tkharry さん プロフィール

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tkharryさん: 悟りの世界に遊ぶだけ〜♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)
ハンドル名tkharry さん
ブログタイトル悟りの世界に遊ぶだけ〜♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)
ブログURLhttps://ameblo.jp/kidotomoaki/
サイト紹介文悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供264回 / 365日(平均5.1回/週) - 参加 2013/02/07 15:32

tkharry さんのブログ記事

  • 心が不安なときの禅サプリ
  • さて、禅宗の開祖、達磨大師こと、ボーディーダルマ、、、 彼は、釈迦から数えて二十何代目かの法灯継承者であるわけですが、、 その彼がインドからはるばる中国にやって来たのち、、 「面壁九年」 の坐禅に明け暮れたという話は有名です、、 この辺の話は、学者でもないので詳しいことは分かりませんが、、 要は、九年間、、寝ても覚めてもぶっ通しで壁を前に坐禅をしたという伝説のようです、、 さて、そうしたぶっ飛ん [続きを読む]
  • 反逆の禅スピリット
  • さて、フェイスブックでうっかり見てしまったシェア動画、、 なんとそこには、、ネコさんを追い回すネズミさんの勇ましい姿が、、 思わず、、アハ! これを、OSHOおじさんなんかに言わせれば、自我に対する反逆行為、、的な表現になるのでしょうが、、 個人的にはなかなか興味深かったのでここぞとばかりに記事にしてみよと思います、、 さて、一般的に、ネズミの自我 (恐れ) は、ネコという天敵を前にすると、、 す [続きを読む]
  • どんな日も例外なく「今ここ」である
  • さて、私たちは、内在するプログラムであるところの自我性、、 つまるところ、恐れや不都合、不快さが身に降りかかった際には、 それを避け、そこから離れ、それを改善し、できることなら安心できる安全な状態を保とう、取り戻そう、、あるいは、そうした状態に作り変えようなどとした、「防衛」 の反応を日々携えて生きていると言えます、、 もちろんこれ自体は、何ら問題のある反応でもなく、ごくごく自然で、ハイクオリテ [続きを読む]
  • 今ここで幸せ論
  • 特別な 「幸せ」、、ここにはない 「幸せ」 を探したり、求めだしたりすると、、 今この瞬間に在る、このままの在り様との間で、「比較」 が起こり、、 「今はまだその状態ではない」 といった、今ここへの非受容的なエネルギーに伴って、 何としても 「幸せ」 にならなければならない自分、「今にはない幸せ」 を手に入れなければならない必要性が、 物の見事に、「今は幸せではない私」 といった、エネルギー的な錯覚を生み [続きを読む]
  • 時は流れず
  • うっかり図書館から借りてきたとあるDVD、、 何年も前に見た記憶がありつつも、この歳になってから改めて見てみると、、 やはり新鮮な感慨が沸き起こって来るものです、、 加えて、実際のところ、この作品はなかなかに真実を突いている箇所が散りばめられており、 そうした点でもとても興味深いものでした、、 ご存じの方もいらっしゃる通り、物語は、、 記憶が80分しか保たない数学者の博士と、家政婦の母、野球少年だっ [続きを読む]
  • 躊躇一喝!
  • さて、鈴木俊隆禅師の逸話が不意に思い出されました、、 ある夏の暑い日、禅師と修行者たちが、作務 (さむ) のために道具を持って、 埃っぽい山道を登っていたそうです、、 山頂に着くと彼らはシャベルを忘れてきたことに気づきました、、 彼らは誰がシャベルを取りに行くかを議論し始め、ようやく決着が着いたところで禅師がその場に居ないことに気づきました、、 禅師は、すでにシャベルを取りに山道を半分下りていたそう [続きを読む]
  • 閃きの構造
  • 意識が収縮した 「個」 的な状態というのは、、 ある意味では、「小さなグローブ」 で構えているような様相であるため、、 その状態に 「入って来る」 もの、あるいは、その状態で 「受け取れる」 ものというのは実に限られているために、、ある種の、滞りや右往左往、混乱といった様相もまま見られる話かもしれません、、 が、とは言え、この状態が調和から外れているわけでも、改善し克服しなければならない状態というわけ [続きを読む]
  • 絶対的な確かさで知っていること
  • というわけで、、私たちがどこに居ても、その場所が地図上のどの場所か分からなくても、目の前にどんな風景が広がっていようとも、、 それが昼か夜か、、二日酔いにせよ、寝ぼけ眼にせよ、、 いついかなるときでも、何をしているときでも、、絶対に忘れることができない真実、、 それは、、そこが、ここ、、であるということ、、 そして、、そこには、、今、、が起きているということ、、 そして、そのことを知っている [続きを読む]
  • 十牛図〜今ここへの帰り道
  • さて、マニアックな求道者なら、一度は聞いたことがある、あるいは、読んだことがある、、 禅の、十牛図 (じゅうぎゅうず) というやつ、、 左上から右上へ、、左下から最終、右下へ、、という順路です、、 探し求める悟りの境地を 「牛」 に例え、牛を見つけようと右往左往し、ようやく念願の牛を見つけては、 牛を自分のものにしようと悪戦苦闘し、牛を手なずけ、牛と共に戯れる、 そして次第に、牛も自らもあらゆるも [続きを読む]
  • 思考を止めなければならないという誤解
  • というわけで、鈴木俊隆禅師の逸話より、、 ある日、、ある修行者が、禅師に相談にやってきました、、 老師!瞑想中にどうしても思考が頭をよぎってしまいます、、 どうやったら、思考を止められるのでしょうか?? すると、禅師曰く、、 考えることに、何か問題があるのかい??( ̄ー ̄)ノ また別の日、、ある修行者はこう相談しました、、 老師!ここのところ私は、心が落ち着かない日々を過ごしています、、 坐禅の間 [続きを読む]
  • 今に戻る!今に目覚める!
  • さて、今月末にありがたいことに休暇が控えています故、、 ただ今のところ、、なかなか良い今ここレッスンの最中です、、笑 というのも、、「今」 より先の 「いつか」 に、「今」 よりも心安らげてくつろげる時間が訪れるに違いないという思い込みは、、やはり、「思い込み」 の域をどうしたって出ることはなく、、 そもそも、「今ここ」 で生きているということ以外、私たちの人生には何も現れ得ない以上、、 「今ここ」 [続きを読む]
  • 今ここに在る癒しと受容
  • 何が起こるか分からないからと、、心配しながら生きているとき、、 それは、自我と言われる、「恐れ」 のプログラムが意識の中で優勢になっている様相、、とでも言えるかもしれません、、 もちろん、これ自体は、悪い反応でもなければ、滅せなければならない反応でもありません、、 ただ、「自我が起きている」 ということに気づくだけで充分です、、 そうすることで、自我の緊張や収縮は感覚としてそれほどではないと思われ [続きを読む]
  • ここで目覚める!ここに目覚める!
  • 道元禅師が坐禅について示したとされる言葉、、 只管打坐 (しかんたざ) 即ち、、ただひたすらに打ち坐る、、というもの、、 この言葉を感じる時、、道元禅師の、坐禅行を格別に強調したとされる理由が何となく見えてくるように思います、、 それは、真実は、「どこか」 にあるものではないということ、「今この瞬間」 こそが探し求めていたものであるという、まさにシンプルなその点です、、 禅の修行、あるいは、瞑想な [続きを読む]
  • 「苦しみ」から逃げない力
  • さて、体調不良も無事終息しそうな気配です、、 というわけで、こうした、肉体的にせよ、精神的にせよ、、いわゆる、「辛い」 局面に際しての、、 ハリー的立場をここぞとばかりに書いてみようと思います、、 ここにおいては、、良寛禅師の遺した言葉が良い参照になります、、 災難に逢ふ時は災難に逢ふがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候 つまるところ、、災難に際しては、災難に逢う [続きを読む]
  • 悟ってからの?
  • さて、目覚めの経験や、一瞥体験、覚醒体験と呼ばれるものをした後、、 その後に起こる傾向としては、、「恐れ」 を抱いたり、「達成」 を祭り上げたり、「虚無感」 に襲われたりと、、その様相は自我の反応によって実際様々ですが、、 程度の差こそあれ、それなりの 「混乱」 が起こるのは割と共通していたりもするかもしれませんので、、 何かの参考までに、、その後において、、生きづらさを感じてしまっている人のために [続きを読む]
  • 分離してるって本当?
  • 釈迦の悟りを、無分別智 (むふんべっち) などといったりもしますが、、 つまりが、、何物も分けられない無分別性こそこの世の実相であるとした発見なわけですが、、 これについては実際のところ、「再発見」 と言う方が正しいかもしれません、、 というのも、私たちが、「知っている」 と思っているものが実は誤解に過ぎず、 分けられていると思い込んでいる区別、差別、分別といったものは実はそうした 「見かけ」 をしてい [続きを読む]
  • そこにあるのは「恐れ」か「出会い」か?
  • 「恐れ」 から無自覚に、「逃げてしまう」 際のエネルギー的様相を見てみると、、 一般的に、「逃げる」 というとき、、当然ながらそこには、、 「恐れ」 の対象から、物理的に 「離れる」 というわけですから、、 対象との 「距離」 が、「逃げる」 ということの度合いに伴って大きくなっていることが分かるでしょう、、 即ち、、「恐れ」 から 「逃げる」 ことによって、 「恐れ」 との間の分離構造が強固になり、「対象」 [続きを読む]
  • 「恐れ」はどこで起きている?
  • 「恐れ」 や、「面倒」、「億劫」 といった感覚が感じられるとき、 注意して見ておかなければならない事実は、、 恐れを感じている対象、面倒を感じている対象、億劫を感じている対象自体に、、 そうした感覚の源泉があるということではなく、、 そうした感覚は、、私たちの内側で起きているという認識です、、 実際、、私たちの 「自我性」 というプログラムは、相対世界において、 「対象」 から身を守るためにビルトイン [続きを読む]
  • 悟りの経験は悟りではない?
  • というわけで、鈴木俊隆禅師の逸話より、、(若干のハリーアレンジ込み、、笑) ある修行者が、禅師を前に意気揚々と話をし出しました、、 老師!!お聞き下さい!!私は昨日の坐禅行の際、、 驚くべき広がりの中に、自分が溶解してしまったような体験をしました!! これが悟りということなのでしょうか?私はもう悟ったということなのでしょうか?? ふむ、、( ̄ー ̄) たしかにそれを悟りと呼ぶことはできるかもしれない、 [続きを読む]
  • 「良い気分」ばかりを友としない
  • さて、スピリチュアルの世界を学び始めたころから、、 ちょくちょく見かける、、良い気分でいましょう、良い気分にフォーカスしましょう、、 という類、、 ま、もちろん、自我 (体感) にとって 「快」 を感じることは誰しも心地よく、できれば長くそこに留まっていたいと思うのは、、ごく自然なことであるとは言いながら、、 努めて、、「良い気分」 に留まろうと躍起になったり、、「良い気分」 をひねり出そうと努力する [続きを読む]
  • どんなときも今ここを生きるんだZEN!
  • 数年前、、仙台で白隠禅師の博覧会があるということで、、 出向いてみた際、、 オーマイガ―の掛け軸に遭遇したものです、、 白隠禅師作、その名も、、、南無地獄大菩薩!! 一般的な仏教信仰では、南無釈迦牟尼仏とか、南無阿弥陀仏とか、、 尊い仏に帰依し、崇め奉るのが通例かと思いつつ、、 さすがに白隠禅師のダイナミックなキャラクターと禅僧たる熱き心意気がひしひしと伝わる作品を前に、、 しばしの間、その [続きを読む]
  • 勢いをただ一点に留めよ
  • というわけで、思いがけず手にしたDVDをみつつ、、 ほほほーー!!と大きく頷いた場面に遭遇、、 いずれも 「勢い」 の強さを表した、、 「あらぶる」 と 「ちはやぶる」 についての説明のくだり、、 「あらぶる」 は、勢いが有り余って乱暴で不安定であるとしつつ、、 一方、、「ちはやぶる」 は、その勢いがただ一点に集中している状態、、 軸を中心にどの方向にもブレることなく、まるで止まっているとでも言うかのよ [続きを読む]
  • 瞑想と坐禅(効果と注意点)
  • 鈴木俊隆禅師によれば、、 坐禅 (瞑想) は、、時計のネジを巻き直すようなものだ、、ということでした、、 これを目にしたとき、なるほど!と合点したのも正直なところです、、 もちろんこれは、「時間」 を調節するとか、「時間」 についての概念について語ったものではなく、、 私たちは日常の中で、性質上、「対象」 にばかり意識がとらわれてしまうために、 相対世界が唯一の真実であり、それ以外の真実はないとして何 [続きを読む]
  • 禅宣言!〜真実を生きるんだZEN!
  • 道元禅師の言葉にこういうものがあるそうです、、 愛でていても花は落ちる、嫌いでも雑草は生える、、 ハリー的には毎度こんな感じ、、 晴れの日こそが幸せだと信じ込み、晴れの日ばかりが続くことを願ったところで、 永遠に晴れの日に留まることもなければ、こちら側の 「都合」 に反して、 当然ながら、雨の日や、風の日、嵐の日というものも、あるがままの流れの中で起こり得るものだということです、、 さらには、ティ [続きを読む]
  • 人生のゴールを生きるんだZEN!
  • 世の中的には、目的や目標を持ち、理想とされる自分や状態に近づくために、、 一生懸命努力し困難にぶつかった際であっても、今より素晴らしい 「どこか」 を目指して頑張り続ける、、といったことがある種、美徳として掲げられているきらいは依然あると言えます、、 もちろん、流れの中では、、自然な衝動として、目的や目標、理想といった何かしらのビジョンや閃きが現れることは十分にありますし、そうした衝動すらも否定し [続きを読む]