玉三郎 さん プロフィール

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玉三郎さん: 元デブオタニートの剣禅珍道中
ハンドル名玉三郎 さん
ブログタイトル元デブオタニートの剣禅珍道中
ブログURLhttp://tamasaburou1982.blog129.fc2.com/
サイト紹介文剣道と坐禅と習い事と旅行ブログ
自由文かつてはデブでオタクでニートだった男が、現代の侍を目指して剣道と坐禅その他に挑み、痛い目に合ったり自分のダメさにがっかりしたりするブログ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供27回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2013/02/15 22:56

玉三郎 さんのブログ記事

  • 建長寺坐禅会〜達磨安心〜
  • 達磨大師は壁に向かって坐禅している最中、二祖は雪の中に立ち、左腕を切り落として言った。弟子の私は心に不安があります。どうか安心させて下さい。達磨大師は言った。心を見せて見ろ。二祖が出来ませんと答えると、達磨は安心させてやったぞと言った。無門は言った。歯抜け爺は十万里もわざわざ航海して来て、無風な所に波風を立てるような真似をしたな。死ぬ前に弟子を得ることが出来たが、また目と耳がちゃんと働いていない。 [続きを読む]
  • 建長寺坐禅会〜雲門話堕〜
  • 雲門和尚は「光明寂照遍河沙」と詩を詠むと、詠み終える前に張拙秀才の詩ではないかと言った。詠んだ僧がその通りですと答えると、言葉に堕ちたなと言った。黄竜死心和尚は後にこの話を持ち出した。この僧のどこが言葉に堕ちたのか。無門は言った。もし雲門の偏屈なところ、何が言葉に堕ちたのか分かれば、人のために師匠となっても問題無いだろう。もし分からなければ自分すら救えない。うたって言う。急流に釣り糸を垂らす貪る魚 [続きを読む]
  • 建長寺坐禅会〜倩女離魂〜
  • 愚かにも今日はテキストを紛失してしまった。五祖は質問された。倩女離魂は、魂と肉体とどちらが本物なのか。無門は言った。もしどちらが本物か分かれば、肉体から魂が出るのは、旅に出て宿に泊まるようなものだと分かるだろう。もし分からなくても突っ走ってはいけない。突然体が四散すれば、茹でられた蟹の足のようになる。聞いてなかったなどと言ってはいけないよ。うたって言う。雲と月は同じ物。山と谷はそれぞれ違う。しゃー [続きを読む]
  • 建長寺坐禅会無門関提唱「非心非佛」
  • 馬祖道一禅師は仏とは何かと問われて答えた。「心にあらず仏にあらず」無門は言った。もしこれが分れば学ぶことはもう無い。うたって言う。剣客に遭ったら剣を出せ。詩人に遭わなければ詩を出すな。人に遭ったら三分を説け。全てを施すな。 [続きを読む]
  • 建長寺坐禅会無門関提唱「即心即仏」
  • 馬祖同一禅師は弟子の大梅から仏とは何かと尋ねられた。「(即心即仏)あなたの心です!」無門慧開禅師はこれに対して分かっている奴なら「即心即仏」などと聞いたら、走って逃げだすなどとおっしゃっている。禅宗では「禅とは何か」「仏とは何か」という質問を特に嫌うというのは有名だと思う。これまたアニメネタで申し訳ないが、「愛と勇気は言葉感じられれば力」なんて歌詞があった。仏も言葉にしてしまうと陳腐化してしまうも [続きを読む]
  • 建長寺坐禅会無門関提唱「不是心佛」
  • 南泉和尚にある僧が聞いた。説かずにはいられない法というものはありますか?南泉和尚はあると言われた。僧がどのような物か尋ねると。心でもなく、仏でもなく、物でもないと言われた。管長さまは人に言われて理解するのではなく、自分で体験して納得しなければ分かったことにはならない坐禅をすることも忘れて坐禅をするとおっしゃっていた。囚われてはいけないということなんだろうなあ。 [続きを読む]
  • 建長寺坐禅会〜大力量人〜
  • 松源和尚は言われた。力を持つ人はどうして座ったまま足をあげないのか。また、口を開かないのか。無門は言った。松源は腸まで見せてしまったぞ。これはただ、受け止める人が居ないというだけなのだ。無門のところに来て棒で叩かれて欲しい。叩いてみればその人が金かどうか分る。本当に凄い人はやたらと力を誇示したりしない。その人が本物かどうかは逆境の時に分かる。恐らくこういうことを言いたいのだろうと思う。管長さまは鉄 [続きを読む]
  • 建長寺坐禅会無門関提唱「洞山三斤」
  • 洞山和尚は仏とは何かと聞かれて答えた「麻三斤だ」無門禅師は言われた。洞山老師はハマグリのように自分の腸まで見せてしまった。さて、洞山老師は何を見せたのかな?管長さまは仏とは何かと聞くと人それぞれの答えが返ってくるが、多くの人は仏像や亡くなった人と答える。だが、正面にある観音菩薩像もただの木造であり、それを仏と思う心が仏であり、物の全てが仏であり、神である。と言われた。全ての物を神や仏だと思って感謝 [続きを読む]
  • 建長寺坐禅会無門関提唱「鐘聲七條」
  • 雲門和尚は言われた。世界はこんなに広いのにどうして君たちは、鐘が鳴ると袈裟を身に着けているんだい?禅堂の生活と我々の娑婆の生活は異なるが、ほとんどの人は時間通りに起きて着替えて、職場や学校に行くという規則正しい生活をしているはず。昨日見たポケモンの映画のシーンがふと頭をよぎった。主人公のサトシが夢の中でポケモンの居ない世界に行き、学校に通い、旅をして遠くの景色を見ることを夢見る。彼にとっては夢見た [続きを読む]
  • 建長寺坐禅会無門関提唱「南泉斬猫」
  • お盆その他で休止だったり、熱中症で倒れていたりして、実に1か月近くぶりに建長寺の坐禅会に参加した。今回の公案は第14則「南泉斬猫」南泉禅師は禅堂で猫に関して言い争っているのを見て、その猫を摘まみ上げて、宣言した。もし諸君らが納得のいくことを言えなければ、この猫を斬ってしまうぞ。誰も何も言えずにいると、南泉禅師は猫を斬ってしまった。その晩、南泉禅師は外から帰って来た趙州和尚にこの件を話した。趙州和尚は [続きを読む]
  • 高野山旅行二日目〜南無大師返照金剛〜
  • 翌日、朝のお勤め(お経)に参加して、朝食を食べ、朝いちばんでバスに乗り、奥之院に向かった。途中、お墓があったのだが、色々な企業や団体の慰霊碑が有り、形もバラエティに富んでおり、不謹慎かも知れないが面白かった。そして合掌してから御廟橋を渡る。ここから先の写真撮影は禁止。燈籠堂での護摩祈祷を見て、地下にいらっしゃる弘法大師にご挨拶。人が少ないからとても神秘的な雰囲気。朝一で行って正解だった。帰り道、狙 [続きを読む]
  • 高野山旅行一日目〜大阪を脱出して九度山へ〜
  • 有り難いことに夏休みをいただけたので、そのうち行こうと思っていた高野山に行くことにした。7年前にも友人と来たのだが、もう一度訪れたかった。当時は原始仏教を勉強し始め、坐禅を始めたばかりで、日本の各宗派や密教に関する知識はゼロで、幕末から戦国時代に興味がシフトしたばかりで、高野山と幸村公がどんな関係なのかも知らなかったし、友人のやりたいことに付き合っただけだった。あれから仏教に関して少しは勉強し、真 [続きを読む]
  • 巌喚主人
  • 瑞巌彦和尚は毎日自分を「おい主人公!」と呼び、「寝ぼけていないか!」「足元を見られていないか!」と問い、それに対して自分で「はい!」と答えた。瑞巌老師も自分で売って自分で買って、何故こんなことをするのか。一つは呼ぶもの、一つは答えるもの。一つは目が覚めているもの、一つは騙されないものもし真似したら野狐禅というものだ。自分を他人のように見て、客観的に接するということの大切さを言っているのだろうか。 [続きを読む]
  • 大通智勝
  • 興陽の清譲和尚にある僧が尋ねた。大通智勝が十劫(4000里の岩を100年に一度布で撫でてすり減って無くなるぐらいの長さ)坐禅しても仏になれなかったのは何故か。清譲和尚は答えた「仏にならないからだ」無門は言う。釈迦や達磨の悟りはそんなに簡単なものではないぞ。凡夫は悟りを開いて聖人になるが、聖人は悟りを開いてようやく凡夫になるのだ。うたって言う。心が分るのと身体が分るのとどちらが大事か。心が分れば身体も軽く [続きを読む]
  • 趙州洗鉢
  • ある日新人の僧が趙州和尚に尋ねた。私は入ったばかりで何も分りません。どうすれば良いのでしょうか。趙州和尚は「飯は食ったか」新人の僧が食べたと言うと、趙州和尚は言った。「それでは鉢を洗ってきなさい」新人の僧はそれを聞いて悟ったという。何か高尚なことを考えるのではなく、目の前にあることを一つ一つ片づける。禅においてこれが一番大事だということ。公案としては簡単な問題に見えるけど、言うのは簡単で、実際にや [続きを読む]
  • 香厳上樹
  • 香厳和尚は言われた。木の上に登って両手両足を外して、口で枝を咥えている時に下から人が「禅とは何か?」と問うた。答えたら木から落ちて死ぬ。だが、答えねば申し訳が立たない。さあどうする!?冷たい方程式やトロッコ問題のようだが、それらと違って、死ぬぐらいなら答えなくても良いじゃんと思ってしまう。そもそも状況が異常すぎる。だが、これはあくまでたとえであって、大事なことをするために何かを失わなければならない [続きを読む]
  • 倶胝竪指
  • 無門関第三則「倶胝竪指」倶胝という唐の時代の僧侶は、質問をされると常に指一本立てるだけだった。ある時、童子がここの和尚は何を説いておられるのかと聞かれ、指を一本立て、それを聞いた和尚は、童子の指を刃物で切落してしまった。和尚は泣き叫ぶ童子を呼び止めると、指を一本立て、それを見た童子は悟ったという。話はその後倶胝和尚の臨終の場面になり、師から指の禅を教わったが使いきれなかったと言い、倶胝和尚も童子も [続きを読む]
  • 趙州狗子
  • 一人の僧が趙州和尚に問うた。「狗子に還って仏性有りや無しや」(大意:犬にも仏性があるでしょうか?)趙州和尚は答えた。「無」(wikipediaより転載)最初の公案にして最も有名な公案である。答えの出ない問いを禅問答というように意味不明で理不尽な問いである。私にもさっぱり分らない。禅宗の修行者はこのような問いかけをされて、答えを持って行って違うと言われてしまう。禅というものは理不尽な世界である。有名な「仏に [続きを読む]
  • 乾坤独歩
  • 泊りの坐禅会をやっており、参加者と一緒に坐って来た。無門関の提唱は前回の続きで、最初のページの解説だったが、最後の頌(じゅ)に曰くの部分だけ解説されていた。大道無門 千差有路 透得此関 乾坤独歩無門の道は人それぞれであり、通った後は一人旅であるという意味らしいが、一人だから勝手にやっていいという意味ではなく、それぞれ一人の道があるということらしい。お釈迦様の「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉 [続きを読む]
  • 無門関提唱
  • 長らく建長寺の坐禅会の提唱は大覚禅師坐禅論だったが、今回より希望があったらしく無門関の提唱が始まった。有名な禅問答の問題集と言うべき書物である。今回は内容にはあまり触れずに概要だけで、次回も同じプリントを使用するらしい。無門関という本の題名の意味は、関門が無いということだが、そのために関門を越えると関門など無かったことに気付くらしい。それがどういうことなのかは今の私にはよくわからない。いつか気づく [続きを読む]
  • 辛苦に立ち向かう
  • 残念なことにスキャンに失敗してしわくちゃになってしまったが、今回で法語規則は終わりだったらしい。内容はやってはいけないことと罰則が書かれており、犯した場合は油を罰金代わりに支払うことになっていたらしい。悪事を働くような当たり前のことではなく、消灯や洗顔の時間を守らなかったり私語だけで、罰金なのでやはり僧堂での生活はとても厳しかったらしい。管長さまは辛いことから逃げ出さないことが大事で有り、坐禅をし [続きを読む]
  • 法語規則
  • 金曜日で大覚禅師坐禅論は一通り終了し、また初めからのスタートになったらしい。直筆の物が国宝に指定されている法語規則からスタートする。良い馬が鞭の影を見ただけで走るように自ら求めて修行を行い、楽をしようとせず、理屈では無く身体で会得するようにして、己の目指す所を常に忘れるなというような意味のことが書いてあるらしい。初心忘るべからずということで、肝に銘じておこう。↓押していただけたら、とても嬉しいです [続きを読む]
  • 三方が原で敗北
  • 翌朝、浜松駅からバスに飛び乗り、大河ドラマの舞台である井伊谷に向かう。昨晩遅かったのと会社からのメールで出発に手間取ってしまったがとにかく急ぐ。井伊谷に着くと既に昼になっていた。都合よく中華料理屋があったので、ここでも餃子を食べることにする。二日連続だがやはり美味い。まずは井伊谷宮に参拝する。祭神は宗良親王。後醍醐天皇の皇子で、ここを拠点に南朝のために奮戦したらしい。それでおんな城主直虎でも南朝の [続きを読む]
  • 秋葉と言ってもオタクは居ない
  • 有り難いことにゴールデンウィークをいただけたので、昨年に引き続き大河ドラマの舞台に行くことにした。新幹線に乗り、天候に恵まれ、昼頃には浜松に到着。目的地はもちろん大河の舞台の井伊谷なのだが、実は浜松にはもう一か所行ってみたところが有った。子供の頃、近くのお寺で秋葉講をやっていて、それの効果なのかどうかは知らないけれど、お陰様で火災には遭ったことは無かったので、お礼参りということで聖地である秋葉山へ [続きを読む]
  • 見性成仏即身即仏
  • 見性成仏とは執着を捨てて無になること即身即仏とはそのままの自分のこと悩みもするし不安にも思うが、「何で自分だけ」などと思わなければ良い。悟りも悩みも人それぞれである。人と比べたりせずに自分に出来る精一杯をやる。それで良いのだと思う。↓押していただけたら、とても嬉しいです。にほんブログ村 [続きを読む]