森田高尚 さん プロフィール

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森田高尚さん: 中部の「土木文化」見てある記
ハンドル名森田高尚 さん
ブログタイトル中部の「土木文化」見てある記
ブログURLhttp://chubu-fukken.com/
サイト紹介文中部地方に残されている土木施設遺産を訪ね歩き紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供79回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2013/04/09 14:03

森田高尚 さんのブログ記事

  • 岐阜・川原町の町並み
  •  旧城下町側 (岐阜公園側) から、北の長良川方面に向かうと細い運河があり、3本の橋が架かっている。橋を渡ったあたりを 「川原町」 という。この地域は、江戸時代あるいは信長の時代から重要な湊町として栄えてきた。美濃市の 「上有知湊」(今年9月23日付け) の項で記したように、上流から送られてきた木材や美濃和紙が、この湊で陸揚げされるのである。川原町はそれを扱う問屋町として繁栄した。 これらの材料は、「岐 [続きを読む]
  • 長良川改修と陸閘
  •  長良川は昭和初期まで、長良橋下流付近で古川・古々川とともに3筋に分かれていた。大雨になると長良川右岸のこの地域に洪水が押し寄せ、家や田畑を荒らすこと度々であった。そこで、古川・古々川を締め切り、長良川一本にする計画が立てられた。 工事は昭和8年から始められた。長良橋から下流5.6kmの右岸堤防を平均100m北側に移して築造し、河川幅を広げて水を流れやすくした。幅の広い河川敷には、運動場などが整備 [続きを読む]
  • 道三塚と信長廟
  •  司馬遼太郎の 「国盗り物語」 は、戦国時代に一介の油売りから身を起こし、美濃国の城主になった斉藤道三と、尾張の国に生まれ、破天荒な政略・軍略でとうとう天下を取った織田信長とを主人公にした歴史小説である。1973年に、NHKの大河ドラマとしても放映された。 岐阜市中心部から長良川を渡ると、金華山の山並みから一転して、平らな平野が広がる。長良川の右岸堤防から眺めると、野球場や競技場のあるメモリアルセンタ [続きを読む]
  • 名和昆虫博物館
  •  岐阜公園の南端に、岐阜市歴史博物館と並んで 「名和昆虫博物館」 がある。我が国有数の昆虫博物館で約1万8千種、30万点の標本を所蔵している。歴史も日本で最も古く、設立は明治29年 (1896) に遡ることができる。設立者で、初代館長でもある名和靖は、ギフチョウの発見者としても有名である。まだ若い岐阜県農学校助手の時代に、岐阜郡上の山中で新種の蝶を見つけた。 最初は「名和昆虫研究所」として発足した。こ [続きを読む]
  • 正法寺の大仏
  •  金華山の山裾に、これほど多くの寺社があることも知らなかったし、これほど立派な大仏様がいらっしゃることも知らなかった。「正法寺の大仏」 は、奈良・鎌倉に次ぐ日本三大大仏と謳われている。正法寺は歴史博物館や名和昆虫館のすぐ近くにあるのに、これまで一度も足を運ぶことがなかった。 このお寺の第11代和尚は、度重なる大地震や飢饉への厄除けの祈願を立て、2代38年の苦行を経て天保3年 (1832) にようやく [続きを読む]
  • 忠節橋
  •  忠節とか忖度という言葉は、とっくの昔に死語になっていると思っていた。ところが最近、これらがきちんと生き残っており、忠節を誓ったり忖度を尽くさないと出世できないということが分かってきた。近々第7版が出版される 「広辞苑」 によれば、「忠節」は “君につくす節義” であり、「君」 とは国家元首や自分の仕える主君のことである。 長良川が金華山の山裾を何度か蛇行するあたり、長良橋と金華橋の下流に 「忠節橋」 [続きを読む]
  • 岐阜・橿森神社
  •  岐阜は織田信長の町である。桶狭間の戦いに勝利した後の永禄10年 (1567)、濃姫の父・斉藤道三を滅ぼした斉藤龍興を破って居城を稲葉山城に移した。この城を岐阜城と改名したが、これが岐阜の初まりである。今年は、この年から数えて450年目に当たることから、市内では各種の記念イベントが開催されている。 山頂に岐阜城を擁する金華山の南山麓に、橿森神社が鎮座している。「御園」 と呼ぶこのあたりに、信長は 「 [続きを読む]
  • 平成記念公園「日本昭和村」
  •  天皇陛下のご退位が決まって、いよいよ平成の御世も終わることとなる。今朝の新聞報道によれば、再来年の4月には新しい年号になるようである。岐阜県美濃加茂市に岐阜県の整備した 「平成記念公園・日本昭和村」 がある。平成が過去のものとなりつつある今、「明治」 と同じように 「昭和は遠くなりにけり」 といわれるようになるのであろうか。 この公園は、昭和30年代の里山をイメージしたもので、広大な園地の中にレスト [続きを読む]
  • 太田橋と今渡ダム
  •  美濃賀茂市にある旧中山道 「太田宿」 は、中山道69宿のうち江戸日本橋から数えて51番目の宿場である。中山道はここで木曽川を渡るのだが、「木曽の桟、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」 と謳われたように、この街道の三大難所であった。度重なる水害により、渡船場は次第に上流に移転したが、昭和2年に太田橋が完成するまでは、そのたもとにある渡船場が使われていた。 太田橋は、旧国道21号線に架かる橋である。三径 [続きを読む]
  • 天白川の橋 その16
  •  名鉄豊田新線の米野木駅周辺は、新駅 (もう古い?) ができたことと区画整理が進んだことにより、このごろ開発が活発である。駅周辺にマンションが建ち並んできたが、この地は名古屋へも、豊田へも通勤できることが人気を呼んでいるのであろう。道路も新設・改良され、岩崎諸輪線の橋も 「米野木橋」 (写真上) の上流に 「米野木大橋」 (写真下) ができて交通の流れが変わっている。 天白川の最上流部は、日進市総合運動公 [続きを読む]
  • 天白川の橋 その15
  •  折戸から白山へ向かうバス路線の沿道に、市民会館・スポーツセンター・市役所と、日進市の主要施設が並んでいる。その道路が天白川を渡るのが、本郷橋である。そこから500mほど上流、大府から瀬戸へ向かう主要道路 「瀬戸大府線」 に架かるのが新本郷橋である。 名前からみると、前者の方が古い街道であり、後者の方が新しいバイパスなのであろう。地名や施設名で、その土地の状況を理解することができる。瀬戸大府線は、2 [続きを読む]
  • 防災公園「米野公園」
  •  向野橋を北に向かって渡り、しばらく行くと現在整備中の 「米野公園」 に至る。この地域は、戦前の耕地整理によって生み出された住宅地が多く、戦災復興や区画整理事業のはざまにあって、建物の老朽化が進んでいた。また、近くに大きな公園がなく、中村公園・白川公園といった広域避難場所へも2km以上離れている。 以前、「東京の清澄庭園」 (平成26年9月1日=防災の日) の項で掲載したように、いざ大震火災が発生した [続きを読む]
  • 向野橋
  •  ささしまライブのすぐ西に、JR関西線・近鉄線・あおなみ線など多くの線路を跨ぐ人道橋が架かっている。「向野橋 (こうやばし)」 と呼ぶ。かつては車も走っていたが、老朽化のため平成14年からは自転車・歩行者専用となっている。型式は下路式曲弦プラットトラス (ピントラス) と下路式プレートガーダーの組み合わせである。橋長は119mと長いが、トラスの部分は約85mである。 このトラス部分の方は、もともと明治3 [続きを読む]
  • ささしまライブ24
  •  久しぶりに 「ささしまライブ」 を見たいと考え、名古屋駅から南の方へ歩いていった。駅周辺の賑わいは笹島の交差点あたりまでで、レジャックを越えるとほとんど人通りが絶えると思っていた。ところが、交差点を越えても若い人たちを中心に、どんどん南へ向かって人々が歩いていくのである。しばらく歩いて右へ曲がり、鉄道のガードをくぐると目の前に銀色に輝く真新しい町が広がっていた。 「ささしまライブ24」 は、旧国鉄 [続きを読む]
  • 天白川の橋 その14
  •  日進市のこのあたりは、天白川に小川・折戸川・岩崎川などが合流するとともに、県道は57号瀬戸大府線を始め、名古屋から浅田、豊田、岩崎へと向かう主要な路線が走っている。 国道153号の上流に、手すりが緑色に塗られた西梅森橋と橋桁がだいだい色に塗られた梅森橋が架かっている。天白川も中ほどに差し掛かり、源流の丘陵地や、遠く猿投山も視界に入ってくる。 折戸川との合流地点に、ユニークなデザインのコンクリート [続きを読む]
  • 上有知湊と曽代用水
  •  高山城主・金森長近は、慶長6年 (1601) に小倉山城を築き、城下町 「上有知 (こうづち)」 つくった。その繁栄策として、上有知湊を開き、40艘の舟を置いて水運の拠点とした。この湊は、美濃国・四大川湊として栄え、明治末年に電車が開通するまでは物流の要点であった。 現在も、川面まで降りる玉石の階段が残っており、石積みの上には灯台が古の面影を守っている。この灯台は、水の守護神・住吉神社の献灯を兼ねて [続きを読む]
  • 長良川の美濃橋
  •  長良川は、飛騨山脈・標高2500mの大日岳に端を発し、郡上・美濃・関・岐阜を流れ、揖斐川・木曽川と合わさって伊勢湾に注ぐ大河川である。延長166km・流域面積は約2000平方kmと広大である。因みに、木曽川は229km・5300平方km、揖斐川は121km・1840平方kmである。 美濃の町は、関が原の合戦でも活躍した高山城主・金森氏が整備した。郡上街道や牧谷街道、長良川水運の上有知湊もある交通 [続きを読む]
  • 天白川の橋 その13
  •  名古屋高速道路環状2号線は、国道302号の上や下を走っている。天白川は「天白川大橋」で渡っている。この橋には防音装置が設置されており、道幅も広いため圧倒的なボリュームを見せている。 上下流の河川敷緑地で、草刈が行なわれていた。面積が広大なため、大型の草刈機械で行なわれるが、斜面地を斜めになっても安定して作業のできる機械が走っていた。刈った草を集めるのも機械で、回転するフォークで器用に片側に寄せて [続きを読む]
  • 天白川の橋 その12
  •  植田駅、天白スポーツセンターの近くに緑色・赤色という鮮やかな色合いの橋が目につく。緑色は 「天白小橋」 という人道橋、赤色は水を送る水管橋と思われる。その橋端に白い文字で 「塗装記録」 が記してある。年月は2012年、種類はRC−Ⅲ系、下塗りが2回で中塗りと上塗りが各1回とある。塗装の施工会社と塗料の製造会社名も明記してあった。 少し進むと、飯田街道と交差する。現在は県道58号・名古屋豊田線であるが、 [続きを読む]
  • 天白川の橋 その11
  •  植田川との合流点の上流に、県道59号の新音聞橋とそこから分岐して植田に至る道の音聞橋がある。このあたりは天白区の中心地で、区役所・警察署・スポーツセンターなどが集中している。また、県道58号・国道153号 (名古屋豊田線=飯田街道) が東西に走り、並行する地下鉄3号線の塩竈駅や植田駅も近くにある。 植田下水処理場の上部にある市民還元施設は広大で、緑ゆたかな公園になっている。子供の遊ぶ遊具や、相撲の [続きを読む]
  • 天白川の橋 その10
  •  天白区役所の南を走る県道220線は、新島田橋で天白川を渡る。そこから少し上流に植田川が合流してくる。二つの川の中州には、植田の下水処理場が地下にあり、上部は公園のような市民施設になっている。そこにユニークな人道橋が架かっている。 橋の名前は、鷺が寄る橋 「寄鷺橋」 と書いて “きりょうばし” と読む。名前だけでなく、橋の形式も東海地方では珍しい 「ニールセンローゼ型」 である。「ローゼ橋」 はアーチ橋 [続きを読む]
  • 納屋橋
  •  江戸時代、堀川には7本の橋が架かっていた。北から五条橋・中橋・伝馬橋・納屋橋・日置橋・古渡橋・新橋である(尾府名古屋図=蓬左文庫蔵参照)。納屋橋は上からも下からも真ん中の4番目にあり、最初は慶長15年 (1610) の清洲越しのときに造られたものである。名古屋の城下町は、豊臣方に対する戦略都市として誕生したが、同時に碁盤割の町を中心とした経済の町でもあった。  広小路はその中心的存在で、納屋橋は [続きを読む]
  • 天白川の橋 その9
  •  天白区役所あたりまで来ると、川幅がずいぶんと広くなり芝生地や散歩道などのある公園になっている。河川の断面は、常時水の流れる部分と大雨などの時だけ水に浸かる 「洪水敷き」 とに区分される。洪水敷きは普段は陸地になっていて、植物などが繁茂している。この部分を、河川管理者から公園管理者が借り受けて (占用許可という) 公園として市民に利用していただいている。このような公園を 「河川敷緑地」 という。 この緑 [続きを読む]
  • 天白川の橋 その8
  •  「平子橋」 を渡る路線は、県道59号線を北沢交差点で枝分かれして、野並住宅近くを通って地下鉄桜通線・桜本町駅に至る道路である。青く塗られた桁橋である。 もうひとつ北を走る菅田橋との間に、人道峡があり 「野中橋」 と呼ぶ。野並住宅から、中根小学校方面へ渡るのに便利な橋である。桁は、鮮やかな緑色に塗られている。 赤い色の 「菅田橋」 は、東西でなく南北に走って八事へ至る道である。途中、昭和高校前で左に折 [続きを読む]
  • 天龍峡大橋(仮称=建設中)
  •  三遠南信自動車道 (国道474号) は、三河・遠州 (浜松) と南信州 (飯田) を結ぶ、延長約100kmの高規格道路である。飯田方面からは現在、中央自動車道・飯田山本インターから、天竜峡までが共用されているが、その先、龍江へ向けて工事が進んでいる。 その中でも最も大規模なのは 「天龍峡大橋」 の建設である。来年度の開通を目指して、着々と工事が進んでいる。橋の長さは280m、形式は鋼上式アーチ橋 (バス [続きを読む]