森田高尚 さん プロフィール

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森田高尚さん: 中部の「土木文化」見てある記
ハンドル名森田高尚 さん
ブログタイトル中部の「土木文化」見てある記
ブログURLhttp://chubu-fukken.com/
サイト紹介文中部地方に残されている土木施設遺産を訪ね歩き紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供94回 / 365日(平均1.8回/週) - 参加 2013/04/09 14:03

森田高尚 さんのブログ記事

  • 駒ケ岳ロープウェー
  •  木曽駒ケ岳は中央アルプス (木曽山脈) の最高峰、標高2956mの高山である。前岳や中岳などいくつかの頂きをもつが、その中の 「宝剣岳」 (2931m) は象徴的な存在である。北アルプスの槍ヶ岳に匹敵するように鋭く尖った山容は、伊那谷を走る中央道からも遠望することができる。 宝剣岳の東斜面に広がる一帯は 「千畳敷カール」 と呼ばれている。カール (圏谷) とは、氷河時代に形成された地形のことで、氷河に削 [続きを読む]
  • 高山植物園
  •  日本には植物園が100あまりある (日本植物園協会に加入している植物園)。その中で高山植物園と銘打っているのは、神戸の 「六甲高山植物園」 と長野県の 「白馬五竜高山植物園」 の2か所である。大阪の 「咲くやこの花館」 のように、ガラス室の中を温度調整することにより、高山植物を栽培しているところもあるが、標高も高く、栽培植物だけでなくて自然のお花畑も鑑賞できるのは白馬五竜高山植物園だけであろう。  今年7月 [続きを読む]
  • 矢作古川分派施設
  •  矢作川は、長野県平谷村に端を発し、愛知県の豊田市や岡崎市、安城市や西尾市を流れて三河湾に注ぐ。延長117km、流域面積1830平方km、標高差約1900mの一級河川である。かつては、上流からの木材や下流からの塩などが行き来する、重要な交易路であった。 戦国時代に入ると、三河の国も織田・今川・松平 (徳川) などの戦国大名が覇権を争う舞台となった。大名たちは領土を拡大するだけでなく、勢力を増大するた [続きを読む]
  • 油ヶ淵水辺公園
  •  油ヶ淵 (あぶらがふち) は、愛知県内唯一の天然湖沼である。周囲6.3km、面積64ha、平均水深は約3m、海水と淡水の混じりあった汽水湖である。成立の歴史は比較的新しく、江戸時代初期のことである。 家康の命により矢作新川の開削が行なわれたが、新川への土砂流出を防ぐために米津と鷲塚の間に堤防が設けられた。これにより、入海が遮断され、油ヶ淵の基になる湖沼ができたのだという。「油ヶ淵」 の名称は、息子の [続きを読む]
  • 槙原トンネルと乳岩山
  •  新城市の長篠地区から川合地区に至る、宇連川右岸に沿って走る細い道がある。「望月街道」 と呼ぶ。この道路は、長篠の豪商・望月喜平治が莫大な私財を投じて開設したものである。延長約14km、明治19年 (1886) に完成した。 望月街道の中でも湯谷から槙原の間は、断崖絶壁が続くため工事は難航した。特に槙原トンネルをくり抜くのには多大な時間を要した。ここの岩は流紋岩で非常に硬いので、当時としては高価な火 [続きを読む]
  • 宇連ダム
  •  豊川は、上流の長篠の地点で宇連川と合流している。合流地点は自然の要害となっていて、織田・武田の合戦で有名な長篠城 (このブログ26・9・28を参照) があった。宇連川を遡り、景勝地として名高い鳳来峡や湯谷温泉を過ぎ、三河川合から左に折れたところに 「宇連ダム」 がある。 東三河地方は、昔から旱魃に悩まされてきた。そこで 「豊川用水」が計画され、終戦直後の昭和24年 (1949) に事業が始まった。その [続きを読む]
  • 湯谷の「水車製材所」跡
  •  豊川の河口部には、上流から流れてきた 「いかだ」 の集積地があり、板や柱に加工する製材所が たくさんあった。明治末になって鉄道が通るようになると材木を陸送できるようになり、山間部にも製材所が設置された。 湯谷にあった 「東川製材所」 もそのひとつで、明治42年 (1909) に建設されたものである。戦後まもなく工場は焼失したが、水車や石組みが残っているという。赤い吊り橋から眺めると、川中の巨石 「馬の背 [続きを読む]
  • 湯谷温泉駅
  •  湯谷温泉は、鳳来峡の宇連川沿いに広がっていて、日本百名泉にも選ばれている。温泉の歴史は古く、1300年前には開湯されていた。伝説によれば、鳳来寺の開祖・利修仙人により発見されたとある。仙人は温泉の効用により、308歳もの長寿を全うしたという。 宇連川のこの辺りは、川底に岩盤が露出して砂や砂利も無いため 「板敷川」 とも呼ばれている。長い年月の間に削られた岩が、大きな滝や小さな滝を形成して、美しい景 [続きを読む]
  • 山車の独楽(ごま)
  •  半田市亀崎の 「潮干祭」 は、5輌の山車を潮干の浜へ “曳き下ろし” することで有名です。その昔、神武天皇が東征する折に、海からこの地に上陸したとの伝説に因んだ行事です。毎年5月3日・4日 (雨天順延) に開催されます。今年は久しぶりに、4日の日曜日に訪れてみました。 世界遺産に登録されたこともあって、年々行楽客が増えています。曳き下ろしの浜辺は黒山の人だかりで、写真を写す隙間がありません。そこで、カ [続きを読む]
  • 宮島・厳島神社の大鳥居
  •  厳島神社の創建は、推古元年 (593) と伝えられている。その後、仁安3年 (1168) に、平清盛によって現在のような社殿に造営された。建築様式は 「寝殿造り」、平安貴族の住居のつくりである。浅瀬の海中に回廊が伸び、「池泉」 が設けられる前面は瀬戸内の海という趣向である。 清楚に配列された柱や梁は鮮やかな朱塗り、屋根は荘厳な檜皮葺である。床は厚みのある板敷き、柱の立つ土台は平らな面をもつ自然石になっ [続きを読む]
  • 岩国徴古館
  •  岩国城から下るロープウェーから見ると、眼下に吉香公園が広がっている。この公園は城主の居館跡や武家屋敷跡などが明治になって市民開放されたものである。桜・紅葉・牡丹など四季折々の花が植えられているが、6月末だったので花菖蒲や紫陽花がきれいに咲いていた。 その一角に 「岩国徴古館」 が建っている。物資統制下の戦時中に、旧藩主吉川家が “郷土に博物館を” という熱い思いで取組んだもので、昭和17年に起工し2 [続きを読む]
  • 広島の原爆ドーム
  •  73年前の今日8月6日午前8時15分、この真上で原子爆弾がさく裂しました。この 「原爆ドーム」 を “土木文化” などの範疇に入れて良いのか迷うところですが、世界遺産にも登録され、人々に注目されることが “核兵器禁止” や “世界平和” にも繋がるものと考え、ここに掲載します。 高校の修学旅行以来、3度目の訪問になります。毎年の慰霊祭などにより映像ではよく見ますが、改めてドームの前に立つと不思議な感情が [続きを読む]
  • 山口県岩国の「錦帯橋」
  •  錦帯橋が完成したのは、延宝元年 (1673) のことである。その美しさは、江戸時代中期から評判になっていたという。当時の山陽道から外れているのにわざわざ迂回し、見物してから江戸へ向かう参勤交代の大名もいたほどであった。 現代でも、広島・山口旅行の計画には、ここ岩国が加えられることが多い。ちなみに私の高校修学旅行 (古い!50年以上も昔のこと) は、広島の平和公園、安芸の宮島、そして錦帯橋というコース [続きを読む]
  • 牧野ヶ池緑地
  •  日進市との市境に近い名古屋市名東区に、面積150haにもおよぶ広大な緑地がある。牧野ヶ池緑地である。戦争中の昭和15年 (1940) に、名古屋市を取巻くいくつかの防空緑地のひとつとして計画決定されたのが始まりである。戦後の昭和32年に、広域公園として利用されるようになった。 牧野池の歴史はさらに古い。このあたりは、なだらかな丘陵地帯で水利が悪く、昔から旱魃に悩まされてきた。正保3年(1646)、尾 [続きを読む]
  • 西尾城
  •  西尾城は昔、西条城と呼ばれた。創建は12世紀といわれるが、中世までの規模は定かでなく、城としての形態を整えたのは戦国末期と考えられている。永禄のころ (1560年代) は、今川方が城主であったが、桶狭間の戦いの後、松平方 (後の徳川) の酒井氏が攻め寄せて城を奪取し、「西尾城」 と改名した。 天正13年 (1585) に酒井氏は、城の大改修を行なった。面積を広げ、深い堀や高い石垣を築き、数か所の櫓や城 [続きを読む]
  • 西尾市の岩瀬文庫 その2
  •  岩瀬文庫の入口あたりに、青瓦の可愛らしい建物がある。木造板張りの壁を白いペンキで塗った、おとぎ話に出てくるような小さな家である。看板を見ると 「おもちゃ館」 とあり、なるほどと思わせられる。今回は中まで見ることは出来なかったが、子どもの喜ぶようなグッズが展示されているのだろう。 帰ってから施設案内の冊子を見ると、この建物のもともとは、大正15年に建設された 「岩瀬文庫児童館」 だという。岩瀬弥助は、 [続きを読む]
  • 大須文庫 (2014・01・10の再掲)
  •  岩瀬文庫、蓬左文庫を掲載したならば、「大須(真福寺)文庫」を忘れるわけにはいきません。名古屋・愛知が先人のご努力により、これほど素晴らしい文化を残していただけたということを、我々は再認識しなければいけないと思います。 名古屋城と熱田神宮の中間地点に大須の町がある。江戸時代から大須観音の門前町として栄えた歓楽街で、今もユニークな商店街として賑わっている。 この大須観音 (真福寺) に日本で最も重要な [続きを読む]
  • 蓬左文庫の旧書庫 (2014・5・11の再掲)
  •  岩瀬文庫は、2003年に再整備されましたが、その翌年の2004年には、名古屋の蓬左文庫(徳川園)もリニューアルオープンしています。両者とも我が地方の誇りとなる文化施設ですので、ここに並べて見ていただくために再掲します。  名古屋市東区の徳川園には、徳川美術館とともに 「蓬左文庫」 がある。この文庫には、尾張徳川家の旧蔵書を中心に、日本、中国、朝鮮の古典籍約10万点が所蔵されている。中でも有名なのは [続きを読む]
  • 西尾市の岩瀬文庫
  •  西尾市の北西地域、歴史公園や城跡と、矢作川との中間地点に古典籍の博物館 「岩瀬文庫」 がある。岩瀬文庫は、地元の実業家・岩瀬弥助が独力で蒐集した古い時代の書物を公開し、私立の図書館として明治41年 (1908) に誕生したものである。 慶応3年 (1867) に西尾城下で生まれた弥助は、肥料商を営んだが、商才があったため一代で莫大な財を築き上げた。自身は質素な暮らしをする一方で、学校に土地を寄付したり [続きを読む]
  • 蟹江の「御葭橋(みよしばし)」
  •  7月2日のこのブログに間違いがありましたので、訂正させていただきます。タイトルとマップのところで、「飾橋」と記しましたがそれは1本下流の橋で、この橋は「御葭橋(みよしばし)」でした。読者の方からのご指摘で分かりました。ありがとうございました。 また 「尾張名所図絵」 ですが、蟹江川のほとりに建つ 「冨吉建速神社・八剱社」 の説明看板に掲げられていました。この図は 「須成祭」 の様子で、大きな木造船に櫓 [続きを読む]
  • 鐘楼の玉石積
  •  信長街道に面して、善敬寺 (ぜんきょうじ) というお寺がある。山門を入ってすぐ左に立派な鐘楼があるのだが、その台座となる石積みが素晴らしい。大振りな玉石を、楕円形の4面を削って (はつって)、頑丈に組み合わせている。 多くは花崗岩だと思われるが、中には極端に白っぽいものや、鉄錆のような色をした石も混ざっている。中央の一番目立つところに、五弁の花を模ったようなシンボリックな石がはめ込まれている。住職 [続きを読む]
  • 蟹江宝蓮寺「イブキの大木」
  •  蟹江川に沿って、「信長街道」 と呼ばれる細い道がある。若かりし織田信長 (19歳のころ) が、清洲攻めのときに通っていった道だと伝えられている。この昔ながらの道沿いには、お寺や神社、小さな祠や古木・大木がたくさんある。 JR関西線の南側、蟹江川の右岸に 「宝蓮寺」 という浄土真宗大谷派の古刹がある。山門に蓋いかぶさるような大木が見えたので、中へ入ってみた。イブキ (ビャクシン) である。幹の直径は1m、 [続きを読む]
  • 蟹江の造り酒屋
  •  蟹江川流域は、木曽川や庄内川の三角州であり、砂などの堆積した沖積層の地層である。そのため、川沿いには豊富な伏流水が湧き出ている。また、この地域は原料となる米の産地であり、名古屋という大消費地にも近い。さらに蟹江川は、原材料や製品の運搬にも便利であった。すなわち酒造りの条件が満たされているのである。 明治の初めごろには、蟹江町内だけでも10数軒もの造り酒屋があったという。現在でも2社のメーカーが生 [続きを読む]
  • 蟹江の「飾橋(かざりばし)」
  •  また 「尾張名所図絵」 ですが、蟹江川のほとりに建つ 「冨吉建速神社・八剱社」 の説明看板に掲げられていました。この図は 「須成祭」 の様子で、大きな木造船に櫓が組まれ、そこに提灯をドーム状に取り付けた 「巻藁舟(まきわらぶね)」 の姿が描かれています。沿岸にも多くの観覧者がいて、たくさんの小舟からも祭りを楽しむ人たちを見ることができます。 この神社は、奈良時代に建立されたと伝承され、平安末期には木曽 [続きを読む]
  • 三条通りの商店街
  •  三条通りは近代化の中心地としても発展し、明治期には京都のメインストリートであった。そのため日本銀行の京都支店や中京郵便局が通り沿いに建設された。また、創業300年を越える “ぬい針” で有名な 「福井みすや針」 や京扇子が揃う 「大西京扇堂」 などの老舗も軒を並べている。 京都で最も古いこの商店街は 「三条名店街」 と呼ばれ、古い和風建築と近代的な赤レンガの洋館が入り混じっていて、古都と近代西洋文化の美 [続きを読む]