tkharry さん プロフィール

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tkharryさん: 悟りの世界に遊ぶだけ〜♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)
ハンドル名tkharry さん
ブログタイトル悟りの世界に遊ぶだけ〜♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)
ブログURLhttps://ameblo.jp/kidotomoaki/
サイト紹介文悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供266回 / 365日(平均5.1回/週) - 参加 2013/02/07 15:32

tkharry さんのブログ記事

  • 好きなことだけをやろうとすると苦しくなる
  • 先日、若者ととある教育者の掛け合いを扱った番組がやっており、、 やたらとその場の若者たちが、、「好きなこと」 をやりたい、「好きでもないこと」 はやりたくない、、 といった感覚にフォーカスしている様相を見るにつけ、、 なんとも、「わがまま」 だなーと思いつつ、眺めておりました、、 さて、「好きなこと」 だけをやろう、「好きなこと」 を仕事にしようとか言う標語がある種の美徳として祭られている節は未だにあ [続きを読む]
  • 瞑想に頼り過ぎないようにすること
  • 「瞑想」 という取り組みというのは、禅的なくくりで言えば、、 いわゆる、静中 (じょうちゅう) の工夫、、といったところですが、、 その他様々な、動かずに行う気づきのワークというものも、 もちろん、ベースを整えるといった意味では大切な側面もあるとは言いつつ、、 それさえ実践していれば、人生は劇的に変わるし、私たちは見違えた体感や変化を得られるなどとして、瞑想に期待を求め過ぎつつ、執着するようになって [続きを読む]
  • 観照と受容の物語
  • 例えば、何か思わぬ出来事がトリガーとなって、 様々な感情や思考が、時に、わーーー!!っと出てくるような場合において、、 こうした状況に際しては、おそらく自我は、そうした感覚の慌ただしさと不快さをできることなら一刻も早く振り払って、そうした感覚のない平静さを何とか取り戻そうと画策するものです、、 けれどもこうした反射的な反応に無自覚に同化してしまうと、、私たちは、そもそもの大前提を見落としてしまい [続きを読む]
  • 「自分」を開く
  • さて、先日とある方とお話しした折、、 「ハートを開く」 ということについて質問を頂いたものです、、 ま、こうした表現は、悟りメッセージの中でもまま見られる表現で、 確かに、この言葉だけを目にしてしまうと、どういう状態がそれを指しているか、往々にして疑問に感じられたり、一方で、それなりに好奇心を掻き立てられたりもするのも実際のところだとうと思いつつ、、 というわけで、ハリー的なところでの、「ハート [続きを読む]
  • 禅の真髄って何?
  • 鈴木俊隆禅師の講和などをまとめた著書、、 その冒頭で、彼の一人の弟子 (アメリカ人) が綴った文章、、 二人の鈴木。半世紀前、十三世紀にアリストテレスの哲学がラテン語に翻訳されたことや、 十五世紀にプラトンが翻訳されたことに匹敵する、歴史的な重要性を持った文化の移植が行われた。 鈴木大拙が、独力で禅を西欧にもたらしたのである。その五十年後、鈴木俊隆は、それと同じくらい重要なことを成し遂げた。 鈴木俊 [続きを読む]
  • 「今ここ」と二つの物語
  • 良し悪しということではなく、 私たちの生き方には、ある面、2つの側面、可能性があると言えるでしょう、、 一つ目は、、今ここに現れているものに 「抵抗」 する生き方、、 つまるところ、これは、自我が常態となった、「恐れ」 ベースの生き方であると言えます、、 「今ここ」 で良いわけがない、もっと素晴らしい (と思える) 現実を実現すべく、理想とする状態を目指し、 それらを成し遂げるまでは決して満たされない [続きを読む]
  • 「悟り」を目指すか生きるのか?
  • さて、悟り系メッセンジャーの流行語は今も昔も、「今ここ」 だろうと思いつつ、、笑 さて、多くの探求の形態が、いわゆる、「悟り」 をゴールとする一方、、 禅の立場を見るにつけ、その特異さにかねてから感嘆してきたのも実際のところです、、 例えば、、釈迦が見出した、無分別智 (むふんべっち) という発見、、 即ち、、すべてのものは分けられない、「分別」 という二元性を超えた在り様こそ実相であるという発見も [続きを読む]
  • 禅〜今ここで自己を忘れる
  • 道元禅師のこちらの言葉、、、 仏道を習うというは、自己を習うなり 自己を習うというは、自己を忘るるなり 自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり 万法に証せらるるというは、自己の身心及び他己の身心をして、脱落せしむるなり さて、本日は、、自己を忘れる、、について、、 もちろん、これは、「自分という人物の相対的な名前や役割についてすっかり分からなくなり、記憶喪失のような状態になる」 といった意味では [続きを読む]
  • やりたいことだけやればいいの?
  • さて、スピリチュアルにせよ、啓発系にしろ、、 「やりたいことだけ」 をやればよく、「やりたくないこと」 はやらなければいい、、などとした教えをたまに見かけたりするものですが、、 悟り系の立場は、というと、、 つまるところが、、やりたくないことにも進んで出会っていくといった立場です、、 というのも、、「やりたいことだけ」 に取り組み、「やりたくないこと」 を避け続ける様相は、、 「やりたいこと」 と、「 [続きを読む]
  • 禅〜真実を追求しない生き方
  • というわけで、真実の探求、真理の追求などと言うとき、、 まさしく、その字のごとく、、真実やら真理やらを、、「探し求める」、「追い求める」 必要があるというわけですから、、 当然ながら、、そうなった場合、、エネルギー的には、、 真実やら真理やらが、、「今ここにはない」 という前提がどうしても必要になります、、 けれども、真実や真理といったものを探しに出かけ、あらゆる探求の経路を歩みながらも、、ようや [続きを読む]
  • 禅〜収縮と解放の物語
  • 良し悪しということではなく、あくまでも、エネルギー的なところの話になりますが、、 いわゆる、「個人の都合」 が日々のエネルギー (意識) の 「常態」 になってしまっている場合、、 イメージとしては、、川の流れにあって、エネルギーが収縮した 「石ころ」 のような状態になるために、、 「流れ」 という、いわば、あるがままのダンスの中では、、 流れようにも様々な方面にぶつかりながらの流れになってしまったり、 [続きを読む]
  • ありのままに広がる瞑想
  • というわけで、臨在禅師の言葉より、、 求心 (ぐしん) 止むところ、即ち、無事。 無事是れ貴人。 求める心が止んだときにこそ、我々は安心に生きられる 何かを求めずして、あなたがそのままでいること、それこそが何よりも貴いことなのだ (ハリー超訳) というわけで、 過去にせよ、未来にせよ、状況や境遇にせよ、、どんなものでもあっても、 「今ここにないもの」 を求めているとき、、当然ながら、私たちは、「今ここ [続きを読む]
  • 心頭滅却って?
  • ある時代の禅の師と、その弟子のやりとりにて、、※毎度ハリーアレンジ込み込みです、、 老師!季節ごとの厳しい寒さや暑さがやって来ますが、 どうしたらそれを避けることができるのでしょうか?(=゚ω゚)ノ ほう?避けたいとな?それは何故じゃ?( ̄ー ̄) はい、日々の禅行において、暑さ寒さに心が乱され、 修行がおろそかになってしまっていることに気づいてしまったもので、、(; ・`д・´) そうか、ならば、、それほど、 [続きを読む]
  • 晴れても今ここ、荒れても今ここ
  • というわけで、明けまして、今ここです! 年が明けても、相対的な 「変化」 に気づいているという意識に変化が起きることはなく、、 それが、年末だろと、年始だろうと、、それを見守る気づき (アウェアネス) は変わらずのままあり続けています、、 ということは、、私たちの人生において、、 それが晴れの日だろうと、荒れ狂う嵐の日であろうと、、 それが今こことして現れ、それを見守る真正さという点では、そこに上 [続きを読む]
  • いつもいつでも、今ここから
  • 暮れても今ここ、明けても今ここ、、 相対の変化を見守りつつ、今ここに変わらずに在り続ける私たち、、 今ここである私たち、、 今年もたくさん読んで下さり、ありがとうございました! 来年も今ここでお会いいたしましょう! って、何気、新年は、年男なのですが、、 禅定をまとい、「今」 男になりきります! ※今日も読んで下さり、ありがとうございます!それでは、良いお年を! [続きを読む]
  • 自我のあるなし
  • さて、悟り系のメッセージにおいて、、 メッセンジャーの多くが、、自我、あるいは、エゴといったポインターをしばしば使います、、 けれども、一方で、、「自我はない」 というメッセージもたまに見かけられる話です、、 ・・・・(。´・ω・)? 後者の立場は、、実際のところ、真実ではあるのですが、、少しばかりの言葉足らずとも言えるもので、、 こうした言葉だけを目にしてしまうと、、往々にして 「誤解」 のもとにもな [続きを読む]
  • 良い気分に執着する苦しみ
  • というわけで、「良い気分」 自体は、安心できてくつろげる、開放的な感覚がするために、 その感覚こそが真実で、仮に、その 「枠」 から外れた 「悪い気分」 が起こったのであれば、 それを否定しあってはならない忌むべき感覚として嫌い、それが起こらないようにと、気分を、「良い状態」 に保たなければならない、、 あるいは、「悪い気分」 が起こるようでは、自分はまだまだ修練が足りない、「良い状態」 へのフォーカス [続きを読む]
  • 今日から俺は!
  • 禅の修行の目的は、観念に左右されない 「今ここ」 を生きる力 (禅定力) を養うこと、といった側面もあります、、 実際のところ、目の前の出来事は、これまでとどこか 「同じように見える」 場面や状況、相手であっても、 それは、宇宙開闢以来、、今ここにはじめて示されたリアリティに他ならず、 「過去」 (記憶が一面的に主張する内容) とは実は全く異なるというのが、絶対的な真実の立場です、、 ----------------- [続きを読む]
  • 「疲れているとき、それはあなたのエゴが疲れているんだ」
  • 鈴木俊隆禅師の逸話、、 疲れているとき、それはあなたのエゴが疲れているんだ、、 ・・・・ 毎度繁忙期の度に、禅師の警策かの如く思い出される言葉、、 というわけで、絶賛、13連勤の真っ只中です、、 さて、嫌な気分や、不快だと感じるものには関わらないようにしつつ、、 自分が良い気分がする方、、快を感じる方へ努めて方向付けしていくという教えもあるようですが、、 こうした、いわば 「誤解」 は、、ます [続きを読む]
  • 「動かず」を知り、「動き」を生きる
  • 「どこか」 が静まるとき、「個人」 が静まる、、 「個人」 が静まるとき、私たちは 「自由」 となる、、(帰還) というわけで、先の記事の補足?てなところですが、、 実際のところ、「個人」 というもののエネルギーは、執着であり、「収縮」 といったものですから、、 瞑想のような取り組みが、そうしたエネルギーの 「しこり」 を解放し、 物理的に、「どこか」 を切り捨てつつ、「動かず」 のアプローチで以て、「個 [続きを読む]
  • 瞑想と自己の不在
  • 久々に、「瞑想」 について、、 「瞑想」 というのは、、その見かけ上のスタイルが示しているように、、 「どこにも行かずその場所にただ在り、何にも手を伸ばすことのない 『求めない』 在り様」 であって、 これはある種、先人から私たちの、、「形」 に示された、無言のメッセージのように思います、、 ですから、瞑想に際して、、一番の機能不全を起こし得る態度というのは、、 「求める」 というエネルギーを持ち込んだ [続きを読む]
  • 思いを超えて、個人を超えて
  • さて、日々の日常において、、物事は、私たちの 「思い」、、 即ち、、個人の都合や、予測を超えて起きていることばかりです、、 仮に、、見かけの上で、、「思い」 通りに起きたように見え、、 都合や、予測の通りに事が運んでいると感じられる場合であっても、、 本当のところで、それが、「思い」 の通りに起きていることは何一つありません、、 というのも、、私たちのこの世界は、、例えるなら、、大海の 「波一つ (個 [続きを読む]
  • どうして禅には「迷い」がないのか
  • ずばり、禅は、、「今ここ」 という明白なものを相手にしているからに他なりません、、 そもそも、「迷い」 というものは、「今ここ」 以外の何かや 「どこか」 へ意識が魅了され、 「今ここ」 にあるはずのリアルなものを見過ごし、、 「今ここにはないもの」、これ以上の何かや特別なものをつかもうとしたり、求めたりする際に起こり得る、エネルギーの空回りといった様相であると言えるでしょう、、 実際のところ、、「 [続きを読む]
  • 「どこか」の不思議
  • 「どこか」 というのは、実に興味深いエネルギーです、、 求道において、この観察は、ある時気づきにつながることもあると言えます、、 例えば、、「どこか」 という感覚を大なり小なり思い描いた際、、 当然ながら、、そこには、「今ここ」 と、今ここにはない空想上の 「どこか」 との間の観念的な 「距離」 が生じつつ、、 注目すべきは、その 「距離」 の感覚に伴って、 私たちの中で、そこに向かわなければならない 「自 [続きを読む]
  • 今ここに取り組むことは自己を忘れる妙法なり
  • 道元禅師の有名な言葉にこういうのがありますねん、、 仏道を習うというは、自己を習うなり 自己を習うというは、自己を忘るるなり 自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり 万法に証せらるるというは、自己の身心及び他己の身心をして、脱落せしむるなり ※ハリー的超訳こちらに書いておりました、、こちら♪ さて、これについて、、もう一言付け加えさせてもらうならば、、 今ここに取り組むというは、自己を忘れるる [続きを読む]