tkharry さん プロフィール

  •  
tkharryさん: 悟りの世界に遊ぶだけ〜♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)
ハンドル名tkharry さん
ブログタイトル悟りの世界に遊ぶだけ〜♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)
ブログURLhttps://ameblo.jp/kidotomoaki/
サイト紹介文悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供265回 / 365日(平均5.1回/週) - 参加 2013/02/07 15:32

tkharry さんのブログ記事

  • 無心て?
  • さて、無心についての誤解、、 「無心」 というのは、心がここに在らずで、ぼーっとして定まらないふわふわしているような状態でもなければ、、 あるいは、人間的な情緒に欠けた味気のない虚無的な様相のことでもありません、、 実際のところで、「無心」 というのは、、想念雑念に妨げられない、いわゆる、雲の流れのような思考のおしゃべりに気づきつつ、、 執拗に自己同化を誘ってくる、そうした反応を意識的に手放した様 [続きを読む]
  • 理由なき今ここ
  • 今ここにどうして居るのか、、 今ここに居る理由は何なのか、、 何のために今ここに居るのか、、 実際のところこうしたことは全くもって分かりませんし、、 きっと、○○だからだ、□□のために違いない、とした思考のこしらえた言い分も、 結局のところそれがほんとかどうかは誰にも分かるものでもありません、、 けれども、確かなこととして、、今ここに居ることはどうあっても明らかで、、 唯一、、否定することのでき [続きを読む]
  • この瞬間に忠実であれ!
  • その昔、入門したてのある修行僧が、師匠にこう尋ねたそう、、 禅とは何かを教えてください!! それに対し師は、こう尋ねた、、 ほう、その方、食事は終わったのかな?( ̄ー ̄) はい、先ほど頂いて来ました! そうか、ならば、茶碗を洗ってきなさい!( ̄O ̄)ノ !!! ------------------------------------------------------------------------------------- このやり取りは、曹洞禅などのように、食事後の作法など [続きを読む]
  • 不思議でたまらない
  • 小学生の教科書にこちらの詩が載っています、、   わたしは不思議でたまらない、  黒い雲から降る雨が、  銀に光っていることが。  わたしは不思議でたまらない、  青い桑の葉食べている、  蚕が白くなることが。  わたしは不思議でたまらない、  誰もいじらぬ夕顔が、  ひとりでぱらりと開くのが。   わたしは不思議でたまらない、  誰に聞いても笑ってて、  当たり前だ、と言うことが。  (金子み [続きを読む]
  • 最も簡単に真実を見る方法
  • さて、前回からの、「その場」、、 どんな時でも、目の前にある 「その場」 を生きること、「その場」 にのみ帰依することが、 すなわち、真実との同調であり、真実を生きる在り様である、、といった話でしたが、、 加えて、、白隠禅師の言うところでは、、 マカエンの禅定は賞嘆するに余りあり、、 マカエンとは、「大乗」 を意味するそうで、、つまりが、、 「その場」 全体への禅定 (三昧) が、ひいては、場内における [続きを読む]
  • その場暮らし
  • さて、目の前に映る景色はあれこれ変わっても、 常に目の前に、「その場」 があるということは疑えません、、 禅のエッセンスを伝える、一所懸命だったり、一期一会だったり、日々是好日といったものが指し示しているのは、、 その 「見かけ」 に左右されるのではなく、徹底して、「その場」、「その場」 に帰依するということ、、 すなわち、、「その場」 のみを生きるといったことです、、 時に、不都合や不快さが現れる [続きを読む]
  • 楽に生きようとする苦しみ
  • 体感的に、「楽」 なことが起きているとき、、 自我は、「身」 に降りかかる 「恐れ」 がないように見えるため、 その状態を 「安心安全」 だと枠を作り固定化します、、 この固定化に伴って、その枠に収まらない出来事や物事が現れた際には、、 ひどく抵抗し、それが目の前に起きている唯一のリアリティであるという明らかさを見失い、 今ここにはない、「楽」 な出来事へと憧れ、今ここではない、「楽」 が実現している 「 [続きを読む]
  • 心が不安なときの禅サプリ
  • さて、禅宗の開祖、達磨大師こと、ボーディーダルマ、、、 彼は、釈迦から数えて二十何代目かの法灯継承者であるわけですが、、 その彼がインドからはるばる中国にやって来たのち、、 「面壁九年」 の坐禅に明け暮れたという話は有名です、、 この辺の話は、学者でもないので詳しいことは分かりませんが、、 要は、九年間、、寝ても覚めてもぶっ通しで壁を前に坐禅をしたという伝説のようです、、 さて、そうしたぶっ飛ん [続きを読む]
  • 反逆の禅スピリット
  • さて、フェイスブックでうっかり見てしまったシェア動画、、 なんとそこには、、ネコさんを追い回すネズミさんの勇ましい姿が、、 思わず、、アハ! これを、OSHOおじさんなんかに言わせれば、自我に対する反逆行為、、的な表現になるのでしょうが、、 個人的にはなかなか興味深かったのでここぞとばかりに記事にしてみよと思います、、 さて、一般的に、ネズミの自我 (恐れ) は、ネコという天敵を前にすると、、 す [続きを読む]
  • どんな日も例外なく「今ここ」である
  • さて、私たちは、内在するプログラムであるところの自我性、、 つまるところ、恐れや不都合、不快さが身に降りかかった際には、 それを避け、そこから離れ、それを改善し、できることなら安心できる安全な状態を保とう、取り戻そう、、あるいは、そうした状態に作り変えようなどとした、「防衛」 の反応を日々携えて生きていると言えます、、 もちろんこれ自体は、何ら問題のある反応でもなく、ごくごく自然で、ハイクオリテ [続きを読む]
  • 今ここで幸せ論
  • 特別な 「幸せ」、、ここにはない 「幸せ」 を探したり、求めだしたりすると、、 今この瞬間に在る、このままの在り様との間で、「比較」 が起こり、、 「今はまだその状態ではない」 といった、今ここへの非受容的なエネルギーに伴って、 何としても 「幸せ」 にならなければならない自分、「今にはない幸せ」 を手に入れなければならない必要性が、 物の見事に、「今は幸せではない私」 といった、エネルギー的な錯覚を生み [続きを読む]
  • 時は流れず
  • うっかり図書館から借りてきたとあるDVD、、 何年も前に見た記憶がありつつも、この歳になってから改めて見てみると、、 やはり新鮮な感慨が沸き起こって来るものです、、 加えて、実際のところ、この作品はなかなかに真実を突いている箇所が散りばめられており、 そうした点でもとても興味深いものでした、、 ご存じの方もいらっしゃる通り、物語は、、 記憶が80分しか保たない数学者の博士と、家政婦の母、野球少年だっ [続きを読む]
  • 躊躇一喝!
  • さて、鈴木俊隆禅師の逸話が不意に思い出されました、、 ある夏の暑い日、禅師と修行者たちが、作務 (さむ) のために道具を持って、 埃っぽい山道を登っていたそうです、、 山頂に着くと彼らはシャベルを忘れてきたことに気づきました、、 彼らは誰がシャベルを取りに行くかを議論し始め、ようやく決着が着いたところで禅師がその場に居ないことに気づきました、、 禅師は、すでにシャベルを取りに山道を半分下りていたそう [続きを読む]
  • 閃きの構造
  • 意識が収縮した 「個」 的な状態というのは、、 ある意味では、「小さなグローブ」 で構えているような様相であるため、、 その状態に 「入って来る」 もの、あるいは、その状態で 「受け取れる」 ものというのは実に限られているために、、ある種の、滞りや右往左往、混乱といった様相もまま見られる話かもしれません、、 が、とは言え、この状態が調和から外れているわけでも、改善し克服しなければならない状態というわけ [続きを読む]
  • 絶対的な確かさで知っていること
  • というわけで、、私たちがどこに居ても、その場所が地図上のどの場所か分からなくても、目の前にどんな風景が広がっていようとも、、 それが昼か夜か、、二日酔いにせよ、寝ぼけ眼にせよ、、 いついかなるときでも、何をしているときでも、、絶対に忘れることができない真実、、 それは、、そこが、ここ、、であるということ、、 そして、、そこには、、今、、が起きているということ、、 そして、そのことを知っている [続きを読む]
  • 十牛図〜今ここへの帰り道
  • さて、マニアックな求道者なら、一度は聞いたことがある、あるいは、読んだことがある、、 禅の、十牛図 (じゅうぎゅうず) というやつ、、 左上から右上へ、、左下から最終、右下へ、、という順路です、、 探し求める悟りの境地を 「牛」 に例え、牛を見つけようと右往左往し、ようやく念願の牛を見つけては、 牛を自分のものにしようと悪戦苦闘し、牛を手なずけ、牛と共に戯れる、 そして次第に、牛も自らもあらゆるも [続きを読む]
  • 思考を止めなければならないという誤解
  • というわけで、鈴木俊隆禅師の逸話より、、 ある日、、ある修行者が、禅師に相談にやってきました、、 老師!瞑想中にどうしても思考が頭をよぎってしまいます、、 どうやったら、思考を止められるのでしょうか?? すると、禅師曰く、、 考えることに、何か問題があるのかい??( ̄ー ̄)ノ また別の日、、ある修行者はこう相談しました、、 老師!ここのところ私は、心が落ち着かない日々を過ごしています、、 坐禅の間 [続きを読む]
  • 今に戻る!今に目覚める!
  • さて、今月末にありがたいことに休暇が控えています故、、 ただ今のところ、、なかなか良い今ここレッスンの最中です、、笑 というのも、、「今」 より先の 「いつか」 に、「今」 よりも心安らげてくつろげる時間が訪れるに違いないという思い込みは、、やはり、「思い込み」 の域をどうしたって出ることはなく、、 そもそも、「今ここ」 で生きているということ以外、私たちの人生には何も現れ得ない以上、、 「今ここ」 [続きを読む]
  • 今ここに在る癒しと受容
  • 何が起こるか分からないからと、、心配しながら生きているとき、、 それは、自我と言われる、「恐れ」 のプログラムが意識の中で優勢になっている様相、、とでも言えるかもしれません、、 もちろん、これ自体は、悪い反応でもなければ、滅せなければならない反応でもありません、、 ただ、「自我が起きている」 ということに気づくだけで充分です、、 そうすることで、自我の緊張や収縮は感覚としてそれほどではないと思われ [続きを読む]
  • ここで目覚める!ここに目覚める!
  • 道元禅師が坐禅について示したとされる言葉、、 只管打坐 (しかんたざ) 即ち、、ただひたすらに打ち坐る、、というもの、、 この言葉を感じる時、、道元禅師の、坐禅行を格別に強調したとされる理由が何となく見えてくるように思います、、 それは、真実は、「どこか」 にあるものではないということ、「今この瞬間」 こそが探し求めていたものであるという、まさにシンプルなその点です、、 禅の修行、あるいは、瞑想な [続きを読む]
  • 「苦しみ」から逃げない力
  • さて、体調不良も無事終息しそうな気配です、、 というわけで、こうした、肉体的にせよ、精神的にせよ、、いわゆる、「辛い」 局面に際しての、、 ハリー的立場をここぞとばかりに書いてみようと思います、、 ここにおいては、、良寛禅師の遺した言葉が良い参照になります、、 災難に逢ふ時は災難に逢ふがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候 つまるところ、、災難に際しては、災難に逢う [続きを読む]
  • 悟ってからの?
  • さて、目覚めの経験や、一瞥体験、覚醒体験と呼ばれるものをした後、、 その後に起こる傾向としては、、「恐れ」 を抱いたり、「達成」 を祭り上げたり、「虚無感」 に襲われたりと、、その様相は自我の反応によって実際様々ですが、、 程度の差こそあれ、それなりの 「混乱」 が起こるのは割と共通していたりもするかもしれませんので、、 何かの参考までに、、その後において、、生きづらさを感じてしまっている人のために [続きを読む]
  • 分離してるって本当?
  • 釈迦の悟りを、無分別智 (むふんべっち) などといったりもしますが、、 つまりが、、何物も分けられない無分別性こそこの世の実相であるとした発見なわけですが、、 これについては実際のところ、「再発見」 と言う方が正しいかもしれません、、 というのも、私たちが、「知っている」 と思っているものが実は誤解に過ぎず、 分けられていると思い込んでいる区別、差別、分別といったものは実はそうした 「見かけ」 をしてい [続きを読む]
  • そこにあるのは「恐れ」か「出会い」か?
  • 「恐れ」 から無自覚に、「逃げてしまう」 際のエネルギー的様相を見てみると、、 一般的に、「逃げる」 というとき、、当然ながらそこには、、 「恐れ」 の対象から、物理的に 「離れる」 というわけですから、、 対象との 「距離」 が、「逃げる」 ということの度合いに伴って大きくなっていることが分かるでしょう、、 即ち、、「恐れ」 から 「逃げる」 ことによって、 「恐れ」 との間の分離構造が強固になり、「対象」 [続きを読む]
  • 「恐れ」はどこで起きている?
  • 「恐れ」 や、「面倒」、「億劫」 といった感覚が感じられるとき、 注意して見ておかなければならない事実は、、 恐れを感じている対象、面倒を感じている対象、億劫を感じている対象自体に、、 そうした感覚の源泉があるということではなく、、 そうした感覚は、、私たちの内側で起きているという認識です、、 実際、、私たちの 「自我性」 というプログラムは、相対世界において、 「対象」 から身を守るためにビルトイン [続きを読む]