や宿が立ち並んでいました。篤姫も、将軍への嫁入りの際に佐敷宿に宿泊して江戸へ向かいました。そして明治時代、西南の役の際には、西郷隆盛軍 [続きを読む]
  • 「肥薩オレンジ鉄道」で行く「薩摩街道」 (その1) 2018.3.24 
  • (写真は、「肥薩オレンジ鉄道」のロゴマーク入りの「くまもんバッグ」)最近は、町人に変装した徳川慶喜(松田翔太)が、品川宿で女遊びをしているところで西郷(鈴木亮平)に遭遇するなど、歴史的に有り得ないシーンに微妙にテンションが下がりつつも、NHK大河「西郷どん」を毎回見ています。(原作者の林真理子が、暴れん坊将軍のストーリーと間違えて書いた?)それでも、毎週見ているうちに、西郷や篤姫も通ったという「薩摩 [続きを読む]
  • 小松川千本桜 (江東区) 2018.3.29
  • (写真は「小松川千本桜」)先日(3/27)の今年最初のお花見の「隅田川クルーズ」は、橋巡りのクルーズとしては楽しかったのですが、お花見の観点だけから言うと、隅田川両岸の桜並木が、私のイメージとはだいぶ違っていて、イマイチに感じられました・・・と言う訳で、今回(3/29)は、最近評判になっているという「小松川の千本桜」でお花見の再挑戦をします。「小松川千本桜」へは、都営地下鉄・新宿線「東大島駅」(ひがしおお [続きを読む]
  • 隅田川ライン お花見船   2018.3.27
  •        (写真は、佃島のタワーマンション群の桜)実家の熊本から帰京したら、テレビで、東京の桜は今週末で終わりだと言っていました。と言う訳で、一昨日(3/27)、慌てて、お花見に行って来ました。最近のお花見では、(大岡川クルーズ)と(目黒川クルーズ)が大好評でしたので(自画自賛?)、今回は「隅田川クルーズ」(980円)に行って来ました。水上バスでの隅田川クルーズを運航している東京都観光汽船の船乗り場は [続きを読む]
  • 京浜工業地帯 (湾岸線の車窓から)
  • (写真は、早朝の京浜工業地帯)先週の金曜(3/16)から今日(3/24)まで、姪の披露宴出席などの所用で、熊本の実家に帰省して来ました。熊本城の桜は、八分咲きという感じでした。熊本の実家に帰るのには飛行機しかないので、昔から、年に数回は、飛行機で羽田と熊本を往復しています。数えてみると、累計では、少なくとも、搭乗回数は100回を超えています従って、私にとっては、飛行機に乗るのは電車に乗るのと、感覚的には余り [続きを読む]
  • バスで行く「奥の細道」(その5) 安達ケ原の鬼婆(福島県)
  • (写真は、奈良時代に「鬼婆」が住んでいた「岩屋」。) 今回は、「安達ケ原の鬼婆」を訪れますが、先に、その「安達ケ原 」の「鬼婆(おにばば)伝説」について、以下にご紹介します。  ここ安達ケ原の「鬼婆」は、京都のある公家屋敷の乳母でした。  長年、手塩にかけて育てた姫の病気を治したい一心から、「妊婦の生肝(いきぎも)を飲ませれば治る。」という易者の言葉を信じ、遠くみちのくに旅立ち、ここ安達ケ原の岩 [続きを読む]
  • すみだ北斎美術館(墨田区) 2018.3.6
  • (写真は、「すみだ北斎美術館」)今週の火曜日(3/6)、都心に出掛けたついでに、以前から行きたいと思っていた2016年オープンの「すみだ北斎美術館」に立ち寄ってみました。地下鉄・大江戸線の両国駅のA3出口から地上に出ると、目の前に、江戸東京博前の信号があります。その信号の横断歩道を渡り、「北斎通り」の標識のある通りを5分ほど歩くと、右手が「すみだ北斎美術館」です。  「北斎通り」沿いには、北斎ゆかりの遺構か [続きを読む]
  • 曽我梅林 (小田原市) 2018.3.3
  • (写真は、満開の「曽我梅林」)毎年、この時期の観梅には、だいたい地元の三渓園か大倉山へ行きますが、時には湯河原や水戸辺りへも足を伸ばしています。(これまでの観梅については、鎌倉・円覚寺、横浜・大倉山、横浜・三渓園、水戸・偕楽園を見てね。)昨日(3月3日)は、晴天と梅の便りにつられて、近場の小田原市の「曽我梅林」(関東三大梅林のひとつ)へ行ってきました。曽我梅林の最寄り駅は、JR御殿場線の下曽我駅です。 [続きを読む]
  • バスで行く「奥の細道」(その4) (白河の関:福島県)
  • (写真は白河関跡)  ”都をば 霞とともに 立ちしかど  秋風ぞ吹く 白河の関” (春霞の季節に京都を発って、秋風が吹く頃にようやく白河関に着いた。) 今回は、上の能因法師の句で有名な「白河関」を訪れます。 「白河関」(しらかわのせき)は、奈良時代から平安時代に機能していた”国境の関”で、蝦夷(えみし)の南下を 防ぐために築かれていました。 太平洋岸の「勿来関」、日本海岸の「念珠が関」と並ぶ”奥羽三古関”の [続きを読む]
  • バスで行く「奥の細道」(その3) (殺生石:栃木県)
  • (写真は、殺生石の”妖怪・九尾の狐”)芭蕉は、14日間も逗留した黒羽の浄法寺家をあとにして「殺生石」へ向かいます。黒羽の城代家老の浄法寺高勝が、用意した馬で送ってくれました。この馬を引く男が、「短冊に一句書いてくれませんか」と芭蕉にせがみます。芭蕉は、風流なことを望むものだ、と感心して、一句詠んで書いてあげます。 ”野を横に 馬牽むけよ(うまひきむけよ) ほととぎす” (どこかでホトトギスが鳴いてい [続きを読む]
  • バスで行く奥の細道 (雲厳寺:栃木県)
  • (写真は、「雲厳寺」の吉永小百合)テレビを見ながら、この「雲厳寺」のブログの原稿を書いていたら、ちょうどJR東日本の「大人の休日倶楽部」のCMで、吉永小百合の「奥の細道の雲厳寺」をやっていました。以下は、吉永小百合のCMのナレーションです。  松尾芭蕉が、奥の細道で最も長く滞在したという栃木・黒羽(くろばね)の地。  彼がここに留まったのは、降り続いた雨のせいだけではありませんでした。(黒羽:大人 [続きを読む]
  • バスで行く「奥の細道」 ( 那須・黒羽 : 栃木県 )
  • (写真は、「芭蕉の館」の芭蕉と曽良の像 )現在、奥州街道踏破を目指して歩いていますが、スタート早々に股関節炎が発症したため、街道歩きに1日5キロ以内の制限が加わり、未だ、栃木県の大田原宿を抜けた辺りをウロウロしています。街道歩きが趣味の私は、以前から、松尾芭蕉の「奥の細道」を歩く事にも興味がありました。そこで、「奥の細道」のうち、奥州街道沿いの「黒羽・雲厳寺」、「殺生石」、「白河の関」等のスポット [続きを読む]
  • 奥州街道を歩く(22-4:大田原:市内循環バスの旅) 栃木県大田原市
  • (写真は、市営バスの車窓から見た「黒羽刑務所」)今日は、朝から、大田原の宿場町、大田原城址、日帰り温泉と巡って、そのあと、歩行制限1日5キロの残りの3キロを歩いて、15:45に練貫十文字のバス停に着いて、市街地へ向かう最終便を待ちますが・・・バス停の時刻表を見ると、何と!、15:14の最終便が行ってから、もう30分も過ぎてしまっています!!最終便に乗り遅れて途方に暮れ、暫くの間、バス停の時刻表を眺めながら、呆 [続きを読む]
  • 奥州街道を歩く(22-3:大田原から鍋掛へ) 栃木県大田原市
  • (写真は、中田原の一里塚)朝から、大田原の金燈籠や歴代大田原藩主の墓などを見て回り、宿場の外れの「大田原城址」を見学したところで昼過ぎになりました。先程、太田原神社から大田原城址の入口へ渡った高架の横断歩道橋が、上の写真の中央に見えています。大田原城址公園前のバス停がある奥州街道を少し進み、「蛇尾川」(さびがわ)に架かる蛇尾橋を渡ります。橋の上から振り返ると、左手に大田原城址の崖の木立が見えます。 [続きを読む]
  • 奥州街道を歩く(22-2:大田原:大田原城) 栃木県大田原市
  • (写真は、本丸の土塁の上から、本丸跡を見下ろしたところ。 )    今朝は、大田原の宿場町の入口からスタートして、道標を兼ねた金燈籠、大田原藩主の墓が並ぶ光真寺などを見学し、宿場町の外れの大田原神社まで歩いて来ました。太田原神社には、旧奥州街道をまたいで、大田原城址の入口へ渡れる写真の横断歩道橋が架かっています。 大田原城は、1545年、大田原資清(すけきよ)によって築城された平山城(ひらやまじろ)です。資 [続きを読む]
  • 奥州街道を歩く(22:大田原) 栃木県大田原市
  • (写真は、道標を兼ねた大きな金属製の「金燈籠」)前日は、早朝に東京駅から東北新幹線に乗り、那須塩原駅で下車、駅前から路線バスで佐久山宿に着きました。 そして、奥州街道を、佐久山宿から大田原宿まで歩き、大田原宿の入口から路線バスで、JR西那須野駅前のビジネスホテルに向かいました。 今朝は、西那須野駅前のビジネスホテルを出て、9:20の路線バスに乗り、9:56に大田原市内の末広二丁目で下車、前回ゴール地点の神 [続きを読む]
  • 箕輪城 (群馬県) (日本100名城) 2017.12.27
  • (写真は、復元された箕輪城の馬出門)伊香保温泉で1泊した話しの続きです。翌朝、温泉のホテルの窓から外を見ると、強い横風に吹雪が舞っています!急遽、少しでも、雪が少ない平地に移動しようと、ホテルで朝食をすませると直ぐに、渋川駅行きのバスに乗りました。渋川駅で上越線に乗り、高崎駅で下車して、以前から行きたいと思っていた「箕輪(みのわ)城」へ向かいます。「箕輪(みのわ)城」は、NHK大河「おんな城主 直虎」 [続きを読む]
  • 伊香保温泉 (群馬県) 2017.12.26
  • (写真は、伊香保温泉の石段 )年末年始は、毎年、温泉にのんびりと浸かることにしています。このところは群馬県の温泉にハマっているので、年末も群馬の温泉で過ごしました。これまで群馬県の温泉は、草津、磯部、四万、水上、万座、藪塚、猿ヶ京、宝川に行きましたが、昨年の年末は、久し振りに「伊香保温泉」に行って来ました。「上野」(10:50) → JR特急りょうもう号 →(12:21)渋川 (乗車券1,193円 + 特急券1,030円) [続きを読む]
  • 奥州街道を歩く(21-2:佐久山から大田原へ) 栃木県大田原市
  • (写真は、天然記念物「イトヨ」(糸魚)の生息地である小川の清流と水草)今回は、佐久山宿行きの始発バスに間に合う様に、東京駅から新幹線を利用します。早朝に、JR横浜駅から上野東京ラインで東京駅へ行き、東京駅から東北新幹線で那須塩原駅へ向かいます。那須塩原駅前からバスに乗り、大田原市体育館前で、佐久山行きの始発バス乗り換えて、前回ゴールの佐久山郵便局前に到着しました。横浜(6:58) →(7:28)東京(7:44)→ [続きを読む]
  • 奥州街道を歩く(21:佐久山) 栃木県大田原市佐久山
  • (写真は、戊辰戦争の際に有名になった傷薬の薬屋の古い看板)佐久山宿(さくやまじゅく)は、戸数121、人口473人で、うち本陣1、脇本陣1、旅籠27でした。佐久山は、1187年、、源平合戦の際に弓で活躍した那須与一の兄の那須次郎が、この地に佐久山城を築城して、佐久山氏を名乗ったのが始まりです。しかし、同族の福原資孝(すけたか)が佐久山氏を攻め、佐久山城は落城、佐久山氏は追われました。その後、1702年、福原資倍(すけま [続きを読む]
  • 奥州街道を歩く(20-3:喜連川から佐久山へ) 栃木県さくら市
  • (写真は、大きな双体の道祖神)早朝に、宇都宮のビジネスホテルを出て、JR宇都宮駅から東北本線に乗り、3つ先の氏家駅で下ります。氏家駅前から、始発の路線バスに乗り、昨日のゴールの喜連川宿のバス停に着きました。喜連川宿は、昨日、隅から隅まで見物したので、直ぐに、宿の北の外れへ向かいます。宿場の外れに、由緒がありそうな立派な門構えの写真の「たかしお薬局」がありました。宿場町を抜けると、三叉路の台町信号に出 [続きを読む]
  • あけましておめでとうございます    2018.1.1
  • (日光街道の杉並木にて)あけましておめでとうございます。昨年も、私は、街道歩きを続け、日光街道を踏破しました。そして、今、奥州街道を歩いています。(宇都宮宿) をスタートして、(白沢宿)、(氏家宿)、(喜連川宿) と進んでいますので、引き続き、このブログでご報告します。これまでに踏破した東海道、中山道については、下記のホームページでご覧下さい。⇒ 「東海道五十三次を歩く(完全踏破の一人旅)」⇒ 「中山 [続きを読む]
  • 奥州街道を歩く(20-2:喜連川城跡) 栃木県さくら市
  •    (写真は、「喜連川城跡」の深くて幅も広い「堀」)JR氏家駅に戻る次のバスが来るまでの5時間をどうして過ごそうかと、喜連川のバス停の前で、ぼんやりと考えていました。バス停には、上の写真の喜連川宿の観光案内地図があったので、暫くの間じっと見詰めていました・・・地図をよく見ると、「寒竹囲いの家」の更に先の方に「もとゆ温泉」と書かれています。温泉だと、ひょっとしたら日帰り入浴が出来るかも知れない!、と [続きを読む]
  • 奥州街道を歩く (20:喜連川)  栃木県さくら市
  • (写真は、「武家屋敷跡」の「御用堀」)「喜連川(きつれがわ)」は、源平合戦で、源氏側に参戦して戦功があった塩谷五郎が、この地に城を築いたのが始まりです。江戸時代には、喜連川足利氏(1万石)の城下の宿場町として、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠19軒がありました。喜連川藩は、石高は1万石に過ぎませんが、足利尊氏の流れを汲む「古河公方」の格式を誇り、幕府も参勤交代の義務を免除するなど、普通の大名とは異なり、別格 [続きを読む]